2020年7月27日月曜日

母親は何で動いているの? Comment ça marche, une mère ?

"Madre"
『マードレ(母)』


2020年スペイン映画
監督:ロドリーゴ・ソロゴイエン
主演:マルタ・ニエト、ジュール・ポリエ
フランスでの公開:2020年7月22日

 舞台は南西フランス/ヌーヴェル・アキテーヌ/大西洋岸ランド地方、映画の中で地名は出てこないがテレラマ誌(2020年7月22日号)の映画評では「ヴュー・ボーコー (Vieux-Baucau)」と場所が特定されている。強い西風、サーフィン族にはたまらないであろう高い波、どこまでも続く砂浜、その上の灌木砂丘、その上のランドの原生林... 美しいところだ。映像はドローンや手カメラやさまざまな角度でこの美しい海浜と一緒に、憂いをたたえたひとりの女性の顔がシンクロして遠くに近くに。こういうシーンが多い。これがこの映画の美しさだと思う。多くを物語る風景の場所であり、沈黙のうちに多くを表現してしまうすばらしい女優(マルタ・ニエト)の顔だ。
 スペイン人監督のスペイン映画なのに、舞台はず〜っとこのフランス/ランド地方だし、言語もフランス語シーンの方がスペイン語よりずっと多い。おまけに、この主人公エレナ(演マルタ・ニエト)のフランス語はたどたどしい。そこがこの女性が言葉少なくとも、強烈ななにかに突き動かされていることを際立たせている。
 映画の最初の舞台は(映像に街並みは出てこないが)マドリードであり、アパルトマン屋内で平凡な会話をする初老の母とその娘。「新しい彼はどうなの?」「ただの友だちよ」といった類い。平和で幸せそう。娘エレナがその"友だち"との食事に出かけようとしたその時に電話が鳴る。電話の相手は6歳になるエレナの息子のイバン。(映画はマドリードのアパルトマン屋内しか映さない。イバンは電話音声のみの出演)「どうしたの?ヴァカンスはどう?パパは一緒にいるの?」ー 複雑な事情が一瞬にして了解される。別れた男との間にできたひとり息子、母エレナのもとを離れて冬のヴァカンスを父親ラモンと一緒に過ごしている。ところがイバンはパニックに陥っている。一人ぼっちで、周りには誰もいない。パパは僕をここに連れてきたっきり戻ってこない。あたりは暗くなってきた。どうしたらいい? ー 落ち着いて、パパは必ず帰ってくるから。周りはどんなところ? 家とはお店とかない? ー 周りには何もない、海と砂浜と森しかない、誰もいない... 。 エレナはイバンの説明から、父と子がキャンピングカーで北上し、フランスに入り、西海岸地方にいることが漠然とわかる。彼女はあらゆるところに電話をかけラモンと連絡を試みるが果たせず、スペイン警察もイバンの携帯電話で現在位置を特定することもできない。その携帯電話はもうバッテリーがほとんどない。エレナは息子に大丈夫だから、落ち着いて、と繰り返すのだが、あたりは真っ暗になり、そしてイバンの前にひとりの男が姿を表わす。エレナはイバンに走って逃げることを命じる。逃げて隠れられるところがあれば身を隠して、と。イバンは森に逃げ込み、灌木の中に身を隠す。しかし電話から聞こえるのは、イバンを追いかけ、見つけ出した男の声(フランス語)、そしてそれっきり音声は途切れる。テンションの極度の高ぶり、パニック、エレナはどうすることもできず、家を飛び出して行く。
 ここまでがイントロ。もうここまでのストーリーだけで大変なサスペンス映画なのだ。エレナのこの先の行動のすべてが、一体何によって突き動かされているのか、ここまでで十分わかってしまうのだ。
 映画のメインのストーリーは、その十年後から始まる。消えたイバンの姿を求めてエレナはフランス/ランド地方の海浜保養地ヴュー・ボーコーに移住し、海辺のレストラン/バーで働いている。人とあまり交わることなく、時間があれば浜辺を散策し、もの想いにふけるという10年間が過ぎ、エレナは39歳になった。彼女を理解し支えてくれる男ホセバ(演アレックス・ブレンデミュール)もいて、ヴュー・ボーコーを捨てて新しい生活をと誘ってくるのだが...。その毎日の日課の物憂い顔した浜辺の散策で、ある日すれ違ったスポーツ少年クラブの一団、その中の巻き毛の赤髪少年ジャン(演ジュール・ポリエ)に目が釘付けになる。エレナは衝動的に少年の後を追跡し、家族でヴァカンス滞在しているヴィラまでつけていき、幸せそうな父+母+三人兄妹の一家のたたずまいを覗き見て、ああ、これは断念しなければと天を仰いだに違いないのだが...。
 驚いたことに翌日少年はエレナの職場(レストランバー)に現れる。彼は前日エレナにつけられていたことを知っていて、それをとても"Cool"なことと感じたと言うのだ。ジャンはどこにでもいる生意気な16歳のように、エレナとの急接近を試み、うぶで子供っぽいが"いい男”であろうとするあの手この手で...。最初の誘いが「ビーチフットの試合に出るから見に来い」という無邪気さ。この背伸びのなさ(下手な駄洒落のようだが、これは"性”伸びの欠如)が、どれだけこの映画を救っているか。そして向こうから飛び込んできてくれたこの少年に、エレナは当惑しながらも、うれしさは隠しきれない。
 彼女が埋めたいのは、10年前に失った子供の不在であり、欠如であり、空白である。10年間埋まらずにぽっかり空いたままの穴は、この(生きていればその姿に極似しているに違いない)少年の出現で、何か別もので満水になっていくようなセンセーション。二人は逢瀬を重ね、友人や家族の前でも"カップル”として憚らず登場する。16歳と39歳、少年と"クーガー”。世間の目はやはり黙ってはおらず、筋書き的には"禁じられた愛”あるいは”ロメオとジュリエット”方向に向かっていくのだが、この映画はそのメロドラマ性の陳腐さをはねのける。なぜなら、これは"恋愛”ではないのだから。
 象徴的なシーンがある。祭りのような誰もが解放されたような夜、エレナもジャンも他の若者たちもどれだけのアルコールを飲んだろう、ウォッカ、テキーラ、ウィスキー... その泥酔度ではエレナはずっとずっと死ぬほど続けられるのだが、その前に若いジャンがしたたかに酔っ払って、真夜中の海に真っ裸で突進していく。1分経って帰ってこなければ助けに来てほしい、と。この1分間の間エレナは、帰ってこない子供、蒸発していくイバンのドラマを追体験して真っ青になるのである。パニック寸前のエレナの前に、真っ暗な海からジャンは真っ裸で震えながらか還ってくる。タオルで迎え、抱きしめ、エレナとジャンは砂浜に掘られた穴の中で海風を避けお互いを温め合い、母と子のようにひとつになる。少年はこんな愛を知っていたか、母親はこんな愛を知っていたか。これは"恋愛”ではないのである。
 その夜、ジャンをその家族の滞在別荘に送り届けたあと、エレナはその泥酔を数十倍延長させて、飲み、踊り、男たちの誘惑に身をまかせ、自暴自棄の果てまで進もうとするが、朝日は彼女を"自分”に連れ戻す。なにか、神の介在まで想わせるような救われ方である。
 この神々しいエレナと少年ジャンの関係は、世俗的には不幸が目に見えているし、ヴァカンスが終わりパリに帰る未成年ジャンとその一家は、何一つ理解することなく、これを(いわゆるよくある思春期の”ヴァカンスの恋”にして)終わらせようとする。何も終わらない。終わったのは理解しうるすべてを理解し常にエレナを支えることに終始したいい男(本当にいい男)ホセバとの関係。エレナはそれほどまでの代償と犠牲を払ってまで、子を失った母の情念に身をまかせて、10年の空白を一挙に埋める激情に身をまかせて、そのひと夏を過ごし、しかし、それはやっぱり終わるのである...。

 私がやはり強烈に惹かれるのはエレナ役のマルタ・ニエトの不安定さと狂気と隠しようのない情緒の上昇と下降であり、「母」情念の爆発であり、少年ジャン(ジュール・ポリエ)のどうしようもない子供っぽさである。何度も繰り返すがこれは"恋愛”ではない、ということがどれほどこの映画でエモーショナルなことであるか。荒波と潮風がびしびし顔にぶつかってくる痛さを感じて映画館を出た。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『マードレ』予告編


(↓)映画中、2度にわたってジャンがエレナにヘッドフォンとカーステで聴かせる歌。エレナが(意味もわからずと言っていいと思う)「いい歌ね」と目をつぶる。これがダミアン・セーズ「若者たちよ、立ち上がれ Jeunesse lève-toi」(2008年)。脈絡もわけもわからないが、感動的な選曲。

2020年7月24日金曜日

父親は何で動いているの? Comment ça marche, un père ?

これはウェブ版『おフレンチ・ミュージック・クラブ』(1996 - 2007)上で2005年4月に掲載された記事の加筆修正再録です。

Marie Nimier "La Reine du Silience"
マリー・ニミエ『沈黙の女王』

(ガリマール刊 2004年8月)

 2004年メディシス賞作品である。
マリー・ニミエ(1957 - ) は既に8篇の小説を発表しているが、前作『ヌーヴェル・ポルノグラフィー』(2000年)は日本語訳も刊行され、この1作だけを取れば、軽妙でコミカルな文体の新人女流作家と思われたかもしれない。またマリー・ニミエは、ジュリエット・グレコ、ナナ・ムスクーリ、ジョニー・アリデイなどに歌詞を提供していて、シャンソン関連でも知られている。この小説でも小さく触れられているが、彼女自身が音楽アーチストだった時期もある。
 しかし結局音楽ではものにならず、マリー・ニミエは28歳で作家になった。本名で作家になったのだから、当初は「あのニミエの娘」と散々言われたであろう。”あのニミエ”と言われても、日本ではほとんどの人がピンと来ないだろう。マリーの父、ロジェ・ニミエ(1925-1962)はフランスの戦後作家であり、サルトル等のアンガージュマン文学と真っ向から対立する、”主義・思想”に対する生理的な拒否感をあからさまにした若い保守系の作家群「騎兵隊派(Les Hussards)」(アントワーヌ・ブロンダン、ジャック・ローラン、ミッシェル・デオン...)
の一人で、代表作は『青い騎兵隊』と『ぼくの剣』で、共に国書刊行会から邦訳が出ている。だがしかし、ロジェ・ニミエは日本では作家としてよりも、ルイ・マル(1932-1995)監督の記念碑的映画作品『死刑台のエレベーター』の脚本家として知られているようであり、インターネットの日本語サーチエンジンで「ロジェ・ニミエ」と検索すると、ほとんどが「死刑台のエレベーター」との関連であった。そのニミエは29歳で小説家としての創作活動を止め、36歳で自動車事故で他界している。
 マリー・ニミエのこの作品は、彼女が5歳の時に事故死した父のロジェの死の真実と、記憶に残っていない生前の父と自分の関係を40年後になぞっていく検証の記録である。ロジェ・ニミエの自家用車アストン・マーチンDB4は、パリから数キロ離れた国道上でコントロールを失い、陸橋のガードレールに激突する。車内には二人。ロジェ・ニミエと27歳の美しい新人女流作家サンシアレ・ド・ラルコーヌ(Sunsiaré de Larcône)が乗っていて、共に即死。この女流作家は父の力添えがあってガリマール書店から処女作品を出版することになっていた。いったいなぜここにこの女性がいたのか、彼女の父の関係はどういうものだったのか、そしてアストン・マーチンのハンドルを握っていたのは父なのか彼女なのか...。
 この事故当時5歳だったマリーはもう何ヶ月も父の姿を見ていない。普段から不在の父であり、家庭を顧みない父であった。スポーツカーと若く美しい女性は彼のごく日常的なアクセサリーであった。戦後無頼派作家のステロタイプである「騎兵隊派」のスタイルとは「夢想家であり人生を優美さで捉え、女性たちを腕ずくで捕らえる兵士」であるとマリー・ニミエが引用している。これでは石原慎太郎・太陽族ではないか。ロジェ・ニミエは29歳で作家としての筆を折り、論壇を舞台に保守の論客として専ら左翼・左派に毒づき、王党派を自認し、セリーヌを全面的に擁護する態度は、さぞスタイリッシュであったであろうと想像する。
 王党派の父親は娘の名に「マリー」、2つめの名に「アントワネット」とつける。断頭台の露と消えた女王の名前である。それに加えて「沈黙の女王 La reine du silence」というあだ名が与えられる。5歳の童女に父親は解読不可能ななぞなぞを出す:「沈黙の女王は何を言う?」。童女はこの難題のために身動きが取れなくなってしまう。話すことができない女王は何が言えるのか。このあだ名に込められたのは父親の愛情なのかそれども悪意なのか。その答は遂に得られることがなく、父親は死んでしまった。
 小説は父親に関して40年間身動きが取れず、直視する勇気を持てなかった娘が、ひとつひとつその封印を解いていくかたちで進行する。事故車に同乗して死んだサンシアレ・ド・レルコームの息子に会ったり、兄と義理の兄が事故について知っていることを聞き出しに行ったり、当時の新聞雑誌を漁ったりして、父の死に関するあらゆる証言を収集していく。そして調査が進むにつれて、父親の実像というのは(残酷にも)愛すべき父親のイメージからどんどん遠ざかっていくのである。
 核となっている問題はひとつ、「私」は父親に愛された子供であったか、ということである。少女マリーはルイ=フェルディナン・セリーヌの膝の上に抱っこされた写真はあっても、父親と一緒に映った写真は一枚もないのである。幼い記憶の中で、ひとりでままごと遊びをしている部屋の隣の書斎で父親は書き仕事をしている。ままごとの少女は作った料理(プラスチック樹脂の皿)を父親のデスクに届ける。あとで見るとそのプラスチック皿は灰皿として使われたのち、タバコの燃えかすと共にゴミ籠の中に捨てられている。
 そして競売に出されていたロジェ・ニミエの自筆書簡集の中から、マリーが生まれた次の日に書かれた、その誕生に直接的にコメントする世にも毒々しい手紙を見つけてしまったのである。「ナディーヌが昨日女児を出産した。私はそのことに関知したくないものだから、即座にセーヌ川に捨てて溺死させる」。「私」は誕生の時に父親から溺死することを望まれていた子供だった。
 兄にはいろいろな遺品が残されているのに、「私」には何もない。男尊女卑・女性蔑視を是とした作家は自分の娘をも沈黙の女王として封じ込めようとしていた。知れば知るほどロジェ・ニミエは「私」に悪意を抱いていたことが鮮明になってくる。一体父親とは何か、父親はどうやって機能しているのか、とマリーは問う。5年間しか触れることのできなかった父親は悪意に満ちて「私」と対座していたのだ。それをすべて知った上で、マリーは父親を許すのである。今はもう声のない父親と40年後に和解してしまうのである。
 沈黙の女王は遂に何も言わずに父親を赦し、沈黙の女王となってしまう。

 読み方はいく通りにもできると思う。これは沈黙を強いられた幼子が40年後にその殻こもりからやっと解放されていく過程の物語である。検証の過程は見たくないものばかりであるが、それは直視されなければならない。マリーが若い頃に突発的な自殺衝動にかられてセーヌに飛び込み、通りがかりの船に救われて事なきを得るが、この自殺衝動はずっと自分でも説明できないものだった。「セーヌ」「溺死」と父が自分を呪っていたことと、この自殺未遂の符号にマリーは慄然とするのである。
 閉じ込められた沈黙の女王の魂の解放は、同時に父への赦しとなるわけだが、読者はここで作家マリー・ニミエが作家ロジェ・ニミエを凌駕してしまうという、一種の復讐劇とも読めるではないか。これは"作家の娘の手記”ではなく、文学作品である。赦しという名の復讐。コンプレックスの根は深く、それがそのままこの小説の深さである。

Marie Nimier "La Reine du Silence"
Gallimard 刊  2004年8月 / Folio文庫版 2006年1月



(↓)2004年、フランス国営テレビFrance 3の番組で『沈黙の女王』について語るマリー・ニミエ。


2020年7月17日金曜日

コ禍の時代 93歳のジュリエット・グレコが切れ切れに語る

レラマ誌2020年715日号、おお、ヴェロニク・モルテーニュ(ex ル・モンド)テレラマにグレコのインタヴュー記事を書いている。とは言ってもちゃんとしたインタヴューにならなかったんだろうな。93歳、グレコのとぎれとぎれの言葉を拾った感じ。しばらくニュースのなかったサン・ジェルマン・デ・プレの歌姫はコート・ダジュール地方ラマチュエルの高地の楽園的環境で暮らしている。

 2016
312日(2015年に始まった引退”MERCI”ツアーのさなか)グレコはAVC(英語ではStroke、日本語では脳卒中)に襲われた。その結果しばらく言葉を発語できなくなった。同じ年8月、ひとり娘のローランス(俳優フィリップ・ルメール2004年没との間の子供)がガンのため62歳で亡くなった。2018年、夫でジャック・ブレルとグレコのピアニスト/作曲家だったジェラール・ジュアネスト(グレコと40年間連れ添っていた)も亡くなった。そして20205月、66年から76年、夫だった名男優ミッシェル・ピコリも亡くなった。

「あなたは強い方だから」とモルテーニュが言うと、第二次大戦中、レジスタンス運動に身を投じ、母と姉が逮捕されラーフェンスブリュック収容所に送られたのに、一緒にいたジュリエットが歳が幼いことで釈放されたことを引き合いに出して「それは強いからじゃないわ。それは力に関係したことに違いないけれど、それだけじゃない。私はレジスタントよ。私はいやな性格(sale caractère)の持ち主よ。それはひとつのりっぱな価値よ」と。

それからブレル作”J’arrive”(“今行くよ”、日本語題は孤独への道“)によせて、2015年の「ブールジュの春」(”MERCI”ツアーの皮切り)のステージでの最後の最後に歌った”J’arrive”について「誰でもみんな到着(arriver)するのよ、良かれ悪しかれ。私は決してあきらめなかった。私は戦ったし、ノンとはっきりと言うことができた。私は生涯ずっと言い続けてきたわ、ノンと言ったらノンなの」と言い、一転して優しく「でもウイの時はウイなのよ」と。
 
 部屋の飾り物には日本の折り紙細工があり、木や鳥やミニチュア・サーカス...1979年から彼女の日本公演をプロデュースしている中村敬子氏が定期的に送ってくれるのだそうだ。グレコは色紙のコレクションもあり「私は紙が大好き、そこに何でも好きなことを書けるの、自由空間ね。日本では紙の色が見事なの。この上なく鮮やか、黒は黒、白は白、赤は申し分ない赤」。モルテーニュが「あなたは今日はどんな色ですか?」と尋ねる。「私は黒と白、楽譜みたい」。

 そして今日のグレコには残酷な(だが避けられない)質問:「歌うことなくどうやって生きているのですか?」。「私はそれがなくて狂おしく寂しい思いをしている。私の存在理由、それは歌うこと。歌うこと、それはすべてよ、それには肉体もあれば、直感もあれば、頭もある。それは常に、私と私の間の問題だった。私は沈黙のうちに技を磨いてきた。私は自分の中で反復練習してきたし、私は歌の作者の役に立とうと努めてきた、歌がみんなに理解されるために。そのためには理に適った奉公女にならねばならないのよ。」
 モルテーニュ「もしできるのだったら、どこへ行って歌いますか?」
 グレコ「どこへでも、人がたくさんいるところ」

そう、これがコロナウィルス時代によって彼女が悲しんでいる最大のことなのだ。人と人とのコンタクトが禁止される時代が来るとは...。「接吻しあえない、抱擁しあえない、なんて残酷なことなの」
 今やグレコにとって食事することは試練になった。食欲は戻ってこない。「死ぬことは怖いですか?」―「おお、ノン」
「あなたは怖いものなど何もありませんね」―「ああ、シ。とても怖いものがあるわ。」―「何ですか?」 ― 「人に好かれないこと、これは私がとても小さな時から怖かったことなの。今も続いているわ。」

      (テレラマ 2020年7月15日号 p24
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(↓)2013年、アルバム『ジュリエット・グレコ、ブレルを歌う』から "J'arrive"

2020年7月14日火曜日

To be near you, to be free

"Eté 85"
『85年夏』


2020年フランス映画
監督:フランソワ・オゾン
主演:フェリックス・ルフェーヴル(アレックス)、バンジャマン・ヴォワザン(ダヴィッド)、フィリピンヌ・ヴェルジュ(ケイト)
音楽:ジャン=ブノワ・ダンケル
フランスでの公開:2020年7月14日


ギリスの児童作家エイダン・チェンバーズ(1934〜 )の青春小説『おれの墓で踊れ』("Dance on my grave") (1982年刊)をフランソワ・オゾンが最初に読んだのが1985年の夏、オゾンは17歳だった。これを原作にして映画を撮りたいと思ったのは、その時かもしれないが、それはフランソワ・オゾンの最初の映画にはならず、17作目の映画になった。
 お立ち会い、これは青春小説をもとにした青春(ゲイ)映画ですぞ。きれいな16歳の少年(アレックス)ときれいな18歳の少年(ダヴィッド)のひと夏の愛。もう、これだけでアップアップなんですが、しかたない、美しいものは美しい。それはね、あなただって知っているでしょう、16 - 18歳の頃、すべてとは言わないけれど、いろんなものが美しかったじゃないですか。
 舞台は断崖絶壁のあるノルマンディー海岸のリゾート海浜(多分フェカン)、時は夏、85年、ミッテラン大統領の4年目(恩寵の時代が終わり、86年には"コアビタチシオン=保革連立”が待っている)、まだ”大学”がエリートとみなされ、地方のリセの子は職につくか学業を続けるか迷うご時世。16歳のアレクシ(都会っぽく"アレックス"と呼ばれたい文学少年、演フェリックス・ルフェーヴル)は、早く職を見つけろと強権的な旧時代の父親(演ローラン・フェルナンデス。ルチアノ・パヴァロッチと極似)を持ち、それに従うが息子の好きな道に向かわせたい母親(演イザベル・ナンティ、ちょっと老けすぎの感)は、将来のことなど知らないが、今を生きたいナイーヴで繊細なキャラ。これに注目しているのがリセのフランス語/文学の教師ルフェーヴル(演メルヴィル・プーポー、かつての美少年も今や頭のてっぺんの毛がうすいのをそのまま映されてる)で、アレックスの文学的志向性("死”に関する偏執的興味)を見抜いて、大学の文学部に進むよう強く勧めている。母親はそうなってくれればと思っているが、まだ父親の権力が強かった田舎のフランス、文学部に行くのが何の役に立つのか、金になるのか、とネガティヴな意見の父親。お立ち会い、私はこれの十年以上前の世代だが、”文学部”に入るということが、その親たちにとってどれだけ無価値なことであったか、私もどれだけ言われたか.... それはそれ。
 その背が小さく青っぽいアレックスが、友だちから借りたディンギー・ヨットでひとりで沖に出て、突然やってきた悪天候でパニックになり、小舟は転覆、自分の溺れ死にそうになる。そこに現れたもう一艘の(モーターつき)ディンギー・ヨット「カリプソ号」、美しく長身の18歳青年ダヴィッド(演バンジャマン・ヴォワザン)がこの窮状を英雄的に助けて、陸までアレックスと借りものディンギーを曳航してくれる。
 びしょびしょに濡れ、体の芯まで冷えきったアレックスをダヴィッドは自宅まで連れていき、未亡人の母親(演:ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ)の手厚い看護(風呂場で全部脱がされチンチンまで観察される)と命の恩人ダヴィッドの兄貴気質(かたぎ)の心配りに、アレックスは運命的な出会いを感じる。近年に父親を失い、母親とこの町でマリン・スポーツ用具店を切り盛りするために学業をやめたダヴィッドはアレックスと同じように文学的な素養があったということが、映画後半の教師ルフェーヴルの証言でわかる。
 アレックスとダヴィッドは波長が完璧に合い、毎日行動を共にする(ダヴィッドの母親の店でバイトするようになる)につれて、それは恋に変わる。オートバイ、遊園地、町の若者たちとの喧嘩、乱闘、傷だらけになった二人はそのお互いの傷を脱脂綿でアルコール消毒しあうのだよ。初めての接吻、初めての一夜。アレックスは有頂天。その夜、ダヴィッドはアレックスに盟約を立てるよう嘆願する。それはどちらか先に死んだら、残された者は必ずその死者の墓の上で踊ること。Dance on my grave. それがどんな意味なのかもわからず、アレックスはダヴィッドにそれを約束する。その死がその夏のうちにやってくるとは知らず。
 ディスコのシーンで若者たちが踊り狂っている時の音楽はムーヴィー・ミュージック"Star de la pub"(ただしこれは82年のヒット)。そして1980年の世界的ヒット映画『ラ・ブーム』(クロード・ピノトー監督、13歳のソフィー・マルソー主演)からのパクリ(フランソワ・オゾン自身が認めている)で、アップテンポのディスコダンスのさなか、ダヴィッドがアレックスのカセット・ウォークマンのヘッドフォンをつけさせ、アレックスだけがスロー・バラードを聴いて夢心地になってしまう。そのスロー・バラード曲とはロッド・スチュアート「セイリング」。これが約束通りアレックスがダヴィッドの墓の上で踊るための曲になるのだが。
 そのアレックスの幸福の頂点で、ギリシャ神話のように現れる突然の運命的邪魔者、それが21歳のイギリス人女学生ケイト(演フィリピンヌ・ヴェルジュ、この人ベルギー人)で、アレックスの面前でダヴィッドがケイトを露骨に誘惑し...。

 前作『幸運にして(Grâce à Dieu)』(2019年)は現実の事件であったカトリック教会 内におけるペドフィリー事件を題材にした、きわめて重い社会派映画だったのに対して、この映画は軽い、軽い。80年代という"最後の”能天気な時代を背景にした、美しくも文学的でもある愛と死の映画。美しいノルマンディー、絵に描いたような青春、きれいなアレックス、きれいなダヴィッド。ああ、一度は思いっきりこんな映画撮ってみたかった、という正直なフランソワ・オゾン52歳。アイアム・セイリング、アイアム・セイリング....。だが、二度とこんな映画撮ったらいかんよ、許すから。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『85年夏』予告編


(↓)ロッド・スチュアート「セイリング」(1975年)To be near you, to be free.


(↓)ジャン=ブノワ・ダンケル(ex AIR) "Eté 85" サントラ

2020年7月10日金曜日

クロ・ペの太陽

クロ・ペルガグ『7つの苦悩の聖母』
Klô Pelgag "Notre-Dame-Des-Sept-Douleurs"

2020年3月、クロ・ペルガグは30歳になった。この女性では、それがどうした、と一蹴されるようなことだろう。私がこのアーチストを追いかけ始めたのは、ケベックで『怪物たちの錬金術(Alchimie des monstres)』が出た頃(2013年9月)なので、もう長いつきあいになる。初めて会った時は23歳か。奇想天外なステージング、メロディーと和声のグルグル巻きのような凝った曲構成、怪物や病気や死がほぼコミカルに詞に挟み込む独特の黒いユーモア... クロ・ペルガグの奇天烈でシュールなポップ・ミュージックは2枚のアルバムを通じて7年間続いたのち、大変調をきたす。変調・乱調こそクロ・ペルガグの真骨頂と人は言うかもしれないし、自分でもそう思っていたかもしれないが、2018年から19年、クロ・ペルガグは心身共に大危機に襲われ、そのデプレッションの大波はなかなか消えてくれない。
 このアルバム『7つの苦悩の聖母』は、その長い危機から抜け出した”生還”の報告であり、抜け出すまでのドラマを証言するようなドラマツルギーが採られている。クロ・ペルガグは遠くまで行って(死の淵まで行って)還ってきた。
 それを直接的にシンボライズしたのが「7つの苦悩の聖母 Notre-Dame-des-Sept-Douleurs」という実在する地名であった。ブックレットの解説(La genèse  = アルバムのインスピレーション→創作過程)によると、クロエ・ペルティエ=ガニャンが生まれ育ったサン・タンヌ・デ・モン(Sainte-Anne-des-Monts ケベック、ガスペジー半島地方)からリヴィエール=ウェル(Rivière-Ouelle)に至る街道の途中、幼いクロエが車中から見た地名表示看板であった。この街道をクロエを乗せた一家の車が通る度に、この地名に恐れ慄き、7つの痛苦の試練に殉じた聖母を想い、心を暗くしていた。
この標識を見るたびに、私は目をそらし、恐怖に震えていた。この名前は私を戦慄させた。私は哀願の声を上がる家々、通りには猫一匹おらず、きしむ音を立てるロッキングチェアーが村を逃げた人々の追想にゆれている、そんな死にゆく村を想像していた。(ブックレット"La genèse"より)

 それから幾星霜、大人になり、クロ・ペルガグとなった彼女は、2枚女のアルバムのツアーの後、超過労、出産、破局、死別、発病、籠り... の長〜い暗黒の日々を体験する。それから少しだけ頭が上げられそうになった頃、2019年夏、クロ・ペルガグは長年に渡って恐怖の地とばかり思い描いていたノートル・ダム・デ・セット・ドゥールール(7つの苦悩の聖母)に、生まれて初めて足を踏み入れるのである。こはいかに!それはなんと島であった。彼女は渡し舟に乗り、この細長い島へやってきた。そこは楽園のような村であり、人口わずかに35人、コンビニもガソリンスタンドもないが、木々と花々と灯台があり、木造の家々はさまざまな色で彩られ、料理に出てくる魚の身はバラ色をしている...。この村(島)をゆっくりと横断していくうちに、子供の悪夢は消え、楽園の魅力に心奪われていく...。
 これがこのアルバムのテーマであり、地獄からの脱出は、ほんの少し足を伸ばしたところにあった、という魂の記憶である。セラピーの記録としての音楽。12曲のアルバムは言葉のないインストルメンタル曲「ノートル・ダム・デ・セット・ドゥールール(7つの苦悩の聖母)」に始まり、インストルメンタル曲「ノートル・ダム・デ・セット・ドゥールール(7つの苦悩の聖母)II」に終わる。その間に、マドンナ(聖母)たるクロ・ペルガグの"7つの苦悩"ならぬ10曲の受難脱出をものがたるシリアスでまっすぐな楽曲が収められている。クロ・ペルガグ一流のユーモアやギャグは影をひそめている。救いや光は少しずつ見えてくる。サイケデリックでシンフォニックで求道的な音楽なのである。

7曲め「太陽」は自分の分身として死んだ少女(つまり自分)について、ゲーテが「もっと光を」と死んだように、「太陽を」と叫んだ少女を歌っている。
おまえのことはよく覚えている
おまえとわたしは声を出さずに語り合った

おまえは眠りに落ちる前に「太陽を!」と叫んだ

わたしたちは二人とも7歳だった
黄色く熱っぽい部屋の中で
わたしたちは大きくなることを夢見ていた

おまえの両親が泣いているのを見た
おまえを窒息させるほど強く抱きしめていた

おまえは気を失う前に「太陽を!」と叫んでいた
わたしはおまえが目覚めるのを待っていた、おまえに言いたかった....

昨夜おまえの夢を見た
おまえは果実の中に糖分を探していた

写真に映っているように
おまえは長い髪で、それはブロンドだった
それから...

おまえは旅立つ前「太陽を!」と叫んでいた
おまえは死ぬ前に「太陽を!」と叫んだかい?

分身は太陽を求めて(ランボー的)死に、「わたし」はたぶん今、光に包まれているのだろう。痛みのある祓いの歌のように聞こえる。
私たちは少しだけ難しい顔をして、クロ・ペルガグの生還を祝福しよう。そして数ヶ月後か数年後か、私たちが「コロナ期」を終えて生還を祝うときに、長かった苦難をクロ・ペルガグのこのアルバムで回想することになるかもしれない、そんな気がする。

<<< トラックリスト >>>
1. Notre-Dame-des-Sept-Douleurs
2. Rémora
3. Umami
4. J'airai les cheveux longs
5. A l'ombre des cyprès
6. La fonte
7. Soleil
8. Für Elise
9. Mélamine
10. Où vas-tu quand tu dors ?
12.Notre-Dame-des-Sept-Douleurs II

Klô Pelgag "Notre-Dame-des-Sept-Douleurs"
Secret City Records CD/LP/Digital  SCR098
フランスでのリリース  : 2020年6月26日

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)クロ・ペルガグ『7つの苦悩の聖母』La Genèse (創作のなりたち)

(↓)クロ・ペルガグ『7つの苦悩の聖母』全曲

2020年7月9日木曜日

Noir c'est noir (Black is Black)

"Tout Simplement Noir"
『至極単純に黒』

2020年フランス映画
監督;ジャン=パスカル・ザディ&ジョン・ワックス
主演;ジャン=パスカル・ザディ、ファリー
フランスでの公開:2020年7月8日

SNS上ではやや知られているが、本業の俳優業では全く売れていない38歳のジャン=パスカルが、怒れる黒人闘士として奮起、現在のフランスの黒人たちが置かれている境遇に抗議するために、パリで大規模デモ行進を行うことを呼びかける。そのために、黒人の有名人たちに賛同してもらって、彼らに呼びかけによって運動を盛り上げてくれることを期待して、さまざまな有名人に会いに行き、その一部始終をドキュメンタリー映画として撮影していく。(あ、そういう設定であるが映画はドキュメンタリーではなく全部フィクション)。ジャン=パスカルの意図は黒人の黒人による黒人のための運動にしたいのだが、フランス在の黒人たちは肌の黒さの程度もいろいろ、バックグラウンドも違いもいろいろで、アフリカから連れてこられ奴隷として虐げられた人々の後裔のスタンダードなアイデンティティーなど見つけられない。映画は黒人とは何か、という問いを何度も聞き返すのだが。一番の協力者になるのが、ファリーFary 実名)という超売れっ子(スタッド・ド・フランスでショーが打てる)スタンドアップ芸人で、カボ・ヴェルデ系、自身も映画監督もやっていて「ブラック・ラヴ」と題する初の黒人ゲイ映画“のプロモ中。このファリー(この映画上では準主役であったというのが最後にわかる)が彼のセレブリティーを生かしてジャン=パスカルのために一肌も二肌も脱ぎ、人脈や資金も援助するのだが、なかなか功は奏さない。実名出演の黒人”有名人たち(フランスにいない人たちにこれを説明するの難しいよね。この映画が例えば日本とか外国で上映が難しいのはこの点だと思う)はそのパブリック・イメージそのままに、このジャン=パスカルの企画に賛同すると言いながらいろいろ難癖をつけて、結局協力に至らない。第一の問題は、ジャン=パスカルは「黒人だけ」でやりたいという頑なな意志があること。例えばその呼びかけに乗ってラムジー・ベディア(コミックコンビエリック&ラムジー“のひとり。アラブ系)とジョナタン・コーエン(俳優、ユダヤ系)が、黒人だけじゃなくて、差別を受ける民としてアラブとユダヤも連帯するぞ、と協力を提案するのだが、ジャン=パスカルは「アラブとユダヤは都合のいい時だけ兄弟顔”をする」と言ってしまうのですよ。元フットボールフランス代表(2006W杯)で作家/俳優/映画監督もやっているヴィカシュ・ドラソ(モーリシャス島系、その先祖はインド系)には、肌の色は黒いが、髪の毛が縮れていないから、われわれの黒人ではない、と。
フランス国内(本土内)でのアンチル(マルチニック、グアドループ、ギュイアンヌ)系とアフリカ系の反目関係を絵に描いたように、ジャン=パスカルの目の前で始まってしまうリュシアン・ジャン=バチスト(マルチニック系映画監督、俳優)とファブリス・エブエ(カメルーン系コミック芸人、映画監督、俳優)の大喧嘩、お互いの映画を口汚く酷評し、取っ組み合いになり、しまいにはジャン=バチストが(先祖伝来の)蛮刀を持ってエブエを追いかけてくる。このシーンなどは、映画人3人寄っての自虐ネタ“(autodérision)が見事に成功している例。ほかに有名映画人では、実名出演のマチュー・カソヴィッツ(「俺は『憎しみ』の監督だぞ、知ってるんだろうな」というセリフあり)が、次の映画のキャスティングでアフリカ系黒人俳優を探していて、それに応募したジャン=パスカルに向かって「俺はアフリカ人を探しているんだ!これは郊外人”じゃないか!」と怒るシーンあり。傑作なのはカソヴィッツがそのアフリカ俳優のアフリカっぽさを測るために、ジャン=パスカルの鼻穴の大きさをゲージで計測するのですよ。
そういう有名“黒人”たち:ジョーイ・スタールNTM)、リリアン・チュラム(フットボール1998年フランス代表=優勝)、ソプラノ(ラップ)、エリック・ジュドール(エリック&ラムジー、映画監督)、クローディア・タグボ(スタンドアップ芸人)... が次々に登場するのだが、フランスの黒人セレブリティーの別格中の別格はオマール・スィ(国際映画俳優、2016年にJDD紙「フランス人の好きなパーソナリティー」投票第1位、2019年第2位)である。映画の最初から多くの人がジャン=パスカルにオマール・スィに協力を求めればと進言するのだが、ジャン=パスカルは、ああいう成り上がりハリウッドスターは虫が好かない、と敬遠している。映画はさまざまな有名人接触の末、黒人同士の内部対立で運動がいまひとつもふたつも盛り上がらない終盤で、ファリーの根回しで、そのオマール・スィとの遭遇が実現する。超高級自家用車を運転するオマール・スィがジャン=カスカルを助手席に乗せ、ジャン=パスカルの運動に賛同するから、と言い、自分ができることは限られているが、国連やその他国際的NGOを通して俺はアフリカのためにあんなことこんなことを支援している、と言うのだよ。それはジャン=パスカルが最初に生理的に嫌悪していた、いけすかない、偽善的大スターの姿そのものであり(オマール・スィもよくこんな役どころ引き受けた!えらい!)、ジャン=パスカルは車の中でいたたまれなくなり、オマールに車を止めて俺を降ろしてくれ、と。
車を降りて、ひとりとぼとぼ歩道を歩きながら、この嘔吐のようなむせあがる嫌悪感を抑えきれず、ジャン=パスカルは空に向かって、呻き声、叫び声を、二度、三度、四度...。するとたまたま通りかかった警察の巡視パトカーから、警官が三人四人と降り、ジャン=パスカルを取り囲み、何でもない何もしていないと抗弁するジャン=パスカルを倒し、地面に押さえ込み膝で後ろ首を固定する(2020525ジョージ・フロイド事件と同じ構図。だが、この映画の撮影制作は事件のずっと前)。
コミック映画として、フランスの黒人同士が細かいことでいろいろ歪みあって結局大同的に団結などできないことを戯画的茶化しで描きながら、終盤に来て、現実は何も理由もないことで黒人が警察暴力の標的になっているという事実“を見せつける。
ただ単に黒いというだけで(Tout simplement noir)。

“ブラックBlack”と言わずに、どうして単純に黒(ノワール)”と言えないのか(Tout simplement noir)。単純に黒いということ(Tout simplement noir)だけで、みんな連帯して怒れないか。
 大笑いの末に、2020年的(Black Lives Matter的)フランスの黒人の今を活写する映画になっている。
 エンディングはすごくいいので、ここでは紹介しません。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)"TOUT SIMPLEMENT NOIR"予告編


(↓)ジョニー・アリディ「ノワール・セ・ノワール」(1966年)