2024年5月27日月曜日

やんになる

"Marcello Mio"
『マルチェロ・ミーオ』


2024年フランス+イタリア映画
監督:クリストフ・オノレ
主演:キアラ・マストロヤンニ、ファブリス・ルキーニ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ニコル・ガルシア、バンジャマン・ビオレー、メルヴィル・プーポー
フランス公開:2024年5月21日


とわるまでもなくフィクション映画である。主演陣の中ではヒュー・スキナー(コリンという名のNATO軍のフランス駐屯英国兵の役)を唯一の例外として、あとは全員”実名”役で出演している。カトリーヌ・ドヌーヴ(大女優にしてキアラの母)、ファブリス・ルキーニ(超雄弁男優)、ニコル・ガルシア(女優/映画監督)、バンジャマン・ビオレー(歌手/男優にしてキアラの元夫)、メルヴィル・プーポー(男優にしてキアラの元々カレ)。そういう設定のフィクション映画なので、観る者はひょっとしてこれはこの人たちに実生活に近いのではないか、という眼で見てしまうキライがあろう。
 キアラ・マストロヤンニはイタリアの大男優マルチェロ・マストロヤンニ(1924 - 1996)とフランスの大女優カトリーヌ・ドヌーヴの間にできた娘であり、1972年生れだからもう50歳を過ぎている。その宿命のようにいくら歳を重ねてもこの女は「〜と〜の娘」としてしか見られない。女優としての評価はどうなのか、というと、両親の御威光が強すぎて....。いつまで私は「〜と〜の娘」なのか、という実存コンプレックスがこの映画の発端である。
 脚本と監督はクリストフ・オノレ。1970年生れだからキアラと同世代。出世作『愛のうた、パリ(Les Chansons d'Amour)』(2007年)以来、オノレ+キアラの共同作業は多く、気心の知れた仲であり、最近ではオノレの自伝的戯曲『ナントの空(Le Ciel de Nantes)』(2021年)の舞台でキアラが主演している。そのオノレの自伝的演劇と対をなすかのように、このキアラの自伝的フィクション映画ができている。
 映画冒頭はトレヴィの泉ではないが、パリ、サン・シュルピス教会前の大泉水、ここでフェリーニ『ラ・ドルチェ・ヴィータ(邦題:甘い生活)』(1960年)のアニタ・エクバーグのような黒いドレスを着たキアラが泉水の中に入り、水と戯れるというシーンを設定したフォト・シューティング。フォトグラファー(女性)が激しい口調でキアラにさまざまなポーズを要求し、しまいには降りかかる噴水の中でキアラに「マルチェ〜ロ!」と言え、と強要する。「マルチェ〜ロ!」「マルチェ〜ロ!」「マルチェ〜ロ!」... ここでキアラはこんな生活、いやっ!という顔をして撮影現場から去る。
 おもむろに私事であるが、私には30数年前に73歳で亡くなった父がいて、私の奥さんも娘も生前に会ったことがなく、実家の仏壇に飾ってある遺影写真でしか知らないのに、私とそっくりだと言うのである。私はそれを言われるのが実に嫌であったのだが、床屋で髪を短くしてもらって最後にメガネをかけて鏡で確認するときに、目の前にはモロに父親の顔が現れる。それが自分が歳とってだんだん父親の死んだ歳に近づいてきて、その極似はいよいよ...。このフィクション映画のキアラ・マストロヤンニはそれと同じことを体験している。若い頃はドヌーヴ似の側面もあったのに、歳とるにつれてドヌーヴ要素が薄くなり、いよいよマストロヤンニ似が際立ってくる。朝起きて鏡を見るとそこに見えるのはマルチェロであり、多くの映画で見たことのあるあの顔なのである。
 次に映画監督ニコル・ガルシアによる次の映画のキャスティングの場面がある。このフィクション映画でのキアラ・マストロヤンニは女優として”確立”していなくて、映画の仕事を得るために数々のキャスティングに応募しなければならない。その不出来な女優である娘を母親/大女優のカトリーヌ・ドヌーヴは心配していて、”先輩/業界通”として、ニコル・ガルシアは気難しいから気をつけないと、などと忠告したりもする(ちょっと笑ってしまう)。
 そのキャスティングはニコル・ガルシアのアパルトマンと思しきところで行われていて、横柄なさまでベッドに横臥しているガルシア監督の前で主演予定のファブリス・ルキーニとキャスティング候補(この場合キアラ・マストロヤンニ)が台本に沿ったダイアローグ演技をして見せる、というもの。ひとしきりセリフのやりとりが終わって、ルキーニは相手役としてキアラが申し分ないと言うのだが、ガルシアはどうも気に入らない。当然この女優の両親が大俳優であることは承知の上で、ガルシアはキアラに「この役ではね、私はあなたにドヌーヴ的なところを抑えてもっとマストロヤンニ的であってほしいのよ」と言ってしまう。これがこの映画の発火点となってしまうのである。

 自分のコンプレックスの元であるマストロヤンニの重圧を消すには自分がマストロヤンニになってしまえばいい。マルチェロ・マストロヤンニを自分の肉体に復活させるのだ。コンサート準備中(そのコンサートでキアラもゲストで1曲歌うことになっている)の元夫バンジャマン・ビオレー宅で、トイレに行くわ(キアラの小用排泄シーンあり)と隠れたついでにビオレーの(当たり前だが)男ものテイラード・スーツを盗み出し、そこからキアラの”マルチェロ化”が始まる。あの『甘い生活』当時の世界(のご婦人がた)を魅了した”イタリアン・ラヴァー”マルチェロである。同じスーツ、同じ帽子、同じメガネ、同じ髪型(かつら)、同じメイク... 出来上がりは驚くばかりである。
 ここで強調されるのが、身長170センチでスレンダーのキアラが醸し出すアンドロギュノス性である。”男装の麗人”ではない。女性性は消えず、男性性も際立っていない。それを物語るエピソードが、深夜のパリを彷徨する男装のキアラが出会う、セーヌ川の橋から飛び降り自殺寸前の若い英国人兵士コリン(演ヒュー・スキナー)とのやりとりである。ハートブロークンなコリンをなだめ、二人は夜更のパリをそぞろ歩きはじめ(このシーン会話は全部英語)、”いい感じ”になるのだが、どうもこの英国の若者はヘテロではないようだとキアラは気づいている。マルチェロ化して中性化したキアラにはマッチしそうな中性っぽい男。コリンの兵舎に着いて別れ際にキアラは再会の約束をとりつけたいのだが...。
 マルチェロ化したキアラへの周囲の反応はさまざまである。母カトリーヌ・ドヌーヴは衝撃を受ける。その変身の見事さにしばしかつての亡き伴侶を幻視してしまうほど。それは映画の終部で、無意識にキアラ/マルチェロの唇に接吻してしまうというアクシデントを生んでしまうほど。バンジャマン・ビオレーのコンサート(於パリ・ラ・シガール)にサープライズゲストとして登場する予定だったキアラは、当夜出番直前にマルチェロ扮装で楽屋入りし、ビオレーはそれを面白がり、急遽レパートリーを変え、1985年カンツォーネ大ヒット曲"Una Storia Importante"(エロス・ラマッツォッティ!)をキアラに歌わせるのである。Italians do it better。このライヴシーン良い。これをラ・シガールの客席で見ていたキアラの1990年当時の恋人メルヴィル・プーポーは、そのマルチェロ姿に烈火のごとく怒り、コンサート後に楽屋に怒鳴り込んでくる。この映画では詳説されていないが、仏ウィキペディアなどの記述によれば、メルヴィル17歳とキアラ18歳、それぞれ(共通はしないが)複雑な親との関係があるなかでアクター/アクトレスという芸道で生きていこうと誓い合った仲らしい。ここがメルヴィルの怒りの源のようで、(親の七光)マルチェロ芸でウケようとすることは自らの女優道を捨てることだ、という論なのである。掴みかからんばかりに猛烈に怒っている。
 それとは真逆に、このキアラ/マルチェロの登場を大きな感動と共に大歓迎するのがファブリス・ルキーニであり、若き日の憧れだったマルチェロ・マストロヤンニの化身に身も心も魅了され、ニコル・ガルシア監督に絶対にこのキアラ/マルチェロと共演させてくれ、台本を全部変えてくれ、とまで嘆願するのである。そしてこのキアラ/マルチェロを俳優として成功させるためにあらゆる援助を約束する。こうしてルキーニはこの映画の最重要な守護天使/道化師の役回りをするのだが、こういうのやらせたら本当にうまいのだ、この人。
 周囲の賛否を気にせず、”マルチェロの道”をひた進むキアラ、この世界では避けられないことだが、その姿は芸能ゴシップ誌の表紙になってしまう。これをかぎつけた(マストロヤンニの故国)イタリアのテレビ局が生放送でインタヴューしたいのでローマまで来てくれ、と。母ドヌーヴが「イタリアの芸能メディアは本当にひどいから気をつけて」とあちらの事情をよく知る同業先輩として忠告するのであるが、本人は”マルチェロ”となった自分をマルチェロの国でアピールできる願ってもないチャンスと意気揚々とローマへ。(パスポート写真と違うのが咎められないかしら、などと、シェンゲン協定圏には国境がないことも知らないウブなキアラであった)ー ところがイタリアのテレビ局が準備していたのは、大女優ステファニア・サンドレーリ(1961年『イタリア式離婚』でマルチェロ・マルトロヤンニと共に主演している)をメインゲストにしたサンドリーニ回顧トーク番組で、その仲の余興のように何人かのマストロヤンニのそっくりさん(そのうちの一人がキアラ)を登場させ、サンドリーニに誰が一番似てるかを指名させるという....。キアラは単なる余興の端役...。幻滅したキアラはテレビスタジオから逃走し、夜、あのトレヴィの泉で、マルチェロ扮装のまま泉水に身を浸していたところを警察に捕まって....。映画はイタリア式ドタバタ喜劇になってしまう。これはマストロヤンニ風と言えるんだろうな(イタリア喜劇映画に疎い私には確証がない)。

 キアラのマルチェロ幻想の終焉、それが映画の大団円である。イタリアのテレビがキアラにギャラの一部として用意した海辺のホテル、ここが映画の終着点である。キアラの幻滅と傷心を見透かしていたファビリス・ルキーニがキアラの前に現れる。私だけじゃないよ、パリの仲間をみんな連れてきたよ、と。カトリーヌ・ドヌーヴ、ニコル・ガルシア、バンジャマン・ビオレー、メルヴィル・プーポー、英国人兵士コリン。これらがキアラのブロークンハートを慰め、砂浜でビーチ・バレーボールに興じるという温かくもシュールなシーンがある。また上に書いたように、無意識にマルチェロ/キアラの唇に接吻するというアクシデントを冒してしまったカトリーヌ・ドヌーヴがひとり、"Di Marcello, perché ridi(ねえマルチェロ、どうして笑うの?)”(クリストフ・オノレと長年のコンビの作曲家アレックス・ボーパン作のこの映画用のオリジナル曲)と歌う美しいシーンあり。これだけでサントラ盤が欲しくなる。
 そしてキアラはマルチェロ扮装をすべて脱ぎ捨てて、ほぼ全裸に海に入り、遠くへ遠くへと泳いでいく、というエンディング。
 
 おおいなる映画全盛時代へのオマージュ、マストロヤンニとイタリア映画へのオマージュ、まるで20代の娘のような50女の実存の危機コンプレックス、映画は仲間たちでこの危機を救済するのであるが...。実名登場人物たちの”内輪の事情”に通じていなければ、そんなに楽しめる映画ではないと思う。私は楽しんだけれど、楽しめない人たちの多さは想像できる。キアラ・マストロヤンニは一生両親の偉大さの影に小さくなっていなければならないサダメ。自虐パロディーでもいい、もっと若い時期にジタバタしてもよかったのに。まあ、フィクションであるから、極端に誇張されている部分はたくさんあるのだけど、キアラはかなり楽しんでこの役を演じていたのだと思う。いい映画をもらってよかったね。

カストール爺の採点:★★☆☆☆

(↓)『マルチェロ・ミーオ』予告編

2024年5月17日金曜日

俺が主役だ

"Le Deuxième Acte"
『第二幕』


2024年フランス映画
監督:カンタン・デュピュー
主演:レア・セイドゥー、ヴァンサン・ランドン、ルイ・ガレル、ラファエル・クナール、マニュエル・ギヨー
【2024年カンヌ映画祭オープニング上映作品】
フランス公開:2024年5月14日


多産映画作家(2024年公開分だけで3本)で、奇想天外映画の巨匠と世界的に評価の高いカンタン・デュピューが撮った新作で、今年のカンヌ映画祭オープニング上映作品となった(いちおう)話題作。限りなく湧き上がるアイディアを映像化せずにはいられない欲求があるのだろう、多作ペースを持続するにはそれなりに各作品が興行ヒットしてもらわないと困る、そのためにデュピューは有名俳優たちを出演させる。有名俳優たちがデュピューの奇想天外シナリオを演じるということだけで、ある程度興行成功が見込めるというわけだが、その有名俳優たちはデュピューについていけるだけの超絶の”器用さ”が求められる。前作の『ダアアアアアアリ!』で6人の男優(そのうち4人が有名男優)がサルバドール・ダリという超有名人物を時にはそれぞれの持ち味を出し時にはそれを殺して(誰がそれを演じているのかわからなくなるような)”器用さ”で成り立つような、きびしい芸を求められているように見える。
 今回もデュピューは有名俳優でしかも芸達者の4人(ヴァンサン・ランドン、ルイ・ガレル、レア・セイドゥー、ラファエル・クナール)をメインに据えた。このメンツならば多少奇想天外でも観客はついてくるだろうという思惑か。映画はこの4人が”まわして”いくことになるのだが、最初この4人が何者で何をしているのか把握するのは難しい。車を乗り捨て、野原の中に一本通った長〜〜〜い土道を早足で歩いていく。まずルイ・ガレルとラファエル・クナールの二人。それぞれに役名がついていて、ガレルはダヴィッド、クナールはウィリー。長い道のりを歩きながらの二人の会話で、この二人は映画の撮影に行く(あるいは撮影はその道で始まっている、”カメラの前でそんなこと言うなよ”と言うくだりがあり、二人は既に撮影されているのを知っている)のでそのおさらいで役作りをお互いに確認しあっているような、あるいはその役に入ってしまっているような....。それを水平移動カメラが前面からずっと撮り続けている、つまり映画の画面に映り続けている。どこまで映画制作か、どこまで役者演技か、それを曖昧にさせたまま映画は突き進むのだが、この作られようとしている映画、役者が演じようとしているシナリオがだんだん見えてくる。それはダヴィッド(ガレル)にしつこく結婚をせまってくる女がいて、俺には全然タイプではないから、ダチのウィリー(クナール)に振りたいという話なのである。
 一方その女フローランスを演じることになっている女優(レア・セイドゥー)と、フローランスの父親ギヨームを演じることになっている男優(ヴァンサン・ランドン)も同じように車を捨てて、野原の中に一本通った長〜〜い土道を歩きながら、これから会うことになるフィアンセ候補のダヴィッドに関するなにか映画的な打ち合わせのような会話を展開する。同じように長〜い前面からの水平移動撮影。撮影カメラをドリーという台車に乗せてレールの上を走らせながら撮影することを英語と日本語ではトラッキング・ショットと言い、フランス語ではTravelling(トラベリング)と言う。映画の序盤で、この映画はトラベリングばかりだなあ、という印象。それもそのはず、これは映画の最後に大地に延々と敷かれた水平移動撮影用のレールの長〜いショットでも明らかになるのだが、後日テレラマ誌YouTubeで知ったことにこの移動撮影レールはなんと全長650メートルあり、世界記録としてギネスブックが認定した、と。
 この延々と歩き続けるという図は、前作『ダアアアアアアリ!』でホテルのエレベーター出口から目的のスイートルームに至る長い長い廊下を天才画家ダリが延々と歩き続けるというシュールなシーンでも見ているが、デュピューの得意技になりそう。

 そして延々と歩いた末、4人が落ち合うのが、コンクリート箱のような味気ないB級の街道レストラン、その名は”Le Deuxième Acte(ル・ドゥジエム・アクト)”すなわち「第二幕」。映画もここから第二段階に突入するというわけ。ここでも今や撮影されつつある映画とその俳優たちの打ち合わせのような”本チャン”のような判然としないシーンが続き、積極的な娘フローランス(セイドゥー)と保守反動的銀行重役ギヨーム(ランドン)といつの間にか二人の婿候補になったダヴィッド(ガレル)とウィリー(クナール)の、愛憎ドラマでもあり映画俳優同士のエゴのぶつかり合いでもある奇妙な言葉の応酬がある。
 そこに割って入るのがこの冴えないレストラン主兼ウェイターであるステファヌ(という役でこの映画に出演が決まったデビュー俳優)(という役の無名俳優マニュエル・ギヨー、55歳)である。このデビュー俳優は今日撮影があるということで緊張のあまり昨夜は一睡もできず、今朝もこのレストランに4人が来るまで緊張しまくっていて手の震えが止まらない。その役というのは、テーブルについた4人の主演俳優たちに、みなさまのためにブルゴーニュ赤ワインを用意しました、とワインの栓をあけ、4つのグラスに注ぐ、というだけのことなのだ。ところがこのデビュー俳優(役の無名俳優)はそれができないのである。何度やっても緊張で手が震えてワインをグラスに注ぐことができない。4人のプロの有名俳優たちはこれで撮影がオジャンになるのは叶わないから、デビュー俳優をなだめたり励ましたり助言を与えたりして、落ち着いて演技を遂行するよう促すのであるが...。
 ステファヌ(役のデビュー俳優)(役の無名俳優)は映画撮影されているのかされていないのか判然としないこのシーンで映画の中心に収まってしまう。 デビュー俳優のドジのせいで出番の空いたダヴィッド(役のガレル)は退屈しのぎにとなりのテーブルに座って食事している二人のご婦人(というエキストラ役の女優)のところへ談笑に。このご婦人二人はこれが映画撮影ということを知っていてエキストラ役をしながら撮影のなりゆきを見ていたのだが、その難渋ぶりに同情的。そしてダヴィッド役男優に「なんでもこの映画、監督がAIって聞いたんだけど本当なの?」と聞くと男優は「世界初の脚本監督すべてAIの映画」と答えるが、男優はそれにあまり肯定的ではない。この仕事続けていく上はしかたない、というニュアンス。そしてぼそっと本音でご婦人に「夢を持ち続けましょう、夢を」なんてことまで言ってしまう。

 しかしながら、デビュー俳優の極度の緊張はついに直ることはなく、映画撮影は万事休す、何十年もこの日が来るのを待っていたのに自らのドジで映画デビューを果たすことができないと悟った男は、店の前に留めてあった自分の車、旧年式のフィアット・パンダの運転席でピストル自殺してしまう。その死体を有名俳優のセイドゥーとランドンが見つけて衝撃を受けた、というところで「カット、撮影終了、すべてOK」となる。
 ここで助手の持つノートパソコンのモニター画面にAI監督がアバター姿で登場、俳優たちにごくろうさん、と。このAI監督は既にこの映画が世界各国から配給契約希望が殺到してることなどで自信満々なのだけど、俳優たちにはかなり細かいことを言う。例えばウィリー役男優には、台本通りのセリフを言わなかったところがあるとして、その台本行数分を減給にする、と。ステファヌ役デビュー俳優役俳優には、撮影前に要求した体型よりも痩せて出演したので、あとでCGグラフィックで体型をリタッチする費用分を減給する、と。なるほど、AIは完全主義の管理をするのだね。しかし経験豊富な名アクターであるギヨーム役男優がAIにここをこう変えてみたら良くなるよといろいろ提案しても、AIはあなたの個人的意見には対応できない、という機械的返答。そうか、AIの支配による来るべき”映画の死”までデュピューは遊びのタネにしているのか、とこの時点で観客は気付く。
 だが映画は続き、有名俳優たちは撮影終了してそれぞれの楽屋で普段の生活の姿に衣替えして帰路につくわけだが、銀行重役ギヨーム役だった男優(演ヴァンサン・ランドン)がかなりハードゲイないでたちに変身するので、有名俳優たちは絶対”生身”を見せないというデュピューの含みなのだろう。4人の有名俳優は帰路はガレルとセイドゥーの二人組、ランドンとクナールの二人組、という組み合わせで往路と同じように長〜〜い土道を早足で歩きながら...。ランドンとクナールはおもむろにゲイのカップルが成立してしまい、ガレルとセイドゥーはおもむろに男優が女優にナンパしようとする、という映画界ありありの展開に。そして無事映画デビューできた55歳男優は、ひとり(車種は覚えてないがフィアット・パンダよりもずっと上のクラスの車)車を運転して、わが道を進むように見えるのだが....。
 最終映像は上に書いたように、土道に延々と敷かれた水平移動撮影用のレールばかりをこれまた長々と水平移動撮影で映し出すのである。

 1時間20分、ほどよい短かさ。見終わると、これは AIによる映画制作と生身の俳優たちのせめぎあい、ギネスブック世界記録認定の650メートルの移動撮影レール、55歳無名男優(マニュエル・ギヨー)の見事な映画乗っ取りデビュー、という三題噺なのだということがはっきりわかる。なんだこれはとあきれるのも一興、おとぼけ奇才デュピューの技の冴えを称賛するのも一興、私はその半分半分。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)"Le Deuxième Acte"予告編。この予告編でしっかりと無名男優マニュエル・ギヨーが4人の有名俳優たちの言い分を一蹴して「これは俺のストーリーだ」と宣言している。


(↓)"Le Deuxième Acte"断片。4人の有名俳優がそれぞれの役どころを演じて一同に会しレストランで初顔合わせの談笑中、レストラン主兼ウェイターのステファヌ役のデビュー俳優が緊張で両手をぶるぶる震わせながらお盆にワインを運んでくる図。

2024年5月15日水曜日

あらゆる自由には価格がある

Edouard Louis "Monique s'évade"
エドゥアール・ルイ『逃走するモニック』


ニックとはエドゥアール・ルイの母親であり、この著作の時点で57歳である。2021年4月発表の書『ある女の闘争と変身(Combats et métamorphoses d'une femme)』の中で著者はこの母モニックが、アルコール中毒で暴力暴言が絶えなかった夫(著者の父親)を20数年の忍耐の末に遂に限界が来て家から放逐するという快挙を成し遂げている。さらに生まれたこのかたそこから出たことがなかった北フランスの村を離れて、新しく伴侶となった男を頼ってパリに移住する。この時モニック50歳、『ある女の闘争と変身』の最後にはボーナストラックのように、(大)女優カトリーヌ・ドヌーヴが家の近所でモニックがアパルトマン管理人として働いている建物まで訪ねていき、通りで一緒にタバコを吸って談笑するという挿話が花として添えられる。 
 そのポジティヴな書から3年後、エドゥアール・ルイはその続編をさらにポジティヴなものとして書いた。最初から最後までそのエクリチュールは喜びに満ちている。エドゥアール・ルイにあっては、と断らなくても、今日の文学にあってこの幸福感は稀であろう。昨今フランス人がよく使う”英語”表現では”Feel-good”な著作と言えよう。

 この本の冒頭は逃避行である。4年前モニックが北フランスの故郷を捨て、パリで始めた新しい男との新生活(本の後半でわかるのだが、モニックとその男は結婚せずに"PACS  = 民事連帯契約”を結んでいて、幸いにして結婚と違いこの契約の解消はいとも簡単である)は遅からずモニックにとって新しい地獄になった。前夫(すなわちエドゥアールの父親)と全く同じようにこの男もアルコール漬けでその勢いで強権的でサディックになり、モニックの隷属を強いるために汚い罵りの言葉を吐き、収入源が名目上その男ひとりという”主人”の高圧観からモニックの金の使い道(日常の食糧費まで)をいちいち苦言のタネにし、制裁に暴力を振るう。モニックはこれまで3人の伴侶と生活を共にしてきたが、著者の知るかぎり3人が3人ともモニックに同じ地獄の責苦を強いていた。好き合って始めた同居であろうが、時と共に地獄になっていく。なぜこれらの男たちは凶暴に変貌していくのか。エドゥアール・ルイにはそれの第一原因が貧困である、と考える。
 冒頭の会話は電話である。「私」はその時フランスにおらず、数週間前からギリシャの公的機関に招聘され創作レジデントとして滞在していてあと2週間後でないとパリに戻らない。モニックは泣きながら「私」に電話してくる。
私はおまえの父親から解放されて、私は新しい人生が始まったものと思っていた。でもまた同じことが始まってしまった。まったく同じことが。(・・・・)どうして私の人生はこんなに最低(une vie de merde)なのか、どうして私には幸せに生きることを妨げる男しか当たらないのか、私がこんなにも苦しむに値する女のか、私がなにか悪いことをしたのか?
(p12-13)
状況としては、モニックが電話をしている隣室でその男が泥酔状態でモニックへの罵詈雑言を繰り返しているのが、電話越しに聞こえてくるほど極度に緊迫している。遠隔(異国)から「私」はモニックにただちに必要最小限のものを持ってそこを出て、エドゥアールのパリのアパルトマンに避難するよう促す。恐怖と不安と絶望の淵にある母親を遠隔からの電話で説得するのは難しい。今ここを出てどうなるのか。金も職業も資格も運転免許もない50代の女性、これまで5人の子供と暴君のような男たちの世話を焼いてここまで来た。もう限界は来たが、どこへどうやって逃げる?
 エドゥアールは(遠隔であっても)自分がすべて手配し、費用は全部負担すると申し出る。「私」はここでパリにいる親友ディディエ・エリボン(哲学者・社会学者・文芸評論家・大学教授...。エドゥアール・ルイの恩人にして手本のような存在。シャンパーニュ地方ランス出身でルイと同じように貧しい家庭で暴力的でレイシストでホモフォビアな両親の下で育ち、そこから学術研究の道へ入ることで自らを解放した経緯あり。この書で少し触れられているが、エリボンとその母親の関係はエドゥアールとモニックのそれによく似ている)に助けを求め、エドゥアールのパリのアパルトマンの合鍵、モニックの当座の逃避生活に必要な物品を購入するための現金をモニックに手渡せるように手を回す。
 こうして息子は母の逃走のためにその全幅の信頼を得ようとするのだが、息子と母の関係は単純なものではなかった。息子が生まれ育って勉学のために家を出るまでの年月は、息子の目には母は父の側の人間であり、野卑で暴力的な父と同じように息子にハラスメントを行使する存在に映った。その母への視点がエドゥアール・ルイの21歳の第一小説『エディー・ベルグールにケリをつける(En finir avec Eddy Bellegueule)』(2014年)の中で展開されていて、それを読んだ母は激しく傷つくのだった。この本が大ベストセラーになり、著者は全国の書店でレクチャー&サイン会に回るようになるのだが、そのひとつに母が闖入し、息子に一対一での説明を求めてきたというエピソードがこの新著で紹介されている。母との和解には年月を要した。またそれは同時に前著『ある女の闘争と変身』(2021年)に描かれたモニックの変身の年月でもあった。
 この家族間の確執は著者の妹クララとも同様に存在した。それは2016年の小説『暴行譚(Histoire de la violence)』の中で、自分が被った暴行事件を家族の唯一の理解者としてクララに告白したが、クララがそれをややバイアスのかかったヴァージョンで第三者(当時のクララの夫)に話してしまう(これをエドゥアールが隣室で聞いてしまう)と詳細に記述されて、実名で書かれたクララは心外に思い、それ以来7年間絶交状態になっている。これもそれも自分が書いた本のせいなのだ。リアルとフィクションの区別なく実名で実際に起こったことを書き続けける作家エドゥアール・ルイが宿命的に出会う”書の中に登場した人物たち”との軋轢である。そのことで心苦しい思いをしているとも作者は言い訳するのであるが。
 だが家族を苦しめる結果となったこれらの著作は、作者に巨額の金をもたらしたのである。ベストセラー作家となり、まとまった収入があり、そのことは確かにエドゥアール・ルイ自身が抱えていた多くの問題を解消していった。そして今回の母モニックの”自由への逃走”も最終的には作家の収入が成功させるのである。
Toute liberté a un prix
あらゆる自由には値段がある
 この本が言わんとしているのはまさにこのことなのだ。エドゥアール・ルイが母親に、大丈夫だ、全部「私」が請け負う、と保証したことでこの逃走は現実化する。その時が来るや「私」はギリシャから(パソコンあるいはスマホ画面で)パリのタクシーを手配し、母を乗せたタクシーがちゃんとA地点からB地点にたどり着くか画面上で追っている。ルイのアパルトマンに落ち着いたら、何を食べたいか母親に聞き、ギリシャの画面はパリの食事宅配をオーダーする。21世紀的なテイクケアである。
 モニックの属していた社会の最大の娯楽提供ソースであったテレビ受像機がエドゥアール・ルイのアパルトマンにはない。この耐えがたい不足をどう補うか。なんと息子はギリシャから携帯電話を通じて母親にパソコンの操作のしかたを教えるのである。初めて開くパソコン画面、初めて触れるキーボード、どこのボタンで起動して、どこのキーでプログラムに入って、どこをクリックして(”クリック”って何?と母は尋ねる)、インターネット、ストリーミング、好きな映画や連ドラ....。そこに至るまで、何も知らないモニックに息子は辛抱強く(遠隔で)教えるのである。このエピソード、少しく感動的。息子と母親が(遠隔なのに)これほど近かったことはない。

 そして自由への逃走は次なるステップへ。モニックの住処を見つけること。ここでエドゥアール・ルイは妹クララのことを思う。クララの助けが必要だ。クララが新しい夫(と子供)と暮らしている町で、クララの住んでいるところの近くに住居を見つけられたら、と考える。このアイディアのためには妹の同意が必要だ。7年間絶交状態にあった妹クララのところに「私」はギリシャからコールする。母の窮状を説明し手を貸して欲しいと乞う。兄妹のわだかまりはこの時に溶けて流れたように思えた。
 家探し→物件訪問→賃貸契約、モニックとクララとギリシャの「私」はこれを驚くほどの短時間で済ませてしまう。前の男とのPACS解消、引越し、モニックの新生活の始まり...。このすべての費用はエドゥアール・ルイが払い、そして当面のモニックの月々の生活費も同様。ベストセラー本のおかげ。ポジティヴ。

 著者はこの本の110ページめに女性現代文学の先駆者ヴァージニア・ウルフ(1882 - 1941)が1928年に書いた『自分ひとりの部屋』の有名な一節を引用している。それは女性が小説や詩を書くために必要なふたつのものとして:
ー 家族の者たちに邪魔されることなく静かに執筆するための鍵のかかる自分ひとりの部屋
ー 金銭的不安なく生きていくことを可能にする年500ポンドの金利所得
とする、まさに自由のためには”金”が必要ということを喝破した謂である。モニックはこうして(初めて生活する)自分ひとりの家を持ち、”金”という不安のタネから解放された。作者は57歳で自らの解放を手にした母親を誇りに思い、それに全面的に協力することができた自分自身も褒めてしまっている。許す。

 さらにこの本の133ページめから始まる第二部では、その3年後(笑って冗談を言えるようになったモニック)のさらにポジティヴ後日談が書かれている。ドイツの演出家ファルク・リヒター(1954 - )がエドゥアール・ルイの『ある女の闘争と変身』を舞台演劇化し、劇団がその初日のハンブルク公演に原作者エドゥアール・ルイとその作品のモデルとなった母モニックを招待したい、と。初めての外国旅行、初めての飛行機、初めての外国語圏、初めての豪華ホテル(”このタオル使ってもいいの?”と母は尋ねる)...。初めての演劇観劇、しかもドイツ語にもかかわらず自分の人生がそのまま演じられてことに強烈なエモーションを抑えられない。劇が終わりカーテンコール、リヒターが壇上に原作者とモニックを呼び上げる。場内の割れんばかりの大喝采と「モニック!モニック!」コール...。
 逃走は報われた。正しかった。
 ハンブルクの観客たちとリヒターはこの続編を、とエドゥアール・ルイに求めた。そしてモニックも。ある日「私」の本棚から『ある女の闘争と変身』を見つけ、それを手に取って:
おまえがこの本を書いた時から私はずいぶん変わったよ。おまえはいつかそのことを本に書くんだろうね。私はそうしたらもっと変わるよ。(p161)

こうして母の”オーダー”によって書かれ出来上がったのがこの本だ、と著者は結語している。許す。すばらしい。

Edouard Louis "Monique s'évade"
Editions Seuil刊 2024年5月 165ページ 18ユーロ

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)公共ラジオFRANCE INTER(インタヴュアー:ソニア・ドヴィレール)で『逃走するモニック』について語るエドゥアール・ルイ「長い間私は”喜び”について書くのが恥ずかしかった、できなかった」

2024年5月8日水曜日

競売吏アンドレ・マッソンの苦悩

"Le Tableau Volé"
『盗まれた絵』


2024年フランス映画
監督:パスカル・ボニッツェール
主演:アレックス・リュッツ、レア・ドリュッケール、ノラ・ハムザウィ、ルイーズ・シュヴィヨット
フランス公開:2024年5月1日


ずこの映画の主人公アンドレ・マッソン(演アレックス・リュッツ)について。職業は世界的競売会社(サザビーズやクリスティーズの類)であるスコッティーズ(Scottie's)社の幹部社員にして同社のトップ競売吏。日頃ミリオン単位の競売を扱うため、羽振りは良くベストドレッサーであり自前スーパーカー(これ昭和の言葉?)で営業に飛び回っている。博識・目利き・話術に長け、超富裕層や学術者層と渡り合って確かな信用を勝ち得ている。その名を語るとき、必ず「かの画家と同姓同名」と断わりを入れる。実在した20世紀シュールレアリスト画家アンドレ・マッソン(1896 - 1987)は、私のような昭和期の仏文科学生にはジョルジュ・バタイユ眼球譚』『太陽肛門』の挿画が強烈に記憶にあるのであるが、それはそれとして、この映画の関連で言えば、タイトルの「盗まれた絵」(エゴン・シーレの『ひまわり』)がナチスによって”退廃芸術”とされ闇に葬られたように、マッソンもまたその画業が”退廃芸術”と見做され、ナチスとその傀儡ヴィシー政権の弾圧を逃れて亡命せざるをえなかったという経緯がある。映画のストーリーからすると”軽い”名前ではないのだが、(本来喜劇アクターの)アレックス・リュッツが演じると「たまたま同じ名前ですよ」のノリになるものの、なにかの因縁づけであることには違いないと私は勝手に解釈した。
 さて、映画は実際にあった出来事に基づいてのストーリーである。2005年にフランス東部アルザス地方の町ミュルーズで、オーストリアの画家エゴン・シーレ(1890 - 1918)が1910年代にゴッホの「ひまわり」にインスパイアされて描いたとされ、その後ナチスに没収され行方がわからなくなっていた「ひまわり」の油絵が60年後に発見されたという実話。
 映画は時代を2020年代的現在にしてある。地方の女性弁護士エゲルマン(演ノラ・ハムザウィ)が世界的競売会社のスコッティー社のマッソン宛に(インターネット/メールでの第三者の悪意ある傍受を避けるため!)郵便封書で、クライアントが見つけたエゴン・シーレの「ひまわり」と思しき油絵を鑑定して欲しい、と。直感的にマッソンは99.9%贋作と鼻で笑っている。マッソンがこの件の鑑定士として指名したのが、マッソンの元妻のベルティナ(演レア・ドリュッケール)で、今は”その種”の売買の本場スイスに住んでいる。気心を知り尽くした旧友のような間柄。なぜ別れたのかは不明(たぶん映画の後半でわかる”ジェンダー”問題)。両者がパリとスイスからやってきて落ち合ったのがミュルーズ。そのミュルーズには世界最大規模のクラシックカーコレクションを誇る国立自動車博物館があり、その趣味のカーマニアであるマンソンがミュージアムの中で子供のようにはしゃぐシーンあり。と、ここまでが、雲の上階級のコレクション売買(絵画・骨董・クラシックカー....)というわれわれシモジモ階級には映像だけで鼻白んでしまうイントロ。
 さいわいにもそれをわれわれのレベルまで落としてくれるのがミュルーズの”現場”。件の絵の発見者はマルタン(演アルカディ・ラデフ)という名の若者で、職業は化学工場の夜勤の作業員。1960年代までミュルーズはフランス屈指の先端工業地帯であったが、世界的産業再編のあおりで多くの工場が閉鎖し....。そういう21世紀で地元工場で働き続ける目立たない労働者の若者で、母親と二人暮らし。二人が住むアパルトマンは、”ヴィアジェ”(フランスの名高い高齢者不動産売却契約、リンクを貼った小沢君江さんの解説に詳しい)で購入した。 前の家主が死んだことでこの物件が手に入ったわけだが、その旧家主がそのサロンを飾っていた油絵をそのまま受け継いで、同じサロンにずっと納まっていたのがそのブツ。気に留めること長年眺めていたその絵が、ある日美術雑誌の表紙となっていたのを偶然目にしたマルタンであった。その歴史的価値を知るや、本物かどうか半信半疑で弁護士エゲルマンに相談したのだった。
 さてエゲルマンが立会人となって、その世界一流の競売吏マッソンと鑑定士ベルティナがマルタンと母の住むミュルーズ郊外のアパルトマンに乗り込んでくる。長年の経験によって頭から”偽物”と決めてかかっていた競売吏と鑑定士であったが、その絵を一目見たとたん二人とも思わず笑ってしまう。それを見た弁護士エゲルマンは本件は文字通り”一笑に付された”と直感した。元夫婦の二人はひとしきり笑ったのち....「本物だ」と鑑定の結論を。一目でわかった。ことのあまりの重大さに本能がスイッチを入れた笑いだったというわけ(この演出ちょっとくさい)。評価額は?1千万、いや1千2百万ユーロ(約20億円)だ、と。
 アパルトマンの地下物置から死んだ旧家主の身元を証明する書類が見つかる。第二次大戦中この男は”対独協力役人”としてかなり上の地位にあったことがわかる。1918年にこの世を去ったエゴン・シーレの作品はナチス政権から”退廃芸術(art dégenéré)”と指定されて没収され、あるものは破壊され、あるものは闇ルートで売却されナチスの闇金となった。占領ドイツ権力に近かったこの男はそれと知らず(価値を知らず)偶然この絵を手に入れたのだろう。それから60年、そのサロンにあり、チリやほこりや煙草の煙をかぶって60年もの間晒されていたのだ。
 映画はメインのストーリーとして、この盗まれて行方不明だったエゴン・シーレの名画が、米国に住むシーレの権利継承者が発見者マルタンへ10%の報償金を与えるという条件でマッソンのスコッティー社に競売による売却を依頼し、競売業界にありがちな黒い策謀や妨害詐欺などの紆余曲折を経て、結果として2500万ユーロ(41億円)という記録的な落札価格がつく、という大団円へと進む。競売マンとしてマッソンが、所属するスコッティー社の強烈なハラスメントを受けたり、自らの虚飾に満ちたライフスタイルに疲れたり、という苦悩もあり。しまいには(この歴史的競売のあと)競売吏を引退することになるのだが...。
 このマッソンと競売のストーリーは、それはそれでありなのだが、私にとってこの映画の魅力はそれに付随して進行するふたつのサイドストーリーである。ひとつはマッソンの見習い秘書として働くオロール(←写真)(演ルイーズ・シュヴィヨット)の挙動であり、彼女は業務を完璧以上にこなす超有能な秘書でありながら、なにかにつけて呼吸するように嘘をつく。自分を防御するためなのか、自分を別物に装いたいのか、その嘘はすぐにバレるものなのだがトゲがある。その嘘は他人だけでなく自分の父親(父親役でなんとアラン・シャンフォール出演!)に対しても同じように。後でわかるのだが、それは父親(&家族)を破産させるに至った詐欺事件を経験したからで、あらゆる人を疑い嘘をつくようになったようだ。マッソンはそれでもこの秘書を買っていて、一人前の競売ウーマンにと考えていたのだが、男女間の感情のもつれのような確執が生じて一旦オロールは姿を消す。そしてエゴン・シーレ「ひまわり」競売をめぐる評価価格大下落の危機がおとずれた時、再びオロールはマッソンの前に現れ、それは自分の父親を襲った詐欺事件と同じ手口であることを見抜き、その詐欺策謀を打ち負かす策をマッソンに授けるのである...。
 もうひとつはかの絵の発見者、ミュルーズの労働者青年マルタン(写真→)のストーリーである。最初はこの絵の価値がどれほどのものかわからず鑑定を依頼したものの、その価値とその背景がわかったとたん、この青年の心にぐじゃぐじゃと葛藤が生じ、この絵に関する一切の権利を放棄することを決める。この青年は見込まれる巨万の富を放棄してでも、自分の小さな世界(二人の悪友たち、工場での夜勤労働の日々)を維持したいと考えるのである。この純粋ゆえに心揺れる歴史的名画競売騒動にマルタンは最後までつきあい、そして再び”労働者”に戻っていく...。この話、ほんとに好きですよ。

 その他、どうしてなのか2回も全裸入浴シーンを見せるレア・ドリュッケール(お風呂好きという理由だけなのか)、紆余曲折あった名画競売騒動に最初から最後までつきあった弁護士エゲルマンと鑑定士ベルティナの間にできた同性愛関係など、どうでもいいような話もある。肝心の世紀の名画のおすがたはほとんど映らない(これはしげしげと見てみたいものだった)。1時間半のいろいろ詰まった娯楽サスペンス映画。ほっこりして映画館を出られる。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『盗まれた絵(Le Tableau Volé)』予告編

2024年5月1日水曜日

追悼ポール・オースター:九分九厘の幸福

2024年4月30日、ポール・オースターが肺がんのため77歳で亡くなった。私の最重要作家のひとりであるが、出会いは遅く2004年に最初の一冊『オラクル・ナイト』を読み衝撃を受け、当時私が運営していた「おフレンチ・ミュージック・クラブ」の”今月の一冊”として紹介記事を書いた。「おフレンチ」にはもう一冊オースター小説を紹介している。2005年の『ブルックリン・フォリーズ』であり、以下に再録するが、そのイントロ部分で「私の2005年のベスト」と書いている。今の爺ブログなら「★★★★★」評価をつけるところだと思う。ユートピアが見えそうになる時、2011年9月11日の朝で幕を閉じる小説である。読み返してみよう。


★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★


これはウェブ版『おフレンチ・ミュージック・クラブ』(1996 - 2007)上で2006年2月に掲載された記事の加筆修正再録です。


Paul Auster "Brooklyn Follies"
ポール・オースター『ブルックリン・フォリーズ』


(Actes Sud刊2005年9月)

の数ヶ月、本を読まなかったわけではない。悪い本にばかり当たっていたような気がする。悪い本は精神衛生上よくないし、この欄で私が悪い評を書いたところで、その読書体験が報われるわけではない。だから2ヶ月前に読んだものだが、ポール・オースターを取り上げることにした。私の2005年のベストの一冊である。それにしても2006年2月の現在において、まだ日本語訳が出ていないというのは不思議だ。

 話者ナタン・グラスは60歳の元生命保険セールスマンで、ガンと診断されるが一時的に鎮静状態にあり、早期退職して限りある余生を自分の原点であったブルックリンに戻って過ごすべく、かのニューヨークの一角に移り住んでくる。妻とは離婚し、娘とは時々連絡をとる程度の独り身暮らし。散歩や昼食のレストランなどでこの選ばれた「終生の地」はナタンを魅了していく。残り少ないと仮定された人生は、その若き日の文学趣味を再び呼び起こし、ナタンはこのブルックリンの日々を文字として留めていくことになる。その書き物のタイトルは『人間の狂気の書 Le livre de la follie humaine』と言い、この書のもうひとりの主人公はトム・ウッドという名のナタンの甥である。長い間会っていなかったこの甥は、過去には秀才の文学青年で、今頃は当然成功してどこかの大学教授に納まっているはずであったが、2000年春、彼がいるはずのないニューヨークのブルックリンの古本屋でばったり出会ってしまう。トムは若くて純粋な精神が勝ってしまって、教授職を選択せずに、青春の放浪の末にほとんど無一物でニューヨークに流れ着き、ブルックリンの古本屋に店員として拾われる。この文学好きな二人の再会によって、小説は理想を求める心優しい男たちの奮闘記に一転していく。この男たちのひとりを形成するのが、ハリーという名の古本屋店主である。富豪の娘と不詳不詳結婚させられたホモセクシュアルの男で、画廊で一時は成功するがその成功を維持するために贋作を売り、詐欺罪で監獄を経験したのち、第二の人生としてやり直すべくニューヨークになってきた。

 このハリーから、立ち行かなくなった世界の救済場所という、夢のヴィジョンが提案される。この場所は「実存ホテル HOTEL EXISTENCE」と称され、そのドアを開けば外界からどんな被害を被ることもなく、現実世界が効力を失ってしまう場所である。戦乱の地にも、自然災害の地にも、必ずそういうホテルが存在するのだ、と彼は信じている。

 小説はマトリョーシカ人形(ロシアこけし)のようにさまざまな人物が次々と現れ、それぞれ固有の小物語が矢継ぎ早に展開される。トムがナイーヴな純愛ごころから近づけないでいる子連れの女性(名付けて)”JMS(至高の若母 Jeune Mère Sublime)"。その夫で名前がジェームス・ジョイス(そういう大作家がいたということも知らない家庭環境で生まれた男)。その母親であるジョイス・マズケリ(夫の姓と母のファーストネームが同じという符合)は小説の終盤ではナタンとの老いらくの恋仲に結ばれる。トムの妹で、ポルノ女優から麻薬中毒者に身を落とし、新興宗教セクトの男に拾われ、そのセクトから抜け出せないでいるロリー。その娘でまだ9歳半のルーシーが家出してきてトムの前に現れる。母親ロリーの居場所は杳として知れない。この一筋縄ではいかない家出少女を連れ立って、トムとナタンの珍道中が展開される。そのロードムーヴィー的展開の道すがら、立ち寄った「チャウダー旅籠」という民宿にトムとナタンはハリーが言っていた「実存ホテル」のこの世の姿に違いないと見てとるのである。地上においてもしも「実存ホテル」があるとすれば、この旅籠のことに違いない、と。

 この話を実存ホテル論の元祖ハリーに伝えると、ハリーはその旅籠をわれわれの実存ホテルにできる可能性があるから、まかせておけと言う。ハリーにはもうすぐ大金が転がり込んでくるはずなのだ、と。ナタンは信じない。友人としてナタンはハリーに忠告するが、ハリーは耳を貸さない。アメリカ文学ゴシック小説の傑作として名高いホーソン作『緋文字』(1850年)のオリジナル手稿の贋作をコレクターに売りつけるという企てだったが、ハリーの一世一代の大詐欺作戦は機能せず、逆に共犯者に騙されていたことが発覚し、その揉み合いの果てにハリーは命を落としてしまう。

 小説は大団円に向かっていき、ナタンはハリー殺しへの復讐を果たし、トムはチャウダー旅籠の娘と所帯を持つことになり、悪ガキ少女ルーシーは母親ロリーと再会し、ロリーは新興宗教セクトから解放され、老いらくの恋(ナタンとジョイス)は成就し、万事がまるく納まるかのように思われた。そしてナタンのガンが再び体を蝕んでくるのであるが、それは前もってわかっていたこと。ジョージ・W・ブッシュが大統領に当選し、急激な保守化右傾化の波の中で、それでもブルックリンはナタンたちが自らつくった自らの実存ホテルのように、良い顔をした町になった。そういう顔の町に青空の朝がやってくるのである。2001年9月11日の朝が...。

 ポール・オースターは2001年9月11日の後、3編の小説を発表しているが、いずれも”9月11日”に関連したものではなかった。フランスの文学雑誌LIREのジャーナリスト、フランソワ・ビュネルはその間オースターに会うたびに同じ質問をしていたという。「9月11日に関した小説は書かないのですか? ニューヨーカーとして、小説家として、そしてツインタワーに面と向かった場所に住んでいた人間として、アメリカの顔を激変させてしまったこの日に関して書かずにいられるのですか?」。オースターはその返事として、ひとつの大悲劇を一編の小説という形に凝縮することには疑問に思うところがあるとし、彼が過去にニクソン大統領の事件をフィクション化した小説『ムーン・パレス』(1989年)を書き上げるのにも20年の月日を要したのだ、と答えたという。しかしながら『ブルックリン・フォリーズ』は20年の歳月を待たずに、事件の4年後に発表された。

 言わば”戦前”の幸福で明るい狂気であふれていた”Y2K"期のアメリカ、ニューヨーク、ブルックリンであるが、これは世代論的にあの頃はみんなこうだったという”十把一絡げ”な作品では断じてない。ガンを患う60歳の男が奮起すれば、理想も愛も現実に近くなっていくのだ、というおめでたい人生論とももちろん異なる。われわれの日常とはたぶんこれに近くてもいいのだ、と思わせてくれるなにかがありがたいのだ。実存ホテルはもちろん実体のものではなく内在するものである。そのドアはたぶん開くのである。そのホテルの窓から見える青空は、9.11ニューヨークの青空のゆに危ういものであっても。生きて行こう。

Paul Auster "Brooklyn Follies"
Actes Sud刊 2005年9月 368ページ 23,40ユーロ

(↓)1987年、40歳のポール・オースターが国営TVアンテーヌ2のベルナール・ピヴォのインタヴューに答えて、いかにしてフランス語を習得し、どんなフランス人作家詩人を米語に翻訳したかを語っている。