2023年3月6日月曜日

深くて暗い川がある

"EL AGUA"
『水』


2022年スペイン映画
監督;エレナ・ロペス・リエラ
主演;ルナ・パミエス、アルベルト・オルモ
フランスでの公開:2023年3月1日


2022年カンヌ映画祭"監督週間"(Quinzaine des réalisateurs)で大きく注目を集めたスペイン女流監督エレナ・ロペス・リエラの初長編映画。監督の出身地スペイン南部アリカンテ地方オリウエラを舞台にした作品。このオリウエラを流れるのがセグラ川(Rio Segura)で、町の歴史を紐解くと中世に町の記録が始まって以来数年数十年に一度の割で川が氾濫し、大洪水で町に壊滅的被害をもたらしている。何世紀もかけていくら治山治水を試みても大雨による氾濫は起こってしまう(最新は2019年)。これを住民たちはある種の”運命”だと思ってあきらめているところがある。山と川の国、日本ではいろんなところにそういう水害の歴史があり、氾濫の多い川にはその川(の神)を鎮める神社があり、民衆が祭り事を奉じて川の平静を念じている。この映画の大詰めに近い後半に、迫りくる洪水を鎮めんと祈祷する人々の集まるカトリック教会(聖リタを祀っている)が映し出される。
 農業が主産業の土地柄、この川がなければ農作物はできないが、ひとたび氾濫すれば人々はすべてを失う。川はこの町の畏敬と畏怖の対象であり、川にまつわる伝承民話も多く伝わっている。そのひとつがこの映画のライトモチーフとなっているのだが、それはセグラ川が猛り狂うのは川がひとりの女と恋に落ちるからであり、その女を川の中に奪い去るために大洪水が起こる、と。この民話を複数の女性たちがテレビのドキュメンタリールポルタージュのようにカメラに向かってとつとつと語っていく、というシーンが何度も挿入される。川に恋人と”指名”された女がどのように変化し、憑かれ、身を捧げるしかなくなる、という証言の数々なのである。
 映画の主人公アナ(演ルナ・パミエス、若い頃のオードレー・トトゥーを野生的にした感じ、鋭い個性、素晴らしい)は17歳、スペイン南部内陸部の何もない田舎町に退屈しきっている少年少女たちのひとりで、スマホ(SNS)とダンスミュージックはあるけれど持て余し気味、仲間が集まればリセを卒業したらどうするかという話になる。みんなこの田舎町を出なければ未来はないと思っているものの、なかなかそうもいかない。これを日本語では「しがらみ(柵)」と言う。さてお立ち会い、このしがらみとはもともと何のことかご存知かな?以下 word-dictionary.jp からのコピペです。
「しがらみ」(漢字表記:「柵」)とは、川の中に杭を打ち並べて、横向きに竹や木などを渡した構造のことをいい、転じて「柵(さく)」「せきとめるもの」「まといつくもの」という意味があります。
一般に、「角材などを用いて地面に立てられて、土地の境界・区画を設けたり、敵の侵入を防ぐもの」を「柵:さく」と言い、構造は同じでも、川の中に立てられるものを「柵:しがらみ」と呼びます。
また、「流れをせきとめるもの」の意からか、慣用表現として「世の中のしがらみ」などのように、解きがたい因果、解決が難しい障害要素、複雑に入り組んだ問題や制約、頭を悩ますものと言った意味で使われることもあります。

この映画作家はこの日本語知ってたんじゃないかな?川の流れを調節したり堰き止めたりするもの。映画の中で、アナの恋人となるホセ(演アルベルト・オルモ)の父親が、ホセを自分の跡取りとして立派に育てよう(そのためにはアナと別れろ、というストーリーも加わる)と、農業用水の堰を掘らせたり、(父親には来ることがわかっている)洪水の対策のために煉瓦で防水フェンスを作らせたりするのですよ。これがこの町に古くから住むオールドジェネレーションのしがらみ、と私は理解したのだが、深読みか。
 それはそれ。
 そんな退屈な町にも”夏”はやってきて、若者たちは夏を謳歌し、野外で過ごし、語り、遊び、飲み、踊り、誘惑し合う。この映画で特筆すべきは喫われるタバコの量である。老いも若きもものすごい量のタバコシーンがスクリーンに絶え間なく映し出される。別のもののメタファーかもしれないが、近年映画界では御法度のようになっている喫煙シーンがこれほど続くと、元愛煙家(18歳から40歳まで相当量のタバコを吸っていた私)としては誘惑的に刺激されるものがある。それはそれ。そしてアナはホセという名の農家のセガレ(美しい青年)と恋に落ちる。それほど悪気はないのだろうが、このホセは(封建的に)農家を継ぐという運命を背負いながらも、アナにカッコつけるために外国に行ったことがある、ロンドンの生活は素晴らしかったなどとウソをつく。私も昭和時代に青森という地方で少年時代を過ごしてて似たような現象があって、いたんだよねぇ、行ったこともないのに東京をよく知ってるみたいな話をして女子たちの気を引こうとしてた奴、おおいやだいやだ。それはそれ。アナもホセも夢を見たい、違う未来を想像したい、だが、この閉塞した田舎町はそれをたやすく許さないものがある。しがらみである。
 レモン園農家のホセの家では、跡取り息子ホセも他の雇われ労働者たちと同じように肉体労働で仕事を”体”で覚えさせられる。また土地の伝統らしい伝書鳩飼育をまかされ、村の男たちの古くからの娯楽であろう伝書鳩レースに出場する。色とりどりに塗料で化粧した伝書鳩が群れになって虹の色で飛び交ういとも美しいシーンに驚かされる。厳しく頑固な父親はそのすべてをホセに受け継がせたい。それをホセは嫌っていないどころか、この父を本当に愛しているのがわかる。
 アナの家は街道に面した大きなカフェ・バーで、祖母の代に始まり今は母が受け継いでいる。男っ気ゼロの家。日本式に考えると”水商売”の家系。町の住人から嫌われているわけではないが、この女系家族バーの家は不幸に呪われていると言われることがある。そしてその祖母は町の仙女のようなところがあり、町の歴史のすべてを知っているだけでなく、泣き止まない赤ん坊をちょっとしたまじないみたいなもので泣くのを止めることができるという類の能力が備わっている。(田舎にはそういうばあちゃんがいたんですよ、日本にも)
 その祖母からアナはセグラ川の氾濫と消えていく女の言い伝えを聞かされる。この季節に何度も聞かさせるのでアナはうんざりなのだが...。しかしホセが父親を愛しているのと同じように、アナもまた祖母を心から愛しているし、その間にある母もまた同じように愛している。どちらの家族も親子(+孫)愛は堅固で、このことでアナもホセも知らなかったことをどんどん知っていくのである。
 川から愛された女は次第に体に変調をきたし、自分が選ばれた女と自覚するようになり、川に身動きを誘導されるようにある時姿を消し、川は大氾濫を起こす。これが繰り返されてきた歴史であり、代々この町に住んできた人々なら皆知っている話である。そしてその言い伝えについた尾鰭にように、あの街道に面したカフェ・バーの女たちはみな... という話も流布されている。
 ある夜、もう何年も来たことがないというホセの父親が、街道のカフェ・バーを訪れ、バーのマダムであるアナの母親と対面する。「話はわかっているはずだ、俺は息子を不幸にさせたくない、おまえの娘ともう会わせないようにしてほしい」と。ホセの父親もこの言い伝えの中に身を置く、古い土地の人間さのである。

 夏が続く間、アナとホセは野を走り、水に泳ぎ、タバコを吸い、飲み、踊り、愛し合う。アナが予知している「嵐の到来」と体の変調、「私の番」という身の覚え。救ってほしい。アナはホセに旅立とうと嘆願する。二人でこの川の遠くに逃げ去ろう...。
 夏の終わりがやってくる。その夏を惜しむように、若者たちは廃屋工場に集まり、レイヴパーティーで躍り狂う。アナもホセも躍り狂う。そのBPMの最高潮にかかりそうな時、雨が落ち始め、雷鳴がどどろき、やがて豪雨になり、稲光の中を若者たちは逃げ去って行く...。カタストロフ、アポカリプス的光景、大洪水...。水に呼ばれて水になっていくアナ、それを追うホセ...。
 スクリーンは実際にあった2019年のオリウエラ大洪水のニュース映像を多用した大災害シーン(東日本大震災の津波シーンにも似ている)を映し出す。これがこの映画の「映画マジック」なのですね。神話的な壮大さ。

 田舎の伝承民話や封建的な時間の流れや、若者たちのノーフューチャーな焦燥や、エコロジックな自然と人間の関わりや、予め運命づけられた悲恋や.... たくさんのテーマを一挙に見させてもらった映画であるが、私はとても(私の知るなつかしい)”日本”に近いものを感じた。ばさまから聞く話のありがたさとあたたかさみたいなものが後味として残った。何度大洪水があっても、人は「しがらみ」を再構築するもの。そのしがらみが大きなものを犠牲にすると知りながらも(←これは私の個人的深読み)。アナを演じた女優ルナ・パミエスの野生的な魅力にもムーチョムーチョ圧倒された。ムーチョおすすめします。

カストール爺の採点;★★★★☆

(↓)『エル・アグア(水)』予告編

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