2024年6月10日月曜日

クイクイクイ、クイクイクイ、こちらでござる

Aki Shimazaki "Urushi"
アキ・シマザキ『漆』


キ・シマザキの第4パンタロジー(五連作)『打ち棒のない小鐘(Une Clochette Sans Battant)』の最終第5話。同パンタロジーの前4話(『スズラン』、『セミ』、『野のユリ』、『楡(にれ)』)は全部爺ブログで紹介しているので、(未読の方は)題名につけたリンクから参照してください。
 まず題名の『漆(うるし)』であるが、これはこの数年の間に、特にコロナ禍の”閉じこもり期”以降に世界的なブームとなった「金継ぎ」にまつわるものである。フランスでもメディアで大きく取り上げられているし、私の住むパリにも何軒か金継ぎアトリエがあり、一般市民が講習を受けて陶磁器の金継ぎによる修復をアートとして楽しんでいる。禅的でありエコロでありSDGsであり美しい。この流行を知った時、シマザキは「これいただき!」と閃いたのだろう。最初から種明かしをしてしまうと、その金継ぎは、アンズ(楡家の次女、トールの母、スズコの継母)とユージ(アンズの現夫、楡家の長女キョーコ=故人の寡夫でスズコの父)がチェコ共和国から持ち帰ったのち割れてしまった骨董セラミックの「打ち棒のない小鐘」を見事に修復するという小説のひとつのクライマックスを用意している。
 金継ぎは割れて破損したオリジナルを修復してオリジナルを凌駕する美を獲得してしまう。ここがミソ。

 さて今回の話者は現在15歳になっているスズコ。出産後癌で他界したキョーコの娘で、父親はユージ。キョーコの妹アンズが寡夫ユージと再婚してスズコを養子として迎え、アンズの前夫との子供トールを加え、4人家族として円満に暮らしていた。場所は山陰、鳥取県米子。アンズは田舎に窯を持つそこそこ著名な陶芸家で東京の展覧会にも出品する。ユージは大手製薬会社の米子支社の幹部社員。スズコより11歳年上の義兄トールは高校まで米子にいたが、大学は名古屋に行き、卒業して名古屋の自動車メーカーのエンジニアになっている。少年時から始めた空手有段者(三段)で、国際的な試合も経験している。イケメンのスポーツマンゆえ高校大学と女子ファンたちは多かったが、特定の交際相手はいない。女子ファンの中に、アンズの弟で楡家の長男ノブキ(前作『』の中心人物)の二人の娘ミヨコとナミコがいて、とりわけ下のナミコは積極的でトールの妻候補を公言している。
 小説の序盤はスズコの義兄トールへの狂おしい片思いである。昭和期コバルト・ブックスのようなJK純愛文体が続くので、途中で投げ出したくなることもあろう。ずっとずっと慕って甘えていた”おにいちゃん”は、米子から離れて名古屋の大学に行ってしまってから、会いたい想いは募るばかり。スズコ12歳のある日、いてもたってもいられなくなり遂に家出を敢行し、JRを乗り継いで名古屋へ。幼くも強烈な片思いは怖いもの知らずで、まんまと決死の一人旅は成功し、名古屋のトールのアパートまでたどり着くのだが、トールを含む大人たちはこれを”子供のしたこと”あつかいせず、とがめもせず、穏便に翌日送還で収拾をつける。思いを告げるつもりでここまで来たスズコだったがそれは叶わなかったものの、トールのアパートで用意された寝袋を抜け出して、こっそりトールのベッドにもぐり込むことに成功している。この寝床の温もりの記憶がその後スズコの恋慕をさらに焚きつけるのであった。
 盆暮れ正月の帰省を除いてトールは名古屋からめったに米子に帰って来ない。大学を終え、名古屋の会社にエンジニアとして就職し、当分実家の鞘に収まらないつもりらしい。高校生になったスズコは自分の進路よりも(高校を卒業したら)名古屋の大学へ進んでトールと一緒に生活したいという望みが先行する。両親と周囲の人間たちは進学するなら米子でも鳥取でもいいから地元にとどまることを強く希望するのだが(←これは21世紀的日本でもこういう”娘を親元近くにしばる”傾向があるのですか?地方的封建性ですか?シマザキの小説ではいつまでたってもこういう日本ですが)。
 そんなときにスズコは道端で一羽の傷ついた小鳥を見つける。それは片方の羽が折れ、飛べずにいるスズメだった。そう言えば子供の頃、スズコという名前をからかって「スズメ、スズメ」とはやし立てる悪ガキたちがいた。そう、私はスズメだ。しかも傷ついたスズメ、愛する人の元に飛んでいける翼をダメにしたスズメ、飛べないスズメ... とスズコはこの小鳥にわが身を投影するのだった。クイクイクイクイ。スズコは幼い日のわらべ歌を口ずさむ:
Moineau, moiseau, où se trouve ta maison ?
Cui cui cui, cui cui cui, c'est ici...
(↑翻訳は不要ですよね)。そしてスズコは傷ついたスズメを家に持ち帰り、手当てし、傷を癒してやり、再び飛べることはなくても、素晴らしい”別もの”として再生させようと心に決める。金継ぎのように、壊れたものを素晴らしい”別もの”として生き返らせる。スズコはこのスズメを"超スズメ”に蘇らせたい。それは言葉を話すスズメ。とは言っても九官鳥やオウムのレベルで、”おたけさん”とでも言ってくれれば目的は達成される。これがスズコの”スズメの金継ぎ”であり、それに因んでスズコはこの小鳥に「ウルシ」という名をつける。自分の部屋の中で鳥篭に入れ、手当てとエサやりに心を尽くし、そして同じ言葉を何度も繰り返して、小鳥に復唱させようとする。その言葉は三つの名前:スズコ、トール、ウルシ。スズメがこの3つの名を発語する日、スズコの金継ぎは完成し、想いは成就するはず。

 (ここでかなり無粋な注釈をしてしまう。日本の鳥獣保護法第8条はスズメに限らず、鳥獣および鳥類の卵を捕獲・採取・損傷することを禁止していて、違反した場合は1年以下の懲役または100万円以下の罰金が科せられる。シマザキがこれを知っていたかどうかはわからないが、野鳥のペット化は美談にしてはいけないと私は思う。この小説の成立を脅かしてしまう話ではあるが。)
 

 金継ぎのメタファーはこの”複合家族(famille composée)”にも当てはまる。壊れてしまった複数の家族の事情:アンズがトールを生んだ後で蒸発してしまった前夫、スズコを生んだ後急死したキョーコ、キョーコの死と前後して恋に落ちたアンズとユージ、これらのドラマを経てひとつの家族として再スタートしたアンズ+ユージ+トール+スズコ。これらをつなぎ合わせて幸福な家族にした”ウルシ”は何だったのか。

 さて、トールは空手の国際イヴェントに招待されてハワイへ旅行し、そのハワイ土産を持って米子にやってくる。この数日の帰郷滞在こそ、スズコにはトールに胸の内を告げる最後のチャンスと待ち構えている。15歳の想像力はこの恋路を遮るものがさまざま見えてくる。自分の数倍も積極的で性に旺盛な興味を抱くいとこのミヨコとナミコ、トールの空手の同僚ナオ(トールのハワイ遠征に同行した)、ナオの妹でトールと親しいらしいミキという美しい女性(おまけに死んだ母キョーコと同じ職場=米系化粧品会社東京支社に勤めていて、ユージとアンズもそのことを知っている → 二人はトールの伴侶候補に考えているかもしれない)。胸のもやもやは増すばかり。トールが遠くに行ってしまいそう....。 
 そんなときにスズコは、高校の靴箱の中に某男子から交際申し込みの置き手紙をもらうのである。これは驚いた。私は半世紀以上前に青森の高校に通っていたが、校内上履きの制度はなく、外履きのまま校内に入っていた。この小説の中でスズコは高校入口で通学靴(バスケットシューズ)を脱いで靴箱に入れて室内サンダルに履き替えていて、その時にこの男子ラヴレターを靴箱の中に発見する。ネットで検索したら、21世紀現在、外履き上履き靴箱(下駄箱)システムは日本全国の学校で健在なのですね。私は日本を離れて長い浦島太郎なので、それはとっくの昔になくなっていたものと思ってました。それはそれ。
 ヨシオと名乗る一学年上の少年は文系博学ロンリーボーイにして母子家庭清貧苦労人で、学業+アルバイトの他に地元美術館のボランティアもこなしている。スズコが合唱部練習でソロパートを歌うその声に魅了され、さらにボランティアで働いている美術館に伝統工芸や新作展示品が搬入されるたびに長時間見入っているスズコの姿に、この少女とは共有できるたくさんのものがあるはず、と思い切って手紙をしたためた。そして市の文化センターが主催する金継ぎアトリエセミナー(定員20人)にスズコが登録したと知るや、募集ギリギリ滑り込み20人めで申し込み、アトリエ初日にスズコの隣の席に座るという積極性もある。いい奴。
 このスズコの美術および伝統工芸への興味を育んだのは、義母アンズ(陶芸作家)の影響ももちろんあるが、トールの導きによる要素が大きい。12歳の時の名古屋への家出旅行の際もトールは名古屋の美術館博物館にスズコを連れて行き、図版本を買ってスズコに与えた。かのハワイの旅行の時のスズコへの土産もハワイの民族伝統工芸の写真図鑑で、それらの本をスズコは夢中になって鑑賞した。トールの導く美の世界に魅了されたのだ。あの人が美しいと思う世界へ私も近づきたい。わかるなぁ。

 ところが、スズコは恋を失うのである。

 トールのハワイ凱旋帰省滞在最終日、スズコとトールは思いがけず二人だけで過ごす時間ができる。米子の名高いデートコース、弓ヶ浜ビーチ、ひとしきりバドミントン(海浜でのバドミントンというのは難しいでしょうに)に興じて汗を流したあと、スズコは遂に心の内を告白するのだが、トールも真実を告白してしまう「僕はある男を愛している」と。そのホモセクシュアリティーはアンズもユージも誰も知らない。相手は空手仲間のナオであり、ハワイ旅行も一緒だった。ナオの妹ミキはこの関係を知っているだろう。そしてトールが少年の日にそのホモセクシュアリティーを(未来のスズコの実母)キョーコに告白していて、キョーコはトールに
Sois honnête avec ta nature
あなたの自然に正直でありなさい
とだけ語ったということをこの時スズコに伝えている。今娘スズコは母キョーコと同じことをトールに言えるか、難しいところよのぉ。
 幼い頃から想い続けてきた”おにいちゃん”への恋は終わった。ハートブロークン。壊れた心をつなぎ合わせ修復し、新しい別の美へ作り直すのが金継ぎである。金継ぎアトリエのいにしえの秘儀習得セミナーは、スズコの心も少しずつ修復していく。そしてその心の平静を与えてくれるのに重要な存在になっていくのがヨシオだった。心の金継ぎのウルシの役と言おうか。11歳の歳の差だけでなくさまざまな距離があったトールと違い、一歳違いの同世代のヨシオはフェアーな話し相手であり、親近性は比較にならない。また人気者で社交性にも富むトールと違って、群れを嫌うロンリーボーイであるところもスズコには心地よい。シマザキはこの文系博学ロンリーボーイにキエルケゴールやサルトルを引用させて、どこか昭和中期的なウンチクを展開させる。
ー 私は夢見ていたの:他人の存在なしに人はどうやって幸せになれるの?
彼は驚いて叫んだ:
ー なんて哲学的な問題なんだ!僕はそういうの大好きだよ。
彼はサルトルの言葉「地獄とは他人のことだ」を引用した。私は思わず笑ってしまったが、まじめに聞き返した。
ー ヨシオ、孤独を愛するあなたでも、時にはひとりぼっちだと感じることがあるでしょう。
ー もちろんだよ、スズコ。だからこそ僕はガールフレンドが欲しいと思ったんだ。きみに恋心を抱いたとき、僕はただちにきみと接触しようと決めたんだ。きみがそれを受諾したときの僕の喜びを想像してごらん。
私が期待していた答えとは違っていたけれど、その返事は私にはうれしいものだった。
彼は紙ナプキンの上に「人」という漢字を書いた。
ー 学校で教わることだけど、この漢字は二人の立った人間がお互いに寄りかかっている様子を示している。これが人間の世界だ。人はひとりではなく自分の周りの人たちといかに共存していくかを知らなければならない。
私はからかって言った
ー あなたは歳のわりにお利口さんすぎるわ。あなたは誰とでもこんななの?
ー みんなとじゃないよ。少なくとも現実的ではありたい。自分が快く感じるためには、好きなものに熱中するけれど、僕の好みを共有できない連中は避けるようにしている。いずれにしても、僕は自分が幸せかどうかを自問しすぎる傾向がある。
ここがまさに社交的なトールとは全く違っているところだが、私には二人とも同じように穏やかで強い人間に思える。
(p126-127)

これはシマザキ先生の”倫理”なのだと思うが、この日本は私には懐かしい。それからシマザキはこの二人にセックスは16歳になるまで待ちましょうという約束をさせるのだが、こういうディテールはどうにも昭和期の”倫理”で、ありかなぁ?と思うのは私の勝手か。

 金継ぎはスズコを救済する。そのアトリエでスズコは養母アンズ(陶芸家)の破損陶器片を金継ぎのプロセスで新しいアクセサリーオブジェに再生させることを考案し、オリジナル創作まで企図できるようになった。トールへの片思いを失い傷ついた心の”ウルシ”となったヨシオとの青春の恋はスズコを新生させた。そして傷ついたスズメを”もの言う鳥”に進化させる訓練はめげずに続いている。そのクライマックスのひとつが、本稿の冒頭で既に紹介してしまった「打ち棒のない小鐘」(アンズとユージが二人だけの初めてのヨーロッパ旅行で、チェコ共和国ベルーンの陶器市で買った骨董セラミックの小鐘、二人が帰国したあとで壊れてしまった)の修復であり、スズコはアトリエ講習の最後にこの小鐘の金継ぎ修復をする。この修復完成の出来栄えに両親(アンズとユージ)は、二人の大切な思い出の修復と感涙し、その画像をスマホ受信した”兄”トールは心からの祝福を送る。ここがシマザキパンタロジー(五連作)『打ち棒のない小鐘(Une Clochette Sans Battant)』の最終話の打ち上げ花火のようなシーンなのだと思う。

6月1日付けリベラシオン紙は文芸ジャーナリストシャルリーヌ・ゲルトン=ドリューヴァン筆のアキ・シマザキ『漆』の書評を掲載しているが、その記事タイトルが”L'Effet Clochette"(エフェ・クロシェット=クロシェット効果)となっている。この「クロシェット効果」なる言葉、私は聞いたことがなかったし、ネット検索してもなかなかそれらしい説明に行き当たらない。”Clochette"はこのシマザキ五連作題の中の”Clochette"(私は"小鐘"と訳している)を当てこすってのことだと思う。シマザキはこの言葉知ってるだろうか?たぶん知らないと思う。私が理解した「クロシェット効果」を解説すると、この場合の”クロシェット”は”Fée Clochette"(クロシェット妖精)に由来する。『ピーター・パン』に登場する妖精ティンカー・ベルのフランスで呼ばれている名前が”Fée Clochette"である。そのウィキペディアの説明をそのまま引用すると「彼女の妖精の粉を浴び、信じる心を持てば空を飛ぶ事が出来る」。『ピーター・パン』の中で、ウェンディーと子供たちは最初空を飛ぶことなんかできないと怖がっていたのに、ピーター・パンの言葉を信じて、ティンカー・ベルの妖精の粉を振りかけられたら、空を飛べるようになってしまう。この妖精の粉の効果に絶対不可欠なのは「信じること」である。フランス語の「クロシェット効果」とはこの妖精の粉の効果のことで、信じることで効果が発生してしまう「プラシーボ効果」とほぼ同義の意味である。
 このシマザキの『漆』にあてはまることと言えば、金継ぎをあたかも錬金術のように信じ、その新しい美の誕生を実現させるというファンタジーと読めないことはない。もっと端的なのは、飛べなくなったスズメに言葉を教え込めると信じて、執拗に「スズコ、ウルシ」と繰り返し繰り返し言って聞かせることである。たいへん無粋であるのを承知で、小説の最終部をバラしてしまうと、クイクイクイ、クイクイクイ、クイクイクイ....と囀っていたスズメが突然「スズコ.... スズコ... ウルシ....」と発語するのである。クロシェット効果ここに極まれり。シマザキさん、ちょっとやりすぎじゃないですか?

Aki Shimazaki "Urushi"
Actes Sud刊 2024年5月 140ぺージ 16ユーロ

カストール爺の採点:★★☆☆☆

(↓)ピーターパン「ユー・キャン・フライ」

2024年5月27日月曜日

やんになる

"Marcello Mio"
『マルチェロ・ミーオ』


2024年フランス+イタリア映画
監督:クリストフ・オノレ
主演:キアラ・マストロヤンニ、ファブリス・ルキーニ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ニコル・ガルシア、バンジャマン・ビオレー、メルヴィル・プーポー
フランス公開:2024年5月21日


とわるまでもなくフィクション映画である。主演陣の中ではヒュー・スキナー(コリンという名のNATO軍のフランス駐屯英国兵の役)を唯一の例外として、あとは全員”実名”役で出演している。カトリーヌ・ドヌーヴ(大女優にしてキアラの母)、ファブリス・ルキーニ(超雄弁男優)、ニコル・ガルシア(女優/映画監督)、バンジャマン・ビオレー(歌手/男優にしてキアラの元夫)、メルヴィル・プーポー(男優にしてキアラの元々カレ)。そういう設定のフィクション映画なので、観る者はひょっとしてこれはこの人たちに実生活に近いのではないか、という眼で見てしまうキライがあろう。
 キアラ・マストロヤンニはイタリアの大男優マルチェロ・マストロヤンニ(1924 - 1996)とフランスの大女優カトリーヌ・ドヌーヴの間にできた娘であり、1972年生れだからもう50歳を過ぎている。その宿命のようにいくら歳を重ねてもこの女は「〜と〜の娘」としてしか見られない。女優としての評価はどうなのか、というと、両親の御威光が強すぎて....。いつまで私は「〜と〜の娘」なのか、という実存コンプレックスがこの映画の発端である。
 脚本と監督はクリストフ・オノレ。1970年生れだからキアラと同世代。出世作『愛のうた、パリ(Les Chansons d'Amour)』(2007年)以来、オノレ+キアラの共同作業は多く、気心の知れた仲であり、最近ではオノレの自伝的戯曲『ナントの空(Le Ciel de Nantes)』(2021年)の舞台でキアラが主演している。そのオノレの自伝的演劇と対をなすかのように、このキアラの自伝的フィクション映画ができている。
 映画冒頭はトレヴィの泉ではないが、パリ、サン・シュルピス教会前の大泉水、ここでフェリーニ『ラ・ドルチェ・ヴィータ(邦題:甘い生活)』(1960年)のアニタ・エクバーグのような黒いドレスを着たキアラが泉水の中に入り、水と戯れるというシーンを設定したフォト・シューティング。フォトグラファー(女性)が激しい口調でキアラにさまざまなポーズを要求し、しまいには降りかかる噴水の中でキアラに「マルチェ〜ロ!」と言え、と強要する。「マルチェ〜ロ!」「マルチェ〜ロ!」「マルチェ〜ロ!」... ここでキアラはこんな生活、いやっ!という顔をして撮影現場から去る。
 おもむろに私事であるが、私には30数年前に73歳で亡くなった父がいて、私の奥さんも娘も生前に会ったことがなく、実家の仏壇に飾ってある遺影写真でしか知らないのに、私とそっくりだと言うのである。私はそれを言われるのが実に嫌であったのだが、床屋で髪を短くしてもらって最後にメガネをかけて鏡で確認するときに、目の前にはモロに父親の顔が現れる。それが自分が歳とってだんだん父親の死んだ歳に近づいてきて、その極似はいよいよ...。このフィクション映画のキアラ・マストロヤンニはそれと同じことを体験している。若い頃はドヌーヴ似の側面もあったのに、歳とるにつれてドヌーヴ要素が薄くなり、いよいよマストロヤンニ似が際立ってくる。朝起きて鏡を見るとそこに見えるのはマルチェロであり、多くの映画で見たことのあるあの顔なのである。
 次に映画監督ニコル・ガルシアによる次の映画のキャスティングの場面がある。このフィクション映画でのキアラ・マストロヤンニは女優として”確立”していなくて、映画の仕事を得るために数々のキャスティングに応募しなければならない。その不出来な女優である娘を母親/大女優のカトリーヌ・ドヌーヴは心配していて、”先輩/業界通”として、ニコル・ガルシアは気難しいから気をつけないと、などと忠告したりもする(ちょっと笑ってしまう)。
 そのキャスティングはニコル・ガルシアのアパルトマンと思しきところで行われていて、横柄なさまでベッドに横臥しているガルシア監督の前で主演予定のファブリス・ルキーニとキャスティング候補(この場合キアラ・マストロヤンニ)が台本に沿ったダイアローグ演技をして見せる、というもの。ひとしきりセリフのやりとりが終わって、ルキーニは相手役としてキアラが申し分ないと言うのだが、ガルシアはどうも気に入らない。当然この女優の両親が大俳優であることは承知の上で、ガルシアはキアラに「この役ではね、私はあなたにドヌーヴ的なところを抑えてもっとマストロヤンニ的であってほしいのよ」と言ってしまう。これがこの映画の発火点となってしまうのである。

 自分のコンプレックスの元であるマストロヤンニの重圧を消すには自分がマストロヤンニになってしまえばいい。マルチェロ・マストロヤンニを自分の肉体に復活させるのだ。コンサート準備中(そのコンサートでキアラもゲストで1曲歌うことになっている)の元夫バンジャマン・ビオレー宅で、トイレに行くわ(キアラの小用排泄シーンあり)と隠れたついでにビオレーの(当たり前だが)男ものテイラード・スーツを盗み出し、そこからキアラの”マルチェロ化”が始まる。あの『甘い生活』当時の世界(のご婦人がた)を魅了した”イタリアン・ラヴァー”マルチェロである。同じスーツ、同じ帽子、同じメガネ、同じ髪型(かつら)、同じメイク... 出来上がりは驚くばかりである。
 ここで強調されるのが、身長170センチでスレンダーのキアラが醸し出すアンドロギュノス性である。”男装の麗人”ではない。女性性は消えず、男性性も際立っていない。それを物語るエピソードが、深夜のパリを彷徨する男装のキアラが出会う、セーヌ川の橋から飛び降り自殺寸前の若い英国人兵士コリン(演ヒュー・スキナー)とのやりとりである。ハートブロークンなコリンをなだめ、二人は夜更のパリをそぞろ歩きはじめ(このシーン会話は全部英語)、”いい感じ”になるのだが、どうもこの英国の若者はヘテロではないようだとキアラは気づいている。マルチェロ化して中性化したキアラにはマッチしそうな中性っぽい男。コリンの兵舎に着いて別れ際にキアラは再会の約束をとりつけたいのだが...。
 マルチェロ化したキアラへの周囲の反応はさまざまである。母カトリーヌ・ドヌーヴは衝撃を受ける。その変身の見事さにしばしかつての亡き伴侶を幻視してしまうほど。それは映画の終部で、無意識にキアラ/マルチェロの唇に接吻してしまうというアクシデントを生んでしまうほど。バンジャマン・ビオレーのコンサート(於パリ・ラ・シガール)にサープライズゲストとして登場する予定だったキアラは、当夜出番直前にマルチェロ扮装で楽屋入りし、ビオレーはそれを面白がり、急遽レパートリーを変え、1985年カンツォーネ大ヒット曲"Una Storia Importante"(エロス・ラマッツォッティ!)をキアラに歌わせるのである。Italians do it better。このライヴシーン良い。これをラ・シガールの客席で見ていたキアラの1990年当時の恋人メルヴィル・プーポーは、そのマルチェロ姿に烈火のごとく怒り、コンサート後に楽屋に怒鳴り込んでくる。この映画では詳説されていないが、仏ウィキペディアなどの記述によれば、メルヴィル17歳とキアラ18歳、それぞれ(共通はしないが)複雑な親との関係があるなかでアクター/アクトレスという芸道で生きていこうと誓い合った仲らしい。ここがメルヴィルの怒りの源のようで、(親の七光)マルチェロ芸でウケようとすることは自らの女優道を捨てることだ、という論なのである。掴みかからんばかりに猛烈に怒っている。
 それとは真逆に、このキアラ/マルチェロの登場を大きな感動と共に大歓迎するのがファブリス・ルキーニであり、若き日の憧れだったマルチェロ・マストロヤンニの化身に身も心も魅了され、ニコル・ガルシア監督に絶対にこのキアラ/マルチェロと共演させてくれ、台本を全部変えてくれ、とまで嘆願するのである。そしてこのキアラ/マルチェロを俳優として成功させるためにあらゆる援助を約束する。こうしてルキーニはこの映画の最重要な守護天使/道化師の役回りをするのだが、こういうのやらせたら本当にうまいのだ、この人。
 周囲の賛否を気にせず、”マルチェロの道”をひた進むキアラ、この世界では避けられないことだが、その姿は芸能ゴシップ誌の表紙になってしまう。これをかぎつけた(マストロヤンニの故国)イタリアのテレビ局が生放送でインタヴューしたいのでローマまで来てくれ、と。母ドヌーヴが「イタリアの芸能メディアは本当にひどいから気をつけて」とあちらの事情をよく知る同業先輩として忠告するのであるが、本人は”マルチェロ”となった自分をマルチェロの国でアピールできる願ってもないチャンスと意気揚々とローマへ。(パスポート写真と違うのが咎められないかしら、などと、シェンゲン協定圏には国境がないことも知らないウブなキアラであった)ー ところがイタリアのテレビ局が準備していたのは、大女優ステファニア・サンドレーリ(1961年『イタリア式離婚』でマルチェロ・マルトロヤンニと共に主演している)をメインゲストにしたサンドリーニ回顧トーク番組で、その仲の余興のように何人かのマストロヤンニのそっくりさん(そのうちの一人がキアラ)を登場させ、サンドリーニに誰が一番似てるかを指名させるという....。キアラは単なる余興の端役...。幻滅したキアラはテレビスタジオから逃走し、夜、あのトレヴィの泉で、マルチェロ扮装のまま泉水に身を浸していたところを警察に捕まって....。映画はイタリア式ドタバタ喜劇になってしまう。これはマストロヤンニ風と言えるんだろうな(イタリア喜劇映画に疎い私には確証がない)。

 キアラのマルチェロ幻想の終焉、それが映画の大団円である。イタリアのテレビがキアラにギャラの一部として用意した海辺のホテル、ここが映画の終着点である。キアラの幻滅と傷心を見透かしていたファビリス・ルキーニがキアラの前に現れる。私だけじゃないよ、パリの仲間をみんな連れてきたよ、と。カトリーヌ・ドヌーヴ、ニコル・ガルシア、バンジャマン・ビオレー、メルヴィル・プーポー、英国人兵士コリン。これらがキアラのブロークンハートを慰め、砂浜でビーチ・バレーボールに興じるという温かくもシュールなシーンがある。また上に書いたように、無意識にマルチェロ/キアラの唇に接吻するというアクシデントを冒してしまったカトリーヌ・ドヌーヴがひとり、"Di Marcello, perché ridi(ねえマルチェロ、どうして笑うの?)”(クリストフ・オノレと長年のコンビの作曲家アレックス・ボーパン作のこの映画用のオリジナル曲)と歌う美しいシーンあり。これだけでサントラ盤が欲しくなる。
 そしてキアラはマルチェロ扮装をすべて脱ぎ捨てて、ほぼ全裸に海に入り、遠くへ遠くへと泳いでいく、というエンディング。
 
 おおいなる映画全盛時代へのオマージュ、マストロヤンニとイタリア映画へのオマージュ、まるで20代の娘のような50女の実存の危機コンプレックス、映画は仲間たちでこの危機を救済するのであるが...。実名登場人物たちの”内輪の事情”に通じていなければ、そんなに楽しめる映画ではないと思う。私は楽しんだけれど、楽しめない人たちの多さは想像できる。キアラ・マストロヤンニは一生両親の偉大さの影に小さくなっていなければならないサダメ。自虐パロディーでもいい、もっと若い時期にジタバタしてもよかったのに。まあ、フィクションであるから、極端に誇張されている部分はたくさんあるのだけど、キアラはかなり楽しんでこの役を演じていたのだと思う。いい映画をもらってよかったね。

カストール爺の採点:★★☆☆☆

(↓)『マルチェロ・ミーオ』予告編

2024年5月17日金曜日

俺が主役だ

"Le Deuxième Acte"
『第二幕』


2024年フランス映画
監督:カンタン・デュピュー
主演:レア・セイドゥー、ヴァンサン・ランドン、ルイ・ガレル、ラファエル・クナール、マニュエル・ギヨー
【2024年カンヌ映画祭オープニング上映作品】
フランス公開:2024年5月14日


多産映画作家(2024年公開分だけで3本)で、奇想天外映画の巨匠と世界的に評価の高いカンタン・デュピューが撮った新作で、今年のカンヌ映画祭オープニング上映作品となった(いちおう)話題作。限りなく湧き上がるアイディアを映像化せずにはいられない欲求があるのだろう、多作ペースを持続するにはそれなりに各作品が興行ヒットしてもらわないと困る、そのためにデュピューは有名俳優たちを出演させる。有名俳優たちがデュピューの奇想天外シナリオを演じるということだけで、ある程度興行成功が見込めるというわけだが、その有名俳優たちはデュピューについていけるだけの超絶の”器用さ”が求められる。前作の『ダアアアアアアリ!』で6人の男優(そのうち4人が有名男優)がサルバドール・ダリという超有名人物を時にはそれぞれの持ち味を出し時にはそれを殺して(誰がそれを演じているのかわからなくなるような)”器用さ”で成り立つような、きびしい芸を求められているように見える。
 今回もデュピューは有名俳優でしかも芸達者の4人(ヴァンサン・ランドン、ルイ・ガレル、レア・セイドゥー、ラファエル・クナール)をメインに据えた。このメンツならば多少奇想天外でも観客はついてくるだろうという思惑か。映画はこの4人が”まわして”いくことになるのだが、最初この4人が何者で何をしているのか把握するのは難しい。車を乗り捨て、野原の中に一本通った長〜〜〜い土道を早足で歩いていく。まずルイ・ガレルとラファエル・クナールの二人。それぞれに役名がついていて、ガレルはダヴィッド、クナールはウィリー。長い道のりを歩きながらの二人の会話で、この二人は映画の撮影に行く(あるいは撮影はその道で始まっている、”カメラの前でそんなこと言うなよ”と言うくだりがあり、二人は既に撮影されているのを知っている)のでそのおさらいで役作りをお互いに確認しあっているような、あるいはその役に入ってしまっているような....。それを水平移動カメラが前面からずっと撮り続けている、つまり映画の画面に映り続けている。どこまで映画制作か、どこまで役者演技か、それを曖昧にさせたまま映画は突き進むのだが、この作られようとしている映画、役者が演じようとしているシナリオがだんだん見えてくる。それはダヴィッド(ガレル)にしつこく結婚をせまってくる女がいて、俺には全然タイプではないから、ダチのウィリー(クナール)に振りたいという話なのである。
 一方その女フローランスを演じることになっている女優(レア・セイドゥー)と、フローランスの父親ギヨームを演じることになっている男優(ヴァンサン・ランドン)も同じように車を捨てて、野原の中に一本通った長〜〜い土道を歩きながら、これから会うことになるフィアンセ候補のダヴィッドに関するなにか映画的な打ち合わせのような会話を展開する。同じように長〜い前面からの水平移動撮影。撮影カメラをドリーという台車に乗せてレールの上を走らせながら撮影することを英語と日本語ではトラッキング・ショットと言い、フランス語ではTravelling(トラベリング)と言う。映画の序盤で、この映画はトラベリングばかりだなあ、という印象。それもそのはず、これは映画の最後に大地に延々と敷かれた水平移動撮影用のレールの長〜いショットでも明らかになるのだが、後日テレラマ誌YouTubeで知ったことにこの移動撮影レールはなんと全長650メートルあり、世界記録としてギネスブックが認定した、と。
 この延々と歩き続けるという図は、前作『ダアアアアアアリ!』でホテルのエレベーター出口から目的のスイートルームに至る長い長い廊下を天才画家ダリが延々と歩き続けるというシュールなシーンでも見ているが、デュピューの得意技になりそう。

 そして延々と歩いた末、4人が落ち合うのが、コンクリート箱のような味気ないB級の街道レストラン、その名は”Le Deuxième Acte(ル・ドゥジエム・アクト)”すなわち「第二幕」。映画もここから第二段階に突入するというわけ。ここでも今や撮影されつつある映画とその俳優たちの打ち合わせのような”本チャン”のような判然としないシーンが続き、積極的な娘フローランス(セイドゥー)と保守反動的銀行重役ギヨーム(ランドン)といつの間にか二人の婿候補になったダヴィッド(ガレル)とウィリー(クナール)の、愛憎ドラマでもあり映画俳優同士のエゴのぶつかり合いでもある奇妙な言葉の応酬がある。
 そこに割って入るのがこの冴えないレストラン主兼ウェイターであるステファヌ(という役でこの映画に出演が決まったデビュー俳優)(という役の無名俳優マニュエル・ギヨー、55歳)である。このデビュー俳優は今日撮影があるということで緊張のあまり昨夜は一睡もできず、今朝もこのレストランに4人が来るまで緊張しまくっていて手の震えが止まらない。その役というのは、テーブルについた4人の主演俳優たちに、みなさまのためにブルゴーニュ赤ワインを用意しました、とワインの栓をあけ、4つのグラスに注ぐ、というだけのことなのだ。ところがこのデビュー俳優(役の無名俳優)はそれができないのである。何度やっても緊張で手が震えてワインをグラスに注ぐことができない。4人のプロの有名俳優たちはこれで撮影がオジャンになるのは叶わないから、デビュー俳優をなだめたり励ましたり助言を与えたりして、落ち着いて演技を遂行するよう促すのであるが...。
 ステファヌ(役のデビュー俳優)(役の無名俳優)は映画撮影されているのかされていないのか判然としないこのシーンで映画の中心に収まってしまう。 デビュー俳優のドジのせいで出番の空いたダヴィッド(役のガレル)は退屈しのぎにとなりのテーブルに座って食事している二人のご婦人(というエキストラ役の女優)のところへ談笑に。このご婦人二人はこれが映画撮影ということを知っていてエキストラ役をしながら撮影のなりゆきを見ていたのだが、その難渋ぶりに同情的。そしてダヴィッド役男優に「なんでもこの映画、監督がAIって聞いたんだけど本当なの?」と聞くと男優は「世界初の脚本監督すべてAIの映画」と答えるが、男優はそれにあまり肯定的ではない。この仕事続けていく上はしかたない、というニュアンス。そしてぼそっと本音でご婦人に「夢を持ち続けましょう、夢を」なんてことまで言ってしまう。

 しかしながら、デビュー俳優の極度の緊張はついに直ることはなく、映画撮影は万事休す、何十年もこの日が来るのを待っていたのに自らのドジで映画デビューを果たすことができないと悟った男は、店の前に留めてあった自分の車、旧年式のフィアット・パンダの運転席でピストル自殺してしまう。その死体を有名俳優のセイドゥーとランドンが見つけて衝撃を受けた、というところで「カット、撮影終了、すべてOK」となる。
 ここで助手の持つノートパソコンのモニター画面にAI監督がアバター姿で登場、俳優たちにごくろうさん、と。このAI監督は既にこの映画が世界各国から配給契約希望が殺到してることなどで自信満々なのだけど、俳優たちにはかなり細かいことを言う。例えばウィリー役男優には、台本通りのセリフを言わなかったところがあるとして、その台本行数分を減給にする、と。ステファヌ役デビュー俳優役俳優には、撮影前に要求した体型よりも痩せて出演したので、あとでCGグラフィックで体型をリタッチする費用分を減給する、と。なるほど、AIは完全主義の管理をするのだね。しかし経験豊富な名アクターであるギヨーム役男優がAIにここをこう変えてみたら良くなるよといろいろ提案しても、AIはあなたの個人的意見には対応できない、という機械的返答。そうか、AIの支配による来るべき”映画の死”までデュピューは遊びのタネにしているのか、とこの時点で観客は気付く。
 だが映画は続き、有名俳優たちは撮影終了してそれぞれの楽屋で普段の生活の姿に衣替えして帰路につくわけだが、銀行重役ギヨーム役だった男優(演ヴァンサン・ランドン)がかなりハードゲイないでたちに変身するので、有名俳優たちは絶対”生身”を見せないというデュピューの含みなのだろう。4人の有名俳優は帰路はガレルとセイドゥーの二人組、ランドンとクナールの二人組、という組み合わせで往路と同じように長〜〜い土道を早足で歩きながら...。ランドンとクナールはおもむろにゲイのカップルが成立してしまい、ガレルとセイドゥーはおもむろに男優が女優にナンパしようとする、という映画界ありありの展開に。そして無事映画デビューできた55歳男優は、ひとり(車種は覚えてないがフィアット・パンダよりもずっと上のクラスの車)車を運転して、わが道を進むように見えるのだが....。
 最終映像は上に書いたように、土道に延々と敷かれた水平移動撮影用のレールばかりをこれまた長々と水平移動撮影で映し出すのである。

 1時間20分、ほどよい短かさ。見終わると、これは AIによる映画制作と生身の俳優たちのせめぎあい、ギネスブック世界記録認定の650メートルの移動撮影レール、55歳無名男優(マニュエル・ギヨー)の見事な映画乗っ取りデビュー、という三題噺なのだということがはっきりわかる。なんだこれはとあきれるのも一興、おとぼけ奇才デュピューの技の冴えを称賛するのも一興、私はその半分半分。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)"Le Deuxième Acte"予告編。この予告編でしっかりと無名男優マニュエル・ギヨーが4人の有名俳優たちの言い分を一蹴して「これは俺のストーリーだ」と宣言している。


(↓)"Le Deuxième Acte"断片。4人の有名俳優がそれぞれの役どころを演じて一同に会しレストランで初顔合わせの談笑中、レストラン主兼ウェイターのステファヌ役のデビュー俳優が緊張で両手をぶるぶる震わせながらお盆にワインを運んでくる図。

2024年5月15日水曜日

あらゆる自由には価格がある

Edouard Louis "Monique s'évade"
エドゥアール・ルイ『逃走するモニック』


ニックとはエドゥアール・ルイの母親であり、この著作の時点で57歳である。2021年4月発表の書『ある女の闘争と変身(Combats et métamorphoses d'une femme)』の中で著者はこの母モニックが、アルコール中毒で暴力暴言が絶えなかった夫(著者の父親)を20数年の忍耐の末に遂に限界が来て家から放逐するという快挙を成し遂げている。さらに生まれたこのかたそこから出たことがなかった北フランスの村を離れて、新しく伴侶となった男を頼ってパリに移住する。この時モニック50歳、『ある女の闘争と変身』の最後にはボーナストラックのように、(大)女優カトリーヌ・ドヌーヴが家の近所でモニックがアパルトマン管理人として働いている建物まで訪ねていき、通りで一緒にタバコを吸って談笑するという挿話が花として添えられる。 
 そのポジティヴな書から3年後、エドゥアール・ルイはその続編をさらにポジティヴなものとして書いた。最初から最後までそのエクリチュールは喜びに満ちている。エドゥアール・ルイにあっては、と断らなくても、今日の文学にあってこの幸福感は稀であろう。昨今フランス人がよく使う”英語”表現では”Feel-good”な著作と言えよう。

 この本の冒頭は逃避行である。4年前モニックが北フランスの故郷を捨て、パリで始めた新しい男との新生活(本の後半でわかるのだが、モニックとその男は結婚せずに"PACS  = 民事連帯契約”を結んでいて、幸いにして結婚と違いこの契約の解消はいとも簡単である)は遅からずモニックにとって新しい地獄になった。前夫(すなわちエドゥアールの父親)と全く同じようにこの男もアルコール漬けでその勢いで強権的でサディックになり、モニックの隷属を強いるために汚い罵りの言葉を吐き、収入源が名目上その男ひとりという”主人”の高圧観からモニックの金の使い道(日常の食糧費まで)をいちいち苦言のタネにし、制裁に暴力を振るう。モニックはこれまで3人の伴侶と生活を共にしてきたが、著者の知るかぎり3人が3人ともモニックに同じ地獄の責苦を強いていた。好き合って始めた同居であろうが、時と共に地獄になっていく。なぜこれらの男たちは凶暴に変貌していくのか。エドゥアール・ルイにはそれの第一原因が貧困である、と考える。
 冒頭の会話は電話である。「私」はその時フランスにおらず、数週間前からギリシャの公的機関に招聘され創作レジデントとして滞在していてあと2週間後でないとパリに戻らない。モニックは泣きながら「私」に電話してくる。
私はおまえの父親から解放されて、私は新しい人生が始まったものと思っていた。でもまた同じことが始まってしまった。まったく同じことが。(・・・・)どうして私の人生はこんなに最低(une vie de merde)なのか、どうして私には幸せに生きることを妨げる男しか当たらないのか、私がこんなにも苦しむに値する女のか、私がなにか悪いことをしたのか?
(p12-13)
状況としては、モニックが電話をしている隣室でその男が泥酔状態でモニックへの罵詈雑言を繰り返しているのが、電話越しに聞こえてくるほど極度に緊迫している。遠隔(異国)から「私」はモニックにただちに必要最小限のものを持ってそこを出て、エドゥアールのパリのアパルトマンに避難するよう促す。恐怖と不安と絶望の淵にある母親を遠隔からの電話で説得するのは難しい。今ここを出てどうなるのか。金も職業も資格も運転免許もない50代の女性、これまで5人の子供と暴君のような男たちの世話を焼いてここまで来た。もう限界は来たが、どこへどうやって逃げる?
 エドゥアールは(遠隔であっても)自分がすべて手配し、費用は全部負担すると申し出る。「私」はここでパリにいる親友ディディエ・エリボン(哲学者・社会学者・文芸評論家・大学教授...。エドゥアール・ルイの恩人にして手本のような存在。シャンパーニュ地方ランス出身でルイと同じように貧しい家庭で暴力的でレイシストでホモフォビアな両親の下で育ち、そこから学術研究の道へ入ることで自らを解放した経緯あり。この書で少し触れられているが、エリボンとその母親の関係はエドゥアールとモニックのそれによく似ている)に助けを求め、エドゥアールのパリのアパルトマンの合鍵、モニックの当座の逃避生活に必要な物品を購入するための現金をモニックに手渡せるように手を回す。
 こうして息子は母の逃走のためにその全幅の信頼を得ようとするのだが、息子と母の関係は単純なものではなかった。息子が生まれ育って勉学のために家を出るまでの年月は、息子の目には母は父の側の人間であり、野卑で暴力的な父と同じように息子にハラスメントを行使する存在に映った。その母への視点がエドゥアール・ルイの21歳の第一小説『エディー・ベルグールにケリをつける(En finir avec Eddy Bellegueule)』(2014年)の中で展開されていて、それを読んだ母は激しく傷つくのだった。この本が大ベストセラーになり、著者は全国の書店でレクチャー&サイン会に回るようになるのだが、そのひとつに母が闖入し、息子に一対一での説明を求めてきたというエピソードがこの新著で紹介されている。母との和解には年月を要した。またそれは同時に前著『ある女の闘争と変身』(2021年)に描かれたモニックの変身の年月でもあった。
 この家族間の確執は著者の妹クララとも同様に存在した。それは2016年の小説『暴行譚(Histoire de la violence)』の中で、自分が被った暴行事件を家族の唯一の理解者としてクララに告白したが、クララがそれをややバイアスのかかったヴァージョンで第三者(当時のクララの夫)に話してしまう(これをエドゥアールが隣室で聞いてしまう)と詳細に記述されて、実名で書かれたクララは心外に思い、それ以来7年間絶交状態になっている。これもそれも自分が書いた本のせいなのだ。リアルとフィクションの区別なく実名で実際に起こったことを書き続けける作家エドゥアール・ルイが宿命的に出会う”書の中に登場した人物たち”との軋轢である。そのことで心苦しい思いをしているとも作者は言い訳するのであるが。
 だが家族を苦しめる結果となったこれらの著作は、作者に巨額の金をもたらしたのである。ベストセラー作家となり、まとまった収入があり、そのことは確かにエドゥアール・ルイ自身が抱えていた多くの問題を解消していった。そして今回の母モニックの”自由への逃走”も最終的には作家の収入が成功させるのである。
Toute liberté a un prix
あらゆる自由には値段がある
 この本が言わんとしているのはまさにこのことなのだ。エドゥアール・ルイが母親に、大丈夫だ、全部「私」が請け負う、と保証したことでこの逃走は現実化する。その時が来るや「私」はギリシャから(パソコンあるいはスマホ画面で)パリのタクシーを手配し、母を乗せたタクシーがちゃんとA地点からB地点にたどり着くか画面上で追っている。ルイのアパルトマンに落ち着いたら、何を食べたいか母親に聞き、ギリシャの画面はパリの食事宅配をオーダーする。21世紀的なテイクケアである。
 モニックの属していた社会の最大の娯楽提供ソースであったテレビ受像機がエドゥアール・ルイのアパルトマンにはない。この耐えがたい不足をどう補うか。なんと息子はギリシャから携帯電話を通じて母親にパソコンの操作のしかたを教えるのである。初めて開くパソコン画面、初めて触れるキーボード、どこのボタンで起動して、どこのキーでプログラムに入って、どこをクリックして(”クリック”って何?と母は尋ねる)、インターネット、ストリーミング、好きな映画や連ドラ....。そこに至るまで、何も知らないモニックに息子は辛抱強く(遠隔で)教えるのである。このエピソード、少しく感動的。息子と母親が(遠隔なのに)これほど近かったことはない。

 そして自由への逃走は次なるステップへ。モニックの住処を見つけること。ここでエドゥアール・ルイは妹クララのことを思う。クララの助けが必要だ。クララが新しい夫(と子供)と暮らしている町で、クララの住んでいるところの近くに住居を見つけられたら、と考える。このアイディアのためには妹の同意が必要だ。7年間絶交状態にあった妹クララのところに「私」はギリシャからコールする。母の窮状を説明し手を貸して欲しいと乞う。兄妹のわだかまりはこの時に溶けて流れたように思えた。
 家探し→物件訪問→賃貸契約、モニックとクララとギリシャの「私」はこれを驚くほどの短時間で済ませてしまう。前の男とのPACS解消、引越し、モニックの新生活の始まり...。このすべての費用はエドゥアール・ルイが払い、そして当面のモニックの月々の生活費も同様。ベストセラー本のおかげ。ポジティヴ。

 著者はこの本の110ページめに女性現代文学の先駆者ヴァージニア・ウルフ(1882 - 1941)が1928年に書いた『自分ひとりの部屋』の有名な一節を引用している。それは女性が小説や詩を書くために必要なふたつのものとして:
ー 家族の者たちに邪魔されることなく静かに執筆するための鍵のかかる自分ひとりの部屋
ー 金銭的不安なく生きていくことを可能にする年500ポンドの金利所得
とする、まさに自由のためには”金”が必要ということを喝破した謂である。モニックはこうして(初めて生活する)自分ひとりの家を持ち、”金”という不安のタネから解放された。作者は57歳で自らの解放を手にした母親を誇りに思い、それに全面的に協力することができた自分自身も褒めてしまっている。許す。

 さらにこの本の133ページめから始まる第二部では、その3年後(笑って冗談を言えるようになったモニック)のさらにポジティヴ後日談が書かれている。ドイツの演出家ファルク・リヒター(1954 - )がエドゥアール・ルイの『ある女の闘争と変身』を舞台演劇化し、劇団がその初日のハンブルク公演に原作者エドゥアール・ルイとその作品のモデルとなった母モニックを招待したい、と。初めての外国旅行、初めての飛行機、初めての外国語圏、初めての豪華ホテル(”このタオル使ってもいいの?”と母は尋ねる)...。初めての演劇観劇、しかもドイツ語にもかかわらず自分の人生がそのまま演じられてことに強烈なエモーションを抑えられない。劇が終わりカーテンコール、リヒターが壇上に原作者とモニックを呼び上げる。場内の割れんばかりの大喝采と「モニック!モニック!」コール...。
 逃走は報われた。正しかった。
 ハンブルクの観客たちとリヒターはこの続編を、とエドゥアール・ルイに求めた。そしてモニックも。ある日「私」の本棚から『ある女の闘争と変身』を見つけ、それを手に取って:
おまえがこの本を書いた時から私はずいぶん変わったよ。おまえはいつかそのことを本に書くんだろうね。私はそうしたらもっと変わるよ。(p161)

こうして母の”オーダー”によって書かれ出来上がったのがこの本だ、と著者は結語している。許す。すばらしい。

Edouard Louis "Monique s'évade"
Editions Seuil刊 2024年5月 165ページ 18ユーロ

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)公共ラジオFRANCE INTER(インタヴュアー:ソニア・ドヴィレール)で『逃走するモニック』について語るエドゥアール・ルイ「長い間私は”喜び”について書くのが恥ずかしかった、できなかった」

2024年5月8日水曜日

競売吏アンドレ・マッソンの苦悩

"Le Tableau Volé"
『盗まれた絵』


2024年フランス映画
監督:パスカル・ボニッツェール
主演:アレックス・リュッツ、レア・ドリュッケール、ノラ・ハムザウィ、ルイーズ・シュヴィヨット
フランス公開:2024年5月1日


ずこの映画の主人公アンドレ・マッソン(演アレックス・リュッツ)について。職業は世界的競売会社(サザビーズやクリスティーズの類)であるスコッティーズ(Scottie's)社の幹部社員にして同社のトップ競売吏。日頃ミリオン単位の競売を扱うため、羽振りは良くベストドレッサーであり自前スーパーカー(これ昭和の言葉?)で営業に飛び回っている。博識・目利き・話術に長け、超富裕層や学術者層と渡り合って確かな信用を勝ち得ている。その名を語るとき、必ず「かの画家と同姓同名」と断わりを入れる。実在した20世紀シュールレアリスト画家アンドレ・マッソン(1896 - 1987)は、私のような昭和期の仏文科学生にはジョルジュ・バタイユ眼球譚』『太陽肛門』の挿画が強烈に記憶にあるのであるが、それはそれとして、この映画の関連で言えば、タイトルの「盗まれた絵」(エゴン・シーレの『ひまわり』)がナチスによって”退廃芸術”とされ闇に葬られたように、マッソンもまたその画業が”退廃芸術”と見做され、ナチスとその傀儡ヴィシー政権の弾圧を逃れて亡命せざるをえなかったという経緯がある。映画のストーリーからすると”軽い”名前ではないのだが、(本来喜劇アクターの)アレックス・リュッツが演じると「たまたま同じ名前ですよ」のノリになるものの、なにかの因縁づけであることには違いないと私は勝手に解釈した。
 さて、映画は実際にあった出来事に基づいてのストーリーである。2005年にフランス東部アルザス地方の町ミュルーズで、オーストリアの画家エゴン・シーレ(1890 - 1918)が1910年代にゴッホの「ひまわり」にインスパイアされて描いたとされ、その後ナチスに没収され行方がわからなくなっていた「ひまわり」の油絵が60年後に発見されたという実話。
 映画は時代を2020年代的現在にしてある。地方の女性弁護士エゲルマン(演ノラ・ハムザウィ)が世界的競売会社のスコッティー社のマッソン宛に(インターネット/メールでの第三者の悪意ある傍受を避けるため!)郵便封書で、クライアントが見つけたエゴン・シーレの「ひまわり」と思しき油絵を鑑定して欲しい、と。直感的にマッソンは99.9%贋作と鼻で笑っている。マッソンがこの件の鑑定士として指名したのが、マッソンの元妻のベルティナ(演レア・ドリュッケール)で、今は”その種”の売買の本場スイスに住んでいる。気心を知り尽くした旧友のような間柄。なぜ別れたのかは不明(たぶん映画の後半でわかる”ジェンダー”問題)。両者がパリとスイスからやってきて落ち合ったのがミュルーズ。そのミュルーズには世界最大規模のクラシックカーコレクションを誇る国立自動車博物館があり、その趣味のカーマニアであるマンソンがミュージアムの中で子供のようにはしゃぐシーンあり。と、ここまでが、雲の上階級のコレクション売買(絵画・骨董・クラシックカー....)というわれわれシモジモ階級には映像だけで鼻白んでしまうイントロ。
 さいわいにもそれをわれわれのレベルまで落としてくれるのがミュルーズの”現場”。件の絵の発見者はマルタン(演アルカディ・ラデフ)という名の若者で、職業は化学工場の夜勤の作業員。1960年代までミュルーズはフランス屈指の先端工業地帯であったが、世界的産業再編のあおりで多くの工場が閉鎖し....。そういう21世紀で地元工場で働き続ける目立たない労働者の若者で、母親と二人暮らし。二人が住むアパルトマンは、”ヴィアジェ”(フランスの名高い高齢者不動産売却契約、リンクを貼った小沢君江さんの解説に詳しい)で購入した。 前の家主が死んだことでこの物件が手に入ったわけだが、その旧家主がそのサロンを飾っていた油絵をそのまま受け継いで、同じサロンにずっと納まっていたのがそのブツ。気に留めること長年眺めていたその絵が、ある日美術雑誌の表紙となっていたのを偶然目にしたマルタンであった。その歴史的価値を知るや、本物かどうか半信半疑で弁護士エゲルマンに相談したのだった。
 さてエゲルマンが立会人となって、その世界一流の競売吏マッソンと鑑定士ベルティナがマルタンと母の住むミュルーズ郊外のアパルトマンに乗り込んでくる。長年の経験によって頭から”偽物”と決めてかかっていた競売吏と鑑定士であったが、その絵を一目見たとたん二人とも思わず笑ってしまう。それを見た弁護士エゲルマンは本件は文字通り”一笑に付された”と直感した。元夫婦の二人はひとしきり笑ったのち....「本物だ」と鑑定の結論を。一目でわかった。ことのあまりの重大さに本能がスイッチを入れた笑いだったというわけ(この演出ちょっとくさい)。評価額は?1千万、いや1千2百万ユーロ(約20億円)だ、と。
 アパルトマンの地下物置から死んだ旧家主の身元を証明する書類が見つかる。第二次大戦中この男は”対独協力役人”としてかなり上の地位にあったことがわかる。1918年にこの世を去ったエゴン・シーレの作品はナチス政権から”退廃芸術(art dégenéré)”と指定されて没収され、あるものは破壊され、あるものは闇ルートで売却されナチスの闇金となった。占領ドイツ権力に近かったこの男はそれと知らず(価値を知らず)偶然この絵を手に入れたのだろう。それから60年、そのサロンにあり、チリやほこりや煙草の煙をかぶって60年もの間晒されていたのだ。
 映画はメインのストーリーとして、この盗まれて行方不明だったエゴン・シーレの名画が、米国に住むシーレの権利継承者が発見者マルタンへ10%の報償金を与えるという条件でマッソンのスコッティー社に競売による売却を依頼し、競売業界にありがちな黒い策謀や妨害詐欺などの紆余曲折を経て、結果として2500万ユーロ(41億円)という記録的な落札価格がつく、という大団円へと進む。競売マンとしてマッソンが、所属するスコッティー社の強烈なハラスメントを受けたり、自らの虚飾に満ちたライフスタイルに疲れたり、という苦悩もあり。しまいには(この歴史的競売のあと)競売吏を引退することになるのだが...。
 このマッソンと競売のストーリーは、それはそれでありなのだが、私にとってこの映画の魅力はそれに付随して進行するふたつのサイドストーリーである。ひとつはマッソンの見習い秘書として働くオロール(←写真)(演ルイーズ・シュヴィヨット)の挙動であり、彼女は業務を完璧以上にこなす超有能な秘書でありながら、なにかにつけて呼吸するように嘘をつく。自分を防御するためなのか、自分を別物に装いたいのか、その嘘はすぐにバレるものなのだがトゲがある。その嘘は他人だけでなく自分の父親(父親役でなんとアラン・シャンフォール出演!)に対しても同じように。後でわかるのだが、それは父親(&家族)を破産させるに至った詐欺事件を経験したからで、あらゆる人を疑い嘘をつくようになったようだ。マッソンはそれでもこの秘書を買っていて、一人前の競売ウーマンにと考えていたのだが、男女間の感情のもつれのような確執が生じて一旦オロールは姿を消す。そしてエゴン・シーレ「ひまわり」競売をめぐる評価価格大下落の危機がおとずれた時、再びオロールはマッソンの前に現れ、それは自分の父親を襲った詐欺事件と同じ手口であることを見抜き、その詐欺策謀を打ち負かす策をマッソンに授けるのである...。
 もうひとつはかの絵の発見者、ミュルーズの労働者青年マルタン(写真→)のストーリーである。最初はこの絵の価値がどれほどのものかわからず鑑定を依頼したものの、その価値とその背景がわかったとたん、この青年の心にぐじゃぐじゃと葛藤が生じ、この絵に関する一切の権利を放棄することを決める。この青年は見込まれる巨万の富を放棄してでも、自分の小さな世界(二人の悪友たち、工場での夜勤労働の日々)を維持したいと考えるのである。この純粋ゆえに心揺れる歴史的名画競売騒動にマルタンは最後までつきあい、そして再び”労働者”に戻っていく...。この話、ほんとに好きですよ。

 その他、どうしてなのか2回も全裸入浴シーンを見せるレア・ドリュッケール(お風呂好きという理由だけなのか)、紆余曲折あった名画競売騒動に最初から最後までつきあった弁護士エゲルマンと鑑定士ベルティナの間にできた同性愛関係など、どうでもいいような話もある。肝心の世紀の名画のおすがたはほとんど映らない(これはしげしげと見てみたいものだった)。1時間半のいろいろ詰まった娯楽サスペンス映画。ほっこりして映画館を出られる。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『盗まれた絵(Le Tableau Volé)』予告編

2024年5月1日水曜日

追悼ポール・オースター:九分九厘の幸福

2024年4月30日、ポール・オースターが肺がんのため77歳で亡くなった。私の最重要作家のひとりであるが、出会いは遅く2004年に最初の一冊『オラクル・ナイト』を読み衝撃を受け、当時私が運営していた「おフレンチ・ミュージック・クラブ」の”今月の一冊”として紹介記事を書いた。「おフレンチ」にはもう一冊オースター小説を紹介している。2005年の『ブルックリン・フォリーズ』であり、以下に再録するが、そのイントロ部分で「私の2005年のベスト」と書いている。今の爺ブログなら「★★★★★」評価をつけるところだと思う。ユートピアが見えそうになる時、2011年9月11日の朝で幕を閉じる小説である。読み返してみよう。


★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★


これはウェブ版『おフレンチ・ミュージック・クラブ』(1996 - 2007)上で2006年2月に掲載された記事の加筆修正再録です。


Paul Auster "Brooklyn Follies"
ポール・オースター『ブルックリン・フォリーズ』


(Actes Sud刊2005年9月)

の数ヶ月、本を読まなかったわけではない。悪い本にばかり当たっていたような気がする。悪い本は精神衛生上よくないし、この欄で私が悪い評を書いたところで、その読書体験が報われるわけではない。だから2ヶ月前に読んだものだが、ポール・オースターを取り上げることにした。私の2005年のベストの一冊である。それにしても2006年2月の現在において、まだ日本語訳が出ていないというのは不思議だ。

 話者ナタン・グラスは60歳の元生命保険セールスマンで、ガンと診断されるが一時的に鎮静状態にあり、早期退職して限りある余生を自分の原点であったブルックリンに戻って過ごすべく、かのニューヨークの一角に移り住んでくる。妻とは離婚し、娘とは時々連絡をとる程度の独り身暮らし。散歩や昼食のレストランなどでこの選ばれた「終生の地」はナタンを魅了していく。残り少ないと仮定された人生は、その若き日の文学趣味を再び呼び起こし、ナタンはこのブルックリンの日々を文字として留めていくことになる。その書き物のタイトルは『人間の狂気の書 Le livre de la follie humaine』と言い、この書のもうひとりの主人公はトム・ウッドという名のナタンの甥である。長い間会っていなかったこの甥は、過去には秀才の文学青年で、今頃は当然成功してどこかの大学教授に納まっているはずであったが、2000年春、彼がいるはずのないニューヨークのブルックリンの古本屋でばったり出会ってしまう。トムは若くて純粋な精神が勝ってしまって、教授職を選択せずに、青春の放浪の末にほとんど無一物でニューヨークに流れ着き、ブルックリンの古本屋に店員として拾われる。この文学好きな二人の再会によって、小説は理想を求める心優しい男たちの奮闘記に一転していく。この男たちのひとりを形成するのが、ハリーという名の古本屋店主である。富豪の娘と不詳不詳結婚させられたホモセクシュアルの男で、画廊で一時は成功するがその成功を維持するために贋作を売り、詐欺罪で監獄を経験したのち、第二の人生としてやり直すべくニューヨークになってきた。

 このハリーから、立ち行かなくなった世界の救済場所という、夢のヴィジョンが提案される。この場所は「実存ホテル HOTEL EXISTENCE」と称され、そのドアを開けば外界からどんな被害を被ることもなく、現実世界が効力を失ってしまう場所である。戦乱の地にも、自然災害の地にも、必ずそういうホテルが存在するのだ、と彼は信じている。

 小説はマトリョーシカ人形(ロシアこけし)のようにさまざまな人物が次々と現れ、それぞれ固有の小物語が矢継ぎ早に展開される。トムがナイーヴな純愛ごころから近づけないでいる子連れの女性(名付けて)”JMS(至高の若母 Jeune Mère Sublime)"。その夫で名前がジェームス・ジョイス(そういう大作家がいたということも知らない家庭環境で生まれた男)。その母親であるジョイス・マズケリ(夫の姓と母のファーストネームが同じという符合)は小説の終盤ではナタンとの老いらくの恋仲に結ばれる。トムの妹で、ポルノ女優から麻薬中毒者に身を落とし、新興宗教セクトの男に拾われ、そのセクトから抜け出せないでいるロリー。その娘でまだ9歳半のルーシーが家出してきてトムの前に現れる。母親ロリーの居場所は杳として知れない。この一筋縄ではいかない家出少女を連れ立って、トムとナタンの珍道中が展開される。そのロードムーヴィー的展開の道すがら、立ち寄った「チャウダー旅籠」という民宿にトムとナタンはハリーが言っていた「実存ホテル」のこの世の姿に違いないと見てとるのである。地上においてもしも「実存ホテル」があるとすれば、この旅籠のことに違いない、と。

 この話を実存ホテル論の元祖ハリーに伝えると、ハリーはその旅籠をわれわれの実存ホテルにできる可能性があるから、まかせておけと言う。ハリーにはもうすぐ大金が転がり込んでくるはずなのだ、と。ナタンは信じない。友人としてナタンはハリーに忠告するが、ハリーは耳を貸さない。アメリカ文学ゴシック小説の傑作として名高いホーソン作『緋文字』(1850年)のオリジナル手稿の贋作をコレクターに売りつけるという企てだったが、ハリーの一世一代の大詐欺作戦は機能せず、逆に共犯者に騙されていたことが発覚し、その揉み合いの果てにハリーは命を落としてしまう。

 小説は大団円に向かっていき、ナタンはハリー殺しへの復讐を果たし、トムはチャウダー旅籠の娘と所帯を持つことになり、悪ガキ少女ルーシーは母親ロリーと再会し、ロリーは新興宗教セクトから解放され、老いらくの恋(ナタンとジョイス)は成就し、万事がまるく納まるかのように思われた。そしてナタンのガンが再び体を蝕んでくるのであるが、それは前もってわかっていたこと。ジョージ・W・ブッシュが大統領に当選し、急激な保守化右傾化の波の中で、それでもブルックリンはナタンたちが自らつくった自らの実存ホテルのように、良い顔をした町になった。そういう顔の町に青空の朝がやってくるのである。2001年9月11日の朝が...。

 ポール・オースターは2001年9月11日の後、3編の小説を発表しているが、いずれも”9月11日”に関連したものではなかった。フランスの文学雑誌LIREのジャーナリスト、フランソワ・ビュネルはその間オースターに会うたびに同じ質問をしていたという。「9月11日に関した小説は書かないのですか? ニューヨーカーとして、小説家として、そしてツインタワーに面と向かった場所に住んでいた人間として、アメリカの顔を激変させてしまったこの日に関して書かずにいられるのですか?」。オースターはその返事として、ひとつの大悲劇を一編の小説という形に凝縮することには疑問に思うところがあるとし、彼が過去にニクソン大統領の事件をフィクション化した小説『ムーン・パレス』(1989年)を書き上げるのにも20年の月日を要したのだ、と答えたという。しかしながら『ブルックリン・フォリーズ』は20年の歳月を待たずに、事件の4年後に発表された。

 言わば”戦前”の幸福で明るい狂気であふれていた”Y2K"期のアメリカ、ニューヨーク、ブルックリンであるが、これは世代論的にあの頃はみんなこうだったという”十把一絡げ”な作品では断じてない。ガンを患う60歳の男が奮起すれば、理想も愛も現実に近くなっていくのだ、というおめでたい人生論とももちろん異なる。われわれの日常とはたぶんこれに近くてもいいのだ、と思わせてくれるなにかがありがたいのだ。実存ホテルはもちろん実体のものではなく内在するものである。そのドアはたぶん開くのである。そのホテルの窓から見える青空は、9.11ニューヨークの青空のゆに危ういものであっても。生きて行こう。

Paul Auster "Brooklyn Follies"
Actes Sud刊 2005年9月 368ページ 23,40ユーロ

(↓)1987年、40歳のポール・オースターが国営TVアンテーヌ2のベルナール・ピヴォのインタヴューに答えて、いかにしてフランス語を習得し、どんなフランス人作家詩人を米語に翻訳したかを語っている。

2024年4月30日火曜日

追悼ポール・オースター:おめえも来るか

2024年4月30日、米国ニューヨークの作家ポール・オースターが肺がんのため77歳で亡くなった。フランスで最も愛読されるアメリカ作家であり、私も遅いスタートだったが2004年から読み始め、今や本棚には十数冊が並んでいる。そのアメリカ観、世界観、ストーリーのパワーなど本当に教えられるものが多かったし、信頼していた。爺ブログの前身おフレンチ・ミュージック・クラブ(1996 - 2007)では、オースターの2つの作品を紹介していた。下に再録する『オラクル・ナイト』(2004年4月フランス刊)は、私の初オースター体験であった。ちょうど20年前、私はこんなふうに読んでいたのか、と自分発見の再録であったが、総じて文章はちょっとくどい。ごめんなさい。


★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★

これはウェブ版『おフレンチ・ミュージック・クラブ』(1996 - 2007)上で2004年5月に掲載された記事の加筆修正再録です。

Paul Auster "La Nuit de l'Oracle"
ポール・オースター『オラクル・ナイト』


めて読むオースターである。フランスでも今や翻訳が出版されればたちまちベストセラー上位になるという立ち位置にある人気作家で、2004年4月1日刊行の本書も4月3周目現在フランスのフィクション書籍売り上げランキングの4位にある。フィリップ・ロスと並んで、フランス人が最も愛読する現代アメリカ文学作家のひとりであるが、なぜ、こんなに当地で評価が高いのであろうか? 敬愛する友人である吉田実香さんと伴侶のデビッド・G・インバー氏が共著した『90年代アメリカ話題の作家&BOOK』(スパイク社刊1998年)の中のオースターのページの見出しは「ヨーロピアンな生粋のアメリカ人、オースター」となっていて、その欧州的文学性を強調した作家像を紹介している。またそのページの小さな囲みの短い作家プロフィールのところでは「稀有な現代のストーリー・テラー」という位置づけがされている。
 なぜフランスでオースターが好んで読まれるか、ということは最初の数ページを読んで即座に納得できた。これが本物の「ストーリー・テラー」なのだな、と。それがストーリーはひとつではなく、マトリョーシカ人形(ロシアこけし)のように、ストーリーの中からまた違うストーリーが生まれ、そこからまた別のストーリーが派生し、ときりがないほど多くのストーリーが出てくるのである。一編の小説にここまで多くのストーリーを詰め込んでいいのか、あとで収拾がつかなくなるのでないか、と読む方が心配になってくる。地下鉄に乗っていたら、絶対にひと駅ふた駅は乗り過ごすであろう。物語の中から次々と現れる別ストーリーで読む途切れを与えないのだ。とは言うものの、物語内物語、小説内小説は突然途切れ、再開し、また途切れるということを繰り返す。読む者はわくわくすると言うよりは、その中断/再開の不安定なリズムに不安になる。これは字句通りの意味の「サスペンス」(宙吊り状態)の感覚なのだろう。この未決状態がいやだから読者が先へ先へと読み続けなければならない。これがオースターの小説にあっては多元的に宙吊り状態があるのだからたまらない。
 小説の時間は1982年9月、場所はニューヨーク。34歳の小説家シドニー・オアは、一時は死を宣告されるところまで悪化していた病気を長い闘病生活の末に奇跡的に克服し、自宅に戻ってくるが、なかなか創作活動を再開できない。シドニーにはグレースという妻がいて、出版社詰めのグラフィック・デザイナーとして仕事しているが、シドニーの患った大病の入院費/治療費のせいで二人はほぼ破産状態にある。ある日、シドニーは散歩の足をブルックリンまで伸ばし、一度も入ったことのない中国人経営の文具店に吸い込まれるようにして入っていく。そこで彼はポルトガル製の青い表紙の手帳を購入する。この手帳との出会いが、それまで一行の書けなかったシドニーを変えてしまう。デスクに向かい、この手帳を開くと、シドニーの持ったペンが勝手にすらすらと物語を書いてしまうかのように、次から次に創作のアイディアが出てくるのだ。
 シドニーはここでダシール・ハメットの小説『マルタの鷹』にインスパイアされた過去と一切の関係を絶った男のストーリーを書き始める。小説内小説のはじまり。主人公はニック・ボウェンという名のニューヨークの大出版社に勤める有能な編集者。妻を愛しながら倦怠している男。彼のもとに1920年代の著名な女流作家であったシルヴィア・マクスウェルの未発表原稿が、その孫娘から送り付けられる。その原稿の題名は『神託の夜(オラクル・ナイト)』。つまりこの原稿は小説内小説内小説。この原稿を出版社に持ち込んだ女性、つまり作者女優作家の孫娘であるローザにボウェンは一目惚れをしてしまう。そしてその直後、ボウェンは目の前数メートルのところに見舞った落雷と遭遇する。自分はあと一歩間違えば死んでいたはずである。紙一重の死を体験してしまったボウェンはそのショックによって、自分を一旦死んでしまった人間として悟り、過去と絶縁した新しい人間として再生すべく、衝動的に空港に向かい、自分の一度も行ったことのない土地カンサス・シティーへと旅立つのである。カンサス・シティーでの出会い、新しい友情の始まり、ローザへの未練.... 小説説内小説は思わぬ方向へ独り立ちしていくのであるが....。
 シドニーはわれに還ると、青い手帳の魔力を恐れる自分があり、またグレースとのなぜか釈然としない夫婦関係がある。またシドニーの親友で20歳以上年長の著名作家ジョン・トラウスとの、敬愛もあり、コンプレックスもあり、文学観哲学観の相違もままあるという複雑な友情関係がある。しまいにはこれがグレースをめぐる三角関係であったということが明らかになるが、シドニーはそれを小説最終部になるまで気がつかない。袋小路と迷宮はいたるところにあり、青い手帳を売っていた中国人文具店は忽然と消えてなくなり、妊娠を喜ばない妻グレースは謎の不在の一夜を過ごし、小説内小説の主人公は冷戦時代に作られた核シェルターの中に閉じ込められ、苦しい家計を救う臨時収入となるはずだった映画シナリオはボツにされ、親友トラウスの息子は情緒の欠落した凶暴なジャンキーとなってシドニー夫婦を執拗に攻撃してくる....。そのほか枚挙したらきりがない無理難題をたくさん抱えながら小説は進行する。

 おフレンチ・ミュージック・クラブ『今月の一冊』でこれまで紹介してきたフランスの本とは違って、このアメリカ小説は近々に邦訳が刊行されるであろうから、これ以上の内容説明は控えよう。世界で数百万部読まれているエンターテインメント小説を、何もここでかいつまんで筋を明かす必要などない。
 レクスプレス誌の書評の表現を借りると、オースターは”Thriller métaphisique"(形而上的スリラー小説)という新分野を開拓した人なのだそうだ。よくわからない分野であるが、なんとなく雰囲気はつかめる。この小説でもオースターは無理難題/袋小路をほうぼうに配置しているのであるが、その綿密に計算された構成は名人芸と言うしかないものではあるとは言え、無理難題はゲーム的にひとつひとつ解題/解決されていくわけではない。ほとんど宙吊りのまま放っておかれるのだ。読者は小説内小説の成立に立ち会うかのような期待を持たされるのであるが、小説内小説は中断され、その主人公は核シェルターの中で永遠に助けを待ち続けることになる。青い手帳の魔力もそれが何であったのか、答えはない。文学はそのようなものでは成立しない、というオースターなりの答えなのかもしれない。そして、この小説の核心のそのまた核であるかのような印象を持たせる小説内小説内小説の『オラクル・ナイト』は、最終的になんら中心的な役割を果たしていない。文学においてオラクル=神託など真ん中に持ってきてはいけないのだ、ということか。神の不在はここでも大いなる不安となってこの小説を支えている。
 小説が成立しようとすると、存在が壊れ始める。小説家シドニーの生きたドラマはこれである。作家は身を切られる思いで小説を書いているのではない。実際に身を切られてしまうのである。小説内小説が成立しないのは、その身の切られ方が足りないからだ。この点で言うならば、この小説はメタフィジックであるよりもフィジックなスリラーとして読まれることになる。
 初めて読んだオースターであった。この盛り沢山なストーリーの塊を前にして、これが世界で数百万部のエンターテインメントであることは容易に納得できたが、それだけではすまないだろう。私の知らない現代アメリカ文学は恐ろしい重厚さを持っているようで、もっともっと読まれなければならないと痛感しながら.... また次回。

Paul Auster "La Nuit de l'Oracle(Oracle night)"
Actes Sud刊 2004年4月 220ページ 20ユーロ


(↓)2020年のYouTube投稿で、ポール・オースターのインタヴュー日本語字幕つき「小説家になるには」


2024年4月28日日曜日

町の小さなお風呂屋さん

Matia Bazar "Ti Sento"(1985)
マティア・バザール「ティ・セント」(1985年)


詞曲:Carlo Marrale - Aldo Stellita - Sergio Cossu

の朝市という意味ではない。マティア・バザールは1975年地中海の港町ジェノヴァで結成されたイタロ・ポップバンドである。オリジナルメンバーは、ピエロ・カッサーノ(kbd)、カルロ・マッラーレ(g,vo)、アルド・ステリータ(b)、ジアンカルロ・ゴルツィ(dms)、そして紅一点ヴォーカルのアントネッラ・ルッジエロであった。1979年にはイタリアを代表してユーロヴィジョン・ソングコンテストに出場し、"Raggio di luna(月の光)"という曲を披露したが、エントリー19曲中、15位という結果に終わっている。イタリアでは70年代からずっと第一線のポップバンドであったろうが、私はずっとフランスにいるのでその活躍のほどはよく知らない。マティア・バザールがフランスで”ヒット”したのは2曲しかない。ひとつは1978年の"Solo Tu(あなただけ)"、そしてもうひとつが1985年の”Ti sento"である。「ティ・セント」はイタリアでシングルチャートNO.1だっただけでなく、ベルギーで1位、オランダで2位、その他西ドイツ(当時)や北欧圏でチャートインし、1985年と86年を通してヨーロッパ中でヒットしたことになっている。そのヒットの国際化に対応してマティア・バザールは「ティ・セント」の英語ヴァージョン"I feel you"も録音している。
 フランスは1981年(ミッテラン当選の年)にFM電波が解放され、一般視聴者(特に若いジェネレーション)への音楽情報量が飛躍的に増加し、音楽の”聞かれ方”が革命的に変化した。1984年、フランスはSNEP(全国音楽出版協会)が統計する公式のナショナル・チャート”TOP 50”がスタートし、テレビ(カナル・プリュス)で発表される週間チャートはたいへんな視聴率を上げていたのだよ。日本からは英米ヒットや旧時代のビッグ(アリデイ、サルドゥー、ヴァルタン...)が支配的と思われがちだったフランスのチャート事情の現実はまるで違っていて、この1980年代半ば、この国のチャートやFMは欧州が元気だった。ベルギー、西ドイツ、イタリア。ユーロ・ポップ、ユーロ・ビート。欧州産シンセ・ポップはだいたい英語で歌われるのだが、ベルギーからはフランス語ものも出てくるし、イタリアからはイタリア語ものも堂々と出てくる。当時私はイタロ・ポップのシングル盤たくさん買いましたよ。Righeira "Vamos A La Playa"(1983年)、Finzi Contini "Cha cha cha"(1985年)、Gazebo "I Like Chopin"(1983年)、Ryan Paris "Dolce Vita"(1983年)、Andrea "I'm a lover"(1986年)、Tullio De Piscopo "Stop Bajon"(1984年).... 
 この当時、私は”音楽業界”に入っておらず、一介の音楽リスナーだったが、イタリアが欧州ポップの前衛であることは実感していて(当時の私の知る範囲というのはシングル盤ヒットとFMヒットの領域に限られるものの)、サウンドテクノロジーにおいてもプロダクションの繊細さにおいてもフランス”ヴァリエテ”はイタリアにかなり遅れているという印象があった。Italians do it better。あの頃の私の"遊び場"だったレ・アール地区で、"FIORUCCI"の店がひときわ面白かったのも懐かしい記憶。

 そういう1980年代半ばにあって、マティア・バザール「ティ・セント」は大変な衝撃であった。端的に”のけぞりもの”、進行するにつれて果てしなくクレッシェンドしていき、最後には絶頂がある、性的オーガズム型。どこまで上昇するんですか、というアントネッラ・ルッジエロのハイトーンパワー・ヴォーカルに圧倒されるしかない。このヴォーカルは後年、セリーヌ・ディオンやアデルなどと並んで、21世紀のテレビのど自慢/タレント発掘リアリティーショーたる「ザ・ヴォイス」その他のリファレンス・パフォーマンスとなり、挑戦者の定番レパートリーとなっていく。だが、誰もアントネッラに比肩できる歌唱などできはしないのですよ。


La parola non ha 言葉には
Né sapore, né idea 
香りも想いもない
Ma due occhi invadenti ただ迫りくる二つの眼か
Petali d'orchidea 蘭の花びらのようなもの
Se non hai その言葉に
Anima, ah 魂がなければ

Ti sento わたしはあなたを感じる
La musica si muove appena 音楽はかすかに動いている
Mi accorgo che mi scoppia dentro 私はそれが私の中で爆発するのがわかる

Ti sento わたしはあなたを感じる
Un brivido lungo la schiena 背中に走る戦慄
Un colpo che fa pieno centro 真ん中から突いてくる一撃

Mi ami o no? あなたはわたしを愛しているの?そうじゃないの?
Mi ami o no? 
あなたはわたしを愛しているの?そうじゃないの?
Mi ami あなたはわたしを愛しているの?

Che mi resta di te あなたにはわたしの何が残っているの?
Della mia poesia わたしのポエジー?
Mentre l'ombra del sonno その愛の影が忍び寄り
Lenta scivola via ゆっくりと去っていく
Se non hai もしもわたしのポエジーに
Anima, ah 魂がなければ

Ti sento わたしはあなたを感じる
Bellissima statua sommersa 水に沈んだ世にも美しい彫像
Seduti, sdraiati, impacciati 座り、横たわり、身動きがとれない

Ti sento わたしはあなたを感じる
A tratti mia isola persa 時には私の失われた島のように
Amanti soltanto accennati 何も見えないまま愛し合うこと

Mi ami o no? あなたはわたしを愛しているの?そうじゃないの?
Mi ami o no? 
あなたはわたしを愛しているの?そうじゃないの?
Mi ami o no? 
あなたはわたしを愛しているの?そうじゃないの?

Ti sento わたしはあなたを感じる
Deserto, lontano miraggio 砂漠のはるかな蜃気楼
La sabbia che vuole accecarmi 砂嵐がわたしの目をふさぐ

Ti sento わたしはあなたを感じる
Nell'aria un amore selvaggio 大気に舞う野生の愛
Vorrei, vorrei incontrarti 会いたい、あなたに巡り合いたい

Mi ami o no? あなたはわたしを愛しているの?そうじゃないの?
Mi ami o no? 
あなたはわたしを愛しているの?そうじゃないの?
Mi ami o no? 
あなたはわたしを愛しているの?そうじゃないの?

Ti sento わたしはあなたを感じている
Vorrei incontrarti! あなたと出会いたい!


なんとも20世紀的なまだ見ぬ恋人への激しい恋歌でした。

(↓)1987年西ドイツ、ミュンヘンでのライヴ。たいへんな実力のシンセテクノ・ポップバンドだったことがわかる。アントネッラの超絶ヴォーカルも。



(↓)1986年、スウェーデンのレーナ・フィリプソン(Lena Philipsson)によるカヴァー"Jag Känner"。なんか歌謡曲になっちゃいましたね。


(↓)2009年、ドイツの”ハッピーハードコア”バンド SCOOTERによるカヴァー。ここでフィーチャリング・ヴォーカリストとして歌っているのは、なんとアントネッラ・ルッジエロご本人。


(↓)2023年、フランスのスターDJ、ボブ・サンクラールによるリミックス、もと音源はマティア・バザール&アントネッラ・ルッジエロ(vo)のオリジナルヴァージョン。


(↓)2024年、イタ車アルファ・ロメオ・トナーレのコマーシャル・クリップ。

2024年4月14日日曜日

「やりすぎたらバランスが壊れる」

"Le Mal n'existe pas"
『悪は存在しない』


2023年日本映画
監督:濱口竜介
音楽:石橋英子
主演:大美賀均(タクミ)、西川玲(ハナ)
2023年ヴェネツィア映画祭銀獅子賞
フランス公開:2024年4月10日


うすぐ日本公開(2024年4月26日)なのだから、爺ブログの出る幕じゃないとは思うのだが、どうしても書き記しておきたいことがあるので。フランスで濱口竜介の評価は非常に高い。2015年の超5時間映画『ハッピーアワー』(フランス上映題”Senses")はフランスでもアートシアター系上映館を中心とした配給だったが、観客数は10万人を超えた。ダイアローグだらけ、言葉だらけの5時間だった印象がある。ノン・プロ俳優陣の棒読みセリフの洪水のような。フランス語字幕はちゃんと追っていただろうか?往々にして字幕は”はしょる”ものである。しかし私は母語として日本語を解してしまうので、この洪水に耐えた。そしてこの濱口という映画作家は「言葉の人」という第一印象を持った。それがフランスではよくエリック・ローメール(1920-2010)と比較される所以で、監督本人もその影響を認めている。2018年の日仏合作映画『寝ても覚めても(フランス上映題"Asako I & II"』はプロの男優女優が演じる”動き”と”筋”がある映画になって、これもフランスで10万人を動員した。そして日本でも大ヒットし、カンヌ映画祭脚本賞、米オスカー国際映画賞も取った3時間映画『ドライブ・マイ・カー』(2021年)は、文学と演劇とロードムーヴィーが交錯する”大家撮り”のヘヴィースタッフで、フランスでは20万人を超す観客を呼んだ。ああ、この人完成してしまった、という印象。ただ、この映画で音楽を担当した石橋英子サウンドトラックというのはあまり印象に残っていない。←私の耳は節穴。
 映画『悪は存在しない』は『ドライブ・マイ・カー』での石橋英子・音楽との出会いが出発点になって制作された作品だそうで、その経緯は日本語版ウィキペディアに詳しい。そうか、言葉よりも音楽がものを言う映画なのか、という映画を観る前に構えてしまった私。これは私の”映画の観かた”を問われる問題で、自覚的に私は筋ばかり追いたがり、セリフ/ダイアローグに従って映画を”解ろう”とするタイプである。散文的な観客。そうか、今回は石橋英子の音楽が映画を引っ張っていくのだな。←私の耳はそれに感応できるのかな。
 映画冒頭はかなり長いシークエンスの風景トラヴェリング(移動撮影)で、冬の森を地面の側から木々を空に向かって撮っていてゆっくり移動する。たぶん自然音と弦楽器群が奏でるゆっくりした物憂い(モノトーンな)音楽が聞こえる。そうか、これか、と思った。この寒さはタルコフスキー的だとも思った。濱口の初めての言葉の少ない映画の始まり。 
 映画で場所は特定されていないが、長野県八ヶ岳山麓のとある集落らしい。タクミ(演大美賀均 = ノンプロ俳優ではあるが、映画関係者で濱口のスタッフでもある)は職業不詳(自分では”何でも屋”と言い、薪割りや湧水汲みをしている)の言葉少ない寡夫で小学児童の娘ハナ(演西川玲 = プロの子役)と二人暮らし。ハナの下校時間に二人で森の中を歩いて帰り、木々や動植物の名前と自然の事象について教えている。鹿の通り道、その水飲み場や食べ物や習性についても。出会うことは稀でもここは鹿と人間が共棲している自然。調和(バランス)は取れているがそれは壊れやすい。ここまでが(調和的な)イントロ。その親子二人の幸福な自然を学び教える時間に、うっすらと影があるとすれば、タクミが近頃この約束の下校時刻をうっかり忘れることがある、という....。
 この静かな集落に、東京の芸能プロの子会社がコロナ助成金目当てに高級キャンプ施設(これを今日びの日本語では”グランピング”と言うらしい)の建設を計画、集落住民全員を集めてその説明会を開く。東京から派遣された説明員は二人:タカハシ(演小坂竜士)とマユズミ(演渋谷采郁)、その美辞麗句でかためた建設案を住民たちは問題点をひとつひとつ挙げて突き崩していく。ここでわかるのはこの集落に住む人たちにとって、その湧き水がどれほど大切なものであるか、ということ。それを高級キャンプ施設が汚染してしまう可能性があること。タクミはその水は鹿とも共有していること、その建設予定地が鹿の通り道であることも知っている。住民たちは即答できない東京もん二人にさまざま宿題を課し、その回答があるまで建設には賛成できない、と。
 タカハシとマユズミは東京もんの分際で住民たちの主張に理ありと考えてしまう”弱さ”があり、東京に戻り、会社と建設企画コンサルタントに再考を促すが、東京側のリベラル資本主義論理は、形式的に説明会は成功したことにして、日程通り計画を実行するべく、逆にタカハシとマユズミに、再度現地に飛び、集落の賢者にして重要人物であるタクミを抱き込んで味方につけて計画を軌道に乗せよ、と命令。
 観る者はここで映画題の「悪」とは東京ゼニ儲け勢力であると単純に構図化するかもしれない。心にその「悪」に承服できないものを多く抱えながら、「悪」の使者たるタカハシとマユズミはしぶしぶ車を走らせ集落へと向かう。この自動車の中という閉鎖された空間で、運転席と助手席というポジションで、二人は”本音の会話”を展開する。お立ち会い、ここがこの映画でほぼ唯一「言葉の人」濱口の(これまでの彼の映画で見慣れた)ダイアローグアートの見せ場なのである。その”本音”は会社上司への抑えきれない憤りに始まり(タカハシはマユズミに「おまえこんな会社やめちまえよ」と執拗に進言する)、二人がそれぞれどんな経緯でこの”悪の手先”の現在位置までたどり着いたのか、そしてそれぞれの極々私的な体験(マッチング・アプリでの経験)に至るまで。”戦場”に着くまでの和みの時間のように。
 重い気持ちで現地に着いた二人をタクミは好意も敵意もなく自然体で迎える。東京側のタクミ抱き込み策は試す前から頓挫することが二人にはわかっている。着いた時、タクミは薪割りの作業中で、タクミはその仕事の切りがつくまで薪割りをやめない。「ちょっとやらせてもらっていいですか?」とタカハシはタクミからまさかりを借りて薪割りを試みる。生まれてこの方薪割りなどやったことのないタカハシはまさかりを振り上げ振り下ろすのだが、割るべき丸木に命中しない。何度やっても結果は同じ。見かねたタクミは両足の位置を教え、まさかりは頭上に振り上げたらあとは力を抜いて自然落下させろ、と。すると、なんと薪はスパーンと割れたのである。タカハシは「この10年間でこんなに気持ちよかったことはないです!」と素直な喜びを。(←薪割りシーンの写真)
 俄然タカハシとマユズミはタクミとこの自然環境に魅了され、東京悪との決別を思うようになる。タクミは汲んできた湧水で茹でて調理した(脱都会夫婦がやっているうどん屋の)うどんを二人に賞味させ、さらに二人を連れて湧水の汲み馬まで行き、水汲み作業を手伝わせる。三人の心の交流が始まったかのように見える。水は存在する。この生態系を共有するすべてのもののために。集落の人々はこの水を拠り所にしてここに住みついている。彼らはスマホやインターネットや四駆の車を使う21世紀フツー人であり、大なり小なりこの生態系にダメージを与えて生きている。タクミは守るべきバランスがあると言う。「やりすぎたらバランスが壊れる」と言うのだが、この言葉に映画のすべてが集約されている、と観終わったら気がつきますよ。
 水は存在する ー 私はとっさにこの映画題からのダジャレで「アクア存在する」なんて独語してみたのだが、出来わるいっす、ごめんなさい。
 ここまでが映画の第三段階。そして映画は最後のカタストロフィーに向かっていく。やりすぎたらバランスが壊れる。東京もん二人との心の交流にうつつを抜かしていたタクミは、娘ハナの約束の下校時刻をすっかり忘れてしまう。あわてて小学校に車を飛ばしたタクミだったが、そこにはハナはもういない。その場にいた教員の女性は「おとうさんの毎度のことだから、と言い残してひとりで歩いて帰って行った」と。ハナは家に戻っていない。ここからハナを隠してしまった自然の中にタクミとタカハシと集落民たちが分け入り、大捜索が展開される。映画はふたたび森の中の移動撮影(トラヴェリング)と石橋英子の不安げな音楽と自然音の長いシークエンスへ。音楽はものを言う。自然とはしかしてその正体は「悪」なのか、とも思わせるような。われわれはタクミの言う「バランスが壊れる」局面に立ち会っている。そしてカタストロフィーはやってくる。観る者がまったく予期できなかった映像が展開される....。
 そこはネタバレが許されないところなので、これ以上は触れない。

 とてつもないカオス、混沌が最終章となる時、そういう終わり方をする音楽として私はラヴェルの「ボレロ」の最終音、ビートルズ「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の最終音などを想ってしまうのだが、石橋英子の音楽はどうだったのか、私は憶えていないのだ!←私の耳は節穴。それよりもなによりも最後のミステリアスなカオスの強烈な映像にあっけに取られてしまったのですよ。

 テレラマ誌の執筆ライターで自ら映画監督でもあるマリー・ソーヴィオンがそのYouTubeチャンネルの動画の中で、去年7月のヴェネツィア映画祭で初めてこの映画を観たあとで、驚きを隠せない周囲の人たちに「最後のところわかった?」と尋ねると「あまりよくわからない、でもこのミステリアスなエンディングは心にずっと残るだろう」と答えたという話を伝えている。私はこれに膝を叩いて同意する。私が観たパリ6区の映画館では、観客たちは映画の最後に口をポカンと開けながら、エンドクレジットを読むでもなく眺めながら、じっと映写ホールの灯りがともるのを待っていた。わかるもわからぬもなくこれは重く残るのですよ。
 映画題『悪は存在しない』は反語であろうし虚言でもあろうが、エリック・ローメール映画の諺・格言のように、それはそれでありがたいものである。映画のトーンは(エコロジックな)寓話のように捉えられようが、この映画で善悪は重要な問題ではない。問題はタクミが言うように「バランス」なのである。それを濱口は(「言葉の人」の才を抑えて)トラヴェリングと音楽と自然音を前面に出して表現したのである。できる映画監督なのだと思う。ことさら山麓の映像は美しい。Pourtant la montagne est belle.

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『悪は存在しない』フランス上映版予告編


(↓)仏民放テレビTMCのトーク番組QUOTIDIEN で『悪は存在しない』のプロモでインタヴューに答える濱口竜介(Bonjour... とちょっとフランス語も)。濱口の日本語語りが多い中で自動車の中の対話シーンに関する説明が面白い。

2024年4月5日金曜日

日本で震度2は軽い

"Sidonie au Japon"
『シドニー、日本で』


2023年フランス映画
監督:エリーズ・ジロー
主演:イザベル・ユッペール、アウグスト・ディール、伊原剛志
フランス公開:2024年4月3日

ルヴィル東京』(2011年)のエリーズ・ジラール監督の最新作でイザベル・ユッペール主演で日本で撮られた映画『シドニー、日本で(Sidonie au Japon)』、本日フランス公開、わが町のランドフスキー座13時45分の回で観た。人は結構入っていて、わが町の日本文化ずきとおぼしき年配女性たちがほとんど。桜の季節でもあるし。

 事故で両親家族を失い、次いで夫も事故で失い、それ以来小説が書けなくなってしまったかつてのベストセラー作家シドニー(演イザベル・ユッペール)、そのかつての代表作が日本で復刻再出版されることになり、その出版社からプロモーション来日の招待を受ける。この日本行きを最後まで躊躇してフライト時刻に遅れて空港カウンターに着き、「もう乗れませんよね」と問うと、カウンター女性が「大丈夫です、出発時刻が3時間遅れましたから」と。あ、これは軽〜い映画の始まり、っと思わせるのだが...
 日出ずる国の空港では日本の出版社の代表ミゾグチ・ケンゾウ(まあ、それを狙った役名ではあるが、映画中にシドニーに著名映画監督の縁者かと問われ、ミゾグチとは日本ではザラにある名前と答えている。演伊原剛志)がいて「ビヤンヴニュ・オ・ジャポン、シドニーさん」と迎え、日本式に「カバン持ち」をする要領で、客人のスーツケースとハンドバッグをほぼひったくりモードで奪い取り、すたすたと前を歩いていく。この不思議の国ニッポンの「カバン持ち」作法はこの映画でギャグとして多用され、重要なファクターとなるのだが、古今の欧米映画監督が日本を撮る際に誇張したがる(非日本人からは奇妙に見える)”ジャパニーズ・ビヘイビア”はこの映画でもたくさん出てくる。その描き方はソフィア・コッポラ『ロスト・イン・トランスレーション』(2003年)のやり方を踏襲していると思われる部分が多い。繰り返される深々としたお辞儀とか日本の高級ホテルの不思議な決まり事(”セキュリティー・リーズン”で絶対に開かない窓)とか。
 しかしその”セキュリティー・リーズン”を破って、ある時シドニーのルームの窓は大きく開いている。このホテルには幽霊が出没してイタズラをしている。ミゾグチにそのことを告げると賢人のようなものの言い方でミゾグチは「日本ではいたるところに幽霊がいて、われわれは幽霊と共に生きている」とのたもう。


 6日間の日本滞在中、書店でのサイン会、レクチャー、文芸ジャーナリストたちのインタヴューなどの合間を縫って、ミゾグチはシドニーに不思議の国ニッポンを案内して回る。奈良東大寺、京都法然院(+谷崎潤一郎の墓)、香川県直島(ベネッセハウスミュージアム)...。それはそれは絵になる”絵ハガキ”日本であり、しかも時期が桜満開の頃となっていて、シドニーさんは外国人観光客のようにためいきをついて目を瞠り、その美しさに魅了される。あ〜あ、ヴェンダースの『パーフェクト・デイズ』の時にも書いたけど、スポンサー(この場合は直島)の言うがままのような映像であるよ。
 そしてこの不思議の国の旅に幽霊もついて回るのである。シドニーの前に姿を現した幽霊は亡き夫のアントワーヌ(演アウグスト・ディール)。幽霊の出やすい国にシドニーがやってきたから、出ることができたみたいな。いつまでも”喪が明けられない”シドニーが気にかかってこの世を彷徨っているという、幽霊譚はなんとも日本的なおもむきである。シドニーはこの黄泉の国から戻ってきた実体のない霊体を捕まえたい、離したくないと望むのだが、相手は幽霊なので。他の人には見えず、自分にしか見えない幽霊。ここでフランス人監督は、見えるものと見えないものが共に生きる国ニッポン、みたいなイメージを映像化しようとするのだが、それ、どうかなぁ?

 桜の季節なのに、ここで援用されているのは「お盆」であろう。この数日間だけ死者は戻ってきて現世の人間たちと共に過ごし、また去って行く。シドニーは夢うつつのうちに、この死者との別れ、すなわち喪の終わりを悟るのである。喪が終わらなかったから書けなかった作家がふたたび筆を持ち書き始めるという「生き直し」の瞬間を描こうとした映画なんだが...。
 そして図らずもその作家再生の不思議の旅を道案内してしまったのがミゾグチという男なのだが、映画はこのぼそぼそと不明瞭なフランス語(フランス上映版では伊原剛志の話すフランス語には全部フランス語字幕がつく)を話すこの日本男性に道士的役割まで与えてしまう。「日本人は本心を隠すことを美徳とする」なんてことを言っておきながら、このミゾグチはある夜、シドニーの泊まるホテルのバーで、氷なしストレートのウィスキーをガブ飲みしながら(日本の男はヤケ酒でも飲まないと本音を吐かないというクリシェ)、自分の妻との壊れっちまった関係のいきさつを吐露する。サムライ映画のパーソナリティのようだったミゾグチが壊れっちまった時、シドニーにこの不思議ニッポン人へのシンパシーが芽生えるという...ちょっとちょっとカンベンしてくれ、なシナリオなんですよ。
 旅の疲れという設定なのか、この映画でヒロインはよく眠るのである。ホテルでも旅館でも、はたまた電車の中でも(電車の中で熟睡するというのも欧米人からすれば特殊な光景でしょう)。この夢とうつつと幽霊が混在する世界がシドニーの日本であり、その幽玄ワンダーランドに奥深く浸ることが、歌を忘れたカナリア、筆が進まなくなった作家たるシドニーの再生セラピー、という映画を企図したんだ、ということはわかるんですがね、それ、めちゃくちゃ薄っぺらくないですか?いたるところに桜咲く日本の(観光クリップ然とした)映像は、そういう世界を喚起できますか?
 幽霊は消えていき、喪は終わり、目の前にはあの幽玄ワールドガイドのミゾグチがいる。旅の途中から書き始めたノートはまた文章を創造するパワーを取り戻していく。こじつけのように滞在最後の夜は、女と男の愛情まじわりで...。

 エンドロールに「吉武美知子に捧ぐ」という字幕あり。個人的にお会いしたことはないが、2019年に亡くなった在パリ映画プロデューサーの吉武さんは、仏日の映画の架け橋として大変重要なお仕事をされた方。この映画を捧げられて草葉の陰でどう思われただろうか。笑ってくれたら、それはそれで。
 ケチをつけたくなるところをいちいち挙げていったら大変な行数になると思う。この”夢みられた”日本は、監督の勝手だろうが、私は違うと思う。とにかく軽すぎて、薄い。人物もシナリオもニッポンも。大女優イザベル・ユッペールをこんなふうに使ったらいけないでしょう。皆さんのご意見聞きたいです。


カストール爺の採点:★☆☆☆☆

(↓)『シドニー・オ・ジャポン』予告編

2024年3月23日土曜日

オート・シネマ・ヴェリテ


"Une Famille"
『ある家族』

2023年フランス映画(ドキュメンタリー)
監督:クリスティーヌ・アンゴ
フランス公開:2024年3月20日


2021年晩夏、クリスティーヌ・アンゴはそれまでの作家キャリアで最も評価の高い作品となる『東への旅(Le Voyage dans l'Est)』(同年のゴンクール賞候補にも上り、最終的にはフランスで重要な文学賞であるメディシス賞を獲得することになる)を発表し、その出版社フラマリオンはそのプロモーションにその小説題にあやかりフランスの東部3都市(ナンシー、ストラズブール、ミュルーズ)をめぐるレクチャーとサイン会のツアーを企画した。その中のストラズブールはアンゴには深すぎる因縁の町であり、1999年に他界した実の父ピエール・アンゴがその妻と二人の子供(つまり義弟と義妹)と共に住んでいた町であり、クリスティーヌが13歳の時に始まり長期間にわたって続いた実父による近親相姦の最初の場所であった。2021年の時点でその未亡人エリザベートと義弟と義妹はまだその場所に住んでいる。フラマリオン社がこのフランス東部へのプロモツアーを提案した2021年6月(小説はまだ最終校正段階で誰も読んでいない)、アンゴはこのツアーにヴィデオ撮影班を同行させるというアイディアがひらめく。私の真実はすべてエクリチュールの中にある、だがそれは映像としても提出できるのではないか。シノプシスもシナリオもなくアンゴが撮りたいもの、見せたいものを映像化する。その夏の終わり、アンゴの”東への旅”は二人の撮影スタッフを同行し、”監督”アンゴの指示で自分(+対話者)を撮るカメラは回る。アンゴ流(セルフ)シネマ・ヴェリテである。
 父ピエール・アンゴとの文通先の住所、そこが亡き父のストラズブールの邸宅であった。自らの記憶では約35年ぶり、その住所にタクシーで乗りつける。まだそれは残っているのだろうか。半信半疑でタクシーを降り、辺りの風景にかつての痕跡があるか自問するが記憶の答えは確かではない。その白い建物の外門から入り、ポーチの下の玄関扉の横にあるインターフォンの名前を確認する。父の未亡人、すなわちクリスティーヌの義母にあたる人物エリザベートの名前があった。「名前があったわ」とクリスティーヌは撮影スタッフに言う。さあ、どうしよう、何と言おう、門前払いを喰ったらどうしよう、ここまで来てクリスティーヌは極度にナーヴァスになる。その人物とは父の死後面会したい旨の連絡は書簡で何度か試みたが、固定電話の番号は持っているものの相手は受話器を取らず、携帯番号もメールアドレスもない。会う意思があるのかも定かではない。さあどうしたらいいのか。クリスティーヌは意を決して、扉のインターフォンのボタンを押す。応答はあった。インターフォンに向かって言う「私、クリスティーヌよ」。
 扉が開き、エリザベートが現れる。門戸開放されたと思われた瞬間、中の女はクリスティーヌの背後にカメラを構えた撮影スタッフ二人の姿を認めたとたん、猛然と三人を押し返し扉を閉めようとする。クリスティーヌはドアの間に足を挟みいれる勢いでドアを再び押し開けエリザベートに「あなたは私たちをここに入れなければならない!」と叫ぶ。エリザベートとクリスティーヌの怒号の応酬による押し問答。あなたひとりならばと思ったけれど、私はカメラを家の中に入れるのは許さない、と言うエリザベート。それに対してクリスティーヌはこう叫ぶ:
J'ai besoin de me sentir soutenue par des gens qui sont de mon côté !
(私は私の側にいる人たちに支えられてると感じていなければならないのよ!) 
アンゴがこの映画全編で求めていたのはまさにこのことだったのだ。クリスティーヌ・アンゴはあまりにも孤独だった。孤立無援だった。たったひとりの反乱だった。近親相姦という世のタブーをオートフィクション小説『近親相姦(L'Inceste)』(1999年)で、「クリスティーヌ」という名の「私」という一人称体の話者で告発して以来、この作家はそのスキャンダル性ばかりを取り沙汰され、世にも重大ながら社会が目をつぶり続ける近親相姦という問題については議論すらされない。そればかりか、(映画の中でその録画映像が挿入されるが)、テレビのトークショー番組(ティエリー・アルディッソンの"Tout le monde en parle" 1999年11月)でコメンテーターと聴衆の嘲笑の対象にされ、屈辱に耐えきれず番組のゲスト席から立ち上がりその場から去っている。だがアンゴはその反乱を止めることなく、父による近親相姦はその後の小説でも繰り返し登場し、書けば書くほどその問題は深化され、アンゴの一生の傷はその度にいよいよその後遺症を増幅させていくのだっt。2021年の小説『東への旅』はアンゴ”近親相姦”年代記のような総括編であり、彼女自身の入魂もすさまじいものであったろうが、文壇の評価もそれまでのアンゴ作品とは全く異なり、ゴンクール賞候補(最終的はメディシス賞受賞)にも上った。これも映画の中に挿入されるのだが、アンゴが自宅のラジオで国営フランス・アンテールの著名な文芸時評番組"Le Masque et la Plume"を聞いているシーンがあり、その番組(2021年放送)の中で文芸批評家アルノー・ヴィヴィアンがこの『東への旅』に触れて、この20年あまり(つまり『近親相姦』発表後)フランス文壇がどれほどクリスティーヌ・アンゴを軽視・蔑視してきたか、と発言している。(この最新小説への手の裏を返したような高評価に)ヴィヴィアンは「クリスティーヌ・アンゴが変わったのではない(アンゴは一貫している)、世の中が変わったのだ」と付け加えている。それはヴァネッサ・スプリンゴラの『合意』(2020年)とカミーユ・クーシュネール『ラ・ファミリア・グランデ』(2021年)という2冊の性犯罪告発の書の大ベストセラーによって市民たちの性犯罪への見方が大きく変わったことを指してのことであろう。確かに世の中は変わったのだが、それでもクリスティーヌ・アンゴはまだまだ”たったひとり”なのである。
 映画の始めのシーンに戻ろう。激しい押し問答の末、エリザベートはクリスティーヌと撮影スタッフ二人をサロンに通し、着座する。さあ、話を聞かせて、あなたの亡き夫が私に何をしていたかをあなたは知っているはず。「あなたのことで私は心痛めているわ J'ai de la peine pour toi」というエリザベートの言葉にアンゴは逆上する。あたかもこの義理の娘が未亡人の心を傷つけているかのような。義母はクリスティーヌが”暴力的だ”とも言う。あなたの20年間の沈黙の方がどれほど暴力的なの?とアンゴは抗弁する。生前夫ピエールがあなたに何をしたのかは全く知らなかったが、あなたの小説でそれを知った。でもそれは小説でしょ、事実の部分もあれば創作の部分もあるでしょ(ここでもアンゴは逆上する)。あなたの父は私にとっては最良の夫であり、私の二人の子供にとっても最良の父だった。あなたはそれを破壊しようとしている....。
 近親相姦のメカニズムとはまさにここなのである。それを公にすれば、その個人だけでなく家族や属する社会のもろもろを破壊してしまう。被害者であるおまえの被害よりも、告発するおまえが破壊する世界の被害の方が甚大なのである。この方便をもってこの未亡人は亡き夫の被害者たるクリスティーヌを逆に攻撃してくる。おまえさえ忍んで黙っていれば、こんなことにはならなかった...。
 この映画の冒頭のストラズブールの故ピエール・アンゴ邸でのエリザベートとクリスティーヌの応酬の映像は10分ほど続いたであろうか。希に見るヴァイオレントなダイアローグが展開されるのだが、およそ”対話”なんてものではない。その生々しさに胸がキリキリする。こうして映画のあたまのストラズブールでクリスティーヌ・アンゴは茫々たる砂漠の孤独をあらためてかみしめることになる。
 アンゴのシネマ・ヴェリテは、"les gens qui sont de mon côté (私の側にいる人々)"は本当に存在して、私の孤独に手を差し伸べてくれたのだろうか、という問いを”身内”を通じて確かめようとする。登場するのは母ラシェル・シュワルツ(二部のパートで現れる)、最初の夫クロード・シャスタニェ(アンゴの一人娘レオノールの父)、2000年代の伴侶だったミュージシャンのシャルリー・クロヴィス(マルティニック系黒人)、そして娘のレオノール・シャスタニェ(1992年生れ、彫刻家/造形アーチスト、↑写真)。
 映画公開時のラジオなどでのインタヴューで、アンゴが最もしんどかったのは母ラシェルの2回に分けたインタヴューだったと述懐している。母のことはアンゴの小説『ある不可能な愛(Un amour impossible)』(2015年、のちに2018年ヴィルジニー・エフィラ主演で映画化)にくわしく書かれているのあが、ピエール・アンゴはラシェルとの熱烈な恋愛にも関わらず、もろに属する社会階層の違い(ブルジョワと貧乏人)とラシェルのユダヤ人の血を理由に結婚を拒否し、二人の子クリスティーヌ誕生にもかかわらず、ストラズブールでドイツ系上流階級の女エリザベートと結婚し家庭を持った。しかしラシェルとの不倫関係はその後も続いていて、仕事出張を装ってラシェルと逢瀬を重ねていた。しかしクリスティーヌが少女の年頃になり、このインテリ博識のパパに惹かれるクリスティーヌをラシェル抜きで連れ出すようになった時から、ラシェルはクリスティーヌに嫉妬するようになるのである。妙な三角関係。そのピエールによるクリスティーヌの連れ出しが、13歳の時から近親相姦関係になっていったことをラシェルは知らない。そしてこのことをクリスティーヌが母ラシェルに告白できなかったのは、娘が母をプロテクトするためだった、と。映画は上のような説明は一切ない状態で、ラシェルが、母が娘を守らなければならなかったはずなのに、あの13歳の時から娘が母を守って犠牲になっていたことを後悔して涙するシーンがある。この不幸な”三角関係”と言うべきか、母ラシェルは娘がその男の性犯罪の犠牲になっていたの知ってからもなお、ピエールとの”愛”の思い出にしがみつこうとすることに、クリスティーヌとラシェルを分つものがあるというのがこのシネマ・ヴェリテに見えてしまうというのが....。
 そして最初の夫クロード・シャスタニェ(←写真)はどうしようもない。結婚2年後、クリスティーヌが25歳の時(父ピエールとの近親相姦関係が終止して9年後)、ピエールと「正常な父娘関係を築きたい」と望んで再会することにしたが、クロードが住む部屋の上の階の部屋に宿を取ったピエールはその部屋で9年前と同じようにクリスティーヌに性交を強要した。その一部始終を下の部屋で聞いていたクロードはクリスティーヌを助けに行かなかった。なぜかとこのシネマ・ヴェリテはクロードに問う。クロードが怖気付いて下の部屋で動けなくなっていたのは、自分が11歳の時に2歳上の少年によって強姦された記憶のせいだ、と。このシークエンスは終始穏やかなダイアローグなのだが、クリスティーヌの寒々とした反応は痛々しい。
 映画はこれらのシネマ・ヴェリテ対話映像の合間に、クリスティーヌ・アンゴの幼少時からの写真アルバムや、幼いレオノールとクロードと20代のクリスティーヌの子育てシーンのプライヴェートヴィデオ映像などが挿入される。若いママのクリスティーヌの幸せそうな表情が印象的だ。そう、こういう孤立無援の戦いを強いられている女性にも、幸せな瞬間はあるのだ。父親ピエールが少女クリスティーヌを呼び出すのは学校がヴァカンスの時期に決まっていた。みんながヴァカンスの時に私は父親に犯され続けていた。そういう回想のバックに流れる挿入音楽がミッシェル・ポルナレフ「愛の休日(Holidays)」(1972年)なのだよ。クリスティーヌ・アンゴ(1959年生)が13歳の時(父による近親相姦関係が始まった年)のヒット曲か、計算が合っているな。

 そしてこのシナリオもカタストロフもないアンゴの孤独に満たされていく映画にも、救済はやってくる。ニースの海の見える日の当たるカフェ、大人の女になったレオノールとその母クリスティーヌが紅茶を飲みながら静かに語り合う。レオノールははっきりとこう言う:
Je suis désolée, maman, qu'il te soit arrivée ça.
(ママン、あなたにあんなことがあったということが私にはとても悲しいの)
おそらく、これは誰ひとりとしてクリスティーヌ・アンゴに言わなかったことなのだ。誰ひとりとして。誰ひとりとして少女クリスティーヌが見舞われたおぞましい性犯罪について、心を暗くすることなどなかったのだ。母クリスティーヌ、人間クリスティーヌ・アンゴはここに太陽が差し込んできたことを感じたに違いない。シネマ・ヴェリテは期せずにして光あふれるエンディングに向かう。ふたりはカフェを出て岸壁の遊歩道にたたずみ、無言で光あふれる紺碧の海を見つめるのである。そしてここで流れる音楽が、カエターノ・ヴェローゾの「ラ・メール」(シャルル・トレネのシャンソンのカヴァー、新録音!)なのだよ。これがどれほどエモーショナルか。そしてそのまま画面はエンドロールへ。

たしかに私のような「アンゴ読み」でなければ、無説明にこの映画を見せられても理解が難しいところが多いと思う。だからクリスティーヌ・アンゴがほとんど紹介されていない日本では上映が難しいだろう。私が入った映画館では入場者ほぼ全部女性だが、最後の「ラ・メール」のところで拍手が起こった。『東への旅』の成功のおかげだと思うが、アンゴは(熱く)読まれているということをあらためて実感した。この人たちは私の同志。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『ある家族(Une Famille)』予告編