2025年1月20日月曜日

Amerika Perdida

Patrick Juvet "I Love America"
パトリック・ジュヴェ「アイ・ラヴ・アメリカ」

(1978年6月リリース)


2025年1月20日、ドナルド・J・トランプが合衆国の第47代大統領に就任した。その2024年の大統領選挙戦でも、昨日今日の就任祝賀イヴェントでも、トランプが自らのテーマソングのように多用されていた歌が、ヴィレッジ・ピープルYMCA」(1978年リリース)であった。言うまでもなく世界で最もポピュラーなゲイ讃歌であり、1970年代ゲイカルチャーのオーバーグラウンドでの台頭を象徴するディスコヒットであった。その歌の意図を無視して「アメリカには二つのジェンダーしかない、それは男と女である」とトランプは就任演説で名言した。ゲイ讃歌で嬉しそうに踊る大統領によって、私たちがこれまで築いてきたレインボー世界は破壊されようとしている。祝賀イヴェントに嬉々として花の舞台に立ったヴィレッジ・ピープルには、可哀想な奴らよ、と憐憫の情まで湧いてくる。
 ヴィレッジ・ピープルを1977年に世に出したのは、フランス人ふたりアンリ・ブロロ(Henri Belolo 1936 - 2019)とジャック・モラリ(Jacques Morali 1947 - 1991)のプロデューサーチームだった。ニューヨークのゲイのメッカ、グリニッジ・ヴィレッジの多様に奇抜なゲイカルチャーにインスパイアされ、ミュージカル歌手のヴィクター・ウィリス(提督、警官、Victor Willis 1951 - )を抜擢、他のメンバーは「ダンスができて、口ひげのある男」という新聞広告募集で集め、道路工夫、カウボーイ、GI、インディアンの扮装をさせた(以下略)。
 スイス人パトリック・ジュヴェ(Patrick Juvet 1950 - 2021)は1971年にフランスのバークレイレコードからデビュー、王子様タイプのアイドル歌手からグラムロック顔メイクさらにシンガーソングライターと変容し、1975年に当時作詞家(クリストフの一連の名曲)だったジャン=ミッシェル・ジャールと邂逅、ジャール/ジュヴェの作詞作曲コンビでちょっと音楽性高めの作品群を。そのコンビの最後の作品がフレンチ・ディスコの金字塔 "Où sont les femmes?"(1977年、LA録音)であり、これを機にLAに移住する。ところが相方のジャールが自らのシンセアルバム(1976年)の地球規模での大ヒットを生んでしまい、ジュヴェどころではなくなってしまい、コンビが解消される。(他の説では、ゲイのジュヴェが75年の出会いからジャールに狂熱的な片思いを抱いていて、それが一方的に拒絶されたのだ、と)。そんなで次の予定が立たなくなってしまったジュヴェはLAからニューヨークに移り、あてもなく当時最もハイプだったブロードウェイのナイトクラブ STUDIO 54にたむろしていたところ、アンリ・ブロロとジャック・モラリに声をかけられる...。
 時は1978年、ディスコ界で既に破竹の勢いのあったブロロ/モラリはジュヴェに英語で歌えばいいやんけ、あとのことはわしらにまかしとけばええがな、と。簡単な英語詞はヴィレッジ・ピープルのヴィクター・ウィリスが書いた。
When I first came to Manhattan
I was not surprised
The stories people had told me
Turned out to be no lies
All the different people
From all over the world they're living
A magic fills the air
There's music everywhere
I love America
I love America
I love America
America

作詞ヴィクター・ウィリス、作曲パトリック・ジュヴェ&ジャック・モラリ、プロデュースがアンリ・ブロロ、フル・ヴァージョンが14分のディスコ曲 "I Love America"は1978年6月にリリースされた。これは「YMCA 」に先立つ。


 これが世界15カ国のディスコチャートのトップにランクされる。仏語ウィキペディアにはジュヴェのこんな談話が紹介されている「そこで俺の頭はどうかしてしまったんだ。でも後悔はしていない。2年間もの高級リムジンとファーストクラスとボディガードつきの生活は重要なことだったんだ。俺は莫大な金を手に入れたが、すべてをダメにした」。アルコールとドラッグ。90年代/00年代に何度かカムバックをトライするのだが、果たせていない。ま、芸能界ですから、ときどきは話題になるのだが。
 ヴィレッジ・ピープルのヴィクター・ウィリスが書いた歌詞の中に「All the different people / From all over the world they're living 」とある。 ”アメリカン・ファースト”とは真逆のアメリカ讃歌である。 ファンキー・ミュージックがいたるところから立ち上がるアメリカ。このマジックがアメリカだったら、夢見てもいいんじゃないか。半世紀以上前のスコット・マッケンジーの「花のサンフランシスコ」(1967年)のアメリカみたいな People in motion。そんなものは2025年1月、トランプの大統領就任演説でトータルに否定されてしまった感。 I loved America。

(↓)パトリック・ジュヴェ「アイ・ラヴ・アメリカ」、14分フルヴァージョン。

2025年1月17日金曜日

生者を眠らせ生者の屋根に雪ふりつむ 死者を眠らせ死者の屋根に雪ふりつむ

"La chambre d'à côté (The room next door)"
『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』


2024年スペイン映画
監督:ペドロ・アルモドバール
主演:ティルダ・スウィントン、ジュリアンヌ・ムーア
2024年ヴェネツィア映画祭金獅子賞
フランス公開:2025年1月8日 

ルモドバール初の英語映画 。2020年代的今日のニューヨークが舞台。今やベストセラー作家となったイングリッド(演ジュリアンヌ・ムーア)の書店サイン会で、駆けつけた知人から(長い間連絡を取り合っていない、90年代からの)旧友のマーサ(演ティルダ・スウィントン)がガン闘病入院中と聞く。戦地リポーターとして世界中の紛争地に赴き記事を書いていたマーサ、イングリッドが病院に見舞いに行くとその姿は重い治療のせいで青白く痩せこけたものになっている。この場面では私が9年前から慣れ親しんでいる化学療法(ケモセラピー)、免疫療法(イミュノセラピー)、最先端開発中新薬の治験プロトコールなどの語彙が出てくる。マーサは医師に言われるままいろいろな治療を受けるのだが、その治療で受けるダメージは大きく、結局期待された結果は得られず、病気は陣地を広げていく。これは(私を含めた)多くの患者が体験することで、治療ダメージの苦しさの方が命を縮めていってると思ってしまうのですよ。マーサは余命宣告されてしまったからには、自分の尊厳を維持しながら自分の流儀で死んでいきたいと考える。いわゆる尊厳死を選択したわけだが、この映画の舞台の合衆国では違法である。マーサはダークウェブ上で致死薬を購入し、自分が今こそその瞬間と思えばこれで命を断てる。これが自分ひとりでできれば一番いいのかもしれない。だが、(はた迷惑な話と思われようが)誰かに最期を見取られたいとう気持ち、これわかってもらえますか? 
 マーサには家族がいないわけではない。成人した大きなひとり娘のミッシェルがいる。しかし関係は冷え切っていて、娘は女手一つで育てた母親と距離をおいたまま和解しようとしない。マーサの病状を知ってもなお、なのである。これは娘の出生にまつわる(その父に関する)秘密と嘘によって険悪化したものであるが、この娘との消えない確執が死にゆくマーサの最大の心残りである。
 死の準備を進めるマーサは、自らの最期に立ち会うことを親しい友人3人に頼むが悉く断られ、最後にやってきたイングリッドに白羽の矢を立てる。イングリッドは断れない。これは言わば”共犯者”となることを受け入れたに等しい。そしてイングリッドはマーサの理想の共犯者となるよう努めるのである。
 「私の快楽の源泉はすべて枯渇してしまった」とマーサは言う。これが病気の”真実”である。その状態を見て、まだ五体が動くではないか、という楽観論を述べ、危機的状態を見ようとしない人々を私は多く知っている。生きる喜びがすべて消え失せた状態、これをおしまいにしたいという欲求は正当化されないものなのか。映画はそれを問い、死に行く者の尊厳に加担する。そしてそこは友がいてくれたら。
 マーサはその行程を演出しようとする。季節は冬。ニューヨークから車で2時間ほどの美しい自然に囲まれた郊外ウッドストックのプール付き別荘を1ヶ月レンタルする。”コージーな”という形容詞が似合う人工的色彩の映える絵画的(エドワード・ホッパーデヴィッド・ホクニー...)環境。マーサはここに隣同士の二つの寝室にイングリッドと滞在するつもりでいた。決まり事はひとつ、マーサは毎晩自分の寝室の(赤い色の)ドアを半開きにして眠る、もしもイングリッドが朝起きた時そのドアが閉まっていたら、マーサはこの世にいないというしるし。ところがマーサの思惑に逆らって、二つの寝室は隣同士ではなく、メザニン(中二階)の階上と階下に位置している。そこでマーサは階上に、イングリッドは階下に部屋をとる。映画題”ザ・ルーム・ネクスト・ドア”は実際にはそうではなかったのに意味深なニュアンス。
 マーサの思惑のつまずきは他にもあり、このプランに絶対不可欠の品である致死薬の入った封筒を、マーサはニューヨークの自宅に置き忘れてしまい、大パニックでニューヨークに引き返してイングリッドと二人で家中をひっくり返して探し回るというシーンがある。また、別荘滞在の日数がだんだん重なってきたある日、イングリッドはマーサの部屋の赤いドアが”ついに”閉まっていたのを見つけてしまい、最大級の悲しみに襲われ、茫然自失の状態で佇んでいると、マーサが何事もなかったように目の前に現れ、「風でドアが閉まってしまったのかもしれない」と。イングリッドは果てしない悲しみから果てしない怒りへと転じ、もうこのゲームをやめにしたいと...。
 思惑どおりに行かないつまずきのすべてが映画のドラマチックなエピソードになる。このつまずきの重なりが二人の女性を否応なしに強烈に引き寄せていく。アルモドバール一流のメロドラマ展開と言えよう。
 上に述べたように死を決したマーサの最大の心残りは娘ミッシェルとの確執であり、その出生にまつわる真実を娘に伝えられない後悔である。映画は若き日のマーサと娘の父親となることを知らずにイラク戦争に兵士として招集され、精神を病んで帰ってきた男フレッド(演アレックス・ホフ・アンダーソン)がいかにして死んだかというエピソードを映し出す。このマーサの回想はマーサの死後イングリッドによって娘ミッシェルに告げられるという映画の最大の救済と恩寵の瞬間が結末にある。
 しかしその前に、このマーサとイングリッドの行為が犯罪となってしまうアメリカの法社会にどう対処するか、ということもマーサはシナリオとして考えておかねばならなかった。リアルな社会は死ぬ自由もそれを幇助する自由も認めない。この映画が負ってしまった社会サスペンスの側面も実に見事に描かれていて、その助け舟的に関わってしまう男ダミアン(悲観的な環境問題ライターで、過去において別々の時期だがマーサともイングリッドとも愛人関係にあった。演ジョン・タートゥーロ、うまい!)の介入も光っている。
 マーサ(戦地リポーター/ジャーナリスト)とイングリッド(作家)という文字の世界におけるインテリ熟女二人である。その会話は知的刺激に富んでいて、その人工的色彩の絵画的空間に溶け込んで、映画を観る者の耳に快い。

 そしてこの冬の映画でおおいにものを言うのが(ニューヨークでもウッドストックでも)窓の外にしんしんと舞い落ちる雪なのである。この何度かある雪のシーンで必ずマーサが(暗誦してしまっている)ジェームス・ジョイスの短編『死者(The Dead)』(1914年、短編集『ダブリン市民』の一篇)の最終行をくちずさむのである。
His soul swooned slowly as he heard the snow falling faintly through the universe and faintly falling, like the descent of their last end, upon all the living and the dead. (端折り訳)雪は世界中にかすかに降り続ける すべての生者と死者の上に かすかに降り続ける
この"upon all the living and the dead"(すべての生者と死者の上に)というのが、この映画のすべてを集約しているように思う。三好達治「雪」(太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。)と同じ。われわれはこの降りゆく雪の下にいて生者も死者も同じ時を過ごしているのである。そして、映画最終部で母マーサの死んだウッドストックの別荘にやってきた娘ミッシェル(ティルダ・スウィントンの見事な二役)の上にも雪は舞い落ちてくる。すべてを覆ってしまう雪の優しさと悲しさに胸打たれて映画館を出るという冬の映画。脱帽。

カストール爺の採点:★
★★★★

(↓)”La Chambre d'à côté"(フランス公開ヴァージョン)の予告編


(↓)『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』(日本公開ヴァージョン)の予告編

2025年1月5日日曜日

爺ブログのレトロスペクティヴ 2024

 


2024年6月11日、フランソワーズ・アルディが亡くなった。

始恒例となった爺ブログのレトロスペクティヴ、2024年に掲載された記事の中からビュー数の多かった順で上位10位の記事を振り返り、1年を回顧します。2024年に発表した記事の数はなんとたったの42本しかなく、近年は50〜60本を越えていたのに、42本というのは2016年(つまり、病気前の現役バリバリで仕事していた頃)の水準まで落ちてしまったというわけです。言い訳をさせていただくと、発表本数は42でも、発表せずに”書きかけ”で管理ページに残っているのが16件もあって、端的に言えば、書けなくなっているのです。根気の問題もあれば、日々喪失している日本語力の問題もあります。そんな中で、私にとって最も重要で最も深く”つきあってきた”アーチストのひとり、フランソワーズ・アルディが80歳で亡くなった時、私はなんとしてでも「ちゃんとしたもの」を書いて追悼しなければ、とかなり苦しんでいた。とりわけ”La Question"(1971年)、”Message Personnel"(1973年)、"Le Danger"(1996年)の3枚のアルバムを繰り返し繰り返し聴き直し、私はこの人の”人生”ではなく「音楽と詞」への最大のオマージュを捧げようとしていた。これだけで”書きかけ”4件。... 果たせなかった ...。このことが象徴しているように、私はしみじみ”衰え”を身にしみて感じている。誰に依頼されているのでもない、自分のための記録ではあるが、つきあってくださる皆さんがいることは励みになっています。ありがたいことです。
  2024年7月8月、パリ・オリンピック&パラリンピックはテレビのみの”参加”だったけれど、ああ、フランスに生きていてよかったなぁ、と思える稀有な瞬間の連続であった。長生きして本当によかった。
 映画は共に”文学”絡みだけれど、クリスティーヌ・アンゴの初監督セルフ・ドキュメンタリー『ある家族 Une Famille』と、ニコラ・マチュー2018年ゴンクール賞作品の映画化『彼らの後の彼らの子供たち』(リュドヴィック&ゾラン・ブーケルマ監督)が、最も強烈に印象に残った2作だった。

 音楽では、(これまた書きかけで止まってしまったのだけど)85歳ブリジット・フォンテーヌの新作アルバム『ピック・アップ』がことのほか嬉しかった1枚。世の人たちすべての傾向だと思うが、音楽をアルバム単位で聴くことが本当に少なくなった。LPは(操作が)面倒臭いと思ってしまう人間のひとりである。聴き続ける気力を維持したいが、それよりも刺激のある新しい音楽が欲しい。10〜12トラック/35分〜45分のスケールで。
 文学は2024年はゴンクール賞ルノードー賞もすごい作品だったので実りある1年だったと思う。とりわけガエル・ファイユ、私はうれしくてたまらん。そしてこれも書きかけ止まりなのだが、自身と家族の暗部と傷と雪解けの可能性ばかりを書き続けてきたエドゥアール・ルイの最新作『崩壊(L'Effondrement)』(38歳でボロボロの死を遂げた異父兄の人生の再検証)は、やはり(時間がかかっても)ちゃんと紹介せねばと思っている2024年最重要作品です。

 では2024年爺ブログのレトロスペクティヴ、1年間多くの人たちに読まれた記事10本です。

(記事タイトルにリンク貼っているので、クリックすると該当記事に飛べます)


1. 『小説ミドリ事件(2024年3月18日掲載)
在東京のフランス人ジャーナリスト西村カリンの初の小説作品。2月にフランスの死刑廃止を成し遂げたロベール・バダンテールが亡くなり国葬→パンテオン入りを果たし、日本で死刑囚袴田巌が58年かかって無罪を勝ち取った、という年(=2024年)のタイミングで発表された、日本の死刑制度の現状をひとつの事件(自分の子3人を殺した福島県双葉町出身のシングルマザー)に立ち会いながら照射する勇気ある小説。ジャーナリストとしてではなく、”作家”として書きたかった著者の強い思いがよく伝わってくる。日本人にこそ読んでもらいたい書であるが、日本での出版予定はあるのだろうか? とにかく当ブログ記事は2024年で最も反響のあったものであり、西村カリンさんへのささやかな援護射撃になったのではないか、と思っているのだが、どうだろうか?

2. 『追悼ポール・オースター:九分九厘の幸福(2024年5月1日掲載)
2024年4月30日、77歳で亡くなったニューヨークの作家ポール・オースターの追悼の意を込めて(2004年と2006年に書いた)二つの過去記事を再録したものの一つ。現代アメリカ文学など全くの門外漢である私であるが、オースターだけは熱心に読んでいた。門外漢の書くオースター紹介であるが、現在まで爺ブログには5本のオースター記事があり、いずれも多くの人に読まれている。20年も前に書かれたものでも、である。オースターの最後の小説『ボームガートナー』(2023年)に関しては、ちょっと遅れて7月31日に(思いを込めて)(”追悼ポール・オースター3”として)長い紹介記事を掲載したのだが、これが夏の時期だったせいか、オリンピックの真っ最中だったせいか、少数の読者にしか読まれていない!オースターの最後に相応しい力作なので、ぜひ読んでみてください。

3. 『追悼ポール・オースター:おめえも来るか(2024年4月30日掲載)
ポール・オースターが亡くなった日に、どうしていいのかわからなくなり、とっさに私のオースター初体験のことを書いた20年前の記事(Web版”おフレンチ・ミュージック・クラブ”に初出)を再録することにした。そう、これも私が”書けなくなった”証拠で、2024年の爺ブログでも「ラティーナ」、「エリス」、「おフレンチ・ミュージック・クラブ」に書いた記事をちょくちょく再録して、お茶を濁すという傾向があった。あまり感心できない傾向ではあるが、この20年前の記事にしても、自分がこんなことが書けたんだ、という大きな驚きがある。私の日本語は今よりずっと確かで豊富であった。まるでモノ書きのようではないか。オースターを初体験した衝撃と長いつきあいの始まり、私はこういう自分であったことを忘れて久しいようだ。だからたまにこうやって過去と再会することが必要なのだ。長いつきあいと言えば、この記事のコメントで、本当に長いつきあいになってしまった吉田実香さんが登場している。また楽しからずや。

4. 『ちびのフランチェーゼと呼ばれた天才彫刻家の愛と死とイタリア(2023年12月30日掲載)
2023年ゴンクール賞小説、ジャン=バティスト・アンドレア著『彼女を見守る Veiller sur elle』の長編600ページをほぼ紹介してしまう長〜いネタバレ記事。記事中で重ねて強調しているが、この作品はゴンクール賞らしからぬ大衆エンタメ小説である。フランスで60万部売れ、世界34ヶ国語で翻訳されているそうだが、日本語版はどうなっているだろうか?映画化が決まり、2026年公開で制作進行中だそう。超一流のエンタメ映画になるのであろう。2024年フランスの大衆映画のチャンピオンは『モンテクリスト伯』(デュマ原作)であった。そして2024年12月に修復完成再開院したノートルダム大聖堂に因んでヴィクトール・ユゴー『ノートルダム・ド・パリ』は再び驚異的ベストセラーになった。われわれはこういう”大絵巻物”系ストーリーに弱いところがあるのだね。エンタメ特有の金銭臭もぷんぷんするのだが。

5. 『余は如何にしてルワンダ人となりし乎(2024年9月20日掲載)
2024年ゴンクール賞選考で最後までカメル・ダウード『天女たち』と競り合い、最終的にルノードー賞を獲得したガエル・ファイユ『ジャカランダ』の超長いネタバレ紹介記事。第1作目の長編小説『プティ・ペイ』(2016年)はルワンダの隣国ブルンジを舞台にした迫り来る内戦と大虐殺を少年の視線で捉える作品だった。『ジャカランダ』はフランスのヴェルサイユでテレビニュースを通してしかルワンダ大虐殺を知らなかったフランス/ルワンダ混血少年が、後年ルワンダ現地でその悲劇を再検証していく、1994年から2020年までルワンダなるものを自分の血と肉としていく青年ミランの魂の軌跡。夫と子供を虐殺で失いそれでも人道活動に奔走する女性ウゼビ、その祖母で115歳で往生したルワンダ立国から現代までのすべての歴史を記憶しているロザリー、そのロザリーの曾孫でロザリーの記憶を書き残そうとする少女ステラ、この3人の女性の素晴らしさが、この小説の重要な説得力であり、小説をアフリカ女性讃歌にも高めている。文句なしの★★★★★。

6. 『Jay le taxi, c'est sa vie(2024年11月18日掲載)
単独親権の国ニッポンにあって、日本人妻によって子(娘)から引き離されてしまったフランス人夫の「娘との再会」悲願達成なるか、という一見(国際)社会派映画。ベルギー人ギヨーム・スネ監督『Une part manquante (また君に会えるまで)』(日本語を話すロマン・デュリス主演)。爺ブログでは取り上げる作品を低く評価したり貶したりということは非常に珍しい。日本が絡んでいるからという理由で神経質になるほど私はウヨクではない。だが、ちょっとひどい映画。2024年は日本関連ではイザベル・ユッペール主演の『Sidonie au Japon(シドニー、日本で)』という映画も紹介しているが、これもどうしようもなくひどい映画で...。これもそれもヴェンダース『パーフェクト・デイズ』症候群なのだと思うのだが、私は『パーフェクト・デイズ』はちゃんとした評価してましたよ。

7. 『やりすぎたらバランスが壊れる(2024年4月14日掲載)
濱口竜介の『悪は存在しない』は、プレス評では賛否両論あった映画だが、私の周囲のフランス人の間では否定論がほとんどで、『ドライブ・マイ・カー』を絶賛した人たちの落胆は大きかったようだ。まあフランスでの観客の入りも今ひとつだったし、新聞雑誌の12月の年間映画回顧でこの映画を持ち出すところは皆無だった。爺ブログは好意的に評価しましたよ。この映画のプロモーションで言われた「エコロジカルな寓話」というキャッチコピーだけれど、その方面を強調するのであれば、ある種のわかりやすさが要求されるのだと思う。カオス、カタストロフが結論部にある”寓話”などありえない。初めからこの映画は寓話などではなかった。観る者の思い込みをくつがえすのも映画の力だと私は思った。濱口が当代で最も突出した映画作家の一人であることには疑いの余地はない、と言ってしまおう。

8. 『1990年、ドロン vs テレラマ(2024年8月21日掲載)

8月18日、アラン・ドロンが死んだ。私にとってこれはほとんどどうでもいいニュースだった。その超巨大なエゴに嫌悪感すら抱いていた。芸能界に迎合的なメディアを除けば、この希代の大俳優は触れることを避けるべき厄介な存在であった。1990年(34年前)硬派の文化批評誌テレラマの(当時若手の)女性ジャーナリスト、ファビエンヌ・パコーは果敢にもこの怪物にインタヴューすることに成功するが、その内容は...。なお、この死の時期に、爺ブログでは2023年5月の掲載以来、驚異的なビュー数を記録しているアリ・ブーローニュ(歌手・マヌカンのニコの息子で、認知されていないが父親はドロンと主張していた)の記事(これも2001年におフレンチ・ミュージック・クラブに書いたものの再録)が再びビュー数を急上昇させ、現在累積9000ビューを超えて、爺ブログ歴代4位になっている。これは日本の読者のドロンへの関心の高さ、ということをこのブログでも証明しているのだね。

9. 『華麗なるアンドレ・ポップの世界・その1(2024年7月12日掲載)
作編曲家/楽団指揮者アンドレ・ポップ(1924 - 2014)の生誕100年没後10年の記念CDボックスを入手したのがきっかけで、ちょっとまとめて紹介しようかなと思って始めた記事。これも”書きかけ”(トム・ピリビ、ポルトガルの洗濯女、恋はみずいろ、マンチェスターとリバプール...)が4本あり、まだまだ書きたいとは思っているのだけれど...。”Song for Anna(天使のセレナード)"はウクレレ奏者ハーブ・オオタ(オオタ・サン)による世界的大ヒットということと、ポール・モーリア楽団等のオケものイージーリスニングのスタンダードということは知られていても、アンドレ・ポップの曲だということはあまり知られていない。そういう目立たなさがアンドレ・ポップの魅力でありましょう。

10.『華麗なるアンドレ・ポップの世界・その2(ジェーンBの命日に)(2024年7月16日掲載)
ジェーン・バーキンが76歳で亡くなった日の一年後に書いた記事。1974年のジェーン・Bのシングル「マイ・シェリー・ジェーン」は、詞ゲンズブール、作編曲アンドレ・ポップという珍しい顔合わせ。記事は”芸能人形”のようであった1970年代のジェーン・Bと、「栄光の30年」の終焉期のフランスについても言及している。日本、英米を含めて1970年代はテレビが色々な文化事象を牛耳ると同時に低俗化したと私は思っているが、レコード音楽業界が限りなく巨大化したのもこの時期で、そういう時代に「大ヒットメイカー」のような目立ち方をすることなく、職人芸でこの世界の土台を固めていたような人物がアンドレ・ポップだったのではないかな。この「華麗なるアンドレ・ポップの世界」のシリーズは2025年に必ず再開させます。刮目して待て。

2024年12月27日金曜日

2024年の1曲

Flavien Berger "Sapon"
フラヴィアン・ベルジェ「サポン」


From album "Contrebande 02. Le Disque de l'Eté"
( 2024年2月9日リリース)

ラヴィアン・ベルジェは1986年パリ生れのエレクトロ・シンガーソングライターであるが、この記事を書いている途中で彼が石鹸づくりの職人でもあることが判明した。その手作り石鹸は実にサイケデリックなまでにカラフルで、彼はその石鹸を「フラヴォン flavon」という商品名でコンサート会場や通信販売で売っているそうだ。なるほど、それで歌詞の3行目に

Je vais faire des savons, vons 僕は石鹸づくりをするよ
と出てくるわけだ。曲のタイトルの「サポン sapon」とは "saponifier = 脂肪を鹸化する"作業のことで、サポンしたものが固まると石鹸になるというわけ。
フラヴィアン・ベルジェのレーベルであるPAN EUROPEAN RECORDINGのFBページに「サポン」の歌の成り立ちをフラヴィアンが語っている動画があり、それによると2023年初夏、その秋に売るための石鹸を作っていた時の体験を歌にしたものだそうだ。夜になって石鹸づくりのアトリエから家に帰るとき、自転車のライトの替え電球を買うのを忘れていたのに気づいた(自転車ライトはフランスでも道交法で義務)。夏の夜の暑さの中で、(見つからないように)全速力で自転車を走らせると、いろんな香りが鼻腔を刺激してきて、それが15年前に友だちを訪ねて旅した日本の記憶を甦らせる...。ヴィデオクリップに出てくるのはその15年前に撮影した日本(主に関西)の映像をツギハギ編集したものだろう。わがFB友の上野卓彦さんはこの風景に詳しくて「枚方駅、楠葉駅などの大阪圏、鴨川、糺の森、嵐電などの京都圏が登場しますね」とコメントしてくれた。
「サポン」は2024年2月に初めて聴いて以来、私が1年中リピートして愛聴した曲である。聴く度に夏の遅い黄昏時の温い風を顔に浴びるセンセーションが、いろんな記憶を呼び起こしてくれる。本当にすごい効果を持ったサウンド&ワーズだと思う。この少年っぽい遊び心は私のような老人には刺激が快すぎて。1年間ありがとう、フラヴィアン、今度石鹸買いに行きます。
Je monte sur mon vélo 自転車に乗って
Dans la ville il fait chaud 街へ出る 外は暑い
Je vais faire des savons, 'vons 僕は石鹸づくりをするよ
Je te laisse un mémo きみにメモを残す
Dans lequel je m'émeus きみの歌を聞いて
Car j'écoute ta chanson, 'son 感動したって
Mise à jour du ciel 今の空はというと
C'est le crépuscule 黄昏時だ
Je suis plus si seul 僕はひとりぼっちっていうわけじゃない
Les fleurs s'allument 花々が光っているよ
J'adopte un ver luisant 僕は蛍を飼ってるんだ
Calé sur ma chemise シャツの上に留めてあるよ
J'ai pas de lumière 僕には光がないんだ
Petite bêtise ちょっとした失敗
J'accélère スピードアップだ
Filant dans le soir 夜の中を駆け抜けていくよ
La ville s'endort en silence 街は静かに眠りについている
J'accélère スピードアップだ
Reniflant l'odeur enivrante 植物のうっとりするような
Des plantes 香りを吸って
Semaine de corsaire 週日は重労働
Le weekend en concert 週末はコンサート
Cet été se passe à fond, fond この夏は全速力で過ぎていく
Là, sous les lampadaires あそこの街灯の下に行って
Les poumons remplis d'air 胸いっぱいに空気を吸うと
L'impression d'être au Japon, 'pon まるで日本にいるみたいだ
J'accélère スピードアップだ
Filant dans le soir 夜の中を駆け抜けていくよ
La ville s'endort en silence 街は静かに眠りについている
J'accélère スピードアップだ
Reniflant l'odeur enivrante 植物のうっとりするような
Des plantes 香りを吸って
Mise à jour du ciel 今の空はというと
C'est le crépuscule 黄昏時だ
Je suis plus si seul 僕はひとりぼっちっていうわけじゃない
Les fleurs s'allument 花々が光っているよ
J'adopte un ver luisant 僕は蛍を飼ってるんだ
Calé sur ma chemise シャツの上に留めてあるよ
J'ai pas de lumière 僕には光がないんだ
Petite bêtise ちょっとした失敗
J'accélère スピードアップだ
J'accélère スピードアップだ
Filant dans le soir 夜の中を駆け抜けていくよ
La ville s'endort en silence 街は静かに眠りについている
J'accélère スピードアップだ
Reniflant l'odeur enivrante 植物のうっとりするような
Des plantes 香りを吸って
J'accélère スピードアップだ
J'accélère スピードアップだ
(↓)フラヴィアン・ベルジェ「サポン」(Official Visualizer)
(↓)フラヴィアン・ベルジェ、アルバム "Contrebande 02. Le Disque de L'Eté"

2024年12月23日月曜日

二十の神の呪い(ばんじゅう怖い)

"Vingt Dieux"
『ヴァン・デュー』


2024年フランス映画
監督:ルイーズ・クールヴォワジエ
主演:クレマン・ファヴォー、マイウェン・バルトルミー、ルナ・ガレ
2024年度ジャン・ヴィゴ賞
フランス公開:2024年12月11日


「20の神」と書いて "Vingt Dieux(ヴァン・デュー)"。八百万(やおよろず)の神がいる日本とは異なり、ここでは神は唯一のものと決まっている。ここでは複数の神がいたら天地の決まりごとが全て狂ってしまうし、ましてや20もの神がいたら、たまったものではない。これは冒瀆(ぼうとく)である。というわけでいにしえの人々の間でVingt Dieux は罵りの表現になった。20の神に呪われちまえ、こんちくしょう、くそったれ...ってなニュアンスだろうか。この表現はフランス全国レベルではほとんど使われなくなってしまったのだが、なぜかスイスと国境を接せる山岳地帯であるジュラ県では、今でも老若男女の口から頻繁に飛び出る町言葉になっている。こういう古いものが残っているとはジュラシックな土地柄ならではか。この映画でこの罵り言葉は私の耳では3回ほど聞き取れたが、いずれも若者の口から出ていて、不慮の失敗や惨事の時にすかさず「ヴァン・デュー!」と。これを自らの最初の長編映画のタイトルにした当年30歳の女流監督ルイーズ・クールヴォワジエはこのジュラ地方で育った土地っ子。そしてこの映画のもうひとつの主役と言えるのが、このジュラ地方の名物チーズ「コンテ Comté 」なのである。言葉と言い、名産チーズと言い、これはまさにテロワール(terroir 地方色、土地柄)の香ばしさに祝福された映画なのである。
 名前はアントニー(演クレマン・ファヴォー、出演者はほぼ全員現地キャスティングで選出したシロートばかり)でも、誰もがトトーヌの愛称で呼ぶ18歳の男が主人公であり、日がなダチふたり(ジャン=イーヴとフランシス、共になんとも味のある役どころ)と暇をつぶす(飲み、遊び、縄張り争いのケンカをし、寝る)農村ならず者だったが、ある日寡夫シングルファザーの父親が泥酔運転自爆事故で死んでしまい、事情が一変してしまう。破産寸前農家だった父親の負債(借金)を被り、農機具などの”家財”を全て没収され、まだ学童の妹クレール(演ルナ・ガレ、快演!)を養育しながら、二人分の食い扶持を稼がなければならなくなった。学のないトトーヌでは、この山の農村で収入を得るには農事関連肉体労働をいくつもこなして働くしかない。その上妹クレールの身支度と食事と登下校送り迎え。さすがにこれでは身が持たない。そんな中で牛乳運搬トレーラーの仕事をしながら出会うのがコンテチーズづくりの世界であった。死んだ父親もこれに手を染めかけたことがある。そしてジュラ地方のコンクールに優勝すれば3万ユーロの賞金が手に入ると知るや、トトーヌはそれに賭けて邁進するとしか考えられなくなる。
 それと前後してトトーヌは若い女性酪農家マリリーズ(演マイウェンヌ・バルトルミー、すばらしい!)と出会っている。小さな個人経営の酪農家で、乳牛飼育から搾乳と原乳貯蔵保管まで全部一人でやっている逞しいカウガールである。演じたマイウェンヌ・バルトルミーは実生活でもこの酪農のAからZまでひとりでしているそうで、その証拠のようにこの映画の後半で乳牛のお産(両手で新生牛の両脚を全力で引っ張り出して分娩させる!)を彼女ひとりでやってのけるシーンあり。そういう野生的でしかもチャーミングなマリリーズは旺盛な性欲の持ち主でもあり、さっそく新米農事労働者トトーヌを誘惑し、ベッドへと誘うのであるが、トトーヌはその気があってもいざという時にモノが言うことを聞かない。バチ悪くあやまるトトーヌに、「あんたができなくったって、わたしはいけるのよ」とマリリーズはトトーヌにクンニリングスを要求する。しかたなくマリリーズの股間に顔を埋めるトトーヌ... 「わぉ、牝牛の臭いがする!」 ー O, la vache ! ー 私はこのシーンでこれは本当にテロワールの香り高い映画だと実感したのですよ。
 父親の倉庫から牛乳発酵窯を引っ張り出し、ダチふたりの協力で用具を揃え、没収されたトラクターを買い戻し、本格的にチーズ作りに動き出すのだが、そのトトーヌとダチふたりの作業を上から眺めている現場監督のような立ち位置で小さな妹のクレールがいる。映画はこの四人(→)によるユートピア創造のストーリーでもある。トトーヌのコンクールに絶対優勝できるという自信の最大の根拠は原料となる原乳である。「コンテをほおばると、フルーティー、花の香り、マイルド、スパイシーなど、時には言葉が見つからないほど限りなく豊かな風味が広がります」(https://www.comte.jp/feel/より)。テンダーで、ほどよい塩味、フルーティーで花の香りを含み、がっしりしている、これがコンテの本質である。このすべての要素を引き出す決め手は原乳である、と。そしてその格別の原乳という専門家による定評があるのが、なんとマリリーズが生産する原乳なのである。トトーヌはコンクール優勝の最短の方法はこれだと踏んで、マリリーズの倉庫の鍵を拝借して原乳タンクから多量の原乳を盗み出す...。
 プレス映画評のほとんどがこの映画の「ウェスタン(西部劇)」性を高く買っている。山野と牧場のあるざっくりした風景、口よりも手の方が早い荒くれ男たちの抗争、草競馬ではないがこの地方の一番の野外エンターテインメントがなんと「デモリション・ダービー」(中古ストックカーによる車両破壊レース)だったりする。このデモリション・ダービーのシーンはこの映画の大きな見せ場のひとつであるが、廃車ルノー5の(マッドマックス風)改造車を操ってこのレースに優勝するのがトトーヌのダチのジャン=イーヴ(演マチス・ベルナール)で、映画の後半で壊れてしまうダチ三人組の友情のよりを戻すきっかけが、少女クレールのジャン=イーヴへの幼い恋心であり、クレールの祈り実ってジャン=イーヴが超凶暴なレースを制するという美しい大団円へ。やわなフランス田舎小僧たちの様相をした男たちが見せる荒くれ野郎たちの世界、う〜ん、マンダム

 冒頭で映画のもうひとつの主役と紹介したコンテ・チーズであるが、映画は奥深いコンテの世界と、その丹精込めたチーズづくりの秘伝にまで迫るドキュメンタリー風なシーンも随所に挿入される。それはトトーヌというわけ知らずの若者がいにしえからのわざをひとつひとつ学び、失敗しながら鍛錬していく求道的修行の軌跡でもある。それにはダチふたりの献身的ヘルプと、妹クレールの大人びた助言や判定がなくてはならないものだった。こうしてユートピアはできあがりつつあったのだが...。
 映画の展開は大惨事を到来させる。映画ですから。何度めかのマリリーズ倉庫からの原乳盗難が現行犯で見つけられてしまう。その場に居合わせた発見者はマリリーズと原乳供給契約のあるチーズ生産者(トトーヌと喧嘩が絶えなかった宿敵)たちで、三人は袋叩きにされ、トトーヌは自分のチーズづくりの夢が御破算になるのを恐れ、反撃しようとするジャン=イーヴを逆に抑えてジャン=イーヴの激昂を買うことになる(三人組の崩壊)。ヴァン・デュー!そして信頼を裏切られた恋人マリリーズはトトーヌの原乳盗みには目をつぶるが、恋心は壊れてしまう...。

 ひとり(と妹)だけになってしまったトトーヌはそれでもコンテ作りをやめない。そしてコンテのコンクールに出品しようとするが、生産者としてAOP(アペラシオン・ドリジーヌ・プロテジェ = 保護原産地呼称)認証を受けていない(だいたいAOPとは何のことかトトーヌは知らなかった)ということで主催者に拒否される。それでもいい。りっぱに出来たトトーヌのコンテ(直径60センチ、厚さ10センチ、重さ35キロ)を背中にしょってバイクにまたがり、マリリーズのところへ届けるトトーヌだった...。そして上に述べた村の「デモリション・ダービー」というイベントで、映画はハッピーエンドのシーンを用意している。

 チーズ、乳牛、干し草、汗と血、土、森... さまざまな匂いが香ってくるフランス深部の映画。牧歌的だけであるわけのない生きた田舎の土地と人々、こんなにこの生の姿を見せてくれた映画はこれまでなかったのではないかな。テロワール映画とでも呼ぶべき新しいジャンルの訛りのある映画の登場を心から歓迎したい。爺さんしあわせになりましたよ。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『ヴァン・デュー』予告編

2024年12月20日金曜日

こっそりと、目立たないように、何くわぬ様子で

Evergreen "En Douce"
エヴァーグリーン「アン・ドゥース」

詞曲:ファビエンヌ・デバール、ジョナタン・ルフェーヴル=レイシュ、ミカエル・リオット

From EP "Sign In"
(2021年10月15日リリース)


エヴァーグリーンは2008年パリで活動を開始した三人組(♀ひとり+♂ふたり)で、デビュー当時は We Were Evergreen と名乗っていた。ジャンル的にはインディー・ポップ、エレクトロ・ポップと言われているようだが、2011年から2017年まで活動の拠点をロンドンに据えていて、ほとんど英語で歌っていた。これまでLP4枚、EP2枚を出しているが、私は全く知りませんでした。で、全く知らなかった音楽に私が偶然出会うのは(ずいぶん前から)たいがいがラジオFIPかYouTubeということになってしまった。昔はアーチストやレーベルからの直接のコンタクトだったり、数種類定期購読していた音楽雑誌だったり、レコードショップでだったのにぃ... 。
この曲と出会ったのは、YouTube上で、スタジオヴァージョンではなく、2023年9月パリで管弦楽アンサンブルと共演したコンサートのライヴ動画だった。私はずっとずっと昔からこういう螺旋階段メランコリー旋律に涙腺が敏感に反応するタチ。美しいフランス語である。”En Douce(アン・ドゥース)"とは、わがスタンダード仏和辞典では「こっそりと、目立たないように、何くわぬ様子で」といった訳語が出ている。この歌詞は実に”シャンソン的”な、3分間短編映画であり、オチ(結末)のある女性心理ドラマである。私はこういう"シャンソン”に琴線が震えてしかたがない。ファビエンヌ・デバールの繊細なヴォーカル表現も、ストリングス+トランペットの哀愁アンサンブルも。

Mes mains sont trop carrées
私の手は角ばっている
Même quand je les ouvre
指を開いても角ばっている
Elles ne savent que serrer
だからいつも親指を包んで
Autour de mes pouces
固く握っている
L'enjeu est de taille
問題は大きさなの
A qui donc adresses-tu
誰にこんな些細なことが
Tous ces détails
打ち明けられるの?
Tes soirées d'ivresse
あなたの酔い加減が過ぎる夜宴
Je me sens des failles et
私は自分の弱さを感じて
Je le sens, oui ça y est
私は弱い、もうだめ
Viens me voir en douce
こっそりと私のところへ来て

Fais-moi cette faveur
私のお願いを聞いて
De rentrer ensemble
一緒に帰りましょう
Pour contenir l'ardeur
私の震える両手のほてりを
De ces mains qui tremblent
おさえるために
Mes mains trop petites
私の小さすぎる両手
Pour te laisser prendre
あなたに捕まえてほしい
Mes mains qui s'agitent
私の震える両手は
De ne faire qu'attendre
あなたが探しに来てくれて
Que tu viennes les chercher
私の両手に顔をうずめるのを
Que tu viennes t'y cacher
待っているだけなの
Viens me voir en douce
こっそりと私のところへ来て

J'ai pris mes affaires
もう身の回りの物を持って
Je t'attends dans l'entrée
出口で私はあなたを待っている
Mais tu exagères
でもあなたはわざと
A te faire désirer
私を焦らすの
Tu sais bien t'y prendre
自分の意図を隠すやり方を
Pour me cacher ton jeu
あなたはよく知っている
Je veux bien attendre
私は待っていたい
Attendre encore un peu
もう少しだけ待って
Que je me fatigue
疲れた頃にあなたが
Où tu décides
こっそり私の元にやってくるって
A me voir en douce
決めてくれるまで待っているわ

Mes mains sont trop carrées
私の手は角ばっている
Même quand je les ouvre
指を開いても角ばっている
Elles ne savent que serrer
だからいつも親指を包んで
Autour de mes pouces
固く握っている
La soirée se vide
夜宴は散会
Et lentement laisse
窓越しに帰りを急ぐ人たちの
Glisser sur la vitre
物音が聞こえてくる
Des bruits qui se pressent et
そして

Je te vois descendre
あなたが降りてくるのが見える
Lentement descendre
ゆっくりと降りてきて 何くわぬ様子で
La rejoindre en douce
彼女と合流するのが

Je te vois descendre
あなたが降りてくるのが見える
Lentement descendre
ゆっくりと降りてきて 何くわぬ様子で
La rejoindre en douce
彼女と合流するのが




あとで初めて聞いた2021年録音のスタジオヴァージョン(↓)もデリケートなエレポップで、これはこれで★★★★☆だと思いますよ。


2024年12月8日日曜日

明日なき暴走 (Born to run)

"Leurs Enfants Après Eux"
『彼らの後の彼らの子供たち』

2024年フランス映画
監督:リュドヴィック&ゾラン・ブーケルマ
主演:ポール・キルシェール、アンジェリナ・ヴォレット、サイド・エル・アラミ、ジル・ルルーシュ、リュディヴィーヌ・サニエ
原作:ニコラ・マチュー『彼らの後の彼らの子供たち』(2018年ゴンクール賞)
フランス公開:2024年12月4日


画の最後から紹介する。ひとりオートバイでロレーヌ地方の田舎道を疾走するアントニー(演ポール・キルシェール、日本で『動物界』公開中)が消え、エンドロールが始まると同時に流れる音楽はブルース・スプリングスティーン「明日なき暴走(Born to run)」(1975年)である。ニコラ・マチューの原作小説を読んだ者なら、ここは絶対ニルヴァーナ「スメルズ・ライク・ティーンスピリット」(1991年)が来るはずだと構えていたと思う。私もそのひとりだった。ところが、あにはからんやザ・ボスが来たのだ。そしてこれが極上だった。鳴った瞬間涙が迸り出た。明日なき暴走、1975年、日本のCBSソニー洋楽A&Rはよくぞこんな卓抜な日本語題をつけてくれたもんだ。このエンディングの風景はどんぴしゃに明日なき暴走なのである。明日なき暴走とはこの映画を観た者には深く核心的な日本語表現となる。そして、ザ・ボスのシャウトも。
 1990年代、東フランスの破産工業地帯ロレーヌ地方の小さな町に生きる3人のティーンが織りなす1992年/1994年/1996年/1998年、四つの夏の物語。長年の失業でアル中と化した父パトリック(演ジル・ルルーシュ)、パトリックと口論が絶えず離婚も時間の問題と諦めている母エレーヌ(演リュディヴィーヌ・サニェ)、この二人の間の一人息子がアントニーであり、父母に依存して生活しているが無軌道でやや荒れた青春を生きている。1992年夏、14歳のアントニーが一目惚れしてしまうのが、町の有力者(町長)の娘ステフ(演アンジェリナ・ヴォレット)で、この退屈極まりない地方から抜け出すためにパリ進学目指して勉強していて、ブルジョワ娘の決められた行く末に反抗もしている。この映画では原作よりもこの少女の性的好奇心が強調されているような気がするが、それはそれでいい。もうひとり、今は閉鎖したこの町の鉄鋼工場に移民労働者としてやってきたモロッコ人の息子アシーヌ(演サイド・エル・アラミ)は、町から疎ましく見られているマグレブ移民二世たちの不良グループのリーダー格で、失業者の父マレクと二人暮らし。マレクから就職先を見つけることを厳命されているが、モロッコ移民の子に職は回ってこない。

 止まってしまった溶鉱炉、廃屋となって放置された鉄鋼工場や倉庫などが重苦しい背景となっている町の風景が、この映画のもうひとつの主役であり、この30年前の風景が浦山桐郎『キューポラのある街』(1962年)だったと想像してみるのも一興だが、これは若者たちだけでなく町の人たちの多くを押しつぶし、窒息させるような背景である。そんなところにも毎年夏はやってきて、ヴァカンスなど縁のない人々も陽光の季節を享受している。そしてこの町には美しい湖がある。その一角にはブルジョワ娘たちがたむろするプライベートビーチがあるらしいという噂を嗅ぎつけたアントニーとその相棒のいとこ(映画でも名前は出てこず「いとこ= le cousin」としか呼ばれない:演ルイ・メンミ)は、貸ボート屋の倉庫からカヌーを盗み出し...。というのが映画の冒頭。貸ボート屋に盗みの現場を発見され、必死でカヌーを湖面に漕ぎ出し、全速力で沖を目指し、追っ手を振り払ってたどり着いた岸辺にいた水着姿の少女二人。そのひとりが豊艶なオーラを放つステフだった。アントニーはこの瞬間から運命的なものを感じ取ってしまうのだが...。別れ際、今夜プール付きの大邸宅でパーティーがあるから来て、と誘うステフ。14歳アントニーはカッコつけたくて、父親パトリックが(若き日の輝かしい過去の記念として)宝物にしているレース仕様のオートバイを、一晩だけだからとパトリックに内緒で母親からキーを借り受け、颯爽とブルジョワ子女たちが狂乱して酔いしれているパーティーへ、と。夜も更けた頃、文字通りフランス語の "Trouble-Fête"で、招待されていないマグレブ二世不良グループが登場、入場阻止を無視して中に入りステフらに悪態をついているところを、リーダーのアシーヌにアントニーが強烈な足払い。凄まじい眼光での睨み合い。ここからアントニーとアシーヌの長く運命的な(おそらく一生続く)抗争が始まるのである。マグレブ不良団は一旦退散し、パーティーは夜明けまで続き、散会となって帰宅しようとすると... 父親の宝物オートバイが忽然と無くなっている...。

 映画の大筋は、原作小説にほぼ忠実なので、ストーリー展開に関しては私の原作小説紹介記事を参照してください。しかし映画は原作の鏡ではなく、双子監督リュドヴィック&ゾラン・ブーケルマは意図的に原作の”部分”を膨らませているところがある。不安定で無軌道な若者アントニーの右左にぶつかりながらの突っ走りがシナリオの軸であるが、ステフとアシーヌとの絡み合いと同じほどに父パトリック(写真)の存在をこの映画はクローズアップしている。おそらくこれはパトリック役を今や俳優としてだけでなく監督/プロデューサー(特に2024年映画"L'Amour Ouf")としても今日のフランス映画界の重鎮となってしまったジル・ルルーシュに託したことに起因するのだろうが、この名優の存在感を存分に活かして山場を作ってもらおうとしたのだろう。上述のようにパトリックとは製鉄所閉鎖によって職を失い、定職を得られないままその日暮らしの失業者を長年続けていて、アル中になり粗暴になり、妻子に対して強権的・暴力的になり、妻エレーヌは離婚のことばかり考えるようになった。宝物のオートバイを盗難されたことを知った時アントニーとエレーヌはパトリックに殺されるだろうというレベルで真剣に恐れていた。激すると手のつけようもないほど極度に暴力的になるパトリックであったが、この映画ではなんとか家族のよりを戻したい、エレーヌと復縁したいと願って不器用な努力を繰り返すデリケートさを名優に演じさせている。これが感動的に見えるのはさすがジル・ルルーシュと思わせる。アルコールを断ち、貯金箱に金を貯めエレーヌに捧げようとしたりするが、努力は実らない。最愛のオートバイと最愛の家族を失い、行き場を失ったパトリックは、1996年7月14日、フランス革命記念日のお祭り騒ぎ(花火、野外ダンスパーティー...)のさなか、泥酔した足で湖に進み入り自ら命を絶つ。その現場をひとり目撃していたのが、オートバイ争奪の大乱闘でパトリックに半殺しになるまで殴打されたアシーヌだった。これがこの映画の山場のひとつ。
 それから原作小説が全4章の副題をその年を象徴する”若者”音楽のタイトルにしていた(第一章1992年ニルヴァーナ「スメルズ・ライク・ティーンスピリット」、第二章1994年ガンズ&ローゼス「ユー・クッド・ビー・マイン」、第三章1996年シュープレームNTM「ラ・フィエーブル」、第四章1998年グロリア・ゲイナー「アイ・ウィル・サーヴァイヴ」)ほど音楽に重要な意味を持たせていたが、映画はふんだんに音楽を挿入(23曲の挿入歌)して同じように重要なファクターとしているものの、原作小説の挿入曲をあまり踏襲していない。
(↓フランスの映画音楽専門サイト Cinezik.org に載っていた挿入曲リスト)

"Run to the Hills" - Iron Maiden (1982)
"Pretend We're Dead" - L7 (1992)
"Mr Loverman" - Shabba Ranks (1992)
"Non soumis à l'État" - IAM (1991)
"Where Did You Sleep Last Night" (Leadbelly / Nirvana) - covered by Amaury Chabauty et Les Petits Chanteurs à la Croix de Bois
"My Lovin' (You're Never Gonna Get It)" - En Vogue (1992)
"Under the Bridge" - Red Hot Chili Peppers (1991)
"Je te donne" - Jean-Jacques Goldman & Michael Jones (1985)
"Bust a Move" - Young MC (1989)
"Feed My Frankenstein" - Alice Cooper (1991)
"Genius of Love" - Tom Tom Club (1981)
"Where Is My Mind" (Charles Thompson / Pixies) - covered Amaury Chabauty et Les Petits Chanteurs à la Croix de Bois
"I Don't Want a Lover" - Texas (1989)
"Rivers of Babylon" - Boney M (1978)
"Samedi soir sur la terre" - Francis Cabrel (1994)
"Nothing Else Matters" - Metallica (1991)
"Que je t'aime" - Johnny Hallyday (2019)
"Savoir aimer" - Florent Pagny (1997)
"La Fièvre" - Suprême NTM (1995)
"You Can't Hurry Love" - The Supremes (1966)
"I Will Survive" (Dino Fekaris, Frederick J. Perren / Gloria Gaynor) - covered par Amaury Chabauty
"Born to Run" - Bruce Springsteen (1975) - Ending roll

フランス東部の田舎FM、田舎カフェ、田舎ディスコなどで当時の若者たち及び町民たちが聞いていた音楽、と想像してみよう。特に印象的なのはステフとアントニーがプールの水の中にいて、かのギターイントロが鳴りだすと「これわたしの大好きな曲」「俺も」と二人水の中に口を沈めて口パクで歌い出すレッチリ「アンダー・ザ・ブリッジ」。それから1996年のフランス革命記念日の町の野外ダンスパーティーで、田舎DJが「お待ちかねのチークダンスタイムだよ」とMCを入れて始まる曲がフランシス・カブレルの「地球の上の土曜日の夜(Samedi soir sur la terre)」(1994年アルバム"Somedi Soir Sur La Terre"はわが最愛のポップ・フランセーズアルバムの10枚に入ると思う)、この曲に揺られながらアントニーとステフはまるで恋人同士のように体を密着させて踊るのですよ。長いシークエンス。美しい。この姿を影から見ていたパトリックが、息子も一人前に恋をするようになったか、とひときわの孤独感に突き動かされたか、ひとり泥酔の足で湖で入水自殺を...。
 

 最終章1998年はフランスがW杯優勝で沸き立ち、社会的に打ちひしがれたこの町もひとときすべてを忘れて勝利に酔いしれ、蜃気楼のユートピアが見えそうな気がしたが、ステフは一途な恋慕を貫いているアントニーを捨てカナダに旅立つと言い、アシーヌは因果応報のように買ったばかりのオートバイをアントニーに奪われ、アントニーは恋を失う。W杯優勝の大騒ぎに紛れて、三人それぞれの青春はこうして終わりを告げられるのである。

 映画の核はアントニーを演じたポール・キルシェールである。少年のマスクはときおりローリング・ストーンズデビュー時のミック・ジャガーを想わせる。退屈を打ち破りたい衝動はこの少年を走らせ、暴走させる。向こうっ気の強い喧嘩腰も報われない一途な恋慕も似合っていない少年のあがきのように見える。これがティーンスピリットさ、とも見える。大変な大器ではあるまいか。
 430ページの大河小説を2時間20分に凝縮したこの青春残酷映画、やや苦言を言えば、原作小説を読んでいないと追いきれない部分がかなりある。それを克服する「勢い」はあると言えるかな?

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『彼らの後の彼らの子供たち』予告編



(↓)ザ・ボス「明日なき暴走」(1979年ライヴ)