2018年12月15日土曜日

2018年のアルバム その5:じっと目を見ろ

Barbara Carlotti "Magnétique"
バルバラ・カルロッティ『マニェティック』

ルヴェ・ブーリ(文)+エルヴェ・タンクレル(画)の『フレンチ・ポップ小事典(Le Prtit Livre FRENCH POP)』(Dargaud刊、2018年11月)の2018年ディスクおよび同著結論部の1枚として紹介された文を以下に訳します。
本書の結論として選ばれたこのディスクはひとつの象徴である。60年にわたるポップ・フランセーズの歴史全体(おそらく例外があるとすればJUL)の総括である。いかにも、バルバラ・カルロッティは"これらすべてを整理すること(註:原文=A canaliser tout ça)" に成功したのだ。 彼女の「夢の研究室」にインスパイアされた、よく練られ、時代を超越したアルバムは、最終曲の7分に及ぶきわめてコズミックなサイケ・ジャズに到達して終わる。しかしやんぬるかなこのアルバムを制作しようというレコード会社はどこにもなく、クラウドファンディングによる資金集めが必要とされた。今日のフランスで音楽を制作するということは、悪夢に転じる可能性もあるということだ。
ポップ・フランセーズ60年のエッセンスがすべて詰まったアルバムという破格の評価です。註でつけた "Canaliser tout ça これらすべてを整理する"という言葉は、1曲め "Voir les étoiles tomer"(星々が落ちるのを見る)のアウトロで語られるセリフの一部です。(↓このクリップでは登場しません)

I try, I cry, I'm in, I die
J'ai trop de feu, trop de violence, trop d'énergie
私には多すぎる火、多すぎる暴力、多すぎるエネルギー
Trop de désir, trop de peur
多すぎる欲望、多すぎる恐怖
Trop de mouvements contraires, trop d'agitation
多すぎる相反する運動、多すぎる激動があって
Et j'ai l'impression que si j'arrive pas
私はもしもこれらを全部整理することが
A canaliser tout ça
できなかったら
Si j'arrive pas à trouver le point d'équilibre
もしもバランスの中心点が見つけられなかったら
Je vais me consumer d'un coup
私は即座に破裂して
Mon coeur va lâcher...
心臓が止まってしまうと思うの
このなんでもいっぱいありすぎる当年44歳の女性アーチストは、2005年にベルトラン・ビュルガラのバックアップでデビューして以来、今日まで5枚のアルバムを発表しています。ビュルガラのみならず、カトリーヌ、ドミニク・ア、オリヴィエ・リヴォー(レ・ゾブジェ、ヌーヴェル・ヴァーグ)など90年代00年代のポップ・フランセーズのど真ん中の制作現場におり、フランソワーズ・アルディやブリジット・フォンテーヌをカヴァーし、独立系の映画の音楽を担当し、象徴詩人ボードレールを取り上げたアルバムでテレラマなどインテリ硬派に高く評価され、国営の一般向けラジオでありながらインテリ臭ぷんぷんのフランス・アンテールで毎日1時間の定時番組を持ったり...。温く厚みのあるうっとりヴォーカルの強み、ジャズにもコンテンポラリーにも対応するマルチなパフォーマンス。安心できる姐御肌の安定したアーチストのように見えましたが、このアルバムは自らギリギリのところでやっているのよ、というポーズがあります。
 テーマは夢です。少女の頃から、夜中に目が覚めたら、その直前の夢をノートに書き留めるという習慣があったそうで、良夢も悪夢もそうやって記録として保存していたら、ある種の"夢研究室"または"夢アトリエ”のようなものが出来てしまった。だいたい夢には辻褄や整合性や論理性や倫理性もないものでして。怖いものが、なぜ怖いのかもわからない。20世紀初頭のシュールレアリストたちのように、夢をあるがままに記述しようとすると、やっぱりとんでもないものになってしまうのではないか。バルバラ・カルロッティはブルターニュのとある村に1ヶ月篭って、その夢実験を音楽化しようとしたわけですね。と言ってもそれはポップな音楽の範疇の話でして、とんでもない方向に行ってしまいそうなものをポップなバランス感覚で "canaliser"(カナリゼ。管に通して流す。整理する)のです。曲はシクスティーズ風、セヴンティーズ風、ニューウェイヴテクノポップ風 、サイケデリック風... いろいろポップのあの手この手を用いて、夢の混沌にまとまりをつけようとするのです。夢ですからとんでもないエロっぽいものまであるのですが、カルロッティのバランス感覚はその絵図をヒョイっと、ホワンっと、レレレっと...。これはポップなアートじゃないですかね。
 そして夢と狂気の抗えない関係について。あなただって「こんな夢見るなんて私狂ってしまったんじゃないかしら」と思ったことがありましょう。この夢からの狂気の呼び声を、カルロッティはラジオ放送のように表現します → 「メンタル・ラジオ、センチメンタル」(↓クリップにはフィリップ・カトリーヌが出演)

黄昏どき、私のメンタル・ラジオは音とイメージが一致しない
私には声が聞こえる
知ってる?あなたは私にしたいことをしていいのよ
私には誰にも見えないことが見えるのよ
私は他の人が知らないことを知っているのよ

私は狂っていないわよ、もし私が狂ってるとしたら
私はあなたに狂っているのよ メンタル・ラジオ、センチメンタル
私は狂っていないわよ、もし私が狂ってるとしたら
私はあなたに狂っているのよ メンタル・ラジオ、センチメンタル

夜、私のクリスタルな陶酔のどまん中で
音とイメージは声を共有するの
私は知っている、私には感じる、 私には見える
知ってる?あなたは私にしたいことをしていいのよ
私には誰にも見えないことが見えるのよ
私は他の人が知らないことを知っているのよ

私は宇宙の運命がわかる
すべての天の成り立ちが
存在と存在をつなぐ原因が
私たちをかきたてるすべての炎が
私は見えない電波を受け取れるのよ

でも心配しないで、私は沈黙することも知っているから
そしてあなたは私にしたいことをしていいのよ
私は他の人が知らないことを知っているのよ

私は狂っていないわよ、もし私が狂ってるとしたら
私はあなたに狂っているのよ メンタル・ラジオ、センチメンタル
私は狂っていないわよ、もし私が狂ってるとしたら
私はあなたに狂っているのよ メンタル・ラジオ、センチメンタル

嘘も快楽も天との交信もすべて夢の中。夢もうつつ、うつつも夢。ドリームズ・カム・トゥルー。狂気の側に落ちそうで落ちない、ボーダーラインのポップ・ミュージック12トラック。2018年最良のポップ・フランセーズなり。

<<< トラックリスト >>>
1. Voir les étoiles tomber
2. Radio mentale sentimentale
3. Le mensonge
4. Tout ce que tu touches (feat. Bertrand Burgalat)
5. Vampyr
6. Plaisir ou agonie ?
7. Phénomène composite
8. Paradise beach
9. La beauté du geste
10. Tu peux dormir
11. Bonheurs hybrides
12. Magnétique

BARBARA CARLOTTI "MAGNETIQUE"
CD La Maison des rêves 9029567774
フランスでのリリース:2018年4月

カストール爺の採点:★★★★★

(↓)私にはアルバム最高の曲と思える "Plaisir ou Agonie ?" 6分15秒。


(↓)バルバラ・カルロッティ+ジュリエット・アルマネ "J'ai encore rêvé d'elle"(1975年イレテ・チュヌ・フォワのカヴァー)





 

2018年12月12日水曜日

2018年のアルバム その4:キー・オブ・ライフ

Michel Polnareff "Enfin!"
ミッシェル・ポルナレフ『やっと開いた南京錠』

を去ること42年前スティーヴィー・ワンダーが『人生の鍵の歌(Songs in the Key of Life)』(1976)という大名作アルバムを出したんですが、その中で最も知られた曲のひとつに「イズント・シー・ラヴリー(邦題:可愛いアイシャ。1997年にホンダ車ロゴのCM音楽として使われたのは、"可愛い愛車"とダジャレたものだったのだ)という6分34秒の歌があります。これはスティーヴィーの娘アイシャの誕生を祝って、可愛くてしかたのない赤ん坊アイシャの泣き声やら笑い声やらブーブーいう声やらをサンプルして曲にしていったら、あの声も入れようこの声も入れようで、出来上がりが6分半にもなってしまった親バカ曲です。ナレフの28年ぶりに発表した10枚目のスタジオアルバム『Enfin !』の4曲めにナレフの(ナレフが生物学上の父ではないが認知した)ひとり息子ルーカ(もうすぐ8歳)の声をたくさんフィーチャーしたディスコ調インストルメンタル曲「ルーカス・ソング」は、まさにこのわが子いとしや「イズント・シー・ラヴリー」の手法を踏襲したものです。赤子だったアイシャと違って今や8歳のルーカはものをしゃべる(一応英仏バイリンガル)わけで、吾子よ吾子よと溺愛しているうちに、気がついたら、え?こんな成長、え?こんな性徴、と老父(74歳)を狼狽させたりもするでしょう。
 ルーカにまつわる歌はこのアルバムに2曲。私は結局この2曲がアルバムの核心なのだろうと思っています。端的に言えば、坊主のためにわしはもう一働きせにゃいかん、というのがナレフのアーチスト再生の最大の契機だったと思うわけです。枯渇して久しいアーティスティック・インスピレーションをどうしても蘇生させにゃあいかん。子を持った人間ならば誰しも最初に重く実感することでしょうが、子育てにはお金がかかるのです。定年引退の年齢の頃に授かった子ですが、引退などしていられなくなるのです。これが閉じかけていたナレフの人生を再び開けさせる鍵となったということです。キー・オブ・ライフというわけです。おわかりかな?
 しかしこの鍵をもらってからも、時間はいたずらに過ぎていき、1990年の『カーマ・スートラ』 以来、出す、出来た、と何度も何度も狼が来た発表をしていた新スタジオアルバムも、2010年以降は「もはや絶対に出るわけのないもの」というのが音楽業界および黄表紙メディアの一致した認識となりました。インターネットの時代になって、自らを巨大宇宙船の「アミラル (L'Amiral = 提督)」と呼び、フランス+仏語圏世界+日本にまたがる親衛隊もどきの無条件ファン群を「ムサイヨン(moussaillons = 新兵水夫)」として、ヴァーチャルな絶対カルト小宇宙に君臨してきたが、そのムサイヨンたちだけは新アルバムの登場を信じて疑わないありがたい人々でありました。
 私はね、今度のアルバム制作の最大の動機は子供の養育費だと思うんですが、2007年のステージ復活(ゼ・ルトゥール Ze re tour ツアー)と、新アルバムお披露目ツアーのはずだった(が新アルバムは出なかった)2016年のツアーだけでは、ナレフとダニエラの台所も十分に潤わなかったのではないか、とも思ってます。Money's too tight to mention.
 そんなものはシングルヒットで解消できるさ、とアミラルは思っていたかもしれません。"Ophélie Fraglant Des Lits(ベッド現行犯のオフェリー)"(2007年1月)、"L'Homme en rouge(赤い服の男)"(2015年12月)、ナレフの思惑は見事に外れ、売上げは言うまでもなく、今のナレフのクリエイションクオリティーはこの程度なのか、とファンたちを大いに不安にさせもしました。このシングル2種の不発でナレフはいよいよ追い詰められたようです。
 仏語ウィキペディアの"Enfin !"の項の記述によると "Actuellement je suis en studio"(現在スタジオで録音中)という公言は2010年から始まっていて、2014年6月5日に公開された映画館上映のドキュメンタリー映画 "Polnareff, quand l'écran s'allume"では(私、これ地元映画館で観ました。やっぱり大筋のところでは吾子可愛いやばかりが目立つドキュメンタリー)では、加州のホームスタジオで録音中の4曲の断片がインストとハミングで紹介され、2014年11月リリース予定で進行中と発表。以来2015年にも2016年にも同種の「ついに完成、発売間近」の発表がありましたが。で、誰も狼が来たを信じなくなった2018年9月7日、オランピア劇場で開かれたレコード会社仏ユニバーサルの年次コンフェランスで、同社代表オリヴィエ・ニュッスの公式発表として「11月30日発売」がアナウンスされたのでした。そして10月3日、「Enfin !」(やっと、ついに、ようやく、という意味の、まあ、自虐的ユーモアみたいな、他人も自分もあきれきったような...)というアルバムタイトルと、"Enfin !"と彫り文字された南京錠に鍵が突っ込まれて、錠が開けられたという図の、わかりやすくも含蓄が薄くアーティのかけらもないジャケ写が発表になりました。ナレフ自身のアイディアでしょうね。ジャケットアートの価値の問題は置いといて、ここでも重要なのは鍵なのであります。
 本題に入っていきます。このアルバムには私のような非ムサイヨンでも、これは無条件に頭が下がる、という曲が1曲あります。3曲めの「坊や大きくならないで (Grandis Pas)」です(私の勝手な邦訳題は、1969年日本のフォークトリオ、マイケルズの歌で知られることになったヴェトナム人作反戦歌に敬意を表してのことですが、両曲の関連は皆無ですから気にしないで)。言うまでもなく吾子ルーカに捧げられた曲ですが、ナレフの伝家の宝刀と言うべき流れるようなピアノ弾き語りバラードで、極上のメロディーと必殺のハイトーンのファルセットの泣かせどころもある、それはそれはミッシェル・ポルナレフさまさまなのです。これは否定のしようがないじゃないですか。

大きくならないで
きみが知っていることを
忘れないで

大きくならないで
きみはすでに
きみそのものなんだから

きみの伸びる1センチは
1キロメートルみたいだ
ひまも与えず
巨人の歩みを進むようだ

おもちゃを置いて
ここにいて
私のすぐそばに

王子のままでいて
この王国から
去って行かないで

きみの書く詩で
私たちのことが好きだと言っておくれ
私の手を取って
きみの描いた絵の中を一緒に歩こう

きみが見知らぬものを怖がって
私に身を寄せてきた頃
私はきみに大丈夫だよと安心させるのが好きだった
今や私の方がきみが私の手を導いてくれないと
迷ってしまう

大きくならないで
大人たちは大人たちだけの世界に
放っておいて

きみの子供時代を
ぱちんこで射たないで

夢が嘘に変わってしまうところに
行かないで
きみのベッドから出ないで
きみのベッドはなぜこんなに小さくなったの?

柔らかく軽い
雲に乗っている歳のままでいて

この顔と
この光景は
完全なものだよ

きみの中にいるこの男を
待たせておいて
この男は私ときみを離れ離れにしてしまうんだ
きみも、私たちも、私もそれを望まないのに

きみが見知らぬものを怖がって
私に身を寄せてきた頃
私はきみに大丈夫だよと安心させるのが好きだった
今や私の方がきみが私の手を導いてくれないと
迷ってしまう

そしてきみと私が似ていたら 
一緒に大きくなっていく
私の手を取って
きみの描いた絵の中を一緒に歩いて行こう

大きくならないで
大きくならないで
(詞:ポルナレフ&ドリアン/曲:ポルナレフ) 
この歌をナレフは「家族版の"行かないで(Ne me quitte pas)"」と称し、見苦しい父親のエゴイズムであることを認めています。自伝本などで知られているように、父レオ・ポルから殴られながらピアノを叩き込まれた子供時代を過ごしたナレフが、吾子にはそんな思いを絶対にさせたくないと思いながらも、物心ついたらやっぱり自分と同じように親離れをするということを74歳で狼狽している感じがよくわかるではありませんか。ルーカが20歳になった時、ナレフは(生きていれば)87歳ですよ。私はね、こういう本音から出てくるナレフの歌なんて知りませんよ。本当にこの歌がこのアルバムの(唯一)例外的な佳曲でありますよ。

 さて他の曲をどう聞いていいのか、私は戸惑うものがありますよ。
 冒頭の11分のインスト曲「ファントム(Phantom)」と9分強の終曲(インスト)「お湯(Agua caliente)」はその大仰さを覚悟して聞かねばならないものです。私はこれは「花火音楽」だと聞きました。毎年9月、私のアパルトマンのセーヌ川対岸のサン・クルー公園で催される欧州最大規模の花火大会 "Le Grand Feu de Saint Cloud"が開かれるのですが、「ファントム」はその最終の"ブーケ・フィナル”(大トリの乱れ打ち)に向かう音楽として使われたら、どれだけ映えるだろうか、と想像できます。しかしそれは花火あってこその話です。ここでもキーワードは「鍵」なのですが、それは花火の時に風流江戸人が掛け声としてあげる「鍵屋!」ー っとこれはコジツケが過ぎました、ごめんなさい。
同様にオリンピック開会セレモニーのアトラクションの音楽のようなものも想像できますが、これも大仕掛けのアトラクションがあってこそ生きる音楽と言えます。多くの映画音楽が映画(それも心に残る映画)がなければ生きないように。ナレフのインスト曲は、1971年アルバム『ポルナレフス』に収められた3曲、 およびいくつかの映画音楽で評価が高かったのですが、新作アルバムにインスト3曲(トータル26分、アルバムの3分の1強)入れたのは『ポルナレフス』の評価の高さを意識してのことのようです。そりゃあ印象に残るメロディーでも随所にあればね。この長さとケレン&ハッタリの編曲だけでは無理があると思いますよ。4曲めで前述の「ルーカス・ソング」(5分21秒)はディスコですけど、全米制覇するつもりで1974年にアメリカ移住してアトランティックと契約したものの全米でナレフが評価されたのは唯一ディスコチャートを騒がせた映画音楽『リップスティック』(1976年)だけだったという過去が蘇ってきます。
 編曲(ご自分がほとんど)は、加州で40数年間ヒットFM聴いてるきたら、こういう感覚になるんだろうか、と思ってしまう百年一日のような西海岸FMのノリで、時代とのシンクロを全く感じさせません。ユニークだと思います。なぜみんな長めなのか、4分、5分、6分、7分サイズです。初めから意識して12インチシングルにしちゃっているような。既発シングルからまあまあ変身した5曲め「ベッド現行犯のオフェリー」と9曲め「赤い服の男」に至っては、ヒット狙いを放棄してこねくり回した90年代的マキシシングル型ヴァリエーションになってますが、これはどんなことをしても詞が災いしてます。後者は21世紀におけるサンタクロースの惨状を嘆く歌ですが、吾子ルーカを思っての寓意でありましょうけど、現代風刺の含蓄としてはいかにも貧弱じゃないですか。「地球人に告ぐ」という大上段に地球の危機を説くエコロジカルな歌「テール・ハッピー」(8曲め)も、こちらが決まり悪くなりそうな浅薄なメッセージです。お題目だけの愛と平和と環境保護はオリンピック開会セレモニーだけにしてくれと言いたくなります。長年宇宙船船長アミラル役をやっていると(その上その言うことを聞く何十万というムサイヨンがヴァーチャルに存在すると)、これほどまで現代社会とのズレが生じてしまうのでしょうか。
 日本に何万人いることか、日出る国のムサイヨンたちへのファンサービスのつもりでしょうが、2曲め「スミ」(福岡のゲイシャ・ガールとのきつ〜いアヴァンチュールの歌)は問題ありませんか? え? 日本のファンたちはメルシー!アミラル、と言うのでしょうかね? ナレフはある日 "Sumi m'a soumis"(スミ・マ・スミ スミは俺を服従させた)というダジャレを思いついたんでしょうね。 このオチのためにひょいひょい日本(的)単語のダジャレを並べて、90年代FMハードポップ化した、人呼んで「ゲイシャ・ロック」なのだそう。いったいどんな惑星にこの方は生まれたのでしょう?
  自らの「カーマ・スートラ」(1990年)のテーマ掘り返しなのかもしれない7曲め「体位(ポジシオン)」 も前述の「ベッド現行犯のオフェリー」も、世界の女性たちが"#MeToo"と叫んでいる時勢をなんら考慮していないでしょうし、いつまでも変わらない好色ナレフを新アルバムでもアピールしたい気持ちがあったんでしょうが...。

  南京錠は開けられて、28年の禁を破って蔵出しされた珠玉の11トラック、と私は思いませんでしたが、たぶんナレフの人生の鍵(キー・オブ・ライフ)は開けられて、かなりそのまんまの形(ナレフ等身大)で提出された作品であるでしょう。無理もいびつさも隠さずに。私には奇異(key)なアルバムですが、「坊や大きくならないで」だけは高く評価します。

<<< トラックリスト >>>
1. Phantom
2. Sumi
3. Grandis Pas
4. Louka's song
5. Ophélie Flagrant Des Lits
6. Longtime
7. Positions
8. Terre Happy
9. L'Homme En Rouge
10. Dans Ta Playlist (C'est Ta Chanson)
11. Agua Caliente

Michel Polnareff "Enfin !"
CD/2LP Universal/Barclay/Enough Records  002577137334
フランスでのリリース:2018年11月30日

カストール爺の採点:★★☆☆☆

(↓)国営テレビ FRANCE 3とタイアップの"ENFIN !"プロモーション・ヴィデオ



2018年12月8日土曜日

エドゥアール・ルイ:黄色いチョッキに加担して

『黄色いチョッキを侮辱することは僕の父を侮辱するに等しい』

ディー・ベルグールにケリをつける』(2014年。邦訳本は『エディに別れを告げて』 2015年)の作家エドゥアール・ルイ(現在25歳)が、2018年11月から始まった全国規模でのガソリン燃料税増税反対抗議運動「ジレ・ジョーヌ(Gilets Jaunes、黄色いチョッキ)」について、12月4日レ・ザンロキュプティーブル誌上で支援トリビューンを寄稿。「暴動」、「治安不安」の側面からしか取り上げることのない日本のメディアからでは、この運動をネガティヴにしか見れないであろう日本の同志たちへ、今起こっていることの意味を少しでもわかってもらいたく、速攻で全文訳しました。12月7日に向風三郎のFBタイムラインに載せたものと同じものです。レ・ザンロキュプティーブル誌およびエドゥアール・ルイに許可は得ておりません。緊急のこととご理解ください。

(翻訳始め)
もう幾日も前から僕は「黄色いチョッキ」についてそれを支持する文章を書こうと試みたがうまくいかなかった。この運動に降りかかる極度の暴力性と階級の侮蔑が僕を麻痺させる。それはある意味で僕を個人的に狙い撃ちしているように感じられるからだ。
黄色いチョッキの最初にイメージとして現れたのを見た時に僕が感じたショックをどう描写していいものか僕はわからなかった。僕は数々の記事に添えられた写真の上に、公のメディアスペースなどには一度も登場したこともない多くの姿を見ていた。苦しみ、仕事と疲労と空腹に焦燥しきった姿、支配される者たちへの支配する者たちによる絶えることのない辱めに痛めつけられた姿、社会的なあるいは地理的な理由によって排除された姿、僕はこれらの疲れきった体、疲れきった手、押しつぶされた背中、衰弱した目の数々を見ていた。
僕の動揺の理由、それは確かに僕の社会的世界の暴力と不平等性に対する嫌悪によるものであることは確かだが、それだけでなく、たぶんそれはまず第一に、僕がこれらの写真で見た人々の体は、僕の父、僕の兄、僕の叔母…の姿に似ているということなのだ。彼らは僕の家族、僕が子供時代を過ごした村の住民たち、貧しさと惨めさで健康を冒された人々の姿に似ているのだ。僕の子供時代、この人々はいつも毎日のようにこう繰り返していたのだ「俺たちは誰も信用しない、誰も俺たちのことなど知ったことではない」ー僕がこの運動について即座に降りかかったブルジョワ階級による侮蔑と暴力が僕個人に向けられたものだと感じた所以はここにある。なぜなら僕自身にとって、ひとりの黄色いチョッキを侮辱するおのおのの発言は、僕の父を侮辱するに等しいからなのだ。
この運動が生まれるやいなや、僕たちはメディア上で「専門家」たちや「政治家」たちが黄色いチョッキ集団と彼らが体現する抗議運動を矮小化し、糾弾し、揶揄するのを見た。SNS上で僕は「野蛮人」「バカ者」「田舎者」「無責任」といった言葉が飛び交うのを見た。メディアは黄色いチョッキ集団の「不平」についてこう論じた:庶民階級は反抗はしない、彼らは不平を言うのだ、動物のように。一台の自動車が焼かれ、一軒のショーウィンドウが壊され、ひとつの像が破損された時、僕は「この運動の暴力」という言葉を聞いた。暴力という言葉の認識の相違といういつもの現象だ。政界とメディア界の大部分は、暴力とは政治によって貧困に落とし込まれ破壊された何千もの命のことではなく、何台かの焼かれた自動車のことであるとわれわれに信じ込ませようとする。歴史的モニュメントに落書きされたことが、病気を治療すること/生活すること/食餌を摂取すること/家族を養うことの不可能さよりも重大であると考えることができるとは、これまで一度たりとも悲惨というものを知る体験がなかったに違いない。
黄色いチョッキ集団は飢えと生活不安定と生命と死を問題にしているのである。「政治家」たちと一部のジャーナリストたちはそれに対して「わが共和国の象徴に傷がつけられた」と答える。この人たちは一体何を言っているのだ? よくもそんなことが? この人たちはどこから来たのか? メディアは黄色いチョッキ集団のレイシズムと嫌同性愛傾向をも取り上げる。彼らは誰をバカにしているのか? 僕は僕の本について語りたいわけではないが、これは興味深いことなので強調しておくと、僕が小説を発表するたびに僕は貧しいフランスの田舎を貶めていると糾弾されることになるのだ。それはまさに僕が僕の子供時代の村にはレイシズムと嫌同性愛風潮があったと言及したからなのである。庶民階級に益する何事もしたことがなかったジャーナリストたちが、(僕の小説を糾弾することによって)おもむろに憤激し庶民階級の弁護者のふりをするのである。
支配者たちにとって庶民階級は、ピエール・ブールデュー(仏社会学者)の表現を借りれば、Classe Objet(オブジェ階級、客体的階級)である。言説によって操作されうるオブジェ(客体)であり、ある日良き貧しき真正の庶民であったものが、翌日にはレイシストにも嫌同性愛者にもなれる。この二つの場合においても土台にある意図は同じものである:すなわち庶民階級による庶民階級に関する意見の噴出をさまたげること。前日と翌日で矛盾することになろうとも、庶民は黙らせておかねばならない。
たしかに黄色いチョッキ集団の中で嫌同性愛やレイシズムの言動はあった。だがメディアとこれらの「政治家」たちはいつからレイシズムと嫌同性愛を憂慮するようになったのか? 一体いつから? 彼らはレイシズムに反対して何かしたのか? 彼らが持ち合わせる権力でもって、アダマ・トラオレ(註:2016年7月マリ系移民の子アダマ・トラオレが警官の暴行で命を失った事件)とトラオレ支援委員会について語ったことがあるのか? フランスにおいて毎日起きている黒人とアラブ人に対する警察の暴力の事件について語ったことがあるのか? 同性結婚法(註:トービラ法 Mariage pour tous)の時、彼らはフリジッド・バルジョー(註:元コメディエンヌ、反トービラ法の論客)と某司祭に発言の場を大きく与えたではないか。そのことによって、テレビの席で嫌同性愛論が可能になり、まかり通るようになったのではなかったか?
支配者階級とある種のメディアが黄色いチョッキ運動の中における嫌同性愛とレイシズムについて語る時、彼らは嫌同性愛にもレイシズムにも言及しているのではない。彼らは「貧乏人は黙っていろ」と言っているのである。一方、黄色いチョッキ運動はいまだに形成途中の運動であり、その言語はまだ固まっていない。黄色いチョッキ集団の中に嫌同性愛やレイシズムが存在するならば、その言語を変えていくのがわれわれの責任である。
「私は苦しんでいる」と言うにはさまざまなやり方がある。ひとつの社会運動、それこそが、苦しんでいる人々が「私は移民流入と生活補償手当を受けている私の隣人のせいで苦しんでいる」と言うのをやめて、「私は国を治める人たちのせいで苦しんでいる。私は階級システムのせいで苦しんでいる、エマニュエル・マクロンとエドゥアール・フィリップのせいで苦しんでいる」と言うようになる可能性を開くものである。社会運動、それは言語の転換の契機であり、古い言語が衰退されうる契機である。それが今日起こっていることである。数日前から僕たちは黄色いチョッキ集団の使うボキャブラリーの言い直しに立ち会っている。最初の頃はガソリン燃料のことばかり聞こえてきたし、「保護受給者」のような聞きたくないような言葉も聞こえてきた。しかしその後は不公平、賃上げ、不正、といった言葉が聞かれるようになっている。
この運動は続かなければならない。なぜならこれは公正で、緊急で、根本的にラジカルなものであり、それまで不可視の領域に押し込められていたこれらの顔と声は、今や見られることも聞かれることもできるようになったのだから。闘争は容易ではない。黄色いチョッキ集団は大部分のブルジョワジーにとっては一種のロールシャッハテストのようなものであり、普段は婉曲的に侮蔑を表現しているブルジョワジーに直接的に階級的侮蔑と暴力を表すよう強要する。この侮蔑は僕の周りの非常にたくさんの生を破壊したし、今もその破壊を続けている。前よりもさらに多く。この侮蔑が僕を沈黙させ、僕の書きたかったことを書くのをやめさせ、表現したいことを表現させない寸前まで僕を麻痺させていたのだ。
僕たちは勝たねければならない。僕たちは多く、僕たちは言い合っている:さらにもう一回左派が敗北することなど、つまり苦しんでいる人々が敗北することなどもう堪えられないのだ、と。
エドゥアール・ルイ(2018年12月4日)
(翻訳終わり)

(↓)フランス深部アルプ・マリティーヌ県の山間の村で抗議デモを行う黄色いチョッキ集団(国営テレビFrance 3のニュース)


(↓)黄色いチョッキ集団、12月1日パリ。



2018年12月5日水曜日

2018年のアルバム その3:白鳥の歌なんか聞こえない

Johnny Hallyday "Mon pays c'est l'amour"
ジョニー・アリデイ『わが祖国、それは愛なり』


ジョニー・アリデイ(1943-2017)の51枚目で遺作となったアルバム。当初12曲を予定していたが、アリデイが歌を吹き込むことができたのは10曲のみ。録音はアリデイが肺がんを公表した2017年3月にサンタモニカとバーバンクのスタジオで始まり、その間アリデイはロサンゼルスでがん治療に通っていた。制作作業は6月/7月のアリデイ+エディ・ミッチェル+ジャック・デュトロンのトリオによる2ヶ月間の LES VIEILLES CANAILLES(レ・ヴィエイユ・カナイユ)ツアーで中断し、9月にアリデイがロサンゼルスからマルヌ・ラ・コケットに帰仏再移住したのちに本格的に再開するはずだった。しかし西海岸で録音したベーストラックに歌を吹き込んでいる最終のところで病状は悪化し、11月呼吸器障害で入院、何度か入退院を繰り返したあと、12月5日、マルヌ・ラ・コケットのジョニー邸で息を引き取った。
 LAでジョニーが吹き込んだのは3曲:"Je ne suis qu’un homme"(11曲め), "Un enfant du siècle"(9曲め), "Pardonne-moi"(4曲め)。マルヌ・ラ・コケットに近いシュレーヌのギヨーム・テル・スタジオで死の数週間前に録音されたのが残り7曲。多くのジョニーに近い評論家(特にフィリップ・ラブロ、ピエール・レスキュール)が言うように、このアーチストは長い芸歴(ほぼ60年)の中で歳を重ねるほどに歌がうまくなっている例外的なヴォーカリストである。どんどん良くなっている。この歌唱パフォーマンスのうまさの上昇曲線は、この死の間際の録音においても変わりはないのだ。つまり、ここにはウルティメートなジョニー最良の声と歌唱があるわけだが、それがジョニーのベスト録音になるかどうかは楽曲&編曲のクオリティーにも左右されるので...。プロデュースと多くの曲の作曲はヨードリス(またの名をマクシム・ヌッチ)という人。2011年のマチュー・シェディドプロデュースのアルバム『Jamais Seul』以来、ジョニー晩年の5枚のアルバムに関わってきたが、前作『De l'amour』(2015年)と本作『Mon pays c'est amour』(2018年)では制作の中心者=プロデューサーということになっている。ジョニーやギターのヤロル・プーポーなどは、ワーナー移籍(2007年)以降、ヴァリエテの音から脱した、ロックとブルースの基本に還った、とロック路線を強調した自画自賛をしていたのだが、どうなんだろうか。熱心なファンではない私にはどうしてもすべすべしたFM系(ヴァリエテ)ロックのように聞こえてしまうし、特にヨードリスの書く曲は...。
 アルバムのレヴューをと思って書き始めたのだが、この声のすごさの他に何も言えないようなところがある。1曲異彩を放つのが10曲め"Tomber Encore"という曲。これがシュレンヌのスタジオで最後に録音された曲。言わばジョニーの白鳥の歌である。

詞がボリス・ラノー。素人でありファンである。2015年10月9日、リールでのジョニーのコンサート前のホテル"入り待ち”で、この地方詩人はジョニーに自分の13編の詞集を手渡したかった。しかし予定通り自身には渡せず、後でホテル入りしたヤロル・プーポーに渡り、ヤロルからヨードリスに渡り、その夜のコンサート前の楽屋でヨードリスはそのうちの一編("Tomber Encore")に曲をつけてジョニーに聞かせた...。1年後ラノーはレコード会社(ワーナー)からこの曲が次のアルバムで録音されることを知らされるのである。それが最後のアルバムになる(しかも死後に発表になる)ことなど、知るよしもないが。
あたかもファンへの最後の感謝であるかのように、この曲は録音され、アルバムの11曲中、10曲めという重要な曲順で収録された。
Je ne vois plus que toi  もはや俺にはおまえしか見えない
Quand tu croses les jambes おまえが脚を組むとき
L'ombre de tes bas おまえのストッキングの影に
Et le ciel qui rampe 空が絡みついていく
Il me suffit de peu ほんのちょっとでいいんだ
Un pli, un remous ちょっとした起伏や動きさえあれば
Que la mer s'ouvre en deux  海はまっぷたつに割れ
Pour tomber à genoux 俺は膝から倒れていく
Fais-moi encore tomber もう一度俺に
Tomber amoureux fou 狂おしい恋に落とさせてくれ
Fais-moi encore tomber もう一度俺に
Tomber à genoux 膝から倒れさせてくれ
イメージはふたつ。1992年映画『氷の微笑(Basic Instinct)』のシャロン・ストーンの脚の組み替え。もうひとつは90年代に腰の手術をして以来、ステージアクションとしてできなくなった膝立ちor膝折りで歌うジョニー(←)。これをもう一度というファンの切ない願いなのだろう。だから、この詞に合う曲は "Que je t'aime"のようにひざまづいて歌うロカバラードか、トンベ、トンベ、トンベとリフレインするロックンロールかであってほしかったが、ヨードリス&ヤロル・プーポーはメジャー調FMロックにしてしまった。悪くないですよ。

 そしてアルバムタイトル曲にして最重要曲順の2曲めにつけた"Mon pays c'est l'amour(わが祖国、それは愛なり)" 。作詞カティア・ランドレア(ジェニフェール "Ma révolution")、作曲ヨードリス。

Je viiens d'un pays 俺が自分で選んだ国で
Où j'ai choisi de naître 俺は生まれた
Un bout de paradis 天国のかけらみたいなところさ
Que tu connais peut-être たぶんおまえも知ってるさ
Je viens d'un endroit 俺は国旗も国境もない
Sans drapeau ni fontière 場所で生まれた
Une terre sans loi 法律なんてない土地だけど
Où personne ne se perd 誰も迷ったりしない
Mon pays c'est l'amour 俺の国、それは愛さ
Mon pays c'est l'amour 俺の国、それは愛さ
Je suis né dans ses bras 俺は愛の腕の中で生まれたんんだ
En même temps que toi おまえと同時にね
J'ai grandi sous ses doigts 俺は愛の手で育てられたんだ
En même temps que toi おまえと一緒にね
74歳で、死の数週間前に、肺をガンで冒されながらジョニーはこれを吹き込んだ。なんという声だ。なんというパフォーマンスだ。なんというロックンロールだ。音楽家としてブレルやアズナヴール並みの詞とメロディーを自分で書かなかったことなど、この男のなんのハンディキャップになろう。何百万、何千万の人たちにこの男が愛され、リスペクトされるのに、この声以外の何が必要だろう。
 アルバムは2018年10月19日にリリースされ、発売時にすでに30万枚を売り、1ヶ月を待たずに100万枚を突破した。レコードCD業界の長年の不振をアルバム1枚でチャラにする勢いだった。ジョニーの好きな人はダウンロードやストリーミングはしないから。

<<< トラックリスト >>>
1. J'en parlerai au diable
2. Mon pays c'est l'amour
3. Made in Rock'n'Roll
4. Pardonne-moi
5. Inerlude (instrumental)
6. 4M2
7. Back in LA
8. L'Amerique de William
9. Un enfant du siècle
10. Tomber encore
11. Je ne suis qu'un homme

JOHNNY HALLYDAY "MON PAYS C'EST L'AMOUR"
LP/CD WARNER 9029561739
フランスでのリリース:2018年10月19日

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)2018年10月19日、パリ、アルバム発売時の狂騒を報じるFRANCE24のルポ。