2018年5月25日金曜日

イニシアル F F

フランソワーズ・ファビアン『フランソワーズ・ファビアン』
Françoise Fabian "Françoise Fabian"

 ランソワーズ・ファビアンはフランスの大女優です。1933年アルジェリア生まれで、1954年から映画女優として活躍していて、代表作は1969年エリック・ローメール監督作品『モード家の一夜(Ma nuit chez Maud)』です。現在まで映画(ジャック・ベッケル、ルイ・マル、エリック・ローメール、クロード・ルルーシュ...)、テレビ、演劇でコンスタントに仕事されている現役さんです。生年を書いてしまったのでバラしますが、現在85歳です。この歳になってからの歌手デビューアルバムなんです。

 このアルバムについては現在雑誌原稿を準備しています。

 何度か一緒に仕事した(音楽のこと。つまり大女優にテレビや企画でワン・ショットで歌ってもらった時に編曲・伴奏した)アレックス・ボーパンが、深く深く惚れ込み、ちゃんとした録音作品として残すべきだと、彼女をぐいぐい引っ張って行ってできたアルバム。60年代からムールージやギ・ベアールとの交流の中で彼らのレパートリーを歌ったこともあり、一時はゲンズブールが曲提供してブリジット・バルドー(フランソワーズ・ファビアンよりも2歳年下)のように鬼才の毒牙によって歌手になりかけたこともあります。しかし時は過ぎ、歌手になることなくここまで来たのですが、アレックス・ボーパンによって忘れかけていた歌う喜びが蘇り、アルバムを作り、さらにステージで観客の前で歌のショーを(2018年秋から)やってしまうというところまで...。85歳のデビュー。人生歴、芸歴ともにずっしり重いこの大女優ですから、アレックス・ボーパンが声をかけたらすごい人たち、多彩な人たちが曲を提供してくれました。大御所シャルル・アズナヴール、巨匠ジュリアン・クレール、大劇作家・脚本家・作家ジャン=クロード・カリエール...。アレックス・ボーパンの世代ではドミニク・ア、ヴァンサン・ドレルム、ラ・グランド・ソフィー...。この大女優は作詞も作曲もしませんから、詞曲提供者はフランソワーズ・ファビアンがこの2018年に初めて歌うということを熟慮したんでしょうね(このことについては雑誌記事の方に詳しく書きますので、参照してください)。つまり人生の「今ここ」に来た(偉大な過去に富む)女性の吐露、述懐のような歌が殆どです。9歳年上のアズナヴールが書いた「この男という悪魔 Ce diable d'homme」など、アズナヴールやフランソワーズ・ファビアンのような重厚な人生経験なしには絶対歌えっこないようなアズナヴール節です。それからヴァンサン・ドレルムが書いた「会話 Conversation」は、まさにローメール映画『モード家の一夜』の中で堅物カトリック信者のジャン=ルイ(演ジャン=ルイ・トランティニャン)を一夜の親密会話に誘い込むモード(演フランソワーズ・ファビアン)を、49年後に(時は経てども)同じ濃さで再演するような歌。傑作です。
 その中でやや異彩を放つ作者メンツが、この「こんなにもたくさんの愛するもの Tant de choses que j'aime」を提供したニコラ・ケール(詞)とローラン・バルデンヌ(曲)で、エレクトロ・パンク・ロックのバンド、ポニ・オアックス(Poni Hoax)の双頭リーダーの二人です。この曲がこのアルバムの第一弾シングルとして、アレックス・ボーパン制作のヴィデオ・クリップ(クロード・ルルーシュ他、ゲストいろいろ出演)と共に5月23日に発表されました。85歳人生の「今ここ」を見事に歌っています。詞曲もお見それしました。詞全訳とヴィデオ・クリップ以下に貼ります。

言葉と記憶の間で
私は身構えてしまう、スタートラインに立つように、
私の愛するものすべてを前にして
こんなにもたくさんの愛するもの
私の個人史を隅から隅まで調べると
私は身構えてしまう、スタートラインに立つように、
私の愛するものすべてを前にして
こんなにもたくさんの愛するもの

私はもう探さない
あなたの中で、私の気にいるはずだったものなんて
もうどんな理由も超越されて
ただの甘い言葉しか残っていない
私はもう求めない
私にあなたを信じさせたものなんて
もうどんな疑問も超越されて
激流は静まってしまうでしょう

私の象牙の塔を壊して
今夜私は寝室を開放するわ
私の愛するものすべてのために
こんなにもたくさんの愛するもの
果てぬ希望から解放された魂
私は義務から自由にさせてやるわ
私の愛するすべてのものを
こんなにもたくさんの愛するもの

私はもう探さない
あなたの中で、私の気にいるはずだったものなんて
もうどんな理由も超越されて
ただの甘い言葉しか残っていない
私はもう求めない
私にあなたを信じさせたものなんて
みんな地平線の向こうに追いやってしまいましょう
そこから私たちは私たちに還っていくのよ



<<< トラックリスト >>>
1. APRES QUOI COURIONS-NOUS (詞曲ジュリアン・クレール)
2. PASSAGES (詞ジャン=クロード・カリエール/曲アレックス・ボーパン)
3. TANT DE CHOSES QUE J'AIME (詞ニコラ・ケール/曲ローラン・バルデンヌ)
4. CE DIABLE D'HOMME (詞曲シャルル・アズナヴール)
5. LA CONVERSATION(詞曲ヴァンサン・ドレルム)
6. CIGNER DES YEUX (詞曲ドミニク・ア)
7. MONSIEUR VOUS VOUS TROMPEZ D'EPAULE(詞アルチュール・ドレフュス/曲ロナン・マルタン)
8. LA VIE MODESTE (詞曲ラ・グランド・ソフィー)
9. AU BOUT DU COMPTE (詞アクセル・レイノー/曲ヴァランティーヌ・デュテイユ)
10. L'IDEE (詞曲アレックス・ボーパン)
11. BONSOIR (詞曲ヴァンサン・ドレルム)
12. JE NE REVE PLUS DE VOUS (詞曲アレックス・ボーパン)

FRANCOISE FABIAN "FRANCOISE FABIAN"
CD/LP TURENNE MUSIC - LABREA MUSIC - WAGRAM
フランスでのリリース:2018年5月18日

カストール爺の採点:★★★★★

(↓)2018年5月22日の国営TVフランス5 "ENTREE LIBRE"でのフランソワーズ・ファビアンのポートレート。



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追記(2018年6月3日)

L'Idée (詞曲アレックス・ボーパン)
いつか私は行ってしまう
その思いを
私はずっと温めていた
とても可愛がってきたので
この奇妙な思いを
私は飼いならしてしまった

実際には暗いこの思いを
私は小さな黒い猫に
変身させた
それは夜になると私の首の後ろや
両腕の中に身を滑り込ませ
喉をごろごろ鳴らす

いつか私は行ってしまう
その思いを
私はずっと温めていた
とても可愛がってきたので
この奇妙な思いを
私は飼いならしてしまった

それは滑稽な思いだけれど
悲しい思いでも
無念でも後悔でもない
それは私を前向きにさせる
私がこの世にある限り
その思いもあり続ける
私が向こうで
私を去っていったすべての人たちと再会する時
あなたたちを見舞う悲痛を
和らげるため
どうにかこうにか
あなたたちを慰めるため

この思いはあなたたちにもやってくる
あなたたちの番が来る
その時あなたたちは私を思うのよ
この思いはあなたたちにもやってくる
あなたたちの番が来る
その時あなたたちは私を思うのよ
そして私は永遠に生きるのよ


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追記(2018年6月19日)

月刊ラティーナ2018年7月号の「それでもセーヌは流れる」(→3ページ中の1ページ)。3分の2がローメール映画『モード家の一夜』(1969年)と哲人ブレーズ・パスカル(1623-1662)のいわゆる「パスカルの賭け」をわかりやすく解説。40年以上前仏文科学生時代に学んだことって結構頭に残ってるもんですね。





2018年5月21日月曜日

ちょっと振り向いてみただけの異邦人

Hindi Zahra "Un jour"
ヒンディ・ザアラ「ある日」

from album "HOMELAND"(2015) 

2009年「ビューティフル・タンゴ」でデビューしたモロッコの人。英語、フランス語、ベルベル語で歌うフォーク自作自演歌手。2010年のアルバム『ハンドメイド(Handmade)』と2015年のアルバム『ホームランド(Homeland)』は共に、フランスで最も栄誉ある音楽賞ヴィクトワール・ド・ラ・ミュージックの「世界音楽部門」賞を獲得している。画家、作家、女優としても活躍している当年38歳のまぶしい個性。声もメロも砂漠の香りも、みな素晴らしい。"Un jour"は旅も文学も情念もみな素晴らしい。こんな歌、めったにあるものではないでしょう。

Un jour de pluie un jour de doute,
ある雨の日、はっきりしない日、
Je vous ai trouvé sur ma route,
道すがら私はあなたと会った
Un amour far un amour doux,
ある遥かな愛、優しい愛
Un jour de pluie un jour de doute,
ある雨の日、はっきりしない日、
Je vous ai trouvé sur ma route,
道すがら私はあなたと会った
Un amour far un amour doux,
ある遥かな愛、優しい愛 
Un amour plus grand que le jour,
日の光よりも大きな愛

J'ai vu vos boucles noires danser,
あなたの黒い巻き毛が舞っていた
Sous le vent du printemps chantaient,
春の風に吹かれ
Des oiseaux du haut de leurs ailes,
鳥たちが翼を高く広げ歌っていた
J'ai vu dans vos yeux l’éternel,
私はあなたの眼の中に永遠を見た

La promesse écrite de vos mains,
あなたの手で書かれた約束は
Disait l'avenir incertain,
不確かな未来を語っていた
Se plie au désirs des plus fous,
それは最も狂おしい望みに従うと
A ceux qui valent plus que tout,
何よりも価値のあるものに従うと

Refrain:

Vous l'étranger vous l’inconnu,
あなたは異国の人、見知らぬ人
Vous avez laissé sous ma plume,
あなたは私のペンに書かせた
Des mots amères des mots perdus,
苦しみに満ちた言葉、失われた言葉を
Des mots d'une tristesse absolue,
絶対の悲しみの言葉を


Vous l'étranger vous l’inconnu,
あなたは異国の人、見知らぬ人
Vous avez laissé sous ma plume,
あなたは私のペンに書かせた
Des mots amères des mots perdus,
苦しみに満ちた言葉、失われた言葉を
Des mots d'une tristesse absolue,
絶対の悲しみの言葉を


Nous avons marché sous les ponts,
あなたと私は橋の下を歩き 
Nous avons dansé notre amour,
私たちの愛のダンスを踊り
Cueillis les fleurs de cette saison,
この季節の花々を摘んだ
A jamais j'aurais vu le jour,
この日の光を私は二度と見ることがないだろう

Nous sommes le fruit de ces moments,
あなたと私はこの瞬間に
De cette lumière et de ces instants,
この光を受け、この時に実った果実
Un regard doux venant de vous,
あなたの優しい眼差しが
A mis mon cœur à genoux,
私の心をひざまづかせた

Ce jour là je vous ai vu venir,
あの日あの時、私はあなたが
Portant en vous le souvenir,
記憶とともにやってくるのを見た
Le souffle venait à me manquer,
呼吸が途切れそうになった
Votre sourire à ma portée,
あなたの微笑みが私の手の届くところに

A vos lettres défendues,
あなたの禁じられた文字に
Je vous ai connu,
私はあなたを知った
Je vous ai connu,
私はあなたを知った

Vous l'étranger vous l’inconnu,
あなたは異国の人、見知らぬ人
Vous avez laissé sous ma plume,
あなたは私のペンに書かせた
Des mots amères des mots perdus,
苦しみに満ちた言葉、失われた言葉を
Des mots d'une tristesse absolue,
絶対の悲しみの言葉を


Vous l'étranger vous l’inconnu,
あなたは異国の人、見知らぬ人
Vous avez laissé sous ma plume,
あなたは私のペンに書かせた
Des mots amères des mots perdus,
苦しみに満ちた言葉、失われた言葉を
Des mots d'une tristesse absolue,
絶対の悲しみの言葉を

A vos lettres défendues,
あなたの禁じられた文字に
Je vous ai connu,
私はあなたを知った
Je vous ai connu,
私はあなたを知った

Et le temps passe,
そして時は過ぎ 
Et le temps passe,
そして時は過ぎ
Et le temps passe hélas
悲しいかな時は過ぎ

Et le temps passe,
そして時は過ぎ 
Et le temps passe,
そして時は過ぎ
Et le temps passe hélas
悲しいかな時は過ぎ

(↓)国営フランステレビジョン2015年秋の期間限定パリ屋上ライヴ番組"LES CONTES DU PARIS PERCHE"の動画。

(↓)アコギ2挺を従えてのアコースティックライヴ。


2018年5月12日土曜日

俺たちに明日はない

『愛され愛し速く走れ』
"Plaire, aimer et courir vite"

2017年制作フランス映画
監督:クリストフ・オノレ
主演:ピエール・ドラドンシャン、ヴァンサン・ラコスト、ドニ・ポダリデス
フランス公開:2018年5月9日


 これを書いている現時点で開催中の2018年カンヌ映画祭でコンペティション出品作です。ポスター見ると、元ボーイスカウトOB友情物語のような軽めの明るさがありますが、そんなものでは全くありません。昨年のカンヌ最良の映画の一つ 『120BPM』(ロバン・カンピーヨ監督)と同様、1990年代エイズ禍時代のホモセクシュアルを題材にした映画です。クリストフ・オノレはジャック・ドミ風ミュージカル映画『レ・シャンソン・ダムール』(2007年。アレックス・ボーパン音楽。日本上映題『愛のうた、パリ』)で名を成した1970年ブルターニュ生まれの映画監督で、他に小説家、児童文学作家、劇作家としても作品を多く発表しています。闘士肌むき出しというわけではありませんが、ゲイのアイデンティティーが作品の根幹になっている作家です。
 映画の中心人物も作家です。35歳でパリで名の知れた小説家となっているジャック(演ピエール・ドラドンシャン)は、8歳の息子ルールーと二人暮らし。彼のパリ13区コルヴィザール地区(1978年の歌で、ミッシェル・ジョナス作フランソワーズ・アルディ&ジャック・デュトロン「霧のコルヴィザール通り」という佳曲あり) のアパルトマンには、物心ついた子供の目の前でジャックの男愛人たちが出たり入ったり。ところが決して悪い父親ではなく、息子と対等な付き合いというスタンスであり、聡明なこの子は父親をわかっちゃってる風。ディテールですが、ルールーの家の中での一人遊びが「リリアン編み」なんですよ。この世界を父と楽しんでいる風な図です。この子にはちゃんと母親がいて、ジャックと一時的にパートナーとなったが恋人だったことはなく、出産後もちゃんと遠隔養育もするよくわかっている女性。参観日や息子のヴァカンス合宿の出発には「両親」揃って顔を出すのです。
 思えば、この映画に登場するのは、男も女もみんなよくわかったいい人ばかり。 ジャックの火遊びの相手たちも。そういう優しい世界の中で、ジャックは優男で遊び人でインテリでダンディーでエゴイストで良きパパで... なんですが、HIV陽性なのです。映画の進行の時間は病気の進行でもあり、エイズを発症し、(90年代なので)死を覚悟しなければなりません。その時間の中でジャックは地方(レンヌ)の21歳の大学生アルチュール(演ヴァンサン・ラコスト)と出会います。レンヌでのレクチャー会に招かれたジャックは、その主催者側が手配したホテルや会場に不満タラタラで、憤慨して打ち合わせもほどほどに会場の文化センター内の映画館に(上映途中で)入り時間つぶしをするつもりでした。そこで上映されていたのがジェーン・カンピオン監督作品『ピアノ・レッスン』 (1993年カンヌ映画祭パルム・ドール)でした。これを観ていたアルチュールが手慰み用に持っていたタバコを床に落としてしまい、拾い上げた時に後ろを振り向くと、通路を歩いてくるジャックと目が合ってしまう。このシーンの動画がYouTubeにあったので(↓)貼ります。

この未熟な大の大人と達観した若輩者のコントラストが、ず〜っと最後まで続きます。
 アルチュールは絵に描いたような「いい奴」で、綺麗なマスクをしていて、レンヌの文学部学生で、闊達な女学生ナディーヌ(演アニェス・ヴィスム)とルームシェアして(オープンなバイセクシュアル)、バイトで児童ヴァカンス村の所長(子供たちの扱いがうまく、モニターたちのトップとして人望もある)をしていて、男たちとの火遊びのスムーズさも見上げたもんです。こんな奴がいたらいっぺんに場は華やぐし、仲間たちは皆ハッピーになると思う。しかし血の気のある地方の文系学生にありがちな、地方にいたらどうしようもない、パリに出なければ欲しいものは得られない、のようなフラストレーションがあります。
 映画館の闇の中での魅惑的な数語の会話の最後に、ジャックは今夜(同じ建物の中の)講演会が終わったら出口で再会しようと言います。アルチュールはこのダンディーが誰なのかを知らないけれど、やっぱり現れるのです。それで一夜の火遊びのつもりで色々話していったら、この年上の男が作家ジャック・トンデリ(この名前はクリストフ・オノレがイタリアの作家ピエル・ヴィットリオ・トンデリ(1955-1991)から拝借したものだが、実際のモデルはエルヴェ・ギベール(1955-1991)らしい。共にエイズで亡くなったゲイ作家) と知り、まさか、と思うのです。
 映画はこの二人の恋が軸にはなっているものの、二人が一緒にいる時間は多くなく、遠距離の電話だったり、絵葉書や手紙の交換だったり。お立ち会い、インターネットや携帯電話のない時代、われわれは話すことも書くことも今よりずっと重みがあった、ということを思い出してください。留守番電話のメッセージも、電話ボックスの存在も、私たちの重要な脇役であったことをこの映画は思い出させてくれます。
 作家ジャックは病気の進行を知るにつけ、緊急に生きなければならないと悟ります。かつての恋人や友人たちがバタバタとエイズに仆れていきます。急に思い立って、アパルトマンの上の階の隣人であるマチュー(演ドニ・ポダリデス、怪演!)から車を借りて、"グラン・ウエスト(大西部、つまりブルターニュという意味なのだが、病身の彼には開拓時代の西部に身を投じるような大冒険に思えたのです)”へ行くと出発しますが、疲労によって道半ばで断念してしまうのです。悲しい。
 マチューも本当に本当に「いい奴」で、節度あるホモセクシュアルで、理解ある兄貴分かつ相談役で、気まぐれダンディーのジャックが一番頼りにしています。そしてついにジャックの恋するアルチュールがレンヌからパリに出てくるとなった日、ジャックはこの病身ではアルチュールに会えない、と判断します。コルヴィザール通りのジャックのアパルトマンをアルチュールが訪ねてきた日、そのドアではマチューが出迎え「急用でジャックは数日間不在するので、パリにいる間、このアパルトマンを使ってくれ、とジャックから伝言された」と。「ジャックと連絡を取ることは?」ー「それはできない」...。
 このやりとりの様子を上階のマチューのアパルトマンの中で、ジャックは耳をそば立たせて聞いている。落胆したアルチュールは、しかたなくパリで美術館巡りをしたりするのですが、その行く先に一つにモンマルトル墓地があり、フランソワ・トリュフォーの墓とベルナール=マリー・コルテス(1948-1989。フランスの劇作家。エイズで亡くなっている)の墓をお参りしているのです!
 パリの町を一人でしょぼしょぼ歩いているアルチュールの前に、(いてもたってもいられなくなった)ジャックが姿を現します。もうこの恋は死の恐怖などで止められない、そういう劇的なパッションを思わせるシーンですが、ジャックはこれが最後ということを知っています。いいシーンはそのあとで、マチューのアパルトマンの中で3人で宴会が始まります。歌い、踊り、飲み、この3人に恩寵が降りてくるようです。いい顔です。その延長で3人でベッドで寝よう、というのがこの屈託のない笑顔3人の映画ポスターなんです。
 しかし、と言いますか、予定通り、と言いますか、アルチュールが本気でパリ移住を決めた直後にやっている結末はジャックの死であることは言うまでもありまっせん。

 『120BPM』がエイズとの闘争(政府や製薬会社や宗教団体への告発)という歴史的社会的なテーマに重きを置いたのに対して、このクリストフ・オノレの映画で最も重要なのは恋愛です。1990年代にあっても誰にも止められない恋愛を生き通した男(たち)の物語です。文学的リファレンス(ホイットマン、エルヴェ・ギベール、シリル・コラール、ベルナール=マリー・コルテス...)と映画的リファレンス(トリュフォー『やわらかな肌』、レオス・キャラックス『ボーイ・ミーツ・ガール』、そして映画そのものが出てくるジェーン・カンピオン『ピアノ・レッスン』...)にも色々刺激されるであろう、大ロマンティック映画です。純愛もの、と言っていいです。私に不満があるとすれば、みんな本当に「いい奴」すぎるのです。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『愛され愛し速く走れ』予告編