2024年10月5日土曜日

エイズ禍の時代のことを憶えていますか?


”120 Battements Par Minute"
 『120 BPM』

2017年フランス映画
監督:ロバン・カンピーヨ
主演:ナウエル・ペレス・ビスカヤルト、アルノー・ヴァロワ、アデル・エネル、アントワーヌ・レナール
フランス公開:2017年8月23日
日本公開:2018年3月24日

2017年カンヌ映画祭グランプリ


週(2024年9月29日)、ガエル・モレル監督映画『生き死に再び生まれる(Vivre Mourir Renaître)』のこのブログでの紹介記事を書いたあと、同じ1990年代のエイズ禍を背景にした2017年カンヌ映画祭グランプリの映画『120BPM』をVODで観直した。その強烈さは今も少しも変わらない。私は2017年8月末にこの映画を劇場で観て、興奮してラティーナ誌の連載ページに投稿したのだった(↓に再録)。
 その頃のことを思い出す。VODを観ながら、私は映画のことよりも2017年晩夏の自分のことばかり思い出していた。件のラティーナ記事にしても、映画のことにかこつけて自分のことばかり書いていたようだ。多くの人たちに公表していたわけではないが、私は2016年暮れに肝細胞がん再発+肺転移が発覚し、2017年1月からかなり重いがん治療が始まり、自営の会社を6月で閉めて、早期退職年金生活者&専業病人に成り立ての頃だった。その上その1月からの重い治療(ケモセラピー/化学療法)が効果が見られず、病気はじわじわと増殖していった。そんな時だったから、友人諸姉諸兄にはかなり泣き言を言いまくっていたし、「死ぬ前にしたいこと」を数え上げたり、奥さまと娘にはあらゆることで支えてもらっていた。あれから7年経った今、私は現代医学に支えられて、しっかり病気と共に生きられる人間に変身している。笑ってしまう。だが、同志たち、7年前はすべてが”冗談じゃない”と昂っていたのだよ、笑っておくれ。それを証言しているような記事(↓)だったのですよ。

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この記事は音楽誌ラティーナに連載されていた「それでもセーヌは流れる」(2008 - 2020)で、2017年10月号に掲載されたものを、同誌の許可をいただき加筆修正再録したものです。

エイズ禍の時代のことを覚えていますか?

「今どき◯◯で死ぬ人はいませんよ」 ー それを言う人に悪意はないということは知っている。闘病する私を励ますためにそう言っているのだ。医学の進歩の速度は凄まじく、もはやあらゆる病気から人命を救ってくれそうだ。この大雑把な安心感は健常者の人たちに病気を軽視させ、病気への関心を無化させていく。しかしある日スティーヴ・ジョブスやデヴィッド・ボウイといった巨万の富の持ち主で、その地球的財産のような才能を守るために現代医学の最々先端の治療法が用いられたであろう超重要人物がガンで死ぬのである。今どき死ぬはずのないガンで。


 2017
8月、セーヌ川を挟んだ我が家の対岸で毎夏開かれる音楽イヴェント、ロック・アン・セーヌ(Rock En Seine)フェスティヴァルで見た、ブルターニュ地方レンヌ出身の英語で歌う5人組エレクトロ・ソウル・バンド、ハーHer)。レンヌの高校で出会ったアメリカ育ちのシモン・カルパンティエとドイツ育ちのヴィクトール・ソルフはコンビで曲を書き始め、地元レンヌのトランス・ミュージカル・フェスやレ・ザンロキュプティーブル誌の新人コンクールなどで頭角を出し、2015年シモンとヴィクトールの双頭リーダーのバンド、ハーとしてデビュー、2016年メジャーのバークレイから2枚のEPを出して、初フルアルバムを準備していた。20177月、バンドのフェイスブック上でシモンが自分の病気を公表。

 「僕はもう数年前からガンと闘っている。僕の家族、友達、音楽、とりわけコンサートが僕に辛い治療に耐える力を与えてくれた。(中略)不幸にしてガンは多くの人たちを蝕んでいるし、あなたたちの中にもガン禍に直接関係している人たちがいるだろう。これは難しい体験だが、僕はこの体験を実りあるものにしなければならないと思っている。決して放棄してはならないし、恐怖に打ちのめされてはならない。生きなければならない。困難な時を乗り越えるために、今できることに心を集中させよう。自分にとってかけがえのない人たちに囲まれていよう。」
 8
13日、シモンは27歳で亡くなり、かの「27歳クラブ」の仲間入りを果たした。826日、ロック・アン・セーヌのステージにシモン抜きのハーは登場し、その前には数千人のファンが埋め尽くし、シモンへの哀悼で人波は揺れた。ヴィクトールはバンドを続ける決意を述べ、天に向かって歌う。音楽はシモンから病魔を一時的に遠ざけたかもしれないが、病魔はアーチストを殺した。音楽は死なない、と言い続けよう。それもいい。だが、同志たち、忘れないでほしい、今どき死ぬはずのない病気などない。緊急な時を生きている人々はたくさんいるのだ。


 
 20175月のカンヌ映画祭で審査員グランプリを獲得したフランス映画『120 BPM(原題 120 battements par minute)』(←写真 ロバン・カンピーヨ監督)が、8月23日にフランスで封切られた。これは米国の市民団 体アクトアップ・ニューヨークに倣って1989年に結団された行動的エイズ救済運動組織アクトアップ・パリの行状と、その中でエイズ禍と共に生きる若者たちを描いたフィクション映画であるが、監督のロバン・カンピーヨと共同脚本家のフィリップ・マンジョは共に当時のアクトアップ運動の当事者であり、映画は多く史実とシンクロする。

 エイズ禍の時代を憶えていますか? それは1980年代に突然やってきた。世界保健機構(WHO)が同性愛を「精神病」の項目から削除したのは1981年のことだった。同じ年フランスでは新大統領フランソワ・ミッテランがそれまで同性愛を「軽犯罪」と規定していた刑法条項をようやく撤廃した。それから同性愛者たちは日陰を抜け出し、ゲイ・カルチャーは一挙に花開き、多分野で露出していった。その虹色文化の急激な隆盛の頂点の頃にエイズは現れたのだ。
後天性免疫不全症候群、この日本語病名をソラで言える人は少ないと思う。クラウス・ノミは早くも1983年にエイズで斃れた。それから私たちは幾多のアーチスト/文化人たちの死を数えていくことになる。ロック・ハドソン、ミッシェル・フーコー、フレディー・マーキュリー、スコット・ロス、キース・ヘリング、ジャック・ドミー、マイルス・デイヴィス、アーサー・アッシュ、フェラ・クティ、エクトール・ラボー、オフラ・ハザ。そして数知れぬ無名の死者たちも。
 しかし多くの罹患者や死者を出しながら、有効な治療法は開発されず、感染予防に最も効果が認められたコンドーム使用の情報も広く伝播されない。この渦中に緊急に組織された複数のエイズ救済市民団体は、治療開発資金の募金とコンドームによる感染予防のキャンペーンに奔走していた。その中でこのアクトアップは異彩を放ち、政府厚生省、医学学会、製薬会社などに対して直截的な抗議行動をかけたり、街頭でのショッキングなデモンストレーションを行うことで知られ、言わば「過激派」的な見方もされていた。この苛烈な行動派の内側をこの映画は見せてくれるのである。
 「沈黙
Silence = Death)」はアクトアップの最も有名なスローガンの一つであり、彼らの最大の敵の一つが市民の無関心だった。これはホモの病気で一般人には関係がないといった俗説、性行為に関係するというだけで口をつぐみ生徒たちに正しい情報を伝えようとしない学校、旧時代の道徳観の親たち、コンドーム使用の禁止を説くカトリック教会、恥の病気として隠蔽しようとする社会、これらがエイズの爆発的感染を助長し、医療対策を遅らせる。これらのタブーを全部ぶち壊さないとエイズ禍の出口はないとアクトアップは考え、苛烈な街頭行動と衝撃的なポスターや広告フィルムで主張を展開する。


 映画は90年代はじめの頃、アクトアップ・パリの運動員約150人が週に一度集まる定例会合に、新しく参加した4人の若者の紹介から始まる。ホモセクシュアルを中心に結成された団体だが、運動員の中には女性もヘテロもいる。多くのHIV保菌者、エイズ発症者、そしてエイズ罹患者の家族たちがいる。新参加4人のひとりナタン(演アルノー・ヴァロワ)は珍しく非HIV保菌者(すなわち健常者)である。このナタンと、HIV陽性者で団体の中で最も激しい行動派で陽気な南米人ショーン(演ナウエル・ペレス・ビスカヤルト)、そして団体の代表者で穏健派で話術に長けた団体のまとめ役であるチボー(HIV陽性者、アクトアップ・パリの初代リーダーのディディエ・レストラードがモデル。演アントワーヌ・レナール)、この3人が映画の中心人物となっている。運動の中でナタンはショーンに惹かれていき、二人は恋に落ちる。非保菌者と保菌者の恋。リスクゼロのない病禍の中で二人は愛し合い、性的快楽は生きるための緊急な必要のように映画は描く。しかし、ショーンは次第にエイズの症状が顕在化していき、それと共にアクトアップの現行の運動では生温いと執行部に対して批判的になっていき、ついにはリーダーのチボーと決別してしまう。
 映画で重要な見ものは週に一度のアクトアップ会合で、150人余りの活動家たちが白熱した議論を展開するのだが、発言時間をできるだけ短くすること、発言を邪魔する野次や拍手の禁止(賛意は指打ちで表明する)などの民主的なルールがあり、2016年春レピュブリック広場で展開されたニュイ・ドブー運動の討論集会で見られた光景の先駆であったことがわかる。議論は次の抗議示威行動の戦略を決めていく。アクトアップの行動は派手でスキャンダラスなだけではなく、常に劇的演出を伴っていた。衣装・化粧・小道具(血の色の液体を詰めたボール)・大道具(コンコルド広場オベリスク像を包む超巨大コンドーム)などを駆使して、劇的にメッセージを伝える。エイズとの戦争を闘う非暴力ゲリラであり、エイズ死者が増えれば増えるほど彼らは街を血の色の絵の具で染め警告を発していくのだった。映画にはその行動を150人が民主的合意のもとに決めていくというシーンが数度登場する。過激セクトと謗られながらも、内実は共同体ユートピアとして機能していたということを示すために。
 劇的な怒りであると同時に彼らの生きる喜びは祝祭的だった。ゲイ・プライド、ハウス・ミュージック、彼らの喜びと不安はこのダンス・ビートと共にあり、映画は集会や行動の後でダンスに酔いしれる若者たちを何度も映し出す。映画タイトルの『120 BPM』はエイズ時代を象徴するダンス音楽であるハウス・ミュージックへのオマージュである。サントラ中最も象徴的に援用されたのがブロンスキー・ビートの「スモールタウン・ボーイ」だった。1984年英国の歴史的(100%ゲイ初のNo.1)ヒット曲で、ヴォーカルのジミー・ソマーヴィルを一躍ゲイ・カルチャーのヒーローにせしめた。地方の小さな町の少年が、ホモに対して閉鎖的かつ暴力的な町を逃れて都会に出て行くシンセ・ポップ曲。裏話であるが、ジミー・ソマーヴィルはアクトアップ・パリ結成時の重要な出資者の一人だったという。


 仲間が次々に死んでいく中で、アクトアップは新薬研究成果を遅々として出し渋る製薬会社ラボラトリーへの殴り込み、ノートルダム寺院前でのダイ・インなどの行動を繰り返す。もっと苛烈にやってくれ、とショーンは仲間に要求する。自分の死が迫っていることを知っているから。ショーンを愛するナタンは献身的にショーンを介護するのだが。この死と隣り合わせのラヴ・ストーリーと、増大していくエイズ禍と体当たりで闘っていくアクトアップの面々(保菌者、罹患者、その家族、医師、研究者、シンパ)を描く2時間20分映画。パリでは上映1週間で22万人の観客を動員し、現在ボックスオフィス第5位である。大ヒットと言っていいだろう。30年前に無関心だった多くの市民たちは、やっとことの重大さを再発見してくれたのかもしれない。

 ショーンを演じたアルゼンチン人の小柄な男優ナウエル・ペレス・ビスカヤルトの素晴らしさは、最も過激で最も陽気な活動家だったショーンから、病気の進行と共に怒りと絶望が支配的になり、やがて衰弱していく変容を肉体のすべてで顕在化できる稀な表現者だということ。今後をおおいに期待したい。
 闘い半ばで討ち死にしたショーンの遺志に従って、アクトアップのメンバーたちが、エイズ者たちの悲痛な訴えをよそに大製薬会社が開いている超豪華なビュッフェパーティーに乱入し、ショーンの遺灰を超豪華料理の上にばら撒いていく。怒りの映画の大団円も過激に衝撃的だ。  

 エイズ禍の時代のことを憶えていますか?もう遠い昔のことと思っていないか?あれから30年、今どきエイズには罹らないし、エイズで死ぬことはないと思っていないか?ヴィールスの発見から今日までの推定死者数3千6百万人。2016年現在のHIV保菌者数3千7百万人、そのうち治療を受けている患者数1千8百万人。死者数と発症者数は1997年のピーク時から半減していると言われているが、まだこの数字。そして、エイズの予防ワクチンは未だに開発されていないのである。


(ラティーナ誌2017年10月号・向風三郎「それでもセーヌは流れる」)

(↓)『120BPM』フランスオリジナル版予告編


(↓)『120BPM』日本上映版の予告編



(↓)ブロスキー・ビート「スモールタウン・ボーイ」(『120BPM』サントラリミックス by アルノー・ルボティニ)

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