2026年5月15日金曜日

まあまあのマーマレーション

Aki Shimazaki "Mukudori"
アキ・シマザキ『椋鳥(むくどり)』

メリー・ノトンブと同じ頻度、年に1作、ノトンブが毎年夏の終わりに新作を発表するように、アキ・シマザキは毎5月、マロニエの花が散る頃に新作を。これが22作目、現在進行中の五連作(パンタロジー)の(前作『紫陽花(あじさい)』に続く)第2作め。
 今回は前作で主人公であった在鎌倉の文学部学生ショータの滋賀県大津の実家両親=母マツコと父アツシの物語である。大津の老舗百貨店の経営者夫婦であったが、バブル景気を頂点にその後業績は下降を続け、20XX年に倒産、家屋財産のほとんど全てを失ってしまい、唯一マツコ名義で購入していた郊外の一軒家別宅だけが没収を免れ、かろうじて二人の屋根となっている。三人の子供のうち、長男と長女は独立しているので経済的問題はないが、次男のショータだけはまだ大学院まで進もうという学生で、学費・生活費の援助ができなくなり、ショータはいくつもバイトを掛け持ちして自活しなければならなくなった、というのが前作のストーリー環境。60歳を過ぎた二人、アツシは会社倒産の心労で持病の心臓を悪化させ、今は健康体回復のみに尽力して、その後で再就職をと目論んでいある。それに対してマツコは健康体で百貨店での実務経験も豊富で、高齢のハンディキャップを乗り越えてハローワークで再就職先を見つけてしまう。
 小説は初夏から次の春までの1年足らずの時間で展開する。
 小説はこの大津のハローワークでの職探しのシーンから始まる。受付順番を待つ待合室で隣り合わせた同年代の男あり。順番待ちの時間潰し用に持ってきた雑誌、偶然にもマツコとその男は同じ雑誌を持っていて、男はその写真ページに見入っている。その写真は無数の鳥が密集飛行する図。椋鳥の"マーマレーション"。シマザキはこの密集飛行現象は英語の "Murmuration" に由来して「マーマレーション」というカタカナ日本語になったと説明している。同じ雑誌を持っていると気づいた二人。これは奇遇ですなぁ、ってな最初のコンタクト。そしてハローワークの建物を出て街をフラフラ、たまたま入った喫茶店(今の日本語では”カフェ”と言うのかな?)にまたこの男がいる。世間は狭いですなぁ/いやいやこの町が狭すぎるのですよ、ってなセカンドコンタクトで、二人は同じテーブルに着き、自己紹介を交わす。私の名はマツオ/私の名はマツコ。マツオとマツコかぁ、なんだか双子みたいですね、などと言う男。ー この二つの名前、シマザキの小説では第3パンタロジー《アザミの影 L'Ombre du Chardon 》(2014年〜2018年)の第1作『アザミ』の登場人物”ミツオとミツコ”と同じパターン。ー 高齢求職者同士のよしみ、同じ雑誌を手に持っていたよしみ、似通った名前のよしみ、二人は打ち解けて語り出すのだが、この打ち解け方はどこか普通ではない。遠い昔に縁があったような懐かしさのようなセンセーション。かの雑誌の写真の椋鳥のマーマレーションの話題で盛り上がる。マツコが後日思わずこの男を「ムッシュー・ムクドリ」と呼んでしまうほどの強い印象。
 マツオは早くも自分の素性(二人の娘の父親、孫はすでに三人、妻とは4年前に離婚...)を明らかにし、マツコも三人の子供がいて、孫は二人、今は夫と二人暮らし、と明かすが、町で知られた(倒産した)百貨店のオーナー家だった話は伏せている。そしてマツオの長年の趣味がバードウォッチングであり、趣味が高じて町で「野鳥観察の会」を主宰していて現在会員が20名ほどいる、マツコさんもご主人と一緒にいかがですか?と勧誘し会の名刺を手渡す。
 一方マツコの夫アツシは百貨店倒産劇に心身共に痛めつけられ、持病の心臓障害が悪化して病院で検査を続けていたが、マツコが町の大手ショッピングセンターの消費者対応課のチーフ格で再就職が決まり、新しい仕事を始動した矢先に、膵臓がんステージ4と診断され、医師から余命10ヶ月と宣告される。アツシはたとえ容体が悪化してもいたずらな緩和ケアを選ばず、食を断ち自宅畳の上で息絶えたいと言う。尊厳ある死。小説は三人の主要人物の共通の連想リファレンスとして、大和物語の「姨捨(をばすて)」 と深沢七郎『楢山節考』(+今村昌平映画)を登場させ、登場人物に尊厳ある死というヴィジョンを語らせている。今村昌平の『楢山節考』は1983年カンヌ映画祭パルム・ドール賞ということでここフランスでも話題になった経緯があり、ここの部分フランス人読者には予備知識があるのではないかな。
 子供たちには知らせず、妻マツコと二人だけでこの来るべき死を受け止めようとするアツシは、再就職という希望を捨て、家庭菜園の土いじりに励み、アクティヴに働く妻の帰宅を待つハウスキーパーとして自宅中心の無理のない生活を送る。そんなある日、アツシは庭の野菜畑の上空に、生まれて初めて椋鳥の密集飛行を見てしまい、興奮してマツコに報告する。妻はそれはマーマレーションと言うのよ、と夫よりもこの件に関しては詳しいふりをするのだが、実はアツシは(大津に戻る前=マツコと知り合う前)京都で暮らしていた頃、バードウォッチングが趣味で休みの時は野山に出て高価な望遠レンズ付きの一眼レフで野鳥の写真を撮っていた、と初めて明かされる。マツコの知らない世界。この二人は外見(そとみ)には40年近くも続いているお互いを熟知した仲睦まじい夫婦であったが、今頃になってお互いに知らなかったことがポツリポツリと出てくる。それならば、私が最近知り合った人が町で野鳥観測の会を主宰していて、誘われているので一度コンタクトしてみれば?とマツコ。なに?! そいつはどこのどいつだ?歳は?職業は?妻帯者か?などやにわに根掘り葉掘り聞こうとするアツシ。長年の夫婦でもちょっとしたことで夫婦の会話って微妙に波風立ったりしますよね。ま、いか。
 あにはからんや、マツコの進言でその見知らぬ”ムッシュー・ムクドリ”と連絡を取ったアツシは、最初のコンタクトからフィーリングが合ってしまい、打ち解け、旧知の仲のような交流が始まってしまう。求職者だったマツオも運よくガードマンとして働くようになり、その週休日にはアツシの家に来て、一緒に野鳥観測に出かけたり、琵琶湖に小舟を出して釣りをしたり...。その釣れた魚(鯉、琵琶マス)はマツコの指導で男二人が料理して、三人で語らいながら夕食という運びになる。この新しい友の出現はアツシの闘病に願ってもない活力源となり、アツシは週に1回、多ければ週に2回も自分を野外の活動に誘ってくれる男の来訪がうれしくて仕方がない。顔色が良くなっていくアツシをマツコは眩しく見ながらも、その前にいい感じで友だちになれたと思っていたムッシュー・ムクドリを取られてしまったかのような小さな嫉妬感も覚えるが、アツシの予告された死をしばし忘れさせてくれるこの三人の交友を今は大事にしたい。これが高齢者三人のひと夏のユートピアだった。
 関係が親密になればなるほど、お互いに話す内容に個々の秘められた部分も晒されるようになる。友情はそれを包み込めるか。98ページ目にマツオは二人にどうして自分は妻に捨てられたのか、といういきさつを語り出す。妻が二番目の子を妊娠中に(5ヶ月間)不倫していたのが発覚して、平謝りに謝ってその場は収めたつもりだったが、20数年後、娘二人が親から巣立って行ったのをきっかけに離婚を宣告された、と。自分のせいで一度壊れたものは何年経っても修復できなかったのだ、と。
 この告白はマツコにも微妙な変化をもたらすのだが、アツシにはやや変調が訪れ、疲れが目立ち、マツオとの野外活動も控えめになる。紅葉が見頃になった頃、アツシは40年近くも寄り添ってきたマツコに、(マツオのように)過去の不倫を明かす。アツシが死んだ後に、他人の口からマツコにそのことが知らされると想像しただけでアツシは耐え難い呵責に苛まれると言う。N.と仮名されたその外国人女性(あ、私はこれまでアキ・シマザキの全作品を読んできたが、ほぼ全作品で重要・非重要に関わらずある登場人物名・地名・企業名などがアルファベット一文字で暗号的にネーミングされるというやり方、どうもしっくりこないし、何を隠そうとしているのかもどんな意図があるのかもわからないし、不可解な自己検閲のようにも思えて、あまり好意的に思っていない)は、アツシの人生で二度登場する。一度めはマツコと知り合う前だからこれは不倫ではなく若き日の過ちなのだが、アツシの子を妊娠したという事件まであった。二度めはマツコと結婚後十数年、二人の子があり、三人めのショータを妊娠していた頃、百貨店社長で好調だった頃、羽振りも良く、高級バーの客だった時、そのバーの社交女性となっていたN.と再会していて、誘惑されて....。シマザキはこの不倫相手にどれほどの重要度を置きたかったのかわからないが、外国人であり、その出身国で既婚していて、その結婚は不幸であったが離婚できず、別に恋人がいるがその男はガンを患っていて、高額の治療費用を彼女が日本のバー(&アルファ)の稼ぎで仕送りして、客の日本人男性(妻帯者)との間にできて認知された子供によって得たリーガルな日本滞在権があり、若き日のアツシとの間にできた子供は障害児で1歳で死んでいて... 等々、盛り沢山のストーリーをこのN.に詰め込んでいる。一冊本が書けそうだ。だがこの『椋鳥』という一編の中で読む限り、このN.はさほど重要ではないのだが、このパンタロジーの『椋鳥』に続く作品の中で再登場する可能性はないではない。それはそれ。
 この過去の不倫暴露は、40年の夫婦生活をご破産にするような起爆力があったわけではないが、予告された死を待つアツシを贖罪したわけでもない。マツコはアツシと別れてマツオと会っている自分を夢の中で見てしまうのだが、その夢(の中でマツコとマツオの目の前でアツシはは琵琶湖で溺死してしまう)は果たして本当にマツコが潜在的に望んでいることだったのかと自問する。
 127ページめ、冬になり、年の瀬も近いある夜、三人での夕食の後、アツシはマツオに自分の末期ガンを告白する。これまでのマツオの友情に感謝し、わが亡き後もマツコと会ってやってほしい、と。これはマツコとマツオにとってどうにも複雑な反応しかできない。この三人のユートピアとマツコとマツオがお互いに抱いている名状しがたい感情とは別物なので。マツオがアツシに死ぬ覚悟はできているのかと問うと、出てくるのは大和物語「姨捨」と『楢山節考』をリファレンスとする尊厳ある死のイメージなのである。げにこの小説はこの二つの日本古典に多くを負っているのだね。
 小説の中で最も重要な場所として登場するのが、琵琶湖に浮かぶ沖島であり、8世紀に建てられた奥津島神社にマツコはアツシの延命と安らかな死を祈願している。無数の猫が住み着いている島ということも文中で紹介している。少しずつ健康を害して行ったアツシだったが、どうにか自分の体を自分で動かせる状態を保って冬を越し、3月の晴れた日、アツシは職場にいるマツコに電話し、この気持ちのいい晴天を満喫しに、自分の小舟で沖島まで行く、と。そして帰らぬ人となるのであるが...。
 その日は晴天だったが、日中非常に強い突風が吹き、そのことを知ったマツコは心配になり、携帯電話でアツシに連絡を試みるが返答はない。夕刻マツコはマツオに助けを求め、二人はレンタルモーターボートで沖島に向かうが、沖島の船着場にアツシの小舟はない。モーターボートは沖島を囲む岸を一周して、ある岸辺にアツシの舟が打ち上げられているのを発見、上陸して日の暮れた野生の土地を探すと、木の根元に座禅姿勢で動かないアツシが。病院によると死因は心臓マヒ。

 アツシの死後5日め、マツオのところに一通の手紙が届く。差出人の名はアツシ。消印を見るとアツシの死後2日めに大津で投函されたことになっている。マツオは全く理解できずに封を開かぬままマツコに電話をする。二人で沖島に行き、故人の霊に祈りを捧げて、そこでこの手紙の封を開けたい、と。小説『椋鳥』一巻の終わり。

 この短い160ページの小説で、仏語作家アキ・シマザキが北米ケベックと仏語圏西欧の(熱心な)読者たちにデモンストレーションしている現代日本のアスペクトはさまざまある。日本の女性たちにとって結婚とは何であったか。結婚後もアクティブな職業婦人であることを貫くこととは。マツコは自分の経済的独立を保つため、百貨店社長夫人でありながら、百貨店従業員として働き給料をもらっていた。郊外別宅を自分名義で買い、それが結果的に夫の破産後にも夫婦の棲家を失わずにすむ救いとなった。全体の流れから見て、マツコはアツシよりも”できる”人間であり、主婦・母・職業婦人を見事にこなすスーパーウーマンであり、教養人でもある。これは日本では稀である、というシマザキの視点がうかがえる。マツコが40代で職場と家庭と子育てを七面六臂でやりくりしていた頃、アツシは高級バーに通い、その上不倫までしていた、ということが死を宣告されたアツシから明かされる。この時のマツコの落胆を小説はことさら強調しているわけではない。60歳を過ぎて、40年の夫婦生活を経過して、今になってマツコはアツシは自分に運命づけられた男ではない、と感じつつある。そばにいてその死まで見届ける覚悟はあるものの。そのきっかけはアツシの不倫告白ではなく、マツオの登場からなのだ、という...。登場した時から、この人は違う、この人は自分にとって重要だと感じさせてしまう何か。これをシマザキは恋愛と言うまいとしている。マツオも不倫の20年後に妻に別れられるということを説明するときに、結局マツオ夫婦は運命づけられた二人ではなかったと長い時間で知ったから別離を選んだのだ、と。マツオはその準備ができていなかったが、マツオの元妻は新しい人生再出発とサバサバ去っていくのである。現代日本の女性たちは、男たちよりもずっと強く生きることを知っている。アツシもマツオも”その時”(人生の分岐点と言っておこうか)にうろたえる弱さを思わせるものがある。
 「姨捨」と『楢山節考』にまつわる古典的日本人の死生観、尊厳ある死と倫理の問題をこの小説は登場人物に諸論を語らせるのではあるが、小説を読み終えるとそれが果たして重要なテーマであったのか、と首を傾げる。しかし小説最終部で仄めかされる、アツシの死の真相が、その沖島への小舟渡航が実は自殺行であったとしたら、その議論はまた別の展開になろう。これを明かさずにこの巻を閉じたシマザキは、どうなんだろうか、ネトフリ風連ドラ手法を弄んでいるようにも思える。
 自然の神秘、マーマレーション、もうちょっと重要に扱わないと、小説タイトルが死んでしまいますよ。では、また1年後に。

Aki Shimazaki "Mukudori"
Actes Sud刊 2026年5月8日 160ページ 16,50ユーロ


カストール爺の採点:★★☆☆☆

(↓)驚異のマーマレーション。YouTubeより拝借。


(↓)小説内挿入歌「琵琶湖周航の歌」(加藤登紀子ヴァージョン)

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