手前味噌です。ブログ『カストール爺の生活と意見』は今年40余りの記事をアップしましたが、7年目にして、こんなに充実した記事で埋まったのは初めてである、という自覚があります。いただいたメールやコメントも手応え十分で、このブログを続けてきてよかった、としみじみ思っている年の瀬です。ありがとうございました。この手応えに感謝すべく、このブログ始まって以来初めての年間レトロスペクティヴを作ってみました。
言わば爺ブログの年間記事のベスト10です。順位は純粋にページビュー数の多さに拠っています。今年掲載された40の記事から10をセレクトするわけですから、確率は4分の1という倍率低めのベストテンです。この順位で読者の皆さんに愛されたことはとても納得のいくものです。小さな世界ですよ。なにしろこの上位10位のページビュー数は600から300の間ですから。これからもこの規模の親密さで、文学・音楽・映画の私的体験をみなさんと共有できたら、と願っています。 Joyeuses Fêtes à tous !
当年85歳のミラン・クンデラの11年ぶりの新作小説『くだらなさの宴 (La fête de l'insignifiance)』 の紹介記事です。日本でいかにクンデラ小説愛好者が多いかを物語っています。私が上っ面をラフになぞっただけで、これだけ盛り沢山な記事になりました。早く邦訳が出て、多くの人たちがこの名人芸を堪能して欲しいと願ってやみません。
2. 『渇いていた男』 (2014年3月16日掲載)
これは意外。ユベール・マンガレリの小説『渇いていた男
(L'homme qui avait soif)』です。戦後の荒廃した日本が舞台で、太平洋戦争の玉砕戦(ベリリュー島)の生存帰還者が、災難と奇妙な出会いを繰り返しながら、花巻から許婚者のいる北海道まで至るロードムーヴィー形式の物語。無口で暗くて不条理な道中。私は知りませんでしたが、日本では知られている作家のようです(翻訳3冊あり)。
6. 『旅立てジャック』(2014年2月1日掲載)
ディオニゾスのリーダー、マチアス・マルジウの小説『時計じかけの心臓』(2007年)を原作に、リュック・ベッソンが資金を出して、マチアス・マルジウとステファヌ・ペルラが5年がかりでCGアニメ映画にした『ジャックと時計じかけの心臓(Jack et la mécanique du coeur)』の記事。爺ブログでは小説もCDアルバムも2008年1月に紹介していて、その反応から日本に潜在的なディオニゾス愛好者たちがいることを知りました。先端のCGアニメ映画だと思うのですが、純粋に子供たち向けではないので、リュック・ベッソン印がついていても日本公開の予定はありません。
7. 『フランスに捧げるサンバ』(2014年8月18日掲載)
フランスではたいへんな鳴り物入りで10月に公開されたエリック・トレダノ&オリヴィエ・ナカッシュ監督の新作映画『サンバ』(日本公開2014年12月26日)の原作小説『フランスに捧げるサンバ(Samba pour la France)』(著者デルフィーヌ・クーラン)の紹介記事。南北問題、貧困、移民、アイデンティティーといった主題を、現場からの視線(著者はサンパピエ支援団体のボランティア)から描いたまっすぐで熱い「社会小説」。これが(『最強のふたり』のような)大衆娯楽映画の原作になりうるのか、という疑問はありました。映画『サンバ』に期待していたでしょう日本の人たちから多くのアクセスがありましたが。
10. 『記憶の取る捨てる(トルステル)』 (2014年10月25日掲載)
この最低な記事タイトルにも関わらず、多くの人たちが読んでくれました。10月にノーベル文学賞を受賞したパトリック・モディアノの最新小説『おまえが迷子にならないように(Pour que tu ne te perdes pas dans le quartier)』の紹介でした。いつものように記憶の濃霧の中を手探りで進んでいくようなモディアノ節です。記憶といういい加減なもの、何を書いてあるのか自分でも読み取れないようなメモ書き、地下鉄駅改装工事で偶然露になる数十年前の広告、モディアノ読みはこの不安な再会/再発見に心を揺さぶられるのです。忘れていないものは不安なことばかり。
小説は最初その読み辛さに手こずると思います。それは1920年スペイン生れのモンツェという女性の語り口をそのまま文字化しようと試みているからです。この女性は何年何十年たとうが、ちゃんとしたフランス語を覚えることができないで、スペイン語、カタロニア語、フランス語が混じり合った、モンツェ独特の言語しか語れないのです。作者はそこに注釈など入れたりしないのです。そのままのモンツェ語。この小説のマジックは、この生き生きとしてリアリティーに富んだこのチャンポン語を、読む者がどんどんわかるようになってしまう、ということです。わかると言うのではなく、感じると言うべきでしょうか。
後日ディエゴもフランスに亡命し、モンツェとルニータと合流します。トゥールーズに近いフランス南西部の町で3人は暮らし、1948年には次女リディアが誕生します。それが作者自身です。
マジョルカ島で地獄を見たことによって、強硬な右翼人から翻ってファシズムとカトリック教会の共犯を告発するに至ったジョルジュ・ベルナノスの勇気にこの小説は最大級のオマージュを捧げます。少女モンツェはベルナノスが地獄を見ていた同じ頃に、バルセロナで束の間のユートピアを見ていたのです。そしてこの老女は、その夢のような1936年夏から抜け出すことができないのです。Viva la República !
<<< トラックリスト >>> 1. LO TESTAMENT DEL PORC (豚の遺言) 2. LAS DROLAAS D'OCCITANIA (オクシタニアの娘たち) 3. MINHA CIRANDA (私のシランダ) 4. SENS TU (おまえなしには) 5. DE QUE FASON AQUI ? (やつらはここで何をしている?) 6. VOLI CAP MORIR (私は死にたくない) 7. LA BONA TARNADA (タルン川の増水) 8. AI TU MA COTIA (おまえは私の分身) 9. VIDA (命) 10. TE MANDI IEU (おまえに送ろう) 11. LAS TRETZE LUNAS (13の月) 12. LA CANTANHA (歌う必要) 13. AL PAIS ALBIGES (アルビジョワの国で) 14. SE IEU PODIAI MUDAR LO TEMPS (もしも時間を変えることができたら) 15. SON DE BANDITS (やつらは盗賊)
LA TALVERA "SOLELH SOLELHAIRE" CD CORDAE/LA TALVERA TAL19 フランスでのリリース:2014年12月8日
といった訳語が並んでいます。要は軽さです。ミラン・クンデラの1984年の小説『存在の耐えられない軽さ』のフランス語題も" l'Insoutenable légèreté de l'être"なのです。ザーズが言ったのは、第二次大戦中のナチ占領下のパリにも「ある種の軽さ」があったということなのですね。リベラシオン紙はこれを "Des propos déplacés et faux"(不適切で間違った表現)と言います。その記事の一部を以下に訳します。
わたしが歴史家ではなくても、わたしたちの歴史のこの暗い時代が、自由の時代でも軽さの時代でもなかったことは知っている。例外は占領軍と対独協力者たちにとってだけで、これらの人々にわたしはいかなる親愛感も抱いていない。 あのような言葉を連ねたことはたしかに不器用であった。わたしが単に表現したかったのは、あのような状況に置かれながらも人々の生活は続いていた、ということ。わたしの頭にあったのは、あの素晴らしい映画『人生は美しい(La vita è bella)』(1997年ロベルト・ベニーニ監督イタリア映画)のこと。
Je
regrette que certains esprits polémistes aient cru bon les relayer de
manière malsaine, plutôt que d'affûter leur talent de plumitif à
l'encontre de prises de position plus douteuses, ou de sympathisants
extrémistes de tous bords dont je ne fais pas "Paris". (赤字は引用者)
ジャン=クロード・ヴァニエは1943年パリ郊外オー・ド・セーヌ県の小さな町ベコン・レ・ブリュイエール生れ(同地に生まれた先輩にミッシェル・ルグランがいます)。独学の音楽家で、最初は録音スタジオのサウンドエンジニアとしてプロになります。とりわけアラブ音楽の録音に立ち会っていて、この経験が後年のストリングス編曲に大きな影響を与えることになります。その編曲/オーケストレーションは、学校に行かずに「クセジュ文庫」の1冊で習得したという伝説があります。編曲家ヴァニエのデビューはサラヴァ・レコード、ブリジット・フォンテーヌの初LPアルバム『ブリジット・フォンテーヌは狂女である!』(1968年)で、 その中の2曲("Il pleut", "Je suis inaaptée")の作曲も手がけています。
メジャーシーンでちょっとヴァニエの名が知られるようになったのは、ジョニー・アリデイの全キャリア通じての最大級のヒット曲「ク・ジュテーム(Que Je t'aime)」(邦題「とどかぬ愛」1969年)のオーケストレーションで、その静から動、さらに疾風怒濤にクレッシェンドして静に戻るというドラマチック編曲の手本中の手本、と後世に伝えられています。同時期同系のヴァニエ編曲でミッシェル・ポルナレフ「渚の思い出(Tous les bateaux, tous les oiseaux)」(1969年)というのもありますが、前者には到底かないません。なおポルナレフとは73年制作(発表74年)のアルバム "Michel Polnareff"(別名ポルナレーヴ、別名アイラブユービコーズ)のプロデュースにも関わってます。
しかしヴァニエにとってこの時期の最も大きな事件となったのは、セルジュ・ゲンズブールのアルバム『メロディー・ネルソンの物語』 (1971年)の編曲と作曲です。当時27歳の気鋭の編曲家君は、その後世に歴史的名盤を残すなんてことはつゆも思わず(実際その当時は全く売れなかったし、注目もされなかった)に、「これも仕事ですから」と職人的にロンドンのスタジオでゲンズブールとおつきあいしていた。この辺の事情は、今、雑誌原稿を準備中なので、そちらにまかせますが、『メロディー・ネルソン』が歴史的アルバムの座に昇格するのって、80年代(世界的には90年代?)のことですから、ヴァニエさんはその日まで、一介の編曲家・作曲家・作詞家・映画音楽作者・楽団指揮者そして数枚のアルバムのあるマイナーな自作自演歌手にすぎなかったのです。
その不発の『メロディー・ネルソン』の後も、ヴァニエはフランスのヴァリエテ界で仕事をしていて、ジェーン・バーキン、マイク・ブラント、シルヴィー・ヴァルタン、ダリダ、フランソワーズ・アルディ、クロード・ヌーガロ、ジュリアン・クレールなどの曲提供者・編曲者となっています。その中のひとりが1972年にデビューしたミッシェル・ジョナス (1947 - )でした。イヴ・シモン、アラン・スーション、ヴェロニク・サンソンなどと共に70年代の自作自演歌手(シンガーソングライター)の時代を作った旗手のひとりですが、ミッシェル・ジョナスの初の大ヒット曲は、自作曲ではなく、ジャン=クロード・ヴァニエの詞曲だったのです。おそらくこれがフランスで今日まで最も知られているヴァニエの作品ですが、誰もがこれをジョナスの曲だと思っていて、ヴァニエのことなど知らないのです。
ナンバーワン、ザ・ベスト、ザ・チャンピオン。世界最強のおっさんたちとして世界に君臨するのです。インド人もびっくり。インド人たちが「マッシリア・ナマステ!」と敬礼するくだりには笑ってしまいますが。こういう大ボラ話が、(われわれフランスに住む人間たちにしてみれば)、極めて極めて「マルセイユ的」なのです。ホラとペタンクとパスティスがマルセイユの三大フォークロアであり、それをマッシリアはマジに誇りに思ってますよ。
そしてそのマルセイユに関して、1年前の「 マルセイユ/プロヴァンス欧州文化首都2013」をめぐる3人の衝突に決着をつけるように、このイヴェントを14曲め「マルセイユに告ぐ "A Marseille"」という歌で総括します。
こういうところで3人は意見の一致を見いだして、闘うマッシリアとしてマルセイユにものを言っているのです。同じテーマで、Wake Up わが町、と歌っているのが6曲め「わが町、目を覚ませ! "Ma ville, réveille-toi !"」で、このリフレインは美しいオック語です。(オック語訳してみました。知ってる人は間違いを指摘してください)
O ma Provença おお、私のプロヴァンサ siás nacion de convivéncia おまえは愛と暮らしの De l'amor, la residéncia, 共存する国 L'ostau de la libertat. 自由の庇護者 Terra polida, 美しい大地 monte lo soleu presida, 太陽が昇り Monte la calor convida 輝き混じり合いながら A un mesclum mirgalhat 歓迎の熱も上がる
タトゥーが最近のインタヴューで、サイレント・ムーヴィーを例えに出して、俺たちはその音楽伴奏者みたいなものである、なんて面白いことを言ったのですよ。それがなければ無声映画は面白さにも説明にも欠けるのだ、と。音楽によって観る者はその映像を劇的に想像して作品を把握するのです。タトゥーたちはまずマルセイユの日常を無声映画的に映し出し、それを映画館つきのピアニストのように音楽で表情をつけ、歌詞でもって活弁士のようにその映像世界を具体化する。映画発祥の地ラ・シオタを地盤として、世界に音楽を発しているタトゥーならではの発言だと思いますよ。
このアルバムでもマッシリアは政治腐敗を糾弾する歌(10曲め "L'ELIGIT")、巨大ファイナンスによる世界支配を暴く歌(4曲め"ES TOT PAGAT")、インターネットとSNSの善悪を説く歌(11曲め"QUAND ON VIT CONNECTE")など、世相に対する批評の目は常に鋭いのです。先達か同業者か、おそらくマッシリアもリスペクトしていたと思われるフランソワ・ベランジェの「これらのひどい言葉 "TOUS CES MOTS TERRIBLES"」 、アラン・ルプレストの「おぞましいものはすべてきれいな名前を持っている"TOUT C'QU'EST DEGUEULASSE PORTE UN JOLI NOM"」と多くの共通点を持つ13曲め「これらすべての言葉 "TOUS CES MOTS"」も最近の世相語を激しく嫌悪していたり。しかしボブ・ディランの有名な歌をなぞったと思われる7曲め「答は風の中に舞っている "LA RESPONSA ES DINS LO VENT"」だけはもうちょっと説明が欲しいところではありましたが。
おしまいに、これだけは特記しておきたいことを書きますと、上にちょっと紹介したインターネット現象に言及する歌で、極右フロン・ナシオナル党への敵愾心をむき出しにしている11曲め 「オンラインで生活してると "QUAND ON VIT CONNECTE" 」 の中で、タトゥーが歌う詞の中にこんな数行が現れます。
<<< トラックリスト >>> 1) Li siam リ・シアム(俺たちはここにいる) 2) Si leva mai la cançon (俺から歌を取り去ったら) 3) Trois MCs sur la version (3人のMCがひとつのヴァージョンで) 4) Es tot pagat (支払い済み) 5) Je marche avec (俺と一緒に歩く人たち) 6) Ma ville réveille-toi ! (わが町よ、目を覚ませ!) 7) La responsa es dins lo vent (答えは風の中に舞っている) 8) Massilia no 1 (マッシリア・ナンバーワン) 9) Pourquoi je morfile ? (なぜ俺だけが罰を受ける?) 10) L'eligit (選ばれた者) 11) Quand on vit connecté (オンラインの生活をしていると) 12) Parlar fort (大声で言え) 13) Tous ces mots (これらすべての言葉) 14) A Marseille (マルセイユに告ぐ) 15) Libres jusqu'à lundi (月曜日までの自由)(※) 16) Ils sont loin (テレビは遠い世界)(※) (※ LPのみに収録)
MASSILIA SOUND SYSTEM "MASSILIA" CD/LP Manivette Records MR10
フランスでのリリース : 2014年10月21日
カストール爺の採点:★★★★☆(↓)マッシリア・サウンド・システム30周年盤ティーザー"Si leva mai la cançon "
まず最初に本当にシアワセになれるシーンを書きますね。それはサン・パピエ(滞在許可証のない状態でフランスに滞在している外国人たち)を支援するNPO団体の年越しパーティーで、NPO世話人マルセル役のエレーヌ・ヴァンサン(1988年のエティエンヌ・シャティリエーズ監督作品『人生は長く静かな河』の富豪夫人マリエル・ル・ケノワ役! 歳のことで失礼ですが、当時45歳、現在71歳)が、およそこの女性とは縁がありそうもないボブ・マーリーの「ウェイティング・イン・ヴェイン」を歌って踊り始めるのです。美しい! ー この突然で意外な「歌もの」シーンの見せ場は、トレダノ&ナカッシュ作品にあっては "NOS JOURS HEUREUX"(2006年)のザ・ドゥービー・ブラザーズ「ロング・トレイン・ランニング」、"TELLEMENT PROCHES"(2009年)のマイケル・ゼーガー・バンド「レッツ・オール・チャント」、そして "INTOUCHABLES"(邦題『最強のふたり』2011年)のアース・ウィンド&ファイア「ブギー・ワンダーランド」であり、これらのシーンはまさに「トレダノ&ナカッシュ印」あるいは「トレダノ&ナカッシュ・タッチ」とでも言うべき、恩寵の瞬間です。
さて、トレダノ&ナカッシュの5作目の長編映画で、地球規模ヒットの『最強のふたり』に続く作品です。前作は当ブログも絶賛しましたし、2011年11月にアップしたその記事も当ブログ始まって以来の2万ページビューを越えるご愛読をいただきました。こういう作品の後ですから、新作に大きな期待を寄せていた人たちはフランスでも世界でも多かったでしょうし、2014年12月の日本公開を今か今かと待っている日本の方も多いでしょう。
アフリカ(セネガル)からフランスにやってきた青年サンバ・シッセ(演オマール・スィ)の物語です。原作は2011年発表のデルフィーヌ・クーラン作の小説『フランスに捧げるサンバ(SAMBA POUR LA FRANCE)』で、当ブログのここで紹介していますが、小説で描かれている、死をかけてアフリカから密航してくる移民の過酷な道程や、ひとたびヨーロッパに着いても非人間的な条件で隠れて生きなければならないサン・パピエの惨状は、この映画にはほとんど登場しません。「社会派コメディー」として描こうとする監督の意志からでしょうか。ずいぶんと原作と違う展開になっています。
映画はまるでハリウッドミュージカルのような豪華ホテルでのウェディングパーティーに始まり、ウェイターたちが巨大なピエス・モンテや、何十本ものシャンパーニュを運んできます。カメラはそのウェイターたちのバックヤードへの退場を追い、炊事場に入り、そのまた奥の食器洗い場に至ります。そこに大きな体のアフリカ男サンバはいて、汚れた食器から残飯を放水機で払い、業務用の大きな高速食器洗い機に中に並べていきます。いつかは炊事場で働きたいのです。そういう仕事を何年もやってきました。もうフランスに来て10年が過ぎたので、サンバは警察の移民科に10年有効の滞在許可証を申請します。継続的に10年フランスに住んでいることが証明できる書類を揃えれば、そのカードはもらえるはずなのです。ところが、その手続きに警察に出頭したサンバは、その申請が却下されたばかりではなく、不法滞在で逮捕され、国外退去処分となり、CDG空港に隣接する不法滞在移民収容センターに監禁されます。
ここで私は移民の置かれている状況について、原作を読んでいるので、こうやって説明できていますが、映画はほとんど何の説明もないのです。なぜサンバの申請が拒否され、国外退去処分になるのか、映画は何も語らない。「アフリカからの移民が警察に捕まる」があたかも何の説明も必要ない、フツーのことであるかのように。
サン・パピエ支援の市民団体は、人道的な立場からこの不当な移民狩り政策から移民たちを保護し、個々のケースを法廷で救済するための活動をしていて、CDG空港の収容センターにも出入りして、捕まえられた移民たちを援護します。その団体から送られ、サンバの前に現れたのが、学生で弁護士のタマゴのマニュ(演イジア・イジュラン。ジャック・イジュランの娘で本業ロック歌手)と、大会社管理職を休職中でその間この団体でボランティア見習いをしているアリス(演シャルロット・ゲンズブール)でした。
この「大会社管理職を休職中」というのは、原作にはなく、トレダノ&ナカッシュのオリジナル脚本です(それとサンバとアリスが恋に落ちるというのもオリジナル脚本です)。この一流企業の高級管理職の女性は、我をも忘れる過度な労働の末「バーンナウト」してしまい、心療のために休職していて、このボランティア活動も一種のセラピーの一環なのでした。ここでイチャモンです。高度な教育を受け企業エリートとして育成され、若くして高級管理職にまで昇進し、あまりの激務にキレた、というキャラクター設定ですと、この役にシャルロット・ゲンズブールというのはたいへん無理があります。
サンバを無罪釈放させようというマニュとアリスの支援活動にも関わらず、サンバの受けた最終処置は、「国外退去命令」を受けたまま、フランス国内に釈放するという不条理なものです。つまりサン・パピエとして泳がせておくということです。よってサンバがこの状態で警察のコントロールに引っかかった場合、逮捕され国外追放になるのです。おまえには何の権利(とりわけ働く権利、医療を受ける権利)も与えないが、隠れて生きろ、というわけです。
このCDG収容所内で、サンバはコンゴから密航してきたジョナスと出会い親しくなります。ジョナスは仕事や金を求めてヨーロッパにやってきたわけではない。愛する女性グラシウーズと結婚するために命がけの密航をしてきたのです。ところが彼はリヨン駅で警察に捕まり、グラシウーズとも再会できないままです。不条理ながらも釈放を勝ち得たサンバにジョナスは、バルベス地区で美容師をしているらしいグラシウーズを探し当てて欲しいという願いを託します。合点だぜ、兄弟。男気のあるサンバは、自分がサン・パピエで再逮捕される危険も顧みず、バルベスでグラシウーズを探しまわります。難航の末、やっと探し当てたグラシウーズ。あっと驚く魅惑的な女性。サンバはここで越えてはいけない一線を越えて、捕われの友が愛する女性と一夜を過ごしてしまうのです。映画はここのところも軽いエピソードとして描かれていて、シナリオの弱さを感じてしまいます。
警察の目に怯えながらサン・パピエ状態でパリに生きるということは、合法的なことは何もできないということです。サンバはアリスとマニュのいるNPO団体に行き、どうすればいいのか相談します。その相談室には多種多様多色の大勢のサン・パピエたちが来ていて、サンバと同じことを十人十色の言語でNPOボランティアに問います。このボランティアの多くはリタイア後のおばあちゃんたちで、わけのわからない言語を話すサン・パピエたちとのやりとりをトレダノ&ナカッシュはコント・ギャグ連発集として映し出します。映画館ではやはり笑い声が出ますけど、なんか笑えないシーンですよ。
そしてサンバの番になって、一体いつになったらこの状態から出れるのか聞きますが、見習い相談員のアリスは1年ほど待ってから再申請するしかないと答えます。冗談じゃない。1年も働かず、収入もなく、どうやって生きていくのか。あんたは俺たちのことを何もわかっちゃいない。サンバは声を荒げて怒りを爆発させます。するとアリスは逆ギレして、サンバの数倍の声量になって、あらゆる野卑な罵り言葉を放って、あんた何様だと思ってんの、ピュタン!メルド!シエ!コナール!の連続絶叫となります。あれあれ?このシーンいつか見たことあるぞ?と思ったら、"NOS JOURS HEUREUX"(トレダノ&ナカッシュ、2006年)の児童ヴァカンス村の新米モニター、キャロリーヌ(演ジョゼフィーヌ・ド・モー)の(↓)これでした。
「甘ったるく、リズムのないコメディー(une comédie sirupeuse et sans rythme)」と10月15日付けのテレラマ誌は評しました。同じ日のリベラシオン紙は「息切れ状態の社会派コメディー(une poussive comédie sociale)」と書いています。何か『最強のふたり』で光っていたものが、こんなふうにすれば観客にウケるだろうというルーチンに変わってしまったような感じがあります。富豪と貧者のシンデレラストーリーは、高級エリート女性とサン・パピエアフリカ人のラヴストーリーでは同じ効果が出て来ない、ということなのでしょうか。深刻な原作への深入りを拒否して、軽め軽めで行こうというエディトリアルの問題なのでしょうか。私はそれに加えて、お笑いのキャラクターであるオマール・スィが俳優として出来ることが出し切れてないように見えましたし、シャルロット・ゲンズブールでこの役はないべさ、とも思いましたよ。残念です。