2012年9月27日木曜日

海にいたるまで



アメリー・レ・クレヨン『海にいたるまで』
Amélie-Les-Crayons "Jusqu'à la mer"


私の生のすべて,そのひとかけを
あなたは盗んだ,そのあとは?
いいわ,私はあなたにそれを預けておくわ,心配しないで

私は去り,あなたはここに残る
ふたりとも狂っていたのね,残念だわ
このほうがいいのね
このほうがいいのよ

川床は
決して消え去るものではないけれど
雨の場合はそんなふうにはいかない

水は私たちを結ぶのと同じように
水は私たちを離ればなれにさせる
大洋はここからあまりにも遠い

旅をして 私は歳をとり
欲が少なくなった
そしてほんの少しだけど私は大きくなった

でもそれだけじゃ十分じゃないの
私はまだ探しているの そして人は私に言う
大洋はここからまだまだ遠いって

雨のしずくから
川床の流れへ
それがすべて何度も繰り返されるのは明白

海にいたるまで
         (Jusqu'à la mer)

 アメリー・レ・クレヨンはリヨンの人です。パリと同様に海から遠い内陸にありますが,パリにセーヌ川があるように,リヨンにはローヌ川が あります。この水の上に小舟を浮かべ,それに乗って川の流れにまかせておけば,大きな海に行き着くはずです。ところがこの少女は,ローヌ川に運ばれて地中海に至ることを拒否して,雨水や小川や運河をつたって,大西洋に至ろうとしているようなのです。少女の目指すのは "l'Océan"(オセアン,大洋)であって,他の海(例えばメディテラネ)ではない。
 川の流れにも,時代の流れにも逆らって... アメリー・レ・クレヨンの3枚めのスタジオアルバム『海にいたるまで』 はそんな海行きの旅の物語であり,私たちへの旅の誘いでもあります。ダルシマー,リラ,コルヌミューズ,グロッケンスピール,蘆笛,コンセルティーナ,マンドリン,トイピアノ... そういう楽器群が奏でる非21世紀的なアンサンブルは,歩くリズム,櫂を漕ぐリズム,円舞しながら移動するリズムに乗せて,アメリーの旅物語の喜びや辛さや出会いを綴り上げていきます。いつも詩的で(大人の)童話的な世界をつくってきたアメリーとその仲間たちにあって,このアルバムに特徴的なのは,近代性を排除して,中世的でケルト的で神話的なものを援用して,一夜に千里を進むようなスケールの大きい展開を可能にしていることです。
 ウィキペディアの記述ではアメリーは1981年に生まれたことになっています。ミッテラン元年。演劇の勉強を終え,街頭劇などを経験したのちに,1999年から作詞作曲を始めました。「色えんぴつのアメリー = Amélie-les-Crayons」は彼女が創り上げたペルソナージュ(作中人物)。このペルソナージュの周りに3人の男性ミュージシャンたちが集ってきて,音楽劇一座「アメリー・レ・クレヨン」が結成されます。つまり,アメリー・レ・クレヨンとは4人の一座の名前でもあり,その中心人物たる女性歌手の芸名でもあるのです。
 この一座のスタイルは,舞台装飾,大道具小道具,衣装といった演劇的な効果に重きを置いて,登場人物(アメリー+ミュージシャン)キャラクターを劇的に際立たせ,歌のショーであるよりも,音楽劇スペクタクルとして楽しまれることを本領としています。その最初に立ち上げたスペクタクル『ル・シャン・デ・コクリコ(ひなげしの歌)』 から,自主制作の6曲入り初ミニアルバム『ル・シャン・デ・コクリコ』(2002年。4000枚完売。現在入手不可能)は生まれました。
 2年間にわたってリヨンとその周辺の地方でこのスペクタクルを巡演したのち,2004年アメリー一座は『エ・プルコワ・レ・クレヨン?(どうしてエンピツなの?)』と題するファーストフルアルバムと,同名のスペクタクルを創演します。アルバムはすぐさまチャートインし,売上枚数は2012年までで4万2千枚を記録しています。そして『エ・プルコワ・レ・クレヨン?』のショーはフランス全土だけでなく,スイス,ベルギー,ケベック,フィンナンドにも及び,3年間で200回におよぶ公演回数となりました。ここでアメリーは"Bête de scène"(ベート・ド・セーヌ,舞台アニマル,舞台狂)という評判がついてしまいます。
 2006年から2007年,アメリー(+一座)は1年間舞台から離れて新アルバム&新スペクタクルを準備します。完成したのが『ラ・ポルト・プリュム(羽根の扉)』という作品で,このアルバムに関してはわがブログの『歌ってクレヨン』という記事で紹介しています。アルバムはアカデミー・シャルル・クロ・ディスク大賞を受賞,売上も3万2千枚という強さ。そしてそれに続く3年間の『ラ・ポルト・プリュム』ツアーは,2009年にDVD化され,"A l'Ouest je te plumerai la tête"というタイトルで発売されましたが,このDVDもわがブログは取り上げていて『やせっぽちのことを日本語で「えんぴつ」と言う』の記事になりました。
 1枚のアルバム+3年のツアー,次いで1枚のアルバム+3年のツアーというサイクルでやってきたアメリー・レ・クレヨン一座は,同じように1年間の舞台から離れての準備期間をとって,この2012年『Jusqu'à la mer (海にいたるまで)』を完成させました。旅と詩とイマジナリー・フォークロアの13曲。より女性的で,より大人になったアメリーの曲と歌,それがどんなスペクタクルになるのか。
 9月28日,私はサン・ジェルマン・アン・レイ(パリ西郊外)で,アメリー一座の『海にいたるまで』スペクタクルの初演を見ることができる,という幸運を得ました。またアメリーにインタヴューする,という幸運も。このことは音楽誌「ラティーナ」(2012年11月号)に書きます。ぜひ読んでみてください。

<<< トラックリスト >>>
1. Voyager léger
2. On n'est pas fatigués
3. Mon ami
4. Marie Morgane
5. Si tu veux
6. Les filles des forges
7. Jusqu'à la mer
8. Mes très chers
9. Les vents de brume
10. Les Saintes
11. La balançoire
12. La solution
13. Tout de nous

AMELIE-LES-CRAYONS "JUSQU'A LA MER"
CD L'Autre Distribution OP14AC3246
フランスでのリリース : 2012年10月8日

(↓ "Tout de nous" オフィシャル・クリップ)

2012年9月14日金曜日

J'aime le Japon moi non plus

Saint Michel "I love Japan"
サン・ミッシェル 『アイ・ラヴ・ジャパン』

 ダフト・パンク、エール、フェニックスを生んだ太陽王の城下町ヴェルサイユからの新しいエレ・ポップデュオです。
フィリップ・チュイリエ(ひげつき君。28歳。ヴォーカル、アナログ・シンセサイザー各種、ギター各種...)とエミール・ラロッシュ(ひげなし君。19歳。ベース、アナログ・シンセサイザー各種、ギター、ヴォーカル...)。微妙な年齢差ですね。これではガキの頃から聞いていた音楽もまるで違うでしょう。フィリップはヴェルサイユのイメージ通りの「カトリック系ブルジョワ」の家庭環境で、義務的にボーイスカウトに入れられたり、コンセルヴァトワールで楽器習わされたり。兄貴の影響でジャズとビートルズの洗礼を受けるのですが、最大の音楽的ショックはレイディオヘッドだったりします。エミールは国際舞台の演劇人の家庭に生まれ、ガキの時分からその世界各地の上演地に連れていかれて生来のコスモポリタンとして育つんですね。フィリップの最初のバンド、Milestone(マイルストーン。世界中どこにでもありそうなバンド名)はヴェルサイユとパリを除いては誰にも知られないロックバンドでしたが、エミールはその最初のファンのひとりでした。ファンとあこがれのバンドリーダーとの出会いというのが、この微妙な年齢差の理由かもしれません。
 サン・ミッシェル(聖ミカエル)という大天使の名前をバンド名にするのは、ブルジョワ・カトリックなヴェルサイユの雰囲気を良く伝えるものですが、ある種フランス的なるもの(たとえばフランス第二の観光客集客地モン・サン・ミッシェル、パリの学生街目抜き通りブールヴァール・サン・ミッシェル...)もおおいに喚起するすぐれたものです。この点はアルノー・フルーラン=ディディエ が最初のバンド名をノートル・ダムと名乗ったことに類似点があります。
 ディエーズ・プロダクションのローラン・マンガナス(バンジャマン・ビオレー、ドルヴァル、アンリ・サルヴァドールの『かくも長き時間』...)に発掘され、エールの元相棒でフェイダーの魔術師と呼ばれるフレンチ・タッチDJアレックス・ゴファーをミキサーに 迎えて自主制作されたのがこの5曲入りEP。音源ダウンロードのみの流通でしたが、サン・トノレ通りのセレクトショップのColetteなどで注目を集め、4月のディスケール・デイ(仏版レコードストア・デイ)や6月の音楽の日(フェット・ド・ラ・ミュージック)でのライヴパフォーマンスに登場したサン・ミッシェルはテレラマ誌から「ミネ」(minets。好ルックスの男子。beaux gosses ボ・ゴスが男性的なきれいな男であるのに対して、ミネは女性的に可愛い男子を指す)系新人バンドの筆頭と「評価」されます。このフレンチ・タッチ・ポップの「女性性」はエール、タヒチ80、フェニックス等のデビュー時にも言われたことですね。
 さてサン・ミッシェルはこの5曲入りEPの後に、メジャーのSony Music Franceと契約し、現在制作中の初フルアルバムは, 2013年2月リリース予定です。フレンチ・エレ・ポップのファンサイトなどで、<<『ムーン・サファリ』(エール、1998年)、『パズル』(タヒチ80、1998年)に匹敵するアルバム >>という期待が既に先行していますが、どうなることやら。
 その特徴はメロウな90年代風フレンチ・シンセ・ポップのサウンド環境で、 MGMTのような高音エアリアル&サイケデリックなヴォーカルが歌い、ダンスフロアーの魔手のミックスが快感ビートのメリハリを決めていく、というもののようです。フィリップのヴォーカル言語は英語です。余談ですが、フェースブック上でマルタン・メソニエが、この9月にアルバムデビューしたルー・ドワヨンに触れて、昨今の「英語で歌うフランスのアーチストたちはひとりとして自分が何を歌っているのかすらわかっていない」と手厳しい評価をしました。そう言われると、このサン・ミッシェルのフィリップの英語は「フンイキ語」でしかないようにも聞こえてきて、歌詞はあまり重要ではないと容易に判断できます。特に表題曲の"I LOVE JAPAN"(2曲め)は、多くの人たちがこのタイトルから想像する「大震災復興支援」みたいなものとは全く関係がありまっせん。(自分たちがお世話になっている)エレクトロニクス楽器の宝庫&原産地たる日本への目配せ、といった程度のことです。それでもこの曲が5曲中で最もうなずいて聞き込んでしまう、必殺の哀愁エレ・ポップの仕上がりです。
 「キャスリーン」ではなく「カッツリーヌ」と聞こえる1曲め "Katherine"、ダフト・パンク寄りのヴォコーダー遊びが冴える3曲め"Wastin' Tastin'"、タヒチ80風の流麗&軽妙酒脱なアップテンポ曲の4曲め "Crooner's Eyes"、そして冬景色風チル・アウトでセンチメンタルなエレ・ポップの5曲め "Noël Faded"。このデュオのさまざまな可能性をよく伝える好サンプラーの5曲です。(来年のフルアルバムには1.2.5.が別ミックスで収録予定)
 かつてタヒチ80が日本の女子高生たちのアイドルになってしまったように、「ミネ」であるサン・ミッシェルの仮想ターゲットは女子ティーンネイジャーとゲイ・コミュニティーだ、と制作会社代表のローラン・マンガナスは私に言いました。中高年のおじさん&おばさんたちにも受けると思いますがねぇ。

<<< トラックリスト  >>>
1. Katherine
2. I love Japan
3. Wastin' Tastin'
4. Crooner's eyes
5. Noël Fadded

SAINT MICHEL "I LOVE JAPAN  - EXTENDED PLAY No.1"
Diese Productions CDEP (no ref)
フランスでのリリース:2012年4月

(↓ "I Love Japan" Teaser 03#)

 

2012年9月11日火曜日

今朝のフランス語:「カス・トワ、リッシュ・コン!」

2012年9月10日付けリベラシオン紙の第一面です。写っている人物はベルナール・アルノー。高級ブランドグループLVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー)の総裁にして、ヨーロッパ長者番付第4位の大富豪です。この雲上人が、オランド大統領の誕生以来、フランスの富裕な人々への所得税率が75%になるということへの反応か、ベルギーの国籍を取得したい、と発言。ベリギーの方がフランスよりも相続税などが格段に安いのが理由ということは明言しませんが、誰もがそう思ってしまいます。アルノー本人はたとえベルギー国籍が与えられたとしても、フランス人としてフランスの租税義務は履行すると言っているようです。つまり二重国籍となるわけですね。既にブリュッセル郊外に住所は持っていて、そこに一家共々滞在する構え。
 こういうことはこの大富豪だけでなく、超高額所得者の財閥家、巨大企業オーナー、巨額収入のアーチストやスポーツ選手などが普通にやっていることで、スイス、ベルギー、リュクセンブルクなどに住所を持って、その国の(フランスよりも)安い税金を払っているのですね。
 オランドのこの所得税政策は、危機的な状態にある国庫を一時的にあらゆる階層の人々の努力である程度支えてもらうための緊急策であり、長期的なものではありません。富裕階層もこの国家の一大事に手を貸すべきだ、それがパトリオティスムだ、と言っているわけです。国を愛するのなら手を貸してくれ、誰もがこの国の危機を救うために少々の努力を、と。このパトリオット精神に期待しているのです。
フランス共産党の新聞 l'Humanité(ユマニテ)も、この大富豪アルノーの国外逃避を第一面で論じ、その見出しは
La France, Il l'aime ou il la quitte...
となっています。これはサルコジ前大統領が大統領になる前の2006年の発言として有名な "La France, tu l'aimes ou tu la quittes" (フランスを愛するか、さもなくばフランスを去るか)というフレーズに由来しています。このサルコジ発言のコンテクストは、移民および移民出身国籍取得者たちが、フランスにいながらフランスの慣習に従わなかったり、反フランス的な言動に走ったりという現象がある、ということを指して、そういう者たちがフランスを愛していないのなら、出て行ってもらいたい、という極右的で排外主義的なニュアンスであったわけです。これをユマニテ紙は、ベルナール・アルノーの能動的フランス離国のことを評して「彼はフランスを愛するか、それとも国を去るか...」とサルコジ論法で皮肉っているのです。これも悪くありません。
 しかしリベラシオン紙はその数倍ショッキングな第一面見出しです。
 Casse-toi riche con !
カス・トワ、リッシュ・コン! ー これも有名なサルコジ発言のもじりです。2008年2月23日、ポルト・ド・ヴェルサイユ見本市会場の「農業展」でサルコジ大統領が、握手攻めにあっていると思いきや、大統領が手を差し伸べたひとりの市民にそれを拒否され、激昂して「カス・トワ、ポーフ・コン!」と口をすべらせたという事件です。(詳細は拙ブログのこのページに)。当時の拙ブログはこれを「消え失せろ、〇〇〇野郎!」という感じの訳で紹介しましたが、それは「ポーフ・コン pauvre con」の「コン con」(バカ者という意味の他に女性器という意味あり)の方を強調したからなんですね。しかし今回はその前についた「ポーヴル pauvre」(惨めな、貧乏な)が重要な意味があるわけで、リベラシオンはそれをベルナール・アルノーという大富豪に合わせて、「リッシュ・コン riche con」というヴァリエーションを造語したのです。どう訳しましょうか。「金持ち〇〇〇野郎」となりましょうか。「消え失せろ、金持ち〇〇〇野郎!」というのは日本語の罵倒表現としてあまり迫力ないかもしれませんが、フランスでは大変な威力があります。
 この第一面見出しで、70年代の過激だったリベラシオン紙のエスプリが戻ってきた、と大歓迎する一部の人たちもいます。しかしこれをまともに受けてしまったベルナール・アルノーは即日にリベラシオンを相手取って、公然侮辱の訴訟を起こしました。リベラシオン紙は謝罪などせずに訴訟を受けて立つつもりです。国を侮辱したのはベルナール・アルノーの方である、という論です。がんばれ。