2025年6月28日土曜日

傷だらけのティーンスピリット

”Enzo"
『エンゾ』


2025年フランス+ベルギー+イタリア映画
監督:ローラン・カンテ
演出:ロバン・カンピーヨ
主演:エロワ・ポウー、マクシム・シルヴィンスキー、ピエルフランチェスコ・ファヴィノ、エロディー・ブシェーズ
フランス公開:2025年6月18日



2024年4月にガンで急逝したローラン・カンテ監督(『壁の中で Entre les murs』2008年カンヌ映画祭パルム・ドール賞、2012年『フォックスファイア』...)が制作半ばだった映画を盟友で共同脚本家だったロバン・カンピーヨ監督(『120BPM』2017年カンヌ映画祭グランプリ)が引き継いで完成させた“ローラン・カンテ監督/ロバン・カンピーヨ演出”と銘打たれた作品。脚本はローラン・カンテ+ロバン・カンピーヨ+ジル・マルシャン。  
 舞台は南仏地中海岸の風光明媚な町ラ・シオタである。マッシリア・サウンドシステムのタトゥー/ムスー・テがラ・シオタを地盤にしているので、気持ち的にはとても親近感のある町なのだが、一度も行ったことはない。タトゥーの影響でイメージ的には造船所+漁村という労働者人民の汗っぽい土地柄を想っていたのだが、この映画で主に登場するのは豪奢なヴィラである。豪華プールつき。16歳のエンゾ(演エロワ・ポウー)はそのヴィラに住む一家の次男坊。父パオロ(演ピエルフランチェスコ・ファヴィノ)は大学教授、母マリオン(演エロディー・ブシェーズ)はエリート・エンジニア(映画の中で、エンゾが母に給料いくらもらっているのか、と問うシーンあり、高額所得者だが、夫は私より収入が少ないとあっけらかんと答えている)、兄(長男)ヴィクトールは両親に逆らうことなく”敷かれたレール”のように大学進学の道を進むが、エンゾはこの何ひとつ不自由のない環境を自分の居場所と感じることができない。懐疑的で未来も現在も掴まえられない。空論は要らない。具体的で手で掴めるものが欲しい。エンゾは学業を半ばにして、家屋建設現場の左官工の見習いとして働き始める。「不安定な青春期(あるいは反抗期)」と通り一遍の解釈をする両親は、それを一過性の気まぐれとして寛容する。父と母でその寛容の度合いは異なる。父は”まっとうな方向”への軌道修正を強く望むゆえ、”意見”を垂れるためエンゾとは口論が絶えないが、その”親心”は誠実なものである。建築現場へ毎朝手弁当を持たせて送り出す母は、エンゾの選択を尊重するが、時が経てば自然と”こちら側に還ってくる”という楽観論がある。
 エンゾは絵を描くことに長けているが、親が勧める美術方向への進学を頑なに断る。具体的な”手の職”を求めて飛び込んだ左官職見習いだが、この強靭な肉体を要する仕事の技能習得はエオンゾの意に反して難しいものがある。親方に怒鳴られながら覚えていくが、それはデリケートな精神の持ち主には(あるいはブルジョワのボンボンには)着いていくのが難しいものであろう。このなかなか一人前に育ってくれない見習い工に業をにやして、雇い主の土建屋のボスが、未成年のエンゾの法的責任者である両親と解雇の可能性を含む”話”をしたい、とエンゾを連れて...。行ってみて初めてこの豪奢なヴィラに住む一家の息子だったと知った土建屋ボスは、その”階級的圧力”にビビってしまい、エンゾの問題を申し立てることすらできず、恐縮して退散してしまう...。  エンゾにとって”相応しくない場所”と反抗しているこのヴィラ的環境が、周りの人間たちからはエンゾに相応しい場所と見えていて、建築現場の”剥き出し”の環境はエンゾにそぐわない、というのが多数派の考え方だ。だが、繊細な小僧だったエンゾは厳しい徒弟修行のせいで徐々に筋肉質の肉体を獲得していく。  その厳しい徒弟修行のコーチ役となるのが、現場の先輩格であるウクライナ移民の二人、ミロスラヴ(演ヴラディスラヴ・ホリク)とヴラード(演マクシム・スリヴィンスキー)である。二人とも家族をウクライナに残して出稼ぎに来ているが、招集令があれば兵士となって(対ロシア戦)前線に行かなければならない。二人とも軍隊の体験はある。年上のミロスラヴは祖国・家族のために前線で戦うことに肯定的でいつでもその準備は出来ていると言うが、ヴラードは消極的で懐疑的でむしろ避けたいと考えている。エンゾはヴラードに問う、おまえの”居場所”はウクライナであり、そこで祖国のために戦うことではないのか、と。エンゾにつきまとう”居場所”の問題である。  二人の雄々しきスラヴ男は生っちょろかったエンゾを弟分のように連れ回し、”スラヴ式”大人の男の世界に引き込もうとする。酒、パーティー、女たちとの付き合い方...、エンゾは背伸びしてその世界について行こうとする。16歳。お立ち会い、ご自分の”あの頃”を覚えてますか?背伸びしてたでしょうに。
 エンゾに左官のイロハを文字通り手取り足取りで教え込んだのはヴラードである。頼りになる筋肉質の優男である。”兄ィ”である。親の血を引く兄弟よりも、である。そして工事現場の埃まみれ汗まみれのスキンシップである。このあたりは『120BPM』を撮ったロバン・カンピーヨの真骨頂のような、男と男の官能が香るシーンが本当にうまい。かくして16歳のエンゾに、全く自分にコントロールできない(il est plus fort que moi)ホモセクシュアリティーの萌芽が訪れる。抑えが効かなくなる。苦しい。この”兄ィ”と一緒にいたい。離れたくない。この想いは成就できないのか。  おそらくエンゾの探していた”居場所”はこの男の腕の中だったのである。建前上(表面上)ヴラードはヘテロであり、愛する女性もいる。ヴラードは若いエンゾの恋慕を予め拒絶する態度を示すのであるが、エンゾのエスカレートするパッションを見捨てることができなくなる。なにしろ”いい兄ィ”なので。しかし、ヴラードの拒絶を許容できないエンゾの暴走はいよいよ常軌を逸し、ヴラードの目の前で工事現場の足場最上部から自ら転落してしまう....。

 若いという字は苦しい字に似てるわ。エンゾは一命を取り止め、リハビリを終えブルジョワ家庭に戻り、一家でイタリアにヴァカンスに出かける。ウクライナ移民労働者の二人ミロスラヴとヴラードはウクライナに戻り、兵士として戦場に赴く。イタリアでローマ時代の遺跡を家族で散策している途中、エンゾのスマホが鳴り、相手が戦場にいるヴラードと知るや、家族の目を避けて遺跡の岩壁に身を隠し、忘れじの”兄ィ”と交信する、というのがこの映画のポスターのシーンであり、映画のラストシーンでもある。戦場にいても愛は死なない。愛は死なない。苦しくても愛は死なない。私が書くととてもチープな表現に思われるかもしれないが、愛は死なない、そういう救済を持って終わる映画が悪いわけないじゃないですか。故ローラン・カンテにあらためて合掌🙏

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『エンゾ』予告編

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