2020年9月29日火曜日

いつかは王子さまが

Petit Prince "Les Plus Beaux Matins"
プチ・プランス『最高に美しい朝』

あ大胆と言うか向こう見ずと言うか身の程知らずと言うか、世界で何億人という人たちによって読まれたであろうアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(1900 - 1944)の小説『星の王子さま(Le Petit Prince)』(1943年)を芸名にした音楽アーチストの登場である。本名をエリオット・ディエネ(Elliot Diener)と言い、東仏ストラズブールの人。コンセルヴァトワールで10年間チェロを習得したのち、ギターに転向、Noise Childというバンドを結成してストラズブールでストリートジャムを展開、2010年パリに移住、国立の映画・音響・写真の名門校エコル・ルイ・リュミエールでサウンドエンジニアのディプロマを取得、独立レーベル Pain Surprises ("パン・シュルプリーズ"と読むと思うが"ペイン・サープライジス"かもしれない)を設立、以来プロデューサー兼サウンドエンジニア兼アーチストとして多忙の日々。このレーベルから、かのトンスラ頭のジャック、テクノ4人組サリュー・セ・クール(Salut c'est cool)、爺ブログでも既に紹介しているミエル・ド・モンターニュフュチュロ・ペロ(ex スポルト・カンテス)などが輩出されているが、レトロ・フューチャーなエレクトロでポップでサイケデリックというしっかりしたエディトリアルが貫かれていて、レ・ザンロキュプティーブル誌筋から高い評価を受けている。そしてこのプチ・プランスは同レーベルからの真打登場といったところ。
 2015年、2019年とEPを発表していて、その都度プロモーション・クリップもSNS上で載せてたので、知っている人は知っていたプチ・プランスのフル・デビューLP。9月4日のリリースの前後、テレラマ誌の「fff」リベラシオン紙の「On y croit」など絶賛の嵐。それは王子さまと言うにはちょっと遅めの30歳男エリオット・ディエネのサイケデリック・ポップの編曲美によるものが大きい。歌い込むエアリアル・ギターとモーグ・ボイジャー、こもらせたり歪ませたりコラージュさせてみたりの修辞が心憎い音の魔術師系。オーストラリアのケヴィン・パーカー(テーム・インパラ)に通じるわかりやすいサイケデリアの快感サウンド展開。
(↓ 2曲め "Tendresse sur canapé ソファの上の優しさ”)

On est ensemble お家の中で
A la maison きみと一緒
Des rêves de l'encens お香がもたらす夢
Dans notre maison お家の中で
往年のドノヴァンを想わせる夢の家の歌である。
(↓ 3曲め "Chien Chinois 中国犬")

ディズニーアニメ『101匹わんちゃん』のポンゴが窓から見る"飼い犬に似た主たち”シーンをもじったヴィデオ・クリップであるが、孤独な犬と孤独な主(ミュージシャン)を投影した佳曲である。

 まあ、いろいろいい曲はあるが、圧巻は 9 - 10 - 11曲めの終盤3連発であり、めくるめく展開にのけぞる。クリップがないので、サウンドだけであるが
(↓9曲め "Maman 67 ママン67”)


       僕が行ってしまうとき、ママン、あなたは泣く?
       でも僕が残ったとしたら、どうするの?
       ママンと遠くにいるとき、僕は泣いているよ
       ママンが大好きだから、僕は戻っていくよ


(10曲め "Tombe dans mes bras 僕の腕の中に飛び込んでおいで”)


(11曲め "Les plus beaux matins 最も美しい朝")
Les plus beaux matins 最も美しい朝
Les amoureux se lèvent 恋人たちは起き上がる
S'embrassent et se protègent en riant
笑いながら口づけを交わしそして守り合う
Je ne veux plus que vivire ça
僕はそうやって生きることしか望んでいない
Me lever le matin dans tes bras
朝あなたの腕の中から起き上がること

ラ・ファム
のファースト(2013年)、ムードイドのファースト(2014年)に続いて、これは21世紀フレンチ・サイケデリックの金字塔になると思いますよ。

<<< トラックリスト >>>
1. Endors-toi
2. Tendresse sur canapé
3. Chien chinois
4. Club Med 2002 ou 2003
5. JSP
6. Pas tout à fait presque
7. Les amis de mes amis
8. Conte Breton
9. Maman 67
10. Tombe dans mes bras
11. Les plus beaux matins

Petit Prince "Les Plus Beaux Matins"
LP/CD/Digital PAIN SURPRISES
フランスでのリリース:2020年9月4日

カストール爺の採点:★★★★☆


(↓)プチ・プランス(ライヴ)"JSP" + "Endors-toi"

2020年9月25日金曜日

カリンか、カリンか、ま、いぃや。

"Les Apparences"

『うわべ』

2020年フランス+ベルギー合作映画
監督:マルク・フィトゥーシ
主演:カリン・ヴィアール、バンジャマン・ビオレー、ルカス・エングランダー、レティシア・ドッシュ
原作:カリン・アルヴテーゲン小説『裏切り』(2003年)
音楽:ベルトラン・ビュルガラ
フランスでの公開:2020年9月23日


 一度しか行っていないが私も大好きな町、ウィーンが舞台である。その音楽の都でクラシック音楽オケ指揮者として成功しているアンリ(演バンジャマン・ビオレー。コンサートでオケ指揮のシーンあり。当たり前だが堂に入ったものだ)、その妻エヴリーヌ(これを今風シックに”エーヴ”と呼ばせようとする。演カリン・ヴィアール)はウィーンのフランス語メディアテーク図書館の館長をつとめている。二人にはマロという名の養子の男の子がいて、ウィーンのフランス語学校に通学している。在ウィーンのフランス人ブルジョワ家庭というわけだが、世界のどの大都市にもある在留フランス人ハイソサエティーの中におさまって、上流同士のおつきあいをそつなくこなしている。毎週のように集まって会食する小さなサークルは、上流の成功自慢、うまい話、スキャンダル(かつてのサークル成員であってもひとたび醜聞あれば、徹底的にこき下ろす)といった話題で盛り上がる虚飾に満ちた世界。在ウィーンのフレンチハイソサエティーの最高位にあるこの一握りの人たちは、口では「私たちは何があっても助け合って行きましょうね」と"絆”を強調するのだが、内心は反目と嫉妬が渦巻き、願っているのは他人の転落ばかり。ま、よくあるブルジョワジー社会の構図である。
 最初の映像からこのアンリ/エーヴ夫妻の間には"倦怠”ムードが漂うが、名誉も地位もある40代、エーヴはこのウィーンの"おやまの大将”ポジションを愛し、なんとしてでもこれを保持しようと努め、ソワレやパーティーの華としてふるまう。アンリは全くそれには冷めていて、夕食会でまったく口を開かないこともある。ここでこの二人の俳優の技量について述べると、バンジャマン・ビオレーがブスっと気難しい顔をして、周囲に対して無愛想なさまは、演技ではないそのまんまビオレーであるの対して、カリン・ヴィアールはそつのなさ、世渡りのうまさ、インテリジェンス、狡猾さ、嫉妬深さ、単純さ、複雑さが混在する多面的な役どころをこなす類稀な芸達者ぶりを発揮している。狂気/殺気をはらんだ底意地の悪いこの人の顔の表情は、2019年の映画『やさしい歌(Chanson Douce)』(リュシー・ボルルトー監督、レイラ・スリマニ原作)のベビーシッター役以来、ヴィアールの「顔」になりつつある。
 さて、2020年的現在を設定した映画なので、この映画でもスマホ、SNSなどがおおいに幅をきかす。発端はアンリが無造作に置き忘れたスマホの画面に現れたティナという名の女からのメッセージをエーヴが見てしまったこと。彼女はアンリが浮気していると直感する。
 この映画のシナリオの弱さは、不倫という当人にしてみれば最大の隠し事であり漏れを警戒しているもののはずなのに、いとも無造作にスマホは放置してあるし、メールは簡単に傍受されるし、パスワードは寸時に解読される、というありえなさ。これが妻の過度の嫉妬と執念深さによるマジカルなパワーと言わんがばかりのイージーさ。
 異国のフランス人社会という狭い世界でのことなので、その浮気相手は簡単に見つかる。息子マロが通っているフランス人小学校の教師(演レティシア・ドッシュ)。これは常日頃エーヴが自分の(地位も名誉もある)仕事を最優先するがために、学校の送り迎えという子育てのつとめを(時間に余裕あるアーチストたる)アンリに任せきりだった、という"言い訳”をアンリに与えることになる。そして女教師ティナがアンリとのお熱い交信につかっているメアドをつかみ、エーヴはこの不倫を潰しにかかる。ここが重要で、エーヴはこのことで夫を責め立てたり、情婦と諍いを起こしたりということを避け、外面上何もなかったように元の鞘に収まる(不倫相手が自然消滅する)よう画策するのである。エーヴはティナのメーラーに使用者パスワードで侵入し、彼女のアンリ宛ての熱烈で下品ですらあるラヴメールを、フランス人学校の父兄連絡メールに混ぜ、全教師全父兄CCで配信してしまう。この時の「してやったり」と勝ち誇るカリン・ヴィアールの顔を想像されたし。不気味。
 これによってフランス人学校および在ウィーンフランス人社会全体に大スキャンダルが起こり、不倫女教師ティナは学校だけでなくウィーンからも姿を消さねばならないことになるはずであった。屈折心理ドラマのルーチンながら映画は父兄たちの非難の矢面に立たされ窮地にあった女教師ティナをエーヴが庇うふりをする、というシーンすら見せる。余裕余裕。
 しかし敵もさるもの、ティナはこの絶体絶命のピンチをなんとか乗り切り(この手紙の一節は、自分が書きかけ中の小説の一部であり、メール添付は過労ストレスによる単純ミスである ー こんな説明でやりこめるのは某国内閣のようだ)、ウィーンに居残りアンリとの密会情事を繰り返す。妻エーヴにはライプツィヒに出張と偽り、アンリとティナは難局突破記念のドナウ川クルーズ旅行、勝ち誇って嬉々としてクラブで踊り狂うティナのバックで流れる音楽が


ウィーンが生んだロック・アーチスト、ファルコ(1957 - 1998)の"Der Kommissar"(1982年全欧州で大ヒット、日本題「秘密警察」)なのだよ。必殺ですね。
 騒動と前後して、エーヴはアンリの浮気という確たる事実を知ったショックで、ある夜、一文無しで見知らぬバーに入り、初対面の青年ヨナス(自ら"ヨナス”と名乗ったのにカリン・ヴィアールはずっとフランス読みで"ジョナス”と呼び続けている。演ルカス・エングランダー)を相手に自暴自棄気味にアルコールを煽り、乱れに乱れ(この夜の写真が後日インターネット投稿されるとも知らず)、安ホテルでの一夜を過ごす。酔い潰れ”関係”も持たず寝入っている青年を残して未明にエーヴはホテルから去っていくが、シンデレラの靴よろしく、彼女の高級スカーフ(おそらくエルメス)を置き忘れてしまう。その夜のことを「純愛」と信じて疑わないヨナスは、このスカーフの主を求めてウィーン中を探し回る。思い込みの純愛を追い求めるストーカーの様相で。実際このヨナスはストーカー犯の前科があり、電子足枷受刑中の身であった。せまいフランス人社会のゆえに、フランス語メディアテーク館長であるエーヴの居場所はストーカーに簡単に見つかってしまい、一夜の過ちと逃げ回るエーヴに、執拗なストーカーのあの手この手が始まる。
 このエーヴとヨナスの乱れたあの夜の写真をインターネットで発見したティナは逆襲に転じ...。そしてインターネット(この映画、本当にインターネット様様、なんでも話のタネが出てくる)で、ティナのフランスでの前歴と本名を知ったエーヴも応酬に出て...。ヨナスとエーヴの"関係”を知らされたアンリもこの二人の現場を抑えるべく...。

 いろんな方向にあっちゃこっちゃ行ってしまう(あげくには殺人事件に発展する)映画だが、収拾はつく。教訓(モラリテ):これはアンリがエーヴに投げ捨てる言葉「おまえにとって重要なのはうわべ(les apparences)だけだ」とね。映画もそういうタイトルだしね。クロード・シャブロル流儀の本格心理スリラー映画、という評価もあり。
 天国から地獄までのカリン・ヴィアール、天使(であったことはほとんどないが)から悪魔までのカリン・ヴィアール。この人はうわべだけじゃないすごい女優。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)"Les Apparences" 予告編

2020年9月24日木曜日

直立の恋 l'amour debout (ジュリエット・グレコを悼む)


 ジュリエット・グレコ(1927-2020)

2020年9月23日、ジュリエット・グレコが93歳で亡くなった。2016年にAVC(脳卒中)発作のため、引退ツアー(tournée "Merci")を中断した時からもはや再起は望めないし、余命もいくばくか、とも言われていた。報道はされなくても、命が細くなっていくのは感じられたし、その最後と思われる2020年7月のテレラマ誌ヴェロニク・モルテーニュのインタヴューはコロナ禍という人類の滅亡を幻視させる事態の中での、1940年代から2020年まで"現役”だったアンテルプレート(interprète、代弁者、解説者、演技者、歌手...)の切れ切れの遺言だった。ジュリエット・グレコ、私たちには"サン・ジェルマン・デ・プレ"という特別な意味のある地名の代名詞であったし、私たち古くからここに住む日本人たちがいみじくもこう略して愛称した「デプレ」が、神話だった頃の歌声であった。それはフロール、リップ、ドゥー・マゴといったカフェに特別な敬意をもって珈琲一杯を飲みに入ったわれわれ「遅れてきた世代」の遠いあこがれでもあった。私が十代(1970年代前半)で、青森という田舎にいながら、サルトルだのカミュだのヴィアンだの(サガンだの)を読み、遠い遠い彼方の"サン・ジェルマン・デ・プレ”を想ったとき、たぶんジュリエット・グレコの歌はあるべきだったのに、なかった。名前だけは"神話"として知っていた。ずっと後、1990年代後半、独立して会社を作り、日本にフランス音楽を"輸出”するという仕事を本格的に始めた頃、ジェラール・メイズ(ジャン・フェラ、イザベル・オーブレ、アラン・ルプレスト... そしてジュリエット・グレコのプロデューサー)から電話があり、一緒に仕事したいという申し出でその事務所まで行った。そこに、たまたまジュリエット・グレコと(その夫)ジェラール・ジュアネストがいて、メイズが紹介してくれた。私はこのシャンソン・フランセーズのアイコンを前に緊張して、握手もできず、深々とお辞儀した。するとすでに何度も来日して日本の流儀をよく知っていたジュリエットは私に微笑んでお辞儀してくれた。これが私のジュリエット・グレコとのたった一度のコンタクトであった。
 大御所として遠い眼差しで見ていたジュリエットを、ずっと後年に急激に意識させてくれたのは、アブダル・マリックだった。それは私が中学生の時に、ジャック・ブレルを教えてくれたスコット・ウォーカーのような"間接”の衝撃的出会いだった。ジュリエット・グレコはずっと近く、とても重く自分に訴えかけるアーチストに変わり、2013年、私は最大の敬意をこめて(2013年版)『グレコ、ジャック・ブレルを歌う』のアルバムリリースに関する長い記事をラティーナ誌に書き送った。おそらくかなりコンプリートなグレコ(&ブレル)オマージュ記事だったと思っている。以下に再録して、ジュリエットへの追悼への意に代えたい。

★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★

この記事は音楽誌ラティーナに連載されていた「それでもセーヌは流れる」(2008 - 2020)で2013年12月号に掲載されたものを、同誌の許可をいただき加筆修正再録したものです。

直立の恋 ー ジュリエット・グレコ、ジャック・ブレルを歌う

 Amour debout(アムール・ドブー:直立の恋):ジュリエット・グレコはジャック・ブレルとの間柄をこう表現した。今年2013年はブレルの35周忌に当たり、仏ユニバーサルは9月に超豪華なCD21枚組の全録音集を発表した。因みに25周忌の時の全録音集は16枚組だったので、一挙に5枚分の録音が追加されたことになる。それとは別の35周忌企画で、かのサン・ジェルマン・デ・プレのミューズが『グレコ、ブレルを歌う』と題するアルバムを1028日に発表した。グレコは1954年にブレル作の曲「悪魔(万事良好)」をレパートリーに入れ、駆け出しのブレルを世に知らしめた最初の有名歌手だった。以来、グレコはブレル楽曲を多く取り上げ、88年にはブレルのピアニスト・編曲者だったジェラール・ジュアネストと結婚もしており、ブレルとは深い関係があった。

 今度の『グレコ、ブレルを歌う』の発案は自分のものではなく、その企画の申し出に、最初は謙虚で慎重な態度だった。それでも最終的に「私は今こそブレルに彼を愛していたことを告げる時だと思ったの」(1028日付けル・モンド紙に掲載されたインタヴュー)。

 1954年、パリのクリシー広場にあった大きな映画館ゴーモン・パラスで、無名の駆け出し歌手、ジャック・ブレルは、二本立て映画の幕間に余興歌手として出演して3曲歌った。誰も歌なんか聞いていない。その2階席にジュリエット・グレコがいて、その大きな手、長い腕、長い脚、長い顔の歌手の出現に、体が固まってしまい、じっとその歌に聞き入った。その横にジャック・カネティ(ピアフ、トレネ、アズナ ヴール、グレコ、ブラッサンスなどを発掘した名プロデューサー)がいて、彼女に「ジュリエット、興味あるのかい? 彼の名前はブレル、ベルギー人だ。オー ディションするよ。一緒に見よう」と言った。
 これがジャック・ブレル(当時25歳)とジュリエット・グレコ(当時27歳)の出会いだった。ブレルは無名新人だったが、グレコは既に「サン・ジェルマン・デ・プレのミューズ」であり、オランピアでショーを打ち、国際ツアーにも出ているスターだった。オーディションの末、グレコはすぐさまその1曲「悪魔(万事良好)」を「私がいただくわ!」と申し出た。「当時彼にはこの曲を成功させる手だてはなかったけれど、私にはあったの。"でも他の曲は全部あなたが歌うのよ”と私は彼に言った。彼はこのことを一生忘れなかった。この日から彼が息を引き取るまで、私と彼は愛し合っていた、直立の恋として。」(前掲ル・モンド紙インタヴュー)

 この「直立の恋」(アムール・ドブー)というグレコの表現を私は美しいと思った。"amour debout"(立ったままの愛)とは"amour couché"(横になった状態の愛)ではない、つまり一緒に横になったりはしない、プラトニックな恋愛であった、と理解できるが、この"debout"が含意する潔さ、折り目正しさ、凛とした姿勢がいい。グレコは恋多き女性だった。ブレルもまたしかり。この二人の情熱家が出会ったとたんにお互いに「この人には触れてはいけない」という別格・別次元のリスペクトと愛を直感したのではないか、というのが私の読み過ぎの解釈である。

 それはブレルが肺がん発病後、1977年に最後のアルバム『レ・マルキーズ』を録音するためにマルキーズ島からパリにやってきて、そのリハーサルをグレコの自宅で行ったということにも如実に現れる深い信頼関係でもある。「グレコは野郎だよ」とブレルが彼女を定義したという。グレコはそれを解釈して「私たち二人の間には、二人の男同士だけが感じることができる信頼、尊重といった根本的なものがあるのよ」と説明している。これも直立の恋のヴァリエーションである。

 ジュリエット・グレコは1927年南仏ラングドック地方モンペリエで生まれた。父親は家を出てしまい、母親と姉との三人暮らし。12歳でパリ・オペラ座の子役バレリーナ養成所に入る。第二次大戦中母親はレジスタンスに参加し、その廉で母娘3人はゲシュタポに捕えられ、母と姉はラーフェンスブリュック収容所に送られ1945年まで帰ってこなかった。数日間の投獄の後、歳が若いということで一人だけ釈放されたジュリエットは、15歳で無一物でパリの町に放り出される。父の不在、投獄、放浪と、グレコは少女期に不安定で不確かで不条理な世界を体験してしてしまった。これを実存主義と結びつけるとすれば、彼女は理論ではなく体験としてそれを深く刻まれたのではないか。パリのたったひとりの知人の居候としてセルヴァンドニ通りに住んで終戦を迎え、戦後そこからすぐ近くのサン・ジェルマン・デ・プレ界隈にジャズと実存主義が花開いた。エキセントリックで行儀の悪い娘ジュリエットは、ジャン=ポール・サルトルやボリズ・ヴィアンの仲間に溶け込み、そのミューズとなっていく。


 グレコは恋多き女だったと書いたが、その最初の大恋愛の相手は1949年にやってくる。その5月8日、サル・プレイエルで開催されたパリ国際ジャズ・フェスティヴァルには、チャリー・パーカー、シドニー・ベシェといった大物に混じって、23歳の新星トランぺッター、マイルス・デイヴィスが登場した。マイルスにとって初めての外国旅行だった。ここで彼はパリの先端文化人たちと出会う。サルトル、ヴィアン、ピカソ... そして22歳のジュリエット・グレコ。二人は電撃的に恋に落ち、言語の壁をものともせずすべてを分ち合った。栄光の時を迎える前の二人はやや貧乏ではあったが、それでも二人で割勘でレストランに行けた。

 そんな時サルトルがマイルスに尋ねた「どうしてジュリエットと結婚しないのか?」 ー 当時合衆国では多くの州でカラードと白人の結婚や交際が禁じられていたということを念頭に入れていただきたい。「僕は彼女を愛している。だから結婚できないんだ。白人女は黒人とは結婚しないものなんだ」とトランぺッターは答えた。そんなことに無頓着だったジュリエットはニューヨークで初めてその人種差別の現実を知る。二人で行った高級レストランで席が空いているにも関わらず、門前払いを喰らった時、激怒したジュリエットはウェイターの手首を掴み、唾を吐いた。だが「ここにいたらきみは黒人相手の娼婦にしか見られないんだ、きみを不幸にしたくないんだ」とマイルスは別れの言葉を深夜の電話で告げた。

 それから40年後(199010月)仏テレビのグレコ特番の生放送にサープライズ・ゲストとして、グレコの代表曲のひとつ「枯葉」を吹きながら現れたスーパースターのマイルスは、司会の「なぜツアーを中断してパリまで来てくれたのですか?」という質問に、"Because I love her. She's my first love."と断言したのである。それから1年も経たぬ91年9月、帝王マイルスはこの世を去る。

 恋多き女グレコはその間にもハリウッドのプロデューサー、ダリル・ザナック(20世紀フォックス創設者)と恋仲になり、57年から61年までハリウッド女優として『陽はまた昇る』、『栄光のジャングル』などの映画に出演している。仏男優フィリップ・ルメールとは53年に結婚し、54年に娘ローランス=マリーを出産し、56年に離婚している。後年20世紀フランス映画を代表する俳優のひとりとなるミッシェル・ピコリとは66年(当時グレコ39歳、ピコリ41歳)に結婚して、11年間生活を共にして別れている。

「一曲のシャンソンの時間だけ、私たちは愛し合っていた」と歌う傑作「ラ・ジャヴァネーズ」をセルジュ・ゲンズブールがグレコのために書いたのは1963年のことだった。果たせぬ恋を一曲の歌の間だけ、という誘惑をグレコは聡明に受け止め、この天才とのやりとりを愉しんでいたという。ある日ゲンズブールがグレコ亭にひとつの包みを持ってやってきた。それは1枚の絵だった。「あなたのために1枚だけ取っておいたんだ。他の絵は全部きのう焼いてしまったよ」。グレコはどうして?とは聞かなかった。チョコレートを持って来てくれる人に、どうして?とは聞かないように。

 ジェラール・ジュアネスト(1933- )は、68年からグレコのピアニスト/編曲家となり、88年にはグレコの三度めの夫となって今日まで続いている。国立高等音楽院のピアノ科を首席で出たのち教授コースに進むが、父の死のために断念、家計のために歓楽街ピガールで楽団ピアニストになり、57年にジャック・カネティ主宰のホール、トロワ・ボーデでジャック・ブレルと邂逅している。同じくピアニスト/編曲家のフランソワ・ローベ(1933-2003)とジュアネストはブレルの曲作りに欠かせないブレインとなる。グレコはこのブレルとジュアネストの最初の共同作業の時からピアニストを知っていた。

 のちに世界的な大スタンダード曲となってしまう「行かないで」は1959年に発表され、ブレルの作詞作曲とクレジットされているが、実はBメロ(ブリッジ)はジュアネストが作っている。彼がブレルのために共同作曲した作品は40曲以上になるが、その最初が「行かないで」だった。ブレルは通常ギターで作曲するが、「行かないで」は歌詞とAメロは出来ているのに、続く展開部のメロディーが浮かばずに悩んでいたところを、ジュアネストがピアノでBメロを提案した。完成した曲は著作権協会(SACEM)に「詞ブレル・曲ブレル/ジュアネスト」と登録されるはずだったが、駆け出しのジュアネストが協会の作曲家資格審査にまだ通っていないために、名前が載せられなかった。不憫に思ったブレルは、その頃自転車だけが財産という貧乏状態だったジュアネストにグランドピアノを買い与えるのだが、その時はまだこの曲が世界の名曲になるとは思っていなかったのだ。

 グレコも「行かないで」は自分のレパートリーに入れていて、今度の『ブレルを歌う』にも全く新しいヴァージョンを吹き込んでいる。これは自分と別れて去ろうとする女に、男が床にひれ伏して涙ながらに留まることを嘆願する歌だった。ブレルも涙まみれにこれを歌った。ところがグレコは涙の嘆願としてブレルがそれを歌うことをひどく嫌っていた。曲は素晴らしく好きなのに、そのめそめそ加減は彼女を苛立たせもした。新録音に際してグレコとジュアネストは楽曲の読み直しを行い、グレコは「行かないで」を嘆願せずに「行くな」と命令したり諭したりする歌唱表現を展開している。その別アングルからのアプローチは、曲を知り尽くしたグレコのブレルへの「聞いて、私ならこうする」という提案だっただろう。

 このアルバムにはグレコ夫妻と親しい関係にあるラップ歌手アブダル・マリック(2006年のアルバム『ジブラルタル』からジェラール・ジュアネストが参加している)によるライナーノーツが載っていて、その熱のこもったオマージュ文を「絶えることなき再創造」という言葉で閉じている。グレコはブレルやバルバラのような自作自演歌手ではない。作詞家/作曲家の作品を歌うパフォーマー(アンテルプレート)である。フランス語で演奏者/歌唱者を意味するアンテルプレート(interprète)という語は、同時に通訳者/解釈者という意味もある。「詩人や音楽家たちはアンテルプレートを必要としている。彼らは常に自分の作品の最良のアンテルプレートというわけではない。往々にして私たちアンテルプレートは、彼ら自身が聞いたこともないようなことを発見してしまうのよ」(2004年ドキュメンタリー「我が名はグレコ」のインタビュー)。 

 「言葉はとても重要なもの。私は自分の気に入らない言葉を歌うことはできない。私はその言葉に仕えるためにある。私はアンテルプレート。シャンソンというのは特殊なアートで、人が思っているのとは逆で極めて難しいもの。一編の戯曲や小説を2分半か3分の長さで書かなければいけない。これは尋常ならぬ仕事。シャンソンは万人の耳に入っていき、街の中に流れ、海を渡ってもいけるもの。シャンソンは人生の伴侶になれるほど重要なもの」。(同「我が名はグレコ」のインタビュー)

 アンテルプレートとして「絶えることのない再創造」者として、グレコはジャック・ブレル作品に再挑戦した。編曲・オーケストレーションはブルーノ・フォンテーヌが担当していて、グレコとジュアネストは彼のことを「フランソワ・ローベの真の後継者」と称賛しているが、意表をついた編曲もままある。それはグレコの再読み直しへのシンクロなのだろうが、荘重なストリングス(「いかないで」)、虚飾のないチェロのソロによる伴奏(「古い恋人たちの

歌」),抑制のきいたオーケストラ(「これらの人々」)、さまざまな木管・金管・弦楽器の固まりの間を振動していく(「アムステルダム」)など、ブレル節からグレコ節へのラジカルな改変がはっきりしている。録音はオーケストラと共に歌を入れるダイレクト録音で行われ、それがグレコの真剣勝負のエモーションを掻き立てた。たしかにグレコは挑むように歌っているところがある。それはブレルの歌の「男臭さ」と「声の大きさ」であり、時折それはグレコを苛立たせた。声高に男の歌詞を歌うブレルは"ミゾジーヌ"(女嫌い)との噂があったが、グレコは「女が怖いから声を大きくするしかなかったのよ」と解釈している。ところがグレコは女であり、この「ズボンの前を開ける」豪放な男歌「アムステルダム」をどう歌うのか。もの言わず塊で生きる貧しい人々の中に埋もれながらフリーダという娘だけには恋していると歌う男歌「これらの人々」をどう歌うのか。これらの歌はこれまでグレコは歌えないと思ってレパートリーに入っておらず、初めて歌う歌だ。「私が男だったら絶対に歌わないわ。私は女だからこれを私が好きなように歌えるの」。ブレルの男歌にも必ず含まれているフェミニテ(女性性)を引き出し、グレコはこれらの言葉を女性の口のなかで咀嚼し、グレコの歌としてアンテルプレートした。聞く者は総じて女性的なアルバムという意外な印象を抱くだろう。ブレルと対峙している時は、常に男と女なのだ、と告白しているように。直立の愛として。

 ナチによって投獄され、戦時のパリを放浪し、サン・ジェルマン・デ・プレで行儀の悪い若者たちのイコンとなり、マイルス・ディヴィスと恋をして人種差別によって引き裂かれたグレコ.... 時はながれ、今や合衆国にはカラードの大統領がいる。「フランスとアメリカは逆の進み方をしている。フランスにはレイシズムなどなかったのに、今やレイシズムのただ中にある」とグレコは分析する。

 新アルバムには入っていないが、グレコが最初の出会いでブレルからもらった曲「悪魔(万事良好)」(1954年)は、悪魔が地球に降りて来て、人間たちが戦争やテロや極端な金儲け主義にうつつを抜かしているのを見て、大丈夫だ、万事良好だ、と安心するという歌。

人間たちはこれらのことをあまりに  
たくさん見すぎたので、目が灰色になった
   
(詞曲ブレル「悪魔(万事良好)」)

この歌詞の一節はまさに今日的なフランスの状況を言い当てているとグレコは歌う。目が灰色になった人々が大挙して極右政党に票を投じることをグレコは憂えている。人種差別、外国人差別、同性愛者差別、イスラム亡国論、死刑復活などの言説がフランスのテレビやラジオで堂々と流されるようになった。この秋の世論調査では2014年の3月の統一地方選挙で、フロン・ナシオナル(国民戦線党)が第一位の得票率を得るという数字が出ている。10年前にル・モンド紙のインタヴューでグレコは「危険なのは父ではなく娘」(註:父 = 前党首ジャン=マリー・ルペン、娘 = 現党首マリーヌ・ルペン)と警鐘したが、誰も気に止めなかった。86歳のグレコはファシズムやレイシズムを体験として生きた人物であるから、その憂いは深い。今、ブレルを歌い、シャンソンを歌い続けることは、フランスが持っていた自由を再度歌い上げることでもある。2014年5月、グレコは87歳でオランピア劇場の舞台に立つ。

(↓)『ジュリエット・グレコ、ジャック・ブレルを歌う』のEPK(2013年)

2020年9月19日土曜日

Used to say I like Chopin

"Les choses qu'on dit, les choses qu'on fait"

『言うこととすること』

2020年フランス映画
監督:エマニュエル・モレ
主演:カメリア=ジョルダナ、ニールス・シュネデール、ヴァンサン・マケーニュ、エミリー・ドケンヌ
フランス公開:2020年9月16日


 演者のひとり、マキシムを演じるニールス・シュネデールは、クリスティーヌ・アンゴ原作の映画『ある不可能な愛(Un amour impossible)』(2018年、カトリーヌ・コルシニ監督)で、不誠実でエゴイストで娘に近親相姦する男フィリップを演じていた人。身勝手な男を絵に描いたような役どころであったが、今回の映画では一転して軟弱な作家志望の青年の役。この感受性にアップアップな文筆家マキシムは、つい最近受けた失恋のショックを小説に描こうと思うのだが行き詰まり、転地療法を試み、いとこのフランソワ(演ヴァンサン・マケーニュ)のはからいでプロヴァンス(ヴェザン・ラ・ロメーヌ近郊)の別荘に逗留して執筆の霊感を得ようとする。ところが建築士のフランソワはパリでの仕事に急務が飛び込み、プロヴァンスにすぐには行けなくなり、代わりに妊娠3ヶ月の妻のダフネ(演カメリア・ジョルダナ)をマキシムの滞在の世話係として送る。映画は夫フランソワが別荘に合流するまでの、マキシムとダフネの4日間の親密な告白の応酬による関係深化のドラマ、と要約できよう。
 別荘にマキシムを迎えたダフネは、その傷心をバネに文学作品を創作しようとしているいきさつを夫フランソワから聞かされていて、少しでも手助けになれば、とマキシムの詰まっている心情を吐露させようとする。「どんな作品になるのかしら?恋愛小説?」という問いにマキシムは「(複数の)感情の物語 histoires de sentiments」と答える。これがまさにこの映画の核であり、"amour"(愛、恋)、"désir"(欲求、欲望)、"sentiment"(感情)にはそれぞれおおきな違いがある。これを人間は言葉にして言う(あるいは書く)ことによって、"なぜうまくいかないのか”を説明し理解しようとする。ダフネはマキシムが一行も書けないでいるのを悟り、整理するためにこれまでのことをすべて話してみれば、と提案する。映画はここから、美しいプロヴァンスを観光的にめぐりながら、マキシムの長い告白ストーリー(映画数本のエピソード量)を映像再現していく。最初は夫が東京に単身赴任中というヴィクトワール(演ジュリア・ピアトン)との"不倫”関係。夫と共に世界をまたにかけた理想の家庭を築こうと夢見るこの女は、マキシムとの燃えるような関係が一過性のものであるから美しいし、いつでも別れられるからいいと考える。次に現れるのがヴィクトワールの妹のサンドラ(演ジェンナ・ティアム)で、実はマキシムとは学校時代からの旧知 であり、何年ぶりかの再会であった。かつてはマキシムはサンドラの恋慕の的だったという経緯あり。二人は幼なじみのように旧交を深め、マキシムもサンドラに惹かれていくのだが、マキシムと一緒に仕事している親友のガスパール(演ギヨーム・グイックス)がマキシムの面前でサンドラの魅力に圧倒され、サンドラとガスパールは恋仲になる。パリの古く大きなアパルトマンで新生活を始めることになったサンドラとガスパールは、どちらにも気心の知れた親友であるマキシムにルームシェアを申し出、なんとも複雑な3人生活に入っていくのだが、時間が経つにつれてそれは三角関係に陥ってしまう。
 と、ここまでの告白ストーリーを中断させ、マキシムとフェアー(均等)であるべきと思ったダフネは、今度は自分がフランソワと出会った経緯を告白していく。この再現ストーリーもまた映画数本分の濃さ。ドキュメンタリー映画の編集助手であったダフネは、ある哲学者のインタヴュー(モデルがもろにロラン・バルトである)の編集を依頼され、これが自分の才能の開花のきっかけとなるであろうという心の高揚がある。それを統括する監督ダヴィッド(演ルイ・ド・ド・レンクサンのひとことひとことが胸にグサグサ突き刺さり、やがてそれは監督への敬愛から恋慕に移りつつあったが、監督はダフネが助手候補として紹介した映画学校時代の(男)同僚に一目惚れしてしまい、その監督の(彼への)恋心を告白されてしまったダフネは大きく揺れてしまう。前後して出会ったフランソワは妻子ある身ながら、その思春期青年のような真剣なダフネへの直感的恋心に突き動かされて日参を重ねるようになる。ダフネはダヴィッドへの不確かな恋慕にあった頃、フランソワと交情して一夜を過ごすのだが、彼女はフランソワが妻子ある男だから美しい一夜のあと後腐れなく去って(別れて)くれるだろうという論を持ち出す。あれあれ?これは前述とヴィクトワールと同じ(女の)リクツであるぞ。
 ところがフランソワはどうしようもなくダフネと一緒になりたい苦しみに苛まれることになるのだが、晴天の霹靂のごとく、妻のルイーズ(演エミリー・ドケンヌ。忘れじの1999年ダルデンヌ兄弟監督『ロゼッタ』=カンヌ映画祭パルム・ドール+女優賞、当時16歳!)が好きな男ができたので離婚したい、と申し出る(このエピソードが映画最終盤の最大のどんでん返しのもとであった)。半信半疑ながらフランソワはその"渡りに船”の機会に乗じてダフネと結ばれていく...。
 続いてマキシムの告白の続き。3人の共同生活は、主カップル(=サンドラとガスパール)の痴話喧嘩的いさかいの激化によって、ガスパールが不在がちになるという機会がサンドラとマキシムを密にくっつかせることになるのだが、どんなに親密になってもどんなに性関係を重ねても、サンドラはガスパールを忘れることができない、またガスパールもまた新しいガールフレンドをつくり、その関係を正当化しながらもサンドラこそ真の恋人というポジションを崩さない。映画はこんなふうに「カップルの貞節」すなわち伴侶に対する誠実さを基本ベースにしながらも、それぞれの純愛が独立的に生まれ育ち抑えきれないほどのものになっていくドラマ=感情悲劇をどうするか、という様々なパターンを検証することになる。
 映画の主軸はダフネとマキシムという別々の大きな感情の揺れ動きを生きた二人が、プロヴァンスの(パリとは違う)別時間と別空間の中で、4日間お互いの「場合」を告白しあうことで否応なしに生まれてしまう新しい感情/交感/関係である。これは二人が言っていること(告白しあっていること)とは違うなにかなのである。この二人が何よりも深く愛し合ってしまっていることがわかりながら、映画はジャック・ドミー『シェルブールの雨傘』のように最高に悲しい駅での別れのシーンを大終盤にもってくるのだよ。
 メロドラマでない感情ドラマ。"不倫””不貞””不道徳"という次元のモラルが何かを止めるというエピソードはひとつもない。われわれの"désir”(欲求・欲望・愛欲)を自制する感情は何なのか。抑えることで成就しない恋愛は、不幸にはなるが、文学なり芸術なりの美の源ではないか。テレラマ誌2020年9月19日号のこの映画評で引用された映画中のダイアローグを、以下に翻訳してみる。

ダフネ(演カメリア=ジョルダナ)「自分の欲望を表に出すのは誤りではないわ」
マキシム(演ニールス・シュネデール)「状況によっては誤りにもなるよ」
ダフネ「それは行為に転じるという意味ではないわよ」
マキシム「それはことを起こすことの要因にはなるよ、導火線に火を点けるような」
ダフネ「でも他の人が与えてくれる快楽を隠して生きる世界って悲しすぎるわ。欲望のまま生きることを求めることなく、時折自分の欲望を表に出すことはできると思うの、たとえカップルで暮らしていても。重要なのはその表に出すやり方よ、ある視線が私にこう語りかけるの、あなたが欲しいんだ、あなたは私を欲しがっている、私たちはこの欲望を実現させることはできない、なぜなら私たちはお互いにすでにカップルだから、それでも私はあなたと出会えてとても幸せだ、って」

 われわれは出会えただけで幸せだったと達観できるほど、身体的にも感情的にも聖化されることなどなかろう。言うこととすることの距離は縮まらないであろうよ、死ぬまで。
 それから、映画の全編で流れるおセンチでメランコリックな(有名)クラシック楽曲、アダージョで、ピアノで、泣きの短調で、ショパンで、これでもかこれでもかの音楽。それに流されないで複雑なダフネとマキシムを最後まで観れたら、この映画はメロとは「別物」とはっきりわかるだろう。

カストール爺の採点:★★★★☆


(↓)『言うこととすること』予告編


追記(2020年9月20日)
主演女優カメリア=ジョルダナについて

カメリア=ジョルダナ(本名カメリア=ジョルダナ・リアド=アリウアン)は1992年トゥーロン(ヴァール県、プロヴァンス)生まれ。アルジェリア移民三世。16歳で民放テレビM6の歌手スカウト番組NOUVELLE STARの3位に。翌2010年仏ソニー・ミュージックからファーストアルバム(チャート最高位9位、16万枚)、今日までアルバム3枚(2枚目のプロデュースがバビックス)。2012年からテレビ、映画、舞台で女優業も。2017年イヴァン・アタル監督の映画”LE BRIO”(共演相手ダニエル・オトゥイユ)でセザール賞(新人女優賞)。作家主義の社会派映画などにも出演。子供の権利、女性の権利、レイシズム、警察暴力などに関して明確なポジションの発言多し。
2020年5月23日、国営テレビFRANCE 2のトークショー番組”On n’est pas couché”で警察暴力に関して:
「私は毎朝郊外から働きに出る普通の男たち女たちのことを言っているのよ、その人たちは何の理由もないのに肌の色が違うというだけで殺されるほどの暴力を受ける、これは事実なのよ(…)ひとりの警官を前にして身の危険を感じる人たちは何千人もいて、私もそのひとりなのよ。今私は縮れを延ばしたヘアースタイルをしているけれど、私が縮れた髪をしていた頃、私はフランスの警官を前にすると本当に身の危険を感じていたのよ、本当に本当 vraiment, vraiment」と語り、当時の内務大臣(クリストフ・カスタネール)が直接Twitter上で反論するなど、大変な物議を醸した。

(↓ 5月23日、”On n’est pas couché”、警察暴力に関して作家フィリップ・ベッソンと衝突するカメリア=ジョルダナ)

2020年9月13日日曜日

元始女性は太陽であった

Grand Corps Malade "Mesdames"
グラン・コール・マラード『メダム』

2003年スラム詩人としてデビューしたグラン・コール・マラードの6枚目のアルバム。2020年夏、グラン・コール・マラードに起こった異変、それは7月にこのアルバムの先行シングルとして発表されたカミーユ・ルルーシュとのデュエット曲"Mais, je t'aime"が、ヒットパレードなど全く無縁であったこのスラム・アーチストにして初めてメジャーのFMネット(NRJ、Virgin FM、RTL2...)でヘビロテでオンエアされ、2020年夏最も美しいラヴバラードとして人々に愛されたこと。私たち家族はこの「コ禍」の危機的状況を知りながらも2週間のコート・ダジュールでのヴァカンスを敢行したが、リゾート地のローカルFMで、ブラック・アイド・ピーズなどに混じってグラン・コール・マラード(+カミーユ・ルルーシュ)の曲が聞こえてくると、これ、間違いではないだろうか、と思ったものだった。グラン・コール・マラードはメジャーレコード会社ユニヴァーサルから作品を発表しつづけているそれなりにメジャーのアーチストではあったものの、NRJのプライリストに載るような"ヒット”とは一線を画していたのだが、この種の"大衆化”は悪いこととは言えないのだろうな、たぶん。
 "Mais, je t'aime"は掛け値なしに美しい曲であるが、それは当初女優・自作自演歌手であったカミーユ・ルルーシュが2017年に自曲として発表していたものだった。期待になにひとつ応えられない愛だけれど、それでもいいのなら私の最善の愛を捧げるという女性の控えめだが力強いマニフェストの歌であったが、それにグラン・コール・マラードが俺も不器用でどうやって愛していいのかも知らない男だけれど、と散文的に介入してダイアローグにしようと試みたのがこのデュエットだった。
 不器用で何をどうしていいのかわからない男だけれど、俺も何かしたいんだ、関わりたいんだ、とグラン・コール・マラードが突き動かされてつくったアルバムである。何に関わりたいのか? それは"フェミニズム”である。男女同権、男女平等がお題目になってから何十年経とうが、われわれの社会はそれからほど遠いのは誰もが認めるところである。家庭で、学校で、実社会で、役割にしても出番にしても重要度にしても報酬にしても、なぜ男女でこんなに違うのか。女性たちがいくら声高にそれを主張しても、事態はほんの少しずつしか前に進まない。グラン・コール・マラードはフランスでの婦人参政権ですら20世紀半ばに獲得されたばかりだということに驚愕し、封建的に堅固な男性原理社会を壊すには、非力かもしれないが男性側もなんとかしなければ、という自覚にいたる。「女性は人類の未来である」(ルイ・アラゴン/ジャン・フェラ)、「女性たちよ、私はあなたたちを愛する」(ジャン=ルー・ダバディー/ジュリアン・クレール)と同じように、グラン・コール・マラードはこの問題に関する男性たちの関心と意識の高まりを訴えようと言うのだ。何を今さら、と言われようが、多くの男たちは「これが世のならわし」と女性たちの現実を見過ごしている。
 『メダム』はそういう問題意識をベースにした女性たちへのオマージュアルバムであり、全10曲、1曲めのマニフェスト的なアルバムタイトル曲「メダム」を除いて、続く9曲はすべて女性アーチストとの共演。前述の"Mais, je t'aime"だけが(カミーユ・ルルーシュのオリジナル曲として)既発表の曲で、残る8曲はグラン・コール・マラード詞のこのアルバムのための新曲である。共演相手は現在フランスのトップクラスの人気歌手であるルアンヌ、女優ローラ・スメット(母ナタリー・バイ、父ジョニー・アリディ)、大歌手ヴェロニク・サンソン、1990年生まれのシンガー・ソングライター(2020年ヴィクトワール賞ステージパフォーマンス新人賞)シュザンヌ、クラシックヴァイオリン+チェロの姉妹ジュリー&カミーユ・ベルトレ、ラップ/R&B歌手アリシア(Alicia)、グラン・コール・マラードと同じスラム詩人で十代のマノン(Manon)、エレクトロ・ポップのアミューズ・ブーシュ(Amuse-Bouche)。
 アルバム冒頭は共演なしでグラン・コール・マラードがひとりでスラムする「メダム」というこの男からの最大級の女性へのオマージュで、ちょっとこちらがきまり悪くなるほど。

メダム(淑女の皆さん)われらの習慣や文化に深く残る男性原理に対して
私の誠実な償いの試みとしてこの告白を受け止めてください
人類の大きな書物の中に、断絶の章を記しましょう
(・・・・・)
すべての重要な男たちの影にそれに霊感を与える女性がいる
あらゆる偉人の誕生に先立つのはその母の産みのふんばりである
かの詩人は女性は人類の未来であると綴った
しかしその未来は久しい前からそのままになっている

あなたたちはわれらのミューズ、われらの霊源、われらの動機、そしてわれらの悪徳
あなたたちはシモーヌ・ヴェイユ、マリー・キュリー、ローザ・パークス、アンジェラ・デイヴィス
あなたたちはわれらの母、われらの姉妹、
あなたたちはレジ係、あなたたちは医師
あなたたちはわれらが娘、そしてわれらが妻
われらはあなたの炎に照らされゆらめいている
(・・・・・)
なんと饒舌なことでしょう。歯の浮くようなセリフばかりではない。われら男性はたとえどんなに女性への称賛礼賛を述べ、自分史や人類史に照らして過ちに許しを乞うても、「それ、口だけでしょ」で一蹴されるのがオチである。これをグラン・コール・マラードはあらかじめわかっているがゆえに、この第一曲「メダム」の最終ストローフにこんな1行を入れる。
Veuillez accepter Mesdames cette délicate démagogie
淑女の皆さん、この微妙なデマゴギーを受け入れてください
そう、これらの言葉はデマゴギー(おべっか美辞麗句)と捉えられてもしかたがない。それでも受けてください、とこのスラム詩人は言うのだ。まあ、許してやってもいいのではないかい?

 ジョニー・アリデイとナタリー・バイの娘で、昨今女優として進境いちじるしいローラ・スメット(現在36歳)との共演である3曲めの「片手にグラスを持ちながら(Un verre à la main)」は、とあるパーティー・レセプションで、話し声と音楽の喧騒の中で場違いに孤立している見知らぬ男と女の、出会いそうで出会えない目と目のダイアローグを短編映画風に描いたもの。

思い込みによる出会い願望の盛り上がりと、やっぱりすれ違いに終わってしまう偶然と戯れ。ひとりになって残るは茫々たる寂寥。これはUltra Moderne Solitudeであるな。

  24時間男と女の姿を取り替えるという設定の5曲め「24時間 (Pendant 24h)」はシュザンヌとのデュエット。これは(↓)ヴィデオクリップがわかりやすい。

まあ、外見を取り替えただけの女から見た男、男から見た女のクリシェの連続だが、最後のストローフ(男の外見を持った女=シュザンヌがラップする)はこんな感じ。
(シュザンヌ)
俺はもう毛をそらない
みっともないと誰も言わないから
俺はあのいまわしい月経で
腹をいためることもない
俺が社長に「おはようございます」と言っても
社長は舐め回すような視線で俺を見たりしない
賃上げ交渉にも
お付き合いディナーをしなくてすむ
俺の女がPS4で夢中でゲームしている間
俺は食卓につけない
まだゲームセット前だから
隣家の子犬のように
俺は舗道で立小便できる
男の身体的な長所って
それぐらいのものさ
それぐらいのものですとも。

 そしてわが最愛のヴェロニク・サンソンであるが、グラン・コール・マラードとの共演は2016年"Face B”(グラン・コール・マラードのアルバム"Il nous restra ça"のリイシューで追加された3曲のひとつ)以来2度め。この新アルバムでは"ひとりの姉(Une soeur)"の役をヴェロさんにあてがっている。

そんなそぶりもないのに
目印よりも目立つ
彼女は強い優しさがあり
そんなそぶりもないのに
目印よりも目立つ
ひとりの兄よりも大きな... ひとりの姉
一体なんなんだ、このヘナチョコな歌詞(グラン・コール・マラード作)は。それを(現在)71歳の大歌手が、一語一語を刻むような力を込めて歌う。まるで価値のないようなこんな曲でもヴェロさんの歌唱でどれほど救われているか。こんなふうな救済を求めるために大御所を持ち出すようなことをしてはいかん。反省をうながす。

 そんな9曲の女性オマージュ楽曲であるが、やっぱり自分が序曲「メダム」で断っているように、「デマゴギー」として聞かれる危険性があると思う。そんな中で問答無用に飛び抜けて優れた曲がカミーユ・ルルーシュとの"Mais, je t'aime"(6曲め)であり、このことは爺ブログ別稿で紹介した。この1曲でずいぶん救われたアルバムであると思いますよ。

<<< トラックリスト >>>
1. Mesdames
2. Derrière le brouillard (with Louane)
3. Un verre à la main (with Laura Smet)
4. Une soeur (with Véronique Sanson)
5. Pendant 24h (with Suzane)
6. Mais, je t'aime (with Camille Lellouche)

7. Chemins de traverse (with Julie & Camille Berthollet)
8. Enfants du désordore (with Alicia)
9. Confinés (with Manon)
10. Je serai que de trop (with Amuse-Bouche)

Grand Corps Malade "Mesdames"
CD/LP/Digital Caroline/Universal
フランスでのリリース:2020年9月11日

カストール爺の採点:★★★☆☆


(↓)グラン・コール・マラード「メダム」(TVライヴ)

2020年9月9日水曜日

台風のメダム


Grand Corps Malade "Mesdames"
グラン・コール・マラード『メダム』

 

"Mais, je t'aime"

「メ、ジュ・テーム 


の夏、何度もコート・ダジュールのラジオで聞いて、何度も同じエモーションにふるえた曲。カミーユ・ルルーシュ+グラン・コール・マラード「メ、ジュ・テーム(Mais, je t'aime)」(9月11日リリースのグラン・コール・マラード新アルバム『メダム(Mesdames)』より)

(カミーユ・ルルーシュ)
余計なことは言わないで
何がうまくいかないのかは知ってるでしょ
私には多くのことは望まないで
亀裂は深いのよ知ってるでしょ
私には強くしがみつかないで
疑ってるんだったら強くしがみつかないで
それであなたがつらいのなら
別れさせたりしないで
私は自分に自信があるの
私の持っているすべてをあなたにあげられるわ
だから私の心をしっかり見てほしい
Je t’aime
Mais je t’aime
Je t’aime
Je t’aime
Je t’aime
Je t’aime
私にできうるかぎり強く je t’aime
Je t’aime 私にできうるかぎりを尽くすわ

(グラン・コール・マラード)
よく言われたものさ「おまえにも今にわかるさ、恋ってのは大きな花火みたいなもんだ」って
パチパチ火花が散って、空を照らし、輝き、熱くさせ、目にささる
それはとても高いところ、天というところから幾百ものホタルを放つ
それは一挙に火がつき、人々と街を別物のように明るくする
きみと僕は初めにマッチで小さな火花を起こした
そして僕らはこの暖炉に僕らのあらゆる放蕩と濫用の限りをくべた
この世でたった二人だけの気泡の中で、僕らは何よりも強く愛し合った
この炎は二人を狂わせた
火は燃えるものだということを忘れてしまった

(カミーユ・ルルーシュ)
Et je t’aime
Je t’aime
Je t’aime
Je t’aime
Je t’aime
Je t’aime
私にできうるかぎり強く je t’aime
Je t’aime 私にできうるかぎりを尽くすわ

(グラン・コール・マラード)
僕らの火の間近に身を寄せると僕の身から苦渋の汗が噴き出る
僕にはこの黄色と青色の炎が踊っているのが見える
そして情熱が燃え尽きてしまうのも
愛は強いのに、それが僕らを弱く傷つきやすいものにしてしまうのはどうしてなのか
僕は僕ら二人を思うとぐらぐら揺れてしまう
いつからか何ごとも容易ではなくなったのはどうしてなのか
火のように Je t’aime 黄金のように Je t’aime
細心に Je t’aime 過度に強く Je t’aime
二人のために Je t’aime 間違いでも Je t’aime
それは危険なことだとしても 僕はまだ Je t’aime
それはまさに身に穴をあけるようなものなんだ
重くのしかかって Je t’aime あやふやだけど Je t’aime
僕の身が苛まれるのは当然のことさ
僕はちゃんと知ってるさ、Je t’aime がとても下手だってこと

(カミーユ・ルルーシュ)
あなたと一緒に歩むのは
あなたの腕の中でこのダンスを踊る私がわかるから
あなたが待っているものは、私にはないわ
あなたがこんなに愛と力をくれるから
私はもうあなたなしではいられない
私の言ったことがあなたを傷つけたなら
それはあなたのせいじゃない
私の傷はきのうのものよ
いつもよりもずっと辛い日だってある
もしも私の言葉があなたに重くのしかかるなら
私にはどうすることもできないのよ
私にはほんとうにどうすることもできないのよ
Mais, je t’aime
Je t’aime
Je t’aime
Je t’aime
Je t’aime
Je t’aime
私にできうるかぎり強く je t’aime
Je t’aime 私にできうるかぎりを尽くすわ
Mais, je t’aime...
(↓カミーユ・ルルーシュ+グラン・コール・マラード「メ、ジュ・テーム」)


(↓同ライヴ)


2020年9月2日水曜日

空には飛行船 地上にはお祭り



アメリー・ノトンブ
『飛行船』
Amélie Nothomb "Les Aérostats"


2020年8月19日、コ禍第二波荒れ狂う中、アメリー・ノトンブの第29作めの小説は、何事もない夏と同じように書店に登場した。いつも通りジャン=バチスト・モンディーノによるポートレイト写真の表紙は、西の星空を仰ぐような上向き、上目遣い。この眼光で周囲のウイルスは滅却してしまうであろう。
 さて小説は時は現代、ところはベルギーの首都ブリュッセル。地方から出てきて首都の大学で「文献学(Philologie)」を学ぶ19歳のアンジュが話者・主人公。きつきつの貧乏学生ゆえ、安いアパルトマンをルームシェアで借りているが、シェア友のドナートは潔癖症・神経質・不平不満の塊で、彼女が勝手につくったルームシェア上の 細かい規則をアンジュに強要するが、経済的理由(倹約)を優先するアンジュはその小言や苦言や禁止命令を甘んじて受け、二人のシェア生活はどうにかこうにか...。しかしそれでも生活費の足りないアンジュは、「中高生向フランス語家庭教師します」の広告を出す。即日に飛び込んできたブリュッセルの超裕福な家庭の一人っ子の”失読症(dyslexie、読字障害)"を治してほしいという依頼。多額の報酬を提示され断れなくなったアンジュは、この難しい使命に乗り出すのだが、件の裕福家族はスイス国籍を持ち、父は "cambiste"(為替仲買人)という聞き慣れない職業を営み、ニューヨークからケイマン諸島を経てベルギーに最近移住してきたという、その富裕財産には人に言えない事情があることを伺わせる。16歳の一人息子ピー(Pie、第二次大戦時にナチスに協力的であった二人のローマ法皇、ピオ11世とピオ12世に因んだ名前と思われる)は、ブリュッセルのリセ・フランセに運転手つきポルシェで通学していて、数学や科学などには抜群の成績を取るものの、フランス語はディスレクシアのためどうしようもない。アンジュはすぐさまこのディスレクシアが戯画的なまでにわかりやすいこの親子関係に起因する心理的な”疾患”であることを見抜く。父グレゴワールは新自由資本主義的世界に成功した成金であるが、息子を愛しているにも関わらず、教育することができない。書斎にはりっぱな蔵書があるが、それを一冊とて読んだことがないのが見え見えである。息子に”物質的”成功を願うが、それを伝達する言葉もない。しかし息子を100%コントロールしたい。グレゴワールはアンジュがピーにレッスンをしているさまをすべて一部始終隣室からマジックミラーで観察している。ピーはそれを知らない。アンジュはレッスンが終わるたび、報酬の札束の入った封筒を持ったグレゴワールからレッスンに関するコメント(イチャモン、注文)をもらうがアンジュはすべてそれを論破する。そして何度となく、グレゴワールの盗聴盗視をやめるよう忠告するのだが...。
 さて小説の本筋は、19歳のアンジュが16歳のピーのコチコチに固まって、閉鎖的で、オタク的な精神をいかにして解放するか、という試みである。それはノトンブの小説世界で、同じように家庭教師としてその心の奥に迫ろうとした2007年の小説『イヴでもアダムでもなく』の東京の日本人学生リンリにフランス語を教える"アメリー”の試みのヴァリエーションのようにも読める。リンリも同じように大金持ち(白塗りのベンツ)の息子であり、オタク的(ヤクザ映画、スイスフォンデュ、聖堂騎士団への偏愛)であり、そして"アメリー”への恋に落ちて結婚を迫るが、"アメリー”はそれを「恋」とは認められず最終的に受け入れない。16歳のピーは同じように19歳のアンジュを恋慕するようになるのだが成就しない。この辺はノトンブの"本性”が出ている、どうしようもない何かだと思う。それは古今東西の文学がそうであるように、単純に、それが成就したら「文学」にならない、という絶対に破ることのできない鉄則なのだと理解したらいいよ、若い人たちはね。
 アンジュはこの少年ピーに対して、同情の片鱗もなく、きびしく、本が読めないのは本一冊を最初から最後まで読むということをしたことがないからだ、という独自のセオリーを展開し、字を読むことに死ぬほどの苦痛を感じる少年に、とにかく「まる一冊」をと強要する。最初の一冊はスタンダール『赤と黒』。これを1日で読め、と。そんなの絶対無理だ、という少年に、アンジュはだったら2日で読め、と容赦がない。それを少年は受けて立ち、2日後にはアンジュと『赤と黒』をめぐる文学論を戦わせるのである。この小説はこういうふうに古今の名作をアンジュ(すなわちアメリー・ノトンブの文学観の代弁者)の「正論」と、ピーの異端的で独創的な作品論(例えばこの『赤と黒』では、ピーはジュリアン・ソレルを卑劣漢と断定する)を戦わせるという、壮大な文学史論へと読者を導く。
 つまり、難攻不落な城を破るような苦もなく、ピーのディスレクシアは克服され、ピーはアンジュに導かれるまま古今の古典文学に挑んでいき、読書の苦渋と快楽を体験していく。そう、本を読むことは、人が言うような「愉しみ」だけではなく、苦痛や障壁ともぶつかる。アンジュはそれをピーに体験させていく。ホメロスイリーアス』、これは戦争と兵器がオタク的に好きなピーにはワクワクの戦記文学として読めたが、それに続いてホメロス『オデュッセイア』を読ませたら、荒唐無稽で辻褄の合わぬ不条理な英雄譚として嫌悪する。読み方は十人十色、これをノトンブはこの小説で文学の根源的な徳として提示する。(ノトンブ観点の)アンジュはピーの独創な読み方にある程度の反論を示しながらも、この子は文学によってどんどん開かれていくのを感じている。これを隣室でマジックミラーで監視観察している父グレゴワールは不安になっていく。父の知らない世界に息子がぐんぐん入って行くような。
 アンジュのピーに処方する文学セラピーは、古典から転じてカフカ『変身』、レイモン・ラディゲ『肉体の悪魔』を読ませるに至り、この小説の核心的主題である"アドレッセンス”(青春、思春期)に迫っていく。「若いという字は苦しい字に似てるわ」(アン真理子「悲しみは駆け足でやってくる」)、まさにこれであり、これ以上でもこれ以下でもない。『変身』で暗喩されたように、ある日突然やってくる「性徴」(リビドーのめざめ)は若い日の悪夢のような苦しみである。そしてラディゲ『肉体の悪魔』の主人公たちと同じように、アンジュとピーは19歳と16歳の生身の”青年青女”である。文学によってさまざな感性を”開発”されたピーは、アンジュに猛烈な恋慕を抱くようになるが、アンジュはそれをアメリー・ノトンブ的に達観して退ける。それは2007年のノトンブ小説『イヴでもアダムでもなく』の"アメリー”のリンリの恋慕への拒否と同じ構図である。すなわちこれは「恋(amour)」ではなく、「好み(goût)」のレベルでしかない、という断定なのである。しかし"アメリー”が「恋」ではなくリンリに名状しがたい思いを抱くように、アンジュはピーをなんとかしたい母性愛のような抗しがたい思いがある。
 兵器に対して並々ならぬオタク的興味がありながら、ノン・ヴァイオレントな少年であるピーと、アンジュが同じ波長で”愛”を共有した対象が「飛行船」であった。これほど美しい乗り物がこの世に存在しただろうか。二人はこの巨大で優雅で危険な機械に魅せられる。大戦はこの空飛ぶクジラを最もノン・ヴァイオレントな兵器として利用しようとし、その生命を断った。
 世間から隔離され、現実世界を知らずに育ったオタク少年ピーはアンジュと文学を通して、自分をどんどん解放していくが、アドレッセンスとはその限界を知らないものである。小説はピーをその極限まで向かわせてしまうのだが、それについてはここで詳しくは書かない。
 小説で最も美しいパッセージは、世間を知らず、人との触れ合いを知らなかったピーを、(父親の許可なく)アンジュがブリュッセルの大遊園地に連れ出すくだりである。そこにはピーの知らなかった大衆の「お祭り」があった。未体験のさまざまなアトラクション乗り物や射的に狂喜するピー。初めて現実世界に触れるような。そしてぐらんぐらんに揺さぶられるジェットコースターや上昇転落マシーンに極度に興奮しつつも、その衝撃で何度も嘔吐するのである。この嘔吐は初めて現実の不条理を直視した30歳のアントワーヌ・ロカンタン(サルトル『嘔吐』)へのリファレンスであろう。この嘔吐を喜びとして体験したピーはアンジュに問う「なんであなたは嘔吐しないの?」。するとアンジュはその遊園地で最も激しい上下・左右運動をするアトラクション乗り物に乗り込み、胃腸をひっくり返すような過酷な激動を体験して乗り物を降りたあと、げえげえ嘔吐して、ピーとその「喜び」を共有するのである。美しい。空には飛行船、地上にはお祭り(※)。
 前述のように、青春には限界がない。ノトンブ一流の青春残酷物語であるこの小説は、ピーのカタストロフ的悲劇を終盤にもってくる。
La jeunesse est un talent,
il faut des années pour l'acquérir
若さとはひとつの才能である
それをものにするには何年もの年月を要する
と、この小説は結語する。文学的リファレンス、文学による解放と救済を軸にしながら、残酷で一生かかっても自分のものにできない「青春」という魔物をわかりやすい寓話のように書き綴ったノトンブ、やはり大変な才能だと言わざるをえない。

Amélie Nothomb "Les Aérostats"
Albin Michel社刊(2020年8月19日)、180ページ、17,90ユーロ

カストール爺の採点:★★★☆☆

(※ 註)"空には飛行船、地上にはお祭り”は1972年初演の別役実(1937 - 2020、この春亡くなった。合掌)作の舞台劇『街と飛行船』の六文銭による劇中歌「街と飛行船」の歌詞(詞:別役実、曲:小室等)

(↓)アメリー・ノトンブ『飛行船』に関するプロモーション・インタヴュー


(↓)小室等と六文銭「街と飛行船」


PS : 音楽ネタ
p153 - 154に唐突に登場するアンジュとピーの好きな音楽2タイトル。メタル好きとは聞いていたが、ノトンブはこんな音楽にも耳が肥えているのですね。
1) Skrillex "Ease my mind"


2) Infected Mushroom "Liquid Smoke"