アリアーヌ・アスカリード : 私は彼らを許すつもりはこれっぽっちもないけれど、深く考えてみたいの。これらの若いデビルたち(これしか呼びようがないのよ、以前は”蛮人 vandale ”とか”未開人 sauvageon ”と呼ばれたこともあるけど)が、店を襲撃し破壊し全ての商品を略奪していく、その小さな小売店は人が生涯かけてやっと帳簿が合うように支えてきたもの、それを襲うなんて、全くもってどうしようもなくデビルなこと。それはつまりこの若い連中には根本的な”共和国的思慮 sens de la république”が完全に欠落してしまっているということ。なぜ彼らには全く”共和国的思慮”がないのか、その理由は40年以上もの長い間、彼らを共和国の中に含めなかったということなの。この若者たち、この子供たちにきみたちは共和国の一部をなすのだということをもはや教えなくなってしまった。だから彼らは共和国のことなんか全く眼中にない。彼らが見ているのは、日がな一日中ソーシャルネットワーク上に流れてくるイメージだけ。高級品。こういうタブレットが手に入ったらなあ、こんなウェアが着れたらなあ、こんなシューズがあればなあ。もうデビルとしか言いようがない。それで彼らは店を襲撃して略奪する。でも彼らが襲っているのは、彼らと似たような境遇の人たち。そのことがどうしようもなく愚かなことなのよ。 (中略)
この問題を社会学を学んだ人間として考察すれば、多くの若い人たちがフランス共和国の内部に統合されることなく外に放置されているということ。 (インタヴュアーのソニア・ドヴィレールの問い):ナポリからのイタリア移民の床屋(優秀理容師としてフランスから表彰されている)の娘、信念に基づいた共産党員、そしてあなたと同じように活動家でもある映画監督ロベール・ゲディギアンと結婚、あなたは若い頃から一貫して闘士でした。あなたは世界を変えたかったのですか? アリアーヌ・アスカリード : 私が欲したのは "光あふれる未来”(l'avenir radieux)、私にとって正しい表現はこれ。私は”光あふれる未来”が見たかった。私はあなたに誠実に答えますけど、私はその未来を体験できるとは思っていない。私はフランスがこんな状態になったフランスにいることになるとは思っていなかった。まさに今日、今朝のような現実のフランスに。信じられないことよ。私は”光あふれる未来”に向かって進んでいるものと信じていたのよ。とても時代遅れの表現に思うかもしれないけれど、私はこの表現が好き。今日私は自分に問うの、私はもう20歳じゃないの、もう随分遠くに来たの、そして私には一人の孫がいる、私はその孫が暗闇の中で生きて欲しくないのよ。だって彼らがやったことはどういうことなの?どういうことになるの?あれは人々の恐怖心を掻き立てるのよ。それはすべて直接的に極右RN党にとってもっけの幸いなの。RNは何もしなくてもいいのよ、黙ってRNのための王道が開通してしまったのよ。でもね、みなさん(mesdames et messieurs)聞いてくださいよ、RNはあなたたちにとって良いことは何もしませんよ。
共和国に火を放ったカスールたち、アスカリードの表現では共和国的思慮(sens de la république)が完全に欠落した若者たち、デビルたち... その打撃と衝撃から、私の共和国はレジスタンスできるのか。私は共和国を守りたい。私を47年間守ってくれた共和国を守りたい。職場で、教室で、カフェのカウンターで人々は話し合っている。その輪に私も入ろう。おまえ引っ込んでろ、とは言わせない。私も共和国の成員の一人なのだから。恐怖で人々が話せなくなる社会、それが共和国の死である。アスカリードと同じ年齢(72歳)の私は、彼女が言うように”光あふれる未来”は見ることができないと思う。だが暗闇の中に入るのはなんとしてでも避ける。心ある人々、be united !
(↓)10月19日、ラジオ France Interの朝番組"La Grande Matinale"で語るアリアーヌ・アスカリード。(↑にほぼ翻訳したのは最初の5分間の部分)
(↓)10月17日(土)フランス公共TV France 24による "カスール casseurs "の映像。
この新著『私は名前を変える』の81ページから、2024年公開のクリスティーヌ・アンゴ監督のドキュメンタリー映画『ある家族 Une Famille 』で現れたストラズブールの義母モニカ・アンゴ(ピエール・アンゴの妻、映画の中では”エリザベート・ヴェヴェール Elisabeth Wever"という名になっていた)の家での義母との対話/衝突シーンが文章となって再現されている。(名前を除いて基本的に同じ内容なので、同映画の爺ブログ紹介記事を参照されたし)。それに続いて、(最後には友好的な対話になって別れたつもりだったので、全く予測していなかった)モニカ・アンゴから起こされた”家宅不法侵入”と”(クリスティーヌがモニカに行使した)暴行”への告訴裁判の一部始終が続く。アンゴ家は、ピエール・アンゴに着せられた近親相姦性暴行者の汚名を晴らすため、クリスティーヌを犯罪者として叩き潰すべく、全面戦争の構えで攻撃してきたのだ。アンゴ家はアンゴの名を汚すものを許さない。しかしそのアンゴ家のカルマであるかのように、ピエール・アンゴと同様に、モニカ・アンゴもアルツハイマー病に陥り、裁判は続けられなくなる....。
その昔には、映画観たあとすぐにレコード屋に行ってサントラ盤を買い求めたくなるような、強烈に映画音楽に印象づけられる映画というのがあった。この映画のほとんどを包み込むようなアルノー・トゥーロン作曲のピアノ(+管弦アンサンブル)の抒情的でメランコリックな音楽は、そういう時代の映画音楽を彷彿とさせる。テレラマ誌はヌーヴェル・ヴァーグ派(とりわけフランソワ・トリュフォー)の代表的な映画音楽作家だったジョルジュ・ドルリューを引き合いに出して評していた。この映画にはやや古風なことにナレーションがついていて、語り手はフランソワーズ・ルブラン(今年82歳になる現役女優だが、ヌーヴェル・ヴァーグ時代ジャン・ユスタッシュ監督の『ママと娼婦 La maman et la putain』のヴェロニカ役で特に有名)で、落ち着いた文芸的な口調は耳に優しい。さらに言えば、この映画はなんと16ミリフィルムで撮られていて、デジタル映像で慣れてしまった目には、この”粗い”画質はおのずと20世紀的映画体験を想起させることになる。この映画は「トリュフォー的」と前評判が立っていたのには、これだけの要素でも納得できる。 映画の時代はほぼ現在であるが、主人公が郵便局で手紙を早く送るには「赤い切手 timbre rouge」(普通便=赤い切手、エコノミー便=緑の切手と分かれていた)を貼ればいいと説明を受けるシーンがあり、赤い切手は2022年末で廃止されているので、2022年以前ということになる。場所は(フランスで最も雨の多い地方)ノルマンディー地方カルヴァドス県のリジュー、同地出身の聖女テレーズ(1873 - 1897)を祀る聖堂があり、ルールドに次ぐフランス第二のカトリック巡礼地になっている。その町の私立カトリック系コレージュに通う14歳の少年オットー(演ミロ・マシャド=グラネ、2023年カンヌ映画祭パルム・ドール賞『ある転落死の解剖分析 Anatomie d'une chute 』の目の不自由な息子ダニエル役で既に高い評価)は、クラスの数人から長期間に渡って「いじめ」を受けていて、この世界に自分の居場所はないと、自殺することを決意する。さらば無情の世界。学校とクラスメートたちへの怨念を込めた遺書をしたため、同学年の生徒全員分フォトコピーをして封筒に入れ、52通の封書に(↑)赤切手を貼って投函した。夜間、飼っていたハムスターを森の中に解放してやり、その足でトーク川の急流に架る橋から身投げした。オットーの体は急流に流され、岩に何度もぶつかりながら下流(英仏海峡方向)に落ちていくが、何の力が作用したのか... 死なない。ずぶ濡れの態で岸に上がり、自殺の失敗を悟る。後戻りもやむなし。オットーは夜闇の中、遺書を投函したポストまで戻り、郵便函を壊して遺書を回収しようとするが、郵便函はどうしても壊れない。もう後戻りはできない。こうなったらこの町から消滅するだけだ。廃屋になっていた旧寄宿舎に籠り、ずぶ濡れの衣服を乾かし、こっそり町の残飯を拾ってきて食べるというホームレスサバイバルが始まる。
Mais c'est la mort マルシア、 Qui t'a assassinée Marcia あなたを殺したのは死神 C'est la mort マルシアを Tu t'es consumée Marcia 焼き尽くしたのは死神 C'est le cancer あなたが Que tu as pris sous ton bras 自分の腕で抱いてしまったのはガン
2007年11月、フレッド・シシャンの命を奪ったのもガンだった。53歳だった。その3ヶ月前2007年8月、レ・リタ・ミツコはわが家の対岸のサン・クルーのロックフェス「ロック・アン・セーヌ(Rock En Seine)」に出演していて、私と妻と娘の3人はそのライヴをおおいに楽しんだのだが、それがレ・リタ・ミツコの最後のステージになった。その2007年夏、向風三郎は『ポップ・フランセーズの40年』というガイド本を執筆していて、その中でレ・リタ・ミツコは2曲で紹介されている。ポップ・フランセーズと私が呼んでいる音楽の最良のアーチストなのだから当然だ。一つは「マルシア・バイーア」(1985年の項)、もう一つは「セ・コム・サ」(1987年の項)。両方とも向風は力込めて書いている。われながらよくあんな文章書けたものだと驚いている。以下に「セ・コム・サ」の項を再録する:
レ・リタ・ミツコのアルバム『ザ・ノー・コンプレンド(The No Comprendo)』(1986年9月発表)はそのアートの頂点であった。カトリーヌ・ランジェ、フレッド・シシャン、トニー・ヴィスコンティの3人の溢れ出るアイディアが最も突出した形で表現された奇跡のアルバムである。このアルバムの録音の模様はジャン=リュック・ゴダール監督映画『右側に気をつけろ(Soigne Ta Droite)』(1987年)で見ることができる。連続してシングルカットされた「アンディー(Andy)」、「セ・コム・サ」、「レ・ジストワール・ダ(Les Histoires d'A)」はすべてメガヒットになった。まさにレ・リタ・ミツコの恩寵の時期であった。 「セ・コム・サ」のヴィデオクリップはジャン=バチスト・モンディーノ制作で、CGアニメやコマ早回しなどをふんだんに駆使した童心あふれる作品で、おそらくモンディーノの最高傑作のひとつに挙げられるだろう。そして「セ・コム・サ」のサウンドはタイトルが示すように、問答無用、るせえ、文句あっか、の快速ロックンロールである。 歌詞はカトリーヌのふてぶてしい歌唱にも関わらず、やむにやまれぬ欲求のようなものを喚起していて、ひょっとしてこれはドラッグかなとも聞かれるきらいがある。しかし勢いは「出て行く女」のそれで、あんたのことは捨てたくないんだ、あんたと終わりにしたくないんだ、と言いながら、道祖神に吹かれて、セ・コム・サとバッサリ結論する。ほとんど意味はないが文句を言わせない迫力の勝利だ。私のレ・リタのベスト・トラックである。