2023年3月28日火曜日

年金改革法反対:国立リヨン交響楽団の場合

【年金改革法に反対する】
リヨン交響楽団の年金法反対スピーチ、ブーイングで掻き消される

2023年3月17日金曜日、すなわちボルヌ首相政府による年金改革法が議会評決を通さず「49-3」で強行成立された翌日、リヨン市オーディトリアムでは、国立リヨン交響楽団がベートーヴェン交響曲第2番(指揮;ワシリー・ペトレンコ →2022年3月自国によるウクライナ侵攻に抗議してロシア連邦交響楽団の音楽監督を辞任した勇気ある人 / コンサートマスター:ルノー・カピュソン) を演奏することになっていたが、その演奏前に同交響楽団を代表してバスーン奏者フランソワ・アパップ(François Apap )が壇上中央に進み出て、クラシック音楽”業界”で働く人々を代表して年金改革法に反対する声明文を読み上げた。

プロの音楽家であること、それは5歳6歳の時から始まります。続いて15年間の音楽学校での習得があります -(中略)- 。この職業にあって私たちは常に失業の危機にさらされ、夜遅くに帰宅することになっています。しかしそれは私たちの選択であり...

 アパップの声明は5分も続かなかったが、その最初の「ボンソワール」のあいさつの時から客席は轟々のブーイングとヤジに包まれる。ソーシャルネットワーク上で投稿されている動画(↓)では”On n'est pas là pour ça !(そんなことを聞きにきたんじゃない!)、”Vous nous faites chier !(もううんざりだ!)"、”Remboursez !(金返せ!)、"Ferme ta gueule et joue !(黙って演奏しろ!)”などの怒号がはっきりと聞こえる。アパップの証言では、中にはステージに向かって小銭を投げつける輩もいたと言う。

 オーケストラ楽団員が置かれている厳しい労働環境を説明し、その上に「年金改革法案第7条」により、他のセクターの人々同様に年金受給年齢が2年延ばされ64歳からになることの不当性を訴えたこの声明には、この大声の怒号だけではなく、拍手で支持する反応もたしかにある。「場内の反応は二分された」とローヌ=アルプ圏音楽芸術家組合(SNAM-CGT)の書記長アントワーヌ・ガルヴァーニは証言している(メディアパート3月26日記事)。また同コンサートの客席にいたリヨン市在の音楽教師アリス・ロージエは「ほとんど聞き取れないその声明の息継ぎのたびに、烈火のごとく怒った人たちが唸り声を上げ、罵倒の言葉を吐き、”Musiiiique !(音楽をやれ!)”という叫び(つまり”黙れ!”という意味)をぶつけた。あたかもその人たちの前にあるのはジュークボックスであるかのように。金を払ったんだから、言うことを聞け、と言わんばかりに。もう唖然としてしまって、泣きたくなったわ」と証言している(同記事)。
 ”ジュークボックス”とは言い得て妙な喩えだ。この音楽家たちは音楽への情熱でもってその一生を演奏に捧げてもいいと思っている。だがそこで求められているのは、その音楽家全キャリアを通して同じレベルの高いパフォーマンス能力なのである。同じ曲を同じクオリティーで流し続けるジュークボックスのように。演奏能力は老いたり劣化したりすることは許されない。
 フランソワ・アパップはこう語る「クラシック音楽の文化は整然としてすべすべと艶やかなものと多くの人たちに思われていて、そうあり続けるべきものかもしれない。しかし私たちがある種の困難さと戦い続けなければならないということはまだまだタブーの事項であるけれど、実際それは多くの身体的なダメージを生じさせていて、とりわけ弦楽奏者たちに顕著である」。この国立リヨン交響楽団でも1年以上も前から4人の欠員(休職者)演奏家がいるばかりか、多くの団員がしょっちゅう整骨医の診察が必要で、別種の追加保険の加盟を余儀なくされ、一部の筋骨格障害に関しては社会保険の対象外になっているという。
 「私たちはいわばハイレベルのスポーツ選手と同じである。私が読んだ声明文はこの点に関しては全く好戦的でも攻撃的でもない。それで訴えているのは私たち音楽家の多くは2年多く働き続けることが不可能だということであり、加えて昨今の団員数の凍結、頻繁な演奏会中止、私たちに厳しく求められていることに対価となっていない俸給の安さがその不可能の原因にもなっている、ということだ」とアパップは続ける。

 国民の3分の2が反対し、その反対の声を政府と大統領に届けるために全労組共闘の大規模ストライキが2ヶ月間もの間社会の機能を乱し、全国で何百万人という人々が反対デモに参加しているという状況の中で、なぜクラシック音楽のコンサート会場ではその声がブルジョワ聴衆によって圧殺されてしまうのか?
 コンサートで社会運動のためにスピーチの場が提供されるのは決して稀なことではない。2014年、舞台映画音楽などに従事する不定期労働者、いわゆるアンテルミッタン(Intermittents du spectacle)の特例失業手当の改定をめぐる大規模な闘争があった時、さまざまな舞台ステージで演目の前にアンテルミッタンの支援を求める演説やカンパ募金が行われていた。私が特に印象に残っているのは ONJ(オルケストル・ナシオナル・ド・ジャズ、つまり国立ジャズオーケストラ)のコンサートで、この十数名のビッグバンドの全員がリレー掛け合いで闘争支援を求めるスピーチをつないで、大喝采を浴びながら演奏を始めたという場面。まあ、こういう音楽では観客はみんな音楽労働者たちの味方という自明の理なのではあるが。
 リヨン交響楽団の浴びたブーイングのニュースはソーシャルネットワークだけではなく、テレビラジオのニュースでも大きく取り上げられた。多くの人たちはこの場のクラシック音楽聴衆の反応を異常なもの、スキャンダラスなものと感じたと思う。ソーシャルネットワークの反応はほぼこのブーイングへの反感と怒りである。
 私はですね、元音楽業界の人間で、全ジャンルのレコードCD物流界にいた関係で、クラシックの人たちというのは少しは知っているつもり。フランスのクラシックのレコードレーベルやプロデューサーもつきあいがあったし、日本のクラシック盤バイヤーの人たちもパリでよく接待した。偏見だと言われてもしかたないが、クラシックの人たちはちょっと”違う”
と思う。偏見だと思われてかまわないが、このリヨン交響楽団の人たちが被った災難を知った時、こういう人たちだからなぁ、と納得した部分がある。ごめんなさい。

(↓)ロプス(L’Obs)の国立リヨン交響楽団ブーイング事件を報じる動画

2023年3月26日日曜日

マクロンの無秩序、われらの意見(リベラシオン紙)

【年金改革法に反対する】
アーチスト、研究者、活動家、作家たちの意見


マクロン政権による年金改革法(年金受給年齢64歳への引上げ)は、国民世論6割の反対および全労組による抗議行動(公営交通/運輸/電力/石油精製/学校/病院/ゴミ収集などの無期限ストライキおよび数百万人を動員する9回の全国統一行動街頭デモ)にも関わらず、3月15日議会での評決なしの政府責任による強行通過(憲法で定められた「49-3条」可決)、3月20日野党提出の内閣不信任案の不成立によって、フランスの議会法の根拠を得て成立した、ということになっている。全労組の反対運動は鎮まるどころか逆に強硬化し、街頭での抗議行動は3月23日の第9回目の全国デモで3.5百万人の参加を見せ怒りの声を最高に増大させた。大統領マクロンは全く聞く耳を持たず、強気の姿勢を崩さない。一部過激派による激しい街頭ゲリラ戦が発生し、ゴミ収集ストの続くパリは通りに堆く積まれたゴミの山で覆われている。次の統一行動日(第10回目)は3月28日火曜日。この時期に予定されていた大イヴェント英国の新王チャールズ3世のフランス訪問(シャンゼリゼ大通りパレード、ヴェルサイユ宮での大晩餐会を含む)は直前で中止を余儀なくされた。
 3月25日、週末版リベラシオン紙はこの革命前夜のような政治/社会危機と言える政府vs民衆の緊張した対峙状況を見る、文化人(作家、アーチスト、映画監督、研究者、社会活動家...)たち十数組の意見を7面にわたって掲載している。当ブログはその一部、5人の意見を(無断)全文翻訳して、(無断)再録します。

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ウェンディー・ドロルム(Wendy Delorme、作家、パフォーマンスアーチスト)

2000年代からニューバーレスク・パフォーマー、2007年小説『第四世代 Quatrième Génération』で作家デビュー、性的マイノリティーとセックスワーカーに加担した作品群を。リディア・ランチの著作”Will work for drug"(2009年)をヴィルジニー・デパントと共同でフランス語翻訳している。

「7年前から強硬姿勢を崩さない反民主主義的な政府に対抗して、どのようにしたら反対行動に希望を繋ぎ続けることができるだろうか?」(3月21日の組合共闘会議での議事録の中で見た1行)
「私は夜の抗議集会に行くのが怖い。夜のデモ行動に対して機動隊が襲いかかるヴィデオをたくさん見たから」(ある女ともだち宅での会話で聞かれた一言)

こういったことを耳にする時、私はおまえのことを思う、あらゆるデモの間中声を枯らして何時間もハンドメガホンを通して叫び続けるおまえのことを。3回逮捕されてもデモに出かけることを怖がらないおまえのことを。セックスワーカーのストライキの時、資金カンパを募って動いてくれたおまえのことを。おまえの学部を占拠し、すべての階段教室で全体集会の時刻を告知して回ったおまえのことを。賃金が低すぎて、一日の給料が引かれるとかなり厳しくてスト参加者リストに名前を連ねることを躊躇していたけれど、それでも翌日のデモには顔を出していたおまえのことを。私の家の近くの公園の芝生の上で「公的権力の濫用に対する不服従」の講習会をボランティアで開いていたおまえのことを。私はおまえたちのことを思うと気分が高揚する。私が聞く必要があるのはおまえたちの声だ。おまえたちがその具体的な行動によってその次に何があるのかを描いてくれる。そのことが私にものを書き続ける意欲を与えてくれ、私を街頭に連れ出し、私に再びもうひとつの違う世界(註;女性形で書かれている "unE autre monde")は実現可能なのだと確信させてくれるのだ。



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ベルナール・リュバ(Bernard Lubat ジャズ・ミュージシャン/社会活動家)

ガスコーニュ(オクシタニア)ユゼスト出身の伝説的ジャズマン、1977年からユゼスト・フェスティヴァル主催者。オクシタニスムの祖フェリックス・カスタンとの共同作業に発して、ファビュルス・トロバドール(クロード・シクル)、マッシリア・サウンドシステム(タトゥー/ジャリ)らと新オクシタニア音楽のムーヴメントの中心人物でもある。

人々はうんざりなのだ。それは年金法の問題だけじゃない。彼らは自分自身であろうとせずにいたことにがまんがならなくなったのだ。最初からあきらめ主義”(註;capitulanisme おそらくベルナール・リュバの造語)によって運命づけられていたことに。われわれはひとりひとり皆違うものだが、一緒に生きるということを学ばなければならない。種々の労組が戦うために共同戦線を張るように。特別なことがなければ共同することはできない。さもなくばそれは共有化である。今日、批判精神は底辺から目覚めている。すなわちただただ働くことにうんざりしてしまった人々によってである。今こそ生きる者たちの地平に立ち帰り、様々な思想を試してみるべき時だ。この生きている者たちは、われわれの“あきらめ主義”のうまい話(とても優秀だと自分では思っているある身分の高い方によって代表される社会)など屁とも思っていないのだ。だがしかし。

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マリー・ダリウーセック(Marie Darrieusseq 作家)

(日本でも紹介されている作家なので、来歴はウィキペディアを参照してください)

 
ゴミ収集労働者のストライキ率は10%以下だという。彼らはプロレタリアの高貴さそのものだ。彼らは自分たちのストライキを他者に捧げているのだ。そして私たちは喝采でもって彼らに給料を支払った。レストランでの夕食中、私はゴミ収集労働者たちに賛同すると言ったら、みんな笑った、なにか気の利いた言葉でも言ったかのように。それはたぶんあなたがたの両親や祖父母が何をしていたかによるものだろう。階級を飛び越えた人たちは右にも左にも足を持っていて、場所に相応しくないように響いたとしても誰もそれぞれの言葉を持っている。だが「49-3」は凶暴にも私がどこから出てきた人間なのかを思い出させてしまった。私の祖母はネズミイルカを調理して食卓に出したものだ。それは小型のイルカの一種で、漁網にかかったものはゴミとして捨てられていたものだ。祖母は肉を買う金などなかった。「これは魚を食べて育った仔牛みたいなものよ」と祖母は私に言った。私はこの話を金持ちの子孫たち、すなわちフランス人はもはや働くのが嫌いになってしまったと嘆く人たちにしてやったのだが、彼らはこれを「文学」だと思い込んだ。文学が無害なきれいごとであり、装飾された怒りであり、広告文句で引用されるユゴーのようなものという意味においてだが。デモ参加者がスケートボードで機動隊に殴りかかったら懲役3年の刑を喰らう。しかし教養ある悪党たちは自由の身であり、プライヴェートジェットで飛び回り、その山小屋を飾るためにデヴィッド・ホックニーの絵を買う。私はこんな人たちと会話し、交際しているが、彼らはあなたたちが想像するものよりもはるかに珍奇だ。この国民の劇的な貧困化を見ようとせず、どうやって国を導くことができるのか?しまいには人々が水の奪い合いをしかねない時に。マクロンは「あとは野となれ山となれ(Après moi le deluge わが後には洪水来れ)」であり、わが後にはル・ペン来れ(après moi Le Pen)であり、それで手を洗っておしまいにするつもりだ。それとも彼は救世主としてサルコジのカムバックを準備しているのか? カルラ・ブルーニはインスタグラムに写真註;↓添付 クリックすると拡大されます)貼って嘆くのをやめて、自分でゴミ収集をするべきた。金はタックスヘヴンに山ほどあるのだ。私は今でもヨーロッパを信じていて、ヨーロッパがその万人のための法と正義でもって脱税で隠匿された金のありかを突き止めるものだと思っているが、そういうヨーロッパを緊急に創設するよう圧力をかけなければならない。

 






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ジャン=ガブリエル・ペリオ(Jean-Gabriel Périot 映画作家)

(ジャン=ガブリエル・ペリオはあまり馴染みのない名前かもしれません。2016年公開の広島を舞台にしたペリオ作品『夏のひかり(lumières d’été』はフランスでも日本でも話題にならなかった映画ですが、私に強烈な印象を残しただけでなく、爺ブログでの紹介記事6000ビューという高い関心を集めました。)

現在進行している闘争は私たちが特性として持っている歴史の中にのみ記録されるものである。すなわち解放闘争の歴史である。より直接的には階級戦争の歴史と言っていい。そう、戦争なのである。なぜならいかなる支配者たちも、実力の行使と闘う女たち男たちの流血を見なければ何ひとつとして承認することはなかったのだから。この人民たちの支配層への永続的な闘争なしには、私たちは中世の農奴のままでい続けたであろう。この男たち女たちが20時のテレビニュース画面で振りかざしている“暴力”は、大昔から私たちが被って耐えてきた“暴力”を包み隠すものではない。公的利益に与すると称して数々の大罪を隠す何某かの者たちを上機嫌に満足させるために、私たちの側ではどれほどの声のない死者たちがあったことだろうか? なぜなら、それは至極単純なことなのだ、貧困は労働と同じように人を殺すのである、力の限りに殺すのである。そしてもしも私たちが私たちの先祖たちよりも少しばかり良い状態で生きているのは、先人たちの闘争のおかげなのである。1日の、1週間の、年間の、あるいは一生の間の労働時間が少なくなったのは彼ら先人たちのおかげなのである。私たちの社会保障システムは彼らのおかげなのである。だからこそ、私たちはバリケードを築きつづけ、私たちを抑圧するもののシンボルに火をつけて燃やしつづけ、ブルジョワたちに恐怖を与え続けるのである。
 闘争は現在置かれている条件でアップデートされているのだから、過去の闘争のロマンティスムを引き合いに出す必要はない。私たちが今日立ち会っていることでこれまでにない新しいものは何か?今回緊急とされているものは何か?私たちを闘争の勝利者として導くものは何か?単純にこういうことから始めてみよう。私たちが闘争に勝利するように。選出された議員たちは女たちも男たちも何年も抗議に無関心のままでいる。民主主義のシステムの長所を少しでも信用しているなら、このことはストップさせなければならない。その上、人権を尊重すると言われる国家において、治安維持警察が猟犬のように凶暴になってしまったことはもはや耐えられない。近年パリ、レンヌ、ナント、トゥールーズでデモに参加したことのない人にはこの治安維持隊がどれほどまでに全面的な暴力行使集団になってしまったかは理解できないことだろう。強制的な身体/持ち物検査、おまえ呼ばわり、逃げ口のない状態での催涙ガス噴射、逮捕、負傷者、そして死者まで出ている。
サルコジ以来、歴代の政府は警官にやりたい放題を許可し、市街戦とゴミ箱火事の映像だけを流すことで人々にデモ参加をそして闘争すること自体を断念させようとしている。私たちは戦い続けなければならない。なぜなら私たちが勝利しなければ、誰が勝利者として名乗りを上げるのか知っているから。それは極右「国民連合(Rassemblement National)」。もはや自分の怒りの声が誰にも届かなくなった時、保守がマクロンのような輩とつるんで自らの戯画を演ずる時、既成左派が陳腐な内部抗争に没頭し、大臣の椅子争いや人民のリーダーを僭称する輩に追従したり、そしてもっと悪いことに権力を手に入れるやいなや人民を裏切る時、女たち男たちの大多数は自分たちの声を聞いてくれる最後の希望と映るものの方にきびすを返してしまうのだ。私たちは最終的に率直に勝利するしかないのである。女たち男たちが2年多く働かなくてもいいように。そして大統領が私たちに向けて準備している次なる攻撃に苦しめられることになる女たち男たちのために、私たちは勝利しなければならない。


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スワン・アルロー(Swann Arlaud 俳優)

1981年生れの41歳。2022年フランス映画クレール・シモン監督『私しか求めないで(Vous ne désirez que moi)』での、マルグリット・デュラス最後の愛人で38歳年下のヤン・アンドレアを演じた。これが素晴らしすぎて...。当ブログでは紹介していませんが、向風三郎のフェイスブック上で書いた分、ここにリンク貼っておきます、参照してください。

僕は95歳まで働けたら仕事できたらいいなと思っている仕事をしている。だから僕がデモに行くのは他の人たちのこと、僕の子供たちのことを考えてのことと言えるが、もっとグローバルな僕の信条に従ってのことでもある。ひっきりなしに最も弱い立場にある人々を打ちのめすこと、彼らに始終もっと努力をせよと求めることはやめてほしい。その一方で最富裕層への贈り物はしょっちゅうのことだ。方向を変える時は今だ。僕はすべての年金改革法反対のデモに参加したが、「49-3」で法案通過した今、僕は再びデモに参加する必要性を強く感じている。とりわけマクロンのその支持者たちの前での最新の演説を聞いた今となっては。僕にとってそれは平手打ちだった。やつはおしまいだ.街頭の声に正当性がないなどと言う大統領。その時から大統領にもその政府にも正当性はない。何ヶ月にもわたって何百万という市民が抗議している声も聞かず、それを手の裏で払うなどということは重大なエラーだ。

整然とデモ行進する3百万人もの人々の声がその耳に届くために十分でないと言うのなら、最後の手段として暴力行為が現れても驚くにはあたらない。この男が選出されたのは極右の当選を退けるためだった。それが今や極右がそこに至るための高速道路を彼は建設している。人々は彼を許すことはできない。まさに重大な政治危機を迎えていて、僕には代議制民主主義がもはや機能していないような印象がある。現行憲法を練り直し、第六共和制に移行させるべきだ。これは目眩がしそうで一見不可能に見えそうだが、もしも今それに着手しなかったら、僕たちはますます深刻で構造的な危機に突入していくだろう。

(↓)
3月23日パリでのデモ参加者たちの声。民の声。(20minutes France制作動画)

2023年3月21日火曜日

民の憤怒の貯蔵庫を開け放つ

【年金改革法に反対する】
 ニコラ・マチューのフランス政府とエマニュエル・マクロンへの手紙


2023年春、エリザベート・ボルヌ内閣が強引に可決させようとしている年金改革法をめぐって、全労働組合が足並みを揃えて反対し、公営交通/運輸/電力/石油精製/学校/病院/ゴミ収集などのストライキによって政府にその廃案を要求している。反対運動は前代未聞の(全フランスの機能がマヒしかねない)規模に拡大し、繰り返される全国統一行動日にはパリおよび大都市だけでなく中小地方都市にも大規模デモが発生し、最高時には全国で250万人のデモ動員を見ている。世論調査はこの反対運動を国民の6割が支持するという数字が出ている。この大衆的に高揚した大反対運動に耳を傾けることなく、(議会内絶対多数の賛成票が見込めないと踏んだ)ボルヌ内閣は、3月16日木曜日、奥の手の「49-3」(憲法によって規定されている、議会票決を通さずに政府責任で法案を可決させる強行策)によって同法案を通した。これに対して反対する野党と全労組と学生および市民は激昂し、運動は過激化し、3月第4週木曜日(23日)に予定されている全国統一行動日には何が起こるかわからない情勢。

 そんな中、2018年度のゴンクール賞作家ニコラ・マチューが、国会での「49-3」強行可決の直後にインターネットのニュースメディアである「メディアパート」にボルヌ政府と大統領マクロンにあてた書簡のかたちで、激しい抗議文を投稿している。ニコラ・マチューは、このブログではレイラ・スリマニやヴィルジニー・デパントと同じほどの高い評価で紹介している作家で、これまでの2作品(2018年ゴンクール賞『彼らの後の彼らの子供たち』、2022年『コネマラ』)の紹介記事はわれながらかなり熱い。

 以下ニコラ・マチューのメディアパートへの投稿を全文(無断)翻訳して転載します。

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今日、この嘆かわしい年金改革の顛末のあとに、エマニュエル・マクロンといういとも風変わりな権力に一体何が残っているだろう?この権力は見知らぬところから現れ、即席にできあがり、リベラル経済策の実行部隊(タスク・フォース)として、極右政党への拒否感と旧政治勢力の解体に便乗することに成功して

この国でごく少数の人々しか望んでいないプロジェクトを実現しようとする。その権力、その権限を行使しその決定に効力を与える彼の権利に一体何が残っているのだろうか?その正当性は残っているのか?

 
確かに去年の春選挙は行われ、その投票はひとりの大統領をエリゼ宮に赴かせ、議員たちを国会に送り、ひとりの女性首相が指名され、政府が組閣された。これらすべては法律の尊守のもとに履行された。選挙制度という一季節だけの主人たちはその玉座に座り、選別と立証という重大な仕事を成し遂げたのだ。

 確かに共和国はその金、その命令系統、その警察、その権利を伴って常にそこにあり、この奇妙な王をその頂点にいただき、憲法がその気まぐれを戒め、国家の礎は2世紀半にわたる混乱と内戦の中に埋没してしまう。機械は動き、合法的で、法学者の視点からは議論の余地がなく、すべての歯車は所定の位置にあり、国旗のもとに規則正しく回っている。

 しかしその正当性は一塊りのものではない。

 それは測られ、比較され、吟味されるものだ。その企業幹部マネージャーのようで金儲け主義で裕福な年金生活者に都合のよい政治、その上級管理職的で超高給コンサルタント的な体制を指示するような真の民衆の意志がない状態で二度選出された大統領、彼と政治的に対立する意見を持ちながらも最悪の候補者の当選を妨げるために投票した人々のおかげで二度も選出された大統領、2022年当選時には国民的な歓迎を受けるほんの短い期間もなかった大統領について、われわれは何と言うべきか?

 その1ヶ月あとに現れた大統領多数派なき国会については?そのことだけでもその大統領派の雑多性によって国としての信用を失い、政策に対する強く即座の拒否感を生み、過去5年間で顕著だったゾンビー的追従を繰り返した大統領派レミング(註:集団自殺するとされる北極圏のネズミ科動物)たち、その政治的シロートさだけが彼らの前任者たちとの唯一の断絶点だったのだが。

 そしてこの政府については何と言うべきか?彼らが自分たちでも半信半疑の改革政策を、「49-3」という分娩鉗子を用いて無理矢理世に出そうとし、具合が悪くなり、身動きが取れなくなり、党員たちの統制がきかなくなり、評決に足りなくて援護を要請している他党議員たちの同意を得るのが不可能になっている。

賛同者の少ない不安定な椅子に座りながら、あたかも国民投票に大勝利したかのように政治を進める政府、組合団体を軽視し、街頭の声、労働者たち、病院、学校を無視し、社会危機のさなかにジェフ・ベゾスを歓迎して勲章を与えるが、そこまで彼を高みに上らせた人々の声を彼は聞こうとしないのだ。

 この権力は公共の利益というものを業績パフォーマンスという色眼鏡を通してしか見ず、生命を数字に置き換え、そのエグゼクティヴ本部型の言語に紛れて上下、左右、遠近を混同し、恥知らずにも虚言を吐きながらすべては乗り越えられると信じ、「責任は私がとる」と言い切るのだ。この権力は「地球は平らである」という程度に正当性がある。すなわちそこから眺める視点ではそう見えるのだ。この権力は自分がサパティスタ(註:1910年代メキシコ革命の闘士)という程度に正当性がある。すなわちごくわずかにということだ。この権力はウォーターゲイト事件の後のニクソンと同じ程度に正当性がある。すなわちどんどん無くなっているのだ。この権力はわが国の国家制度に定められた条文を機械的に読めば正当性はある。しかしこの権力は真の民主主義政治における正当性を付与するものを失ってしまったのだ:それはある程度の国民的賛同なのである。

そしてこの最後の強行手段、すなわち「49-3」は前もっては行使するつもりはないと排除しておきながら、その行使がその権力を維持させその政策を続行することを妨げるものでないとなると、その権力を失墜させるものではなくなってしまう。

この権力に私たちが期待することはもはや何もない。偉大さや国民重視の考えなど全くないし、この権力で私たちが認める未来を望める可能性はない。私たちはそれが言う数字やその不器用さやその自画自賛はうっちゃっておこう。この先どんな政令にもどんな法律にもどんな政治公約にも私たちは無関心に肩をすくめるのみ。その大言壮語、その大袈裟なジェスチャーにも私たちはもはや何の関心も払わない。それが役に立つのならこの権力を私たちは彼の仲間たちだけに置いておこう。それが彼らにとって楽しいのなら私たちはこの権力を見捨てよう。もはやその威信はなく、私たちは全歴史をかけて彼らに恥を知らせることになろう。

 

しかしながら、現在の状況に深く悲嘆しながらも、こんなことも夢想したりもする:廊下である国会議員、ある上院議員、ある秘書官、ある大臣の腕を捕まえて、睨み付けて、小声でこう尋ねてみたい。

 

「あなたたちはわかっているのですか? あなたたちがしたことについてあなたは少しは自覚しているのですか? あなたたちはどれほど多く人々の堪忍袋の緒を切ってしまったのか知っているのですか?(訳注;この部分の原文↓)

Savez-vous quelle reserve de rage vous venez de libérer ?

(直訳:あなたはどれほど大きな怒りの貯蔵庫を開放してしまったのか知っていますか?)


多くの仕事を抱えて曲がって捻れてしまったこれらの肉体はあなたたちのせいで病気になるまで、あるいはたぶん死ぬまで働かされることになるということをあなたたちは考えたことがありますか?彼らの恨み、痛み、怒りの上に企業を大繁盛させる輩たちのためにあなたたちは花道を開いてしまったのですよ?あなたたちは2027年(註:次の選挙)を夢見ているのですか?小さな町々、そのあらゆる地区で暮らす人たちの「月末」を考えたことがありますか?選挙などそれどころではない選挙民たち、殺人的な生活苦、ガソリンを満タンにできるかできないか、子供たちをヴァカンスに送ることの困難、人並みの医療が受けられない人々、そういうことを考えたことがありますか?この子供たちが将来医者にも弁護士にもなれないのは、第一学年でよい学校を選択しなかったからなのですか?


 ホテルで便器を磨きベッドメーキングをする女性たち、三交代制の工場労働者たち、夜間タイムテーブルの機関士、道路運送運転手、看護婦、助産婦、3-4-5歳児学級の教育者、文具店の単純労働者、オープンスペースで働く従業員、骨の髄までストレスがたまり、ディジタルとスピードに長けた若い世代に追い越され、早く死ぬだろう男たちとその未来の寡婦たち、重いまぶたの仲間たちが12時間の労働を終えてビストロで乾杯する、青の作業着のままで、手には塗料や汚れが残っている。そして女たちはもっと高い代償を払う、またしても、女だから、母親だから、アマゾンの倉庫で梱包仕事をするこれらの何千人もの人間たち、あなたたちはこの人たちのことを考えたことがあるのですか?
この人たちもあなたたちと同じように一回きりの人生しかないということを理解していますか? この人たちの時間というのは、あなたたちに都合のいいバランスと市場経済の算出する要求を満足させるためにいくらでも修正できる単なるデータではないということを理解していますか? 

 この人たちがあなたたちのせいでこの先少し早めに死ぬことになるということを知っていますか?それをよそに使い方を知らないまま余っている金が垂れ流されているというのに。あなたたちが君臨しているこの世界では、すでに継続的に食糧を配給することが不可能になっていて、愉楽を減らし、そのできるところで我慢し、時間を切り詰め、力が足りなくなり、その余命を削らなければならないところに来ているということを考えたことがありますか?

いいえ、あなたたちはそんなことを考えたことがない。それなら、この世界は今や全体がぶちまけられた灯油の層で包まれていて、あなたたちはマッチ箱を片手に遊びまわっている子供たちそのものです。」

ニコラ・マチュー in “Médiapart” 2023318日)


2023年3月13日月曜日

名声と金と女性の権利をわれらに

"Mon Crime"
『私の冒した罪』


2022年フランス映画
監督:フランソワ・オゾン
主演:ナディア・テレスキエヴィッツ、レベッカ・マルデール、イザベル・ユッペール
フランスでの公開:2023年3月8日


オゾンの2010年のオールスター喜劇映画『お飾りの女 Potiche(日本上映題”しあわせの雨傘”)』(ドヌーヴ、ドパルデュー、ルキーニ、ヴィアール...)は、原作が同名の1980年初演の大ヒット演劇(ピエール・バリエ&ジャン=ピエール・グレディ作、パリ10区ストラズブール大通りのアントワーヌ劇場でロングラン上演)で、主演がフランスの代表的名喜劇女優ジャクリーヌ・マイヤン(1923-1992)だった。この種の演劇は「テアトル・ド・ブールヴァール(大通り演劇)」と呼ばれ、18世紀後半からパリのタンプル大通り周辺に多く集まった演劇場で上演される大衆的な喜劇やメロドラマや風俗劇のことを指す。このオゾンの最新作は、シナリオを再びテアトル・ド・ブールヴァールをベースにしていて、原作は1934年パリ2区のヴァリエテ劇場(Théâtre des Variétés)で上演された推理喜劇”Mon crime!..."(ジョルジュ・ベール&ルイ・ヴェルヌイユ作)である。『お飾りの女』と同じように、この新作がよく出来ているのは、おおいに原作戯曲のクオリティーの高さに負っていると思いますよ。そして機知に富み洒脱なダイアローグで笑わせ沸かせる大通り演劇の特徴を再現するために、台詞回しの達人のような名俳優ばかり(ファブリス・ルキーニ、ダニー・ブーン、レジス・ラスパレス、アンドレ・デュソリエ、そしてイザベル・ユッペール!)で脇を固めるという豪華さ。失敗しないことが運命づけられたような映画。
 さて、映画の舞台は1935年のパリ、スタジオ技術で再現されるセットの美しいこと美しいこと。マドレーヌ(演ナディア・テレスキエヴィッツ)は駆け出しで名も無い女優、大富豪にして高名な興行プロデューサーであるモンフェランの大邸宅へなんとか良い役を回してもらえないだろうかと嘆願に行くのだが、これがハーヴェイ・ワインスタインのような男でいきなり性暴力行為におよんでくる。必死に抵抗してこの豚男の魔手を振り払い逃げ帰ってきたマドレーヌだが、これで当分女優の道は遠くなったと悲嘆する。マドレーヌとパリ6区の屋根裏部屋をシェアして暮らしているのが、依頼客の全くない駆け出し弁護士のポーリーヌ(演レベッカ・マルデール)、二人の若いパリジエンヌは家賃を何ヶ月も滞納するほど困窮している。ポーリーヌに恋人はいない(同性愛者をほのめかすシーンが何度か現れる)が、マドレーヌにはアンドレ(演エドゥアール・シュルピス)という大実業家ボナール(演アンドレ・デュソリエ)のバカ息子の恋人がいて、父親が身分相応の大ブルジョワの娘でないと結婚を許さんという封建思想に阻まれて、大金持ちの子息の分際で金もなくマドレーヌに求婚もできないというありさま。というわけでマドレーヌとポーリーヌの目下の大問題は金がないということ。そこへ、パリ市警の刑事ブラン(演レジス・ラスパレス、なんという不条理な存在感!)がやってきて、大富豪プロデューサーのモンフェランがその午後に自宅で死体で発見された、と。当然その午後のモンフェラン宅訪問者であるマドレーヌに殺人の嫌疑が。この降って湧いた話に、二人の娘は千載一遇のチャンスを直感するのである。
 事件を捜査する予審判事ラビュセ(演ファブリス・ルキーニ、申し分ない名人芸)は、凶器のピストルがマドレーヌの部屋で見つかったこと、モンフェランがその朝銀行から引き出していた現金30万フランがなくなっていたことから、貧乏女優の金目当ての犯行とほぼ断定するが、その30万フランが実はなくなっておらず引き出しに隠されたままだったことで推理は行き詰まる。しかしあろうことか、マドレーヌは「私が殺しました」と自白する。そして弁護士として初の大仕事を得たポーリーヌは、親友容疑者の弁護に、金目当てではなく(実際に金は奪われていない)性暴力で迫ってきた男への正当防衛を主張する。事件を新聞は大々的に書き立て、女優による殺人か正当防衛かを争う裁判のなりゆきはパリ中の注目を集める大ニュースに膨らんでいく。マドレーヌとポーリーヌが最初から狙っていたのはこの世間の注目の高まりであり、一躍マドレーヌは悲劇のヒロインとして、一方ポーリーヌは(まだ女性参政権もなかった時代の)女性の境遇と権利を訴える勇気ある女性弁護士として、それぞれ知名度を急上昇させていく。
 (→写真)そして裁判の最終弁論で、ポーリーヌが書き上げたエモーショナルな女権尊重希求演説を一世一代の女優演技で訴えたマドレーヌは正当防衛・無罪の判決を勝ち取る。それからは主演女優の仕事がバンバン入り、弁護士業も順風満帆で、二人はシックな郊外に大邸宅を構える大サクセスストーリー。当代一の大女優と、女性の権利擁護の大スペシャリスト弁護士として左団扇で暮らしていたところに、ある日、モンフェラン殺しの真犯人が....。
 映画はここから俄然面白くなる。かの殺人事件はマドレーヌとポーリーヌのシナリオとはかけ離れたまさに金目当ての犯行であった。真犯人はかつての無声映画の大人気女優のオデット(演イザベル・ユッペール!)で、モンフェランに惚れ込まれてスターになりモンフェランとは愛妾関係にあったが、サイレント時代が終わり、人気が落ち、歳も取り... だがモンフェランには時々金をせびりにやってきていた。そのせびりに来た金を渋って隠してしまったモンフェランに、ズドンと一発。だが金は見つからない。かつてのように派手な金遣いの生活を続けるオデットは、金にいつも窮している。あの頃のような金が欲しい。そして今度は金だけを目当てに、この事件ですっかり有名人になったマドレーヌとポーリーヌに接近してきた。二人の若い娘に老女優は金を請求する。さもなくば事件の真相を新聞にバラす、と。せっかく手に入れた名声と金を二人は失うことになるのか?....
 
 ちょうど去年の今頃爺ブログで紹介した映画『頑強(Robuste)』(コンスタンス・メイエール監督)で、ジェラール・ドパルデューが売れなくなったかつての大俳優という役どころで、どうしようもなく性格の曲がった男を演じたのだが、これを観る者はほとんど演技なしの”まんま”ドパルデューの自虐ギャグとしか見れなくなってしまう。このオゾン最新作のイザベル・ユッペールはそれとほぼ同種の自虐ギャグを感じさせる。過去の栄光を鼻にかけ、自尊心が強く、若さへのジェラシーでいっぱいで、後進には絶対に負けない/譲らないところが、観る者にクスクス笑いを誘わずにはいられない。それがユッペールの貫禄であり、若い二人はこの貫禄に負けるばかりか魅了もされてしまう。”女優”という観点から見ても、ユッペールが出てきたとたん、この斬新な魅力にあふれた二人の若い女優にあっても、格の違い、役者の違いは歴然とわかってしまう。たぶん、これはオゾンの狙うところだったのかもしれない。
 映画は”真犯人”オデットの登場から、オデットに激しく振り回され、マドレーヌとポーリーヌは新たなシナリオを考案しなければならなくなり、すったもんだのあげく、往年の名女優オデットの舞台復活という幸福な大団円で、三人の女性は笑顔のハッピーエンド....。

 1935年の大衆喜劇をベースに、客席に笑いの絶えない歯切れの良いダイアローグと、名優たちの”わかりやすい”名演技、それに21世紀的現象たるMe Too/フェミニズムのエッセンスを散りばめる。多分キャスティングの時点でオゾンの頭にあったことだろうが、主演女優ふたりが、かの傷ついた映画女優アデル・エネル(2022年、女優廃業を宣言した)と容貌が似ていることはそれなりのメッセージだと思う。しかしこの1935年の大衆喜劇の原作にあったのかもしれない(ミゾジンな)「女の武器は色仕掛け」的なシーンももろに登場する。逆説的にそういうシーンを挿入するところもオゾンの観る者を”むむっ”とさせる狙いだったりして。饒舌ですべすべしただけの映画ではないと言いたげな。
 ナディア・テレスキエヴィッツ(26歳)とレベッカ・マルデール(27歳)、前者はダンス出身、後者は演劇(コメディー・フランセーズ)出身、どちらも素晴らしい個性、将来がとても楽しみ。それからチョイ役(殺人事件裁判を報道する若き切れ者記者)でオゾンの2020年映画『85年夏(Eté 85)』(日本上映題”Summer of 85")の主役(アレックス役)だったフェリックス・ルフェーヴルも出演しているが、この子はもっとたくさん映画に(重要な役で)出て欲しい。

カストール爺の採点;★★★★☆

(↓)『モン・クリム(私の冒した罪)』予告編


(↓)上のとはちょっと違う予告編(ティーザー)

2023年3月6日月曜日

深くて暗い川がある

"EL AGUA"
『水』


2022年スペイン映画
監督;エレナ・ロペス・リエラ
主演;ルナ・パミエス、アルベルト・オルモ
フランスでの公開:2023年3月1日


2022年カンヌ映画祭"監督週間"(Quinzaine des réalisateurs)で大きく注目を集めたスペイン女流監督エレナ・ロペス・リエラの初長編映画。監督の出身地スペイン南部アリカンテ地方オリウエラを舞台にした作品。このオリウエラを流れるのがセグラ川(Rio Segura)で、町の歴史を紐解くと中世に町の記録が始まって以来数年数十年に一度の割で川が氾濫し、大洪水で町に壊滅的被害をもたらしている。何世紀もかけていくら治山治水を試みても大雨による氾濫は起こってしまう(最新は2019年)。これを住民たちはある種の”運命”だと思ってあきらめているところがある。山と川の国、日本ではいろんなところにそういう水害の歴史があり、氾濫の多い川にはその川(の神)を鎮める神社があり、民衆が祭り事を奉じて川の平静を念じている。この映画の大詰めに近い後半に、迫りくる洪水を鎮めんと祈祷する人々の集まるカトリック教会(聖リタを祀っている)が映し出される。
 農業が主産業の土地柄、この川がなければ農作物はできないが、ひとたび氾濫すれば人々はすべてを失う。川はこの町の畏敬と畏怖の対象であり、川にまつわる伝承民話も多く伝わっている。そのひとつがこの映画のライトモチーフとなっているのだが、それはセグラ川が猛り狂うのは川がひとりの女と恋に落ちるからであり、その女を川の中に奪い去るために大洪水が起こる、と。この民話を複数の女性たちがテレビのドキュメンタリールポルタージュのようにカメラに向かってとつとつと語っていく、というシーンが何度も挿入される。川に恋人と”指名”された女がどのように変化し、憑かれ、身を捧げるしかなくなる、という証言の数々なのである。
 映画の主人公アナ(演ルナ・パミエス、若い頃のオードレー・トトゥーを野生的にした感じ、鋭い個性、素晴らしい)は17歳、スペイン南部内陸部の何もない田舎町に退屈しきっている少年少女たちのひとりで、スマホ(SNS)とダンスミュージックはあるけれど持て余し気味、仲間が集まればリセを卒業したらどうするかという話になる。みんなこの田舎町を出なければ未来はないと思っているものの、なかなかそうもいかない。これを日本語では「しがらみ(柵)」と言う。さてお立ち会い、このしがらみとはもともと何のことかご存知かな?以下 word-dictionary.jp からのコピペです。
「しがらみ」(漢字表記:「柵」)とは、川の中に杭を打ち並べて、横向きに竹や木などを渡した構造のことをいい、転じて「柵(さく)」「せきとめるもの」「まといつくもの」という意味があります。
一般に、「角材などを用いて地面に立てられて、土地の境界・区画を設けたり、敵の侵入を防ぐもの」を「柵:さく」と言い、構造は同じでも、川の中に立てられるものを「柵:しがらみ」と呼びます。
また、「流れをせきとめるもの」の意からか、慣用表現として「世の中のしがらみ」などのように、解きがたい因果、解決が難しい障害要素、複雑に入り組んだ問題や制約、頭を悩ますものと言った意味で使われることもあります。

この映画作家はこの日本語知ってたんじゃないかな?川の流れを調節したり堰き止めたりするもの。映画の中で、アナの恋人となるホセ(演アルベルト・オルモ)の父親が、ホセを自分の跡取りとして立派に育てよう(そのためにはアナと別れろ、というストーリーも加わる)と、農業用水の堰を掘らせたり、(父親には来ることがわかっている)洪水の対策のために煉瓦で防水フェンスを作らせたりするのですよ。これがこの町に古くから住むオールドジェネレーションのしがらみ、と私は理解したのだが、深読みか。
 それはそれ。
 そんな退屈な町にも”夏”はやってきて、若者たちは夏を謳歌し、野外で過ごし、語り、遊び、飲み、踊り、誘惑し合う。この映画で特筆すべきは喫われるタバコの量である。老いも若きもものすごい量のタバコシーンがスクリーンに絶え間なく映し出される。別のもののメタファーかもしれないが、近年映画界では御法度のようになっている喫煙シーンがこれほど続くと、元愛煙家(18歳から40歳まで相当量のタバコを吸っていた私)としては誘惑的に刺激されるものがある。それはそれ。そしてアナはホセという名の農家のセガレ(美しい青年)と恋に落ちる。それほど悪気はないのだろうが、このホセは(封建的に)農家を継ぐという運命を背負いながらも、アナにカッコつけるために外国に行ったことがある、ロンドンの生活は素晴らしかったなどとウソをつく。私も昭和時代に青森という地方で少年時代を過ごしてて似たような現象があって、いたんだよねぇ、行ったこともないのに東京をよく知ってるみたいな話をして女子たちの気を引こうとしてた奴、おおいやだいやだ。それはそれ。アナもホセも夢を見たい、違う未来を想像したい、だが、この閉塞した田舎町はそれをたやすく許さないものがある。しがらみである。
 レモン園農家のホセの家では、跡取り息子ホセも他の雇われ労働者たちと同じように肉体労働で仕事を”体”で覚えさせられる。また土地の伝統らしい伝書鳩飼育をまかされ、村の男たちの古くからの娯楽であろう伝書鳩レースに出場する。色とりどりに塗料で化粧した伝書鳩が群れになって虹の色で飛び交ういとも美しいシーンに驚かされる。厳しく頑固な父親はそのすべてをホセに受け継がせたい。それをホセは嫌っていないどころか、この父を本当に愛しているのがわかる。
 アナの家は街道に面した大きなカフェ・バーで、祖母の代に始まり今は母が受け継いでいる。男っ気ゼロの家。日本式に考えると”水商売”の家系。町の住人から嫌われているわけではないが、この女系家族バーの家は不幸に呪われていると言われることがある。そしてその祖母は町の仙女のようなところがあり、町の歴史のすべてを知っているだけでなく、泣き止まない赤ん坊をちょっとしたまじないみたいなもので泣くのを止めることができるという類の能力が備わっている。(田舎にはそういうばあちゃんがいたんですよ、日本にも)
 その祖母からアナはセグラ川の氾濫と消えていく女の言い伝えを聞かされる。この季節に何度も聞かさせるのでアナはうんざりなのだが...。しかしホセが父親を愛しているのと同じように、アナもまた祖母を心から愛しているし、その間にある母もまた同じように愛している。どちらの家族も親子(+孫)愛は堅固で、このことでアナもホセも知らなかったことをどんどん知っていくのである。
 川から愛された女は次第に体に変調をきたし、自分が選ばれた女と自覚するようになり、川に身動きを誘導されるようにある時姿を消し、川は大氾濫を起こす。これが繰り返されてきた歴史であり、代々この町に住んできた人々なら皆知っている話である。そしてその言い伝えについた尾鰭にように、あの街道に面したカフェ・バーの女たちはみな... という話も流布されている。
 ある夜、もう何年も来たことがないというホセの父親が、街道のカフェ・バーを訪れ、バーのマダムであるアナの母親と対面する。「話はわかっているはずだ、俺は息子を不幸にさせたくない、おまえの娘ともう会わせないようにしてほしい」と。ホセの父親もこの言い伝えの中に身を置く、古い土地の人間さのである。

 夏が続く間、アナとホセは野を走り、水に泳ぎ、タバコを吸い、飲み、踊り、愛し合う。アナが予知している「嵐の到来」と体の変調、「私の番」という身の覚え。救ってほしい。アナはホセに旅立とうと嘆願する。二人でこの川の遠くに逃げ去ろう...。
 夏の終わりがやってくる。その夏を惜しむように、若者たちは廃屋工場に集まり、レイヴパーティーで躍り狂う。アナもホセも躍り狂う。そのBPMの最高潮にかかりそうな時、雨が落ち始め、雷鳴がどどろき、やがて豪雨になり、稲光の中を若者たちは逃げ去って行く...。カタストロフ、アポカリプス的光景、大洪水...。水に呼ばれて水になっていくアナ、それを追うホセ...。
 スクリーンは実際にあった2019年のオリウエラ大洪水のニュース映像を多用した大災害シーン(東日本大震災の津波シーンにも似ている)を映し出す。これがこの映画の「映画マジック」なのですね。神話的な壮大さ。

 田舎の伝承民話や封建的な時間の流れや、若者たちのノーフューチャーな焦燥や、エコロジックな自然と人間の関わりや、予め運命づけられた悲恋や.... たくさんのテーマを一挙に見させてもらった映画であるが、私はとても(私の知るなつかしい)”日本”に近いものを感じた。ばさまから聞く話のありがたさとあたたかさみたいなものが後味として残った。何度大洪水があっても、人は「しがらみ」を再構築するもの。そのしがらみが大きなものを犠牲にすると知りながらも(←これは私の個人的深読み)。アナを演じた女優ルナ・パミエスの野生的な魅力にもムーチョムーチョ圧倒された。ムーチョおすすめします。

カストール爺の採点;★★★★☆

(↓)『エル・アグア(水)』予告編

2023年3月3日金曜日

Car comment aimer je n'ai jamais su

Diane Tell "Souvent, longtemps, énormément"
ディアンヌ・テル「頻繁に、長く、激烈に」

(1982年)

詞曲:ディアンヌ・テル
編曲:カール・マーシュ


ランスの1982年、それは社会党大統領フランソワ・ミッテラン(1981年初当選)第1期の2年目、死刑が廃止され、 刑法上の同性愛禁止条項が削除され、FM電波が解放され、「音楽の日 Fête de la musique」が制定されるなど、ミッテランの(短かった)”恩寵の時代”の真っ盛りの時期であった。FM解放はフランスの音楽風景を一変させたし、この国の音楽がにわかに面白くなり始めた頃だった。
 私はフランス滞在4年目だったがとても難しい時期だった。当時夫婦関係にあった女性は結婚3年目(フランス生活3年目)に心身ともに消耗しきって、日本の自分の実家に戻り、私は彼女をそこまで送り届けてから単身フランスに戻り、ひとり暮らしを始めた。なぜその女性とうまく行かなかったのかは、まず第一に私の性悪さに愛想がつきたのだと確信している。その他に大きなファクターとして”貧乏”だったということがある。日系中小企業のサラリーマンだったが、ひとりの給料では本当に厳しかった。私は20代の後半で「パリにいるというだけで多少の苦労は平気」とナイーヴな考え方だったが、1年経っても2年経っても"貧乏”は苦しいものだった。どれほどのストレスであったか、と思う。1982年、私はひとりになり、それから40年以上も暮らすことになるブーローニュ・ビヤンクールに小さなアパルトマンを借り、フランスのカーゴ会社に再就職してロワッシー空港で働くようになった。
 自分勝手なもので、ひとり暮らしだと”貧乏”はさほど苦にならなくなって、30歳前の遅い”青春”を謳歌するように、夜のパリ(特にレ・アール地区)でいろんなところに出入りするようになった。そして東京で大学生していた時以来持っていなかったオーディオ・コンポを買って、大きな音で音楽を聞くようになった。その時買った山水(Sansui)のアンプ、今も現役。そして冒頭で述べたように、FM解放以来フランスの音楽はにわかに面白くなり、私は多量のレコードを買うようになった。給料のほとんどがレコードに消えていった感じ。こうして私はひとかどの「音楽愛好者」としての第一歩を切ったのだと思う。自由FMと雑誌(Rock & Folk、Actuel)とレ・アールのFNACが重要な情報ソース。難しい時期だったけど、ひとりで十分楽しくやっていたのですね。若かっただけかな。
 それはそれ。
 本稿の主役ディアンヌ・テルに関しては、向風三郎の『ポップ・フランセーズの40年』で1981年のヒット曲”Si j'étais un homme(もしも私が男だったら)”を取り上げていて、こんなふうに紹介している。
ディアンヌ・テル(1959 - )はカナダ、ケベック出身のシンガーソングライターで、1982年まで北米で4枚のアルバムを発表し、ケベックで最も栄誉ある音楽賞であるフェリックス賞を7部門で受賞するという大変な評価を受けながらも、1983年からフランスに移住してフランス中心に活動している。この「私が男だったら」はディアンヌのフランスでの最初の大ヒット曲であった。このランタイム4分44秒の曲は、それまでのラジオ局では絶対にオンエアされない長すぎる曲であった。1981年のFM電波の自由化はその常識を覆し、曲の長さは全く問題にならなくなり、多くのフランス人はアイアン・バタフライ「ガダダヴィダ」(1968年)やレア・アース「ゲット・レディ」(1969年)といった長大曲の全容を81年FM自由化によって初めて知ることになったのである(実は私もそうだった)。そして自由FMのダントツ人気ステーションNRJはこのケベック女性のスローバラードにぞっこん惚れ込み、ヘヴィーローテーションで支援し、このようにしてフランス最初のFMヒットは生まれたのである。
もしも私が男だったら、船長になって愛する女性を世界一周の旅に連れて行くだろう、だけど私は女だから、そういうことを言ってはいけないのね、と歌うこの歌は1980年代的風潮とは大きくかけ離れた内容であった。それは強くロマンティックで女性に全てを捧げる男に、女性が身も心も預けるという恋愛が、どうして今日では不可能になってしまったのかと嘆くものであった。当時のフェミニストたちがこの歌をボイコットしたのは至極自然なことであった。
しかしディアンヌ・テルは後年にこの歌に関して、”男権復古待望”などでは全くなかったと語っている。自分がアーチストとしてなんとか成功した時に、交際する男性たちの中には余裕のない人たちがいて、そんな時に自分がレストランや旅行に男性を招待すると、彼らは一様に否定的に反応したのだった。女なそういうことをするべきではない、という保守的で封建的な考え方は男性の側にこそ強かったのだ。この歌はそれを嘆いた歌なのだ、と。
なお、この歌を聞いた日本人は、とりわけフィナーレ部の山場で聞かれる、往年の都はるみに極似したウナリ歌唱に驚愕したはずである。


これは歴史的な一曲だと思いますよ。今聞いても鳥肌ものですね。

さてその次のシングルヒットがこの”Souvent, longtemps, énormément"(1982年)ということになるのだが、当時は(↑の"Si j'étais un homme"は歌詞力唱ばかり気になっていたのに)歌詞なんかどうでもよくて、シャーデー(1984年『ダイヤモンド・ライフ』)と張り合えるようなスムーズ/ジャジー・ボッサなサウンドにばかり魅了されていたのだった。詞曲はディアンヌだが、オーケストレーション/アレンジはカール・マーシュ(Carl Marsh)というアート・ガーファンクルやマンハッタン・トランスファーと仕事していた米人。ず〜っと後年になって、この詞が女性の深い寂寥を歌っていることに気がついた。シチュエーションは若い時分からの女同士親友の会話なのだけど、1番から2番、そして3番と年代が大きく進行していく。リフレインは相手の女性の口癖/決まり文句で
Moi, j'ai aimé très souvent
私はしょっちゅう恋愛ばかりしてたのよ
Aimé longtemps puis énormément
長く愛して、激烈に愛したこともあった
Et je les ai tous perdus
でもそんな恋、全部失っちゃった
Car, comment aimer, je ne l'ai jamais su
私は人をどうやって愛するかなんて全然知らなかったのよ

この女性は理想像とはほど遠い男と結婚して、二人の子供を産んで、子供たちだけが自分の人生になってしまって... という生き方をしてしまったのだけど、いまだに独り者でい

る「私」に、何を躊躇してるの?早く結婚しちゃいなさい、と言うのですよ。何度恋愛してもその恋を失ってしまう人生、それは「愛し方を知らないだけなのよね」と簡単に言ってしまえることなのか。その話を毎度聞かされる「私」の心に吹いてしまう寒い風、という歌なのだと思いますよ。結婚だけはしておきなさいよ、という(日本的な)寒い処世論。今から40年前。恋人をどうやって愛すればいいのか。永遠に知ることはない(je n'ai jamais su)。

Nous parlions toutes les deux
独身者同士の女ふたり
Les soirs de célibat
夜毎どこに行くというわけでもなく歩きながらEn marchant de longues heures
長い時間
Sans aller nulle part
語り合ったものだった
On s'inventait des jeux
ふたりでゲームを考案し
On s'imaginait des gars
理想の男性を想像したりもした
Elle disait "Petite soeur, attends
彼女は言った「ちょっと待ってよ
Ne te mets pas au hasard"
偶然に身をまかせちゃだめよ」
 Moi, j'ai aimé très souvent
私はしょっちゅう恋ばかりしていた
Aimé longtemps puis énormément
長く愛して、激烈に愛したこともあった
Et je les ai tous perdus
でもそんな恋、みんなダメになっちゃった
Car, comment aimer, je ne l'ai jamais su
私は人をどうやって愛したらいいか、全然知らなかったのよ
J'étais près d'elle le jour
彼女が未来の夫と知り合った時
Où elle connut son mari
私は彼女の近くにいた
Peu après qu'elle m'ait dit
すぐその後で彼女は「婚約したいの」
Vouloir se fiancer
と私に告げた
Il ne ressemblait pas
彼女が自分の人生の夢として
À l'homme qu'elle m'avait décrit
描いていた男とはComme étant le rêve de sa vie
全然似ていなかったLe soir, elle m'avait confié
彼女は私に打ち明けた
Moi, j'ai aimé très souvent
私はしょっちゅう恋ばかりしていた
Aimé longtemps puis énormément
長く愛して、激烈に愛したこともあった
Et je les ai tous perdus
でもそんな恋、みんなダメになっちゃった
Car, comment aimer, je ne l'ai jamais su
私は人をどうやって愛したらいいか、全然知らなかったのよ
(リフレイン繰り返し)On se voit presque plus
彼女とはほとんど会わなくなってしまった
Elle a de beaux enfants
彼女は可愛い子供を二人産んだ
Sébastien et Julie
セバスチアンとジュリー
Qu'elle appelle "toute sa vie"
”私の人生のすべて”と子供たちのことを呼んだ
Elle ne dit rien de lui
彼については何も言わない
Ni de bien, ni de méchant
いいことも悪いことも何も言わない
Et me demande tout le temps
そして私にはいつも同じこと言う
Mais qu'est-ce que t'attends
いつまで結婚するのを躊躇っているの?
Pour dire "oui", elle disait
そしてこう言う

Moi, j'ai aimé très souvent
私はしょっちゅう恋ばかりしていた
Aimé longtemps puis énormément
長く愛して、激烈に愛したこともあった
Et je les ai tous perdus
でもそんな恋、みんなダメになっちゃった
Car, comment aimer, je ne l'ai jamais su
私は人をどうやって愛したらいいか、全然知らなかったのよ

(リフレイン4回繰り返し)


 
Diane Tell "Souvent, Longtemps, Enormément"
7インチシングル DISC AZ AZ/1-918
1982年 (Fnac の値札ステッカーに16フランとあり)

(↓)1982年カナダのテレビ番組映像。