2026年5月28日木曜日

少年少女探偵団 ヴァカンス大作戦

Fabcaro "Les cinq ami·e·s l’échappent belle in extremis"
ファブカロ『5友団・危機一髪』

BD作家、小説家、脚本家、作詞作曲家、ロック・ミュージシャン.... などの肩書きを持つファブリス・カロ(時に略してファブカロ)の最新刊。近年はフレンチコミックの大古典『アステリックス』の第40巻「白いアイリス L'Iris Blanc」(2023年 150万部!)と第41巻「ルシタニアのアステリックス Astérix en Lusitanie」(2025年 200万部!)のシナリオも担当していて、オールラウンドで稼ぎ回っている観あり。

 この新作はイギリスの児童冒険小説シリーズ『ザ・フェイマス・ファイヴ The Famous Five』(イーニッド・ブライトン作、1942年から1963年まで21巻刊行された)のパロディーであり、より正確にはそのフランス語訳版『Club des cinq(クリュブ・デ・サンク = 5人クラブ)』(1955年から1967年まで、アシェット社のピンク色の背表紙の児童文学文庫 Bibliothèque roseで刊行された)のパロディーであり、このファブカロ本の背表紙もピンク色である。
 このパロディー元の主人公「5人」というのは実際には5人ではなく、少年2人と少女2人と一匹の犬であり、このメンバー構成はファブカロのパロディーでも踏襲されている。ー あ、これはパロディー元原題の「ファイヴ」も「サンク」も「人間5人」と限定している訳ではなく、単に数詞の「5」なので、人間x4 + 犬x1でも「5」で合っているわけだな。日本語訳として「5人」とする方が間違いなんだな。日本語が罠にはまったんだな。ごめんなさい ー そのメンバーとは
🖤 ギャランス ー 12歳の少女、青い目とブロンド髪のやんちゃでイタズラ好き。
♠️ ナタナエル ー ギャランスの兄で13歳、スポーツならば誰にも負けない活発な少年、5人組のリーダー格。
♦︎ アポリーヌ ー ブルターニュに住むギャランスとナタネエルのいとこ、ギャランスと同い年でブロンド髪、同じようにやんちゃでイタズラ好き。
♣️ ブルーノ ー 小さい頃両親を交通事故で失い、傷つきやすく繊細で泣き虫の13歳の少年、血縁あるアポリーヌの両親に保護され、アポリーヌとは兄妹同様に育てられている。
🦮 アッティラ ー ギャランスとナタナエルの家で飼われている栗色の犬、父シャルル・バレルの車庫入れ運転ミスで両の後肢を轢かれ、両後ろ足の代わりに車輪を装着され、4人と一緒に行動することはできるが、なかなか4人のスピードに追いつけない。
 バレル一家(父シャルル、母クリスティーヌ、ナタナエル+ギャランス+アッティラ)は南仏コート・ダジュールの海浜避暑地ジュアン・レ・バン(”Juan-Les-Bains” - ジュアン・レ・パンのもじり)のビーチに近い閑静な邸宅街の中の豪奢なプール付きヴィラに住んでいて、アポリーヌとブルーノは学校のヴァカンス期にブルターニュからやってきて、バレル一家と一緒に過ごす。ヴィラにはジョゼファと名乗る(国籍不明の)家政婦がいて、おやつや料理が上手で子供たちには人気があるが、その何を言っているのかよくわからない(と彼らには聞こえるだけなんだが)フランス語を父と母は笑い物にしている。これがこの短編冒険小説の通奏低音になっているレイシスト・ギャグで、何かにつけてこのブルジョワどもは外国人と外国系人と貧乏人と左派系人を揶揄して笑い物にするというパターンのギャグが何度も登場する。たとえば5ページめにイラストつきで、母クリスティーヌが子供たちに「自分たちで朝食の後片付けなんかしないでね、ここはスロヴェニアじゃないんだから」などと言うのですよ。
 さて、物語の始まりは夏ヴァカンスの始まりで、ブルターニュからアポリーヌとブルーノがやってくる。同じ日、バレル家のヴィラの隣の家に、引越トラックが家具を搬入するのを目撃。税金を逃れるために家を売ってモロッコに転居した前の住人に代わる新隣人か。どんな人間だろう?見ないうちからなにやら事件の予感。再会を果たした4人と1匹はとるものもとりあえず夏ヴァカンスの始まりを100%エンジョイしようと一目散でビーチへ。アッティラは後ろ脚車輪に砂が絡んでなかなか前へ進めないが、少年少女たちは知ったこっちゃない。青い地中海へバシャバシャ入っていくのだが、アポリーヌだけは生理中なので水に入れない。この”アポリーヌは生理中”というメンションが、物語中しつこく繰り返され、3人と同一行動がとれない時の理由がすべてこれになっている。生理中なので。いいのかなぁ、こういうのギャグにして。ま、このしつこさが、後半にアポリーヌの身に起こる災難を強調する下地にはなっているんだけど。3人が海から上がって、4人で浜辺でたはむれていると、アポリーヌの足元にコロコロとボールが転がってくる。ボールを追ってひとりの(日焼けでなくて肌の浅黒い)子供が4人の前に現れるが、その子はボールを指差すが一言もしゃべらない。ギャランスは”知的障害”じゃないの?と訝しがる。するともうひとり男の子と同じような人相をした大きめの(十代とおぼしき)少年が現れ、ギャランスに人差し指を立てて「そのボールは弟のものだ、いますぐ返せ!」と迫る。この敵意むき出しの態度に、4人はムッと来る。肌が浅黒く黒い髪をしたふたりの(明らかに)よそ者の子と、4人の視線がぶつかり火花が散る。絶対に怪しい。ボールを奪い取ってふたりは去って行ったが、4人はヴァカンス中にこの異人の子ふたりと一悶着あるに違いないと勘づいている。ここで、このブルジョワ子女らは子供ながらに露骨な偏見を丸出しにして、この異国人→移民/難民→犯罪者という”無邪気で幼い”連想から、このふたりを「ルーマニア人」と勝手に断定するのである。早くもファブカロ流不条理が全開。
 その夕方、バレル家のヴィラに戻ると、隣に引っ越してきたソフィーとクリスティアンのデュヴァル夫妻を招いて歓迎のアペロ会をやると言う。新隣人はバレル夫婦と同じような年代のブルジョワ夫婦で、同じように陽気でよく笑い(特にソフィー夫人は大袈裟に笑い、笑うたびにドレスから片方の乳房が露出してしまう)、同じようなレイシストギャグを連発し、両夫婦は一夜にして意気投合してしまう。奇妙なことに夫のクリスティアンはアタッシュケースを携行してやってきて(一度置き忘れたことがあるので、二度とその過ちを冒さないように、どこでも持ち歩くようにしている、と言い訳を)、トイレに行く時もそれを離さない。「すみません、トイレお借りしたいのですが」ー「サロンを出て右の扉ですよ」。アタッシュケースを持って席を立ったクリスティアンは、サロンを出て右の扉に行くはずだったが、左の扉の部屋に入っていくのを目撃されている。その部屋はシャルル・バレルの書斎であり、机には仕事の重要書類が積まれている....。宵は進み、かなり重めの保守反動ギャグの連発でおおいに笑った4人の大人のアペロ会は散会し、面妖なデュヴァル夫妻は去り、少年少女たちとバレル夫婦はそれぞれの寝室へ。しかしナタナエルは昼のルーマニア小僧のことが気になったり、夜中に理解不能な母クリスティーヌの迷言が聞こえたり、眠ることができない。ここで詳説はしないが、実際その夜、さまざまな不可解で不条理なことがバレル家のヴィラで起こっていたのだ....。
 事件発生。翌朝、父シャルル・バレルは、書斎デスクの引出しに入れてあったトップシークレット最重要ファイルCFRBLが無くなっていることに気づき、パニックに陥る。それは世界的大手ハードディスカウントチェーンLIDLに納められているラヴィオリ缶詰のパスタに包まれた具材の原材料明細が記載されているファイルで、これが万一悪人の手に渡り、世に公表されることにでもなれば、世界の食糧経済市場は大恐慌を起こすことになろうと言われるほどの...。シャルルは心当たりを片っ端から捜索してみるが、手がかりはない。困った困った。そこで、これまで幾多の事件を解決してきた(ということになっている)ギャランス+ナタナエル+アポリーヌ+ブルーノ(+アッティラ)の少年少女探偵団5人組の登場で、子供たちは余裕綽綽の體でこの事件に挑んでいく。なぜなら少年少女たちには既に犯人の目星がついているのだ。それは”ルーマニア人”に決まっている!
 という次第で、この冒険物語は(ヴァカンスそっちのけで)5人の仲間たちによる”ルーマニア人狩り”となって展開するのである。町のルーマニア人たちが居そうなところを精力的に探し回る。スポーツならば誰にも負けないナタナエルは、はるか遠くにルーマニア小僧兄弟の姿を見てとり、自慢の瞬足であっと言う間に追いつき、おいっ!と肩を掴むのだが、(このパターン3度ほど繰り返される)、捕まえた相手は中国人だったり、ロマだったり、ドーブツだったり...。(このレイシスト偏見、ナンセンスギャグとして笑っていいものかどうか...)
 少年少女たちの犯人捜索は難航する。敵もさる者で、真犯人から5人組に「ご苦労さま、私だったら、ジョゼファがクサいと思うんだが」とメモ書きが届き、おっとそれは気がつかなかった、と簡単に捜査方針を撹乱され、ジョゼファの動向を追跡してしまう...。だんだん訳がわからなくなって、捜査にも疲れてきた頃に、みんな、忘れちゃいけないよ、僕たちはヴァカンスなんだから、ヴァカンスも目一杯楽しまなきゃ、と、この提案に満場一致で、事件のことは一旦忘れてビーチへ海水浴に。夏の太陽の下、大はしゃぎの少年少女たちだったが、一人だけアポリーヌは生理中なので...。ひとりビーチタオルに寝転がって海にいる3人を遠くから見ていたが、これじゃツマラナイィィィっと辛抱できなくなって、3人に違う方角にバシャバシャ海に入っていく。生理中の少女が海に入ると何が起こるか?恐れていたことが現実になり、アポリーヌは潮にさらわれ沖へ沖へと...。助けてぇぇっ!と叫ぶ声、しかしその声を聞いた3人の友はそこから遠すぎる。そこへバシャバシャバシャっと力強いクロール泳法で助けに向かう少年あり。なんとそれはルーマニア小僧兄ではないか! アポリーヌは無事救出され、浜まで連れ戻され、3人の仲間たちに迎えられる。5人組のリーダーのナタナエルは感動し、ついさっきまで極悪人として追跡していたルーマニア小僧兄が大事な仲間のひとりの命を救ってくれたことに、これまでの誤解をすべて解いて、この新しい友人に心から感謝したい、きみに何かあったら今度は僕らがきみを助けるよ、永遠の友の契りをしよう、などと思ったりもしたのだが....。二人はお互いの住所連絡先を交換し、近いうちに再会してこの熱い友情の始まりを祝おう、と。
 その夕刻、バレル家のヴィラに戻ると、今夜はこの前のアペロ会のお返しでデュヴァル家宅でアペロ会がある、と。デュヴァル家宅に行くと、ものすごく美味しそうな香りが。わ、これは素晴らしいご馳走が期待できますね、とシャルルが言うと、ソフィー・デュヴァルは「とんでもない、これはあなたたちが帰った後の、私たちの夕食の料理ですよ、あなたたちにはTUCクラッカーを用意してありますよ」と。こういうファブカロのギャグ回し、たまらんですね。ちなみにこのベルギー産の超安価クラッカー、私も大好きで、(ポテチやえびせんに対抗できる)やめられないわが家の常備スナックとなっているのだが、少年少女5人組のひとり(気弱で泣き虫の)ブルーノが、なんと”TUCアレルギー症”だったのだ。しかし気弱で人にそれを気づかれまいとしてブルーノは何気ない顔でTUCをバクバク食べて、アペロ会の雰囲気を壊すまいと健気な努力を。だがある程度時間が経過するとトイレに急行せざるを得ない。たまらずデュヴァル家宅のトイレに向かい、症状の落ち着きを待って、再びサロンに戻ってくる途中、開いていた部屋の中に見えたものは!なんと! ー ブルーノは少年探偵の端くれであるから、ここは落ち着いて、こっそりとギャランス、ナタナエル、アポリーヌに合図を送り、大人たちの人目を避けて、一緒にこの部屋にあったブツを確かめに....。それは紛れもなくシャルル・バレルが失ったトップシークレット最重要ファイルCFRBLであったのだ。なんということか。少年少女探偵団5人組は勝ち誇ったようにブツを手にして、サロンに戻り、大人たちの前で、どうだ!これで事件解決だ、と見栄を切る。
 するとデュヴァル家当主クリスティアン・デュヴァルは、少しも慌てず、自分の首に両手を当てて、シリコン仮面を脱ぎ外し始め.... ふっふっふ... 実は私の正体は... と暴露しようとしたが、少年少女探偵団リーダーのナタナエルはそれを制して、「僕たちは真犯人を知っている!」と宣告。大人たちは仰天し、一体それは誰なんだ?とナタナエルが開陳する名推理に恐れ入って傾聴する。「それはルーマニア小僧兄弟さ!」ー あの目つきの悪い肌の浅黒い兄弟が、どのようにして5人組に接近してきて、情報をすべて傍受し、バレル家とデュヴァル家の住宅構造を知り尽くし、どこにあのファイルがあり、どこに盗み出したファイルを保管するのが安全かを研究した結果、デュヴァル家の書斎に何気なく置き、今晩寝静まった時間に取りに来ることになっていた、と。さすが、5人組少年少女探偵団、お見事。
 シャルル・バレルは早速警察に通報し、ナタナエルが持っていた小僧兄弟の住む難民キャンプに一斉捜査の手が入り、難民たちはルーマニア人ではなくシリア人であったがそんなことは知ったこっちゃない、すぐに国外退去・強制送還の処分が下る。めでたしめでたし。少年少女たちのヴァカンスはまたこの夏も素晴らしいものになった。完。

 おいおい....。ファブカロの手癖足癖だけでちょいちょいとお手軽に作ってしまった(ほぼ)戯作。不条理ギャグの連発の出来不出来よりも、そのいくつかのレイシスト加減はかなり胸につかえる。コート・ダジュール、ブルジョワのヴィラ、白人子女... これだけでレイシスト環境は揃っているのだが、1年後2027年に極右の大統領が誕生してしまうであろうこの国の空気というか、マジョリティー(極右でもかまわないよぉ〜と悠長に構える人々が多数派)のうすら笑いというのが、私には勘弁してほしいと思うところである。
 こういうおちゃらけたパロディー作品でも、発売時(2026年4月)には書店ベストセラーのランキングされていて、もはや「ファブカロ」「ファブリス・カロ」印がついていれば自動的に売れてしまう勢いがあるのだろう。ちょっと情けない。”純文学小説”で還ってきてくれ。

Fabcaro "Les cinq ami·e·s l’échappent belle in extremis”
6Pieds Sous Terre刊 2026年4月17日 100ページ 14ユーロ

カストール爺の採点:★★☆☆☆

(↓)この作品を作った動機について弁解するファブカロ。

2026年5月21日木曜日

華麗なるアンドレ・ポップの世界 その5:デルスの場合

The Dells "Can sing a rainbow / Love is blue"
ザ・デルス「ラヴ・イズ・ブルー」


1968年シングル
1968年アルバム "Love is blue"

曲「恋はみずいろ L'amou est bleu」(詞ピエール・クール/曲アンドレ・ポップ)の初お目見えは1967年4月8日ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト(於ウィーン/ホーフブルク王宮)であった。同コンテストにルクセンブルク大公国代表として出場したヴィッキー・レアンドロスがフランス語(オリジナル)で歌い、出場17カ国17曲のうち、第4位に終わった。ピエール・クールのフランス語詞は
… Doux, doux, l'amour est doux
甘く、甘く、恋は甘く、
Douce est ma vie, ma vie dans tes bras
あなたの腕の中にある私の人生は甘美なもの
Doux, doux, l'amour est doux
甘く、甘く、恋は甘く
Douce est ma vie, ma vie près de toi
あなたのそばにいる私の人生は甘美なもの

… Bleu, bleu l'amour est bleu
青く、青く、恋は青く
Berce mon cœur, mon cœur amoureux
私の恋する心を優しく揺らす
Bleu, bleu, l'amour est bleu
青く、青く、恋は青く
Bleu comme le ciel qui joue dans tes yeux
あなたの瞳の中でゆらめく空のように青い

… Comme l'eau
水のように
Comme l'eau qui court
流れる水のように
Moi, mon cœur
私、私の心は
Court après ton amour
あなたの愛を追いかける

… Gris, gris, l'amour est gris
グレー、グレー、恋はグレー
Pleure mon cœur lorsque tu t'en vas
あなたが去ってしまうと私の心は泣いてしまう
Gris, gris, le ciel est gris
グレー、グレー、空は灰色
Tombe la pluie quand tu n'es plus là
あなたがいなくなると雨が降ってくる

… Le vent, le vent gémit
風、風が騒ぐ
Pleure le vent lorsque tu t'en vas
あなたが去ってしまうと風も泣いてしまう
Le vent, le vent maudit
風、呪われた風
Pleure mon cœur quand tu n'es plus là
あなたがいなくなると私の心は泣いてしまう

… Comme l'eau
水のように
Comme l'eau qui court
流れる水のように
Moi, mon cœur
私、私の心は
Court après ton amour
あなたの愛を追いかける

… Bleu, bleu, l'amour est bleu
青く、青く、恋は青く
Le ciel est bleu lorsque tu reviens
あなたが戻ってくると空は青い
Bleu, bleu, l'amour est bleu
青く、青く、恋は青く
L'amour est bleu quand tu prends ma main
あなたが私の手を取ると恋は青い

… Fou, fou, l'amour est fou
狂おしく、狂おしく、恋は狂おしく
Fou comme toi, et fou comme moi
あんたかてあほやろ うちかてあほや
Bleu, bleu, l'amour est bleu
青く、青く、恋は青く
L'amour est bleu quand je suis à toi
恋は青く、私はあなたのもの
L'amour est bleu quand je suis à toi
恋は青く、私はあなたのもの

このように、他愛もないラヴソングであり、この青色=ブルーはポジティヴな恋の色として描かれている。この同じ年1967年にヴィッキー・レアンドロスはこの歌を英語でも吹き込んでいる。タイトルは(”Love is blue"ではなく!)"Colours of love"で、英語詞はイギリス人劇作家/作詞家ブライアン・ブラックバーン(Bryan Blackburn 1928 - 2004)が書いている。このブラックバーン詞というのが、オリジナルのピエール・クール詞を全然リスペクトしていないのですよ。
Blue, blue, my world is blue
ブルー、ブルー、私の世界はブルー
Blue is my world, now, I′m without you
あなたがいなくなった今、私の世界はブルー
Gray, gray, my life is gray
グレー、グレー、私の生活はグレー
Cold is my heart since you went away
あなたが去ってから私の心は冷たい

Red, red, my eyes are red
赤く、赤く、私の両目は赤い
Crying for you alone in my bed
一人のベッドであなたを求めて泣き叫んでいる
Green, green, my jealous heart
私の嫉妬深い心は緑色
I doubted you, and now, we're apart
あなたを信じられず、私たちは離れ離れに

When we met, how the bright sun shone
私たちが出会った時、なんて明るい太陽が輝いていたことか
Then love died, now, the rainbow is gone
そして恋は死に、虹は去ってしまった

Black, black, the nights I′ve known
ブラック、ブラック、私が一人過ごす夜はブラック
Longing for you, so lost and alone
あなたが恋しくて、絶望的で孤独
Down, down, the love we knew
私たちが知っていた恋は、転落してしまった
Blue is my world, now, I′m without you
あなたを失った今、私の世界はブルー
という失恋・悲嘆・絶望のブルーになっている。本来英語圏ではブルーはネガティヴな色で、憂鬱、塞ぎの虫、意気消沈を表すカラーなので、「恋は青」という主題ではこうなってしまうのだろうが、幸せのブルーを歌っているフランス語オリジナルをこれほどまでに無視していいのだろうか。

 ここで余談であるが、ヴィッキー・レアンドロス/ユーロヴィジョンの4ヶ月後、1967年8月に森山良子「恋はみずいろ」(日本語版)がリリースされる。日本語詞はその道の大偉人、漣健児(さざなみけんじ 1931 - 2005)で、これもオリジナルのピエール・クール詞とはかなり違いがあるものの、「青い海と水色の空が愛し合ってひとつに結ばれる」という名パンチラインで「青」という色はハッピーでポジティヴなカラーになっている。またこの歌と直接の関係はないものの、題が似てしまった天地真理(白雪姫)デビュー曲「水色の恋」(1971年)は失われた恋を歌っていて、この「水色」は英語的なネガティヴなブルーになっているのね。面白いでしょ。

 そして翌年1968年、ポール・モーリア楽団のインストルメンタル曲として発表されたこの曲は全米チャートNo.1という大偉業を成し遂げてしまう。このアメリカ発売時にこの曲は”Love is blue”というタイトルになっている。以来、この曲の英語タイトルは”Love is blue”として定着するのである。で、全米でたいへんポピュラーになってしまった「ラヴ・イズ・ブルー」は、アル・マルティーノジョニー・マティスと続々とカヴァーヴァージョンがリリースされるが、歌詞は(↑の)ブライアン・ブラックバーンの英語詞であり、「ラヴ・イズ・ブルー」は失恋ブルーのスタンダード曲に昇格していく。その1968年のカヴァーで一つ例外的なのが、当時破竹の勢いのヒットレコード会社A&Mからリリースされたフランス出身歌手/女優のクローディーヌ・ロンジェ(1942 - 2026、この原稿を書いている時に逝去しました、合掌🙏)の「ラヴ・イズ・ブルー」で、歌部分はピエール・クールのフランス詞で歌われ、間奏部分で、my life is sad, love is goneと英語で失恋ナレーションが導入される”ハイブリッド”編曲、全米71位の健闘。

 さて本稿の主役、米国イリノイ州出身のドゥワップ/R&B5人組ヴォーカルグループ、ザ・デルス、1954年レコードデビュー、1956年「おおわらないと Oh what a nite」でブレイク、続々とヒットを飛ばし、ドゥワップを背負って立つ看板グループに。で、1968年にポール・モーリア「ラヴ・イズ・ブルー」人気にあやかって...。まあ、ちょっと、よそのアーチストたちのカヴァーとはえらく違うヴァージョンになりました。「ラヴ・イズ・ブルー」という色彩をモチーフにした歌に、もうひとつ虹の七色を歌った歌「アイ・キャン・シング・ア・レインボウ」(Red and yellow and pink and green / Orange and purple and blue / I can sing a rainbow/ Sing a rainbow / You can sing one too! ) をマッシュアップ。後者は童謡として広く親しまれていて、1955年の映画『ピート・ケリーのブルース』でペギー・リーによって歌われ、心地良い子守唄に。この二つをメドレー化することで、たくさんの色が登場する歌になってしまったのね。そのマッシュアップ歌詞(緑字 I Can sing a rainbow / 青字 Love is blue )をそのままコピペ。
[Intro]
Red and yellow and pink and green
Purple and orange and blue

[Chorus]
I can sing a rainbow
(I can sing a rainbow)
I can sing a rainbow, too
Woo-woo


[Verse 1]
Blue
Blue, blue my world is blue
Blue is my world now I'm without you
Gray
Gray, my life is gray
Hole in my heart since you
Since you went away
Ah yeah
Oh yeah, yeah


[Chorus]
I can sing a rainbow
(I can sing a rainbow)
Sing a rainbow
I can sing a rainbow


[Verse 2]
(Red) Red
Red my eyes are red
Crying for you alone in my bed
Green
So green my jealous heart
I doubted you and now
Now we are apart
Oh yeah
Oh yeah


[Bridge]
When we met
How the proud sun showed
Then love died
Now the rainbow is gone


[Verse 3]
(Black)
Oh black (Oh)
The nights I've known
Longing for you
Lost and alone
God
Oh God
The jealous love for you
Blue is my world
Now I'm (Hey, hey, I said hey)
Now I am without you, baby

[Outro]
Blue, blue
My world is blue, baby
(I love you baby)
Now that we're apart
(I love you, baby)
My world is blue, baby
(I want you, baby)
Hole in my heart
(I need you, baby)
My world is blue, baby
(My world is so blue)
My world is blue, baby
(I need you, baby)
Hole in my heart
(I want you, baby)
My world is blue, baby
(I love you)


聴きましたか? あっと驚く失恋慟哭バラードに変貌してしまったんです。このシングルは全米ビルボードHot100で最高22位、ビルボードR&Bシングルチャートで5位、オランダで10位、アイルランドで18位、UKで16位,.. というヒットになってしまった。このヴァージョンはアンドレ・ポップ自身がかなり高く評価していて、この出来を褒めちぎっている。そりゃあ、ヴィッキー・レアンドロスのオリジナルからはずいぶんと遠くに来た感はあるが、これは名曲の名演として歴史に残るであろう。

 『華麗なるアンドレ・ポップの世界』次回を刮目して待て。


*** ボーナス ***
(↓)2026年(第70回)ユーロヴィジョン・ソングコンテスト(於ウィーン)の準決勝(5月12日)のオープニングソングとして「恋はみずいろ」(詞ピエール・クール/曲アンドレ・ポップ)、70人のコーラス隊を従えて、1967年にこのウィーンで歌ったヴィッキー・レアンドロスその人が登場(このYouTube4分14秒めから)。前フレ/イントロがやたら長い動画だけど、ヴィッキーが見えたら涙がほとばしり出た。生きててよかった🙏 L'amour est bleu quand je suis à toi ❤️❤️❤️


(↓)もうひとつおまけ。ジェフ・ベック、”魅惑のムードギター”「ラヴ・イズ・ブルー」(1968年) 、アイルランドチャートで20位、UKチャートで22位の健闘。

2026年5月15日金曜日

まあまあのマーマレーション

Aki Shimazaki "Mukudori"
アキ・シマザキ『椋鳥(むくどり)』

メリー・ノトンブと同じ頻度、年に1作、ノトンブが毎年夏の終わりに新作を発表するように、アキ・シマザキは毎5月、マロニエの花が散る頃に新作を。これが22作目、現在進行中の五連作(パンタロジー)の(前作『紫陽花(あじさい)』に続く)第2作め。
 今回は前作で主人公であった在鎌倉の文学部学生ショータの滋賀県大津の実家両親=母マツコと父アツシの物語である。大津の老舗百貨店の経営者夫婦であったが、バブル景気を頂点にその後業績は下降を続け、20XX年に倒産、家屋財産のほとんど全てを失ってしまい、唯一マツコ名義で購入していた郊外の一軒家別宅だけが没収を免れ、かろうじて二人の屋根となっている。三人の子供のうち、長男と長女は独立しているので経済的問題はないが、次男のショータだけはまだ大学院まで進もうという学生で、学費・生活費の援助ができなくなり、ショータはいくつもバイトを掛け持ちして自活しなければならなくなった、というのが前作のストーリー環境。60歳を過ぎた二人、アツシは会社倒産の心労で持病の心臓を悪化させ、今は健康体回復のみに尽力して、その後で再就職をと目論んでいある。それに対してマツコは健康体で百貨店での実務経験も豊富で、高齢のハンディキャップを乗り越えてハローワークで再就職先を見つけてしまう。
 小説は初夏から次の春までの1年足らずの時間で展開する。
 小説はこの大津のハローワークでの職探しのシーンから始まる。受付順番を待つ待合室で隣り合わせた同年代の男あり。順番待ちの時間潰し用に持ってきた雑誌、偶然にもマツコとその男は同じ雑誌を持っていて、男はその写真ページに見入っている。その写真は無数の鳥が密集飛行する図。椋鳥の"マーマレーション"。シマザキはこの密集飛行現象は英語の "Murmuration" に由来して「マーマレーション」というカタカナ日本語になったと説明している。同じ雑誌を持っていると気づいた二人。これは奇遇ですなぁ、ってな最初のコンタクト。そしてハローワークの建物を出て街をフラフラ、たまたま入った喫茶店(今の日本語では”カフェ”と言うのかな?)にまたこの男がいる。世間は狭いですなぁ/いやいやこの町が狭すぎるのですよ、ってなセカンドコンタクトで、二人は同じテーブルに着き、自己紹介を交わす。私の名はマツオ/私の名はマツコ。マツオとマツコかぁ、なんだか双子みたいですね、などと言う男。ー この二つの名前、シマザキの小説では第3パンタロジー《アザミの影 L'Ombre du Chardon 》(2014年〜2018年)の第1作『アザミ』の登場人物”ミツオとミツコ”と同じパターン。ー 高齢求職者同士のよしみ、同じ雑誌を手に持っていたよしみ、似通った名前のよしみ、二人は打ち解けて語り出すのだが、この打ち解け方はどこか普通ではない。遠い昔に縁があったような懐かしさのようなセンセーション。かの雑誌の写真の椋鳥のマーマレーションの話題で盛り上がる。マツコが後日思わずこの男を「ムッシュー・ムクドリ」と呼んでしまうほどの強い印象。
 マツオは早くも自分の素性(二人の娘の父親、孫はすでに三人、妻とは4年前に離婚...)を明らかにし、マツコも三人の子供がいて、孫は二人、今は夫と二人暮らし、と明かすが、町で知られた(倒産した)百貨店のオーナー家だった話は伏せている。そしてマツオの長年の趣味がバードウォッチングであり、趣味が高じて町で「野鳥観察の会」を主宰していて現在会員が20名ほどいる、マツコさんもご主人と一緒にいかがですか?と勧誘し会の名刺を手渡す。
 一方マツコの夫アツシは百貨店倒産劇に心身共に痛めつけられ、持病の心臓障害が悪化して病院で検査を続けていたが、マツコが町の大手ショッピングセンターの消費者対応課のチーフ格で再就職が決まり、新しい仕事を始動した矢先に、膵臓がんステージ4と診断され、医師から余命10ヶ月と宣告される。アツシはたとえ容体が悪化してもいたずらな緩和ケアを選ばず、食を断ち自宅畳の上で息絶えたいと言う。尊厳ある死。小説は三人の主要人物の共通の連想リファレンスとして、大和物語の「姨捨(をばすて)」 と深沢七郎『楢山節考』(+今村昌平映画)を登場させ、登場人物に尊厳ある死というヴィジョンを語らせている。今村昌平の『楢山節考』は1983年カンヌ映画祭パルム・ドール賞ということでここフランスでも話題になった経緯があり、ここの部分フランス人読者には予備知識があるのではないかな。
 子供たちには知らせず、妻マツコと二人だけでこの来るべき死を受け止めようとするアツシは、再就職という希望を捨て、家庭菜園の土いじりに励み、アクティヴに働く妻の帰宅を待つハウスキーパーとして自宅中心の無理のない生活を送る。そんなある日、アツシは庭の野菜畑の上空に、生まれて初めて椋鳥の密集飛行を見てしまい、興奮してマツコに報告する。妻はそれはマーマレーションと言うのよ、と夫よりもこの件に関しては詳しいふりをするのだが、実はアツシは(大津に戻る前=マツコと知り合う前)京都で暮らしていた頃、バードウォッチングが趣味で休みの時は野山に出て高価な望遠レンズ付きの一眼レフで野鳥の写真を撮っていた、と初めて明かされる。マツコの知らない世界。この二人は外見(そとみ)には40年近くも続いているお互いを熟知した仲睦まじい夫婦であったが、今頃になってお互いに知らなかったことがポツリポツリと出てくる。それならば、私が最近知り合った人が町で野鳥観測の会を主宰していて、誘われているので一度コンタクトしてみれば?とマツコ。なに?! そいつはどこのどいつだ?歳は?職業は?妻帯者か?などやにわに根掘り葉掘り聞こうとするアツシ。長年の夫婦でもちょっとしたことで夫婦の会話って微妙に波風立ったりしますよね。ま、いか。
 あにはからんや、マツコの進言でその見知らぬ”ムッシュー・ムクドリ”と連絡を取ったアツシは、最初のコンタクトからフィーリングが合ってしまい、打ち解け、旧知の仲のような交流が始まってしまう。求職者だったマツオも運よくガードマンとして働くようになり、その週休日にはアツシの家に来て、一緒に野鳥観測に出かけたり、琵琶湖に小舟を出して釣りをしたり...。その釣れた魚(鯉、琵琶マス)はマツコの指導で男二人が料理して、三人で語らいながら夕食という運びになる。この新しい友の出現はアツシの闘病に願ってもない活力源となり、アツシは週に1回、多ければ週に2回も自分を野外の活動に誘ってくれる男の来訪がうれしくて仕方がない。顔色が良くなっていくアツシをマツコは眩しく見ながらも、その前にいい感じで友だちになれたと思っていたムッシュー・ムクドリを取られてしまったかのような小さな嫉妬感も覚えるが、アツシの予告された死をしばし忘れさせてくれるこの三人の交友を今は大事にしたい。これが高齢者三人のひと夏のユートピアだった。
 関係が親密になればなるほど、お互いに話す内容に個々の秘められた部分も晒されるようになる。友情はそれを包み込めるか。98ページ目にマツオは二人にどうして自分は妻に捨てられたのか、といういきさつを語り出す。妻が二番目の子を妊娠中に(5ヶ月間)不倫していたのが発覚して、平謝りに謝ってその場は収めたつもりだったが、20数年後、娘二人が親から巣立って行ったのをきっかけに離婚を宣告された、と。自分のせいで一度壊れたものは何年経っても修復できなかったのだ、と。
 この告白はマツコにも微妙な変化をもたらすのだが、アツシにはやや変調が訪れ、疲れが目立ち、マツオとの野外活動も控えめになる。紅葉が見頃になった頃、アツシは40年近くも寄り添ってきたマツコに、(マツオのように)過去の不倫を明かす。アツシが死んだ後に、他人の口からマツコにそのことが知らされると想像しただけでアツシは耐え難い呵責に苛まれると言う。N.と仮名されたその外国人女性(あ、私はこれまでアキ・シマザキの全作品を読んできたが、ほぼ全作品で重要・非重要に関わらずある登場人物名・地名・企業名などがアルファベット一文字で暗号的にネーミングされるというやり方、どうもしっくりこないし、何を隠そうとしているのかもどんな意図があるのかもわからないし、不可解な自己検閲のようにも思えて、あまり好意的に思っていない)は、アツシの人生で二度登場する。一度めはマツコと知り合う前だからこれは不倫ではなく若き日の過ちなのだが、アツシの子を妊娠したという事件まであった。二度めはマツコと結婚後十数年、二人の子があり、三人めのショータを妊娠していた頃、百貨店社長で好調だった頃、羽振りも良く、高級バーの客だった時、そのバーの社交女性となっていたN.と再会していて、誘惑されて....。シマザキはこの不倫相手にどれほどの重要度を置きたかったのかわからないが、外国人であり、その出身国で既婚していて、その結婚は不幸であったが離婚できず、別に恋人がいるがその男はガンを患っていて、高額の治療費用を彼女が日本のバー(&アルファ)の稼ぎで仕送りして、客の日本人男性(妻帯者)との間にできて認知された子供によって得たリーガルな日本滞在権があり、若き日のアツシとの間にできた子供は障害児で1歳で死んでいて... 等々、盛り沢山のストーリーをこのN.に詰め込んでいる。一冊本が書けそうだ。だがこの『椋鳥』という一編の中で読む限り、このN.はさほど重要ではないのだが、このパンタロジーの『椋鳥』に続く作品の中で再登場する可能性はないではない。それはそれ。
 この過去の不倫暴露は、40年の夫婦生活をご破産にするような起爆力があったわけではないが、予告された死を待つアツシを贖罪したわけでもない。マツコはアツシと別れてマツオと会っている自分を夢の中で見てしまうのだが、その夢(の中でマツコとマツオの目の前でアツシはは琵琶湖で溺死してしまう)は果たして本当にマツコが潜在的に望んでいることだったのかと自問する。
 127ページめ、冬になり、年の瀬も近いある夜、三人での夕食の後、アツシはマツオに自分の末期ガンを告白する。これまでのマツオの友情に感謝し、わが亡き後もマツコと会ってやってほしい、と。これはマツコとマツオにとってどうにも複雑な反応しかできない。この三人のユートピアとマツコとマツオがお互いに抱いている名状しがたい感情とは別物なので。マツオがアツシに死ぬ覚悟はできているのかと問うと、出てくるのは大和物語「姨捨」と『楢山節考』をリファレンスとする尊厳ある死のイメージなのである。げにこの小説はこの二つの日本古典に多くを負っているのだね。
 小説の中で最も重要な場所として登場するのが、琵琶湖に浮かぶ沖島であり、8世紀に建てられた奥津島神社にマツコはアツシの延命と安らかな死を祈願している。無数の猫が住み着いている島ということも文中で紹介している。少しずつ健康を害して行ったアツシだったが、どうにか自分の体を自分で動かせる状態を保って冬を越し、3月の晴れた日、アツシは職場にいるマツコに電話し、この気持ちのいい晴天を満喫しに、自分の小舟で沖島まで行く、と。そして帰らぬ人となるのであるが...。
 その日は晴天だったが、日中非常に強い突風が吹き、そのことを知ったマツコは心配になり、携帯電話でアツシに連絡を試みるが返答はない。夕刻マツコはマツオに助けを求め、二人はレンタルモーターボートで沖島に向かうが、沖島の船着場にアツシの小舟はない。モーターボートは沖島を囲む岸を一周して、ある岸辺にアツシの舟が打ち上げられているのを発見、上陸して日の暮れた野生の土地を探すと、木の根元に座禅姿勢で動かないアツシが。病院によると死因は心臓マヒ。

 アツシの死後5日め、マツオのところに一通の手紙が届く。差出人の名はアツシ。消印を見るとアツシの死後2日めに大津で投函されたことになっている。マツオは全く理解できずに封を開かぬままマツコに電話をする。二人で沖島に行き、故人の霊に祈りを捧げて、そこでこの手紙の封を開けたい、と。小説『椋鳥』一巻の終わり。

 この短い160ページの小説で、仏語作家アキ・シマザキが北米ケベックと仏語圏西欧の(熱心な)読者たちにデモンストレーションしている現代日本のアスペクトはさまざまある。日本の女性たちにとって結婚とは何であったか。結婚後もアクティブな職業婦人であることを貫くこととは。マツコは自分の経済的独立を保つため、百貨店社長夫人でありながら、百貨店従業員として働き給料をもらっていた。郊外別宅を自分名義で買い、それが結果的に夫の破産後にも夫婦の棲家を失わずにすむ救いとなった。全体の流れから見て、マツコはアツシよりも”できる”人間であり、主婦・母・職業婦人を見事にこなすスーパーウーマンであり、教養人でもある。これは日本では稀である、というシマザキの視点がうかがえる。マツコが40代で職場と家庭と子育てを七面六臂でやりくりしていた頃、アツシは高級バーに通い、その上不倫までしていた、ということが死を宣告されたアツシから明かされる。この時のマツコの落胆を小説はことさら強調しているわけではない。60歳を過ぎて、40年の夫婦生活を経過して、今になってマツコはアツシは自分に運命づけられた男ではない、と感じつつある。そばにいてその死まで見届ける覚悟はあるものの。そのきっかけはアツシの不倫告白ではなく、マツオの登場からなのだ、という...。登場した時から、この人は違う、この人は自分にとって重要だと感じさせてしまう何か。これをシマザキは恋愛と言うまいとしている。マツオも不倫の20年後に妻に別れられるということを説明するときに、結局マツオ夫婦は運命づけられた二人ではなかったと長い時間で知ったから別離を選んだのだ、と。マツオはその準備ができていなかったが、マツオの元妻は新しい人生再出発とサバサバ去っていくのである。現代日本の女性たちは、男たちよりもずっと強く生きることを知っている。アツシもマツオも”その時”(人生の分岐点と言っておこうか)にうろたえる弱さを思わせるものがある。
 「姨捨」と『楢山節考』にまつわる古典的日本人の死生観、尊厳ある死と倫理の問題をこの小説は登場人物に諸論を語らせるのではあるが、小説を読み終えるとそれが果たして重要なテーマであったのか、と首を傾げる。しかし小説最終部で仄めかされる、アツシの死の真相が、その沖島への小舟渡航が実は自殺行であったとしたら、その議論はまた別の展開になろう。これを明かさずにこの巻を閉じたシマザキは、どうなんだろうか、ネトフリ風連ドラ手法を弄んでいるようにも思える。
 自然の神秘、マーマレーション、もうちょっと重要に扱わないと、小説タイトルが死んでしまいますよ。では、また1年後に。

Aki Shimazaki "Mukudori"
Actes Sud刊 2026年5月8日 160ページ 16,50ユーロ


カストール爺の採点:★★☆☆☆

(↓)驚異のマーマレーション。YouTubeより拝借。


(↓)小説内挿入歌「琵琶湖周航の歌」(加藤登紀子ヴァージョン)