オリヴィエ・ブールドー『愛と暴力の物語』
今から10年前、2016年、一風変わった小説がフランスを魅了した。『ボージャングルスを待ちながら(En attendant Bojangles)』は多くの読者にとって一種のオヴニーであった。奇想天外でシュールなストーリーのジェットコースターであり最終的にメランコリックな大団円に唸らされ、その年の大ベストセラーとなった。この時作者オリヴィエ・ブールドーは35歳だった。遅く来た男。このデビュー小説が話題になり始めた頃、ブールドーの父親がこの世を去っている。
本書は『愛と暴力の物語』と題された”レシ(récit)"であり、創作物語ではなく、作者とその父親の叙事的ことがらを書き連ねた手記であり、その自分が生まれてから36年間面と向かって付き合ってきた父との物語は、おのずと自伝と重なってしまう。重点は”愛”よりも”暴力”かもしれない。世に暴力的な父親はいるもので、鬼のスパルタ親父から小児虐待まで私たちは非常に深刻な事象であることを知っている。躾(しつけ)と称して体罰を加える父親。21世紀的現在においてはこれはれっきとした犯罪行為であり、世の中は目をつぶってはいない。作者は1980年生まれであり、世の中は親の暴力を放任する時代ではなくなっていたと思うが、作者自身は他の家でも同じようなものだろうと思っていたと言う。親が専制的に子の失態と決めつけたことに対して、この親は子に体罰を与える。問答無用。幼い頃からオリヴィエは両手を背で結び父の前に跪いて顔に平手打ちを受ける。自分の落ち度への罰なのだから仕方ない、子を矯正する父は正しく、みんなこんなふうに育てられるのだろうと思っていたと言うのだ。ところが十代にもなると、周りの子たちはそのような制裁を知らずに育っていて、自分の家は特別だと気づくようになる。気づいても仕方がない。自分は学業もデキが悪く、何をやらせてもヘマばかりの子供だ。父はそのヘマやデキの悪さに怒り、子をあらゆる言葉で罵り、習慣であるかのように子を叩く。それはオリヴィエに限ったことではなく、父ピエール・ブールドーの5人の子供(前妻との間にできた兄と姉、自分、そして弟と妹)全員に対して過度に厳格で強権的で暴力的なのだった。兄姉弟妹の4人は賢明にも物心がついた頃からこの家を出なければ自分は殺されると悟って、自活できる状態になり次第、一人また一人と家を出て行った。
小説は父ピエールがガン闘病の末亡くなり、その葬儀の準備をしているところから始まる。地元(ナント)である程度名の通った公証人(ノテール)だったから、葬儀には100人を越える人が集まる。葬儀に必要不可欠なのが”弔辞”であり、誰がするかという段になって兄姉弟妹はみんな断った(それほど憎悪されたいた)。おまえが父親と一緒にいた期間が一番長いんだから、おまえがやれ、と。学業につまずき、まともな就職もできず、兄姉弟妹と違いその36年のほとんどを実家で両親と共に生きてきた。父親と過ごした時間が最も長く、父親に最も怒られ折檻され、父親と最も”対話”したのもオリヴィエだった。おまえが一番父親のことを知っている。言われてみればそうだ。だが”弔辞”の問題というのは、その中で故人のネガティヴな部分には一切触れず、ポジティヴな価値を紹介してそれを賞賛するというのが”世の慣わし”である。オリヴィエはそれを壊すつもりはない。父へのオマージュを捧げたい。だがそのポジティヴな価値なるものはあるのか。一応その時には”作家”になっていた作者だったが、その弔辞原稿を書くのに辛い苦労を覚えてしまうのだ。
公証人とはフランスでは高い身分に位置し、弁護士と同じように "maître(メートル)”の尊称がつく。だから人は父を”ムッシュー・ブールドー”ではなく、”メートル・ブールドー”あるいは”メートル”と敬意を込めて呼ばなければならない。父は公証人事務所を畳み退職した後も自分を”メートル”と呼ばせた。一貫して自分は上の身分にあり、人をかしずかせる者という立場を取り続けた。尊大にして教養人であり、家族に対しては一銭の小遣いもやらなかったくせに、他人には寛大であり、レストランのチップも大枚で置き、自分の公証人事務所の職員に対しても顧客に対しても好印象のメートルであった。
またこの父は独自の育児養育論を持っていて、子供は生まれたその時から親に負う借金が始まると言うのだ。生み育ててもらった恩は成人自活した時点で親に(金で)返済しなければならないとする。食費・衣服費、鉛筆一本、ノート一冊までかかった費用は全部返済してもらう、と子供に繰り返し言ってある。その養育費用にしても徹底的に倹約してあり、菓子玩具も不要と判断されれば与えない。
妻に対してはどうか。先妻は逃げた。二度目の妻シモーヌ、すなわちオリヴィエとその弟と妹の母は最終的に添い遂げるのであるが、やはり抵抗の不在期間がある。彼女はピエールの公証人事務所の秘書として雇われ、公の場では”人徳者”として通るピエールは彼女に丁寧に仕事を教え、彼女もその期待に応え”できる”秘書に育ち、その延長でピエールの家庭に入った感じ。ピエールは妻たる者に仕事は不要という主義で、シモーヌは専業主婦になった。夫の家庭内での暴君ぶりに耐えながら、嫌悪と反抗心をむき出しにする子供たちと夫の間に入っておろおろしていたものの、ピエールに繋ぎ止められる何かがあったのだ。何なのか。それは子供たちの中で最も罵声と折檻で打ちのめされていたオリヴィエにも同じこと、それでも父にどこか慈しみを覚えてしまうのは何故なのか。
父は習慣として1日に両切りゴロワーズを4箱吸い、何杯何本と言わず多量のミュスカデを氷で割って飲んでいた。モク中アル中であり、ガンになって当たり前であったが、案の定それで命を落とした。常に尊大な帝王の振る舞いをしていても、往々にして常軌を逸してしまう暴言と暴力行為はこの極度の依存症から来るものという疑いはあった。ガンを発病し、重い治療(ケモセラピー等)でアルコールを体が受け付けなくなってから、父の”狂行”は鎮まる。オリヴィエが薄々勘づいているのは、これは遺伝するものだということ。作者はアルコール依存症には陥らなかったが、大麻常習者となった。しかもジョイントではなくもっぱらボング(水ギセル)を使用し、かなりの重度常習者となっていたと告白している。幻覚や狂気も。
子供時代から学業成績は最低で、父から叱責・罵声が絶えなかった。初めは素直に父に嫌われまい/好かれたいと努力をしたのだがうまく行かず、体罰は続いた。父はこの折檻暴力に加虐快感を得ていたのかもしれない。そして跪いて両手を後ろに結び平手打ちを受けることで、父が満足を得ているのであれば、それもオリヴィエ自身が受け入れられる”父子”の瞬間だったのかもしれない。しかし父から受ける暴力によって、自分も暴力に鈍感(慣れっこ)になり、体躯は小さかったのに学校では暴力児童になっていき、父から受ける殴打の痛さを他の子たちに味わわせウサを晴らした。その暴力沙汰が学校から親に知らされると、父の怒りがオリヴィエに下るという一種のサイクル効果となってしまう。この小説には少年オリヴィエの暴力武勇伝的エピソードも載っていて、相当のワルだったことがうかがえる。
兄姉弟妹の4人はどうにかこうにか学校を出て自活してこの悪夢のような家を出て行ったのだが、オリヴィエは学業について行けず、かと言って仕事に就くこともできず(一応、不動産屋の売上歩合制のセールスマンとなるのだが、一件も不動産契約を結ぶことができない)、おまえは何をやらせてもダメな息子だと散々に罵倒されながら、両親の家に留まっている。居づらくなると、安定した収入もないのに(生活保護受給者になったこともある)、男女問わず知り合いの厄介になったりしながら、夜はどこそこで開かれるパーティーで過ごし、ドラッグに溺れていく。20代から30代にかけて、真正のろくでなしになるのだが、それはそれで日本の無頼派のようにのちに生まれる小説の肥やしになったりもするので...。こういうダメ男に転落して行くのを見て、父はそれ見たことか、私の言った通り、おまえは無一物となって絶えるのだ、と助けようともしない。
オリヴィエがどん底まで落ち、(母と共に)父がスペインに買ったヴィラで退職後の悠々自適生活を始めた頃に、息子の下降線と父の上昇(安定)線の両方の向きが逆転する。父は病いに冒され、息子は文学(『ボージャングルスを待ちながら』)によって救済される...。
では、その文学はどのようにしてオリヴィエの身に訪れたのか?発端は一家の夕食だった。教養人にして世のなべての事象に意見のある父ピエールは、その自説を家族の前で言わないと気がすまない。食卓でピエールの隣席につく光栄を得たオリヴィエは、食後他の家族が卓を離れた後もピエールの説法に付き合い、時には討論になるが、結語はピエールが下すというルールになっている。オリヴィエは実はその瞬間が大好きだった。他の家族にはない特権が自分にあると思っていた。そこでピエールの対話者としてちゃんとした討論ができるようにと、その話題の多くのベースとなる歴史の本を読み漁るようになった。なんと(80-90年代に至っても)テレビのない家だったこともあり、オリヴィエは暇があれば本を読む少年になり、本の虫と化した。学校の成績は(体育を例外として)全科目落第点しかなかったのに、歴史だけはクラス一番だった。それと綿密に関連しているが、オリヴィエを文学に強烈に引きつけることになるのは、父親からの思いがけないプレゼントだった。それは1冊のノートであり、父はこれを「語彙帳」として使え、と。本を読んでいてわからない言葉に遭遇したら、その語を書き取り、辞書からその語の定義を丸写しするのだ、と。13歳だったオリヴィエは10年ほどかけて何冊もこのノートを黒々と書きつぶしていく。これによって作者は語彙への愛着、語の正確な意味をものにしていき、”言葉愛”を育んでいく。そしていつしか”書くこと”を身に着けてしまったのだ。30歳を過ぎていよいよならず者のろくでなし(+ジャンキー)に身をやつして、俺には書くことしか残されていない、という逆転の転機は父のせいで”本の虫”→”語彙の虫”と変身していたことがベースになっていたのだ。
2008年、オリヴィエは(エレクトロ・シンガーソングライター)セバスティアン・テリエ(1975 - )の曲”L'amour et la violence(愛と暴力)”に衝撃を受け、これは俺の歌だ、俺のことを歌った歌だ、俺に言えなかったことをこの歌は俺に代わって言っている、なぜこんなことが俺でない人間にできるのか、と猛烈に嫉妬した。父と自分の関係はまさに端的にこの二つの言葉である、すなわち愛と暴力。答えは全てこの二つの言葉の中にある。この本を書かせる全ての理由はここにある。
Dis-moi ce que tu penses
あんたが思っていることを言ってくれ
De ma vie
俺の人生について
De mon adolescence
俺の青春時代について
Dis-moi ce que tu penses
あんたが思っていることを言ってくれ
J'aime aussi l'amour et la violence
俺も愛と暴力が好きなんだ
病いの床にいながら父ピエールは”新進気鋭作家”オリヴィエ・ブールドーの出演するラジオやテレビ番組を逃さず視聴していた。口に出しては言わないが、ろくでなしのルーザーだった息子がやっと一廉の人間として世に認められるようになった、と思ってくれていたんだかどうだか。父へのリヴェンジを認めてくれたんだかどうだか。
アンリが学校に行くようになったら、ピエールの倣いに従って、アンリに「語彙帳ノート」をプレゼントしようと考えている。「これはパパからじゃなくて、死んだおじいちゃんからだよ」ー
父を愛することはその暴力をも愛することである。そうとも俺は暴力が大好きだった、という父への鎮魂の書。黒いユーモアでオブラートはかけられているけれど、重い愛の書であった。
Olivier Bourdeaut "Une histoire d'amour et de violence"
Gallimard刊 2026年4月30日 242ページ、 20,50€
カストール爺の採点:★★★☆☆
(↓)国営ラジオFrance Inter 朝番(La Grande Matinale)でマチルド・セレルのインタヴューに答えるオリヴィエ・ブールドー
(↓)キャット・スティーヴンス「父と子」(1971年)





















