2015年10月18日日曜日

マラルメわかるめぇ

Bertrand Belin "Cap Waller"
ベルトラン・ブラン『ウォーラー岬』

 Cap Wallerは架空の地名です。だからフランス語風に「ヴァレール岬」としたっていいんです。ところが、このアルバムだけでなくベルトラン・ブランの場合はなぜか英語読み風に「ウォーラー」とした方がいいような気がします。ブランがデビュー以来醸し出している一流のダンディズムのゆえでしょう。ダンディズムと言えば英国、というもろ直の連想ですね。しかも青空で晴れ渡った岬など考えもつかない、どんより曇ったり、風雨にさらされたり、濃霧で灯台の明りさえかすかにしか見えなかったり、そういう岬を想うのですよ。北の岬ならみんなそうでしょうけど、英国のあのダークさがしっくり来ます。そして、このジャケットアートです。1920年代、バウハウス派のコンポジションのような、あるいは三越百貨店の包装紙のようなデザインですけど、連合王国国旗のユニオンジャックの3色にも近く見えませんか?(見えないか...)。アルバムの録音地は内陸なので岬はありませんが、イングランドのシェフィールドです。
 ベルトラン・ブランは1970年、ブルターニュ地方モルビアン県のキブロンの生れです。イワシ漁で有名な漁港があり、オイルサーディンの缶詰が名物で、キブロン半島にはもちろん岬もありますわね。とりわけブルターニュ色を出しているアーチストではありませんが、キブロンと聞いてとても納得がいく佇まいの人、と私は勝手に思っています。
 ミュージシャンとしてはかなり変わった経歴で、まずケイジャン〜ザディゴのバンド、ストンピン・クローフィッシュ Stompin' Crawfishのギタリストとして6年間、2枚のアルバムに参加しています。それからフランスに移住してきたイギリスのバンド、サンズ・オブ・ザ・デザート Sons of the Desert に1996年のアルバムからギタリスト/バンジョーイストとして参加。フランスのアーチストでは元VRPのネリーベナバール、オリヴィア・ルイーズ、ディオニゾスなどと交流があり、曲を提供したり、ギタリストとしてアルバムに参加したりという...。2005年にデビューアルバム『ベルトラン・ブラン』。指弾きグレッチ(ギター)の音と艶のあるクルーナー・ヴォーカル(このスタイルは今日まで変わらない)。このデビューアルバムの時、私、結構ひとりで騒いで応援して、在庫かかえて当時持っていた通信販売のページにデカデカと張り出して売ろうとしていましたが、2015年の今日、まだ在庫あります。
 この人が世に知られるようになるのは3枚目のアルバム『イペルニュイ(Hypernuit)』 (2010年)からなのです。"hypernuit"はブランの造語ですが、「hyper-」は「超、過」の意味を付加する接頭辞ですから、それがついた「nuit (夜)」とは「超スーパーな夜」「ウルトラすぎた夜」、一生に一度体験できるかどうかわからないような超稀で超例外的な夜というニュアンスになりましょうか。歌は男が村中を復讐するためにやってきた夜、という緊急ながら漠然としたイメージを、くりかえし、くりかえし、ぶつぶつ唱えるようなクルーナー唱法で展開します。象徴的で印象的で高踏的な、ある種ゲージツ的フランスが香るわからなそうでわかる、わかりそうでわっかない、そういう歌です。好きな人たちが飛びついても不思議はありません。
 こういう「あんたらにはわかるめぇよ」型のダンディズムにとかく私たちは弱いのです。

アルバム『ウォーラー岬』はその延長線上の5枚目のアルバムです。このアルバムの数ヶ月前の2015年3月、ベルトラン・ブランの小説『鮫 (Requin)』が刊行されたのです。これは人工貯水池で水泳パンツ姿で自殺する男(40代。妻子あり)のいまわの際の回想を一人称文体で書いたものです。なぜ死ぬのかはなぜ生きるのかと同じほどに明らかでない理由がたくさんあり、ニヒルで時折ユーモラスでもある展開は、ブランの音楽を大きく引き延ばしたようなアートです。湖で飢えをしのぐために白鳥を殺して焼いて食べるシーン、ディエップの港の水中に隠されていた多数の牛乳パックを発見して宝物のように引き揚げるシーン、こういう具体的な描写が効果的で、観念的な厭世小説からずいぶんと距離のある作品に仕上がっているのですが、この黒々とした文章は硬派の文芸批評メディアでも高く評価されたのでした。こうしてブランは、2015年の今日、文学と音楽の両分野で小難しい鬼才の地位を獲得していて、しかもとても重要な存在のような重さと後光を示し始めたのですね。まだまだ死後のゲンズブールや晩年のバシュングには至りませんが。
 アルバム『ウォーラー岬』はいつもに増してミニマルなアルバムです。歌詞もインストも繰り返しが多用されて、ヤマやCメロなんかほとんどない。短い数行詞を繰り返しで引き延ばして歌われる曲が3曲。これを国営ラジオ局フランス・アンテールのジャーナリスト、レベッカ・マンゾーニは「俳句」と称したのでした。 例えば
その日ぐらし
巨大な都市の中
ある広場
僕はきみの背中をみつける
僕はきみの背中を覚えている
馬の群れ
噴水
きみは振り向く
するとそれはきみではなかった
こんな場面にもう何回も出くわした
  (9曲め "Au jour le jour")
たったこれだけで、おもむろに都市的な寂寥で肌寒くなる、というメランコリーが体験できるわけです。俳句にしては長すぎると思われましょうが。
11曲め( アルバム終曲)の「兵隊」は4行です。
僕らがさっきまで
遊んでいた木
どこに行ったんだ?
僕は何をすればいい、兵隊さん?
(11曲め "Soldat") 
この4行を何度か繰り返しながら、スローでメランコリックなインストで引き延ばされて5分20秒かかる曲です。子供の日の悲しみが夕暮れのようにゆっくり色を帯びていくのを感じてくれればいいんです。
そしてアルバム先行でこの夏からFMでオンエアされていて耳になじんでいた2曲めの「フォル・フォル・フォル」は7行詞です。
狂った狂った狂ったような雨に打たれ
シルエットは戻って来る

ふたつの泥の水たまりの間をスラロームして
シルエットはひとりの人間に気がついて
手で合図する
狂った狂った狂ったような雨に打たれ
(2曲め "Folle Folle Folle" )
性別も関係もわからぬひとつの影とひとりの人間、土砂降りの雨に打たれながら、ひとつの手が動く、それだけのこと。どれだけのドラマがそこに秘められているかは、想像する者の自由。馬鹿げた、馬鹿げた、馬鹿げたことかもしれません。 そのふっと浮かび上がる印象がこの歌のいのちでしょう。

 このように俳句的で、無説明なコラージュと魅惑のクルーナー・ヴォイスとミニマルインストが合体したアルバムです。フランス人でさえ歌詞カード見ても何を歌っているのかわからないような不明瞭な発音の低音ささやきヴォーカルは、女性にも男性にも、われわれが日本語で言うところの「そそる」ものがあるはずです。これを高踏すぎて、頭でっかちでわからん、という人たちも少なくないでしょう。誰にも真似のできないベルトラン・ブランのスタイルというのは3枚のアルバムで形骸化してしまった、自分にしかわからない歌ばかりという閉鎖性をテレラマ誌ヴァレリー・ルウー(とロプス誌&レクスプレス誌のシャンソン評論家)の10月12日の座談会は批判しています。 まあ、一度では無理かもしれないけれど何度が聞いたら、これが全部同じように聞こえるとか、単調でアクセントに欠けるとか、そういうことは絶対に言えなくなるスルメ味がわかるはずですけど。

<<< トラックリスト >>>
1. QUE TU DIS
2. FOLLE FOLLE FOLLE
3. DOUVES
4. JE PARLE EN FOU
5. ALTESSE
6. L'AJOURNEMENT
7. LE MOT JUSTE
8. D'UNE DUNE
9. AU JOUR LE JOUR
10. ENTRE LES IFS
11. SOLDAT

BERTRAND BELIN "CAP WALLER"
CD/LP  WAGRAM/CINQ7 
フランスでのリリース:2015年10月

カストール爺の採点:★★★★★ 

(↓)アルバム"CAP WALLER"オフィシャルティーザー。


(↓)"FOLLE FOLLE FOLLE" オフィシャルクリップ。


(↓)"JE PARLE EN FOU" オフィシャルクリップ。


 

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