2021年4月30日金曜日

Born to be WILDER

ジョナサン・コー『ビリー・ワイルダーと私』
Jonathan Coe "Billy Wilder et moi"(原題"Mr Wilder and me")

ランスで非常に人気が高くそのほとんどが仏語訳されている英国作家ジョナサン・コー(1961 - )の最新作(長編小説では第12作め)で英国では2020年に刊行されたもの。題名が示すように、シネフィルで知られるコーがとりわけ偏愛するハリウッドの名匠ビリー・ワイルダー(1906 - 2002)をめぐる詳細な資料に根差したフィクション作。ワイルダーはオーストリア生まれのユダヤ人、映画の道(脚本家)でやっていけるメドがついた頃にナチス台頭があり、1933年にフランスに移住、さらに1934年に英語が全くできない状態で米国へ。父は既に死去していたが、オーストリアに残った母とその近親者たちはすべてアウシュヴィッツで命を失ったことになっている。このことへの「落とし前」というのがこの小説の重要なテーマのひとつである。
 小説が中心的に取り上げている時期は1977年と78年である。21世紀的現在に夫と二人の娘と共にロンドンに住み、仕事がほとんど来なくなった映画音楽作曲家となっているカリスタという名の中年女性が「話者=私」として書かれる、現在と回想が混じり合った構成の小説である。カリスタはギリシャのアテネに生まれ育ち、少女期に軍事政権統治を体験し、外国の文化が制限されていたこともあり、広い世界を知りたい願望が強く、大学の最終学年の夏(1977年)、バックパッキングでアメリカ旅行に出発し、グレイハウンド長距離バスで東海岸から西海岸まで旅していた。途中で知り合ったイギリス娘のギルと意気投合し、ロサンゼルスまでやってくるが、そのギルが父親の知り合いから夕食の招待を受けていて、ギルとカリスタは無頓着にTシャツ&デニムホットパンツ姿でその場に行ってみると、ビバリーヒルズ有数のフレンチ・レストラン「ビストロ」であった。そして招待主としてそこにいたのが、ビリー・ワイルダー夫妻とワイルダーと20年来共同脚本家としてコンビを組んでいるイズ・ダイアモンド(1920 - 1988。『お熱いのがお好き』、『アパートの鍵貸します』、『シャーロック・ホームズの冒険』等)夫妻だった。しかし、この若いヨーロッパ女学生の二人は、名前を言われてもこの初老男性二人がどんな人物なのか全く知らなかった。おまけにこの旅行中に激しい恋に落ちてしまったギルは、食事中彼と合流したい気持ちが抑えられず、カリスタひとりを残してトンズラしてしまう。カリスタは緊張と気まずさで固まってしまうのだが、この映画の巨匠二人(+好感度この上ない女性二人)との知的に刺激ある会話と極上のワインと料理に魅せられ、果てにはアルコールの心地よさで眠りこけてしまう。最後の失態こそあれ、カリスタは人生最高の夕食の宵として記憶し、アメリカ旅行の他のことなどほとんど印象に留めず、「ビストロ」の思い出だけを抱いてギリシャに帰っていく。そして軍政直後で映画館で過去の外国映画など観れない(+ヴィデオなどまだ一般に普及していない)状態ながら、英語書籍でビリー・ワイルダーの全作品を調べ、筋や配役や映画評などを暗記するほど読み耽り、マニアックなワイルダー通になってしまう。
 さてこの70年代後半という時期は、ハリウッド黄金時代を築いたワイルダーにとっても斜陽現象がはっきりしてきていて、映画作りが難しくなっている。コッポラ、スコセッシ、スピールバーグといった若手の台頭で、客の入る映画の傾向は一転してしまい、ワイルダーは時代遅れと見做されるようになる。とりわけスピールバーグに関してはことあるごとにワイルダーの口に昇り、「あの”サメ”の野郎」と敵意をあらわにする。サメのおかげで自分たちが映画を撮れなくなったのは事実である。これらの若手の映画には(才能は認めながらも)二つの大戦を体験したわれわれの重さがないんだ、と言う。後年のエピソードであるが、ナチスに家族を奪われた映画人ワイルダーが、権利を買い取ってどうしても自分が映画化したかったのがトーマス・キニーリー原作の『シンドラーのリスト』(1982年)であった。しかしその権利は宿敵スピールバーグに取られ、1993年に映画化され世界的な大成功を収めるのは周知の通り。このスピールバーグ版を観たワイルダーは「これ以上の描き方はない」と称賛する(なんていい話なのだ)。
 話を戻そう。70年代後半ワイルダーとダイアモンドは1年のうち3ヶ月間は脚本を書き、9ヶ月間は制作会社を探して奔走するという生活になってしまう。そしてついにアメリカの映画会社から尽く断られ、次作『フェドーラ(Fedora 日本題「悲愁」)』(1978年)は、西ドイツ資本の出資(しかもこの小説によると映画とあまり関係のない西ドイツ大企業の税金対策出資)で制作されることになる。美貌の衰えを隠すべくギリシャの孤島に隠遁する世紀の大女優フェドーラの悲劇的結末を描くこの映画(主演ウィルアム・ホールデン、マルト・ケラー)はギリシャと西ドイツとフランスで撮影される。
 小説はあの出会いから1年後、もう二度と縁はあるまいと思っていたカリスタのところへ、『フェドーラ』のギリシャでの撮影に通訳スタッフとして加わってほしい、というワイルダー側からのオファーがあり、英語教師として働く予定をキャンセルして現地に飛ぶ、という段になってから「ワイルダーと私」という題通りの本筋がスタートする。初めて飛び込んだ映画制作の現場に翻弄されながら、思い通りに撮影が進行しないワイルダーとダイアモンドの苦悩ともつきあうカリスタ、加えて(この作家のちょっと過剰なエンターテインメント性のように思える)カリスタのほのかな恋の目覚めもある。そしてギリシャでのロケ中から体調を崩していたイズ・ダイアモンド(座ることができないほどの腰痛で本人は帯状ヘルペスと言っていて、カリスタがギリシャで入手が難しい処方薬を手配していた。実際は1988年ダイアモンド死去の死因となる骨髄ガンがこの時既に進行していたようだ)のケアのおかげで、親密な関係になり、この親友共同脚本家から聞くことができる話でワイルダーの別サイドの顔も見えてくる。このおかげもあって、ギリシャロケだけでお役御免になる予定だったカリスタは、イズ・ダイアモンドの個人秘書という名目でミュンヘン、さらにパリへと、ヨーロッパでの撮影が終わるまでワイルダーたちと同行することになるのである。しかし映画撮影はワイルダーもダイアモンドもなかなか納得が行かない状態で進んでいく。 
 小説のハイライトはミュンヘンにあり。ホテル・バエリッシャーホフのバンケットルームで催されたディナー。出席はワイルダー、ダイアモンドの他に主演のウィリアム・ホールデン、マルト・ケラーと彼女の当時の恋人アル・パチーノ(どんな超高級レストランでもチーズバーガーを注文する)、メインゲストとしてこの映画の音楽を担当することになる(『ベン・ハー』などの映画音楽の巨匠)ミクロス・ローザ(ワイルダーとのコンビは『シャーロック・ホームズの冒険』など)、そしてドイツの出資会社からの代表数名(英語をまともに話せない者も)。宵は進み、ディジェスティフの段になって何度も訪問してミュンヘンをよく知るミクロス・ローザが、72年のオリンピックをきっかけとするミュンヘンの驚異的に豪勢な都市開発ぶりを指して、当時のドイッチュマルクのパワーの甚大さを皮肉をこめて語ると、イズ・ダイアモンドが「それはあまり近くで見ない方がいい」とシニカルに応じる。すると食事中ずっと無言だったドイツの出資会社役員が「それはどういう意味ですか?」と切り返す。さらにその若いドイツ人部下が「アメリカの最近の学術研究によると、前の戦争でドイツ軍が殺したとされるユダヤ人の実際の死者数は連合軍発表よりもずっと少ないのですよ」とネオ・ナチまがいの発言が飛び出す。ここでビリー・ワイルダーが、では私が実際に体験したことをこれからきみにお話ししよう、この話のあとできみにひとつ質問するから、答えてくれたまえ、と。
 ジョナサン・コーはこの小説の160ページめから219ページまで、つまり全部で60ページを映画脚本の形でナレーション、ダイアローグ、背景状況、カメラワーク、照明暗転などを記述している。ここに書かれているのは(素晴らしい60ページなので私がざっくり書いてどれほど伝わるかわからないが)1933年ベルリンに始まる若きオーストリア人脚本家ビリーが恋人ヘラとナチスを逃れてパリへの逃避行(パリ滞在中にミクロス・ローザとも邂逅している)、さらにヘラと惜別してロンドン経由で単身片道渡米 ー ここで11年飛び、戦争が終わり、アメリカ軍大佐の資格で連合軍の占領地における映画・演劇・音楽の統制責任者としてヨーロッパに派遣される。何十缶と本部に送られてくるアウシュヴィッツ他のナチスの強制収容所の記録フィルムをビリーは一本残らず試写する。それは編集してナチスによる大量虐殺の記録映画を作るためだが、ビリーはその一巻一巻の(生存者と死体がごちゃまぜになった)映像に(そこで死んだと伝えられている)母とその近親者たちの姿を探していたのだ。そして連合軍側の責任者として編集されたその記録映画を、ドイツ全国で上映し、すべての成人ドイツ国民に義務として見させることを厳命する。ビリーによる編集が終わったあとにも送られ続ける記録フィルムの最後の一巻に、夥しい数の死体に混じって微かに蠢いている瀕死の人間がカメラに向かって無気力な視線を向けている姿をビリーは正視できなくなる。これは母なのか。
 映画シナリオの形で作者が転載した、ミュンヘンの高級ホテルバンケットルームでのワイルダーの長い話はここで終わる。そしてあのドイツの出資会社の若い幹部社員に問う「ホロコーストがなかったと言うのなら、一体私の母はどこにいるのか?」ー

 その後、同じミュンヘンで記者会見があり、ドイツ人女性ジャーナリストがドイツ語でこう質問する「ワイルダーさん、あなたは二つの世界大戦に挟まれた何年間をベルリンで暮らしていました。あなたの新作映画を撮影するためにあなたを再びドイツに来させることになったのはどんな理由からなのですか?」。これに対してワイルダーは全く冗談めかさず、真顔でこう答える:
ご存知でしょうが、この映画のためにアメリカで制作資金を集めることはたいへん難しかったのです。私はドイツの友人たちと同業者たちが力を貸してくれたことが本当にうれしかったのです。そして今、私自身ある意味でこの状況は私にとってどう転んでも勝ち目のあることがと思っているのですよ。
ー それはどういう意味ですか?
つまり私はこの映画で絶対に損をしないのです。もしもこの作品が大ヒットしたら、それは私のハリウッドへの復讐となり、もしも大コケしたら、それは私のアウシュヴィッツへの復讐となるのですよ。

ぷあぁぁっ!この一言がこの小説の心臓部であり、ワイルダーのこの映画の制作の難しさのすべてを語っているのですよ。(完成後、この映画はアメリカで大コケし、結果的にはワイルダーの言うアウシュヴィッツへの復讐とはなったのだが。)
 
 小説はミュンヘンに続いて、最後の撮影地のフランスへと移っていく。ワイルダーとダイアモンドはさまざまな難航にも関わらず、長年の映画職人の根性のようなもので乗り越え、ようやく最終の撮影をパリから60キロ東のモールセール(セーヌ・エ・マルヌ県)の国鉄駅で行うところまでこぎつける。カリスタはギリシャで生まれた淡い恋がパリで燃え上がり、その最初の一夜のあと幻滅で失ってしまう、という失恋の翌日の失意の状態でこの撮影に立ち会うことになるのだが、パリから撮影地へビリー・ワイルダーの専用車に同乗するという幸運を得る。二人は車中で長かった撮影道中(ギリシャ、ドイツ、イギリス、フランス)を振り返りながら、年齢の離れた親友のように話し始める。そしてここがフランス! 運転手が自分の親戚がこの地方の名産の極上のチーズを作っているから、寄り道して食べて行ってほしい、と。時間的にあまり余裕はないのだが、美食家のワイルダーとしては外せない申し出。車は主要道を降りて、土埃を上げて走る田舎道へ。そして大きな農家にたどり着き、主人から3種類のマルヌ地方名産チーズのブリー、加えてそれとこの上なく調和するピノ・ノワールの赤ワインを差し出される。もう、この部分の描写の素晴らしさよ。大難産の映画の最後にたどり着いた名映画監督と、それと付き合い通したあげく恋を失った娘は、馥郁とした香りの極上ブリーにすべてを忘れたかのような幸福を共有するのである。たまらん。撮影開始時間を忘れ、ブリー3種類を平らげピノ・ノワール2本を空けてしまった二人...。

 前述のように、この『フェドーラ』という映画は商業的には大失敗だったが、ビリー・ワイルダー的には「白鳥の歌」と称される作品になった。ワイルダー+ダイアモンドではその後もう一本『バディー・バディー(Buddy Buddy)』(1981年)という本当の最後の作品があるが、この小説でも「語るに値しない」作品のように書かれている。しかし世評にも関わらず、ジョナサン・コーにとっては『フェドーラ』が特別に重要な作品となっていることがよく了解できる。架空の人物ではあるが、ギリシャ娘カリスタはワイルダー(とダイアモンド)によって映画愛に目覚め、のちに映画に音楽家として関わっていく生き方は魅力的だ。77年の夏と78年の夏、ふたつの夏で人生が変わってしまった女性の姿だ。そして今、長年構想している(映画が存在していない)映画音楽を少しずつ完成に近づけている。その(存在しない)映画の名は『ビリー』、その脚本の一部がコーが転載したミュンヘンでのワイルダーの長い回想、という仕掛け。出来すぎた小説の構成に目がくらくらする。

Jonathan Coe "Billy Wilder et moi"
Gallimard "Du monde entier"叢書、2021年4月8日刊 300ページ、22ユーロ


カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)ガリマール社による『ビリー・ワイルダーと私』プロモーションクリップ

 

3 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

映画に託した生き方があり、音楽と共に生きる人生があり、そしてその多くは語られることなく忘れられていく。
そういう忘却に敢えて逆らう、いやそんなたいそうな事ではなく、自分の言葉をもって伝え残すことに意味があるのだと、
勇気づけられました。

牧村憲一

Unknown さんのコメント...
このコメントはブログの管理者によって削除されました。
Pere Castor さんのコメント...

牧村さん
ありがとうございます。
牧村さんのずっとやっているお仕事は残りますし、語り継がれますよ。陰ながら応援しています。
對馬