2026年4月29日水曜日

華麗なるアンドレ・ポップの世界 その4:透明人間キエラ

André Popp et son orchestre "L'homme invisible"
アンドレ・ポップと彼の楽団「透明人間」

1964年EPシングル(Vogue)

作詞:ピエール・クール
作編曲:アンドレ・ポップ


さかと思っているのでしょうが。”透明人間”とは「フィクションに登場する、肉体が透明で、姿を見ることができない人間のこと。一見似ている幽霊やゴーストとは多くの場合全く別の存在である」と日本語ウィキで定義されている。英語は"Invisible man" 、フランス語は"Homme invisible" 、厳密には”不可視人間”であり透明ではない。

 アンドレ・ポップ(1924 - 2016 )の下積みは1945年パリのピアノバーのピアニストから始まる。ポップの4歳年下のセルジュ・ゲンズブール(1928 - 1991)も1954年からピアノバーのピアニストとして小銭を稼ぎ始めている。時期は違うがこの両者を同じようにピアノバーの暗がりからレコード界に引っ張り上げたのが(ピアフ、ブラッサンス、ブレル、ボリズ・ヴィアンなどの発掘者だった)ジャック・カネティ(1909 - 1997)であった。カネティは1947年パリ9区ピガール地区にレ・トロワ・ボーデというホールを開業していて、レコード会社ポリドール(フィリップス)のディレクターでもあったカネティが、このホールを新人登竜門として、ここで頭角を現した歌手/ミュージシャンをレコードデビューさせてきた。ゲンズブールがレ・トロワ・ボーデで「リラの門の切符切り」を歌うようになったのが1957年のこと。ポップがレ・トロワ・ボーデに雇われたのはそれより10年も前のことで、このホールの出し物で人気の高かった(不条理漫談コンビ)ピエール・ダックとフランシス・ブランシュのコミックショーの伴奏ピアニストとしてだった。ここ大切。アンドレ・ポップにとってユーモアと不条理はそのアートの不可欠な重大要素となるのだが、それは持って生まれたものであることは間違いないにしても、この下積み時代に培われた部分もかなりありそう。1950年代のその道の旗手的な存在だったボリズ・ヴィアン(1920 - 1959)とその周辺にいたその道のアーチストたち(レ・フレール・ジャック、アンリ・サルヴァドール...)とも交流/共作/共演があったのも影響しているはず。1957年にジュリエット・グレコが録音した「ミュジック・メカニーク(機械音楽)」はヴィアン作詞/ポップ作編曲のちょっと奇怪なユーモアが利いた佳曲。また1955年にレ・フレール・ジャックが録音した「ラ・パンデュール(ふりこ時計)」は、『地下鉄のザジ』などの実験的ユーモア小説で知られるレイモン・クノーの作詞/ポップ作編曲で、ちょっとハイブローなヒネリとズレが。
 年代的に前後するが、ピアノバー→劇場ピアニストの次にポップはラウール・ブルトン(シャルル・トレネとシャルル・アズナヴールの音楽エディター)の紹介で1949年に公共放送公社RTF (Radiodiffution-télévision française)の放送番組制作工房の”Club d'essai"(座長は詩人・”不条理演劇”劇作家のジャン・タルデュー)で音楽担当者として仕事するようになる。かなり実験的なラジオドラマ制作アトリエだったろう。この"Club d'essai"の前身が"Studio d'essai"という名の工房で、座長がピエール・シェフェール(電子音楽/ミュージック・コンクレートの創始者)だったことから、この”Club d'essai"でもポップはかなり前衛的で実験的な音が創れる環境だったことは間違いないだろう。当時ポップが最も敬愛していた音楽家がフランス現代音楽の祖オリヴィエ・メシアン(1908 - 1992)だったというのもポップ理解には重要なポイントである。この工房で番組テーマやバック音楽を作編曲し、出演する歌手たちの伴奏編曲指揮などを7年間、かなり多忙にこなしていた。テルミンオンド・マルトノ、磁気テープなどもここで使いこなせるようになった。
 このラジオ(と初期テレビ)での数々の作編曲に注目し高く評価したジャック・カネティが、そのレコード会社フィリップスの専属楽団編曲指揮者に、さらに”軽音楽”楽団としてレコードデビューさせたのであった。1955年「アンドレ・ポップとその楽団 André Popp et son grand orchestre」は4曲入り45回転シングル盤”ANDRE POPP JOUE ANDRE POPP"(アンドレ・ポップ プレイズ アンドレ・ポップ)というデビュー盤は、その名に反して4曲のうちアンドレ・ポップ作曲の曲は1曲("Mon Coeur Attend")のみであった。オンド・マルトノがフィーチャーされたセンチメンタルな”ムード音楽”、さすが。

 それ以降ポップは幾多の”軽音楽オケ”のレコードを録音することになるが、かなり好き勝手やってるのですよ。折り目正しく流麗な音色が売りの諸楽団(フランク・プールセル、パーシー・フェイス、マントヴァーニ...)とはかなり違う。不思議な楽器が混入したり、曲が不協和音でねじれたり、スパイク・ジョーンズ流の冗談音楽になったりして、ユーモアと不条理と前衛が時々顔を出してしまう。この辺はまたこの『華麗なるアンドレ・ポップの世界』の次回以降の記事で触れていきましょう。

 さて本題の「透明人間」の4曲入りシングル盤は1964年に発表された。一種のゴージャスなお笑い音楽シングルと言えよう。一応”ダンス音楽”利用を見越して、各曲の指定ダンス名が記されていて、1曲め”Chasseurs Sachez Danser"はハリー・ガリー(Hully Gully)、2曲め "Military Dance"はボレロ・サーフ(Bolero Surf、こんなダンスあるんかいな?)、3曲め "Embouteillages"はサーフ(Surf)、4曲め"L'homme invisible"はスロー(Slow)となっているが、かなり無理すじ。
 "Chasseurs Sachez Danser(シャスール・サシェ・ダンセ=狩人たちよ、ダンスを覚えなさい)"は、フランスの子供たちが覚える有名な早口言葉のひとつ
Un chasseur sachant chasser doit savoir chasser sans son chien.
アン・シャスール・サシャン・シャセ・ドワ・サヴォワール・シャセ・サン・ソン・シアン。(訳:狩りを知る狩人ならば犬なしでも狩れるはずだ)
のもじり。3度読んでみてください。狩猟ホルンのアンサンブルと銃声と狩猟犬の吠え声と複数の狩人のやり取りを大胆にフィーチャーした狩猟情景音楽。最後に間違って自分の狩猟犬を撃ってしまうというオチ。犬かわいそう。
 
   "Military Dance"は喜劇映画風おとぼけ軍隊マーチであるが、この年1964年に大ヒットした映画『サン・トロペの憲兵隊(日本題:大混戦)』(ジャン・ジロー監督、ルイ・ド・フュネス主演)の音楽を担当した僚友レイモン・ルフェーヴル(仏イージーリスニング四天王のひとり)作曲の「憲兵隊のマーチ」(サントラ大ヒット)のもじりなのかもしれない。


   "Embouteillages"(交通渋滞)は、ジャック・タチ映画を数倍速度アップさせたようなモータートラフィックムーヴメント描写音楽。ブラス隊とオルガンの絡みがたまらない。シンプソンズのテーマに似ているようにも。


 さていよいよ「透明人間 l'homme invisible」である。これは上に書いたように、下積み時代に国営ラジオでラジオドラマを制作していた経験が大きくものを言っている。これはりっぱな短編ラジオドラマである。なおこの曲に作詞者としてクレジットされているのが、ピエール・クール(1916 - 1995)。1960年、ピエール・クール作詞/アンドレ・ポップ作曲のコンビは「トム・ピリビ」(ジャクリーヌ・ボワイエ歌)でユーロヴィジョン・コンテストで優勝し、日本でもかなり親しまれる歌になったが、それよりも何よりも、この「透明人間」の3年後の1967年、「恋はみずいろ L'amour est bleu」という地球規模メガヒット曲を放つのである。では、そのピエール・クールがこの「透明人間」でどんな作詞(?)をしたか?まあ、超短編ラジオドラマの脚本のようなものであるが、たったこれだけなのですよ。
(女)Qui est là ?
   キエラ?
(女)Qui est là ?
   キエラ?
(女)Qui est là ?
   キエラ?
(男)L’homme invisible.
   透明人間
(女)Qu’est-ce que vous voulez ?
   何が欲しいの?
(男)You. Vous.
   ユー
(女)Non, non...
   ノン、ノン....



ハイ、怖いですね、怖いですね。オンド・マルトノの不気味な調べ、ビッグバンド・ジャジーな官能ブラスアンサンブル(ちょっとヘンリー・マンシーニ風)、声優さんの迫真の演技... これはラジオ名人芸。透明人間あらわる、あらわる。アンドレ・ポップの諧謔と不条理とドラマチックなセンスがあらわる、あらわる。文句なしに天才の仕事です。

 『華麗なるアンドレ・ポップの世界』次回を刮目して待て。

(↓)「透明人間」(1933年)I will show you who I am.

2026年4月24日金曜日

Could it be that it's just an illusion

"Juste une illusion"
『ただの幻想』

2026年フランス映画
監督:エリック・トレダノ&オリヴィエ・ナカッシュ
主演:シモン・ブーブリル、カミーユ・コタン、ルイ・ガレル、ピエール・ロタン
フランス公開:2026年4月15日


画の時代は1985年である。私はその頃CDG空港のエアカーゴ会社で働いていた。自宅から空港への通勤往復はボロい中古車だったが赤いシトロエンVisaで、カーステは盗難防止の取り外しタイプで、FMとカセットを聴いていた。81年(ミッテラン大統領誕生)にFM電波が自由化されて、夥しい数の自由FM局が誕生し音楽のチョイスが急激に増えて、非常にエキサイティングな音楽状況が垣間見られたのだが、84年に商業FMが認可されてから電波は”大手”に牛耳られるようになり...。この映画でも若者の音楽FMとして一世を風靡したNRJが、主人公の中学生ヴァンサン(演シモン・ブーブリル)の曲リクエストに寄せた意中の少女アンヌ=カリーヌ(演ジャンヌ・ラマルティーヌ)への重要(暗号)メッセージを生放送で伝えるという重要な役を。その時のリクエスト曲がアンドリュー・ゴールドの「ジュヌヴィエーヴ」だったってのが、かなり渋いと思うよ。
 音楽がふんだんに鳴る映画である。これはフランスのFMの時代の映画だと、リアルタイムに生きた私も思う。当時アラサーであった私ですらほぼFMフリークであったから、あの頃のコレージュやリセの子たちはFMドップリであったに違いない。この映画ではローティーンのヴァンサンが”ファンク好き”を自称しているが、その兄のアルノー(演アレクシ・ローゼンスティエル)がかなりマニアックな”ポスト・パンク/コールド・ウェイヴ派”(ジョイ・ディヴィジョン、キュアー...)のコレクターということになっていて、その道の通(つう)として貴重なブートレグ録音のコレクションがあり、それをカセットダビングしてコレクターに高価で売りつけている。4人家族のダヤン家(父イーヴ=演ルイ・ガレル、母サンドリーヌ=演カミーユ・コタン、息子2人ヴァンサンとアルノー)の中で、このアルノーが最も頭脳明晰・しっかり者という役どころ。
 さてダヤンという姓で(フランスでは)察しがつくのだが、この苗字は北アフリカ系セファラード(ユダヤ人)。監督のエリック・トレダノとオリヴィエ・ナカッシュの両者も同じルーツ(ただしトレダノはモロッコ系でナカッシュはアルジェリア系)を持っていて、それぞれの父親をこの映画制作の前に失っており、映画の最後のエンドロールでそれぞれの父親への献辞が流れる。60年代にフランスに渡ってきたマグレブ移民の子として70年代初頭にパリ圏で生まれた二人の十代当時の体験がこの映画のインスピレーションになっている。映画の設定では父イーヴがモロッコ系、母サンドリーヌがアルジェリア系であり、サンドリーヌが息子ヴァンサンにその「出アルジェリア記」を啄木の”石をもて追はるるごとくふるさとを出でしかなしみ消ゆる時なし”のように大袈裟にお涙頂戴調で語るシーンあり。自虐的ユダヤギャグいろいろ出てくるが、これまでのトレダノ&ナカッシュ映画でもそうだったように、まったく嫌味はない。

 この1985年の時期というのは、フランス経済史における戦後の「栄光の30年間 Trente glorieuses 」(1945年〜1975年)が終わり、経済成長が鈍化し、失業率が上昇し、さまざまな不安材料が顕在化していた。ご他聞にもれず、次男ヴァンサンには明かさないでいたが、家電メーカー管理職だった父イーヴは職を失い、毎朝会社に行くと言って家を出て、実は求職活動に四苦八苦していたのだった。
 またこの時期はいろいろなな方面で女性が進出し、女性の地位の向上が見られた。万年お茶汲み秘書の地位に甘んじていたサンドリーヌも、この状態から抜け出したくて仕方がない。自分用にデスクトップパソコン一式(IBM ! いやぁ、あの頃はデカくて重いものだったなぁ)を購入し、その知識を会得して、スーパーエグゼキュティヴウーマンに転身を図ろうとするのだが...。
 この父と母は何かにつけて口論が絶えないのであるが、その経済的な立場の違いのせいか、大体勝ち目はサンドリーヌの側にあり、どんなに抗弁しても失業者イーヴは負け犬型である。再就職の目処が立たないイーヴは、その儚い起死回生のチャンスを(旧時代的)民放ラジオRTLの金額当てゲーム「ラ・ヴァリーズ・RTL」に託し、毎日アナウンスされるその日の金額をメモし、ラジオ局から電話がかかってくるのを今か今かと待っている。ここに古いAMラジオ系大人の世代と、若いFM世代とのジェネレーションギャップという含みもあるのですね。
 ローティーンのヴァンサンにはよくわからないのである。激しく口論し、お互いの問題に打ち塞がれている(ような)父と母を見ると、この家庭は大変な問題があり、夫婦は破局の危機にあると思ってしまう。住んでいるアパルトマンは狭い。兄アルノーと共同の”子供部屋”はあるが、アルノーがオーディオ機器やレコードでほぼ占領していて、自分のスペースは無いに等しい。いつ大きなところに引っ越して自分ひとりの部屋が持てるのか?父イーヴは何年も前から近いうちにと答えているのだが、お家の事情はそれどころではない、というのがわかってくる。自分は不遇であり不幸である。なぜ自分はここにいるのか?モロッコでもアルジェリアでもなくなぜフランスにいるのか? 他の子と違ってなぜ自分だけヘブライ語を学び、(家庭出張してくる)ラビ師から教典を学ばされるのか? 自分はフランス人とは違うのか?(ちょっと飛躍して)生きていくというのはどういうことか? 死んだらどこに行くのか?... いろんなことを考える年頃なのである。若いという字は苦しい字に似てるわ。初めての実存の危機、そんな時ってあなたにもあったでしょうに。そしてそれとほぼ同じ時期にあなたにも初恋の苦しみもあったでしょうに。映画はこのヴァンサンの初恋が大きな牽引動力となって、来るべきハッピーエンドに向かうという大筋なのだが、悲喜劇的ゴチャゴチャが縦横無尽に邪魔の手を入れるというトレダノ&ナカッシュ一流のコメディー仕立てなのである。
 とりわけ意中の同級生の少女アンヌ=カリーヌの家は、立派な邸宅(hôtel particulier)で、明らかに金持ちなのだが、少女の父親(ムッシュー・デュシェネ)というのが絵に描いたような封建的家父長制の伝承者にして保守反動思想の持ち主、この1985年頃急激に伸長してきている極右排外主義(ジャン=マリー・ルペンのFN党)に同調するような発言まで出る。娘はこの父親と真逆のアンチ・レイシズム運動 SOS ラシスム(1984年発足)の支持者であり、父親への反発・反抗は日増しに激しくなっていく。出番こそ少ないが、娘と父の間に挟まれて、オロオロ心配する母マダム・デュシュネ(演アデル・ジェイル)がとてもいい味を出している(←エレーヌ・ヴァンサンを想わせるところあり)。
 さてヴァンサンとアンヌ=カリーヌで行ったクラスでの研究発表スピーチが大スキャンダル(詳細は省略する)となり、教師に双方の両親が呼び出され厳しく嗜められたことで、ムッシュー・デュシェネはヴァンサンの両親に二度と娘に近づかないように、と交際禁止を厳命する。ヴァンサンとアンヌ=カリーヌの関係は一転してロメオとジュリエットと化してしまうのだが、(映画ですから)、あの手この手で二人は密会し、その恋慕の情を高めていくのでした。
 それと並行して、イーヴの職探しの難航、ヴァンサンのわるガキ仲間たちによるポルノヴィデオ騒動、アルノーの海賊盤ビジネスの成功、サンドリーヌのエグゼキュティヴウーマンへの変身計画の苦労など、盛り沢山のエピソードが詰まって映画は進行する。トレダノ&ナカッシュ映画にはお約束となっている、みんなで踊って盛り上がって最高に幸せになれるシーン、今回は変身転職の戦いに疲れ果てたサンドリーヌが、ひとり家の掃除をしながら、その手を休め、ふっと力を抜いて、もうどうにでもなれっ!という勢いで、ポインターシスターズ「アイムソーエキサイテッド」(1982年)で踊り狂い始めるのね、これ、カミーユ・コタンが素晴らしいんだぁ、『アントゥーシャブル(最強のふたり)』(2011年)のオマール・スィのアース・ウィンド&ファイア「ブギーワンダーランド」踊りと比肩する衝撃的な迫力、文字通りエキサイテッドの化身となって乱舞するのだけど、ほんと、お見それしました。そこへまた再就職失敗で気落ちしたイーヴが帰宅してくるのだけど、イーヴが妻の乱舞を見て自然と触発されて、サンドリーヌに合わせてエキサイテッドな乱舞に加わってしまう。ルイ・ガレルも本当にうまい。ここでそれまでギクシャクしていた夫婦が、乱舞の中で和解してしまうのですよ。いやあ、これは幸せになれますよ。
 映画のクライマックスは、1985年のハイライトでもあった、6月15日、コンコルド広場に30万人を動員したSOSラシスムの(徹夜の)メガコンサート、双方の親から外出を禁止されていたヴァンサンとアンヌ=カリーヌが(上述のように)NRJで流されたアンドリュー・ゴールド「ジュヌヴィエーヴ」のメッセージに従って、雨の中で再会、そしてコンコルド広場へ、ステージではテレフォヌが"もうひとつ別の世界 Un autre monde"を演奏している、という、たまらなく憎い大団円なのであった。

 トレダノ&ナカッシュ監督の9本目の長編映画。ちょっと冴えなかった前作『Une année difficle 苦しい一年』(2023年)から3年後。北アフリカ系ユダヤ移民の子として1980年代に少年時代を生きた両監督の記憶を投影する自伝的傾向を含んだフィクション映画。私にはノスタルジックで泣けるシーンも多かった。過去のミラージュのようだった。このタイトルが端的に喚起しているように、これはただの幻想 just an illusion だったのかな。私には確かだった過去のように思っているのだけれど(私はその過去をずっと引きずっているし)。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『ただの幻想 Juste une illusion 』予告編



(↓)ほぼ映画主題歌 イマジネーション「ジャスト・アン・イリュージョン」(1981年)


(↓)泣かせる挿入曲 アンドリュー・ゴールド「ジュヌヴィエーヴ」(1978年)

2026年4月19日日曜日

Love kills

”Romería"
『ロメリア』

2025年スペイン映画
監督:カルラ・シモン
主演:リュシア・ガルシア、ミッチ、トリスタン・ウリョア
フランス公開:2026年4月8日


ペインのことは私はよく知らない。1976年夏、私は初めて土を踏んだフランスのノルマンディーの地で、カーン大学夏季講座にスペイン/バレンシアから来ていた3人の娘と知り合いになった。私はちょっとした文学小僧だったので、彼女たちとロルカの詩について話したりしたのだけど、フランコ独裁下のスペインでロルカは禁書だったそうだ。その前年の1975年11月にフランコが死に、スペインの人々は急激に自由を回復させていくのだが、今思えば、あの時の彼女たちはその輝かしい高揚期にいたのだろうな。奇しくもその夏カーンの映画館(満員だった)でカルロス・サウラ監督の『カラスの飼育(Cria Cuervos)』(1976年カンヌ映画祭審査員特別賞)を観たのも強烈な印象が残っているが、ポスト・フランコ映画の始まりだったのだろう。
 『ロメリア』は1980年代のポスト・フランコ期の激烈な自由化のダークサイドと言うべきドラッグ禍、それに続くエイズ禍が背景にある映画である。映画の現在は2004年、場所はスペインの大西洋岸ガリシアの港町ビーゴ、18歳の学生マリナ(演リュシア・ガルシア)は初めてこの地を訪れる。スペインの地中海側カタロニア(おそらくバルセロナ)で大学の映画科に進もうとしているマリナは、その奨学金を申請する書類に親権者の一筆が必要となる。乳児の時に両親をエイズで失い、里親に育てられて今日に至るが、件の書類の必要に迫られ、ガリシアに居る父方の親族に(初めて)会いに来たという次第。映画科志望の学生らしくハンドヴィデオカメラで撮影しながらこの旅は進行する。そのヴィデオカメラ映像が時折映画に挿入されるのだが、その手ブレで震える映像が、この娘の自分探し映画を形成していくという含みもある。つまりひとつの映画を誕生させる映画でもあるような。
 映画題「ロメリア」とは”巡礼”という意味。自分には全く記憶のない父母のゆかりの地であり、母(ネウスという名)はここで自分を身籠り、自分を産んだ。そのルーツ探しの巡礼の旅というわけである。マリナの手元には母ネウスが記した1983年からの日記がある。それはネウスが初めてガリシアの港町を訪れた時に始まり、この町に一目惚れして、この町に住むことを決めた瞬間であった。その母のこの地を愛した直感と同じエモーションをマリナは感じる。
 父方の実家は言わば土地の名門であり、大きな館と大きな船を持ち、子沢山大家族で、当主(マリナの祖父)の誕生日のような機会には数十人の親族が集まる。初めて訪れたマリナはこの大家族に概ね歓迎されるのだが、祖母だけは冷ややかである。叔父叔母にあたる人々が口々に言うのはマリナがネウスの生き写しのようにそっくりだと。そして小さな頃から里親から聞かされていた父母の話とはいろいろと食い違い(とりわけ父の死んだ年が3年違う)が露呈していく。この家の総領息子となるはずだったアルフォンソ(マリナの父)とその伴侶だったネウスのことは、この家ではタブーとまでは言わないが、ある種避けたい話題ではあった。当主の館の中には二人の映った写真はいくつか飾られていて、マリナは見知らぬ父と母の姿に出会う...。
 マリナと同世代のいとこでヌーノと名乗る若者(演ミッチ)にマリナは波長の一致を感じ、気になる存在になる。ヌーノとそのダチたちに付き合ってマリナはビーゴの夜の街に繰り出すようになるが、若者たちがアルコールやタバコやマリワナなどをマリナに勧めるのをマリナは頑なに断る(←これは話が進むにつれて重要な意味があることをわかってくる)。
 祖父の館での大誕生会のさなか、祖父はマリナに学費に使ってくれと厚い札束の入った封筒を手渡す。奨学金の必要書類のためにここまで来たのだが、祖父はこれでもうそれは必要ないだろう、と。マリナは一旦この封筒を受け取るのだが、日本式に考えると”手切金”を渡されたような自尊心の傷つきを覚える。たぶん母ナウスはこの一族に受け入れられていない。ヌーノの助けを借りてマリナは夜中に館に忍び込み、封筒をおいていく。その夜はビーゴの伝統的な(海で死んだ船乗りたちを鎮魂するお盆のような)祭りの夜で、若者たちはドラッグをキメて踊り興じている。ヌーノたちのグループにも合成ドラッグの錠剤が回されてきて、マリナは例によって拒むのだけど(私にはこのシーンよく見えなかったのだが)、拒んだ錠剤がコロコロ落ちてどこかに消え、そこに1匹の猫が現れる。マリナはこの猫に呼ばれていると直感し、猫を追いかけていく。ここからが映画のマジック。猫に誘われるまま、港に繋がれた小舟に乗り込み、小舟を漕いで沖まで、そして対岸の小島の岸まで、そして岸に建つ白い高層高級ホテルに近づいていくと、屋上から縄梯子が降りてくる。マリナはそれを登って屋上まで辿り着くと、そこには猫と20年前のアルフォンソ(ヌーノを演じたミッチによる二役)とナウス(マリナを演じたリュシア・ガルシアによる二役)がいる...。
 そこから母ナウスが日記に書いてあったことの実写再現のような映画内映画になる。ナウスとアルフォンソは激烈に愛し合っていた。二人はこの小島に楽園を見ていた。その夢はヘロインによって増幅され、二人はその夢の中で音楽家・詩人・踊り手・造形作家・泳ぎ手・探検家など無限の夢追い人となっていた。この”楽園”描写はこの映画のハイライトだと見た。幸福なジャンキーを一生続けたいと思っていた。そう思っていた若者たちは少なくなかった。金持ちのボンであったアルフォンソにはそれはある程度可能なことであった。だが周りを見たら、すでにオーバードーズやエイズで命を落とす者の数は急速に増えていったのである...。
 1987年に死んだと里親から聞かされていたアルフォンソは実は1992年までこの館に匿われて死んだと知らされた。最後までジャンキーだったとも。この総領息子は名門家の恥ずべき秘密となっていったのだろう。しかしアルフォンソとナウスは愛し合い、愛を知り、夢を見たゆえに死んだ。Love kills

 マリナのルーツ探しの巡礼の旅は、こうして映画の誕生劇/映画作家の誕生劇として収束していくことになる。
 映画の冒頭で母ナウスが日記でこのガリシアの海と港に魅せられるくだりが読まれるのだが、同じセンセーションを抱いたマリナであり、この夏のガリシアの風景は多くを語っている。マリナの滞在場所として一族の持つ古く大きなヨット船の船室を与えられる。この船で洋上に停泊して、いとこたちと一緒に海で泳ぐシーンあり。大西洋を知らないマリナに「カタロニアの(地中海の)生ぬるい海水に慣れていると、ガリシアの海は凍るほど冷たいぞ」と脅かし冷やかす声あり。大丈夫よ、とドボンと海に飛び込んだマリナ、確かに信じられないほど冷たい。これが大人になること、知らない世界に飛び込むこと、見えなかった自分のバックボーンを発見すること... さまざまな未体験へのプロローグだったのだね。
 私は80年代の生き残りではないが、ジャンキーもエイズで死んだ人も周りにはいた。だが、楽園願望は私も多くの友人たちも共通して持っていたような時代だったようには思う。スペインの沖の島々にはそういうストーリーがいっぱいあったはずだし。美談化してはいけないものではあるが。女優リュシア・ガルシア、監督カルラ・シモン、素晴らしい、注目し続けなければ。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『ロメリア』予告編