映画冒頭でハドック船長が受け取ったトルコからの手紙というのは、船長の古くからの船乗り仲間で親友だったパパラニックが亡くなり、その遺言状にパパラニックが所有していた船トワゾン・ドール号をハドックに進呈するとあり、その譲渡手続きのためにイスタンブールへ来いというパパラニックの弁護士からの申し出だった。さっそくハドックは相棒の探検リポーターのタンタンとその愛犬ミルーを連れ立って空路でイスタンブールへ。弁護士の案内で港に停泊しているトワゾン・ドール号を見に行くと、なんともボロい旧時代の小さな貨物船で、ハドックはこんなものをもらっても何の得もないと譲渡受諾に躊躇する。そこへアントン・カラビンと名乗る富豪の商人が現れ、破格に高価な金額でこの船を買いたいとしつこく迫り、買値をどんどん釣り上げていく。むむむ。怪しい。ハドックとタンタンはこの胡散臭い豪商との取引を断るが、そのあとハドックとタンタンの命を狙うさまざまな襲撃を受けることになる。トワゾン・ドール号には秘密が隠されているに違いない。船倉に残された荷物はガラクタばかり。しかしタンタンは故パパラニック船長の書机から一枚の新聞記事スクラップを発見する。数年前、南米の小国テタラグア(架空の国、モデルはニカラグアとされる)でクーデターが起こり、クーデター首謀者たちは8日間だけ国の全権を掌握することができたのだが、勇敢なるテタラグア人民の蜂起でクーデター政権は崩壊、首謀者たちは国外に逃亡する際にテタラグア中央銀行にあった国庫の金塊を持ち出したというのである。5人の首謀者たちの中に、なんとパパラニック船長とアントン・カラビンも。Ça alors ! しかしその金塊はどこかに隠されたまま発見されていない。それを知っていたパパラニック船長は死に、遺品としてトワゾン・ドール号が残った...。
アンドレ・ポップの代表作の一つ、子供たちのためのオーケストラ音楽入門の音楽物語『ピッコロサクソと仲間たち』(1957年)で既に極められていた、あらゆるオーケストラ楽器を知り尽くした達人的職人芸の”器楽つかい”、碩学的な民族音楽の深い造詣、そのアンドレ・ポップに映画音楽を任せたら、こんな音楽になっちゃったのですね。わかりやすくも奥深い。しかし、この秀逸な仕事にも関わらず、タンタン実写映画の次作『タンタンと水色のオレンジ Tintin et les Oranges Bleues』(1966年)ではアンドレ・ポップではなく(ゴダールやトリュフォーの映画音楽で知られる)アントワーヌ・デュアメル(1925 - 2014)が音楽を。なぜかは知らない。
なお、1962年録音&リリースのイザベル・オーブレ歌のヴァージョンは、映画のオリジナルサウンドトラックではないものの、大変ポピュラーであり、同じ年1962年、イザベル・オーブレは「はじめての愛 Un premier amour」(アンドレ・ポップの曲ではない)という歌でユーロヴィジョンで優勝していることもあり、アンドレ・ポップ版よりもこっちの方が映画主題歌と思われているフシがある。歌のタイトルは「タンタンとトワゾン・ドール号 Tintin et la Toison d'Or」となっていて、「神秘」が抜けているが、大したことではない。作詞はピエール・ドラノエ。編曲伴奏はアンドレ・ポップの同業者、ジャン=ミッシェル・ドファイユ。
2008年、オリヴィエは(エレクトロ・シンガーソングライター)セバスティアン・テリエ(1975 - )の曲”L'amour et la violence(愛と暴力)”に衝撃を受け、これは俺の歌だ、俺のことを歌った歌だ、俺に言えなかったことをこの歌は俺に代わって言っている、なぜこんなことが俺でない人間にできるのか、と猛烈に嫉妬した。父と自分の関係はまさに端的にこの二つの言葉である、すなわち愛と暴力。答えは全てこの二つの言葉の中にある。この本を書かせる全ての理由はここにある。
Dis-moi ce que tu penses あんたが思っていることを言ってくれ De ma vie 俺の人生について De mon adolescence 俺の青春時代について Dis-moi ce que tu penses あんたが思っていることを言ってくれ J'aime aussi l'amour et la violence 俺も愛と暴力が好きなんだ
The Dells "Can sing a rainbow / Love is blue" ザ・デルス「ラヴ・イズ・ブルー」
1968年シングル 1968年アルバム "Love is blue"
楽曲「恋はみずいろ L'amou est bleu」(詞ピエール・クール/曲アンドレ・ポップ)の初お目見えは1967年4月8日ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト(於ウィーン/ホーフブルク王宮)であった。同コンテストにルクセンブルク大公国代表として出場したヴィッキー・レアンドロスがフランス語(オリジナル)で歌い、出場17カ国17曲のうち、第4位に終わった。ピエール・クールのフランス語詞は
… Doux, doux, l'amour est doux 甘く、甘く、恋は甘く、 Douce est ma vie, ma vie dans tes bras あなたの腕の中にある私の人生は甘美なもの Doux, doux, l'amour est doux 甘く、甘く、恋は甘く Douce est ma vie, ma vie près de toi あなたのそばにいる私の人生は甘美なもの
… Bleu, bleu l'amour est bleu 青く、青く、恋は青く Berce mon cœur, mon cœur amoureux 私の恋する心を優しく揺らす Bleu, bleu, l'amour est bleu 青く、青く、恋は青く Bleu comme le ciel qui joue dans tes yeux あなたの瞳の中でゆらめく空のように青い
… Comme l'eau 水のように Comme l'eau qui court 流れる水のように Moi, mon cœur 私、私の心は Court après ton amour あなたの愛を追いかける
… Gris, gris, l'amour est gris グレー、グレー、恋はグレー Pleure mon cœur lorsque tu t'en vas あなたが去ってしまうと私の心は泣いてしまう Gris, gris, le ciel est gris グレー、グレー、空は灰色 Tombe la pluie quand tu n'es plus là あなたがいなくなると雨が降ってくる
… Le vent, le vent gémit 風、風が騒ぐ Pleure le vent lorsque tu t'en vas あなたが去ってしまうと風も泣いてしまう Le vent, le vent maudit 風、呪われた風 Pleure mon cœur quand tu n'es plus là あなたがいなくなると私の心は泣いてしまう
… Comme l'eau 水のように Comme l'eau qui court 流れる水のように Moi, mon cœur 私、私の心は Court après ton amour あなたの愛を追いかける
… Bleu, bleu, l'amour est bleu 青く、青く、恋は青く Le ciel est bleu lorsque tu reviens あなたが戻ってくると空は青い Bleu, bleu, l'amour est bleu 青く、青く、恋は青く L'amour est bleu quand tu prends ma main あなたが私の手を取ると恋は青い
… Fou, fou, l'amour est fou 狂おしく、狂おしく、恋は狂おしく Fou comme toi, et fou comme moi あんたかてあほやろ うちかてあほや Bleu, bleu, l'amour est bleu 青く、青く、恋は青く L'amour est bleu quand je suis à toi 恋は青く、私はあなたのもの L'amour est bleu quand je suis à toi 恋は青く、私はあなたのもの
このように、他愛もないラヴソングであり、この青色=ブルーはポジティヴな恋の色として描かれている。この同じ年1967年にヴィッキー・レアンドロスはこの歌を英語でも吹き込んでいる。タイトルは(”Love is blue"ではなく!)"Colours of love"で、英語詞はイギリス人劇作家/作詞家ブライアン・ブラックバーン(Bryan Blackburn 1928 - 2004)が書いている。このブラックバーン詞というのが、オリジナルのピエール・クール詞を全然リスペクトしていないのですよ。
Blue, blue, my world is blue ブルー、ブルー、私の世界はブルー Blue is my world, now, I′m without you あなたがいなくなった今、私の世界はブルー Gray, gray, my life is gray グレー、グレー、私の生活はグレー Cold is my heart since you went away あなたが去ってから私の心は冷たい
Red, red, my eyes are red 赤く、赤く、私の両目は赤い Crying for you alone in my bed 一人のベッドであなたを求めて泣き叫んでいる Green, green, my jealous heart 私の嫉妬深い心は緑色 I doubted you, and now, we're apart あなたを信じられず、私たちは離れ離れに
When we met, how the bright sun shone 私たちが出会った時、なんて明るい太陽が輝いていたことか Then love died, now, the rainbow is gone そして恋は死に、虹は去ってしまった
Black, black, the nights I′ve known ブラック、ブラック、私が一人過ごす夜はブラック Longing for you, so lost and alone あなたが恋しくて、絶望的で孤独 Down, down, the love we knew 私たちが知っていた恋は、転落してしまった
Blue is my world, now, I′m without you あなたを失った今、私の世界はブルー
そして翌年1968年、ポール・モーリア楽団のインストルメンタル曲として発表されたこの曲は全米チャートNo.1という大偉業を成し遂げてしまう。このアメリカ発売時にこの曲は”Love is blue”というタイトルになっている。以来、この曲の英語タイトルは”Love is blue”として定着するのである。で、全米でたいへんポピュラーになってしまった「ラヴ・イズ・ブルー」は、アル・マルティーノ、ジョニー・マティスと続々とカヴァーヴァージョンがリリースされるが、歌詞は(↑の)ブライアン・ブラックバーンの英語詞であり、「ラヴ・イズ・ブルー」は失恋ブルーのスタンダード曲に昇格していく。その1968年のカヴァーで一つ例外的なのが、当時破竹の勢いのヒットレコード会社A&Mからリリースされたフランス出身歌手/女優のクローディーヌ・ロンジェ(1942 - 2026、この原稿を書いている時に逝去しました、合掌🙏)の「ラヴ・イズ・ブルー」で、歌部分はピエール・クールのフランス詞で歌われ、間奏部分で、my life is sad, love is goneと英語で失恋ナレーションが導入される”ハイブリッド”編曲、全米71位の健闘。
さて本稿の主役、米国イリノイ州出身のドゥワップ/R&B5人組ヴォーカルグループ、ザ・デルス、1954年レコードデビュー、1956年「おおわらないと Oh what a nite」でブレイク、続々とヒットを飛ばし、ドゥワップを背負って立つ看板グループに。で、1968年にポール・モーリア「ラヴ・イズ・ブルー」人気にあやかって...。まあ、ちょっと、よそのアーチストたちのカヴァーとはえらく違うヴァージョンになりました。「ラヴ・イズ・ブルー」という色彩をモチーフにした歌に、もうひとつ虹の七色を歌った歌「アイ・キャン・シング・ア・レインボウ」(Red and yellow and pink and green / Orange and purple and blue / I can sing a rainbow/ Sing a rainbow / You can sing one too! ) をマッシュアップ。後者は童謡として広く親しまれていて、1955年の映画『ピート・ケリーのブルース』でペギー・リーによって歌われ、心地良い子守唄に。この二つをメドレー化することで、たくさんの色が登場する歌になってしまったのね。そのマッシュアップ歌詞(緑字 I Can sing a rainbow / 青字 Love is blue )をそのままコピペ。
[Intro] Red and yellow and pink and green Purple and orange and blue
[Chorus] I can sing a rainbow (I can sing a rainbow) I can sing a rainbow, too Woo-woo
[Verse 1] Blue Blue, blue my world is blue Blue is my world now I'm without you Gray Gray, my life is gray Hole in my heart since you Since you went away Ah yeah Oh yeah, yeah
[Chorus] I can sing a rainbow (I can sing a rainbow) Sing a rainbow I can sing a rainbow
[Verse 2] (Red) Red Red my eyes are red Crying for you alone in my bed Green So green my jealous heart I doubted you and now Now we are apart Oh yeah Oh yeah
[Bridge] When we met How the proud sun showed Then love died Now the rainbow is gone
[Verse 3] (Black) Oh black (Oh) The nights I've known Longing for you Lost and alone God Oh God The jealous love for you Blue is my world Now I'm (Hey, hey, I said hey) Now I am without you, baby
[Outro] Blue, blue My world is blue, baby (I love you baby) Now that we're apart (I love you, baby) My world is blue, baby (I want you, baby) Hole in my heart (I need you, baby) My world is blue, baby (My world is so blue) My world is blue, baby (I need you, baby) Hole in my heart (I want you, baby) My world is blue, baby (I love you)
*** ボーナス *** (↓)2026年(第70回)ユーロヴィジョン・ソングコンテスト(於ウィーン)の準決勝(5月12日)のオープニングソングとして「恋はみずいろ」(詞ピエール・クール/曲アンドレ・ポップ)、70人のコーラス隊を従えて、1967年にこのウィーンで歌ったヴィッキー・レアンドロスその人が登場(このYouTube4分14秒めから)。前フレ/イントロがやたら長い動画だけど、ヴィッキーが見えたら涙がほとばしり出た。生きててよかった🙏 L'amour est bleu quand je suis à toi ❤️❤️❤️
このラジオ(と初期テレビ)での数々の作編曲に注目し高く評価したジャック・カネティが、そのレコード会社フィリップスの専属楽団編曲指揮者に、さらに”軽音楽”楽団としてレコードデビューさせたのであった。1955年「アンドレ・ポップとその楽団 André Popp et son grand orchestre」は4曲入り45回転シングル盤”ANDRE POPP JOUE ANDRE POPP"(アンドレ・ポップ プレイズ アンドレ・ポップ)というデビュー盤は、その名に反して4曲のうちアンドレ・ポップ作曲の曲は1曲("Mon Coeur Attend")のみであった。オンド・マルトノがフィーチャーされたセンチメンタルな”ムード音楽”、さすが。
さていよいよ「透明人間 l'homme invisible」である。これは上に書いたように、下積み時代に国営ラジオでラジオドラマを制作していた経験が大きくものを言っている。これはりっぱな短編ラジオドラマである。なおこの曲に作詞者としてクレジットされているのが、ピエール・クール(1916 - 1995)。1960年、ピエール・クール作詞/アンドレ・ポップ作曲のコンビは「トム・ピリビ」(ジャクリーヌ・ボワイエ歌)でユーロヴィジョン・コンテストで優勝し、日本でもかなり親しまれる歌になったが、それよりも何よりも、この「透明人間」の3年後の1967年、「恋はみずいろ L'amour est bleu」という地球規模メガヒット曲を放つのである。では、そのピエール・クールがこの「透明人間」でどんな作詞(?)をしたか?まあ、超短編ラジオドラマの脚本のようなものであるが、たったこれだけなのですよ。
(女)Qui est là ? キエラ? (女)Qui est là ? キエラ? (女)Qui est là ? キエラ? (男)L’homme invisible. 透明人間 (女)Qu’est-ce que vous voulez ? 何が欲しいの? (男)You. Vous. ユー (女)Non, non... ノン、ノン....
とりわけ意中の同級生の少女アンヌ=カリーヌの家は、立派な邸宅(hôtel particulier)で、明らかに金持ちなのだが、少女の父親(ムッシュー・デュシェネ)というのが絵に描いたような封建的家父長制の伝承者にして保守反動思想の持ち主、この1985年頃急激に伸長してきている極右排外主義(ジャン=マリー・ルペンのFN党)に同調するような発言まで出る。娘はこの父親と真逆のアンチ・レイシズム運動 SOS ラシスム(1984年発足)の支持者であり、父親への反発・反抗は日増しに激しくなっていく。出番こそ少ないが、娘と父の間に挟まれて、オロオロ心配する母マダム・デュシュネ(演アデル・ジェイル)がとてもいい味を出している(←エレーヌ・ヴァンサンを想わせるところあり)。 さてヴァンサンとアンヌ=カリーヌで行ったクラスでの研究発表スピーチが大スキャンダル(詳細は省略する)となり、教師に双方の両親が呼び出され厳しく嗜められたことで、ムッシュー・デュシェネはヴァンサンの両親に二度と娘に近づかないように、と交際禁止を厳命する。ヴァンサンとアンヌ=カリーヌの関係は一転してロメオとジュリエットと化してしまうのだが、(映画ですから)、あの手この手で二人は密会し、その恋慕の情を高めていくのでした。 それと並行して、イーヴの職探しの難航、ヴァンサンのわるガキ仲間たちによるポルノヴィデオ騒動、アルノーの海賊盤ビジネスの成功、サンドリーヌのエグゼキュティヴウーマンへの変身計画の苦労など、盛り沢山のエピソードが詰まって映画は進行する。トレダノ&ナカッシュ映画にはお約束となっている、みんなで踊って盛り上がって最高に幸せになれるシーン、今回は変身転職の戦いに疲れ果てたサンドリーヌが、ひとり家の掃除をしながら、その手を休め、ふっと力を抜いて、もうどうにでもなれっ!という勢いで、ポインターシスターズ「アイムソーエキサイテッド」(1982年)で踊り狂い始めるのね、これ、カミーユ・コタンが素晴らしいんだぁ、『アントゥーシャブル(最強のふたり)』(2011年)のオマール・スィのアース・ウィンド&ファイア「ブギーワンダーランド」踊りと比肩する衝撃的な迫力、文字通りエキサイテッドの化身となって乱舞するのだけど、ほんと、お見それしました。そこへまた再就職失敗で気落ちしたイーヴが帰宅してくるのだけど、イーヴが妻の乱舞を見て自然と触発されて、サンドリーヌに合わせてエキサイテッドな乱舞に加わってしまう。ルイ・ガレルも本当にうまい。ここでそれまでギクシャクしていた夫婦が、乱舞の中で和解してしまうのですよ。いやあ、これは幸せになれますよ。 映画のクライマックスは、1985年のハイライトでもあった、6月15日、コンコルド広場に30万人を動員したSOSラシスムの(徹夜の)メガコンサート、双方の親から外出を禁止されていたヴァンサンとアンヌ=カリーヌが(上述のように)NRJで流されたアンドリュー・ゴールド「ジュヌヴィエーヴ」のメッセージに従って、雨の中で再会、そしてコンコルド広場へ、ステージではテレフォヌが"もうひとつ別の世界 Un autre monde"を演奏している、という、たまらなく憎い大団円なのであった。
トレダノ&ナカッシュ監督の9本目の長編映画。ちょっと冴えなかった前作『Une année difficle 苦しい一年』(2023年)から3年後。北アフリカ系ユダヤ移民の子として1980年代に少年時代を生きた両監督の記憶を投影する自伝的傾向を含んだフィクション映画。私にはノスタルジックで泣けるシーンも多かった。過去のミラージュのようだった。このタイトルが端的に喚起しているように、これはただの幻想 just an illusion だったのかな。私には確かだった過去のように思っているのだけれど(私はその過去をずっと引きずっているし)。