2018年11月20日火曜日

2018年のアルバム その2「ラヂオが気がかり」

ラヂオ・エルヴィス『セ・ギャルソン・ラ』
Radio Elvis "Ces Garçons-La"

郎3人、うち2人がメガネ。エルヴィス名乗るくらいなのでロック。ただし歌はフランス語。文化系の佇まい。エルヴィスと言うよりは、22歳夭折のバディー・ホリー(1936-1959)に近いルックス。この場合コステロというオプションもありか。それでラヂオ・エルヴィスなのか?という説もあながち...。ピエール・ゲナール(vo, g)、マニュ・ラランボ(b, g)、コラン・リュセイユ(dms, kbd)のトリオであるが、2009年にラヂオ・エルヴィスの名でステージに立っていたのはピエール・ゲナールひとりだった(トリオになるのは2013年)。つまりこのピエール君のコンセプトで始まったというわけだが、彼はパリに出てくる前はフランス西部(ポワチエ、ナント...)でスラムをやっていた。ポエトリー・リーディング。詩少年だったのだ。当然文学寄り。その影響の源はジャック・ロンドン、ジョン・ファンテ、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリだという。
 文学寄りフレンチ・ロックと言えば、2015年に爺ブログが絶賛したフ〜!シャタートンが旗手みたいな存在で、無頼&ロマンティスムのほとばしりが強烈だったのだが、メガネのラヂオ・エルヴィスはそれに比すればずっとクール&哀愁に聞こえる。2013年からバンドとなって、レ・ザンロキュプティーブル誌や国営ラジオFRANCE INTERの新人コンテストで世に知られるようになった頃は、若くてやせっぽちの(学生もどき)ロックで女子ファンたちが多そうなスタイリッシュさだった。2016年4月1日にリリースされたファーストアルバム "LES CONQUETES"は、2017年のヴィクトワール賞(新人アルバム部門)を受賞、その受賞セレモニーでのパフォーマンスがこれ(↓)。

こんな感じなので、このバンド(ひいてはピエール・ゲナール)はドミニク・ア〜バシュングの直系後継者のように言われるようになるのだが、どうだか...?
 2018年11月、早くもセカンドアルバム『セ・ギャルソン・ラ』の登場。新人賞荒らしの年月を追い払うような「大物感」を伴って。青臭い学生っぽかったピエール・ゲナールも30歳になったのだから。疾走型青春ロックは4曲め "Fini Fini Fini”、ドラマティック疾風怒濤巨編は5曲め "Prières perdues"、とレンジの広い多彩な表現の11トラックだが、全体の印象はエレガントでダンディズムも香ってくる。6 - 7 - 8 - 9 - 10 - 11曲はノン・ストップで聴きたい、尻上がりクレッシェンドの佳曲ばかり。そしてこの若き日の告白のようなタイトルソングがある。
それは普段と変わらない夏だった
この野郎たちは優しく
気の利いた言葉をいつも見つけてくれた
そして僕は隠れてそれを書いていた

この野郎たちは
この野郎たちは
この野郎たちは

娘たちは苦い味がした
僕はそれが怖くて吐いてしまうほどだった
この野郎たちはうまくそれができたのに
僕は語る言葉もなかった

この野郎たちは
この野郎たちは
この野郎たちは

予期せぬ攻撃が雨あられとなって降ってきた
この野郎たちは猛々しかった
暴力はたわむれごとで
この簡単そうな少年を捕まえた

そいつを捕まえろ
そいつを捕まえろ
そいつを捕まえろ

ある日この野郎たちが僕を追ってきた
彼らのオートバイが爆音を上げ
怖さで僕の目は真っ赤になった
この野郎たちが僕を走らせた 
僕の頭の中はひとつの考えしかなかった
その女の子にタッチして、そして逃げ出すこと
僕がどんな男になるのか彼らに見せること
僕はただただそこから脱出したかったんだ

この野郎たち
この野郎たち
この野郎たち 

そして僕はありったけの声で叫んだ
でも四方の壁には耳なんぞありはしない
僕の両親はその場所で子供が落とし込められたことなど
知るはずもなかった

その場所で
その場所で
その場所で

そして僕は決して忘れることができない
この野郎たちの顔が
そして僕は決して忘れはしない
僕が普通の男の子だったってことを

僕はその普通の男の子だった
物語を書くのが好きな
約束するよ、僕はきみたちのことを決して忘れない
僕はその普通の男の子なんだから 
約束するよ、僕はきみたちのことを決して忘れない
僕はその普通の男の子なんだから

その男の子
その男の子
その男の子
("Ces Garçons - là)

歌詞を訳すだけで、胸が痛く熱くなる。この少年の傷を、こんな音楽にできるのだ、このラヂオ・エルヴィスは。 そしてそのクリップが、このなんとも美しい南西フランスの青年田舎闘牛士たちのスロー・モーション。恐れ入りました。表彰状ものです。


<<< トラックリスト >>>
1. 23 minutes
2. Ce qui nous fume
3. L'Eclaireur
4. New York
5. Fini fini fini
6. Prières perdues
7. Bouquet d'immortelles
8. La sueur et le sang
9. Selon l'inclinaison
10. Nocturana
11. Ces garçons - là

RADIO ELVIS "CES GARCONS-LA"
LP/CD LE LABEL / PIAS LL113
フランスでのリリース:2018年11月9日

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓) "23 minutes" (オフィシャルクリップ)

2018年11月17日土曜日

2018年のアルバム その1「ぶろる」

アンジェル『ぶろる』
Angèle "BROL"

い空をバックに白ふちの抜き取り文字で "BREL"と書くと、ベルギーが生んだ不世出の大歌手ジャック・ブレル(1929-1978)の遺作アルバム『レ・マルキーズ』(1977年11月17日発表)のジャケットになる(↓写真)。
 この12月で23歳になるベルギーの女性シンガーソングライター、アンジェル(本名アンジェル・ヴァン・ラーケン)のファーストアルバムは『ブロル』というタイトルで、青地のバックに白ふちの抜き取り文字で "BROL"と書かれている。なんらかの意図がないわけがないではないか。ここに私たちは確固としたベルジチュード(ベルギーらしさ、ベルギー気質、ベルギー度)を見て取れるのである。
ベルジチュードに関しては爺ブログのここ(『華麗なるベルジチュード』2015年3月)で爺論が展開されているので参照のこと。あの小さい国のそのまた半分(ワロニー=フランス語圏)から、フランスを凌駕してフランス語文化圏に衝撃を与える作品やアーチストががんがん出てくる。ルネ・マグリット、ジョルジュ・シムノン、タンタン、ブレル、アダモ、アメリー・ノトンブストロマエ.... ふだん「単純な隣人」とコバカにしがちなフランス人たちは、ときおりこのベルジチュードの見事な逆襲に尻尾を巻くことになる。アンジェル、素晴らしい。2018年ベルギー発のわが一等賞アルバムである。
 まず、(→)アルバム裏ジャケが示すように、このお嬢さんは長いブロンド髪でたいへん端正な顔立ちをしている。これだけで音楽アーチストとして面出しをすると、どういうことが起こるかというと、判で押したように「それだけの人」という反応で消される(今日びの日本語ではディスられる)のである。世の人たちは才能もなく頭も悪いのが「ブロンド美少女」であると信じているのだから。ベルギー人のブロンド美人が「実はわたしアタマいいのよ」と言ったって誰が信じるだろうか。ベルギー&ブロンドは70年代から天才寄席芸人コリューシュが徹底的に揶揄した2大ターゲットであった。へへん、そんなもの怖くない、とアンジェルは今の自分から遠いのだけれど正真正銘の自分(どろ〜んとした目の5歳、乳歯が抜けましたぁ!)の顔面ポートレートの大写しをジャケ写に。強烈なインパクト。ベルギーの金髪に強烈な個性などあるわけがない、という説は一発でくじけてしまう。
 うわさはもう1年以上前からあり、彼女の最初のヴィデオクリップ「マーフィーの法則」は 瞬く間にSNS上で1200万ビューを超えた。

マーフィーの法則が解く「トーストパンのバターを塗った面がカーペットに落ちる確率」に代表される、ありとあらゆる「ありえる」災難が自分に降りかかる確率は、思っている以上にありえるのである。ヘアーサロンに行った日には雨が降るのである。銀行窓口の順番待ちで、老女に順番を譲ると、1年分の出納明細の話を始めてしまうのである。駅に行く途中、道を聞かれて親切に教えてやると、電車に乗り遅れるのである。すべてはマーフィーが私を陥れようとして前以て決めていたことなのだ。こういうテーマを訛りのある英語まじりで堂々と歌ってしまうブロンド娘。ただ者ではないと思う一方、このユーモアの質のベルギー的高さに圧倒されてしまうではないか。
 アンジェルはポッと出のアーチストではない。父親は90年代にフランスでも評価の高かったシンガーソングライター、マルカであり、母親は女優・劇作家・ユーモリストのローランス・ビボ、そして3歳上の兄がラッパーのロメオ・エルヴィス(当たり前かもしれないが親父のマルカに本当よく似ている)というベルジアン・ポップ第一線の環境で育ったお嬢さんである。楽器はピアノ(クラシック→ジャズ)を習得。父・母・兄のステージ見てたら、怖いものなど何もなくなるのではないかな。そして2010年代のSNSど真ん中世代、大メディアを必要とせずインスタやユーチューブで才能を開花させていくノーハウをばっちり身につけている。このお嬢さんはひとりで何でもできる。詞曲・アレンジ・クリップ映像のシナリオまで。10歳年上のベルギー人ストロマエを想わせるものがある。
 アルバムからの最新シングル "TOUT OUBLIER"は、兄ロメオ・エルヴィスとの共演である(↓)。

クリップの最初に写真立てに入ったシャルル・ボードレールの肖像が出てくるが、これはリフレインに出てくる "spleen"という言葉にかけてのことで、かの散文詩集『パリの憂鬱(Le Spleen de Paris)』がココロである。リフレインはこう歌う:
スプリーンはもう時代遅れよ、幸せになるのは複雑なことじゃない
スプリーンはもう時代遅れよ、複雑なことなんて何もない
すべて、すべてのことを忘れてしまえばいいのよ
信じたいなら、すべてを忘れることよ
賭けると言ったって、私はもう賭けすぎた
この幸せは、手に入れたかったら絶対に手に入るわ 
と冬の山小屋でチーズフォンデュを食べ、スキーウェアを羽織って小屋の外に出るとそこは真夏のビーチだった。シュールな絵であるが、スプリーンのすべてを忘れようというダンスへの誘いである。一貫して憂鬱な顔が続くところ、どことなくストロマエ "Alors on danse!”(2009年)と共通すると思わんか?
 このお嬢さんの歌には日常の憂鬱や、起こりうる失敗への恨みや、嫉妬(3曲め "Jalousie")や、SNS上の寂寥(7曲め "Victime des réseaux")など、笑いごとではない複雑なテーマが多い。8曲め "Les Matins"はひとりで目覚める朝の泣きたくなるような寂しさを歌うのだが、こんなリフレインだ。
こんな朝が私を泣かせるのよ
朝の真実が私を殺すほどに
夜は私に忘れさせることができるけど
こんな朝が私を泣かせるのよ
私が過ごした孤独の夜のことを
目の当たりに見た瞬間から 
泣かせる歌も書けるお嬢さんなのだ。そして2018年的大事件・大現象も私的主題として反抗的にオピニオンを展開できる。アンジェルは世相も確かな目で捉え、恐れずに独自の視点でコミットしていく。フランスの "#MeToo #BalanceTonPorc"へのシンパシーと、音楽界とくにラップ界のミソジニー(女性蔑視)を告発する2曲め "BALANCE TON QUOI"は勇気ある1曲である。
彼らはみんな動物のように言葉をしゃべる
子猫たち(註プッシー、おまんこ)について悪く言う
2018年の今日あんたに必要なものは何なのか私は知らない
だけど私はもう動物じゃない
ラップがすごく流行ってるのはわかるけど
それは言葉が汚いほど成功するのね
まあそろそろそのコードを破った方がいいんじゃないの?
その先鞭をつけるのがひとりの娘なのは当然でしょ
Balance ton quoi (あなたの何かを告発して)
あんたが女のことを悪く言ったとしても、あんたは心の奥底では理解してるだろ 
Balance ton quoi、いつかは変わるのよ
2017-2018年、女性たちはもう動物ではなくなったのだよ、男たち!アンジェルはアンジェル独自のフェミニズム讃歌をユーモアと風刺を込めて歌う。したたかで明晰な女性の言葉である。
 こんな風にこのアルバムは22歳のしっかりした視点で、世のごちゃごちゃなテーマの数々を歌い上げるのだ。ベルギー流のオールドスクールなテクノ(テレックスを生んだ国だもの) も、凝り性なメロディーも、ダンサブルな展開も、醒めてハスキーな声の歌唱も、みな素敵だ。このごちゃごちゃのことを、フランス語では "bordel"(ボルデル、淫売窟、ごった返し)と言い、ベルギー(ブリュクセル)の町言葉では "Brol"(ブロル)と言うのである。明白に文句なしに圧倒的にベルジチュードの勝利。

<<< トラックリスト >>>
1. La Thune
2. Balance Ton Quoi
3. Jalousie
4. Tout Oublier (with Roméo Elvis)
5. La Loi De Murphy
6. Nombreux
7. Victime Des Réseaux
8. Les Matins
9. Je Veux Tes Yeux
10. La Reine
11. Flemme
12. Flou

ANGELE "BROL"
LP/CD VL RECORDS 0256797720
フランスでのリリース:2018年10月5日

カストール爺の採点:★★★★★

(↓)アンジェル「ゼニ(La Thune)」


*** 2019年4月16日追記 ***
4月15日にYouTube公開された "Balance Ton Quoi" のオフィシャルクリップ。明るい「性差別糾弾」の歌であるが、クリップは内容が濃く、「反性差別アカデミー」という公開講座シーンが挿入され、全然理解できてない受講生としてピエール・ニネイとアントワーヌ・グーイが出演している。
ニネイ「例えば女の子がノンと言っても、そのノンには少しのウィがあることもあるんでは?」
アンジェル講師「ノンはノンなのよ。」
ニネイ「例えば女の子が寝てる時って、ノンかウィかわからないことがあるよね。この場合はウィと考えられることも?」
アンジェル講師「いいえ、そのまま寝かせておきなさい。」
こういうセクハラ教育のイロハを、何度言ってもわからない男共。だったら何度でも言ってやればいいんです。わかるまで。
(↓)"Balance Ton Quoi" オフィシャルクリップ。


2018年11月11日日曜日

ボーっと大統領やってんじゃねえよ!

大統領、レイラ・スリマニに叱られる

一次大戦終戦から100年、11月11日(終戦記念日)の大セレモニーを前に、大統領マクロンが北東フランスの古戦場各地を訪問、その中で11月6日、最大の激戦地にして慰霊メモリアルのあるヴェルダンで、慰霊セレモニーに参列したひとりの退役軍人叙勲者との会話:

退役軍人:大統領閣下に敬意を表します。
大統領:お元気ですか?
退役軍人:閣下ご自身は?
大統領:あなたたちとこの場を共有できて光栄です。
退役軍人:いつ不法滞在者(サン・パピエ)たちを国外に追放していただけますか?
大統領:ははぁ、滞在許可と難民権のない人たちのことですね。信用してください、その人たちを...。私たちはその仕事を続けますから。
退役軍人:やってくださいますか?私はそのことを他の人たちに言っていいですか?
大統領:あなたはそのことを人に言ってもいいです。 でも私たちが保護すべき人たちは...
退役軍人:それは誓って閣下の言葉ですね?
大統領:そうですとも、私が言ったことです。しかしわが国にたどり着く人たちは...
退役軍人:私は閣下の言葉を記憶にとどめます。
大統領:しかしわが国にたどり着く人たちには、私たちはより有益である必要があります。まず対処の仕方において。住むところに窮している人たちには屋根を提供しなければなりません。
退役軍人:正直な人たちであれば、私はそれに賛成します。
大統領:自分たちの自由が脅かされたゆえに国を逃げてきた人たちは保護しなければなりません。
退役軍人:そうかもしれませんね。
大統領:しかしそうでない人たち...
退役軍人:しかしその人たちをここに置くのは「トロイの木馬」(敵が侵入するためのからくり)ではありませんか?
大統領:しかし自国で自由に生きられるにも関わらずわが国に来る人たちは送り返さなければなりません。これが私の答です。
退役軍人:私は閣下のお答にたいへん満足です。

このやりとりに対して、レイラ・スリマニが激しく怒っている。モロッコ系フランス人作家で2016年のゴンクール賞を受賞したスリマニは、2017年の大統領選挙の第二次投票(マクロン vs マリーヌ・ル・ペン)の際、公然とマクロンへの投票を訴え、新大統領に評価されて2018年春に大統領の私的任命による「フランス語文化圏担当官」のポストをもらった言わば「マクロン身内」であった。自由な論客レイラ・スリマニはそんなことに意を介さず、11月9日、ル・モンド紙に激しい批判のトリビューンを寄稿した。

11月6日、ヴェルダンにてひとりの退役軍人がエマニュエル・マクロン大統領にこう問いかけた「 いつ不法滞在者たちを国外に追放していただけますか?」ー このかしこまった表現の優雅さと巧妙さに注目したい。この退役軍人を私は知っている。と言うよりむしろ、私はこの人を認知する。この苦味のある声、この辛辣な口調、彼が「不法滞在者(sans-papiers)」という時の音節を吐き出すような高飛車な言い方。フランスにいるあらゆる外国人たち、すべてのアラブ人たち、すべての黒人たち、すべての滞在許可を持つ者たちと持たない者たちは確証するだろう「このような意見は日増しに一般的になっている」と。

私たちの往来でぶつぶつ言う人たちは日増しに増えている。バスの中で、肌の黒い人たちが多すぎるように見え、自分たちのフランスは変わってしまったと繰り返し嘆くことで自己満足している人たち。辱める人たち、食ってかかる人たち、罵る人たち、あなたにサービスを提供することを拒否する人たち、イスラムに対して悪罵する人たち。「(民族)大交替」(註:ヨーロッパ大陸でヨーロッパ諸民族がアフリカ諸民族によって放逐されるという、フランス極右思想家ロベール・カミュの説)、「トロイの木馬」(註:ギリシャ神話のもじりで、現在の難民大移動が次に来る非ヨーロッパ民族大移動の布石となっているとする説)を嘆く人たち。自国がここであるにも関わらず、私たちに「自国へ帰れ」と言う人たち。

この退役軍人の質問に対して大統領は庇護される権利のある人たちは受け入れるが「自国で自由に生きられるにも関わらずわが国に来る人たちは送り返さなければならない」と答えた。「閣下のお答に満足です」とその勇敢な退役軍人は胸をそらせた。しかしながら、この男が追放することを望んでいる人たちをエマニュエル・マクロンはもっと厳格さと冷静さをもって防御するべだったと私には思われる。「サン・パピエ(sans-papiers = 紙を持っていない人 = 滞在許可証を持たない人 = 不法滞在者)」という言葉で括られる人たちに関してそのような言い方をするものではないときっぱりと答えるべきだった。彼の言う「複合的思考」を弁護するべきだった、なぜなら移民の問題というのはそれが人間的で、苦悩に満ち、実存的であるがゆえにどれほど複合的で複雑なものか、ということを。

いわゆる「サン・パピエ(紙を持たない人)」たちはサン・ヴィザージュ(顔を持たない人)たちではないことを彼に思い起こさせるべきだった。人が好き勝手に攻撃的に憂さ晴らしができる抽象的な人物たちではないのだ。彼らは学生であり、ベビーシッターであり、料理シェフであり、社会学研究者であり、著述家であり、病人介護者であり、親であり、子供であり、家族ヘルパーである。吐き気を催させる言説を前に、誰が彼らの弁護をしてくれるのか。この国に彼らは溶け込み、仕事をし、愛し、生き抜こうとしているにも関わらず、彼らが追求されたり侮蔑されたりすることに関して誰が憂慮してくれるのか。大統領は「私たちはその仕事を続けますから」と言った。この間にも、何日も何年も仕事をし続けているのはこれらすべての移民たちであり、それは誰もが知っていることなのに、彼らが不当な扱いを受けていることには目を閉ざしてしまう。

「自由に生きられる」? それはどういう意味なのか? 人間の尊厳がなくても人は自由に生きられるのか? 人が飢えている時、手当てをする病院がない時、子供に入学手続きをした学校にトイレや黒板がついていない時、それでも人は自由に生きられるのか? 希望もなく、抗議示威行動をする権利もなく、表現することも、自分のセクシュアリティーに従って生きる権利もない時、それでも人は自由に生きられるのか? アフガニスタンでは人は自由に生きられるのか? その国に多くの「サン・パピエ」たちは強制送還されていて、彼らの運命が残虐な現実に落としこまれるのを見ながら、それでもその国で自由に生きられるのか?

別の質問を立てよう。今日アフリカのいくつの国で男も女も自由に生きられるのか?その土地を発つことは人間の生活の一部である。パリに出てくるために地方を旅立つように、倦怠や絶望から逃げ出すように、人は違う地平を求めてその土地を後にする。おのおのが正当に持っている幸福を求める権利は、なんびとによってもないがしろにされるべきものではない。なんびとたりとも、軽々しさや優越感をもって流謫者たち、影の労働者たち、紙(パピエ)はないかもしれないが権利は持っている目に見えない人たちのことを語る権利はないはずである。そして彼らの権利の第一のものは、人間として尊重されることであり、目を見つめて話されることである。そして守られること。

         レイラ・スリマニ(ル・モンド紙 2018年11月9日)

2018年11月9日金曜日

ある恋の物語(Historia de un amor)

"Un amour impossible"
『ある不可能な愛』

2018年フランス映画
監督:カトリーヌ・コルシニ
主演:ヴィルジニー・エフィラ、ニールス・シュネデール、ジェニー・べト、エステール・レスキュール
フランス公開:2018年11月7日

 リスティーヌ・アンゴの同名小説(2015年発表)の映画化作品である。小説の方は拙ブログで紹介しているので、そちらを読んでいただきたいが、近年のアンゴでは例外的な出色の作品であり、それだけにこの映画がどれだけ原作の魅力を表現できるか楽しみでもあった。映画はラシェル(演ヴィルジニー・エフィラ。"ラシェル”というファーストネームは原作小説と同じだが、姓は映画では変えてある)とフィリップ(演ニールス・シュネデール。原作小説では"ピエール(・アンゴ)"だった)の出会いから始まる。場所は中央フランス、アンドル県の県都シャトールー、時は1950年代。当たり前の話だが、映画はあの時代のファッション、あの時代の車、あの時代の音楽で、小説数ページ分より雄弁に、瞬時にして状況を凝結させてくれる。フレアスカート、手動タイプライター、プジョー403、そして二人がダンスする曲が「ある恋の物語(Historia de un amor)」(パナマ人カルロス・アルマランによる1955年の世界的ヒットのボレロ曲。日本ではザ・ピーナッツ)、もうフィフティーズど真ん中な始まりで、日本の言葉で言うならば「イカしてる」のだ、これが。
 女25歳を過ぎたら婚期を失ったと思われていた時代(25過ぎた独身女性を「聖カトリーヌ Sainte Catherine」と呼ぶ習慣がある)、国民保健局でタイピストとして働くラシェルは貧しい母子家庭の出身で、文化教養の乏しい地方オールドミスであった。 そこに現れた都会的ブルジョワ美男であるフィリップは、シャトールーに作られたNATO(北大西洋条約機構)基地の通訳・翻訳者として働いており、数カ国語を自由に操ることができる。誘惑者フィリップはスポーツカーでラシェルを連れ出し、世界を拡げ、芸術文化の道しるべとなり、ニーチェを読ませる(これ、アンゴ小説の世界では重要)。ラシェルにとってこの燃えるような恋は、同時に新しい世界への越境でもあった。そしてこの映画ではきわめて大胆な(とても50年代的ではない、インターネット時代以降のような)性交をするのだった(日本で上映されることになると、この辺ばかりが強調されるかもしれない)。ヴィルジニー・エフィラ、日本語で言うところの「体当たり演技」だった。
 このブルジョワ青年は、あの当時の新しい男女関係論のポーズで、俺は結婚はしないよ、きみも自由であった方がいい、などと方便を言い、またはっきりと自分とラシェルの社会階層の違いは超えられないとも言うのだった。自由な関係でいようと言いながら、自分の家や社会的地位を理由に貧乏人とは結婚できないと。ラシェルはそれが理解できないのだが、愛がいつかはそれを凌駕するものという希望(幻想)を抱いて、「受け入れる」「耐える」「待つ」女になっていくのである。それは十数年も続くことになる。
 激しい愛の数ヶ月の後、フィリップはストラズブールに異動になる。旅立つ前の最後の夜、ー ナレーションがこんなディテールを語るのだよ ー 「それまで膣外射精をしていたフィリップが最後の夜に中に出してもいいかとラシェルに問い、ラシェルはいいと答えた」(いかにもアンゴ小説的だが、この部分は映画での創作だと思う)。 で、シャトールーにひとり残されたラシェルは懐妊したことを知る...。
 知らされたフィリップは急に連絡が稀になり、このことを喜んでいるのかその逆なのかも判然としない。不安のうちに女児シャンタル(原作小説では"クリスティーヌ”) を出産、出生届には「父不詳」と。その後もフィリップはごくごく稀にラシェルに会いにやってくるだが、子の認知を求めるラシェルにフィリップは「考えておく」と茶を濁す。さらにしばらくして「結婚しない」を公言していたフィリップは、家柄の良いドイツ人女性と(家族・親族の祝福を得て)結婚するのである。自分は幸福であり、この結婚に満足している、なぜなら「ドイツ女性と日本女性ほど夫によく尽くすものは世界にないのだから」などとラシェルの前でしゃあしゃあと言ってしまう。その上その舌の根が乾かぬうちに「おまえとの関係は違う、それは特別なものだ」とラシェルとの情愛関係の継続を請うのである。
 ヴォージュ地方ジェラルメ湖畔での密会ヴァカンス、幼いシャンタルとママンとパパ、こういう刹那の「家族」幸福を描かせては、映画は小説より数倍も雄弁なのであるな。
 月日は経ち、再三の子供認知願いを断ってきたフィリップは、シャンタルが12歳の時ついに折れて認知し、おまけにシャンタルの養育費を負担し娘の教育をバックアップしたい、と。数年振りに再会した父娘。聡明な少女となったシャンタルは、(十数年前に母ラシェルが魅了されたように)フィリップの教養インテリジェンスに魅了され、毎週末のように美術館・書店・劇場などに連れ出してくれる父に嬉々としてついていくようになる。この12歳から16歳までのシャンタルを演じるエステル・レスキュールという新人(少女)女優、すばらしい。知的で情緒不安定で激しやすい(クリスティーヌ・アンゴ的)少女像を完璧に体現。役どころとしては、14歳の頃から父親から近親相姦(肛門性交)を受け続けるのに、苦悩しながらそれを隠している、という極端に難しい演技。事情が明らかにされないまま、ラシェルはラシェルでフィリップと(教養教育という名目で)逢瀬を重ねるシャンタルに嫉妬し、地獄的な(想像上の)三角関係に悩み精神疾患を起こしてしまう。気晴らしのために入会した市民サークルの中で親しくなったムラートのアマチュア・カメラマンのフランク(演ガエル・カミリンディ = 作家/ラッパーのガエル・ファイユ同様、幼少の頃ルアンダ大虐殺を逃れていた経歴あり)にほのかな思いを寄せるラシェルだったが、そのフランクも娘シャンタルの交際相手となってしまう。最重要の秘密であったシャンタルとフィリップの近親相姦の事実も、ラシェルは(親しい友人としての)フランクから聞かされ、フランクはラシェルにシャンタルをフィリップに会わせてはいけないと嘆願する。それを聞いたラシェルは動顚してしまうが、ラシェルは母として言うべきことを告げに、深夜シャンタルの部屋に入って行ったにも関わらず何も言えないのである(この何も言わなかったということに関して後にシャンタルはラシェルはずっと恨むことになる)。その何も言えなかった夜にラシェルは高熱で倒れ、救急で病院に収容され、10日間病院で苦しむのであった...。
 映画はそれから年月が飛び、大人となったシャンタル(演ジェニー・ベト。フランスでは女優としてよりもロック系女性ヴォーカリストとしての方が知られているかも)が、ことあるごとに母親ラシェルと感情的に対立し、遂には別居(娘が母親を追い出す)してしまう。この母親に対して全く笑顔を見せることがなく怨念すら抱く役どころを演じるジェニー・ベトという女優、怒ってばかりの一本調子で感心しない。(アンゴ的)インテリジェンスがほとんど感じられない。少女役の女優の好演に比べて本当に残念。 そして映画はこの母と娘の過去にまつわる確執と、どんなに議論しても埒が明かない(終わりのない)ダイアローグに長時間が費やされる。これが本当に長い。この映画に悔やまれる最大の点は、この終部の意味のない長さであり、最後に現れる母と娘の不可能な和解はこんなに引き延ばされる必要はない。
 20代の地方都市女性から、80代のすべてに対して防御的な老婆までをひとりで演じきったヴィルジニー・エフィラの演技は素晴らしい。脱帽ものである。映画はエフィラの怪演がすべてを救っている。これまでの作品で名女優とは誰も評価できなかったこのベルギー出身の41歳の女性は、この映画で真の大女優になった(と私は思う)。

カストール爺の採点:★★★☆☆ 

(↓)『ある不可能な愛』予告編


(↓)トリオ・ロス・パンチョスによる「ある恋の物語、なんて素晴らしい!

2018年11月4日日曜日

炭鉱長屋(レ・コロン)

ピエール・バシュレ「レ・コロン」
Pierre Bachelet "Les Corons" 

詞:ジャン=ピエール・ラング
曲:ピエール・バシュレ
1982年発表

代のシャンソン歌手ジュリエットが2018年2月に発表した13枚目のオリジナルアルバム『私はシャンソンが嫌い(J'aime pas la chanson)』の増補版を10月26日に発表し、他者のシャンソンをカヴァーした新録音4トラックのボーナスCDを追加した。意表をついた選曲。
1. Padam Padam(エディット・ピアフ)
2. Ma préférence (ジュリアン・クレール)
3. Les corons (ピエール・バシュレ)
4. Les brunes comptent pas pour des prunes(リオ)
このプロモーションで10月22日にフランス国営ラジオFrance Interの朝番組「ブーメラン」(ホスト:オーギュスタン・トラプナール)に出演して、生弾き語りで「パダム・パダム」と「レ・コロン」を披露した。


Au nord, c'étaient les corons (北の国 それは炭鉱長屋)
La terre c'était le charbon (大地 それは石炭)
Le ciel c'était l'horizon (空 それは地平線)
Les hommes des mineurs de fond (人間 それは炭鉱夫)

北の国で炭鉱が閉鎖されてから既に四半世紀以上経った時の流れのせいだろうか。オリジナルより数百倍もノスタルジックで憂愁に満ちたジュリエットの歌唱。地方の産業が切り捨てられ、地方が荒廃してしまう歴史はまだまだ続いているというのに。
今から11年前、この歌を向風三郎はその唯一の著作本『ポップ・フランセーズの40年』 の中で解説していたのだが、今日読み返して、えええ?こんな泣けるような文章書いてたのか、とわれながら驚いた。以下再録します。

 私は北国出身であるから、こういう歌は絶対に外さないのである。「エマニエル夫人」(1974年)の音楽を書いたピエール・バシュレ(1944-2005)は、パリ生まれだが、父親の出身地である背伸びして見る海峡の町カレーで育っている。北フランスは19世紀から炭田地帯であり、産業革命期からこの炭田が国を支え、北フランスは多くの移民労働者たちも住む炭鉱長屋(コロン。何列にも続く坑夫住宅棟)がいたるところにあった。イタリア人もオーヴェルニュ(フランス中央山塊)人も多く坑夫としてやってきて、彼らが持ってきたアコーディオン音楽は北フランスでも重要な文化として根付くのである。そしてベルギー同様、美味いビールを産する。この歌でも「ワインはバラ色のダイアモンド」と形容されるほど貴重だが、ビールは安く浴びるほど飲めるものであった。また炭鉱は労働者たちが身を守るために組合と労働運動と社会主義を育てていき、エミール・ゾラの小説『ジェルミナル』を書かせ、歴史的に北フランスは左翼の地盤であった。この歌にも社会主義者ジャン・ジャレス(1859-1914)の名が登場する。
 しかし20世紀後半から炭鉱はひとつ、またひとつと閉山していき、石炭産業は衰えてしまう。人々は職を失い、北フランスは活気を失う。そして移民労働者を追い出せば職に回復できるという排外思想が伸張し、左翼の地盤であったところに極右フロン・ナシオナル党が大きく勢力を張っていくのである。80年代シュティ(ch'ti)()と呼ばれた北フランスの炭鉱夫たち(「Gueule noir グール・ノワール=黒い顔」とも俗称された)は、この地上から消え去りつつあった。そんな時にピエール・バシュレはシュティへのオマージュの歌を発表したのである。
 「北、それは炭鉱長屋。大地、それは石炭。空、それは地平線。人間、それは炭鉱夫。」ー 力強いリフレインである。この土地を愛するように、この職業を愛する人たちがいる北の国、ピエール・バシュレはその国の子であることを誇りに思うと歌う。素朴だが厳しい北の生活とその労働者たちへの讃歌は、数週間にしてシングル100万枚を売り、北だけではなくフランス全土がこのリフレインを歌ったのである。82年、オランピア劇場でフィナーレの曲として「レ・コロン」を歌い舞台から引き下がったバシュレは、総立ちのオーディエンスによるこの曲の大合唱によって舞台に引き戻されている。
 「レ・コロン」はひとつの職業の終わりを記録した歌でもある。91年12月、北フランスに残された最後の炭鉱が閉鎖された。19世紀から続いた産業革命はやっと終わったのである。顔を真っ黒にして働く北の人間はもういない。
)向風は「シュティ」を炭鉱夫の呼び方であるように書いたが、これは間違い。シュティは北フランス、ノール=パ・ド・カレ地方の土地っ子全般のことで、その方言「シュティミ」を話す人々。原文を訂正してもよかったのだが、あえてそのまま再録。
(↓)ピエール・バシュレ「レ・コロン」(1982年)

(↓)2013年、北のプロフットボールチーム RC LENS(ランス)のサポーターたちによる「レ・コロン」のスタジアム大合唱。