"Mon Crime"
『私の冒した罪』
『私の冒した罪』
2022年フランス映画
監督:フランソワ・オゾン
主演:ナディア・テレスキエヴィッツ、レベッカ・マルデール、イザベル・ユッペール
フランスでの公開:2023年3月8日
オゾンの2010年のオールスター喜劇映画『お飾りの女 Potiche(日本上映題”しあわせの雨傘”)』(ドヌーヴ、ドパルデュー、ルキーニ、ヴィアール...)は、原作が同名の1980年初演の大ヒット演劇(ピエール・バリエ&ジャン=ピエール・グレディ作、パリ10区ストラズブール大通りのアントワーヌ劇場でロングラン上演)で、主演がフランスの代表的名喜劇女優ジャクリーヌ・マイヤン(1923-1992)だった。この種の演劇は「テアトル・ド・ブールヴァール(大通り演劇)」と呼ばれ、18世紀後半からパリのタンプル大通り周辺に多く集まった演劇場で上演される大衆的な喜劇やメロドラマや風俗劇のことを指す。このオゾンの最新作は、シナリオを再びテアトル・ド・ブールヴァールをベースにしていて、原作は1934年パリ2区のヴァリエテ劇場(Théâtre des Variétés)で上演された推理喜劇”Mon crime!..."(ジョルジュ・ベール&ルイ・ヴェルヌイユ作)である。『お飾りの女』と同じように、この新作がよく出来ているのは、おおいに原作戯曲のクオリティーの高さに負っていると思いますよ。そして機知に富み洒脱なダイアローグで笑わせ沸かせる大通り演劇の特徴を再現するために、台詞回しの達人のような名俳優ばかり(ファブリス・ルキーニ、ダニー・ブーン、レジス・ラスパレス、アンドレ・デュソリエ、そしてイザベル・ユッペール!)で脇を固めるという豪華さ。失敗しないことが運命づけられたような映画。
さて、映画の舞台は1935年のパリ、スタジオ技術で再現されるセットの美しいこと美しいこと。マドレーヌ(演ナディア・テレスキエヴィッツ)は駆け出しで名も無い女優、大富豪にして高名な興行プロデューサーであるモンフェランの大邸宅へなんとか良い役を回してもらえないだろうかと嘆願に行くのだが、これがハーヴェイ・ワインスタインのような男でいきなり性暴力行為におよんでくる。必死に抵抗してこの豚男の魔手を振り払い逃げ帰ってきたマドレーヌだが、これで当分女優の道は遠くなったと悲嘆する。マドレーヌとパリ6区の屋根裏部屋をシェアして暮らしているのが、依頼客の全くない駆け出し弁護士のポーリーヌ(演レベッカ・マルデール)、二人の若いパリジエンヌは家賃を何ヶ月も滞納するほど困窮している。ポーリーヌに恋人はいない(同性愛者をほのめかすシーンが何度か現れる)が、マドレーヌにはアンドレ(演エドゥアール・シュルピス)という大実業家ボナール(演アンドレ・デュソリエ)のバカ息子の恋人がいて、父親が身分相応の大ブルジョワの娘でないと結婚を許さんという封建思想に阻まれて、大金持ちの子息の分際で金もなくマドレーヌに求婚もできないというありさま。というわけでマドレーヌとポーリーヌの目下の大問題は金がないということ。そこへ、パリ市警の刑事ブラン(演レジス・ラスパレス、なんという不条理な存在感!)がやってきて、大富豪プロデューサーのモンフェランがその午後に自宅で死体で発見された、と。当然その午後のモンフェラン宅訪問者であるマドレーヌに殺人の嫌疑が。この降って湧いた話に、二人の娘は千載一遇のチャンスを直感するのである。
事件を捜査する予審判事ラビュセ(演ファブリス・ルキーニ、申し分ない名人芸)は、凶器のピストルがマドレーヌの部屋で見つかったこと、モンフェランがその朝銀行から引き出していた現金30万フランがなくなっていたことから、貧乏女優の金目当ての犯行とほぼ断定するが、その30万フランが実はなくなっておらず引き出しに隠されたままだったことで推理は行き詰まる。しかしあろうことか、マドレーヌは「私が殺しました」と自白する。そして弁護士として初の大仕事を得たポーリーヌは、親友容疑者の弁護に、金目当てではなく(実際に金は奪われていない)性暴力で迫ってきた男への正当防衛を主張する。事件を新聞は大々的に書き立て、女優による殺人か正当防衛かを争う裁判のなりゆきはパリ中の注目を集める大ニュースに膨らんでいく。マドレーヌとポーリーヌが最初から狙っていたのはこの世間の注目の高まりであり、一躍マドレーヌは悲劇のヒロインとして、一方ポーリーヌは(まだ女性参政権もなかった時代の)女性の境遇と権利を訴える勇気ある女性弁護士として、それぞれ知名度を急上昇させていく。
(→写真)そして裁判の最終弁論で、ポーリーヌが書き上げたエモーショナルな女権尊重希求演説を一世一代の女優演技で訴えたマドレーヌは正当防衛・無罪の判決を勝ち取る。それからは主演女優の仕事がバンバン入り、弁護士業も順風満帆で、二人はシックな郊外に大邸宅を構える大サクセスストーリー。当代一の大女優と、女性の権利擁護の大スペシャリスト弁護士として左団扇で暮らしていたところに、ある日、モンフェラン殺しの真犯人が....。
映画はここから俄然面白くなる。かの殺人事件はマドレーヌとポーリーヌのシナリオとはかけ離れたまさに金目当ての犯行であった。真犯人はかつての無声映画の大人気女優のオデット(演イザベル・ユッペール!)で、モンフェランに惚れ込まれてスターになりモンフェランとは愛妾関係にあったが、サイレント時代が終わり、人気が落ち、歳も取り... だがモンフェランには時々金をせびりにやってきていた。そのせびりに来た金を渋って隠してしまったモンフェランに、ズドンと一発。だが金は見つからない。かつてのように派手な金遣いの生活を続けるオデットは、金にいつも窮している。あの頃のような金が欲しい。そして今度は金だけを目当てに、この事件ですっかり有名人になったマドレーヌとポーリーヌに接近してきた。二人の若い娘に老女優は金を請求する。さもなくば事件の真相を新聞にバラす、と。せっかく手に入れた名声と金を二人は失うことになるのか?....
ちょうど去年の今頃爺ブログで紹介した映画『頑強(Robuste)』(コンスタンス・メイエール監督)で、ジェラール・ドパルデューが売れなくなったかつての大俳優という役どころで、どうしようもなく性格の曲がった男を演じたのだが、これを観る者はほとんど演技なしの”まんま”ドパルデューの自虐ギャグとしか見れなくなってしまう。このオゾン最新作のイザベル・ユッペールはそれとほぼ同種の自虐ギャグを感じさせる。過去の栄光を鼻にかけ、自尊心が強く、若さへのジェラシーでいっぱいで、後進には絶対に負けない/譲らないところが、観る者にクスクス笑いを誘わずにはいられない。それがユッペールの貫禄であり、若い二人はこの貫禄に負けるばかりか魅了もされてしまう。”女優”という観点から見ても、ユッペールが出てきたとたん、この斬新な魅力にあふれた二人の若い女優にあっても、格の違い、役者の違いは歴然とわかってしまう。たぶん、これはオゾンの狙うところだったのかもしれない。
映画は”真犯人”オデットの登場から、オデットに激しく振り回され、マドレーヌとポーリーヌは新たなシナリオを考案しなければならなくなり、すったもんだのあげく、往年の名女優オデットの舞台復活という幸福な大団円で、三人の女性は笑顔のハッピーエンド....。
1935年の大衆喜劇をベースに、客席に笑いの絶えない歯切れの良いダイアローグと、名優たちの”わかりやすい”名演技、それに21世紀的現象たるMe Too/フェミニズムのエッセンスを散りばめる。多分キャスティングの時点でオゾンの頭にあったことだろうが、主演女優ふたりが、かの傷ついた映画女優アデル・エネル(2022年、女優廃業を宣言した)と容貌が似ていることはそれなりのメッセージだと思う。しかしこの1935年の大衆喜劇の原作にあったのかもしれない(ミゾジンな)「女の武器は色仕掛け」的なシーンももろに登場する。逆説的にそういうシーンを挿入するところもオゾンの観る者を”むむっ”とさせる狙いだったりして。饒舌ですべすべしただけの映画ではないと言いたげな。
ナディア・テレスキエヴィッツ(26歳)とレベッカ・マルデール(27歳)、前者はダンス出身、後者は演劇(コメディー・フランセーズ)出身、どちらも素晴らしい個性、将来がとても楽しみ。それからチョイ役(殺人事件裁判を報道する若き切れ者記者)でオゾンの2020年映画『85年夏(Eté 85)』(日本上映題”Summer of 85")の主役(アレックス役)だったフェリックス・ルフェーヴルも出演しているが、この子はもっとたくさん映画に(重要な役で)出て欲しい。
カストール爺の採点;★★★★☆
(↓)『モン・クリム(私の冒した罪)』予告編
監督:フランソワ・オゾン
主演:ナディア・テレスキエヴィッツ、レベッカ・マルデール、イザベル・ユッペール
フランスでの公開:2023年3月8日
オゾンの2010年のオールスター喜劇映画『お飾りの女 Potiche(日本上映題”しあわせの雨傘”)』(ドヌーヴ、ドパルデュー、ルキーニ、ヴィアール...)は、原作が同名の1980年初演の大ヒット演劇(ピエール・バリエ&ジャン=ピエール・グレディ作、パリ10区ストラズブール大通りのアントワーヌ劇場でロングラン上演)で、主演がフランスの代表的名喜劇女優ジャクリーヌ・マイヤン(1923-1992)だった。この種の演劇は「テアトル・ド・ブールヴァール(大通り演劇)」と呼ばれ、18世紀後半からパリのタンプル大通り周辺に多く集まった演劇場で上演される大衆的な喜劇やメロドラマや風俗劇のことを指す。このオゾンの最新作は、シナリオを再びテアトル・ド・ブールヴァールをベースにしていて、原作は1934年パリ2区のヴァリエテ劇場(Théâtre des Variétés)で上演された推理喜劇”Mon crime!..."(ジョルジュ・ベール&ルイ・ヴェルヌイユ作)である。『お飾りの女』と同じように、この新作がよく出来ているのは、おおいに原作戯曲のクオリティーの高さに負っていると思いますよ。そして機知に富み洒脱なダイアローグで笑わせ沸かせる大通り演劇の特徴を再現するために、台詞回しの達人のような名俳優ばかり(ファブリス・ルキーニ、ダニー・ブーン、レジス・ラスパレス、アンドレ・デュソリエ、そしてイザベル・ユッペール!)で脇を固めるという豪華さ。失敗しないことが運命づけられたような映画。
さて、映画の舞台は1935年のパリ、スタジオ技術で再現されるセットの美しいこと美しいこと。マドレーヌ(演ナディア・テレスキエヴィッツ)は駆け出しで名も無い女優、大富豪にして高名な興行プロデューサーであるモンフェランの大邸宅へなんとか良い役を回してもらえないだろうかと嘆願に行くのだが、これがハーヴェイ・ワインスタインのような男でいきなり性暴力行為におよんでくる。必死に抵抗してこの豚男の魔手を振り払い逃げ帰ってきたマドレーヌだが、これで当分女優の道は遠くなったと悲嘆する。マドレーヌとパリ6区の屋根裏部屋をシェアして暮らしているのが、依頼客の全くない駆け出し弁護士のポーリーヌ(演レベッカ・マルデール)、二人の若いパリジエンヌは家賃を何ヶ月も滞納するほど困窮している。ポーリーヌに恋人はいない(同性愛者をほのめかすシーンが何度か現れる)が、マドレーヌにはアンドレ(演エドゥアール・シュルピス)という大実業家ボナール(演アンドレ・デュソリエ)のバカ息子の恋人がいて、父親が身分相応の大ブルジョワの娘でないと結婚を許さんという封建思想に阻まれて、大金持ちの子息の分際で金もなくマドレーヌに求婚もできないというありさま。というわけでマドレーヌとポーリーヌの目下の大問題は金がないということ。そこへ、パリ市警の刑事ブラン(演レジス・ラスパレス、なんという不条理な存在感!)がやってきて、大富豪プロデューサーのモンフェランがその午後に自宅で死体で発見された、と。当然その午後のモンフェラン宅訪問者であるマドレーヌに殺人の嫌疑が。この降って湧いた話に、二人の娘は千載一遇のチャンスを直感するのである。
事件を捜査する予審判事ラビュセ(演ファブリス・ルキーニ、申し分ない名人芸)は、凶器のピストルがマドレーヌの部屋で見つかったこと、モンフェランがその朝銀行から引き出していた現金30万フランがなくなっていたことから、貧乏女優の金目当ての犯行とほぼ断定するが、その30万フランが実はなくなっておらず引き出しに隠されたままだったことで推理は行き詰まる。しかしあろうことか、マドレーヌは「私が殺しました」と自白する。そして弁護士として初の大仕事を得たポーリーヌは、親友容疑者の弁護に、金目当てではなく(実際に金は奪われていない)性暴力で迫ってきた男への正当防衛を主張する。事件を新聞は大々的に書き立て、女優による殺人か正当防衛かを争う裁判のなりゆきはパリ中の注目を集める大ニュースに膨らんでいく。マドレーヌとポーリーヌが最初から狙っていたのはこの世間の注目の高まりであり、一躍マドレーヌは悲劇のヒロインとして、一方ポーリーヌは(まだ女性参政権もなかった時代の)女性の境遇と権利を訴える勇気ある女性弁護士として、それぞれ知名度を急上昇させていく。
(→写真)そして裁判の最終弁論で、ポーリーヌが書き上げたエモーショナルな女権尊重希求演説を一世一代の女優演技で訴えたマドレーヌは正当防衛・無罪の判決を勝ち取る。それからは主演女優の仕事がバンバン入り、弁護士業も順風満帆で、二人はシックな郊外に大邸宅を構える大サクセスストーリー。当代一の大女優と、女性の権利擁護の大スペシャリスト弁護士として左団扇で暮らしていたところに、ある日、モンフェラン殺しの真犯人が....。
映画はここから俄然面白くなる。かの殺人事件はマドレーヌとポーリーヌのシナリオとはかけ離れたまさに金目当ての犯行であった。真犯人はかつての無声映画の大人気女優のオデット(演イザベル・ユッペール!)で、モンフェランに惚れ込まれてスターになりモンフェランとは愛妾関係にあったが、サイレント時代が終わり、人気が落ち、歳も取り... だがモンフェランには時々金をせびりにやってきていた。そのせびりに来た金を渋って隠してしまったモンフェランに、ズドンと一発。だが金は見つからない。かつてのように派手な金遣いの生活を続けるオデットは、金にいつも窮している。あの頃のような金が欲しい。そして今度は金だけを目当てに、この事件ですっかり有名人になったマドレーヌとポーリーヌに接近してきた。二人の若い娘に老女優は金を請求する。さもなくば事件の真相を新聞にバラす、と。せっかく手に入れた名声と金を二人は失うことになるのか?....
ちょうど去年の今頃爺ブログで紹介した映画『頑強(Robuste)』(コンスタンス・メイエール監督)で、ジェラール・ドパルデューが売れなくなったかつての大俳優という役どころで、どうしようもなく性格の曲がった男を演じたのだが、これを観る者はほとんど演技なしの”まんま”ドパルデューの自虐ギャグとしか見れなくなってしまう。このオゾン最新作のイザベル・ユッペールはそれとほぼ同種の自虐ギャグを感じさせる。過去の栄光を鼻にかけ、自尊心が強く、若さへのジェラシーでいっぱいで、後進には絶対に負けない/譲らないところが、観る者にクスクス笑いを誘わずにはいられない。それがユッペールの貫禄であり、若い二人はこの貫禄に負けるばかりか魅了もされてしまう。”女優”という観点から見ても、ユッペールが出てきたとたん、この斬新な魅力にあふれた二人の若い女優にあっても、格の違い、役者の違いは歴然とわかってしまう。たぶん、これはオゾンの狙うところだったのかもしれない。
映画は”真犯人”オデットの登場から、オデットに激しく振り回され、マドレーヌとポーリーヌは新たなシナリオを考案しなければならなくなり、すったもんだのあげく、往年の名女優オデットの舞台復活という幸福な大団円で、三人の女性は笑顔のハッピーエンド....。
1935年の大衆喜劇をベースに、客席に笑いの絶えない歯切れの良いダイアローグと、名優たちの”わかりやすい”名演技、それに21世紀的現象たるMe Too/フェミニズムのエッセンスを散りばめる。多分キャスティングの時点でオゾンの頭にあったことだろうが、主演女優ふたりが、かの傷ついた映画女優アデル・エネル(2022年、女優廃業を宣言した)と容貌が似ていることはそれなりのメッセージだと思う。しかしこの1935年の大衆喜劇の原作にあったのかもしれない(ミゾジンな)「女の武器は色仕掛け」的なシーンももろに登場する。逆説的にそういうシーンを挿入するところもオゾンの観る者を”むむっ”とさせる狙いだったりして。饒舌ですべすべしただけの映画ではないと言いたげな。
ナディア・テレスキエヴィッツ(26歳)とレベッカ・マルデール(27歳)、前者はダンス出身、後者は演劇(コメディー・フランセーズ)出身、どちらも素晴らしい個性、将来がとても楽しみ。それからチョイ役(殺人事件裁判を報道する若き切れ者記者)でオゾンの2020年映画『85年夏(Eté 85)』(日本上映題”Summer of 85")の主役(アレックス役)だったフェリックス・ルフェーヴルも出演しているが、この子はもっとたくさん映画に(重要な役で)出て欲しい。
カストール爺の採点;★★★★☆
(↓)『モン・クリム(私の冒した罪)』予告編
(↓)上のとはちょっと違う予告編(ティーザー)
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