2023年1月2日月曜日

爺ブログのレトロスペクティヴ2022


戦争がすべてを変えてしまった年だったね

年頭恒例になりました爺ブログ2022年のレトロスペクティヴです。2022年2月24日に始まったロシア軍によるウクライナ侵攻は、欧州に住む私たちの生活をがらりと変えてしまったし、今その直接的な影響としての電力/エネルギー不足の最初の冬を体験している。ウクライナの人々のことを思う。そして指導者たちの暴挙に翻弄されるロシアの人々のことを思う。一日も早く止めさせねば。
 爺ブログ2022年の総ビュー数は4万7千、2021年の5万8千から1万1千も減りました。これは2022年4月にYahoo Japan が私の住む欧州地区でのサービスから撤退し、わがブログの更新情報などがYahoo に全く反映されなくなったことが、大きく影響していると考えられます。(↓)下に紹介するビュー数上位10点が、すべて5月以前の記事になっているのは、そのせいとしか思えません。しかたありません。わがブログが紹介するカルチャー全般が前年に比べて極端に貧困になったとは思えないので。
 これまで爺ブログで高い評価を受けていたヴィルジニー・デパントレイラ・スリマニアメリー・ノトンブの2022年新作はいずれも大したビュー数を得ることができませんでした。ウーエルベックも5位につけておりますが、いつもはこんなものではないです。音楽では私も今年のベストだと思うバンジャマン・ビオレー新作もいつものような同志たちの賛意を集められなかったようです。でもめげませんよ。
 以下が2022年に発表した記事56本から、純粋にビュー数の多い順から上位10点です。例年とはちょっと傾向が違いますが、同志たちの評価は常にうれしいものです。2023年もよろしく。そして2023年の夏までに、おそらく2007年のブログ発足以来の総ビュー数が「1 000 000」(百万)を突破するはずです。これは一緒にお祝いしましょう。

(記事タイトルにリンクつけているので、クリックすると記事に飛べます)

1. 『埠頭の女たちと著述家のデオントロジー(2022年1月19日掲載)
ノルマンディー地方都市の劣悪な女性雇用事情の内部潜入レポート、フローランス・オブナのベストセラーノンフィクション『ウィストレアム埠頭』(2010年)を下敷きに、エマニュエル・カレールが脚本演出監督したフィクション映画『ウィストレアム』。身分を隠して現場に潜入するジャーナリストを演じたジュリエット・ビノッシュを除いて、パートの清掃労働者たちを演じた女性たちはすべてノルマンディー現地の素人の現役労働者をキャスティングで起用した。映画はその過酷な労働条件を描くことよりも、主人公のジャーナリストが本を書くために、さまざまな隠し事と偽りを行使して女性たちに接近して、ある種"偽装”の友情を築いていく、という後ろめたさ、そのウソが暴かれた時の大いなるカタストロフに重きをおいている。デオントロジーの問題。便所掃除をするジュリエット・ビノッシュ。オブナの本とは全く別物になってしまったが、それでいいのだと思う。

2. 『Leconte est bon(2022年2月26日掲載)
ロシアによるウクライナ侵攻が始まった日2月24日に劇場公開が始まった映画。主演のジェラール・ドパルデューがロシア大統領プーチンと”親友”関係にあり、それまでプーチン擁護発言をしていた(戦争勃発後は手のひらを返すごとく...)ことで封切時にはかなり風当たりが強かった。ヒット作の多い大衆的映画作家パトリス・ルコントが、シムノン『メグレと若い女の死』(1954年)を原作に、メグレ警視役に良くも悪くも大俳優のドパルデューを起用し、自ら証言しているように「ヒッチコック手法」で撮った映画。象のような塊りでしかないドパルデューが、動作も鈍く、口数も少ないが、その圧倒的な存在感で見せてしまう古風な作品。始終暗めセピア色の1950年代のパリも美しい。捜査も画風も最初から最後まで”クラシック”にこだわったのが正解。あらかじめ古典になってしまっている。

3. 『柔能く剛を制す(2022年3月6日掲載)

『メグレ』(↑)の1週間後の3月4日に公開されたドパルデュー主演映画『頑強(Robuste)』(コンスタンス・メイエール監督の初長編映画)。(ドパルデューが”地”でできそうな)どうにも手に負えない斜陽の元大映画俳優という役どころ。だが自虐ギャグのストーリーではない。ボディーガード/運転手/秘書から台本読み合わせまでよろずの世話をする付き人の休暇期間に臨時に雇われた25歳の黒人巨漢女性(アマチュアレスリング選手)、こんな娘に俺の付き人がつとまるわけがないと相手にしなかった大俳優が少しずつ心を開くためには、巨漢同士のぶつかり合いが必要だった。安易な友情物語ではなく、大俳優の複雑な孤独も、巨漢娘の複雑な孤独もかなり近くから描いているから、この刹那の触れ合いが心に響く。『メグレ』共々ドパルデュー再評価のきっかけとなった佳作。

4. 『だんだん良く鳴る法華のタンブール(2022年5月30日掲載)

大器晩成型。どんどん大物感を蓄えていっているベルトラン・ブラン(51歳)の7枚目のアルバム。アルバムを重ねるごとにさらに高踏的になり、俳句的ミニマル表現(サウンドと詞)になっていっているのに、ファンはこの味に毒されたように魅了されているようだ。しびれる低音はよくバシュングと比較されるが、私はエルヴィス的だと思って聞いている。そう、”難解なエルヴィス”と私は思う。ゲンズブール寄りを自認するバンジャマン・ビオレーとは違った道を歩んでいる。いずれにせよ、ビオレーとブランは21世紀的現在におけるポップ・フランセーズの最高峰の部分である、と私は断言できる。私はこの二人には着いていきますよ。

5. 『Dear Prudence(2022年1月29日掲載)

1月7日に発売されたウーエルベック7作目の長編小説『無化(Anéantir)』、凝ったハードカバードイツ装製本(栞紐つき)736ページ。2027年大統領選挙、超ハイテクのテロ事件、悪魔学、カトリック信仰、新宗教、老人医療、最先端ガン治療など縦横無尽の(雑学)博識に裏打ちされた大著ではあるが、読後感の薄っぺらさはウーエルベックには珍しい。それなりに売れてベストセラーにはなったし、メディアも相当騒いだわりに、急激な尻すぼみ状態で、春を待たずに誰も話題にしなくなったし、2022年年末の「今年のベスト小説」には全く顔を出していない。私のブログ記事は例外的に200行を超して、かなり詳細に内容について言及しているが、自分で読み返して「イヤんなる」レベル。あれから1年経ったが、日本語訳はまだ出ていないようだ。あまりおすすめはしない。

6. 『もう37歳になるんだよ(2022年2月11日掲載)
3月4日にリリースされたストロマエの9年ぶりのスタジオアルバム『ミュルティチュード(Multitude)』は遂に爺ブログ記事として紹介できなかった(今でも書きかけで未発表ストックしてある)。この記事は自分でもそのプレリュードのように、テレラマ誌のインタヴュー記事を下敷きにして書いたのだけど、既にスケジュールが決まっている2022年メガツアーの日程が迫ってきたから慌てて制作された”出し殻”のような非ポップアルバムへの言い訳のような印象がある。創造性(クレアティヴィテ)の枯渇。それはそれでいいのだけれど、言い訳はあまりして欲しくなかった。特に「もう以前のような肉体を保つことができないから、力を抜いて...」のような発言は。弟分のオレルサンは”渦中の人”であることから逃げていないよ。アルバムは本格的にジャック・ブレル流のシャンソンに脱皮しようという試みが明らか。それは良い方向だと私は思うよ。

7. 『A star is reborn(2022年4月6日掲載)
一貫して迷える若者像を撮り続ける万年青年監督セドリック・クラピッシュの最新作はプリマドンナ・バレリーナのマリオン・バルボーを主演させた”ダンス”映画。晴れの舞台で大転倒し、二度と踊れなくなるかもしれない怪我を負ったクラシックバレエのプリマドンナが、人生見つめ直しの旅でブルターニュに流れ着き、そこでコンテンポラリーダンスの一座の合宿と遭遇し、少しずつ踊りの世界に戻っていく。葛藤あり、友情あり、恋あり、そして全編にダンスあり。ああ、こういう跳躍できる肉体を持った若者たちは、なんて美しいのだ! それだけで幸せになれる映画。理屈なし。わかりやすく感動がまっすぐ。観た人はみなマリオン・バルボーのとりこ。他にもたくさんいい映画あった2022年なのだが、私的にはこれが一等賞と思ってます。記事はかなりベタ褒めです。

8. 『魅惑の美形シンガーの謎の死(2022年5月1日掲載)
年に何回かやってしまうラティーナ連載『それでもセーヌは流れる』(2008〜2020)記事の加筆再録。これはラティーナ2015年7月号に載ったマイク・ブラント(1947 - 1975)の記事。ひとこともフランス語を話せない状態で1970年単身フランスに上陸、驚異的なスピードでスターダムにのし上がり、その人気の絶頂で1975年にこの世を去っている。自殺か他殺か。今日まで諸説あり、未だに真相は明かされていない。まるで芸能雑誌の記事のように書いたものだが、それなりに面白いし、フランス芸能界の暗部も垣間見ることができる。沢田研二は「ポスト・マイク・ブラント」候補として1975年にフランスでスターになった。ブラントのようにフランス拠点の国際スーパースターになることも不可能ではなかったのだが、違う道を進んだ。後悔はしていないと思う。

9. 『ツイストびとのための鎮魂歌(2022年1月11日掲載)
マルセイユの(人情)映画監督ロベール・ゲディギアンが初めてアフリカで撮影した映画『ツイスト・ア・バマコ』。1962年、独立直後のマリが舞台で、厳格なソヴィエト型社会主義化を目指す独立体制派とツイストや欧米の流行に熱狂している若者たちとの確執を描く。ゲディギアンはマリでこの映画を撮りたかったのだが、昨今のマリの政情はまったくそのようなことができる状態ではなく、まだマリほど反フランス勢力の強くないセネガルで撮影した。ラストシーンで2015年老婆になったヒロインのララが、イスラム過激派が制圧した地区の中で、踊りながら(イスラム占領軍が強制したヒジャブ着用の義務を無視して)ヒジャブを脱ぎ捨てる。戯画的に見えるだろうか。2022年冬、イランで起こっていることとシンクロする、自由へのメッセージ。ツイストもロックンロールもそういうシンボルとして愛された時期/場所があったことを忘れてはならない。

10.  『(ぶり)じっと手を見る(2022年4月8日掲載)
これも(↑)マイク・ブラント記事と同じで、ラティーナ2013年11月号に載った「それでもセーヌは流れる」連載記事を加筆再録したもの。偉大なりブリジット・フォンテーヌ。私が初めてフォンテーヌに関してバイオグラフィーも含めてまとめて書いた記事だった。本人には会っていない。たぶん会っても話にならないだろうという恐れもある。昨今は何度も死亡説が流れ、コロナ禍でキャンセルが続いた「さよならコンサート」は、2022年4月「ブールジュの春」フェスティヴァル内で行われた。当日まで本人は現れないだろうという噂が立ったが。怪女であり怪詩人である。もう歌わなくてもいいから、長生きして"言葉”を放ち続けてください。

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