2022年12月28日水曜日

2022年のアルバム 昨日は過去だ 今日こそが真実だ

Arno "Opex"
アルノー『オペックス』

ルギーの人。フランス語、英語、フランドル語で歌う訥弁のロッカー。2022年4月23日、72歳膵臓ガンで命を落とした。ウィキペディアによると、膵臓ガンと診断されたのは2019年11月。コロナ禍もぶつかって、コンサートが難しい時期だったが、それでも体調理由の連続キャンセルののち、2020年、2021年と何度かステージに立った。2021年5月、リール出身の(SCHなどラップアーチストとの共演共作で近年破竹の勢いで目立っている)ピアニスト、ソフィアン・パマールとの「ピアノ&ヴォーカル」アルバム"Vivre"(アルノー自身の40年のレパートリーから14曲を選びピアノ&ヴォーカルでカヴァー)をリリース(アルバム『オペックス』の9曲めソフィアン・パマールとの共演”Court-circuit dans mon esprit"はその時の録音)。そしてこの『オペックス』は、2021年秋から2022年春にかけての制作とされている。いよいよ死が迫っていて「声」が失われつつあるとの自覚から、スタジオでは極力話すことを控えて「声」を温存し、ヴォーカルトラックをすべてワンテイクで録った。
 アルバム第1曲めの"La Vérité (真実)"で、プログラマー/共同作曲者として初めて息子のフェリックスが録音に加わった。長年の相棒のベーシスト、ミルコ・バノヴィッチ(Mirko Banovic、本アルバムのプロデューサーでもある)が、ベルギーのインターネットメディア "7 sur 7"に語ったところによると、アルノーは息子フェリックスと仕事したくて何年も前から頼んでいたのに、フェリックスは親父の音楽を全く評価しておらず、ずっと果たせずにいた。反逆(rebel レブル)の父親から生まれた子供もまた反逆だったというわけだが、最後の録音についにつきあってくれた。アルノーは録りのあと一番最初にフェリックスに意見を求め、フェリックスがOKを出せば、制作スタッフに出来上がりを聞かせるという、自慢の息子との(最初で最後の)仕事にいたく満足だったそうだ。(家族ではフェリックスの他に、弟のピーターがサックスで参加している。)


俺は風と結婚するんだ
太陽を愛人にして
雲と一緒にフレンチ・カンカンを踊るんだ
でも金曜日にはタンゴを踊るんだ、タンゴ・サンバさ
昨日は過去だ、今日こそが真実だ
昨日は過去だ、今日こそが真実だ
過去にキスしてやろう、もうそれは存在しないんだから
今日生きてることがもっと大切なんだ
昨日は過去だ、今日こそが真実だ
昨日は過去だ、今日こそが真実だ
過去にキスしてやろう、もうそれは存在しないんだから
昨日は過去だ、今日こそが真実だ
昨日は過去だ、今日こそが真実だ
昨日は過去だ、今日こそが真実だ
昨日は過去だ、今日こそが真実だ

わおっ。最初から何という歌なのだ。昨日は過去だ、今日こそが真実だ。生きている今日がもっと大切なんだ。 ー 真実すぎて、胸が苦しくなる。アルノーはそうやって生きて、そうやって死んだのか。昨日は過去だ。
 アルバムタイトルの「オペックス」とは、アルノーが生まれた北海のリゾート地オステンドの東側にある街区の名前で、アルノーの両親もそこで育ち、母方の祖父が労働者階級の常連たちに愛され親しまれたカフェ「ルル亭」を営んでいた。その祖父の隠された愛人のことを歌ったメランコリックなバラードが6曲め”Mon grand-père"(俺の祖父)である。

彼にはもうひとりの女がいて
ミケランジェロの彫刻にもないような美しさで
ミス・アメリカよりももっときれいなんだ

あの女は身ぎれいで
イエス・キリストの母親のような佇まいだった

俺は祖父の愛人の娘と出会ったようなんだ
俺は祖父の愛人の娘と出会ったと思う

あの女は俺のことをチンケな客のように
あしらったことなど一度もない
それにあの女が濡れている時は
いつも真実を語ってくれたんだ

俺は祖父の愛人の娘と出会ったようなんだ
俺は祖父の愛人の娘と出会ったと思う

そして人生はもともとタダで始まったんだ
残りの人生を生きるために
そしてそれぞれの人生にはそれぞれの物語がある
他人に語られる分には

その肉体の美しさで
あの女は世界中どこでも
大地震を起こさせることができるさ

俺は祖父の愛人の娘と出会ったようなんだ
俺は祖父の愛人の娘と出会ったと思う

2分17秒めから、アルノーのブルースハープが鳴る。切なくも慈愛を感じる音色だ。美しい女はたとえ人目を忍ぶ出会いでも、人生のようにいつくしむ理由がある。旧時代の男の勝手なリクツと言わば言え。愛することに言い訳はいらない。C'est comme ça。

 10曲中、最も話題になり、奇異にも思われたトラックが、5曲めのミレイユ・マチューとのデュエット「ラ・パロマ (La paloma adieu)」である。原曲は1863年にスペイン(バスク)人セバスチアン・イラディエルが作曲したハバネラ曲で20世紀に地球規模のスタンダードとなって親しまれるようになった。仏語版ウィキペディアによると、ギネス記録として世界で最も録音された回数の多い曲が「イエスタデイ」(ビートルズ)の1600回となっているものの、「ラ・パロマ」は知られているものだけでも2000回を超えるとされている。ミレイユ・マチューによる録音"La paloma adieu"は1973年に発表され、フランス国内で40万枚を売り、すでに国際的スターであったマチューはドイツ語とスペイン語と英語でもレコード化している。長年のミレイユ・マチューのファンだったというアルノーが、初めてこの曲をカヴァーしたのは1991年のアルバム "Charles et les Lulus"の13曲め"La Paloma"だった。1997年のライヴ盤”En concert (A la française)"でも歌っている。
 2022年9月のインタヴューでマチューはこの録音についてこう回想している。

アルノーは私のことが大好きだと言っていた。私への恭しい称賛の言葉は私の胸を打つものがあった。彼は私とデュエットしたがっていたけれど、私は忙しくツアーに出回っていた。彼にOKの返事を出したら、今度はコロナ禍になり、私たちは出会う機会を失った。(その頃アルノーの病気はかなり進行していた) 私たちは一度だけ電話で話し合うことができて、彼の状態を知らされたけど、とても悲しかった。
423日、コロナ禍外出制限以来、長いこと足を踏み入れていなかったアヴィニョン郊外の録音スタジオに彼女は入り、アルノーが既に彼のパートを録音していた”La Paloma Adieu“のバックトラックの上に歌入れを行った)
その日はとても強い雨が降っていたのを覚えているわ。私は歌い終わり、アルノーのスタッフたちと一緒にそのテイクを聞いた。その時に知らせが入ったの。彼が亡くなったって。私は大泣きしたわ。スタッフがそのことを言わないでくれていたことが幸い。もしもそれを知っていたら私は絶対に歌うことなどできなかったはず。その日はお天気まで動転していたのね。


リフレインの歌詞にあり:
La paloma adieu, adieu c'est toi que j'aime
ラ・パロマさらば、さらば愛するきみ
Ma vie s'en va, mais n'aie pas trop de peine
私の命は尽きるけど、あまり悲しまないで
Oh mon amour adieu !
おお恋人よさらば!
私の命は尽きるけど、あまり悲しまないで。 ー このメッセージをこの声で聞く私たちのエモーションはただものではない。

ガラス越しに暗い北海を見つめるアルノー。背中を向けたジャケ写。しみじみいたわしい。

<<< トラックリスト >>>
1. La vérité
2. Take me back
3. I can't dance
4. Honnête
5. La paloma adieu (with Mireille Mathieu)
6. Mon grand-père
7. Boulettes
8. One night with you
9. Court-circuit dans mon esprit (with Sofiane Pamart)
10. I'm not gonna whistle

Arno "Opex"
LP/CD/Digital PIAS/LE LABEL
フランスでのリリース:2022年9月25日

カストール爺の採点:★★★★★

(↓)ベルギー公共仏語TV(RTBF)のドキュメンタリー"DANS LES YEUX D'ARNO"の抜粋、アルノー最後のインタヴュー。最もインスピレーションを与えてくれたのは「北海」だと語っている。最後に一言、J'ai eu une belle vie, quoi. 美しい人生だった、と。

2022年12月23日金曜日

2022年のアルバム 胎児よ胎児よなぜ踊る

Mylène Farmer "L'Emprise"
ミレーヌ・ファルメール『支配』

"emprise"(アンプリーズ)とは手元のスタンダード仏和辞典では
(精神的な)支配、権威、影響力
という訳語が出てくる。観念を縛り付けるもの、強い威力で心を捉えてしまうもの、なのである。ウクライナはロシアの安全を脅かす危険勢力であり、平定せねばならぬ、という号令で戦っている兵士たちはプーチンに"emprise”されているという例でおわかりいただけるかな。非常に暴力的な意味合いを含んだアルバムタイトルである。
 ミレーヌ・ファルメール(当年61歳)の通算12枚目のアルバムであり、前作『不服従(Désobéissance)』(2018年、ソニー移籍後初アルバム)から4年後の新作である。この人の常で、アルバムは発売週にチャート1位になり、桁外れのスタジアムツアーの日程が発表になり、ほどなくして完売になる。今回のツアーは「ネヴァーモア(Nevermore)2023」(出典は言うまでもなくエドガー・ポー「大鴉」)と名付けられ、パリ・スタッド・ド・フランス2回とブリュッセル、ジュネーヴを含む9都市13回が組まれていたが、当初はサンクトペテルブルクとモスクワの予定も公表されていたのだけれどプーチンの戦争のせいで...。ロシアの地には2000年、2009年、2013年(この時はベラルーシのミンスクまで行ってる)とツアーで訪れていて、その人気の高さはものすごいらしい。寒い国に響く「イナモラメント〜」さぞ、ぞくぞくものでしょうね。
 さて新アルバムの最大の注目点はウッドキッドの起用ということになろう。ウッドキッドに関しては私も2013年にそのデビューアルバムにかなり興奮して当ブログに記事『大伽藍ポップ』を書いた。あれから世界的「大物」になったウッドキッド公は、2021年にパリ2024オリンピックの公式「プレリュード」(↓)を発表して、この並外れた「大物感」をますます見せつけているご様子。

奇態なヴィジュアルの趣味、並外れた仕掛けもの、「聖」なるものへのこだわり.... 等々、ファルメールとウッドキッドは似たもの同士であるが、年齢のこと言うたらいかんけど、二人の違いはというと’新旧世代’ということなのだよ。39歳と61歳。フェアな地位関係ではなく、マルグリット・デュラスやアニー・アルノーのように、絶対的にファルメール主導の制作現場であったと想像できるが。
 音楽的にはアルバム全12曲(+ヴァージョン違い2トラックで14トラック)中、7曲がウッドキッド作編曲。そしてヴィジュアル(→)の作者はヨアン・ルモワーヌ、すなわちウッドキッドがグラフィスト/映像作家として名乗る時の名前(本名)。これはミレーヌ・ファルメールのアバターであり、アンドロイドであり、メタル状だったり透明液状だったりする包皮に包まれた年齢のない(死を知らない)女性のお姿である。アルバムジャケットになっているのは、そのファルメール・アバターが母胎内の胎児のポーズをとっている。生も死も知らないアバターがない記憶を取り戻そうとしているような虚しさが漂っている。将来「名作ジャケ」として記憶されるであろう秀作グラフィックである。
 そしてそのグラフィック・チームが制作したアルバムのファーストシングル "A tout jamais"(アルバム2曲め、詞ファルメール/作編曲ウッドキッド)のヴィデオ・クリップ(↓)である。


すべては仮面遊戯
炭疽菌の飛末が
われらの傷口に
すばやく入り込む
熱と寒さを吹き出して
われらの命を焼き尽くす悪魔を
私以外の誰が見れるの?

そいつに言うのよ
"Fuck you too"
永遠に消え去れ、と
すべてを最初からやり直すための鎮魂歌
もう、Sorry sorry なんか通用しない
私の肉体の中に入らせない
おまえとおまえの分身、わが友よ
地獄に還るがいい

ごらん
支配は凶暴で
限りがない
心を失った恋人
すべては虚偽で
私を傷つけ苛む
そこで私は疑い、血を流す
でも大丈夫、命は教えてくれる

そいつに言うのよ
"Fuck you too"
永遠に消え去れ、と
すべてを最初からやり直すための鎮魂歌
もう、Sorry sorry なんか通用しない
私の肉体の中に入らせない
おまえとおまえの分身、わが友よ
地獄に還るがいい

世界でひとりぼっちという感情
それはあなたの心に入り込むすべを知っている
ほんの数秒ですべては倒れてしまう
私はもう怖くない
あとに嫌悪感が残るだけ

そいつに言うのよ
"Fuck you too"
永遠に消え去れ、と
すべてを最初からやり直すための鎮魂歌
もう、Sorry sorry なんか通用しない
私の肉体の中に入らせない
おまえとおまえの分身、わが友よ
地獄に還るがいい
(A tout jamais)

"A tout jamais"  ー 英語に言い換えると Nevermore。これが新しいツアーのテーマとなったわけだが、"A tout jamais"はエドガー・ポー詩級のメタファーや含蓄があるわけではない。私は「ミレーヌ・ファルメール詩集」というのが出版されたとしても、本屋の売り場で言えば、タレント本のコーナーには置かれても文学の棚には並ばないはずだと思う。その辺がパティー・スミスなどとの違いなのね。デビュー以来、それなりに重い主題ばかり(死、病気、障害、生きづらさ、愛の不毛、快楽の罪、少数派ジェンダー、政治不信、薬物ほかの依存症、逃避願望、諸行無常、老い、美への偏愛... )を歌にして、それでトップクラスのポップシンガーでいられる稀有なアーチストではある。この宗教に近い人身吸引力はどのようにしてファルメールの身に備わったのか? 意見は多々あれど、私はこれはその「音楽」でもその「声」でもその「詞(ことば)」でもないものだと思っている。人々を”emprise"するなにかが彼女にはあり、このアルバムは自覚的にその問題を自分に問うているのではないかな? そう思ってこの歌、この詞を聞くと、"emprise(支配)"をするのは自分自身であり、それに向かって "fuck you”と言い、永遠に消え去れと呪い、自分とその分身(アバターとしての音楽アーチスト)は地獄に戻れ、と最後通告をしようとしているのではないか。だけどファンたちはしっかりついてきて、莫大な金銭が流通することになるのですがね。底無しの"emprise"。

 この主題をアルバムタイトル曲「支配 L'Emprise」(アルバム4曲め、詞ファルメール/作編曲ウッドキッド)はエアリアルなメロディーでこう展開している。(ウッドキッドよ、さびメロパターンが"A tout jamais"とほぼ同じなのは、私、許しますよ。アルバムでこの曲が一等賞だと思う)。 

夜、その支配力は強大で
多量のアンフェタミン
その力はあらゆる休息を無視して
私の精神を侵す
それは狂おしい妄想よりも強い
ひとつの音波
私は人生の幾多の傷痕を数え
正気に戻る

愛は何よりも強いものでありますように
それが赤でも黒でも
愛は何よりも強いものでありますように
セックスや絶望と同じほどに
支配は聖なる祈祷師
チェックメート、降参よ

でも冒険は金色と光の混じり合った
もうひとつの支配
でも冒険は束の間のこと
この地球では時は限られている

夜、その支配力は強大で
多量のアドレナリン
その力は私の倦怠に立ち向かい
私の精神を侵す
それは狂おしい妄想よりも強い
ひとつの音波
私は魂の悪を結びつけた鎖を
断ち切る

愛は何よりも強いものでありますように
それが赤でも黒でも
愛は何よりも強いものでありますように
セックスや絶望と同じほどに
支配は聖なる祈祷師
チェックメート、降参よ

でも冒険は金色と光の混じり合った
もうひとつの支配
でも冒険は束の間のこと
この地球では時は限られている
(L'Emprise)

ここで私が同じように「支配」と訳したが、ファルメール詞はふたつの言葉を使っている。ひとつはこのアルバムのテーマであり、何度も繰り返される "emprise”という言葉、もうひとつは"régne"である。後者は「支配」だけでなく「治世」「君臨」「王国」「風潮」といった日本語も当てられる。どちらもわれわれの頭の上から覆いかぶさってくるものであるが、"emprise"はそれに”強制”のニュアンスが付加される。冒険=aventure は違う王国の支配、とファルメールは誘うわけだが、そこでは愛は何よりも強いもの、と...。これ、ファンたちにはとてつもなく説得力あるんだろうなぁ、と想像する私です。いつか私も連れてってくれないかな、と思ってしまうかもしれません。

 ウッドキッドが関わった7曲はどれも粒揃いで、このウッドキッド起用の成功を(普段はミレーヌ・ファルメールなどまるで問題にしない)リベラシオン紙やテレラマ誌が高く評価するレヴューを書いている。私もそれに騙されてアルバム買ったのだけど。
 そしてウッドキッドのほかにこのアルバムに作曲陣として参加したのが、米国のモビー(2曲。2006年以来何度か共演/共作あり)、フランスのエレクトロ・デュオ AaRONの作詞作曲&デュエット(アルバム中唯一ファルメール詞ではない)の"Rayon vert"(7曲め)、そして英国のトリップホップ/プログレッシヴ・ロックバンド、アーカイヴ(2曲。2010年ミレーヌアルバム”Bleu Noir"で3曲提供)である。アーカイヴは2011年わが家の対岸のロックフェス”ROCK EN SEINE"でのライヴを見てから大好きになったのだけど、まあよくできた”プログレ”だという印象がある。さてこのミレーヌ新作の2曲のうち、10曲めに収められた"Ne plus renaître (2度と再生しない)”(詞ファルメール/曲ダリウス・キーラー)はこのアルバムで最も異彩を放つトラックである。

一条の火花
私は生まれ変わりたい
たとえどんな苦難の道でも
休息

すべてが繰り返されるなら
マッチを取り出し
”自我”を滅し
火を点けて
自らを火刑に処す

私には見える

(リフレイン)
再生
あるいは解放
二度と生まれ変わらないこと
そして私は
空に向かって
目を見開く
レプラとはかくのごとく
哀れな人類は
バラバラに

一条の火花
私は知りたい
このように
すべてはひとつの選択しかない
ひとつの熱

(アヴェ・マリア)

一条の火花
一条の火花
一条の火花
一条の火花

再生
あるいは解放
二度と生まれ変わらないこと
そして私は
空に向かって
目を見開く
レプラとはかくのごとく
哀れな人類は
バラバラに

一条の火花
一条の火花
一条の火花
一条の火花
("Ne plus renaître")

これは音楽も詞も違うディメンションですよ。終末を見てしまったこのアーチストはそのあまりの惨状に二度と生まれ変わらないことを唱える。ネヴァーモア。もう生き返るのをやめなさい。こういうポップミュージックを、ありがたく聴いてしまう何百万というファンの人たちのことを思う。ミレーヌ・ファルメールの”愛”はなにものにも邪魔されず伝道されてしまうのですね。

<<< トラックリスト >>>

1. Invisibles
2. A tout jamais
3. Que l'aube est belle
4. L'Emprise
5. Do you know who I am
6. Rallumer les étoiles
7. Rayon vert (with AaRON)
8. Ode à l'apesanteur
9. Que je devienne
10. Ne plus renaître
11. D'un autre part
12. Bouteille à la mer
13. Rayon vert (piano/voix)
14. Invisible (piano/voix)

Mylène Farmer "L'Emprise"
2LP/CD/Digital STUFFED MONKEY
フランスでのリリース:2022年11月25日

カストール爺の採点:★★★☆☆


(↓)アルバム"L'Emprise"の35秒プロモーションクリップ。

 


2022年12月20日火曜日

ライフ・オブ・ブライアン

Simon Liberati "Performance"
シモン・リベラティ『パフォーマンス』

2022年ルノードー

シモン・リベラティ(1960年パリ生れ、現在62歳)は、あえて 評すればダンディー無頼派オールラウンド碩学の作家で、フロール賞("Hyper Justine" 2009年 )、フェミナ賞("Jayne Mansfield 1967” 2011年)など重要な文学賞は取っても、本が売れないせいで出版社とのトラブルが絶えず、書物の記述をめぐっても訴訟沙汰が少なからず起こり、自らの本意ではなくても敵の多い追われ者的な面を持っている。本作『パフォーマンス』の話者「私」は一応71歳の老作家ということで、著者自身とは違うことを装っているが、リベラティの姿をかなり投影したものと読める。末期のルーザー作家という設定なのである。
 この老作家は先ごろ脳梗塞(AVC)で死にかけたという大事件を経たばかりで、まだその後遺症は残っていて、体はボロボロの態である。種々のトラブルのためどんどん溜まっていく請求書/督促状は開封されずに郵便受けの中にある。再び1行も書くことなく、このまま朽ちていくであろうと諦念していたところに、世界的ストリーミング配信会社のコンテンツ制作部から、初期ローリング・ストーンズの一連のスキャンダル事件(1967年キース・リチャーズ宅でのドラッグ使用現行犯逮捕から1969年ブライアン・ジョーンズのプールでの変死)の実写連続ドラマ化のシナリオ執筆を依頼される。連ドラのストリーミングとか見たこともないし、シナリオなど一本も書いたことがないのに、なぜ俺が指名されたのか、といぶかしみながらも、背に腹は替えられない台所状態でもあり、60年代のことなどヴァーチャルな知識しかない自分の子供ほどの年齢の若造である二人の担当プロデューサー(パリにオフィスあり)のシナリオガイドラインを次々と壊しながら、本腰を入れていく。
 何度か結婚と離婚を繰り返しその外でも女性関係の多かった元ダンディーの老作家は、現在はイル・ド・フランスの小さな村の一軒家に独居しているが、パリでモデル/マヌカン/女優をしているエステールという稀に見る美貌の23歳の娘と交際関係にあり、老作家はこれが最後の恋だということも、この娘が遠からず自分の元から離れていくだろうということも悟っている。この関係は71歳と23歳という年齢差だけでなく、この老作家の文学造詣の深さを敬い、娘が老人から文学講義/文献講釈を受けることを習慣としている、という特異さもある。聡明な子であり、かなり文学に精通するところまで来ていて、自分の審美眼もはっきりあり、これから始まるローリング・ストーンズドラマのシナリオについても老人は彼女の意見を必ず求めている。それでも一日の多くの時間をスマホのSNS(特にインスタグラム)チェックに費やすフツーのお嬢さんでもある。そして彼女は老作家の元妻クララとその前の夫(スイス人ブルジョワ)の間にできた娘であり、言わば老人の側から見れば「義理の娘」なのである。
 件の依頼連ドラは「サタニック・マジェスティーズ」と題され、3回完結のミニ連ドラで、ストーンズが世界で最もビッグなロックバンドとして変身していく時期、1967年から70年までにフォーカスを絞り、バンド変貌に大きな影響を与えたマリアンヌ・フェイスフルとアニタ・パレンバーグという二人の女性、そしてブライアン・ジョーンズの変調とリーダーシップの喪失、バンドからの放逐、さらにプールでの変死、ジャガー/リチャーズ体制の天下取りからオルタモントの悲劇まで、という大風呂敷なプログラム。
 小説はもちろんこのような一連の事件の真実を暴くということを主眼としていない。2022年、「ストーンズ60周年」を機に数多く発表されたバンドのドキュメンタリー出版物とは全く種類を異にするものである。老作家はストーンズ研究家でもロックライターでもない。文学の側の人間である。ここで老作家がシナリオによって最も浮き彫りにしようとしたのが、二人の破滅型の若者のドラマだった。ひとりはマリアンヌ・フェイスフル(老作家自身が1980年代に親しく交流していた過去がある)、もうひとりはブライアン・ジョーンズだった。
 1967年2月12日日曜日、夜8時を少し過ぎた頃、イングランド、サセックス州チチェスター市近郊のある田舎家に、18人の警官(うち女性警官2人)がなだれ込んだ。
 サロンの内部では、ハシシュと香の煙にひたされた9人の人物が互いに身を寄せ合っていた。8人の男とひとりの毛皮のブランケットに裸身を包んだ20歳の若い娘だった。
 男たちの名はキース・リチャーズ、ミック・ジャガー、マイケル・クーパー、ニッキー・クレイマー、デヴィッド・シュナイダーマン、クリストファー・ギブス、ロバート・フレイザー、そして毛皮を羽織ったヴィーナスがマリアンヌ・フェイスフルだった。(p7)
 これがこの小説の冒頭である。”レッドランズ(Redlands)"と呼ばれたキース・リチャーズ所有の田舎屋敷で起こった抜き打ち逮捕劇であったことから「レッドランズのガサ入れ(Redlands bust)」という事件名で後世まで伝えられている。この時ジャガーとリチャーズは23歳、フェイスフルは20歳だった。メディアに前もって通報されていた一種の仕掛け逮捕劇で、芸能界のドラッグ禍への公権力の見せしめ効果を狙ったものだったが、当初の見せしめ逮捕の対象としていたのは(ストーンズで最もドラッグに浸っていた)ブライアン・ジョーンズだったと言われている。しかし67年当時、ストーンズ(および英ポップミュージック界)での重要度はジャガー/リチャーズがジョーンズをはるかに上回ってしまっていたので、見せしめならばこちら、と捜査変更されたようだ。バンドを結成し、ローリング・ストーンズと名付け、軌道に乗せた男ブライアン・ジョーンズは落ち目であり、誰もがそう遠からぬ時期に死ぬだろうということを知っていた。
 『毛皮を着たヴィーナス』(1871年)のオーストリア人作家マゾッホを曽祖父に持つマリアンヌ・フェイスフル、というリファレンスだけで、この裸身+毛皮の逮捕シーンを脚色しようとする制作側に老作家は逆らい、違うフェイスフル像を提案しようとする。オーストリアの貴族家の血を引き、カトリック教育を受け聖歌隊で歌い、円卓の騎士伝説と神秘主義(+悪魔主義)に精通した「19世紀のデカダンス期に生きていた」娘だ、と老作家は言う。あの頃のストーンズにもたらされた重要な要素のうち、ドラッグはブライアンとアニタ・パレンバーグが、神秘主義や悪魔崇拝(加えてナチス傾倒)はマリアンヌ・フェイスフルとアニタ・パレンバーグが、「音楽」はミックとキースが主な提供者だった。ブライアン、ミック、キース、マリアンヌ、アニタ、この5人の共同体からブライアンとマリアンヌが脱落していく。ドラマ制作側はこれを「ユートピアの崩壊」として描く意図で始めたのだが、脚本家(老作家)と小説中盤から現れる韓国人監督(小説中"Le Coréen = 韓国人”とだけ呼ばれる)はもっと鮮明で破滅的で悲劇的なマリアンヌとブライアンを描き出す方向で一致していく。
プルーストに登場する若い娘たちと同じで、ローリング・ストーンズの3人の主要メンバーたるキースとブライアンとミックは真に固定された本質というものを持っておらず、常にその役目を変えることに終始していた。アニタとその悪魔主義的分身であるマリアンヌは、3人の恋人だった。この女ふたりと男3人の混成の中で、中心となるのは当然バイセクシュアル(ミック)なのだが、月並みなロックバンドを普遍的な魅惑力を持ったオブジェへと(化学的意味における)変態を遂げる道を急ぐのである。バンドを”ローリン・ストーン Rollin'Stone"(そのしばらく後に "ローリング・ストーンズ Rolling Stones"と改称)と命名した男、ブライアン・ジョーンズの死は”ストーンズ”誕生のための人身御供となり、”ストーンズ”の名こそそれに続く10年で確固たるバンド名になる。ミックとキースはマリアンヌとアニタに合流して、ピグレット(*)の嘲笑的な視線に見守られながら、象徴的にブライアンをプールの中へと突き落としたのだった。(p20-21)
(*ブライアンは『クマのプーさん』版権保持者から権利を買い取り、自宅プールの装飾物として「プー」と「ピグレット」の像を置いていた)
”ブライアンをプールに突き落とす”はメタファー表現であるが、のちに老作家が書くシナリオでは事故死説と他殺説の両方をほのめかすものとなる。
 マリアンヌの脱落は1969年夏シドニーのホテルでの自殺未遂である。ツイナールを150錠飲み込み、6日間昏睡状態に陥った(その昏睡中に、既にあの世の人となっていたブライアン・ジョーンズと長い間話し合っていた、というマリアンヌ本人の証言があるが、この小説では触れられていない)。アルコールとドラッグと自殺未遂はこの老作家の人生にもずっとつきまとっていた。たぶん向こう側に行ってしまっていて3日間の昏睡の後に自分は戻ってきたが、どこに戻ってきたのか覚えていない、と冗談めく。生き残った/生き残っているマリアンヌは自分と最も近い種類の人間と思っているようなところがある。
 老作家の愛人のエステールも若くしてジャンキーになり、現在脱依存症セラピー中であるが、いつまた”再転落”するかわからないことを老作家は恐れている。しかし何よりも恐れているのはエステールが自分のもとを去って行くことであるが、それは抗うことができない”近い将来”なのであると悟っている。自分の死とエステールとの別れ、それは同じものであるが、後者が先に来ることは耐えがたい。
 近いうちに死ぬことも、近いうちに生涯の恋人に去られることも知っていて、そして死んでしまったのがブライアン・ジョーンズである。この小説はそれが自殺なのか事故死なのか他殺なのかは全く問題にしない。これは自ら悟っていた世にも悲しい死である。

 1967年2月、キース・リチャーズは愛車ベントレー・ブルー・レナ(→写真)でフランス/スペインを経てジブラルタル海峡を渡りモロッコに到る旅行を企てる。運転手はリチャーズのお抱えで元軍人(第二次大戦)のトム・キーロック(のちにブライアンの相談役にもなる)、前部座席にキースが座り、車に備え付けのレコードプレイヤーでレコードをかけ旅のジョッキー役を買って出た。後部座席にはすでに病気がちで始終咳込んでいるブライアン・ジョーンズ、その両脇にアニタ・パレンバーグとデボラ・ディクソン(ジェームス・フォックス/ミック・ジャガー/アニタ・パレンバーグ主演映画『パフォーマンス』でニコラス・ローグと共同監督し脚本も書いたスコットランド人ドナルド・キャメルの妻でアメリカ人。当時キャメルとディクソンの夫妻はパリのモンパルナスに住んでいて、そのアパルトマンが英ロックスターたちの溜まり場になっていた → と爺ブログのこの記事に書いてある)。この旅の道程でブライアンの恋人アニタがキースに鞍替えするということになるのだ。一行はパリのホテルジョルジュ・サンクを出発して、フランスを南西方向に下って行き、第一夜をタルヌ県アルビの小さなホテルで過ごすことになるのだが、ブライアンの病状が悪化し、発熱がひどく肺炎も心配されたため、夜間アルビの町医者を叩き起こしトム・キーロックが連れて行くことになる。翌朝ブライアンはひとり、最寄りの大都市トゥールーズの病院に入院することになる。そして非情にも他の4人の旅は予定通り続いていくのだった...。
 老作家はシナリオ執筆に必須、とこの旅を検証するために、自分の住む地方の奥深くにある知る人ぞ知るのクラシックスポーツカーのガレージから(困窮する身でありながら)大枚を叩いて80年代製造のBMW(時速200キロまで出る)を買い上げ、エステールとふたりでキースのベントレーの道程をなぞってフランスを南下していく。小説はこの50年を隔てた二つの南下の旅が一番の読ませどころなのですよ。残り少ない命を悟り、最愛の恋人を失うこと悟る旅。老作家がブライアンと現在の自身をパラレルに書いていく痛々しさ、ここが「文学」体験であるわけで、連ドラシナリオが当初の企図とは全く違うディメンションを得ていく過程に読者は立ち会っているのですよ。
 BMWはやがてスペイン、アンダルシアに入っていき、人里から離れたところに建てられた「コーリアン・シティー」と呼ばれる映画/ドラマ撮影セット村にたどり着く。連ドラ「サタニック・マジェスティー」はここで撮影されていて、スタッフは老作家のシナリオの上がりを今か今かと待っている。現実はここにあり、老作家がこの旅に過度に感情移入するひまなどない。そしてこの旅の最中、現実は老作家の溜まった督促状の取り立て人が、この連ドラ制作会社からのシナリオ報酬を天引きする手続きを取る、という老作家をさらに窮地に追い込むことになっている。そして最愛の若い恋人エステールが、ひそかにスマホ通信で若い男に誘惑されかけている気配も察している。老作家はいよいよこの時が来たか、と覚悟を決めようとするのだが、その若い男とは.... この連ドラに出演するブライアン・ジョーンズ男優であると知るや...。
 撮影セット村には、ブライアン・ジョーンズ邸のプールも作られていて、そのかたわらには『クマのプーさん』のプーとピグレットの像が立っている。ピグレットに見守られながら、老作家はプールの端に腰掛け、ブライアン・ジョーンズのように死を想うのであるが...。

 くれぐれも、”ローリング・ストーンズの隠された事実の暴露”本だと思って読まないように。そんなものは文学ではない。破滅型ダンディーの"自身”を曝け出した痛々しさこそ読まれるべきであり、全体に散りばめられた古今東西の文学や20世紀カルチャーの博識/雑学/碩学にも驚嘆されたし。キース自伝、マリアンヌ自伝はもとより、この小説に登場する史実は膨大な資料に拠っているものだが、老作家はそれが全部頭の中に入っているような書き方なのも無頼派のハッタリのようで許せる。だが、ローリング・ストーンズという(エンタメ)話題性だけで読むな、と言われても、読者は先にそれを探してしまう、というのがこの本の弱点でしょう。私は十分に魅了されましたよ。

Simon Liberati "Performance"
Grasset刊 2022年8月 250ページ 20ユーロ

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)出版社グラッセ制作のプロモーションヴィデオで自作『パフォーマンス』を語るシモン・リベラティ


(↓)ブライアン・ジョーンズ : 1967年 西ドイツ映画(フォルカー・シュレンドルフ監督、アニタ・パレンバーグ主演)"Mord Und Totschlag"(英題”A degree of murder"/仏題”Vivre à tout prix")のテーマ曲。


(↓)小説に全く関係ありませんが、「葬式にかけたい音楽」アンケートで毎回上位に登場する曲、映画『ライフ・オブ・ブライアン』(1979年モンティ・パイソン)のエンディング曲 "Always look on the bright side of life"。これ(↓)はロイヤル・アルバート・ホールでの壮大なるライヴ。

2022年11月30日水曜日

ロング・アンド・ワインディング王国

Jonathan Coe "Le Royaume Désuni"
(原題:"Bournville")
ジョナサン・コー 『分裂王国』

ジョナサン・コーの著作のことを広東語では参考書と言う(ウソです)。
 フランスで最も読まれている現代英国作家ジョナサン・コー(1961 - )の最新長編小説で、500ページの長尺ものである。仏語題は、連合王国 United Kingdam(仏語 Royaume Uni)を辛辣に揶揄したものとなっているので、読む前にかなり政治的な内容の小説を予測するムキも多かろう。イングランドの一家族の1945年(第二次大戦終戦)から2020年(コロナウィルス・パンデミック)までのクロノロジーが主軸となっている作品なので、英国現代史の社会的政治的な部分がおおきく絡んでくるが、そればかりではない。最近すぎてこの小説には含まれなかったが、今年9月のエリザベス2世(1926 - 2022)の死はこの連合王国の市民たちが”挙国一致”で悲嘆に暮れたようなイメージがメディアで支配だったけれど、この小説を読むと決してそんな単純なものではないことがわかってくる。
 原題の「ボーンヴィル(Bournville)」は、イングランド(ウェストミッドランド)の大都市バーミンガムの郊外にある瀟酒な住宅都市で、19世紀末創業のチョコレート会社キャドバリーの町として知られている。キャドバリーは世界有数のチョコレートブランドとなるのだが、第二次大戦中に原料不足のせいでカカオ100%の純チョコレートが作れず、植物油脂分を混ぜることによって生産を続けてきた。この混合新種のチョコレートは、キャドバリー独特の"風味”を醸し出し、戦時中でも人気は衰えないどころか、この味が好きという消費者たちが増えた。そこで戦後になっても、キャドバリーはカカオ100%に戻さずにこの植物油脂混合チョコレートを生産し続けたのである。しかし、EEC(欧州経済共同体)入りした英国は、ベルギー、フランス、西ドイツといったカカオ100%チョコレート生産国主導で可決された「欧州チョコレート規格」によってキャドバリー製品がEEC(さらにECさらにEU)加盟国への輸出をシャットアウトされるという憂き目に遭う。俗に言う「チョコレート戦争」。キャドバリーはその製法を変えず、英国は辛抱強く欧州に譲歩(輸入禁止撤廃)を迫るが、欧州議会での交渉は遅々として進まない。
 これをひとつの典型的な例としてこの小説は多くのページをこの「チョコレート戦争」に割いていて、英国人の市民感情としてはこの例だけでなく一事が万事この調子、すなわち欧州側の英国いじめが目について、あの2016年の国民投票でブレグジットに至ってしまう、というシナリオが暗示されている。

 小説の中心人物はマリー・クラークという名の1934年生まれの女性で小説の終わりの2020年に88歳で亡くなる。2020年5月にマリーの孫娘でジャズ・コントラバス奏者のローナ(1990年生れ)がツアー先のオーストリアで欧州でのコロナ・パンデミックの始まりを目の当たりにする小説の序章に続いて、本編は7章に分けられ、
1. 1945年5月8日 第二次大戦戦勝日
2. 1953年6月2日 エリザベス2世の戴冠
3. 1966年7月30日 フットボールW杯決勝 イングランド対西ドイツ
4. 1969年7月1日 ウェールズ公チャールズの即位
5. 1981年7月29日 ウェールズ公チャールズとレディー・ダイアナ・スペンサーの結婚
6. 1997年9月6日 ウェールズ公女レディー・ダイアナの葬儀
7. 2020年5月8日 第二次大戦戦勝75周年記念日

という英国現代史の歴史的瞬間を切り取りながら、マリーとその家族が生きたさまざまなエピソードを展開していく。1945年の戦勝日(マリー9歳)と2020年の戦勝記念日(マリー88歳)のふたつのイヴェントにはマリー当人が関わっているが、その他はマリーおよびその一家がラジオあるいはテレビの前に集まって、時の首相の演説やコメンテーターの実況放送で体験したものである。あくまでもフィクションとして書かれた小説であるが、史実は曲げておらず、小説内に引用されているBBCの放送記録は本物であり、これらの歴史的瞬間を英国市民たちがどのように知らされていたかを知る上でたいへん貴重だと思う。われわれ非英国人には見えなかった”国内事情”である。
 1945年対独戦勝日は静かな町ボーンヴィルでも、昼からパブで夥しい量のビールが消費され、夜からは狂喜乱舞の野外パーティーになった。9歳のマリーはこの"にわか祝日”にも、ピアノ家庭教師のレッスンを受けなければならない、と憤慨している。母親ドールはマリーに将来の大ピアニストを期待しているが、マリーはスポーツ万能でしかもスピード好き、結局未来にはロンドンの大学で体育学を学び、公立学校の体育教師となる。その日父親サミュエルは同じ職場(キャドバリー)の同僚で親友のフランクと昼間からパブで飲んでいる。このフランクの息子のジェフリー(マリーより6つ年上)とマリーは将来結婚することになるが、サミュエルとフランクの両家族は古くから親しいつきあい。そのフランクの妻のベルタがドイツ系で、ベルタの父カール・シュミットは戦争の前から英国に帰化しており、れっきとした英国市民なのであるが、激しい対独戦争のせいで世間の目は...。BBCラジオから流れるチャーチル首相の勝利演説が終わり、市民群衆がいよいよ広場やパブでの祝勝大さわぎへと繰り出す。マリーとサミュエルの一家もフランクの一家と一緒にその大さわぎの中へ。その一行の中に、ジェフリーの母方の祖父カール・シュミットもいたのだが、マリーの目の前でドイツへの憎悪に猛った不良少年たちに見つかり絡まれ、暴行されてしまう。流血するシュミット老人の手当てをし、締めていた黄色のネクタイで止血をしてくれたひとりの若者ケネス。その血で汚れた黄色いネクタイがマリーの一生の宝になる...。
 憎悪とレイシズムと性差別と感情的ナショナリズムは空気のようにフツーに漂っていた時代だった。戦時中は敵国はその国民を含めて徹底した敵意の対象だったし、その敵意が公に奨励されてもいた。戦争が終わって、時代が変わって、それがどう改められていったかが、この小説の流れでも大きなテーマとなっている。なかなか変わらないし、ふとした事情でぶり返すこともある。
 口数が少なく自分を人前で晒すのが苦手だが、小さい頃から好人物であることを知っているジェフリーとマリーは結婚する。幼なじみからのプロポーズにYes返事したあとで、博識で理想主義的世界観を持つジャーナリストとなったあのケネス(敬愛する兄のような、親友のような、アドヴァイザーのような関係になっていた)からまさかの交際申込み。ここで「私は先約済み」と返事するしかなかったマリーの前からケネスは姿を消し、のちに大ジャーナリストとして内外から評価されながら、道半ばで病死する。マリーはケネスとのことを後悔しているのではないし、ジェフリーとの結婚(3人の子供を授かる)も後悔しているわけではない。ただ、歳とってから、もしもケネスと一緒になっていたら、と自分のパラレル人生を想像してみたりするのである。これ(日本語で言うところの)"人情ね”、と私は思うのですよ。ちなみに大正生まれの私の亡き母は、恋愛結婚ではなかった夫(わが父)に先立たれてずいぶん年月が経ったあとで、私に(誰にも言ったことがないこととして)父との結婚前に意中の人がいたことを告白したが、時代が今とは違っていたから、と...。90歳頃になって言いたくなる、これ”人情ね”、と理解した私だった。ごめん余談でした。
 地方企業の管理職として実直な人生を歩むジェフリーだったが、とにかく口数が少なく自分を出さない性格であるため、家のまとめ役/中心人物はもっぱらマリーであり、自分の父母(サミュエルとドール)側の親族からジェフリーの母方のドイツの親戚まで、広く繋がりを保ち、機会あれば親族郎等を集合させて一緒に過ごしていた。小説の各章の題となったイヴェントではそういった家族やご近所が自宅ラジオ/テレビの前に集まる機会なのであった。これが大家族的和気藹々ではなく、それぞれ思想や感受性がさまざまに異なる、という、メタファー的に英国の縮図として描かれている。
 これを書いている現時点で、世の中はカタールW杯で沸いているが、本書の第3章になっている1966年(今から56年前か)W杯(開催国イングランド)では、ジェフリーが頑として3人の息子を連れてのスタジアム観戦を拒んでいて、子供たちはフラストレーションをためながらテレビ観戦している。ところがジェフリー側のドイツの親戚が子供連れでW杯観戦ツアーにやってきて、子供たち同士でも英独交流をするのだが、仲良くなる子たち、反目し合う子たち、さまざま。これも戦後の英独関係を暗示するような構図。おたがいに「おまえの国は一回戦で敗退するよ」と毒づいていたが、あれよあれよと言う間に両国破竹の勢いで勝ち続け、ウェンブリー・スタジアムでの決勝へ。ジョナサン・コーはその決勝の日の(保守系)タブロイド紙ディリー・メール朝刊のスポーツ・ジャーナリスト(ヴィンセント・マルクローン)の論評を引用している:
西ドイツが今日わが国発祥のスポーツでわれわれを破ることは可能かもしれないが、それは公正なことだ。われわれは彼らの国発祥のスポーツで2回彼らを破ったのだから。(p176)
おおお、なんと辛辣な!戦争の記憶はまだ生々しい頃だった。その歴史的決勝は、死闘につぐ死闘、2対2同点から延長戦へ。そして問題のイングランド3点目ゴール、ヴィデオジャッジのなかった時代、主審の目だけが判断の基準... 。(↓の動画をごらんください)


 マリーとジェフリーの息子3人、ジャック(1956年生れ)、マーティン(1958年生れ)、ピーター(1961年生れ)は、それぞれ全く違った性格に育っていく。長男ジャックはマッチョで口が立ち、成功への野心もあり、弱肉強食主義(新資本主義/サッチャー主義)こそ国際競争で勝ち残るという自論があり、保守党に投票し、その将来にはブレグジットに票を投じることになる。外車攻勢のせいで国内市場で低迷していた英自動車業界の救世主として1980年にブリティッシュ・レイランドが世に出した大衆車「オースチン・メトロ」のテレビCMを担当した広告マン。次男マーティンと三男ピーターは、この小説で母マリーにつぐ重要人物で、言わば準主役あつかい。
 まずマーティンは一家で最もボーンヴィルの町に愛着を抱いていて、大学の外国語科(仏語・西語)を卒業した後、ボーンヴィルに戻り、キャドバリーの輸出部に就職する。ここで上述の欧州共同体との「チョコレート戦争」の渦中に身を置くことになり、ブリュッセルの欧州議会まで何度も足を運び、欧州議会議員たちにキャドバリー・チョコレートの輸禁撤廃を呼びかけるのだが、欧州はなかなか動こうとしないのだ。これが英国側から見える欧州の理不尽さの象徴として小説は描いている。この数知れぬブリュッセル出張のエピソードの中で、ブリュッセル常駐の英新聞ジャーナリストで、欧州議会の取材などそっちのけで目についた欧州のありとあらゆる悪口を書き殴って人気を得ている傍若無人で異様に目立つ英人セレブだった”ボリス・ジョンソン”なる人物が登場する。どうしようもない人物だが、保守支持層にどんどん人望を上げていく様子がうかがえる。
 マーティンはキャドバリー本社の戦略スタッフのひとりで優れて有能な秘書だったブリジットと恋に落ち、結婚する。ブリュッセル出張のレポート執筆や欧州議員人脈調査などで、マーティンの右腕と言うよりもマーティンよりも欧州関係ファイルに精通し、将来はマーティンを差し置いて欧州議会議員に当選するキャリアが待っている(そしてブレグジットと共に欧州議員職を失う)。しかしその前に、このブリジットという女性がスコットランド出身の”黒人”であるということが、マリーの一家に波紋を投じた。あの当時はごくごく”オーディナリーな”レイシズムだったのかもしれない。普段無口で自分を出さない男だったマーティンの父ジェフリーが、自分の会社の人脈を使って、別の交際候補(白人女性)をマーティンにあてがってマーティンにブリジットとの結婚を断念させようとしたのだ。この決着は第5章の「ダイアナ・スペンサーとチャールズの結婚」のテレビ実況中継を見るためにマーティンとブリジットがかの大家族全員を小さな自宅に招待した宵に、宴の席から離れたところで、マーティンとジェフリーの子と父の「男と男の」話として、ジェフリーが心から詫びるということで収拾される。その話をカーテンの影でブリジットが聞いていて、さめざめと泣いている...。
 ごくごく”オーディナリーな”レイシズムの例は、その「ダイアナ/チャールズ」の大家族テレビパーティーの時にもあり、新居に越してきたばかりのマーティンとブリジットが、家族だけでなくお隣さんにも声をかけようと、隣家の初対面の夫婦(インド/パキスタン系移民)を招待する。するとその夜この夫婦はあふれんばかりの「お国料理」を持って、マーティン宅にやってくる。マリーの大家族がテレビに見入っている後方のビュッフェに並べられたその「お国料理」の数々は、宴の最後になっても誰も手をつけない状態で残っているのだった...。

 マリーとジェフリーの三男坊ピーターは、最もマリーに甘やかされて育った「母さん子」だった。3人の子の中で最も母との会話が多く、お互いの秘密を共有し合う仲であり、とりわけマリーが晩年になってからはそれが顕著になった。二人の兄とは異なり、芸術(音楽)の道に進んだピーターは、ヴァイオリニストとしてオーケストラ団員という職を得て、そのほかにソロや小楽団で演奏する。パートナーを見つけ一旦結婚するが、うまくいかず、相手はパリに遊びに行くと言ったきり帰ってこない(その滞在中のパリで、ダイアナ・スペンサーが自動車事故で死んでしまう=1997年8月31日)。その頃、ピーターは36歳という遅い時期に自分のホモセクシュアリティーをはっきりと自覚する。このことを最愛の母マリーはどう思うであろうか。ピーターは5歳の時、幼少時の最初の記憶として母親が強い口調でこう言ったのをはっきりと憶えている:
この男たちは人類のカスよ!(p156)
ピーターが当時理解した”この男たち”とは公衆便所で口と口で接吻しあう男たちだった。今や”この男たち”のひとりとなったピーターは 、30年後、母マリーが今も同じように思っているのか、おそるおそる聞いてみる。
ー 何も憶えていないわ。遠い昔に私が言ったかもしれないことを憶えているかなんて、聞いても無駄よ。何はどうあれ、あの頃から多くのことが変わってしまったのよ。人が何をしゃべっていたのかなんてだいたい半分もわからないで過ごしているわ。人は無知だったのよ。私たちは無知な人々だったのよ。おまえは何年も前の時代のことを言ってる...
ー 30年前だよ、とピーターは言った。
ー まさにそのことを私は言ってるのよ。今日、私たちは違う世界に生きているの。ものごとは変化した。すべてまるで違うでしょ? ホモセクシュアルの権利、そんなもの今や普通に聞こえる”物音”よ!(p373)
至言。われわれは無知だった。無知から言ってしまう言葉だってある。知ったらそうかと思う。時は経ち、すべては変わってしまう。異人種異文化への嫌悪、差別、昨日の敵、旧時代のモラル...。30年前にあなたはこう言ったじゃないか、と問い詰めることは無意味。われわれは無知でレイシストで性差別がフツーだった時代に生きていたが、今やすべて変わった。私たちも変わった、そう言い切れるマリーがもしも英国そのものだったら、小説はおおいなるオプティミズムに包まれたものになるはずなのだが、言うまでもなく英国はそんなに単純ではない。 
(↓写真:フランスで『分裂王国』をプロモーション中のジョナサン・コー)
 4章め(チャールズのウェールズ公即位、1969年)の中で、マリーの一家と親戚のトーマス・フォリー(Thomas Foley、ジョナサン・コーの2013年の中編小説『EXPO 58』の作中人物でもあり、公けには隠しているが英国情報局のスパイというキャラ)の一家が合同で、ウェールズの田舎の農家の一角を借りてヴァカンスを過ごすエピソードがある。トーマスの息子のデヴィッド(1960年生れ)は未来の詩人/作家であるが、9歳だった当時、マリーの三男ピーター(1歳年下)と大の仲良しになり、ヴァカンス中いつも一緒に行動していた。そしてこの二人に村の農家の娘シオニードが加わり、トリオは子供のユートピアの世界を共有していた。シオニードはデヴィッドを将来の夫と決め、結婚してほしい、と。滞在中にマリーが連れて行ってくれた美しい人工湖、その下に沈んだ神秘的な村、未来の作家デヴィッドはこの湖底の村にインスパイアされて、初の長編ファンタジー物語を書き上げる。この作品を誰よりも先にシオニードに読ませたい。きっと素晴らしいと言ってくれるだろう。ー ところが少女の反応は真逆で烈火の如き怒りをデヴィッドにぶつけてきた。この湖に沈められたのは私たちの村、先祖たちのすべて。イングランドに水を供給するために沈められすべてを失った。貧しい私たちを蔑むようにイングランド人たちはこのウェールズを自分たちのレジャー保養地にしている。だいたいあのチャールズという男は何者なのか?なぜウェールズと縁もないイングランド男がウェールズの王子に即位するのか?ウェールズは誰のものなのか? ー 幼い二人の恋はこうして破局し、デヴィッドは電撃的ショックとして自分の無知を知らされる。
 ウェールズ、スコットランド、アイルランド、この小説ではウェールズのアイデンティティーをのみ取り上げたが、連合王国の各国のそれぞれ違う文化と歴史を持っている事情の複雑さは言わずもがなである。この50数年後に(作家になった)デヴィッドと(ジャーナリストになった)シオニードが再会し、和解を果たすのだが、ジャーナリストとしてウェールズ独立運動を調査しているシオニードの口から、あの幼い少年少女として一緒に遊んでいたちょうどその時に、ウェールズ独立地下運動(シオニードの叔父も行動的闘士だった)がウェールズ公チャールズ王子へのテロ襲撃を計画していて、それを表立たず裏側から阻止したのが、英国情報局のスパイ、故トーマス・フォリー、つまりデヴィッドの父親だった可能性がある、と聞かされる...。

 これ以上はディテールに触れないが、500ページにおよぶこの大作の中には、われわれの知らない英国のあの日、あの時の多くの人間ドラマがつまっている。
 王室関連の出来事が表題になっている章が4つもあるが、王室を見る人々の目は"満場一致”とはほど遠い。もちろん王室撤廃派、共和派も少なからずいる。最初の章(1945年戦勝日)で、訥弁のハンディキャップを抱えた王ジョージ6世のラジオ演説を、(いつどもるかと)ハラハラしながら聞き、おお今回は最後までうまく言えたわい、と茶かす"不逞”の輩もいる。(私は戦後しばらくしてから生れた人間だけど、子供の頃、大人たちの天皇と皇室を笑いのタネにした冗談は聞こえてたから、事情は英国とさほど変わらないかもしれない)。4章ある王室関連の出来事のうち、唯一国民の心が大きく一致に近づいた事件がダイアナ・スペンサーの死であった、という描かれ方をしている。英国現代史においてダイアナは別格なのであろう。

 1945年から2020年まで英国の75年の時の流れを描いたこの小説は、ジョナサン・コー一流の大エンターテイメントとして読ませながら、無知からの脱却というゆるやかな流れではなかなか止められない差別・分断・旧社会の重圧・苦いチョコレートの物語である。親欧州派の論客として知られるコーであるが、ブレグジットという英国の選択は覆せるものとは考えず、このまま英国が経験せざるをえない試練のように考えているようだ。これ、ブリティッシュ・ユーモアなのかもしれない、と思わせるところもある。

Jonathan Coe "Le Royaume Désuni"
Gallimard 刊 2022年11月11日 492ページ 21ユーロ

カストール爺の採点:★★★★☆


(↓)11月15日、パリ政治学院(Science Po シアンスポ)で『分裂王国』について語るジョナサン・コー。

2022年11月26日土曜日

Winky Calendar 2023

2018年に始まったウィンキー・ カレンダー 、2023年版(なんと6年目!)は12月上旬発送を目指して現在遠隔地レンヌで準備制作中(写真選考、フォトショ修正、表紙コンポ...)です。
表紙原案(↓)は私が作りましたが、レンヌからNGが出て、やり直しだそうです。出来上がりにご期待ください。






















2022年11月16日水曜日

次郎物語

Brigitte Giraud "Vivre vite"
ブリジット・ジロー『生き急ぐ』

2022年ゴンクール賞

文体的にはこの作品は小説(ロマン=roman)ではなく、物語(レシ = récit)と呼ばれるもので、もっぱら事実/事件を描写叙述したものである。このロマンとレシの違いは、私などにはあまり判然としないのであるが、ゴンクール賞でロマンではなくレシが受賞するのは非常に例外的なことらしい(受賞が決まった時、この点でイチャモンをつける声がやや聞かれた)。 
 というわけで、内容はフィクションではなく、作者ブリジット・ジローの実体験であり、彼女が38歳の時、1999年6月に起こった伴侶クロードのオートバイによる事故死という事件にまつわる一連の事情を列挙したものである。ブリジット・ジローは1960年、当時フランス領だったアルジェリアのシディ・ベル・アベスで生まれ、リヨン郊外で育ち、以来リヨンを離れていない。1997年第一小説『両親の寝室(La chambre des parents)』を発表、以来20冊ほどの作品を発表していて、これまで重要な文学賞(フェミナ、メドシス、ゴンクール等)の候補に上がったことはあった。この『生き急ぐ』の「事故」が1999年6月の出来事で、第2作めの小説『ニコ(Nico)』(1999年)のプロモーションでパリに短期滞在してリヨンに帰ったその日に起こったものだった。駆け出しの作家で、その他に定職を持たなければ喰えなかった頃だ。  
 連れ合いのクロードは2歳上で、ブリジットと同じようにアルジェリア生まれで、少年時代までかの地にいたのだが、家族共々追われるようにフランスにやってきてリヨン郊外に移住した。ブリジットとはリセの時からのつきあいで、早くも18歳でオートバイ乗りだった。音楽マニアで自分で楽器もやるし、録音機器も持っていて、買った新居では改造してホームスタジオを据えるつもりでいた。職業はリヨンの公立図書館のレコードCDライブラリー室長。副業で地方新聞雑誌のロックライターもしていた。銀行員になるはずだったが、音楽の世界に留まりたいパッションが上回り、図書館のこの職をなんとかもぎとり、公職の場でもSchott Perfecto ライダージャケットを一年中着ていた。オートバイとロックミュージックで生きるインテリ優男。この本での描写だけで、”いい奴”感はびんびん伝わってくる。二人にはひとり息子がいて、名前はテオ、この1999年当時まだ小学生だった。
 二人ともそれぞれ(アルジェリア引揚者)庶民階級の出で、リヨン郊外のシテ(低家賃高層集合住宅)で育ったが、二人が仕事するようになり一緒に暮らすようになってから、リヨン市内の旧建築の小さなアパルトマンを買って、いろいろ改装をしてせまいながらも快適なスイートホームに。ごく普通のなりゆきだが、子供が出来て大きくなるにつれて、もっと大きなところに変わりたいね、一軒家が欲しいね、という話に。ブリジットはマニアックな家探しのエキスパートになり、地区のフリーペーパーや不動産チラシなどの最新版をかき集め、不動産屋をくまなく当たり、物件探しに没頭する。ある日、希望よりも大きめの庭付き一軒家物件をダメ元で訪問したのだが、やはり条件が折り合わず引き下がろうとした時に、庭の奥に小ぶりの離れ一軒家が目に入る。時代もので、第二次大戦時に対独レジスタンスの秘密弾薬庫にも使われたという曰く付きの家で、長年放置されかなり荒れているが、それでもブリジットはこれぞ運命の出会いのように一目惚れしてしまう。売り物件の家主のマダムに尋ねると、これは彼女の持ち物ではなく、地方に隠居している弟のもので、彼は売却する意向はないはずだ、と。これを長い月日をかけて執拗に家主に迫り、紆余曲折の末この物件を買い取ることに成功するのだが、この一目惚れの成就がクロードの事故死と深く因果関係を持ってしまうことになろうとは。
  この物語(レシ)は、この家購入(その引越しの直前に起こったクロードのオートバイ事故死)の23年後(つまり2022年現在)、地区再開発のため売却立退きを余儀なくされ、ブリジットが近々ブルドーザーで取り壊しが決まっている家を去るところから始まる。生前のクロードと計画していたとおりに、家を二人(と息子のテオ)の夢の空間とするよう年月をかけて改装し続けた。クロードと生きる夢を追い続けた23年間だった。これを「未練」と言い換えてもかまわないと思う。このレシは、今、この家を手放す段になって、この「未練」のすべてを列挙して総括し、永遠に終わらない喪に一区切りをつけようという試みなのである。
 クロードの事故は、さまざまな偶然と条件が重なりあって起きた、と話者は説明しようとしている。どんな説明があっても取り返しはつかないし、納得もできないのだが、それをあえてしようとする。繰り返すが、これが「未練」でなくて何であろうか。それは「もしも」という仮説であり、「もしも... だったら」「もしも...でなかったら」.... クロードは死ぬことはなかっただろう、とずっと話者は思い続けてきたのだ。その「もしも」のすべてが早くも21ページめで羅列されている。「もしも私があのアパルトマンを売ろうと思わなかったら」「もしも私がこの家を下見したいと固執しなかったら」「私たちがお金を必要としていたちょうどその時に、もしも私の祖父が自殺しなかったら」... に始まる22項目の「もしも」が列記されている。この物語(レシ)はその22の「もしも」をひとつひとつ詳説していくという形式で成り立っている。
 この事故は1999年6月22日に起こった。ブリジットの一家3人はまだリヨン市内のアパルトマンに住んでいて新居への引越しはやや先の予定だったが、公証人を仲介する売買契約前に、公証人(友人の友人)が融通を聞かせて6月18日に特別に新居の鍵をブリジットに渡し、少しずつ引越し荷物を搬入する。ブリジットが母親に「もう鍵をもらった」と興奮して電話する。家には大きなガレージがあり、そこは改造してサロンにするつもり、と。母親が息子(ブリジットの弟)にブリジットの新居にはガレージがあると伝える。怪物オートバイ(ホンダCBR900ファイアブレード)を持ちながら、自宅にガレージがなくいつも駐輪場所に苦労していた弟が、これは「渡りに舟」ちょうど家族(妻と娘)で南仏短期ヴァカンスに出るところだったので、その間姉の新居のガレージで預かってくれ、と。6月18日、弟の怪物マシーンはブリジットの新居ガレージに収まる。その同じ日、ブリジットは2作目の小説『ニコ』のプロモーションでパリに行き、22日に戻る予定だった。その間小学生の息子テオの学校の行き帰りは、クロードが面倒を見る(註:フランスでは小学校の登下校は、保護者またはその代理人が朝校門まで送り、下校時に校門に迎えに行くのが義務)。21日夜、ブリジットは22日の下校時はテオが友だちの誕生会に呼ばれていてその母親が下校の世話をするので、テオを学校に迎えに行かなくてもいい、とクロードにパリから電話をするつもりでいたが、パリ宿泊先のブリジットの女友だちとの長話で電話ができなくなってしまう(携帯電話の普及していなかった時代、友人宅の電話を借りるタイミングを失う)。その22日、クロードはいつも通り、テオを徒歩で学校まで送り、そこからバスで職場(リヨン公立図書館レコードCDライブラリー)まで行くつもりでいたが、(ここで魔が刺す)、学校から徒歩10分ほどで行ける坂の上の新居まで行く。友人の証言では自らバイカーでありオートバイを熟知しているクロードは「このマシーンには絶対に手を出してはいけない」と自分に念じていたらしい。自制できずに、魔が刺す。ガレージからホンダCBR900ファイアブレードを出し、それに乗って職場に出勤する。そして下校時が近づき、(ブリジットが電話しそこねたばかりに)行く必要のない下校迎えのために、この怪物マシーンにまたがり、小学校へ向い....。
 「もしも前もって家の鍵が渡されなかったら」「もしも母が弟にガレージがあると言わなかったら」「もしも私がパリ出張の日を変更しなかったら」「もしも私がエレーヌの新しい恋人に関する長話を途中で遮ってパリからクロードに電話していたら」「もしもあの時携帯電話を持っていたら」... これらの仮説は、確実にクロードの生死の分かれ目であったし、どうしようもない繰り言でもある。ブリジット・ジローはこの繰り言を悲嘆でぐしゃぐしゃになるような書き方ではなく、冷静に間接的に(自虐的)ユーモアも加えて綴っていく。その中で、23年前というのが、どんな時代だったかもちゃんと説明している。今とどれほど違っていたか。インターネットや携帯電話が普及していなかったということが、どういうことなのか。居ながらにしてすべてを画面で検索できる世界に住んでいる人たちには、不動産屋や図書館に頻繁に足を運ばなければならなかったり、音楽や映像を買ったり借りたりしなければ観賞できなかったり、ということは説明しなければ。たった20年ほど前のことなのだけれど。たぶんこのクロードの事故は現在のコミュニケーションネットワークから考えると、ありえないことと済まされるかもしれない。
 やり場のない憤りもある。この22章の「もしも」の中で、2章だけ文頭の「もしも(Si)」の代わりに「なぜ(Pourquoi)」という疑問詞になっている。
14. なぜ本田技研に革命をもたらしたエンジニア馬場忠夫は、私の生活に土足で押し入ったのか?
15. 1999年6月22日クロードが乗っていた、日本産業界の誇り高き花形スター、ホンダCBR900ファイアブレードは日本で販売禁止であり、ヨーロッパ向け輸出に限定されていたのはなぜか?
 この2章は合わせて16ページある。これはブリジット・ジローの(クロードを殺した)ホンダCBR900ファイアブレードへの怒りの丈をぶつけたものであり、開発者であるホンダの伝説的エンジニア馬場忠夫の来歴も含めて、マシーンの詳細なデータおよびフランスの業界誌やライダーたちの証言も入った、いかにこの怪物オートバイが殺人的なしろものであるかを書き綴っている。この輸入販売を許可したヨーロッパ(およびフランス)の新資本主義自由貿易政策への呪詛も忘れていない。メーター上で速度270キロを超えるのである。絶対的に公道で走るように作られていない。サーキットのみで走行されるべきもの。これが日本では禁止されていて(禁止されているから、倍近い値段払ってでも欧米からの逆輸入ものを日本のライダーたちは買う)、ヨーロッパでは公道で走れて、結果、多くの死傷者を出している。この16ページの話者のテンションは非常に高い。近い将来この本の日本語訳本が出たら、日本ではこの部分だけで物議をかもすかもしれない。
 (ちなみにこの記事タイトルの「次郎物語」は単なるダジャレではあるが、下村湖人作の未完の長編「次郎物語」の主人公が”本田次郎”という名である、という含みもわかってやってね)

 公立図書館レコードCDライブラリー室長であり、ロック音楽に精通したクロードが、その6月22日、職場でライブラリー仕入れ選考のために視聴していた最後の曲がデス・イン・ヴェガスの"Dirge”(↓クリップ)という曲だった。呪術的に響く「ラ〜ララ〜」繰り返し。

この曲を聴き終わって、クロードは職場を出、テオの下校時刻に遅れそうなのを気にしながら、怪物マシーンに跨がり、帰らぬ人となる。話者の「もしも」はこの最後の視聴曲が、デス・イン・ヴェガスではなく、同じデスクの上に積まれていた視聴用CDの中のコールドプレイ「ドント・パニック」だったら、事情は違っていたに違いない、などということも想像してしまう。もう切ない切ない。
 
 書名の『生き急ぐ(Vivre vite)』の出典は、その当時クロードが読んでいたルー・リードの本からの引用だそうだが、もちろんその元はジェームス・ディーン(1931-1955)の"Live fast, die young”である。舞台がリヨンであり、この古い歴史のある地方大都市圏から離れずに育ち、大人になったブリジットとクロードだったが、ブリジットはこの男がどこかこの地に馴染んでいないところを見ている。アルジェリアに生きるべき男だった。あの怪物オートバイだって、映画「イージー・ライダー」(このリファレンスも本書中に出てくる)のアメリカのような土地(すなわちアルジェリア)で、土埃を上げて疾走できたら、素晴らしい愛馬としてクロードに懐いたであろう。
 ちなみにクロードと同じ年にアルジェリアに生まれたリヨンの人にラシッド・タハがいる。またタハのリヨンのバンド、カルト・ド・セジュールのギタリスト、モアメド・アミニはリセ時代にクロードと机を並べていたし、クロードの最初のロックコンサート体験を分かち合った仲だったが、タハが2018年に他界したのに続いて、ブリジットがこの本を執筆していた2019年にアミニも亡くなった(p179) 。

 20数年の「未練」を書き上げ、人生のページをめくった記録。同世代(私より少し若い)として、あの時代(90年代末)のフランスを共有体験した者として、肌身に感じるところがたくさんあった。ロックミュージックのはめ込み方も(YouTubeに、本書中に登場する音楽のプレイリストあります)。やや軽量級だけれど、2022年も良いゴンクール賞に出会えてよかったと思います(しまらない結語でごめん)。

Brigitte Giraud "Vivre vite"
Flammarion刊 2022年8月 206ページ 20ユーロ

カストール爺の採点:★★★☆☆


(↓)2022年11月4日、ゴンクール受賞翌日に国営ラジオFrance Interの朝番組に出演したブリジット・ジロー。


2022年11月9日水曜日

赤丸上昇中

Lucie Rico "GPS"
リュシー・リコ『ジェ・ペ・エス』

1988ペルピニャン生まれの作家/映像作家、リュシー・リコの2作めの長編小説。題名の"GPS"は21世紀に全地球的に普及した自動車ナヴィゲーションやスマートフォンアプリでお馴染みのグローバル・ポジショニング・システム(全地球測位システム)のことであるが、当地発音の呼称は(”ジーピーエス”ではなく)「ジェ・ペ・エス」となる。この小説ではたいていのスマホに標準装備されているアプリGoogle Mapsのことを指している。大雑把に言うと、これはスマホアプリをツールにして書かれた小説である。こう書くと、そんなもの文学作品としてなんぼのものさ、と揶揄したくなるムキもありましょう。私もそういう先入観がありましたが。
 小説の中心人物の主語は二人称単数 "Tu"(きみ、おまえ)で書かれている。「きみは(XX)する」という文が最初から最後までずっと続くのである。読み方によっては「きみ」と名指して書いているのが作者であると同時に「きみ」をこのように観察しているのは読者でもある。この「きみ」はほとんど四六時中自分の部屋に閉じこもっていて、それを観察する側にある作者とわれわれ読者の構図はテレビのリアリティーショー的であり、われわれは覗き見に立ち会っているわけだが、その「きみ」は部屋という密室にいながら、四六時中スマホのGPSアプリの世界に入り浸っているという、二重の密室構造の中で小説は展開する。
 「きみ」と名指された主人公は33歳の女性であり、ジャーナリストであったがその職を失って以来引きこもり気味になっている。インターネットを通して求職活動はしているが、応募先の人事担当者から否定的回答のメールばかり毎日受け取っていると、外に出るのもいやになるだろう。失業期が長引き、失業手当支給もあとわずかとなればなおさら。ジャーナリストとしての専門分野は「三面記事(fait divers)」であり、世の中の事故、事件、珍事などを題材に「読ませる記事」を書くというもの。目下の交際相手ともその取材で出会った。火事の原因に不審なものを感じた「きみ」が、消防署に問合せに行ったら、「もっと突っ込んだ話が聞きたいのかい?」と取材に応じたのが消防士アントワーヌだった。「きみ」のアパルトマンに決まった日に通ってくるという交際であったが、「きみ」の失業以来その関係は未来を見通せなくなって、どこか気まずいものになっているし、洗わない食器がたまった台所など家の中も乱れていく。
 ここまで私も「きみ」と書くのが疲れてきたので名前を出すが、彼女の名前はアリアーヌと言う。小説中この名前が初めて登場する(名前が明かされる)のは116ページめ(ちょうど小説全体の中間地点)である。それほど「きみ」は長い間自分の名前を聞いたことがない、という失業+引きこもりの寂寥を強調してのことだろう(こういうレトリックとても上手い)。それに反して最初から名前が何度も登場するのが、「きみ」の唯一無二の親友であるサンドリーヌである。16歳で出会ってから青春期のいいこと悪いことアヴァンチュールのすべてを共有した双子姉妹のような親友であるが、ただひとつの大きな違いは、平凡で平均的な家庭環境で育った「きみ」に対してサンドリーヌは複雑な環境にあった。それは小説の後半で明らかになっていくことだが。
 さてそのサンドリーヌが婚約パーティーを開くから、親友の「きみ」に婚約立会人として出席してほしい、と。場所は特別に借り切った新設のイベント会場は”Zone Belle-Fenestre”というインダストリアルな郊外産業地区を想起させる名前。小説冒頭第一ページめで「きみ」はさっそくこの地名を二度スマホGPSで検索するが、二度ともGPSは「住所不明」と返す。「きみ」はこれを"罠”と感じる。これがこのミステリアスな小説の始まりである。わくわく感をそそるスタートである。
 (ちなみに、私たち家族がこの夏のヴァカンスにAIR BNBを通して借りた南仏の家は、フランス海軍に務める人の持ち家で、海軍軍用地の敷地内にあるため、カーナビ(GPS)で追えない場所にあった。市街地から遠くないのに携帯電話も通じなかった。そういう場所ってあるんですね。)
 サンドリーヌは、場所がわからなければ、自分の位置情報をGPSで教えるから、それを目指して来い、と。スマホが振動し、メッセージが現れる。
Sandrine souhaite partager sa localisation avec vous
(サンドリーヌはあなたと位置情報のシェアを希望しています)

アプリGoogle Mapsのダイアローグに「きみ」が同意クリックを押すと、サンドリーヌは点滅する赤丸となって画面に登場する。この赤丸のいる位置を追いかけていけば、サンドリーヌに会え、会場にたどり着ける。こうしてアリアーヌ(きみ)はスマホのGPS画面を片手に、久しぶりに部屋を出て(リアルの)外界に飛び出し、赤丸の示された場所へと赴く。行けばそこは17ヘクタールもある野外イベントパークで、パーティ会場にはシャンパーニュ、ビュッフェ、音楽がふんだんにあり、サンドリーヌと婚約者ジョンの同年代(アラサー)招待者たちがわんわんと騒いでいる。純白ドレス姿の主役サンドリーヌは幸せそうに招待者ひとりひとりと応対してもみくちゃになりながら、華麗にこの上なく美しく踊っている。大盛会だったパーティーもピークを過ぎ、招待者たちが三々五々退散していく午前3時頃、サンドリーヌが姿を消す。「きみ」も帰宅することを告げたくてサンドリーヌを探すが見つからない。GPSを見ると赤丸はイベントパークの反対側にいる。アルコールも回り、眠くなった「きみ」はそのまま帰路につく。
 翌日、婚約者のジョンからサンドリーヌが失踪したことを告げられる。ジョンのヴァージョンでは昨夜のパーティのとある”馬鹿野郎”とどこかにしけ込んだに違いないと言う。絶望的に落ち込んでいるジョン。ジョンとはあまり懇意でない「きみ」は、サンドリーヌが自ら消えた”わけ”を尊重し、ジョンには自分がサンドリーヌの位置情報を持っていることを明かさないでおく。「きみ」だけがサンドリーヌ(赤丸)の居場所を知っていて、その赤丸は移動しているのがわかる。そのサンドリーヌからは「昨日は来てくれてありがとう、また会おうね」の携帯メッセージが入っている。生きているから案ずることはない。その赤丸はパーティ会場から20キロ離れた湖(デール湖=Lac du Der)の辺りに移動し、そこに止まっている。
 スマホが振動し、「三面記事」情報収集のために登録している地方プレスの探信ニュースが画面に現れる。「デール湖畔でジョギングで通りかかった市民が、左足だけを残して全身を焼かれた死体を発見」。まさか。サンドリーヌであるわけがない。なぜならその赤丸は微妙な動きを止めていない。それは生きたサンドリーヌなのか、それとも誰かの手に渡ったサンドリーヌのスマホなのか。


 ここから小説は部屋にこもった「きみ」がほぼ24時間スマホGPSから目を離せなくなり、赤丸の動きを追い、ことの真相を密室から推理する展開になる。密室の中のそのまた密室たるスマホ画面の中はなんと無限の広がりがある。Google Mapsはズームアウトすれば地球上のどこへでも行け、ズームインすれば人間の顔まで識別できる。その機能は地図、航空写真、立体画像、360度ストリートビュー... さらにタイムラプス機能を使えば、その場所の過去にまで遡ることができる。元「三面記事」記者はその推理力と想像力を駆使して、赤丸の行方を追い、その真実(サンドリーヌの蒸発、死体、移動する赤丸...)をリアル空間ではなくヴァーチャル空間に求めて深入りする。リアルとヴァーチャルの境の消滅に読者は立ち会っているのだ。
 最初「きみ」は婚約者ジョンがサンドリーヌとの婚約の夜の”破局”に激怒してサンドリーヌを殺し死体を焼いたものとの仮説を立てる。しかし推理ははずれ、サンドリーヌの赤丸は移動を続け、あたかも「きみ」に訴えかけ、「きみ」を誘き出すような動きを繰り返す。サンドリーヌは生きている、と「きみ」は確信する。
 そんな中、長期失業者だったアリアーヌにある新聞社から記事依頼が飛び込んでくる。赤丸から目を離せず、気はそれどころではない「きみ」は、ネット上に転がっているその種の情報をテキトーに構成して記事を作る。赤丸を追って以来、ヴァーチャル空間での想像力が琢磨されたのか、そのあることないことごっちゃの記事はすこぶる好評で、記事依頼が続けざまにやってくるようになる。ついに失業脱出。恋人アントワーヌと外に出てお祝い事でもすればいいのに、アリアーヌは密室を出ることができない。何が真実で何が虚偽かなど、「きみ」にはどうでもよくなった。それでも赤丸は点滅して動き続ける。彼女にとって真実はこの赤丸しかないのだ。
 消防士アントワーヌは、その消防署経由の確かな情報として、かの焼死体がサンドリーヌのものであると断言する。ではこの動く赤丸は誰なのか? 赤丸が移動する場所は奇しくもアリアーヌとサンドリーヌにゆかりのある場所ばかり:二人が通ったリセ、アリアーヌの家族が住んでいた家、サンドリーヌを連れてアリアーヌの家族が行ったヴァカンス地、そして二人だけで行った最初のヴァカンス地、クロアチア、スペイン....。デール湖畔は16歳の二人が最初に出会った場所だった。そしてダムール通りへも。Google Mapsはタイムラプス機能でその過去の姿まで見せてくれるのだ。一体赤丸は「きみ」に何を訴えているのか?
 16歳で出会う前のサンドリーヌのことを「きみ」はよく知らない。いつも泣いてばかりいる母親とサンドリーヌは住んでいた。自分の顔が父親と似ていることを嫌い、サンドリーヌは何度も鼻を整形していた。明るく行動的なサンドリーヌは家庭に重い過去を抱えていた。
 「三面記事」ジャーナリストとしてデビューしたての頃、最近の事件のタネがなくなると、過去の事件を掘り起こして迫真の記事に書き直して穴埋めをすることがあった。この町で起こった陰惨な事件、この過去記事に出会った時、「きみ」はこれで行こうと決め、一気に書き上げた。見出しは:
「ダムール通りの惨事:娘の目の前で、父親が息子を殺したのち自殺、死者3名」
この記事は当時センセーションを起こし、多くの読者に読まれた。アリアーヌは自慢だった。これを読んだサンドリーヌは記事リンクをアリアーヌに送り、これを書いたのは本当に「きみ」なのか、と問い詰めた。「そうよ、陰惨でしょ」と「きみ」はサンドリーヌに返事した。
 記事見出しを注目していただきたい。娘の面前で、父親が息子を殺し、自分も命を絶った。勘定すれば死者は二人である。これを新米記者アリアーヌは「3名」と間違ったが、記事はそのまま印刷され世に出た。このダムール通りの住人一家がサンドリーヌの家族であり、生き残りの「娘」がサンドリーヌだった。赤丸に誘導されて、記事の15年後にダマール通りのヴァーチャル空間に連れてこられた「きみ」は、初めてこの事実を知るのである。そして「きみ」は記事の上で生き残ったサンドリーヌも殺していたのだ、と....。サンドリーヌを殺したのは「きみ」なのだ...。
 「きみ」はなんとかしてサンドリーヌに会って詫びなければならない、と赤丸との再会を何度も試みるのだが...。

 小説は読み進めるうちにどこまでが「きみ」の(三面記事的)想像なのか、画面の中のパラレルワールドのものなのか、そんなものはどうでもよくなってしまう。リアルの消滅 ー これはある種病的体験であり、スマホ依存症の極限を見る思いがする。そしてそれはサンドリーヌとの「位置情報の共有」を解除すれば、すべては消えてしまうはずなのだが、それが呪縛的にできなくなってしまっているのだ。ここがね、私は安っぽいヴァーチャル・ミステリーとこの小説を決定的に分かつところだと読んだのですよ。私たちが日常的に手にして目にしている、スマホのヴァーチャル空間の限りなく暗い闇を見る思い、これは驚くべきウルトラ・モダンな文学体験なんですよ。

Lucie Rico "GPS"
P.O.L刊 2022年8月 220ページ 19ユーロ

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)出版社P.O.L制作の動画:自作"GPS"を語るリュシー・リコ(リコちゃん、と呼びたくなるような可憐さ)

2022年10月30日日曜日

世の中は三日見ぬ間の桜かな

 

Muriel Barbery "Une rose seule"
ミュリエル・バルブリー『ただ一輪の薔薇』

ミュリエル・バルブリーの”京都小説”。当ブログ2022年9月に紹介した最新刊『狂ほしの時(Une heure de ferveur)』の2年前2020年8月に発表されたもの。その最新刊の方が、京都の富豪美術商ハル・ウエノの一生を描いたものであり、フランス人女性モードとの間に出来た娘ローズ(生まれも育ちのフランス)を40年間(秘密に雇ったカメラマン/諜報マンを通じて)娘に知られることなく京都から見守っていたが、死期に娘に遺産相続する意思の遺言状を残す。この前作の『ただ一輪の薔薇』は、時間軸的には逆で、娘ローズがその存在すら知らなかった父親ハルの遺志を確かめるために、初めて日本にやってきて京都に滞在する物語である。私は先に『狂ほしの時』を読んでいたので、すんなり小説の中に入れたが、逆の順序で読むとどうなんだろうか。順序がごっちゃなスター・ウォーズ連作のように脈絡はあとでわかるからいいのかな。
 主人公はアラフォー、独身、子なしの気難しいフランス女性ローズであり、日本の国際法律事務所(原文は"notaire = 公証人”となっているが、その職業は日本にはないから国際弁護士事務所か法律事務所と解釈されたし)から一度も会ったことのない(実はパリで一度会っていることが『狂ほしの時』でわかる)父親ハル・ウエノの遺産相続の件で呼び出され、(費用先方負担で)来日する。このことには憤懣があり、40年も自分を放っておきながら、その故人に今さら”父親”と名乗られることには全く納得のいかないものがある。迎えるのは、ハルの後継者であるベルギー人のポール。20歳そこそこで日本にやってきて、その堪能な日本語と日本文化知識を買われ京都の大物美術商ハル・ウエノに弟子入り、厳しい修行の甲斐あってハルの右腕にまで成長し、年齢は違えどハルとは私的にも深い友情で結ばれるようになった。生前のハルの第一の親友だった陶芸家のケイスケ・シバタですらローズの存在は知らされていなかったが、ポールには打ち明けていた(この辺の事情は『狂ほしの時』に書かれている)。ハルはその遺言でローズに財産を相続させることだけでなく、ローズにそれを受諾させることが難しいことを予め知っていて、そのための手筈/シナリオを立ててその実行をポールに託したのだった。それは7日間の時間をかけて、ローズに京都の東西南北にあるハルに縁りのある寺、旧跡、墓地、料理屋などを訪問させるということだった。

 ローズが京都で宿泊する鴨川沿いにあるハルの邸宅には、長年ハルに雇われハル邸の家事全般と会計帳簿を担当しているサヨコという年配の女性がいる。ぶっきらぼうで言葉少ないが、ハルから全幅の信頼を預かった重要人物であり、『狂ほしの時』では予言めいたことも口にし、ケイスケはこの女性を”キツネ”の化身と思っている。毎朝花を生け、その花に合わせた花模様の着物を身につける。ローズの職業は植物学者(ボタニスト)であり、この生花や京都の庭園の植物に敏感に反応している。小説は12章に分かれていて、各章にプロローグとして中国や日本の植物にまつわる故事(牡丹、なでしこ、つつじ、あやめ...)が紹介され、物語は花・植物と混ざり合って進行する。
 サヨコは片言の英語でローズにその日の予定やポールからの伝言を伝える。ハル邸のお抱え運転手のカントともコミュニケーションは片言英語である。この言葉少ない日本人にも打ち解けず、ローズはこの意思に反しての日本滞在への苦々しさと怒りはなかなか消えない。ましてや滞在最初は言われるがまま、されるがままで、日本円も携帯電話も持たされず、スケジュールをこなすだけの囚われ人であった。1日目、運転手は銀閣寺にローズを連れていく。何の説明もなく、わけもわからず、であるが、固く閉ざされていたローズの感受性は少しずつ刺激されていく。それは未体験者/予備知識ゼロ者の”京都発見”におおいに関わっているのだが、さまざまな名勝を描写するミュリエル・バルブリーの筆力の見事さに惹き込まれるフランス人読者も多かろうと思う。もちろん最初ローズはまったく心動かされるものがなかったのに、徐々に徐々に...。
 初日の銀閣寺で、ひとりの英国人女性ベス・スコットと遭遇する。後日この女性が生前のハルと関係の深い人物(一時は愛人でもあった)と知るのであるが、古くから京都に住んで京都を愛していると一面的に理解したのか、ローズはこの女性の言うことにいちいち引っかかる。初対面でのこのやりとりは非常に興味深い。

ー 日本は人々が非常に苦難の数々に晒されている国だけど、人々はそれに頓着していない。その不幸への無関心の報酬としてこれらの多くの庭園をいただき、そこに神様たちが降りてきてお茶を飲むのよ。
ー そうとは思わないわ。苦難を報酬するものなど何もないわ。
ー ほんとうにそう思う? (とイギリス人女性は尋ねた)
ー (ローズは言った)傷ついた人生、それを待つことなど何の得にもならないことよ。
イギリス人女性は顔をそむけ、銀閣を凝視することに没頭していった。
ー もしも苦しむことに心の準備ができていないということは、生きることの準備もできていないのよ。(p19)


日本は多くの苦しみに苛まれているが、人々は耐え忍び、それを鎮めるモニュメントがいたるところにあり、神様たちとたたずむ場所がある ー このテーマは本書でも何度か繰り返される。自然災害や大地震など、日本のそれは(恵まれたフランスのようなところにいる)西欧人の目から見れば大変なものだと思う。日本で生きることは苦しむことだが、それと共生するための”美”がある。
 第一日めの午後、美術商ハルの後継者のベルギー人ポールと初対面。お互いに第一印象は良くない。ポールは故ハル・ウエノの遺志だけでなく、ローズの全く知らないハルの人となりについて少しずつ話し始めるのだが、40年間父から放棄されていたと思い込んでいるローズの憤りと京都という異郷にいる居心地の悪さは容易に消えはしない。『狂ほしの時』でも同様だが、この小説でも酒と料理はふんだんに登場する。酒豪であったが酩酊することが一度もなかったハルのDNAか、ローズはよく呑む。料理屋でポールが「ビールか酒か?」と聞くと「両方」と答えるローズ。だがこの酒がローズとポールの険悪な会話を柔和にするというわけではない。
 『狂ほしの時』はハルの生涯という長い年月のタームで展開するが、雪のシーンが多く登場する。雪降る京都がいつも背景にあるような。それに対してこの『ただ一輪の薔薇』は、展開される時間が一週間ほどで、梅雨(mousson)の時期で、雨降る京都である。透明ビニール傘が欠かせない。
 ハルが望んだローズの京都めぐりの2日目は詩仙堂へ。つつじ。バルブリーの描写が素晴らしい。その日、ローズはポールに導かれてハル邸の奥にある隠された書斎の壁一面に貼られた40年分のローズの隠し撮り写真と対面し、衝撃と激しい怒りでその場に膝を折って沈んでいく。「ハルは一日とてあなたのことを思わなかったことはない」とポールは慰めるのだが...。
 大徳寺高桐院)、真如堂、くろ谷墓地(ハルの墓だけでなく、ポールの妻クララ、ケイスケ・シバタの妻と子供の墓もある)、南禅寺(やっぱり昼食に豆腐を食べることになる)、龍安寺(観光客で混み合う時間を避けて、朝早く訪問。この石庭をローズは「巨大な猫の砂場のようだ」と喩える)、そして嵐山西芳寺(苔寺)...。私は(50数年前の高校修学旅行を除いて)全くの京都知らずなので、このバルブリー描くイマジナティヴなローズの京都名勝めぐりにうっとりしてしまった。なぜ人々はこの庭園に来て心を鎮めるのか、なぜハルは京都を愛したのか。この環境の中で、ポールはローズにハルの人物像、そしてハルと共に歩んだ人々(陶芸家ケイスケ、ポール、ベス・スコット、サヨコ、カント...)のこと、そしてポールがハルから聞き知っている限りのモード(ローズの母)とローズの祖母ポール(Paule)のことを語っていく。父親ハルに固く心を閉ざしていたローズが、一日一日と雪解けていく。
 ハルと何十年と寄り添って生きたサヨコは、ローズの印象を "volcano ice lady”と言った。火山と氷を合わせ持った女。それはハルの目と同じだ、と。火と氷の目。そしてベス・スコットは二、三度ローズと茶屋で茶を汲み交わしただけで、ポールとローズが似たもの同士であると見抜いた。そして、ローズは最初の敵愾心から打って変わって、数日後にはポールに強く惹かれるようになる。この豹変をその目で見たベスが、ポールに”日本語で”こう言うのである。

世の中は三日見ぬ間の桜かな (p144)
ふだんはフランス語で会話する英国人女性とベルギー人男性が、その場にいる(日本語の全くわからない)フランス人女性の頭ごなしに日本語で「世の中は三日見ぬ間の桜かな」と、日本の風流人のように決め台詞を放つ。チョーンっと拍子木を合わせたいようなシーン。笑っちゃいますよね。だがこの諺はハルのローズへの遺言の最初のフレーズであることも、小説の終わりの方でわかる。

 小説のタイトルとなっている「ただ一輪の薔薇 Une rose seule」は、ライナー・マリア・リルケの詩からの引用である。
ただ一輪の薔薇、それはすべての薔薇、
そしてまたひとつの薔薇(高安国世 訳)
これはケイスケ・シバタとハル・ウエノが愛した詩だった。たった一輪の薔薇が、これまで咲いたすべての薔薇を内包するという、ひとつがすべてというヴィジョン。お分かりかな、お立ち会い? この小説はこのようななんとなく「なるほど」なんとなく「納得」という無説明の禅問答のような故事やダイアローグが多く登場する。そこにいるとなんとなく「ありがたく」なんとなく心の平静を得られるような京都の庭園空間のようなものか。私は『狂ほしの時』のレヴューの最後に「狐につままれる」という表現を使ったのだが、ミュリエル・バルブリーの京都は狐も神様も姿を見え隠れさせる世界である。ただ一輪の薔薇であったローズは、京都ですべての薔薇であることを悟る、という謂と解釈してもいいのではないか。
 ハルがローズに遺した手紙(ポールがフランス語訳している)を最後に読む、という大詰めがある。どれほどハルがローズを想っていたことか。その手紙の自筆原文(日本語)の最後にハル・ウエノは正真正銘を証明する印璽を押印してあったが、その印璽に彫られていたのは漢字二文字の「薔薇」であった、という話なんだが、これはくどいし、しつこい。巨万の富を築いた美術商の印璽が...。

 日本文化と京都にたいへん造詣の深いミュリエル・バルブリーの労作である。次作の『狂ほしの時』と同じように、日本/京都の描写表現のディテールについては重箱のスミをつつきたくなる部分がままある。しかしそれはそれ。一生暗く情緒が傷ついていた母親モードに大きな愛情を注がれず、ましてや父親には全く接点がなく、気難しく40年生きてきたローズが、一週間の京都滞在で自分が誰か、自分の居場所はどこかを見出してしまう物語。日本と中国の故事、生花、茶、京都の名勝、料理屋、梅雨... などがローズの心にどう影響していくのか、決してわかりやすいわけではない。それでも読者はなんとなく「納得」するように読めてしまうのでしょう。

Muriel Barbery "Une rose seule"
Actes Sud Babel文庫刊 2022年5月 160ページ 6,70ユーロ (単行本刊 2020年8月)

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)アクト・シュッド社のプロモーションヴィデオで『ただ一輪の薔薇』を紹介するミュリエル・バルブリー


2022年10月26日水曜日

エリザ、エリザ、僕の首に飛びついて

2022年10月3日、セルジュ・ゲンズブールの最初の妻だったエリザベート・レヴィツキーがブルターニュ地方の老人施設でひそかに亡くなった。96歳だった。訃報の公けの発表は死後三週間後になされ、われわれが報道で知ったのは10月24日のことだった。職業は画家と記されている。将来画家になるはずだった若い二人が出会った時、エリザベート(愛称リーズ)は21歳、リュシアン・ギンズブルグ(のちのセルジュ・ゲンズブール)は19歳だった。二人が一緒だった10年間の日々のあと、リュシアンは画家にならずに音楽家「セルジュ・ゲンズブール」になり、二人は離婚する。
 1991年に62歳で亡くなったゲンズブール、その19年後の2010年にリーズ・レヴィツキーはリュシアンとの"40年”の関係を暴露する告白手記本『リーズとリュリュ』を発表し、それまで幾冊も刊行されたゲンズブール評伝本に書かれなかった多くの”裏事情”を白日の元に晒した。この本の発刊に文字通り飛びついて、私はラティーナ誌2010年6月号に4ページ記事を書いた。あちら側でゲンズブールと再会しているであろうエリザベート・レヴィツキーの冥福を祈って、その記事を以下に再録します。

★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★


この記事は音楽誌ラティーナに連載されていた「それでもセーヌは流れる」(2008 - 2020)で、2010年6月号に掲載されたものを、同誌の許可をいただき加筆修正再録したものです。
 
「ゲンズブールが自作画すべてを焼いて捨てたというのは作り話」(リーズ・レヴィツキー)

(In ラティーナ誌2010年6月号)

ルジュ・ゲンズブール(1928 - 1991)の生涯についてはたくさんの評伝本が書かれ、その表側はよく知られている。数ある伝記本の中で、正史本であるとされているのがジル・ヴェルラン(1957 - 2013)著『ゲンズブール』(2000年アルバン・ミッシェル社刊)という750ページの大著である。2010年1月に公開されたジョアン・スファール監督映画『ゲンズブール(その英雄的生涯)』も、多くの資料根拠をこのヴェルラン本に拠っている。ゲンズブールの晩年の証言をもとに、ほとんどゲンズブール/ヴェルランの二人三脚で書かれたとされるこの本の穴は、本人の記憶を尊重するがゆえに、本人が忘れ去りたいことは軽んじられる、あるいは無視される、ということである。そして多少本人の意思で書き換えられた過去もある。それはヴェルラン本の偉業をいささかも傷つけるものではない。この中心的な正史本があるからこそ、数々の外伝本が補って多面体的でしかもその各面が相反して逆説的なゲンズブール像が鮮明になっていくのである。
 その外伝本のひとつにベルトラン・ディカル(フィガロ紙のシャンソン/大衆音楽担当のジャーナリスト)著『ゲンズブール入門10課(Gainsbourg en dix leçons)』(2009年ファイヤール社刊)がある。その人と作品を「遅延する」「失望する」「挫折する」「売却する」「衝突する」「忍耐する」「勝利する」「持続する」「浪費する」「死ぬ」という10の動詞を章テーマにして解説した評伝である。この本の執筆のためにディカルはゲンズブールの最初の妻エリザベート・レヴィツキーと接触し、インタヴューを重ねていくうちに、その数々の証言のあまりにも偶像破壊的な裏事実に驚愕し、こうして独立した一冊の手記本として発表することを思い立ったのである。
 ジョアン・スファール映画の中で、画学生リュシアン・ギンズブルグがモンマルトルのデッサン教室で出会った2歳年上の女画学生がエリザベートで、彼女はどういうわけかサルバドール・ダリのパリのアパルトマンの鍵を持っていて、ダリ不在中に二人がダリの寝室で愛し合うというシーンがある。リュシアンが喰うや喰わずのボエームの生活をしていた頃である。
 750ページあるヴェルラン本では、エリザベート・レヴィツキーは81ページめ、1947年にリュシアンと出会うところから登場し、その42ページ後の123ページめ、1957年にリュシアンと離婚する、というところで姿を消している。彼女がゲンズブールと関わった時期はわずか42ページの時間という勘定だ。二人が出会った時エリザベートは21歳、リュシアンは19歳。この10年間の二人の関係をヴェルラン本は詳しく触れない。しかしこの10年間にリュシアンに何が起こったのか(絵画の道を捨ててシャンソン作家になる、リュシアン・ギンズブルグからセルジュ・ゲンズブールになる)を考えると、この10年を共に生きたエリザベートという女性がゲンズブール史において重要な鍵を握った人物でないわけがないのだ。それまであたかも若気の過ちのように言われていたゲンズブールの最初の結婚、それとその後の、二人の子供をもうけながら、養育費も払わず、ゲンズブール史のタブーのように扱われているフランソワーズ=アントワネット・パンクラッジ(別名ベアトリス)との二度目の結婚、この二つがゲンズブール伝の暗部で、生前ゲンズブールが多くを語ろうとしなかった過去である。
 
 リーズ(エリザベート)・レヴィツキー(+ベルトラン・ディカル)著『リーズとリュリュ』(2010年4月ファースト・ドキュメント社刊)は、1991年3月にゲンズブールが他界してから19年の月日が経ったところで、最初の妻が沈黙を破って発表した手記本である。リュシアンは彼女をリーズと呼び、リーズは彼をリュリュと呼んだ。彼女は「セルジュ」という名を忌み嫌っている。この芸名はリーズに対する嫌がらせとして付けられた、と彼女は確信している。
 その名を選んだ理由として「セルジュというのはロシア人ぽいだろう?」とだけリュシアンは言った。
 リュシアンもリーズもロシア・ボルシェヴィキ革命(1917年)を逃れてフランスに流れ着いたロシア人家族の子であるが、バックグラウンドは全く異なる。ギンズブルグ家はユダヤ人であったがゆえに、レヴィツキー家は貴族であったがゆえに、それぞれソヴィエトを恐れて亡命した。『リーズとリュリュ』の前半3分の1を占めるリーズ・レヴィツキーの生い立ちも凄絶なものだ。暴力をふるう父親と男癖の悪い母親。フランスに移住してもロシア大貴族の家系であったその一族郎党はみな一様に共産主義者とユダヤ人を忌み嫌い、第二次大戦中にリーズの父親は自ら志願してナチス親衛隊入りし、ポーランドでロシア語通訳として従軍中に行方不明になった。父はナチスがロシアを共産主義者の手から奪い返し、自分たち貴族の領地を取り返すことができると信じたのだ。その自らナチスとなって姿を消した父親の名はセルジュ。
 気位だけが高い旧貴族の環境に耐えられず、リーズは成人(21歳)と共に家を飛び出し、パリで念願の絵の勉強を始める。
 ギンズブルグ家では父親ジョゼフの頑なな芸術観が少年リュシアンに重くのしかかる。画家を目指す息子に、ジョゼフはそれが「メジャー芸術」であることを絶対の条件とし、そのメジャー芸術家となる滑り止めとして建築を並行して学ぶことを条件に画学校に入学することを許す。ゲンズブールにとってメジャー/マイナー芸術という定義は一生つきまとった問題であったが、絵画、彫刻、建築、クラシック音楽などが時代を越えて生き続ける"大(メジャー)芸術”であり、シャンソンやジャズといった大衆音楽や映画や通俗文学などは一時のメシの種でしかない”小(マイナー)芸術”と見做された。
(←自作の絵を前にしたリュシアン・ギンズブルグ)
 モンマルトルの画学校でリュシアンと出会ったリーズは、この内気ながらも高慢な青年に絵画の天才を直感している。自ら画家を目指していたリーズは、リュシアンという人物よりもその天才を愛していたきらいがある。彼女はリュシアンが世界的な画家として20世紀芸術に名を残すはずだと確信する。二人は愛し合い、絵画や文学を語り合い、リュシアンのためにリーズは裸婦モデルとなり、毎日曜日にはルーヴル美術館(当時は日曜日入場無料)に通った。まるでシャルル・アズナヴールのシャンソン「ラ・ボエーム」のように、若いアーチストの卵の二人は喰うや喰わずの生活を送っていた。リュシアンは喰うためにバーでギターとピアノを弾き、リーズは下着メーカーのモデルや画商の秘書をしていた。
 その生い立ちから旧貴族の封建性に反逆したリーズは、一族郎党が仇敵としていた共産党に入党し、シモーヌ・ド・ボーヴォワールを手本とする自由恋愛を標榜し、リュシアンの他にも愛人を持っていた。ダリなどシュールレアリスムと交流を持ち、現代絵画に大きく影響され画風が抽象的だったリーズに対して、リュシアンの天才は古典的で具象的な画風で花開くはずだった。リーズは一枚でも多くリュシアンに絵を描いてほしいと願うのだが、リュシアンはなかなか絵筆を持とうとしない。
 1948年リュシアンは兵役に取られ、その期間に彼は一生つきまとうことになるアルコール中毒に陥る。その兵舎の中で、のちにゲンズブール代表曲のひとつとなる「エリザ」の原曲を作った。
エリザ、エリザ、
エリザ、僕の首に飛びついておくれ
エリザ、エリザ、
僕の髪の毛のジャングルの中から
きみの繊細な指と爪で
ノミを探し出しておくれ、エリザ

兵舎に慰問に行ったリーズは、上官の監視つきの面会室で、幾多の面会人と新兵によって座られたであろう長椅子に座って面会し、その長椅子からシラミをうつされたと言う。ノミやシラミが恋の歌に登場する時代だったのだろう。エリザ(ベート)を歌ったこの歌は、のちに「きみは20歳、僕は40歳」という歌詞が加えられ、ジェーン・バーキンに捧げられることになる。
(ゲンズブールのシングル盤「エリザ」1969年→)
 「作詞作曲をするのは、これで小銭を稼いで絵の具と絵筆を買うためさ」とリュシアンはリーズに言っていた。リーズはそれを信じていたが、小銭が入っても彼は一向に絵を描こうとしない。ピアニスト稼業、アルコール、作詞作曲、この3つが彼の主な日課になっていく。
 1951年、結婚はリュシアンの側からの頼みだった。ボーヴォワール流の自由恋愛を信条としていたリーズは反対だったが、強引な「結婚するか別れるか」の脅しに負けて、リーズは黒衣で結婚セレモニーに出席している。この婚姻関係は1957年まで6年間続く。
 その間にリュシアンはいよいよ大衆音楽の世界に吸い寄せられ、ヴァカンス期には北部フランスの海浜保養地トゥーケで専属ピアニストとなり、パリではピガール地区の女装キャバレー「マダム・アルチュール」に父ジョゼフの後任としてピアニスト兼楽団指揮者、次いで右岸のシャンソン・キャバレー「ミロール・ラルスイユ」(その看板スターはミッシェル・アルノー)に伴奏者として契約。シャンソンの世界の深みにはまっていく過程でかのボリズ・ヴィアン(1920 - 1959)との邂逅が、リュシアンのシャンソン作家としての方向性を決定したと言われる。そしてリーズの切なる願いも叶わず、リュシアンは全く絵を描かないようになる。

 伝説はここで、マイナー芸術(シャンソン)かメジャー芸術(絵画)かの選択を悩み抜いた末に、リュシアンがそれまで描いた絵をすべて燃やしてしまう、という劇的な事件があったとしている。ところがリーズの証言は違う。燃やすほどの数の絵をリュシアンは描いていない、と言うのである。リュシアンの絵画との決別は、現代絵画に自分の場所はないと悟ったからである。
 1958年6月5日、パリ4区サン・ルイ島のリーズの友人である画商宅の豪華アパルトマンに、正装したパリ中のアート関係者と世界の画商とコレクターを集めて、”青の単色画家”イヴ・クライン(1928 - 1962)が作品の実演創作を行う。床一面に敷かれたキャンバスに、バケツ2つ分のクライン・ブルーの塗料がまかれ、ヌードモデルを絵筆にみたてたクラインがその裸体をかかえて、塗料の上を何度も何度も動かしていく。パフォーマンスが終わり、一瞬、唖然とした沈黙が流れたのち、「ブラボー!」の大喝采が場内に響く。そしてその場で作品は競りにかけられ、値段はどんどん上がっていく。リーズに誘われてその場に来ていたリュシアンは激怒し、このスキャンダルを大声で呪い、その激昂のあまり呼吸困難に陥り、その場に倒れてしまう。
 リーズはこの晩にリュシアンは絵画と決別したのだ、と言う。翌日彼はリーズに「もしもあれがモダンアートだと言うのなら、俺には何も見るべきものがない」と語っている。
 若きリュシアンに絵画の天才を見、それを大成させたいと、喰うや喰わずの苦労を分かちあってきたリーズは、シャンソンばかりで絵を描かなくなったリュシアンに、半分は懲らしめの意味、半分は刺激を与える意味で、この機会を持った結果、そのショックは画家リュシアンに鉄槌を下すことになった。
 リーズはここで自分とリュシアンの生活はメジャー芸術に挫折することで失敗に終わったのだと述懐する。その後悔、その悔恨はゲンズブールに一生ついてまわるのである。
 
 これで二人の関係は終わるはずだった。少なくともジル・ヴェルランの正史本では最初の妻エリザベート・レヴィツキーはここから以後姿を消している。ところが離婚の届け出を済ませたその夜、二人はお互いの自由を取り戻したことを祝って、シャンパーニュを数本買ってホテルで愛し合うのである。酔った勢いでリュシアンは酒瓶を割り、「血の婚姻」の儀式をしよう、と言う。それはジタン(ロマ)に伝わる風習で、夫婦間でするものではなく、二人の大人がお互いの血を混ぜて、生きるも死ぬも一緒と誓い合うことだという。二人は割った酒瓶のガラス破片で、右手の掌を十字に切りつけ血を流させ、その二つの手を重ね合わせて血を混ぜ合わせた。そしてリュシアンは誓いの言葉を唱えた「われら二人は血を混ぜ合わせた。よってわれら二人はこれより生きるも死ぬも一心同体である」。

 1947年の出会いから1957年の離婚までで消えていたはずのリーズ・レヴィツキーは、その後も頻度は一定ではないが(週に一度、月に一度、3ヶ月に一度...)ゲンズブールと逢瀬を重ね、その関係は40年を越すのである。リーズはゲンズブールを呼び出すことは一度もない。ゲンズブールがリーズを呼び出すのである。しかもいつも同じ口調の電話で。
C'est moi. Viens tout de suite.
俺だ、すぐに来い。

この声を聞くと、リーズはすぐにタクシーを飛ばして彼のもとに行くしかない。それが緊急のSOS発信であることを知っているから。
 往々にしてそれは目下意中の女性との関係で傷ついたり悩んでいるケースが多く、リーズはそれを精神分析医のように聞いてやり、助言を与え、自らの肉体で慰めもする。フランソワーズ=アントワネット・パンクラッジ、ブリジット・バルドー、ジェーン・バーキン、バンブーその他、彼を幸福にも不幸にもした女たちへの愚痴をリーズはすべて聞いている。「俺だ、すぐに来い」は生涯続くのである。かの血の婚姻の儀式で盟約したように。

 1991年3月2日土曜日、午前10時に電話が鳴る。こんな時刻にリュリュは電話してきたことがない。そしていつもの「すぐに来い」のセリフがない。彼はその三日後のリーズの誕生日に何が欲しい、と尋ねる。そして初めて二人は電話で長い時間雑談をするのである。ひとしきりの雑談が終わると、彼は突然口調を変え、怒りの声になる。「俺は死にたくない。俺はもう死んだようなもんだ、わかるかい? 俺はもう勃起しないんだ、もうセックスもできないんだ、こうなったらバンブーもずらかってしまうんだ!」・・・・・・ その数時間後、パリ7区ヴェルヌイユ通りのゲンズブール邸で、ひとりひっそりとリュリュは息を引き取るのである。

 この手記本の帯には「ゲンズブールとの40年の恋」とある。ベルトラン・ディカルはリーズの元原稿で書かれていたことを大部分尊重したと言うが、あまりにも暴露的なところは抑えるようにしたとも証言している。それでも、リュシアンがキャバレーの楽団員たちに集団強姦されるシーンや、彼がその女主人と懇意になって通うようになったパリ16区の娼婦館で、娼婦を買うだけではなく、自分の肉体も売っていたことなど、驚くべき裏事実も証言されている。
 この本のプロモーションでテレビ出演したリーズ・レヴィツキーに、これだけの真実をゲンズブールと分かち合ったあなたこそ、ゲンズブールの「ファム・ド・ラ・ヴィー(Femme de la vie、生涯の女性)」だったのですね、とインタヴュアーが問うと、きっぱりと否定して「ゲンズブールに”生涯の女性”は二人います。それは彼の母と娘のシャルロットです」と断言した。傷ついた掌を重ねて血を混ぜ合わせたリュリュとリーズよりも、ゲンズブールは血でつながった母と娘を愛していた、ということか。
 手記『リーズとリュリュ』は愛情あふれる回想録とはほど遠い。むしろ苦々しさが随所に見てとれる。その通奏低音はゲンズブールとリーズ・レヴィツキーが一生分かち合ってきたものが、メジャー芸術への悔恨であった、ということである。84歳のリーズはこのデーモンのような悔恨を死ぬ前に祓いたかったのかもしれない。

(ラティーナ誌2010年6月号・向風三郎「それでもセーヌは流れる」)

(↓)2010年5月、TVフランス5の番組"Café Picouly"(ホスト:ダニエル・ピクーリ)に出演したリーズ・レヴィツキー


2022年10月19日水曜日

いにしえの(女流)浪漫詩のシンセポップ化

Ezéchiel Pailhès "Mélopée"
エゼキエル・パイレス『調べ(メロペ)』

初めて聴いたアーチストだが、2013年からすでに3枚のソロアルバム(+ダニエル・ラフォールと共作のブルーノ・ポダリデス監督映画"Bancs Publics"のサントラアルバム)を出していて、その前は2001年からエレクトロ・ポップ・デュオ Nôze (アルバム5枚)として活動していた人。現在年齢46歳。コンセルヴァトワールでクラシック・ピアノ次いでジャズ・ピアノを学び、ジャズマンとなるはずだったが... (エレクトロに転向)。
 2020年の3枚めのアルバム"Oh!”の中で、19世紀の浪漫主義詩人マルスリーヌ・デボルド=ヴァルモール(Marceline Desbordes-Valmore 1786 - 1859)の3篇の詩に曲をつけてエレポップ仕上げの歌にしている。古典詩にインスパイアされる傾向があるようだが、20世紀のシャンソンの巨星たち(トレネ、フェレ、ブラッサンス、ムスタキ等)がランボー、ヴェルレーヌ、ボードレールなどに曲をつけて歌ったのとは、やや趣きが異なるようだ。
 2022年のこの新作『メロペ』は1曲のインストルメンタルを含む11曲入りだが、そのうち8曲がこの古典詩に曲をつけたもので、そのすべてが女流詩人(ポエテス)の作品である。上述のマルスリーヌ・デボルド=ヴァルモールが4篇、ルネ・ヴィヴィアン(Renée Vivien 1877 - 1909、彩流社より日本語訳詩集→写真)が3篇、そしてルネサンス期のリヨンの詩人ルイーズ・ラベ(Louise Labé 1525 - 1566)が1篇となっている。
 ランボーとヴェルレーヌに多大な影響を与えたと言われる近代浪漫主義詩のパイオニアであるマルスリーヌ・デボルド=ヴァルモールの詩を歌曲化した例は古今多数あり、同時代人カミーユ・サン=サーンス、ジョルジュ・ビゼーをはじめ、われわれの時代ではジュリアン・クレール、パスカル・オビスポ、ヴェロニク・ペステルなども。
参考作品として(↓)ジュリアン・クレール "Les Séparés"(N'écris pas)"(1997年アルバム『ジュリアン』)


というわけで、ジュリアン・クレールの古典詩へのアプローチはたいへん折り目正しく格調の高さも感じられるのだが、このエゼキエル・パイレスの制作態度はどうなんだろうか。アルバム冒頭第一音からそこはかとないメランコリーが全体を包むのだけど、始まるのは繊細で小洒落たエレクトロシンセポップなのだよ。思わず首が振れてしまう心地よいリズムとピコピコ音。これは誰も古典的な名詩だと意識しないで聴いてしまうと思うが、それでいいのか?

例えば5曲め「エレジー(哀歌)」、詩はマルスリーヌ・デボルド=ヴァルモール。

たぶんあなたに会う前から私はあなたのものだった
私の命は形になる過程ですでにあなたのものと約束されていた
あなたの名前は予期せぬときめきによって私に告げられた
あなたの魂は私の魂を目覚めさせるために潜んでいたのだ
 
あなたの声は私を青ざめさせ、私の目は下を向いた
交わされた沈黙の視線のうちに、二人の魂は抱きあっていた
この視線の奥に、あなたの名前が明かされた
それを問うことなく、私は思わず声を上げた、これこそその人だと!
 
ある日その声を聞いた時、私は声を失った
その声にしばらく聞き入り、私は答えることを忘れてしまった
私の存在とあなたの存在は見分けがつかなくなり
私は生まれて初めて名前を呼ばれたと思った

あなたはこの奇跡を知っていたの? あなたのことを知らずに
私はその名で私の恋人と見抜いた
あなたの声の響きを聞いただけでそうとわかった
私のやるせなくも美しい日々をあなたは輝かせてくれた

その声が私の驚いた耳に届いたとたん
耳はそのとりこになり、狂喜した
私はそれだけで私のこの上なく甘美な感情の数々を表現できた
私はそれを集めて、誓いの言葉を書き著した

その名が私を愛撫し、私はその息を吸い込む
愛しい名前! すてきな名前! 私の運命のお告げ!
なんてこと! あなたは私を魅惑し、あなたの優美さが私を射抜く!
まるで私の口を閉ざす最後の接吻のよう

もうちょっと優雅に翻訳するべきなんだろうが、だいたいこんな感じ。古風な”激情恋慕”の表現だと思うが、(19世紀的には)大胆な女性のエモーションが伝わってくる。それがエゼキエル・パイレスの音楽世界ではどうなるのか?

ストロマエのラテン趣味("Tous les mêmes"、"Santé"...)をほうふつとさせる、軽妙エレクトロ・ハバネラになってしまうんですよ。ジュリアン・クレールとはずいぶん方法論が異なるということがわかると思う。

 次に必殺のアルバムタイトル曲「メロペ」(3曲め)であるが、これはルネ・ヴィヴィアン(←写真)の詩。32歳で夭折し、同性愛者詩人として「1900年のサッフォー」とも呼ばれたこの詩人に関しては日本でもかなり知られているようで、グーグルジャパンで「ルネ・ヴィヴィアン」と検索するとたくさん項目が出てくる。仏語ウィキによると、あの時代に日本へ旅行したことがあるようだ。「メロペ」は初めてラジオFIPから流れてきた時は、わおっ、これはキラー・チューンのエレクトロ・ズークボッサだなぁ、と感心したにとどまっていたのだが、詩がこんなだったとは全く思いませんでしたよ。
流れる水のようなおまえの声で語っておくれ
告白のささやきがゆるやかになったら
冷やかしや残酷な言葉も言ってもいい
そして酔わせるような調べ(メロペ)で私を揺すっておくれ
 
私をしんみりさせたり喜ばせたりしてくれるおまえのくぐもった声で
私の額がおまえの波打つ髪にうもれる
おまえの望み、おまえの悔い、おまえの願いを表してくれ
おお、私の妙なる調べを奏でる恋人よ

おまえの姿は稲妻
おまえの微笑みは一瞬だけ
おまえを切望する声がすると
おまえは逃げてしまう、おお私の望みよ
 
おまえの姿は稲妻、つかまえようとしても腕の中はからっぽ
おまえの微笑みは一瞬だけ、とらえることができない
おまえを激しく切望する声が私の唇から発せられると
おまえは逃げてしまう、おお私の望みよ

おまえはシメールのように襲うことなく軽く触れていくだけ
いつもおまえの満たされない望みを差し出していく
この苦悶にまさるものはない
おまえの希なくちづけの苦い陶酔よ

私はおまえの声、その優しい歌を聞き続けるだろう
私は何も理解できなくなっても聞き続け探すだろう
さもなくばすべてを忘れるか、うとうとと眠ってしまう
 
もしもほんの一瞬でもおまえが歌うのをやめても
その沈黙の奥から私は聞くだろう
なにか恐ろしいものがすさまじい声で泣いているのを

おまえの望み、おまえの悔い、おまえの願いを表わしてくれ
そして酔わせるような調べ(メロペ)で私を揺すっておくれ

ひどい訳でごめんなさいだけど、だいぶ(ヴェルレーヌやボードレールに近い)象徴主義的詩風になっているのがわかるかしら?レスビアンの恋情が高踏的な表現で綴られているわけだが、この詩で表現されている音楽はやはり高踏的でないとまずいんじゃないか、と思うわね。ところがエゼキエル・パイレスの手にかかると... 。



 そして今回のアルバムで取り上げられたもうひとりのいにしえの女流詩人が16世紀ルネサンス期のルイーズ・ラベ(→写真)。この人も日本で研究書が複数出ているようで、グーグルジャパンで「ルイーズ・ラベ」と検索してみたら、いろいろわかる。日本語ウィキで、網紐商人の夫人となったルイーズの異名である「ラ・ベル・コルドニエール(La belle cordière = 美しい網紐商夫人)」を「網屋小町」という訳語で紹介しているのには笑った。それはそれ。エゼキエル・パイレスがこのアルバム『メロペ』の最終曲(11曲め)にルイーズ・ラベの詩をもってきたのはそれなりにわけあってのことだろう。
私の目が涙を流せる限り
私の手が網紐を引っ張れる限り

あなたとの過去を悔い
涙とため息を抑えようとする時
私の声はほんの少しものを言う

可憐なリュートに合わせ、あなたの優美さを歌う
魂があなたのことを理解することしかできないことに
甘んじている限り

おお甘美な視線よ、おお豊かな美をたたえた眼よ
私はそれを自信をもって言いたくはない

おお優しき睡りよ、おお私の幸福な夜よ
心地よい休息、静けさに包まれ
私の夢を毎夜見させ続けておくれ

万が一私の哀れな恋する魂が
現実の世界で幸福を知らぬことになろうとも
せめてその幻想だけでも見させてやっておくれ

中世フランス語の韻文なので、雅(みやび)な古文風な日本語で訳すべきところであろうが、私にはそういう教養がないのでごめんなさい。ルネサンス期の(女性の)恋歌である。16世紀にこの女流詩人が切り開いた自由な浪漫詩への敬意/オマージュがあってしかるべきところであるが、エゼキエル・パイレスはこんなふうなのだ(↓)

ロマンティックなピアノと、アンニュイで渋めなクルーナーヴォーカル、後半の弦サンプルの厚めなバックトラック、これは中世浪漫詩とはかなり距離がある、ウルトラモダンなチルアウト音楽ではないですか。

 46歳の、たぶん機械が揃っていれば何でもできる人。ストロマエを老成したようなヴォーカルとエレクトロセンス。よく練ったメロディー。たいへん驚きました。バロック(baroque)という言葉は「奇異な、風変わりな、異様な、(真珠が)いびつな」という意味であるが、音楽(文学/建築/美術)の様式の意味に捉われずにあえて言えば、このエゼキエル・パイレスというアーチストは非常にバロックな人だと見た(聴いた)。

<<< トラックリスト >>>
1. Dors - tu ? (poème : Marceline Desbordes-Valmore)
2. Regard en arrière (poème : Renée Vivien)
3. Mélopée (poème : Renée Vivien)
4. L'attente (poème : Marceline Desbordes-Valmore)
5. Elégie (poème : Marceline Desbordes-Valmore)
6. Prélude (instrumental)
7. La fille de la nuit (poème : Renée Vivien)
8. Ni toi, ni moi (Ezéchiel Pailhes)
9. Le beau jour (poème : Marceline Desbordes-Valmore)
10. Opaline (Ezéchiel Pailhes)
11. Tant que mes yeux (poème : Louise Labé)

EZECHIEL PAILHES "MELOPEE"
CIRCUS COMPANY CC022 (LP/CD/Digital)
フランスでのリリース:2022年10月

カストール爺の採点:★★★☆☆


(↓)"L'attente"(詩:マルスリーヌ・デボルド=ヴァルモール)これはエレクトロ・レゲエバラード。