2007年8月30日木曜日

君は僕より年上と まわりの人はいうけれど



 ダイアナ10周忌のお参りに行ってきました。今朝のアルマ橋地下道上の「自由の女神トーチ」前にはたくさんの人が来ていましたけれど,明日(10周忌当日)にはこの辺りは花束で埋まってしまうのでしょうね。明らかに日本からの贈り物とわかる「千羽鶴」も飾られていました。ファンレターやら写真やらいつもいっぱい貼られているのだけど,パリ市はここをダイアナ記念碑とは認めていないので,無惨にも清掃員が除去して,トーチ像はいつのまにかきれいに洗われていて,しばらくたつとまた花束や贈り物やレター貼付けでいっぱいになって...というのをくり返しておりました。今朝はラジオRTLが詣で客にさかんにインタヴューしていましたが,やはり外国人が多いようです。私と娘もインタヴューされるのではないか,と構えておりましたが,素通りされました。
 この人の生き方(一種の殺され方)を見て王室が嫌いになった人たちはたくさんいると思うんですよね。王室のない国で生きていると,何が何でもこの王家を守らなければ,という理由がわからなくなってきます。私はわかりません。フランスで王のように振る舞おうとしている大統領が出てきましたが,その王様趣味は人民に背を向けられますよ,すぐに。

2007年8月29日水曜日

クレイグ・ロビンソン・2



 昨日に続いてクレイグ・ロビンソンです。ジギーと言うよりはジギーちゃんと呼びたい可愛らしさです。
 おとといあたりから私の通勤路の途中にあるアルマ橋トンネルがたいへんな渋滞状態になっています。ダイアナ10周忌なのだそうで、事故現場詣での人達があとを断たないのです。トンネル上にある「自由の女神トーチ部分」のモニュメントが、いつのまにかダイアナ事故現場詣での「霊石」と化していて、そのモニュメントに触れるとダイアナの鼓動が感じられる、などと証言する人が現れる始末。
 これだけの詣で客が集まるのですから、ベルトラン・ドラノエはちゃんとした場所にしないといけませんね。アルマ橋を「ダイアナ橋」に改名するとか、自由の女神を「自由のダイアナ」と改名するとか...。そうするとその周りにダイアナ饅頭とかダイアナ煎餅とか売る土産屋がたくさんできるでしょうね。

2007年8月28日火曜日

クレイグ・ロビンソン



 『Rock en Seine』でもうひとつ楽しかったのはクレイグ・ロビンソンのイラストレーションが壁を飾っていたことでした。このイギリス人イラストレーターは、ポップスターなどの極小ピクセル似顔絵で有名になった人で、そのイラスト集『Minipops』は日々アーチスト数を増やしていっています。その概要は   http://www.flipflopflyin.com   でご覧になれます。
 『Rock en Seine』の壁では、その拡大版が展示されていたのですが、ストーンズ、ビートルズなどのビッグネームが単純ピクセル画で並んでいました。娘はジギー・スターダストの前で、私はルイーズ・チコーネの前でそれぞれ写真を撮りました。このゴルチエのコスチューム姿のルイーズ・チコーネですが、よくご覧下さい。ホクロひとつが値千金の決め手になってますよね。

2007年8月25日土曜日

断じて痩せなければならない



 8月25日、ジャーヴィス・コッカーのステージに惚れ惚れしました。痩せているということはそれだけで美しいのですね。私も断じて痩せなければならないと、心に決めました。なぜああいうインテリ顔で、運動音痴のような風体で、どうしてあれだけしなやかなロッカーになれるでしょうか。フランスに4年住んでたのに、僕のフランス語はこの程度だよ、なんて言いながら、「ここはSaint Cloudだけど、今日は空を見上げたら cloudがないんだ、すごい!」などとバイリンガル・ギャグを飛ばしていました。すごくいいやつっぽいです。今日の一番幸せだったステージでした。
 エミー・ワインハウスは案の定ドタキャンしました。CSSは「バックトラック」使用の疑惑を持って見てましたが、まあカラオケショーとしても素晴らしいショーサーヴィスでした。うちの娘には一番受けていました。レ・リタは4曲めで『セ・コム・サ』に突入してくれたので、やっぱり涙が出ました。
 晴天だと、こんなに素晴らしい1日になるんですね。来年も行きます。サヴォワ地方の出店で食べたタルティフィレットもめちゃくちゃ美味しかったし。(コンサート会場でのケバブ・サンドイッチやメルゲズ・サンドイッチはもう飽き飽きなんですわ)

2007年8月21日火曜日

土曜日天気になあれ



 わが家からセーヌを挟んで対岸のサン・クルー公園で毎年開かれるロック・フェスティヴァル『ROCK EN SEINE』は,今年はビョークが出るというのが「売り」でした。8月24-25-26日の3日間,わが家から歩いて5分のところで開かれるロック・フェスですから,行かないテはないのですが,家族会議の結果,私たち一家は25日の土曜日に行くことにしました。ビヨークが出る26日を蹴りました。ビヨークか否か,という家族議論で,私が一番心配していたのは娘への悪影響でした(何のことですか)。私の娘はビヨークが乗り移りそうな姿かたちをしているのです。
 というわけで24日のハイヴス,エミリー・シモン,アーケイド・ファイア,26日のクレイグ・アームストロング,ビョークその他全部無視しました。25日,私たちの家族は17時からエミー・ワインハウス(!),18時40分からジャーヴィス・コッカー,19時30分からブラジルのおねえさんたちCSS(実はこれが一番見たかったのです),21時30分から(何年ぶりに見るのだろう)レ・リタ・ミツコの4ステージを見ることにしています。レ・リタは私と私の奥様のたっての希望です。そういう年齢なんだからしかたないです。実は当日25日は,タカコバー・ママのお誕生日です。
 異常に寒く,雨ばかり降っていた8月のパリ,これだけ悪かったのだから,天は意地悪にもヴァカンス終わりの頃に太陽を戻してくれるのではないか,と期待しております。私は2年前に雨の『ROCK EN SEINE』を体験しておりますが,どこの野外フェスでもそうでしょうけど,この歳でウッドストックはとても辛いです。天気になあれ!

2007年8月19日日曜日

フランスとナヴァール


(←ナヴァール国の紋章)
 先日郵便局へ行ったときに,前のお客さんのスペインまで送る手紙が何日で届くかという問いに結構若いおにいさんの局員が「フランスとナヴァールまでだったら翌日に着きます。それより先だったら2日かかります」と答えてました。
 またいつだったか家電屋のDARTYの店員からも保証についての説明で,「あなた日本に住んでるわけじゃないんでしょ?フランスとナヴァールに住んでるんだったら保証大丈夫ですよ」と言われたことがあります。
 この古くさい表現,とても気に入ってたのです。元々は映画『王妃マルゴー』などで描かれた政略的に無理矢理フランス王にさせられてしまったナバラ王国(フランス読みではナヴァール)のアンリ4世のフランス王位即位(1589年)以来,フランスの王は「フランスとナヴァールの王」と名乗るようになったのです。民にしてみれば「フランスとナヴァール」という二つの国が自分の国みたいな,ちょっと大きな領土で考えられるじゃないですか。トリニダードとトバゴみたい。だから冗談めかしに,自分の国のことを「フランスとナヴァール」と言う人たちがたまにいるのです。
 私はこれにちょっと触発されて,フランスよりもちょっと大きめの範囲(ベルギーやスイスのフランス語圏や,オクタニア,バスク,コルシカ,サルデーニャ,トスカーナ)での音楽という意味と,ワールド・ミュージック・ミスチャー的にフランスで膨らみをつけた音楽みたいなものを紹介する本を書きたいなあ,という望みがあり,それが実現したら『フランスとナヴァールの音楽』という題にしようと思っていたのです。フランス・プラス・アルファという意味合いなんですが,それを「フランスとナヴァール」という歴史的表現であらわそうと思ったわけですね。
 でも,今日読んだウィキペディアの説明では「フランスとナヴァール」という言い方は,かなり王党派/王政復古主義者的な意味合いが大きいようです。今でもいるんですよ,フランスに王を復活させようと言っている党派が。ブルボン家の王位継承者も実在しますし,世が世ならば王族という人たちが時々ピープル誌にも登場してますし。ちょっとこの人たちと一緒になるのはかなわないですね。「フランスとナヴァール」というのは素敵な言い方なのに....。
 

2007年8月14日火曜日

Les choses de la vie (すぎ去りし日の)



 「あとがき」原稿にクロード・ソーテ映画『すぎ去りし日の(Les Choses de la vie)』(1970)のことを書きました。自動車事故で死ぬ直前に,男ピエール(ミッシェル・ピコリ)が別れようか和解しようかと迷っていた恋人の女性エレーヌ(ロミー・シュナイダー)を,死の床の回想の中で関係を完結するという映画でした。主題歌「エレーヌの歌」は私のようなおセンチ族にはカルト的な人気のある傑作で,このロミー・シュナイダーの歌声が聞こえてきたら,寝室に走っていって,枕に顔をうずめておいおい泣くしかない,そういう魔力を持った歌です。
 この日本題はいいですね。「すぎ去りし日の」の「の」で終わるというのが利いてますね。まさの,きくの,ちよの,あやの....「の」で終わる女性の名前の持つ優しい日本情緒に通じるものでしょうね。わが家の犬様の名も「の」で終わるのですが,ドミノはオス犬だったのに幼くして去勢手術をされて,女性的日本情緒を持つようになりました(うそです)。
 ふびんにも後天性テンカンという病気を持っているドミノ君は,毎日薬を服用しているものの,季節の変わり目ごとに1〜2回必ずテンカン発作を起こします。発作を誘発させる主原因はストレスである,と獣医先生に言われました。日々の生活これストレスという状態は人間も犬も一緒です。あれをしてはいけない,これをしてはいけない,といういろいろな禁止事項を要求されるマンション飼いの犬ではなおさらです。それを助長するように,飼い主の私が違うストレスを与えてしまったようなのです。
 この夏は6月に1回,今朝1回と2度の発作を起こしました。私が原因だと奥様は言います。6月には突然私が「猫を飼おう」と家族に提案したのです。家族は反対しなかったのですが,ドミノ君がそれを受け入れてくれるかが一番の問題でした。そこで私はドミノ君に「猫を飼いたいんだけどどう思う?」「猫と仲良くできる?」「猫にいじわるしない?」「猫フード食べたらだめだよ」「猫はかわいいよ」などと,毎日話しかけてドミノ君のご意見をうかがったのです。私があまりにしつこく「猫」という言葉をドミノ君にくり返したからテンカン発作が起こったのだ,と奥様は言います。それに懲りたのでもう猫というアイデアは捨ててしまいました。
 そして8月には,子犬の頃から室内の遊び相手になっていたクマのプーさんのぬいぐるみが,何度も何度も奥様が繕って直したあげく,いよいよボロボロで見る影もないという状態になってしまったので,その代わりに私は「嫁ほしくない?」「嫁と遊んだら楽しいよ」「嫁を飼ったら仲良くしてくれる?」「嫁は新しいものが一番だよ」と,私は「嫁」という言葉をしつこく言っていたようなのです。奥様の説では今朝のテンカン発作はこれが原因ということでした。
 私はなんて残酷な飼い主なのだ!ドミノ君に大きな精神的ストレスを2度も与えてしまった。以来わが家では「猫」も「嫁」も禁句なのです。

2007年8月6日月曜日

今日は娘の13歳の誕生日



 広島原爆投下の49年後に娘は生まれました。94年生れで今日で13歳になります。今ポルトガルに行っています。クラスメイトの少女(在仏ポルトガル人)の帰省(と言うのだろうか)に一緒について行って,8月2日から16日までポルトガル滞在です。リスボンの近くだというのですが,土地名を聞くのを忘れてしまいました。ヨーロッパ近隣国はここから携帯電話で連絡がつくので,フランスの地方に行っているのとあまり変わらない距離感です。先週末は結婚と洗礼という,私たちの家族ではなかなか招待されない催しに参加したそうです。古き良きヨーロッパを体験しているようで,うらやましいです。
 そう言えば去年の今頃は青森のねぶたで,クラスメイトの少女(ブルターニュ人)と一緒にハネトになって参加していました。娘には「ツガル」と「ポルツガル」はつながりがあるんだよ,と教えています。
 日本語の「ありがとう」はポルトガル語の「オブリガード」から転じたもの,とはよく言われます。演歌・ファド起源説もよく言われます。赤玉ポートワインはポルト酒だったのですね。さあ,今夜は欧州の西の端に向かって祝杯を上げましょう。
 フェリース・アニヴェルサリオ! Feliz anniversario!

2007年8月1日水曜日

むむむ....ピンチだ。



 92年はMC ソラール "Qui seme le vent..."と決めていたのに,わが家のディスコテークではLPもCDもこのアルバムが見つからないのです。職業病ですね。会社の仕入れで購入するから買った記憶がないのはしかたないのですが,しっかりと聞いた記憶はあって,それがどこだったのか思い出せない。当時勤めていた会社だったかもしれないですね。
 こういう場合はまた買えばいいじゃないか,と簡単に考えたのですが,さっき気がついたことにこのCDはUniversal Franceでは廃盤になっていたのです。こんな歴史的名盤がどうして,と思うかもしれませんが,MCソラールとUniversalは過去に裁判でぐちゃぐちゃにもめたことがあり,Warnerに移籍してからはUniversalは旧盤を全部廃盤にしてしまいました。今 Amazon.frの中古盤で最低40ユーロしてます。参考に,と Amazon.co.jpを見たら,最低1200円からありました。なんだかとても悲しいです。
 私のフランスでの友人関係はこういうCDは誰も持っていないんですね。なぜ私には同好の士が乏しいのでしょうか。
 92年はあまり良質のアルバムがないのです。めぼしいところでは,ジュリアン・クレール "Utile",ヴールズィ"Cache deriere",パウワウ"Regagner les plaines",レ・ジノサン "Fous a lier"などがありますが...。ちょっと悩みます。

白銀は招くよ


 8月になってしまいました。さっきまで91年ステファン・エシェール『エンゲルベルク』の調べものをしていて、このアルバムの最初の曲"Wake up"(目覚めよと呼ぶ声が聞こえ、なんて訳したくなります)のイントロに聞こえるハックブレット(ツィンバロム、ハンマーダルシマー)について、ネット上のあちらこちらで読んでおりました。いい音ですよね。ホルンとハックブレットとヨーデル、というのが私たちの耳になじんだアルプス〜チロルの音楽のステロタイプですね。「ハイジ〜〜〜〜」と声が聞こえてきそうな、ね。
 ステファン・エシェールが都市部のスタジオで録音するのを嫌って、このスイスの山中のスキー場町エンゲルベルク(「天使の里」と訳せます)のカジノを借り切って、仮説スタジオにしてこのアルバムを録音します。(これが成功したので、その次はオクシタニアの城壁町カルカッソンヌのホテルで同じことをします)。今まで行ったことのないところへ急に移動したような感覚をデペイズマンと言いますが、『エンゲルベルク』はそういうデペイズマンを空気の清涼さみたいなもので感じさせてくれるアルバムでした。ハックブレットのアルバムが欲しくなったので、いろいろネットで探したのですが、こういう観光ものはフランスのアコーディオンと同じような趣味のジャケになりますねえ。
 それからエシェールのフランス語作詞をしている作家のフィリップ・ジアン(Philippe Djian)は、日本で訳されているのがベネイックス映画の原作の『ベティー・ブルー』だけなのでしょうか。その訳本の作者名が「フィリップ・ディジャン」になっていました。やっぱり全然知られていないのですねえ。