2024年4月5日金曜日

日本で震度2は軽い

"Sidonie au Japon"
『シドニー、日本で』


2023年フランス映画
監督:エリーズ・ジロー
主演:イザベル・ユッペール、アウグスト・ディール、伊原剛志
フランス公開:2024年4月3日

ルヴィル東京』(2011年)のエリーズ・ジラール監督の最新作でイザベル・ユッペール主演で日本で撮られた映画『シドニー、日本で(Sidonie au Japon)』、本日フランス公開、わが町のランドフスキー座13時45分の回で観た。人は結構入っていて、わが町の日本文化ずきとおぼしき年配女性たちがほとんど。桜の季節でもあるし。

 事故で両親家族を失い、次いで夫も事故で失い、それ以来小説が書けなくなってしまったかつてのベストセラー作家シドニー(演イザベル・ユッペール)、そのかつての代表作が日本で復刻再出版されることになり、その出版社からプロモーション来日の招待を受ける。この日本行きを最後まで躊躇してフライト時刻に遅れて空港カウンターに着き、「もう乗れませんよね」と問うと、カウンター女性が「大丈夫です、出発時刻が3時間遅れましたから」と。あ、これは軽〜い映画の始まり、っと思わせるのだが...
 日出ずる国の空港では日本の出版社の代表ミゾグチ・ケンゾウ(まあ、それを狙った役名ではあるが、映画中にシドニーに著名映画監督の縁者かと問われ、ミゾグチとは日本ではザラにある名前と答えている。演伊原剛志)がいて「ビヤンヴニュ・オ・ジャポン、シドニーさん」と迎え、日本式に「カバン持ち」をする要領で、客人のスーツケースとハンドバッグをほぼひったくりモードで奪い取り、すたすたと前を歩いていく。この不思議の国ニッポンの「カバン持ち」作法はこの映画でギャグとして多用され、重要なファクターとなるのだが、古今の欧米映画監督が日本を撮る際に誇張したがる(非日本人からは奇妙に見える)”ジャパニーズ・ビヘイビア”はこの映画でもたくさん出てくる。その描き方はソフィア・コッポラ『ロスト・イン・トランスレーション』(2003年)のやり方を踏襲していると思われる部分が多い。繰り返される深々としたお辞儀とか日本の高級ホテルの不思議な決まり事(”セキュリティー・リーズン”で絶対に開かない窓)とか。
 しかしその”セキュリティー・リーズン”を破って、ある時シドニーのルームの窓は大きく開いている。このホテルには幽霊が出没してイタズラをしている。ミゾグチにそのことを告げると賢人のようなものの言い方でミゾグチは「日本ではいたるところに幽霊がいて、われわれは幽霊と共に生きている」とのたもう。


 6日間の日本滞在中、書店でのサイン会、レクチャー、文芸ジャーナリストたちのインタヴューなどの合間を縫って、ミゾグチはシドニーに不思議の国ニッポンを案内して回る。奈良東大寺、京都法然院(+谷崎潤一郎の墓)、香川県直島(ベネッセハウスミュージアム)...。それはそれは絵になる”絵ハガキ”日本であり、しかも時期が桜満開の頃となっていて、シドニーさんは外国人観光客のようにためいきをついて目を瞠り、その美しさに魅了される。あ〜あ、ヴェンダースの『パーフェクト・デイズ』の時にも書いたけど、スポンサー(この場合は直島)の言うがままのような映像であるよ。
 そしてこの不思議の国の旅に幽霊もついて回るのである。シドニーの前に姿を現した幽霊は亡き夫のアントワーヌ(演アウグスト・ディール)。幽霊の出やすい国にシドニーがやってきたから、出ることができたみたいな。いつまでも”喪が明けられない”シドニーが気にかかってこの世を彷徨っているという、幽霊譚はなんとも日本的なおもむきである。シドニーはこの黄泉の国から戻ってきた実体のない霊体を捕まえたい、離したくないと望むのだが、相手は幽霊なので。他の人には見えず、自分にしか見えない幽霊。ここでフランス人監督は、見えるものと見えないものが共に生きる国ニッポン、みたいなイメージを映像化しようとするのだが、それ、どうかなぁ?

 桜の季節なのに、ここで援用されているのは「お盆」であろう。この数日間だけ死者は戻ってきて現世の人間たちと共に過ごし、また去って行く。シドニーは夢うつつのうちに、この死者との別れ、すなわち喪の終わりを悟るのである。喪が終わらなかったから書けなかった作家がふたたび筆を持ち書き始めるという「生き直し」の瞬間を描こうとした映画なんだが...。
 そして図らずもその作家再生の不思議の旅を道案内してしまったのがミゾグチという男なのだが、映画はこのぼそぼそと不明瞭なフランス語(フランス上映版では伊原剛志の話すフランス語には全部フランス語字幕がつく)を話すこの日本男性に道士的役割まで与えてしまう。「日本人は本心を隠すことを美徳とする」なんてことを言っておきながら、このミゾグチはある夜、シドニーの泊まるホテルのバーで、氷なしストレートのウィスキーをガブ飲みしながら(日本の男はヤケ酒でも飲まないと本音を吐かないというクリシェ)、自分の妻との壊れっちまった関係のいきさつを吐露する。サムライ映画のパーソナリティのようだったミゾグチが壊れっちまった時、シドニーにこの不思議ニッポン人へのシンパシーが芽生えるという...ちょっとちょっとカンベンしてくれ、なシナリオなんですよ。
 旅の疲れという設定なのか、この映画でヒロインはよく眠るのである。ホテルでも旅館でも、はたまた電車の中でも(電車の中で熟睡するというのも欧米人からすれば特殊な光景でしょう)。この夢とうつつと幽霊が混在する世界がシドニーの日本であり、その幽玄ワンダーランドに奥深く浸ることが、歌を忘れたカナリア、筆が進まなくなった作家たるシドニーの再生セラピー、という映画を企図したんだ、ということはわかるんですがね、それ、めちゃくちゃ薄っぺらくないですか?いたるところに桜咲く日本の(観光クリップ然とした)映像は、そういう世界を喚起できますか?
 幽霊は消えていき、喪は終わり、目の前にはあの幽玄ワールドガイドのミゾグチがいる。旅の途中から書き始めたノートはまた文章を創造するパワーを取り戻していく。こじつけのように滞在最後の夜は、女と男の愛情まじわりで...。

 エンドロールに「吉武美知子に捧ぐ」という字幕あり。個人的にお会いしたことはないが、2019年に亡くなった在パリ映画プロデューサーの吉武さんは、仏日の映画の架け橋として大変重要なお仕事をされた方。この映画を捧げられて草葉の陰でどう思われただろうか。笑ってくれたら、それはそれで。
 ケチをつけたくなるところをいちいち挙げていったら大変な行数になると思う。この”夢みられた”日本は、監督の勝手だろうが、私は違うと思う。とにかく軽すぎて、薄い。人物もシナリオもニッポンも。大女優イザベル・ユッペールをこんなふうに使ったらいけないでしょう。皆さんのご意見聞きたいです。


カストール爺の採点:★☆☆☆☆

(↓)『シドニー・オ・ジャポン』予告編

0 件のコメント: