2020年11月28日土曜日

元気でルースがいい

Lous & The Yakuza "Gore"
ルース&ザ・ヤクザ『ゴア』

器はまたもやベルギーからやってくる(ストロマエ、アンジェル...)。大器はまたもやアフリカからやってくる(ストロマエ、ガエル・ファイユ、アヤ・ナカムラ...)。
なぁんてね、アーチストを地域や出自に限定してそこだけ強調すると、「この人"ワールド"かぁ」で納得されてしまう。あんなとこから出てきたわりには洗練されてんじゃん、みたいな"上から批評"を誘発する。いやだいやだ。それはそれ。
1996年5月27日、マリー=ピエラ・カコマはRDCコンゴルブンバシで生まれた。産婦人科医の父親はコンゴ人、小児科医の母親はルアンダ人。後述するルース&ザ・ヤクザの歌「ソロ」の歌詞の中で「6(シス)0(ゼロ)は独立の年」と叫び、すなわち1960年にコンゴは独立したのに、その後ほぼ絶えることなく、内戦や民族紛争が続いていることを嘆いているが、その事情はカコマ家に直接降りかかっていて、1998年の第二次コンゴ内戦の際、マリー=ピエラの母親はルアンダ人であるという理由だけで2ヶ月間投獄されている。不安定な政情下にあっても医師家は文化的に恵まれていたようで、クラシック音楽の愛好家であった父の影響でマリー=ピエラは幼少から音楽を習い始め(ウィキペディアの記述によると)少女は7歳で作曲ができた、と。しかしこの音楽への傾倒が過ぎることを両親はよく思っておらず、その子供たちが両親と同じ医学の道を歩んでほしいと願っていた。一家はRDCコンゴの不安定な状況に振り回され、釈放された母親の身の安全を求めて家族の一部(母と子供ひとり)はベルギーのブリュッセルに移住し、その2年後の2000年にマリー=ピエラを含む子供たち全員がブリュッセルの母に合流するが、父親はRDCコンゴに留まっている。2005年一家全員は母の母国ルアンダに移住するも、6年後最終的にブリュッセルに居を定めている。この時マリー=ピエラ15歳。
 ここからマリー=ピアラのバイオグラフィーの暗部に入る。「私は両親をうんざりさせていた、他の子供たちと全く違っていたから、私は大声で歌い、いつも自己表現をしていないと気がすまなかったし、怪しげな友だちづきあいもしていた。」(テレラマ誌2020年10月21日号インタヴュー。同号表紙→)
 ブリュッセルの寄宿学校に入った彼女は優秀な成績でバカロレアを取得するが、すべてを投げ出してミュージシャンになるために動き始める。両親は激怒し、日本式にあてはめれば「勘当」を言い渡し、金銭援助を絶ってしまう。19歳マリー=ピエラは怒りをバネにストリート生活者となる。1年の彷徨生活、暴行も受け、転落しきった。「私は世の中すべて、神、人生に対して怒りでいっぱいだった。人は私が激烈すぎると言い、私のことを怖がった(... )私は誰にも負い目をつくりたくなかったからすべての援助を拒否した。私のことを全面的に受け付けてくれない人たちの世話にはなりたくなかった。でもある日友だちが人は意見を変えることができるのよ、あらゆる判定は決定的なものでも永遠のものでもないのよ、と説得してくれた。私はナミュールにいた私の姉を訪ねていったら、彼女は何も聞かずに両腕を広げて私を迎え入れてくれた。」(同インタヴュー)。彼女には受けた衝撃から回復していく天賦の能力があると言う。今年新型コロナウィルス禍でよく聞かれた "résillience(レジリアンス)"という言葉である。打たれ強く衝撃に打ち勝つ絶対的な能力、これを彼女は "don de résillience absolue"と呼ぶ。後述するが、デビューアルバムタイトルの"Gore”とはそういうテーマなのである。"ゴア”という映画ジャンルはフランス語圏でもスプラッター系ホラー映画のことを意味するが、これは怖いもの見たさのエンターテインメントであり、本物の残虐ではない。ある種のユーモア感覚が介在しなければ成立しない。彼女がこの歌で「すべてはゴア」と超速でリフレインするのは、本物の悲惨や残虐を跳ね返すものがゴアの意味に込められているからなのである。
 マリー=ピエラはストリート生活の果てにブリュッセルの小さな録音スタジオに住み着くようになり、さまざまなバイト(主にマヌカン)で飛び回りながらも、そのスタジオで音楽制作に没頭し、3年間で52曲録音し、7枚のEPを発表している。
 さて、ブリュッセルにはベルジャン(仏語)ラップシーンを急激かつ強烈に盛り上げてしまった重要アーチスト、ダムソ(Damso)という男がいるのだが、彼がまたRDCコンゴのキンシャサ出身なのである。今やベルギー/フランス/カナダ/RDCコンゴ/コートジボワールでスーパースターとなっているこのラッパーが、マニフェスト的にブリュッセルのシーンを描いてその人気を決定づけたメガヒット曲が"Bruxelles Vie"(2016年)である。このクリップ(↓)にマリー=ピエラの姿が何度もフィーチャーされている。マリー=ピエラ、20歳。


 ステージネームの "Lous"は英語の魂"Soul”のアナグラム。ひとりのアーチストなのに"Lous & The Yakuza"とバンドのように名乗っているのは、クリスティーヌ&ザ・クイーンズと同じノリなのだろうと思う。音楽アーチストとしての彼女の作品および表現行為はひとりでなされるわけではなく、常にクレアシオン・コレクティヴ(集団的創造)であるとする考え方。サポートミュージシャンやエンジニアやステージスタッフたちを含めた「ルースと仲間たち」がアーチストを形成している、とね。アフリカンアメリカン流儀では「ルース&ザ・ギャング」となるところだろうが、同じ意味会いを日本マンガと日本アニメの大ファンであるマリー=ピエラの流儀で「ルース&ザ・ヤクザ」とした。"ヤクザ”の意味は彼女の理解では花札の8+9+3という役にならない負け札であることから、敗者=ルーザーであると定義している。悪党/悪漢の意味よりも敗者として社会の周辺に追いやられた人々との意味を重要視する。このことは彼女の歌に登場する社会的メッセージとも大きく関係していて、マージナルな人々、社会から忘れられた人々、人種ほかの理由で差別されている人々、ロマ、LGBTQIA+... を擁護する姿勢を明らかにしていることを"ヤクザ”は象徴している。(これは日本では通用しないだろうな)
 2017年暮れ、22歳でSony Musicと契約。2018年バルセロナ人アーチスト(シンガーソングライター/エンジニア/プロデューサー)エル・グインチョロザリアのプロデューサー)と邂逅。2019年9月、エル・グインチョとの初の共作シングル「ジレンマ(Dilemme)」発表、たちまちSpotifyで1千万回再生、YouTubeで4百万ビュー.... (↓オフィシャルクリップ)

文句なくキャッチーな曲。日本のシンガーソングライターが書きそうな折り目正しい起伏のメロディーライン。私的体験に基づいたひとりで生きることへの省察(↓歌詞)。

憎しみが増せば増すほど
その分だけ人は私を苦しませる

私がもはや楽しみごとをしなくなったって

それはたいしたことじゃない
ルース、あんた平気なの?
人生は犬よ、鎖でつなぎとめておかなきゃ

生きることにつきまとわれる
私をとりまくすべてのものが、私をむかつかせた

失敗したら最初からやり直し
悲しくなったら歌うの

決して私のすべてを出してはいけない
この世界では王は悪魔
あの娘たちは私には不運が憑いていると言う

冗談なしで“という言い方はルースなしで”に変わった
ひとり、ひとり、たったひとり

できるんだったらたったひとりで生きていくわよ
問題やジレンマから遠く離れて

ナ、ナ、ナ、ナ、ナ...
できるんだったらたったひとりで生きていくわよ

私を縛る鎖や私の好きな人たちと遠く離れて

ナ、ナ、ナ、ナ、ナ...

もしも私が足を止めて、舞台に立たなくなったら

私を元の場所に放っておいてほしい

私が源泉に身を浸せるように

私の傷は血を噴き出し、私の血は頭に上っていく

私は同じままよ、たとえ何が起ころうと

憎しみが増せば増すほど
その分だけ人は私を苦しませる

私の肌の色は黒じゃない、漆黒色よ
ルース、あんた平気なの? あんた単に戦争をしてるだけ?
あんたは完璧じゃない、あんたも人間だから間違いはある

ひとり、ひとり、たったひとりになりたい
たったひとりに
できるんだったらたったひとりで生きていくわよ

問題やジレンマから遠く離れて
ナ、ナ、ナ、ナ、ナ...
できるんだったらたったひとりで生きていくわよ

私を縛る鎖や私の好きな人たちと遠く離れて

ナ、ナ、ナ、ナ、ナ...

私が進めば進むほど、多くの人を追い越してしまう
あんたが私の早さについてこれないのは残念ね

踊っているとどっちの足で踊っているのかすらわからなくなる
斬新すぎる黒人がまたひとり、世の迷惑よね

メロディーは私を揺さぶり、私を蝕む
ひとつひとつの言葉が私に突き刺さる

だから私は深く潜るの
私の夢の深海で

闇の中で私は泳ぎ、溺れてしまう
できるんだったらたったひとりで生きていくわよ

問題やジレンマから遠く離れて
ナ、ナ、ナ、ナ、ナ...
できるんだったらたったひとりで生きていくわよ

私を縛る鎖や私の好きな人たちと遠く離れて
ナ、ナ、ナ、ナ、ナ...
ひとり、ひとり、たったひとりになりたい

「斬新すぎる黒人がまたひとり現れたね、世の中にはいい迷惑」という一行がとても効いている。このルースは良い詞を書く。

 続いてエル・グインチョとの共作の第2弾、2019年12月発表の「すべてはゴア(Tout est gore)」(↓オフィシャルクリップ)


”ゴア”とは上に述べたようにスプラッター/ホラー映画に由来する血だらけでグロな状態を形容する言葉だが、ルースの文脈ではエンターテインメントとしてゴア映画を”楽しむ”ように、ゴアな瞬間瞬間を乗り越える(忘れる)方向性が示される。すべてはゴア だけど、なんてことないわ、という人生観。このクリップではフォトジェニックなマヌカン(ChloéLouis Vuitton などの顔になっている)の特性を生かして七変化しているが、きれいな顔も体も表現に長けた素晴らしい素養である。歌詞(↓)

ちょっと前からそれは感じていた(ウー)
梯子をよじ登るのは時間がかかる(ウー)
遠出をするのって、ちょっと興奮するわ(ウー)
あんたは息切れするってことめったにないわね(ウー)

私が何も怖くないってこと、人には厄介よね(ウー)

あんたが言うこと、あまり重要じゃないわ(ウー)
私の狂気に期待してね、すごいわよ

“Ma jolie”
なんて呼ばないでね、私の仲間は熱いわよ

私の言葉だけであんたの信頼なんてぶち壊し
今を生きてそして忘れちゃうの、すべてはゴアだから

すべてはゴア、すべてはゴア

すべてはゴア、すべてはゴア

箱の中で転がって、転がって

全速力で生きることを考えて
箱の中で転がって、転がって

全速力で生きることを考えて

箱の中で転がって、転がって
箱の中で転がって、転がって
すべてはゴアで、ゴアに終わってしまう

そう私の体に刻み込まれている

私は正しく、あんたは間違い、すべてはゴア、すべてはゴア

すべてはゴア、すべてはゴア

すべてはゴア、すべてはゴア
すべてはゴアで、ゴアに終わってしまう

そう私の体に刻み込まれている

私は正しく、あんたは間違い、すべてはゴア、すべてはゴア
すべてはゴア、すべてはゴア

すべてはゴア、すべてはゴア

私は今に生きてるの、過去なんかじゃない(ウー)
あの娘のお尻の振り方はなってないわ(ウー)

私たちは大昔からトゥワークを踊っているのよ(ウー)

なにも特別なことじゃない、私たちはこの瞬間に生きている(ウー)

あんたたちは私たちのエネルギーを無意味に失ってる(ウー)

私はまじ正直にそう罵ったのよ(ウー)
私の狂気に期待してね、すごいわよ

“Ma jolie”
なんて呼ばないでね、私の仲間は熱いわ

私の言葉だけであんたの信頼なんてぶち壊し
今を生きてそして忘れちゃうの、すべてはゴアだから

すべてはゴア、すべてはゴア
すべてはゴア、すべてはゴア


さらに第3弾のシングル「ソロ」が2020年4月に発表される。のちにリリースされるアルバム『ゴア』にも含まれているが、私はアルバム全曲中、この「ソロ」に最も深い感銘を受けた。これはアフリカの悲しみである。(↓オフィシャルクリップ)

この歌で重要な歌詞は2カ所。「虹の7色の中にどうして黒は入っていないの?」と「1960年は独立の年」。美しいもののシンボルのように言われる虹には黒色が含まれない。この"美”の価値観はいつまでたっても覆されない。めげそうにならないか? これを問う人たちと問わない人たちがいる。歌詞最終部で「ねえ、言ってみてよ、何があなたの気に入らないの?/あなたの視線でわかるよ、あなたの心が凍っていくのが」と言っている。(↓歌詞)

人がなんと言おうとみんなソロのままよ
人がどんなことをしようとみんなソロのままよ(ice ice

ソロ、ソロ (ice ice)
ソロ、ソロ
生まれた時から私たちは素晴らしいことばかり約束されてきた
口をつぐみ、根本を忘れ去るという条件で
永遠の父を除いて、誰に助けを求めろと言うの?

虹の7色の中にどうして黒は入っていないの?

神が私を復讐の道から遠ざけんことを

彼らに同じ仕打ちをすること、それにはそそられるわ

私の声がみんなに聞こえるように、叫ばないといけないの?
1960
年、それは独立の年だったのよ

いつも言い争わなければならない(Nan nan

いつも身を守らなければならない (Nan nan nan)
死滅するまで戦う (eh)
誇りが高すぎるから (eh)
人がなんと言おうとみんなソロのままよ

人がどんなことをしようとみんなソロのままよ(ice ice

ソロ、ソロ (ice ice)
ソロ、ソロ
絶対に彼らに復讐しないためにはどうしたらいいの?

友愛の絆を通して理解するということが誰にもできないなんて

ある人たちは私たちを敵と見なし続けている
虹の7色の中にどうして黒は入っていないの?
神が私を復讐の道から遠ざけんことを

彼らに同じ仕打ちをすること、それにはそそられるわ

私の声がみんなに聞こえるように、叫ばないといけないの?
1960
年、それは独立の年だったのよ
ねえ、言ってみてよ、何があなたの気に入らないの?
あなたの視線で感じるよ、あなたの心が凍っていくのを
ねえ、言ってみてよ、何があなたの気に入らないの?
あなたの視線で感じるよ、あなたの心が凍っていくのを

1960年独立以来、内戦/民族紛争で平和な時がなかなか訪れないアフリカの国々、いがみ合う人たち、肌の色で視線をゆがめてしまう人たち、悲しみと共にルースは見ている。「ソロ」とはどんな意味だろうか、と想像してみよう。

 アルバム『ゴア』は当初2020年6月リリースが予定されていて、それに伴う夏から秋にかけてのヨーロッパツアーが組まれていたが、新型コロナウイルス感染拡大ですべて中止になった。全10曲トータルランタイム30分という短いアルバムであるが、不足はない。上に紹介した3曲を除いた残り7曲もクオリティーは高い。インターネットとテレビでのプロモーションに支えられて、最終的に2020年10月16日にフランスでリリースされた。憂いも怒りも悲しみも前に進みたいという渇望もある24歳の(美しい)漆黒色の肌の女性。マンガ/アニメを通して親しんでいる日本にはいろいろな想像をしているようだ。ルースがこれまでの人生で最も強い感動を受けた歌は、アニメ『サムライチャンプルー』の挿入歌として聴いた朝崎郁恵の「おぼくり ええうみ」だったという。いいじゃないですか。

<<< トラックリスト >>>
1. Dilemme
2. Bon acteur
3. Téléphone sonne
4. Dans la hess
5. Tout est gore
6. Amigo
7. Messes basses
8. Courant d'air
9. Quatre heures du matin
10. Solo
 
Lous and the Yakuza "Gore"
LP/CD/Digital Columbia/Sony Music
フランスでのリリース:2020年10月16日

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)"Solo" (Acoustic live TARATATA)

2020年11月20日金曜日

言葉のあや

Aya Nakamura "Aya"
アヤ・ナカムラ『アヤ』

"言葉のあや”とは、往々にして「口がすべった」だの出てしまった失言が「本意ではない」だのの言い訳に用いる表現のように思われがちである。そうではない。その「あや」とは辞書には「特に苦心した、文中の言い回し。含みのある表現や微妙なニュアンス」と説明されている。つまり普通には聞かれないような巧みな表現だったり、ほのめかしが価値を高めるような深い含蓄だったりするのだ。こういう表現はえてして理解されにくいし、誤解されやすい。ほめたつもりなのに、相手が理解不能なために不愉快になったりする。で、この相手が無理解/誤解の状態に陥ったときに、「それは言葉のあやですよ」と言って本意をわかりやすく伝えてやる、というのが正しい用法なのである。
 アヤ・ナカムラは「口は禍のもと」系のアーティストである。それは主にテレビなど大きなメディアでの「コード知らず」「スノッブな物言い」「内部事情(個人名など込みで)をばらす」などのことで、すぐさまそれはSNS上で物議を醸すのだが、大したことではない。急激に世界的な名声を勝ち得たことの有名税みたいなものである。これが短絡的に人種差別や郊外差別に繋げられることはない。もとより古く(80年代)からここではラップ/ヒップホップ系アーバンミュージックは口汚くて当たり前だったのだから。
 アヤ(・ダニオコ)は1995年バマコ(マリ)で生まれた。グリオの家系であり、母親は現役のグリオットである。アヤの音感や歌唱表現力はここから来ていると言われる。家族は四人の弟妹と共にパリ北郊外93県オルネー・スー・ボワに移住、少女はファッション・デザイナーを夢見て勉強を始めたが、スタイル画さえうまく描ければなれると思っていたのが大間違いで、デッサンや服作りの基礎を学ぶのにめげて、モード学校を中退している。で、19歳から音楽ひと筋の道を歩むのだが、今日びの音楽アーティストのタマゴはみんなSNSから出てくるのであり、最初の曲はFacebookに発表した。その時から芸名としてアヤ・ナカムラを名乗るようになったが、その出典はアメリカのテレビNBCの連ドラ『ヒーローズ』の超能力者のひとり、ヒロ・ナカムラである。この米連ドラはフランスで大変な人気があったようで、アヤより4、5年先立つ2010年に、マルセイユの超人気ラッパーのソプラノが "Hiro"(俺にヒロ・ナカムラの超能力があれば、世界を救えるのに、という大袈裟なラップ)というメガヒット曲を放っている。それはそれ。いずれにせよ、最初からハッキリしているのはこのナカムラは"日本"とは何の関わりもないということ。ついでに言うと Aya (”アイヤ”と発音される)は西アフリカではよくある女性のファーストネームであり、こちらも日本と縁のあるものではない。
 アヤ・ナカムラの人気はまずYouTubeから急上昇する。2014年から2017まで(レコードデビュー前)百万ビュー越えが3曲、とりわけラッパー Fababy("ファベビー"と読むらしい)の曲に"フィーチャリング”で出演した"Love d'un voyou"(ならず者のラヴ)が1千万ビュー越えで、Fababyのことなどどうでもよくアヤ・ナカムラひとりがぐわ〜っと目立ってしまう。
 2016年1月メジャーレーベル仏パーロフォン(ワーナー)と契約。21歳で女児出産(シングルマザー)、これでファーストアルバム制作が約1年遅れるのであるが、この若くしてひとりで産み/稼ぎ/育てるの根性と自信はアヤの歌のテーマとしてたびたび登場することになる。2017年8月、ファーストアルバム『Journal Intime(極私的日記)』(↓)発売、たちまちゴールドディスク。


そして2018年11月、世界で百万コピーを売り、英米欧でアヤ・ナカムラの名を知らしめたセカンドアルバム『ナカムラ』の登場である。オランダのヒットチャートでエディット・ピアフ以来初めて1位になったフランス語曲という栄誉を得た「Djadja(ジャジャ)」は、(↓動画)リアーナ、サム・スミス、ネイマールなどの国際的トップスターたちのお気に入りチューンに昇格していく。


その他この『ナカムラ』からは「La Dot (ラ・ドット)」、「Copines(コピーヌ)」、「Pookie(プーキー)」などのメガヒットが生まれていて、私たちは最初何のことかさっぱりわからなかったアヤ・ナカムラのボキャブラリーを理解していくのである。例えば「ジャジャ」とは月並みで取り柄のない男のことであり、「ラ・ドット」とは(西アフリカの結婚の風習のようだが)男が女にプロポーズする時に貢物として約束できるもののことであり、「プーキー」とはロマ(ジタン)の言葉"poucave(プーカヴ)"を英語気取りでプーキーと言い換えたもので、意味は密告者である。
 アヤ・ナカムラはこういう"郊外”と”アフリカ”と"SNS"が混在する新言語を絶妙のリズム/ライム感覚で転がしていく音楽クリエーターである。もう私のような年寄りからすれば革命的に斬新に聞こえる。やっている音楽は"R&B"と括られているようだが、基本的に"ズーク・ラヴ”である。甘美でふてぶてしさすらあるヴォーカルは、フレンチ郊外の得意技(私はマグレブのライのお家芸だと認識している)なんだろうね、ところどころモデュレートされている。身長174センチ、体重61キロ、漲る自信を投影するボディーである。”アフリカ新世代”なんていう陳腐な形容を笑い飛ばせるお姿である。只今25歳。
 2020年はなんと米国の巨大フェスティヴァル「コーチェラ」に出演が決まっていたが、コ禍で中止になってしまった。一応2021年4月予定のラインナップにはアヤ・ナカムラの名前はしっかり載っているが、これも開催されるかどうかは、パンデミックがどうなっているか次第であろう。

 さて2020年11月13日(金曜日)にリリースされたサードアルバム『アヤ』である。2017年から4年間で3枚のアルバム。多いよね。私はファーストもセカンドも付き合っていないので、これが初体験であるが、各誌のレヴューを見ると基本的に同じ路線の延長線上であり、YouTubeなどで聴いてきた過去作品とあまり違いが見出せない私である。無駄なしの2分台/3分台の曲ばかり16曲(どの曲も"アヤ・ナカムラ"の名前を2、3度ドロップさせてある)。この人、いくらでも作れそう。
 このアルバムでも"アヤ・ナカムラ語”をひとつ教わった。2曲め「Tchop(チョップ)」はいわゆるウーバー(Uber)業種に生活の糧を求める若者をテーマにした歌で、ミールその他のデリヴァリーやハイアードカーなどで、自分の自転車やスクーターや自動車を使って、時間無制限に働く悲惨を皮肉ったもの。"チョップ”とは多くの場合自動車を意味するのだが、仕事のために用いる(足代わりの)移動手段全般。自転車や原付バイクやスクーターをウーバー系のデリヴァリーに使う者たちも多いだろうが、全部自前。歌詞はこんな感じ。

あんたのダチがあたしを承認したよ
あたしはクオリティだけを狙ってるのよ

あんたのダチがあたしにOK出したよ
あたしはもう渦中の人さ、何のことかわかる?(Ah non, ah non)

あんたはあたしが何してるかわかる?
あたしはもう乗っかっちゃってるんだよ、あんた move it
あたしはエゴイストだよ、生きるか死ぬかの問題よ(Hey hey)
あたしじゃなかったら、誰がなってたと言うの?

あたしは一晩中仕事してた
これからはオールナイトでライダーするわ(おお yeah)
パリ中どこでも行くわ
おお yah (おお yah

あたしはクルマで行くよ、マイカー、マイクルマ、マイチャリ

あんたはシクジリばかり、シクジリ、シクジリ

あたしはクルマで行くよ、マイカー、マイクルマ、マイチャリ

あんたはシクジリばかり、シクジリ、シクジリ

コミュニケーション? ガラじゃないね、nan
じっと座ってるなんて、単調すぎるよ、ouais
HD
ゲームでどこでも行くよ、ouais
あんた操縦できなきゃだめよ
Han
あたしは一晩中仕事してた

これからはオールナイトでライダーするわ

パリ中どこでも行くわ
おお yah (おお yah

死んじゃうって言ったって、無理しちゃだめよ

死んじゃうって言ったって、無理しちゃだめよ

All eyes on me
、よく見るのよ、ガキやってんじゃないよ(oh non)
すべてクリーンよ、あたしを見て(moi)、ガキやってんじゃないよ(Ah na na na

あたしは一晩中仕事してた

これからはオールナイトでライダーするわ(おお yeah)
パリ中どこでも行くわ
おお yah (おお yah
あたしはクルマで行くよ、マイカー、マイクルマ、マイチャリ
あんたはシクジリばかり、シクジリ、シクジリ

あたしはクルマで行くよ、マイカー、マイクルマ、マイチャリ

あんたはシクジリばかり、シクジリ、シクジリ


(↓)"Tchop"



アルバムで一番気になったのは3曲め「ドゥードゥー」、これはトロピなズーク・ラヴで、ウェストインディーズ系クレオールの恋人たちがお互いを呼び合う"ドゥードゥー"(スウィートハート、ダーリンみたいな意味)をタイトルに。甘いラヴソングとはかなり距離がある。ある程度ワルくて、嘘もつき、よそになびいたりしそうなところもある男、それを引き止めようとしているわけではなく、諭すわけでもなく...。微妙な大人のかけひきのようでもあり、達観した恋愛観のようでもあり...。ハイシー、ドゥードゥー。

モンシェリ、そんなのほっといて

あたしを愛して、ドゥードゥー

あたしを愛して、ドゥードゥー

実際にやってみて、ドゥードゥー

あたし可愛いって言ってみて、ドゥードゥー
その証拠を見せて、ドゥードゥー

なによそれ、そんな態度なの? ドゥードゥー

あんたはあたしにうそばかりつく
なによそれ、なんて態度なの? ドゥードゥー
ええほんとよ、あいつはあたしをイチコロにしたわ

知ってるわよ、そんなのほっといて
あいつは活きがいいわ、ぼんやりとわかるわ

(あいつは活きがいいわ、ぼんやりとわかるわ)
あんたがそこにいるのが好きなのよ、ただそれだけよ(ouais)
あたしはおおっ“て言ったのよ(Oh oh oh
あたしたちは友だち以上よ、って誓ったのよ(Oh oh
はっきりフランス語で言いなさいよ
シェリ、あたしはもうお遊びの歳は過ぎたのよ
あんたとあたし、おたがい知ってるわ、yeah
あまり気にかけないでよ

あたしたちの限界をためしてもうたくさん時間を無駄にした (heu)
今やあたしは高い値がついてるのよ、あんたの利幅はどれくらい?
あたしに将来のプロジェクトをあてにしてもいいのよ
でも二人の翼を燃やしてしまうのは、避けなきゃいけないのよ
モンシェリ、そんなのほっといて

あたしを愛して、ドゥードゥー

あたしを愛して、ドゥードゥー

実際にやってみて、ドゥードゥー

あたし可愛いって言ってみて、ドゥードゥー
その証拠を見せて、ドゥードゥー

なによそれ、そんな態度なの? ドゥードゥー

あんたはあたしにうそばかりつく
夜になったら二人とも楽にならなきゃだめ
じゃなきゃやめにして
よそに探しに行ってもいいわよ、彼女たちはレベル低いよ
シェリ、やめときなさい

夜になったら二人とも楽にならなきゃだめ
じゃなきゃやめにして
よそに探しに行ってもいいわよ、彼女たちはレベル低いよ
シェリ、やめときなさい
危ないやつらがあたしたちをつけ狙っているわ
長いブラックリストよ

あたしたち欲しい分だけ手に入れたんだから
あたしは飢えたスケベ野郎たちはすべてシャットアウトしたわ

さあ、今やあたしたち二人だけ

ヘイ、彼のことであたしの頭はいっぱい

シェリ、あたしの心はお祭り騒ぎよ

あたしたちはきっとオスモーズ(相互浸透)よ
止まったらいけないわ、絶対ダメ

ノンノン、絶対ダメ

モンシェリ、そんなのほっといて

あたしを愛して、ドゥードゥー

あたしを愛して、ドゥードゥー

実際にやってみて、ドゥードゥー

あたし可愛いって言ってみて、ドゥードゥー
その証拠を見せて、ドゥードゥー

なによそれ、そんな態度なの? ドゥードゥー

あんたはあたしにうそばかりつく
夜になったら二人とも楽にならなきゃだめ
じゃなきゃやめにして
よそに探しに行ってもいいわよ、彼女たちはレベル低いよ
シェリ、やめときなさい

夜になったら二人とも楽にならなきゃだめ
じゃなきゃやめにして
よそに探しに行ってもいいわよ、彼女たちはレベル低いよ
シェリ、やめときなさい
夜になったら二人とも楽にならなきゃだめ
じゃなきゃやめにして

 (↓"Doudou"オフィシャルクリップ)



音楽および人生の影響は最も強く母親から受けているという。これをグリオの血と言ってしまうのは簡単だろうが、この人は私の娘より一歳若いのに、比較にならない人生の濃さを感じさせるものがある。グリオはスポークス(ウー)マンであり、歴史の記録者であり、語り部である。この人は語るものがたくさんあるというのは明白であるが、言葉をコロコロ回して響かせることにおいては、本当に稀な才能があると思う。長くがんばってください。

<<< トラックリスト >>>
1. Plus jamais (feat. Stormzy)
2. Tchop
3. Doudou
4. Jolie Nana
5. Fly
6. Biff
7. Sentiments grandissants
8. Love de moi
9. Ca blesse
10. Mon chéri
11. Nirvana
12. La Machine
13. Mon Lossa (feat. MS Banks)
14. Préféré (feat. Oboy)
15. Criminel
16. Plus la même

AYA NAKAMURA "AYA"
CD/LP/Digital REC118/Parlophone/Warner
フランスでのリリース:2020年11月13日

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)"Plus jamais" (feat. Stormzy) オフィシャルクリップ

2020年11月11日水曜日

中世のオックスター

Francis Cabrel "A l'aube revenant"
フランシス・カブレル『蘇った夜明けに』

2020年10月16日のリリース以来、これを書いている現在(11月中旬)までアルバム売上チャート1位を独走しているフランシス・カブレルの14枚めのアルバムである。この人の場合、1989年の7枚目のアルバム『サラバカーヌ(吹き矢)』以来、30年もの間(黙っていても)”出せば1位”の不動の実力と人気がある。5年前(2015年)その"最後のアルバム”と噂された13枚め『いまわの際に(In Extremis)』に関して当時の日本語新聞OVNIの連載記事で紹介した時も、私や他の人たちがどうのこうの言おうが言うまいが、これはフランス大衆が1位にしてしまうアルバムで、フランス大衆は正しい、という投げやりな(ひどい)レヴューだった。
 さて、引退しかけていた人が5年後に復帰した新アルバムである。"Revenant"(ルヴナン)は字句通りには「帰ってきた人」と理解されようが、多くの場合、どこから帰ってきたのか、と言うと「あの世」なのである。つまり幽霊なのだ。この世でやり忘れたことがあって戻ってきたのであり、カブレルに即して言えば、最後のアルバムで言い忘れたことがまだあった、という感じの"続・最後のアルバム”的な延長線上の作品と言えよう。歌っているのは幽霊ではない。まだまだ元気なフランシス・カブレルである。
 アスタフォール(ヌーヴェル・アキテーヌ地方、ロット・エ・ガロンヌ県)の自宅スタジオに気心の知れた常連ミュージシャンたちを集めてまったりと録音されたオーガニックな13曲。すでに先行シングルでラジオプロモされていた"Te ressembler"(「あなたに似ること」)(2曲め)は、イタリア人移民の工場労働者だった自分の父への敬意を自分が66歳になって初めて歌うという、プライベートな歌。最もショービジネスと遠いところで(コルシカで)地球人の生活をしている大物歌手/俳優、ジャック・デュトロンについて歌った"Chanson pour Jacques"(「ジャックに捧げる歌」)(10曲め)、ボブ・ディランと並んで敬愛し親交もあるジェイムス・テイラーの「スウィート・ベイビー・ジェイムス」(1970年)のカヴァー(ジェームス・テイラーをカヴァーするのは"Millworker/La Fabrique"以来2度目)である"J'écoutais Sweet Baby James"(11曲め)など、話題性のある曲もある。その他にも注目しなければならない曲もあるのだが、私の興味はとりわけオクシタニアのことを歌った曲に絞られる。前アルバム『いまわの際に(In Extremis)』のタイトル曲 "In Extremis"は南西フランス・オクシタニアの言語であるオック語に関する歌で、その人々がどこから来たのかを伝える言語をフランス語が抹殺した、そして今フランス語は数世紀前のオック語と同じ危機にある、と警告する歌だった。新アルバムではブックレット末尾にカブレルがこう記している:
このレコードの中の4曲はトルバドゥールたちの作品に直接的にインスパイアされたものである。その詩的作品は深く斬新で、オック語で書かれたものであるが、今日熱意に溢れた学者たち(僭越ながらここに名を記しておこう:ピエール・ベック、ルネ・ネリ、ポール・ファーブル、イスマエル・フェルナンデス・デ・ラ・クエスタ、他多数)によって翻訳されている。
トルバドゥールたちへ、私は夜明けと春を捧げなければならない。
その4曲とは”Fort Alamour"(「アラムール砦」5曲め), "Rockstars du moyen age"(「中世のロックスターたち」6曲め)、"A l'aube revenant"(「蘇った夜明けに」9曲め)、"Ode à l'amour courtois"(「アムール・クルトワへのオード」13曲め)である。 カブレルがこのようにオック語文化とトルバドゥール詩に傾倒し、進んでその紹介者/擁護者になってくれたのは、私はとても嬉しい。微力ながら2000年代に日本にこの文化を数十種のCDアルバムで紹介していた私としては、である。カブレルも私も"オック語つかい"ではない。だがカブレルは表現者としてその愛を表現できる。私は非力だけれど、今度のカブレルはすごいぞ、と人に言うことはできる。「恋愛は12世紀南西フランスで生まれた」(シャルル・セイニョボス)と言われる宮廷における最初の「献身の愛 = アムール・クルトワ」へのカブレルの頌歌(オード):
ひとりの友のように、春は自分からやってきた
たくさんの花のように、私の詩の最初の数行をかかえて
その詩で私は彼女の目、からだ、豊かな髪を称えていた
そして私の書き綴るページを震わせるすべてのものを春は持ってきた

その歩みの一歩一歩で彼女は空間を香らせていく
彼女がどんなふうに移動するかを綴ったのが私の歌だ
彼女の外套のドレープに私は身を横たえたい
彼女の首飾りで私は首を吊ることもできるだろう

朝が飛び立たせる幾千の鳥の中で
疑いと熱に浮かされながら
唇の端で
私は夢の中にしか存在しないその名前を呟こう
それでも彼女は冷たいまま、何も答えない、何も

私は終わりのない夢をでっちあげる、それは灼熱の夜
でも毎朝夜明けはやってきて、私の両手は空っぽだ
この果てしない空の奥にまだ天国があるなら
その天国はたぶん彼女の腕の中から始まるだろう

どんな悪い道が彼女に向かって近づこうとも
私は必ずやこのルフランをうまく仕上げ、彼女に呼びかけるだろう
人は私の目が流れだし、私の心臓が溶けだす音を聞くだろう
そして私が横たわりたいと望んでいたその外套は広げられるだろう

朝が飛び立たせる幾千の鳥の中で
疑いと熱に浮かされながら
唇の端で
私は夢の中にしか存在しないその名前を呟こう
それでも彼女は冷たいまま、何も答えない、何も

そして私は自らの場所にとどまるが、すべての人たちは知っている
私がいたずらに過ぎゆく毎日よりも彼女に会える日の方が
ずっとずっと好きだということを
ひとりの友のように、春は自分からやってきた



春のようにやってきたトルバドゥールのインスピレーションによってできたピュアーな「献身の愛」へのオードである。"Petite Marie(プティット・マリー)"(1977年)や"Je l'aime à mourir(死ぬほどに愛する)"(1979年)のようにデビュー時からピュアーな献身の愛を歌ってきたカブレルは、当時はそう意識していなくても既に直系のトルバドゥールだったのではないか。そのことを2020年にマニフェスト的に「S'endavalèm de vos(オック語)/Nous descendons de vous(フランス語)」(私たちはあなたたちの子孫)と歌っているのが、6曲めの「中世のロックスターたち」である。この歌は共同作詞者としてクロード・シクル(元ファビュルス・トロバドール)の名前がクレジットされている。2000年代に私が力いっぱい応援していたオクシタン・ムーヴメントの最重要人物のひとりである。
いにしえの言語などない
同じ苦悩を語り
同じ愛を誓う言語は
いつも同じものだ
それはあなたたちのページに書かれている
私たちよりずっとうまく、私たちよりずっと前に
中世のロックスターたち
S'endavalèm de vos (私たちはあなたたちの子孫)

あなたたちは羽根ペンで一気に書き
ゆっくりとした馬の歩みの優美さで
淑女たちのために歌う
この世で最も美しいものを
彼女たちの魂、その顔
それらはすべてを超越している
中世のロックスターたち
S'endavalèm de vos (私たちはあなたたちの子孫)

窓辺に立ち
目を閉じて歌う娘は
あなたたちの言葉のひとつひとつに
自分を投影させようとしている
それは最も重い宝石よりも
ずっと価値があるもの
中世のロックスターたち
S'endavalèm de vos (私たちはあなたたちの子孫)

タンブリンの皮だけを
よろいの代わりにして
高い城壁の上にある
灯りの消えたバルコニー
そこに美女は閉じ込められている
嫉妬深い愛人は不在
中世のロックスターたち
S'endavalèm de vos (私たちはあなたたちの子孫)
 
La filha a son fetestron
Canta los uèlhs barrats
E dins cada cançon
Espera se trobar
Aquò val fòrça mai
Qu'un polit joalhon
中世のロックスターたち
私たちはあなたたちの子孫

ジョーフレ・リュデル、ギヨーム、
ベルナール・ド・ヴァンタドゥール
ペイレ、ベルトラン・ド・ボルン
その他幾百のトロバドゥールたち
私たちはその遺産を守り続ける
中世のロックスターたち
S'endavalèm de vos (私たちはあなたたちの子孫)



ヴァリエテ/シャンソン・フランセーズのスーパースターであり続けながら、このように"オックの人”になってしまったカブレル、私は両腕を拡げて歓迎しますよ。2020年11月、身体の接触がほぼ禁止になっているこの期間であっても。

<<< トラックリスト >>>
1. Les beaux moments sont trop courts
2. Te ressembler (↓オフィシャルクリップ)
3. Les bougies fondues
4. Jusqu'aux pôles
5. Fort Alamour
6. Rockstars du moyen age
7. Peuple des fontaines
8. Parlons-nous
9. A l'aube revenant
10. Chanson pour Jacques
11. J'écoutais Sweet Baby James
12. Difficile à croire
13. Ode à l'amour courtois
 
FRANCIS CABREL  "A L'AUBE REVENANT"
CD/2LP/Digital Sony Music France
フランスでのリリース : 2020年10月16日

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)"Te ressembler" オフィシャル・クリップ


2020年11月10日火曜日

心のとーびら

Gaël Faye "Lundi Méchant"
ガエル・ファイユ『むかつく月曜日』

1982年ブルンジ生まれ、ルワンダ人の母とフランス人の父を持つ混血のラッパー/シンガー・ソングライター/作家のガエル・ファイユに関しては、私は2016年の初小説(でベストセラー)『プティ・ペイ(小さな国)』以来絶賛しかしていないし、たいへんな大器であると信じて疑わない。2013年のファーストフルアルバム『唐辛子の乗ったクロワッサン(Pili pili sur un croissant au beurre)』から7年後のセカンドアルバムである。2つのアルバムの間は、小説『プティ・ペイ』の話題でいっぱいであったし、小説は映画化もされたが、音楽アーチストとしても2018年のヴィクトワール賞("Révélation scène" ライヴパフォーマンスへの賞だったのはレコード会社とのトラブルで新譜が出せなかったからと理解している)を取っているし、私はカフェ・ド・ラ・ダンスやラ・セーヌ・ミュージカルで3回ステージを見ている。しなやかな長身、両腕両脚を優美に用いる、歌って踊れるスターである。”ラップ/ヒップホップ"とはやや距離があるのだ。その点に関しては文句があるわけではない。それはサウンドを構築している長年のパートナーであるギヨーム・ポンスレ(1978年グルノーブル生れのジャズピアニスト/トランペッター)が織りなす緻密で博識でオールドスクールで折り目正しい"音楽”によるものであり、SKYROCKで聞こえるフレンチラップとは明確に異なるものだ。その文学性も含めてMC ソラール寄りで、中高年が深々と椅子に腰掛けて腕組みしながら聴いてもいいものなのだ。
 新作『むかつく月曜日(Lundi méchant)』は14曲、どれをとってもみな素晴らしい。私は何も言うことがない。だから同志たちはためらわずにこのアルバムを入手するべきだ。私がその感動をギャランティーする。その中で一曲だけ明らかに他と異なるものがある。8曲め"Seuls et vaincus(孤立して敗北する)"である。この詞だけがガエル・ファイユ作ではない。詞ではなく、むしろ"詩”と称するべきだろう。作者はクリスティアーヌ・トービラ、政治家であり、オランド大統領時代の法務大臣(在任2012〜2016年)だった女性である。その5年の大統領治世はもぱっら左派を落胆させることばかりだったオランド時代にあって、唯一歴史的な大革新として評価される同性婚法("Mariage pour tous"万人のための結婚法、別名トービラ法)を成立させたのが彼女だった。海外県ギュイアーヌ出身のクレオール系黒人であるため、同法に反対するカトリック十全主義勢力や極右政党や団体から人種差別攻撃を受けていた。国会答弁の際に哲学者の箴言や古典詩の一節を引用するなど、その文学に対する造詣の深さはよく知られるものであり、ネグリチュードの詩人エーメ・セゼールを敬愛し、自らも小説や詩集を発表する文芸人である。そのトービラを十代の頃から敬愛していたというガエル・ファイユが初めて彼女と面と向かったのは、2018年4月、国営テレビFrance 5の文芸番組"ラ・グランド・リブレーリー"のメイン出演者としてであった。そんな経緯でファイユが新アルバムのために「僕がつくる曲とマッチしそうな詩がありませんか?」と願い出たら、送られてきたのがこの21行の詩。ファイユは即座にこれがトービラが政治家/大臣として受けていた激しいレイシズム攻撃への詩的返答であると理解し、衝撃を受ける。
あなたたちは孤立し敗北するだろう、人々の脈動に耳を貸さぬ者たち
人々のしゃっくりの音、浮き沈み、無気力に肩をすぼめる音
水底を覆う砕かれた骨の数々を拾い集める音が聞こえない者たち

あなたたちは孤立し敗北するだろう、このしつこい生命のかけらたちを見ようとしない者たち、
それらは絡み合い、その愛は飽くことを知らない
引き裂かれてもなお、その夢の頂きによじ登ろうとする命が見えない者たち

あなたたちは孤立し敗北するだろう、幼稚な罵詈雑言を立てる者たち
地球の粗い殻の上を蠢くわれらの彷いに無頓着な者たち
希望につながった鼓動が途切れてしまうことに無関心な者たち
 
あなたたちは孤立し敗北するだろう、なぜなら足や肌やさよならの記憶は
長く長く続くのだから、そしてこの移りゆく時にあっても
あなたたちは決めつけ分断し、白と黒だけの世界をつくっている

あなたたちは孤立し敗北するだろう、あなたたちの角笛と猟犬の吠え声、
あなたたちの信条、紛いもので寄せ集めの権威など何も救いはしない
頑強なわれらの命の閃光はあなたたちの腹の内を照射するだろう

あなたたちの陽気で闊達な子たちはわれらの子たちと共に歌い共にロンドとファランドールを踊るだろう 警戒心を捨て、共に愛し合いながら
あなたたちに玉のように輝く孫たちをもたらして、あなたたちを罰するだろう

あなたたちは孤立し敗北するだろう
われらの現在が熱情に燃え上がり、われらの未来が白熱しているなら
この単純でかつ複合的な過去を生き延びてきた博愛のおかげをもって
われらの燃える思いは無敵なのだから

最後の行 "Grâce à la tendresse qui survit à ce passé simple et composé"は仏語文法用語の"passé simple"(日本語で"単純過去"と訳される)と"passé composé"("複合過去")を引き合いにして、あらゆる歴史的過去に絶えることのなかった慈愛・博愛・優愛(la tendresse ラ・タンドレス)の加護があれば、現在も未来もわれらの滾る思いは決して負けない、という結語。これがトービラのレイシストたちへの答えである。
ガエル・ファイユはこの歌のアウトロにメリッサ・ラヴォー(ハイチ系カナダ人シンガー・ソングライター)による英語詞(ラヴォー作)のヴォーカルをもってくるが、これがまたいい。
While you're holding on to your bones
Holding on to what you know
We won't make the same mistakes
Stakes are high we claim our fates
While you're holding on to your bones (seuls)
Holding on to what you know
We won't make the same mistakes (seuls)
Stakes are high we claim our fates (vaincus)
While you're holding on to your bones (seuls)
Holding on to what you know (vaincus)
We won't make the same mistakes (seuls)
Stakes are high we claim our fates
私はこの歌だけでこのアルバムはものすごいものになったと思っている。文学も音楽も政治も身のこなしも、私はこの長身の褐色の青年をずっと信頼し続けると思う。

<<< トラックリスト >>>
1. Kerozen (↓クリップ)
2. Respire (↓クリップ)
3. Chalouper
4. Boomer
5. Only way is up
6. Lundi méchant(↓クリップ)
7. C'est cool
8. Seuls et vaincus (↑)
9. Lueurs
10. Histoire d'amour
11. NYC
12. Jump in the line
13. Zanzibar
14. Kwibuka

Gaël Faye "Lundi Méchant"
Believe CD/2LP/Digital
フランスでのリリース:2020年11月6日

カストール爺の採点:★★★★★


(↓)"Kérozen" オフィシャルクリップ。


(↓)"Lundi méchant" オフィシャルクリップ。


(↓)"Respire" オフィシャルクリップ


(↓)アルバム"Lundi méchant"へのクリスティアーヌ・トービラの参加について語るガエル・ファイユ