2022年2月26日土曜日

Leconte est bon

"Maigret"
『メグレ』


2021年フランス映画
監督:パトリス・ルコント
主演:ジェラール・ドパルデュー、ジャード・ラベスト、メラニー・ベルニエ
原作:『メグレと若い女の死』(ジョルジュ・シムノン 1954年)
音楽:ブルーノ・クーレ
フランスでの公開:2022年2月23日


 の2月9日に74歳で亡くなった名優アンドレ・ウィルムのおそらく最後の出演映画であろう。殺された若い女ルイーズ(演クララ・アントゥーン)の縁者で落ちぶれて記憶のあやしい古物商カプランの役で約5分ほど登場する。合掌。
 さて、ベルギーの作家ジョルジュ・シムノン(1903 - 1989)の代表的推理小説連作『メグレ警視』はフランスだけでなくいろいろな国で映画化/テレビドラマ化された20世紀の"古典”である。もう手垢にまみれた感もある。今日これを映画化/テレビ化で再挑戦するのはかなり勇気が要るだろうし、2016/17年英国ITVがローワン・アトキンソン主演で制作した連ドラが2シーズン4回でコケたのも記憶に新しい。で、今度の新映画化は(日本でも人気の高い)パトリス・ルコントが監督であり、ジョルジュ・シムノン原作では1989年に『仕立て屋の恋(原題 Monsieur Hire)』という秀作を撮ったという前歴あり。主演には... ジェラール・ドパルデュー。どこまで日本で報道されているかわからないが、2000年代までフランスを代表する男優として多くの大作に主演する国際的人気を誇ったものの、その後さまざまなスキャンダル(奇行、暴言、性犯罪疑惑...)が続きフランスを捨て2013年にロシア国籍取得(二重国籍)、ウラディミル・プーチンと非常に親しい仲になっている。その後2015年あたりから、フランスの作家主義映画にも再び出演するようになり、超くせ者とは言え俳優としての評価は戻りつつあったように思う。今や体躯は象のような"カタマリ”である。昨今の映画では、いるだけの質感/存在感だけで十分な人になってしまった。
 シムノンの原作は1954年発表の『メグレと若い女の死(Maigret et la jeune morte)』で、私はこの原作を読んでいないが、仏語ウィキペディアの要約を読むと、身よりのない清貧な娘が、生前全く知らなかった父親(国際詐欺団の首謀格でアメリカの監獄で獄死)が隠していた"遺産”をめぐって悪者に殺されるという事件をメグレが追うということになっている。パトリス・ルコントとジェレミー・トネールによるこの映画の脚本は、この父親関連のストーリーをごっそり削ってしまった全く違う展開になっているので、"小説メグレ”ファンが観るとかなり当惑するかもしれない。
 舞台は1950年代のパリ、高級(貸し)イヴニングドレスに身を包んだ若い女(20歳前後)の胸部を何度もナイフで突かれた惨殺死体が発見される。新聞が報道し、広報も出されるが遺体の受取人が現れない。メグレ警視(演ジェラール・ドパルデュー)の捜査はこの身元の割り出しからというやっかいなもので、この身なりアクセサリー化粧などから夜の世界の娘と思われたが、検死は性暴行の跡がないだけでなく、この娘が一度も性関係を持ったことがない、と。清らかな顔立ちをした死顔にメグレは心揺らされる。
 そのメグレはと言うと、もう初老の域の巨体で動きも鈍く(ドパルデューであるから)、医者の診断では心臓も肺もよろしくなく、メグレのトレードマークだったパイプ喫煙を医者から禁じられる。パイプのないメグレ。調子は狂うのだが、なんとか持ち堪える。映画の後半で検察判事の執務室で、パイプを手にしたとたん「喫煙禁止!」と判事に窘められたところを、「これはパイプではない ー というのはベルギージョーク」とやりかえすシーンあり(私の観た映画館ではおおいに笑い声が出た)。
 メグレは変わった。その変化にいち早く気づくのがマダム・メグレ(演アンヌ・ロワレ、素晴らしい!)で、この若い女殺害事件へののめり込み方が尋常ではない。何がこれほどまでにメグレを駆り立てるのか? ー これが殺人事件推理とメグレ変貌の理由を同時に追うという二重ミステリー映画になっているのですね。
 インターネットのない時代、電話帳などを手がかりに遅々とした速度でも捜査は進み、被害者がルイーズという名前で身寄りのない地方出身者でポンチュー通りの家具付きアパートに住んでいたことがわかる。そんなある日、メグレは若い娘が万引きをしようとしている場面に遭遇し、その手をつかんで押さえ、金に困っているその娘にレストランで昼食を。娘の名はベティー(演ジャード・ラベスト、素晴らしい!)で、パリに憧れて家出同然で地方から出てきたが、今後のあてはない。このベティーがかの被害者ルイーズと極似していることにメグレは衝撃を受ける。おそらく地方から出てきた動機も同じだろう。心打ち解けたかのように見えたベティーだったが、レストランおかみがメグレを「警視(コミッセール)」と呼んだのを聞いて、相手がサツと知って態度を硬化してその場を立ち去ってしまう。
 事件は、パリの大豪華バンケットサロンで催された大富豪御曹司ローラン・クレマン=ヴァロワ(演ピエール・ムール)の婚約発表パーティーに、招待者名簿にないルイーズが豪華(貸し)ドレスで着飾って入場したところ、その姿を見た婚約者二人ローランとジャニンヌ(演メラニー・ベルニエ)が激昂して、ルイーズに金を掴ませて追い返した、という悶着のあとで路上で死体となって発見されたということになっている。で、容疑者のめぼしは、このローラン、ジャニンヌ、御曹司の母クレマン=ヴァロワ夫人(演オロール・クレマン、1974年ルイ・マル『ルシアンの青春』のユダヤ娘フランス!)の三人にしぼられるのだが、確固とした証拠は何もない。
 一方ナイーヴな夢想家だったベティーはパリを彷徨し、危険な闇の世界の入り口まで行きかかったところを再びメグレに救われる。メグレ家で介抱してやり、マダム・メグレと三人で食卓を囲むというメグレには特別の感慨を呼び戻す瞬間がある。そしてベティーを死んだルイーズが借りていた部屋に住まわせ(家賃前払い by メグレ)、まっとうな生活を、と。するとそこへ大富豪の婚約者となったジャニンヌ(これも地方出身者、かつてルイーズとこのアパルトマンに同居していた)が現れ、いい金になる仕事があるから、と。メグレだけが頼れる人となったベティーは、このことをメグレに相談するのだが、思うところあるメグレはジャニンヌの申し出を受けてその仕事をしてみろ、と。ここからはメグレがベティーに仕組んだ”囮(おとり)捜査”となるのだが、ジャニンヌの言われるままに美麗ドレスを着て訪れたクレマン=ヴァロワ邸で見たものは....。
 事件はこのベティーの身の危険を伴った潜入活動が功を奏して一挙にその全貌が明らかになるのだが、それはここではばらさないでおく(原作小説とは全く違うはずだから)。それよりもこの映画のもう一方の軸であるメグレの変化の理由であるが、それは映画の中盤ほどで明らかになる。メグレ夫妻には20歳で亡くなったひとり娘がいたのだ。三人家族の時代があったのだ。このルイーズの死顔を見てから、メグレが"それまでのメグレ”とは違っていく、という展開を、この映画は"それまでのメグレ”を映し出すことなく、ことば数の少ない/表情のあまり変わらない難しい顔をした巨体の男で全部わからせてしまう、ということなのだ。人間の塊が少しの言葉と少しの動作で、日本語で言うところの「背中が語っている」ように多くを物語ってしまう、ということなのだ。これがジェラール・ドパルデューにしかできないメグレなのですよ。
 パトリス・ルコントがこの映画関連のインタヴューで強調していたのは、ヒッチコック流儀(特に『北北西に進路をとれ』1959年と『ヴァーティゴ』1958年)を援用したということだが、スクリーンのすみずみや登場する人々すべてにヒントがありそうな、観る者を緊張させる映像は久しぶりに体験した。眩しい灯りのない暗めの夜の街、電話交換手、事件現場に豆電球がつく巨大なパリ地図パネル板、フィルムノワールで見慣れたようなビストロ/レストラン、ブルーノ・クーレの時代がかった音楽(盛り場シーンでの美しいアコーディオンワルツあり)、怪しげで不気味でシックなパリが見えてくる。1時間半足らず(正確には1時間28分)。無駄がない。何よりも無言のメグレ/ドパルデューが多くを語っている、”質感”が勝っている映画です。2月25日現在、この主演男優が世界を敵に回しているロシア大統領プーチンと親友関係にある、ということでとやかく言われていることを差し置いて、この映画が高い評価を受け、非常に多くの観客がこの映画のために映画館に足を運んでいる、ということに納得している私です。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『メグレ』予告編


(↓)ブルーノ・クーレ音楽『メグレ』タイトルテーマ。これは名画の映画音楽。

2022年2月21日月曜日

きりやどの情事

Nicolas Mathieu "Connemara"
ニコラ・マチュー『コネマラ』

2018年ゴンクール賞『彼らの後の彼らの子供たち』に続くニコラ・マチュー(1978 - )の3作目の長編小説。前作の432ページと同じほどの読み応えの396ページ。題名の「コネマラ」は1981年発表のミッシェル・サルドゥーの大ヒットシングル「コネマラの湖」に由来するものだが、この歌については当ブログ別項で詳説してある。この小説の最後の方でこの歌に長く言及する箇所(p381-382)があるが、要は歌手の歌唱や楽曲の良し悪しをはるかに超えてこの曲が20年後30年後に獲得してしまったウルトラな祝祭性であり、約束ごとのような極度のトランスへと老若男女を引き摺り込んでしまうパワーなのである。個人的な体験として私の立ち会った結婚パーティーなどのクライマックスでこの歌が現出させてしまう狂乱シーンは見たことがないが想像はつく。
 主要な登場人物はこの歌および作者マチューと同じ1980年前後に生を受け、現在40歳代になっている世代である。場所は前作『彼らの後の彼らの子供たち』と同様、広い範囲でのロレーヌ地方(ナンシーからエピナルまで)であり、作者マチューの地元である。小説の現在時は2017年、すなわち”ダークホース”マクロンが急伸長し権力を奪取していく年。前作が1998年(フランスW杯優勝の年)をクライマックスとして進行したように、フランスの何かが変わった年2017年のあの日(5月6日=大統領選第二投票)の前夜に(選挙とは全く関係のない)大カタストロフをもってくる展開。政治的背景としては、世は投票棄権率5割の時代で、極右極左エコロも含めて既存の政治思想による政策で票が取れなくなってしまっていて、代わって"マーケティング"や”コミュニケーション”が極めて重要な決め手になっていく。右でも左でもないプラグマティックな実効性と爽やかな印象/ルックス/弁舌の39歳(当時)の無党派候補の急上昇は、世の趨勢でもあった。ウーエルベックの最新小説『無化(Anéantir)』(2022年)で、2027年の大統領選挙戦が政策戦などでは全くなく、巨大な予算をかけて候補者イメージをつくりあげる"コーチング”の戦いとして描かれるが、この傾向はマクロンの初選挙戦(2017年)の頃から始まっていたと理解できる。「コーチング」「コンサルテーション」がキーワードであり、世の最重要なことがらは為政者/資本家/経営者らが舵取りをするのではなく、実務に携わらずに巨大な影響力を発揮するこの「コンサルティング」の人々になってしまった。若い超優秀な頭脳がグランゼコールを出てそのトップクラスがみなコンサルティング会社に就く、いつからこんな時代になったのだろうか。 
 この小説の主人公エレーヌは現在ロレーヌ地方第一の都市ナンシーに本社を構えるコンサルティング会社のバリバリのマネージャー職、破竹の勢いで伸びているこの会社のナンバーツー(と自分では思っている)で、フランス全土および外国出張もするエグゼキュティヴ。二人の娘の子育てをしながら、同じほどの高収入の夫とナンシーの高台の高級住宅に住む。同じロレーヌ地方のヴォージュ県エピナルで生まれ育ったエレーヌの生い立ちと少女時代も長いページに渡って描写されているが、労働者階級の出であり、父母はロレーヌ地方全体が70年代から破産工業地帯となった衝撃をもろにかぶった世代である。前作『彼らの後の彼らの子供たち』はこの見放された地方ロレーヌの憂鬱からなんとかして抜け出そうとする少年少女の物語だったが、少女エレーヌもこの地方と父母の無教養な保守性から抜け出したくてしかたなかった。天はこの子に両親に似つかわぬ高性能の頭脳を与え、学業は常にクラスのトップ、加えて図書館で本を読み漁るのが無性に好きという博識人に育っていく。その分野では負けない自信があり、親の"止まってしまった”知性に懐疑的であり、真っ向対立を避けながらも、親を見下すようになる。もうひとつ少女エレーヌに大きな影響を与えるのが、同級生として出会った大ブルジョワの娘シャルロットであり、”階級”を超えて大親友となるも、自分の家にはありえないブルジョワ家の(知的文化的)豊かさのすべてが刺激的であり、自分の未来は成功によってこの豊かさを手に入れるしかない、という(社会的)上昇志向を確固としたものにしてしまう。そのシャルロットが強烈に恋慕していたのが、リセ生でありながら地方アイスホッケークラブ(エピナル)の有望選手として期待されているクリストフ(本小説の準主人公)だった。ところがシャルロットと火遊び程度のつきあいはあっても、クリストフはシャルリーというパンキッシュで気性の荒い娘が本命だった。(小説ではクリストフのおいたちもエレーヌ同様長くページを割いて描写されているが、のちに一人子供を授かることになるシャルリーとの関係がクリストフ一生一代の熱愛だったことがわかるが、それはそれ)。シャルロットとエレーヌは試合があるとクリストフの応援に足繁くスケートリンクに通うことになる...。
 エレーヌは望み通り抜群の成績でバカロレアを通り、グランゼコール予備校(プレパ)を経てHECへ進学する。もうエピナルには戻らない。ただパリに未練なくナンシーまで(エピナルと同じ地方なので”帰る”と言っていいのかな)退く経緯はなんとなくわかる。成功するためにパリに居続けるという理由は今日全体的に希薄になっているし、現実世界ではコロナ禍によるテレワーク普及の数年前から若い働き盛り世代のパリ離れは現象化している。高給、やりがいのある仕事と地位、理解ある(高級取り)夫、二人の娘、文化都市ナンシー... 40歳になろうとする今、すべてに成功し、なにひとつ不満がないと思われようが...。コンサルタント会社では研修生の若い(20代)女性リゾンを個人秘書のように従わせているが、あらゆる情報収集がスマホ経由のネットワークで瞬時にこなせる世代のキレ者として重宝され、公私ともに親密な仲に。この有能な部下から先端若者の”遊び方”を指南されて、エレーヌは初めてマッチングアプリの世界を体験する。どうにかこうにかしているうちに、アプリは20年を遡ったリセ時代に覚えのある名前クリストフ・マルシャルにたどり着く...。
 現在のクリストフは、生まれてこのかた動いたことのないエピナル郊外の家にまだ住んでいて、ドッグフード会社のVRP(出張販売員)としてロレーヌ地方全域のペットショップや動物病院にセールス巡回をしている。前述したように若き日の熱愛の結果、破天荒な女シャルリーとの間に男の子が生まれたが、二人は離別(現在も関係は険悪)、子育ては交代制としている。生活も仕事も厳しく、おまけに記憶障害の始まった父親(寡夫)の世話も見なければならない。しかしクリストフにはほぼ不可能と思われた野望があった。それはアイスホッケー選手としてかつて大活躍したエピナルチームにもう一度レギュラーとして復活すること。彼はチームとスタンドの熱狂、アドレナリンの急上昇、勝利のクライマックスがどうしても忘れられない。40歳カムバックを絶対に果たしたい。そのことが彼の希望のすべてだった。
 エリート・コンサルタントとして成功して夢を果たしたエレーヌ、地方に居残り苦しみながら若い日の幻影(アイスホッケー)を追い続けるクリストフ、二人が出てきたところは同じようなエピナル郊外の貧しい家庭、しかしこの20年間にかくも距離が開いてしまった二人が強烈に惹かれ合うのである。この抗しがたいお互いの磁力の物語なのである。私の読み方では、この二人の求め合いは土着者クリストフの側からの引きが強い。アッパークラス者エレーヌは地位も夫婦・家庭も捨てて地上まで降りていくのか、という冒険譚でもある。二人の逢引の場所は、フランスの典型的な郊外2/3星ホテルチェーンの代名詞キリヤド(Kyriad)なのである。ホテルで会ってホテルで別れる。この味もそっけもない"実務”ホテルで二人は激しく交情し、支払いはエレーヌがする。宙にいたエレーヌが地面に降りていくアヴァンチュールはキリヤドであり、その風景は大衆クラスが親しむスタンダード化された地方フランスなのである。それはエリートたちが蔑視するものであることをエレーヌは知っているものの、二人には完璧な愛の場所なのである。何が悪い?
 さて小説題であるミッシェル・サルドゥー「コネマラ」はこの小説で二度登場する。一度めはエレーヌのコンサルタント修行時代、冷徹で超キレ者と言われた上司マルク・ハムーディに付き添ってポーに出張した時。この時にエレーヌはマルクの完璧な仕事ぶりを目の当たりにして、コンサルタント術に開眼し、この仕事のやりがいを思い知らされ、その後一流のコンサルタントへと変身していくのだが、マルクと過ごしたポーの出張の最後の夜、それまで質素な食事でアルコールを一切口にしなかったマルクが、仕事の打ち上げに高級レストランにエレーヌを招待し、良いワインを飲み、食後ナイトクラブまで誘うのである。神経をギリギリまですり減らして成功させた仕事(この冷徹男も、本心では”縮れ毛頭”や"ハムーディという名前”を理由に仕事がうまくいかないというケースを想定もしている!)、その夜クラブでマルクは何も語ることなく浴びるほどウィスキーを飲み、ダンスフロアが盛り上がったクライマックスに、このピレネーの地方ナイトクラブはミッシェル・サルドゥー「コネマラ」を流したのである。仕事中一瞬のスキもなかったこの男は、泳げず溺れ死にそうにもがくような顔をしてピョンピョン踊りを...。
 そして二度めはこの小説の最終部に起こるカタストロフである。それはガキの時分からのマブダチトリオ(クリストフとグレッグとマルコ)のうちのひとりグレッグの結婚パーティー(2017年5月6日、すなわち大統領選決選投票の前日)の夜のできごとだった。エレーヌは信頼していたコンサルティング会社のボスからそのナンバーツーの地位を外され、夫にクリストフとの密会関係を知られ、自分が築いたアッパークラスの生活にひとつのピリオドを打つべき時を悟り、それでも幸福で地面に足をつけた転身を考えられるポジティヴな時だった。それを知らずともクリストフはエレーヌとの関係で生気と自信を取り戻し、念願のアイスホッケーチーム復帰、そしてその限界を悟った最後の出場試合に息子とエレーヌの前で得点を決められるという美しい引き際を演じることもできた。エレーヌとの新生活ということも考えられないわけではない。そんな5月の晴れた土曜日に、エレーヌの見立てた高級ブランドのスーツを着て、こちらも高級ブランドで決めた長身美人のガールフレンドを連れて、一生離れることのない親友の結婚パーティーに列席したのである。パーティーは地方的・田舎的・大衆的に満場の幸せを絵に描いたような飲めや喰えや踊れやの祝宴が延々と続く。エレーヌもクリストフも新しいなにかの始まりを思っていたかもしれない。深夜をすぎていよいよサウンドシステムはそのデシベルを際限なくクレッシェンドしていく。マブダチトリオはこっそりトイレに駆け入り、コカインをたっぷり吸引する。めちゃくちゃハイになった彼らは半狂乱で踊り狂う。こんなクリストフ見たことがない、とエレーヌは驚く。そして夜明けも遠くない時刻になり、これが出るまでは、と待ち構えていた人々の熱狂に呼応して、「コネマラ」のイントロは始まるのである... 。大歓声・大唱和・割れたサウンドシステムの超大音量で始まってしまうピョンピョンダンス、そこでわれを完全に忘れて興に乗り過ぎたクリストフは、祝宴テーブルの上に立ち上がり、テーブルからテーブルへの八艘飛びを!しかししかし、クリストフの忘我ジャンプは着地に失敗し、テーブルからまっさかさまに大転落、額に卵大のコブを作ったまま意識不明で横たわっている...。
 クリストフが意識を取り戻し、命に別状はないとわかったあと、エレーヌはひとりその場から立ち去り姿を消す...。

 エレーヌは子供の頃から長身であり、がっしりしたスポーツ選手であるクリストフより背が高い。これは重要なファクター。日本語で言う「上から目線」。子供の頃から学業成績トップで、両親よりも自分が正しいという確信、見下し、上昇志向、ビジネス能力でも敵なし、すべてに成功してきたエレーヌだが、この女性は人間的な情動にあふれ、女性の顔をし、旺盛な性欲もある。40歳になろうとした時にやってきた迷いは、「成功」では得られない何かの呼び声だっただろう。貧乏を嫌い、両親を嫌い、生まれ育った環境を嫌ったエレーヌが、クリストフとの再会によってその原点に引き戻され、その世界とその人間模様が自分に最も近いものなのかもしれないと幻視するのだが、「コネマラ」に熱狂するむき出しのナマ身は怖いと身を引く。これはある種古今の王や権力者の「上から目線」を想わせ、民衆の踊りの熱狂ほど権力者たちにとって恐ろしいものはないだろう。
 この「コネマラ」カタストロフの翌日、フランスではマクロンが大統領になり、それからほどなくしてエレーヌもクリストフも別々に新しい方向へ再出発していく。破産工業地帯からの復興に足踏みするロレーヌ地方、政治が政治的言語の意味を失っていく投票棄権時代のフランス、コンサルティング業界が牛耳る社会、マクロンという現象、そしてアイスホッケーというスピードとヴァイオレンスの素晴らしい競技(ニコラ・マチューの試合シーンの描写はマンガのように手に汗握る!)... 盛り沢山の小説は、ウーエルベックの『無化』の"水増し”盛り沢山とは全く質が違う。スタインベック、フォークナーをこよなく愛する作家のダイナミズムと読める。
 同じ場所の同じ境遇から出てきた二人の人物が、激しく引き合い愛し合いぎりぎりまで近づき合うのに、二人は同じ世界に合流することができない。この二人を分つなにかというのが「コネマラ」に象徴されるものなのですよ。ニコラ・マチュー、私はわかりますよ。

Nicolas Mathieu "Connemara"
Actes Sud刊 2022年2月2日  396ページ 22ユーロ

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)ニコラ・マチュー『コネマラ』、作者自身による紹介ヴィデオ(アクト・シュッド社)


(↓)「コネマラの湖」ー 群衆熱狂の一例(フェリア・ダックス 2016年)

2022年2月11日金曜日

もう37歳になるんだよ

2022年3月4日にリリースされる9年ぶりのスタジオアルバム『ミュルティチュード(Multitude)』のプロモーションで、硬派の文化批評誌と定評のあった(今はどうなんだか)テレラマ誌2月9日号に表紙と巻頭インタヴュー(4ページ)で登場したストロマエ。新アルバムから既に2021年10月に"Santé"、そして2022年1月に"L'Enfer"がクリップと共に公開されていて、アルバムの南米・アフリカ・アジア・ヨーロッパ深部など多彩な音楽ルーツを混ぜ合わせたサウンド傾向を垣間見ることができる。多様多彩多面なワールドマルチチュードアルバムとなるであろう、と。わかるわかる。
 その"L'Enfer"が初めて公に発表されたのが、フランス最大の民放テレビTF1の20時ニュースであった。ニュースにゲストとして招かれ、キャスターのアンヌ=クレール・クードレーの質問に答える形式で進行した十数分のインタヴューの終盤、クードレーが「あなたの歌には孤独を主題にしたものが多くありますが、音楽はあなたを孤独から解放する手助けになったのですか?」と尋ね、ストロマエ一瞬の沈黙のあと(あたかもライヴのように)"L'Enfer"を歌い始める、というクサ〜い演出を(↓2分5秒め)。

これはたちまち轟々の論争沙汰となるのだが、ニュース報道にこのようなプロモーション演出が許されるのか、ジャーナリズムのデオントロジーに抵触するものではないか、と。ニュースに偽装商業広告が混じってもなんともなくなったご時世なのに。まあ、ストロマエの狙い通りと言うべきか、この論争で願ってもない話題騒然現象が生まれたのだから、プロモーションは成功したということにしよう。(テレラマインタヴューでもこのことは触れられているのだが、"演出”のどこがいけないの?というアーチスト様の反応なので、訳さないでおく)
  インタヴューは表紙見出しにあるように"A la conquête du monde(世界制覇)"を目指す復活ストロマエ像を引出そうとするのだが、当人は午後5時には家に帰る生活に満足していて、以前のようにボロボロになるまでショーで心身を消耗したくない、若さも体力も衰えたことを隠さない人間が語っている。2021年フランスで最もアルバムを売り、全国民的な評価を得るに至ったノルマンディーのラッパーで、長年の友人・共同制作者であるオレルサンについて語っているのが興味深い。自らの長かった休息期間中にシーンの頂点に立つに至ったオレルサンと"似ている”と言われることにまんざらでもない感じ。オレルサンのアルバム『シヴィリザシオン』に嫉妬しているような感じも。同アルバムで一番好きな曲が"Le jour meilleur(よりよい日)"であると言うところも友人への熱いオマージュ。
 以下テレラマ誌インタヴュー(インタヴュアーはオディル・ド・プラ)の一部を翻訳したものです。それでは3月4日のアルバムリリース後、アルバムレヴューを書きますよ。

(…)
テレラマ:このアルバムによってあなたは解放されましたか?
ストロマエ「解放されるって?僕が何から解放されなければならなかったのかな?」
テレラマ:病気から...

「誰でも不調の時期を避けて通れるわけではないよ。僕は明らかに過剰な仕事による困難な時期を過ごしていた。解放された?むしろアルバムを完成させたことで重荷は降ろせたと言うことはできる。このアルバムを僕はごく個人的でひとり仕事のようなやり方で作ったわけではない。他のアーチストの音楽を聴く時、僕はその人の人生を知る必要はないし、その人についてとやかく言われていることには興味がない。そうじゃなくて僕はその人の詞の中に自分を見つけ出したいんだ。僕はそれまでの自分の回想録を作るつもりは全くなかった。もちろん扱われる主題は僕が体験したことと交差するけど。だからこのアルバムは僕自身であるけれど、全部が全部そうだというわけでもないんだ。言葉遊びやはぐらかしの部分はアルバムをフィクションの方面に引っ張っていく。」

テレラマ:あなたのアルバムとオレルサンのアルバムは似ているところはないとは言え、さまざまな共通点を共有していると思いますが?
「つい先週、ある人が僕は彼と同じように話すとまで言ったんだよ。彼のアルバムで僕が一番好きなのは”Jour Meilleur(よりよい日)という消沈している友だちの生気を取り戻そうとする歌なのだけど、僕の”L’Enfer(地獄)”Mauvaise journ
ée(悪い一日)”と呼応しあっているような歌だ。僕たちはしょっちゅうは会わないけれど、お互いのアルバムを作る時は連絡し合う。僕と彼では曲の作り方のプロセスがまるで違う。例えば彼は主題に触れるすべてのことについてキリがないほどノートに書いていくんだ。僕もするけど、彼ほど片っ端からというほどではない。彼のアルバムが『シヴィリザシオン』というタイトルだと知った時、あとになってちょっと怖くなったんだ、僕のアルバムもこのタイトルになっていたかもしれないって。本当に。そうだったら僕はドン底まで突き落とされるところだったろう。たしかに僕と彼は世界を同じ尺度で見ている、その見方は地球規模からローカルにまで。僕の場合僕をインスパイアしたフォルクロールという概念はここから来ている。このタームは文明、民族、文化、伝統まで包含している。そこから最終的にはちょっと距離を置くことになったのは、クリップやヴィジュアルの音楽的方向性、ダンス、衣装などにそれを全部詰め込むのはちょっと重すぎることになると思ったからなんだ。」

テレラマ:あなたには世界を目指すというはっきりした野心があるように思うのですが
「アルバム『ラシーヌ・カレ』以来、僕は世界のいたるところで聞かれることを目指していたけど、それはうまく行ったんだ。初めてアメリカの聴衆を相手にした時のことを僕はよく覚えている。全世界でレコードが配給されるように僕はメジャーレコード会社と契約を交わした。ビヨンセやリアーナと比較するわけではないが、僕はレコード会社の戦略がどうなっているのか確かめていた。世界中で配給されると言っても地区によってはあまり仕事してくれていないところもあるから。僕はバスケットプレイヤーのマイケル・ジョーダンをアイドルとして大きくなった。アメリカは世界で最も多くの音楽を産出している国だ。最近では韓国やラテンアメリカによって少し事情は変わっているが。確かにそれは複雑なことだが、僕にはそれは挑戦としてやってみてもいいんじゃないかと思っている。もしも僕が失敗してもそれは悲劇にはならないことだし。僕は以前よりもずっと軽めにやってみようと思っている。僕の人生はその野望を中心に回っているわけではない。いずれにしても午後5時になったら僕はウチに帰るんだから。」

(…)
テレラマ:あなたの国(ベルギー)で今やあなたは多くの若いアーチストたちにとって続くべき見本となっていますが、それはうれしいことですか?
「もちろんうれしいことだけど、僕だけが見本だったわけではない。僕の前にはジャック・ブレルやたくさんの先人たちがいた。最近では映画のような違う分野でブノワ・ポールヴールドやフランソワ・ダミアンのような人たちも出てきた...。多分僕たちはそれまで人がよく言っていたような障壁を打ち破り、リミットなんてないということを証明したんだ。僕がデビューした頃、ベルギーの音楽シーンではローカルな支援などまったくなかったし、誰も僕たちのことに期待していなかった。当時の僕の目標というのはフランス語圏で知られるようになることだった。”Alors on danse”がドイツでもヒットしたと聞いた時、僕はどんなところでも評価されうるのだということを理解したんだ。僕たち自身だって理解しなくても英語の音楽を聴いていたんだ。その逆も可能なんだってことを僕は繰り返し言っている。」

テレラマ:ツアーの最初のショーはブリュッセルですよね。そこで始めるというのは大事なことでしょう?

「もちろんそうだよ、その点で僕はとても緊張している。だって僕はとても長いことステージに立っていないから。ロボットや(ピクサーやドリームワークス並みの)3Dアニメーションを駆使している。それはとても斬新なショーになるけど、僕の残る心配というのは歌詞の度忘れなんだ。誰にでも怖いものはある...。演出もアクションもあるけれど、ハードで高度なダンスは減らしている。僕自身が楽しみたいし、ショーの最後にグロッキーになることは少なめにしたいんだ。前のショーはたいへんな試練だったし、その時の肉体を僕はもう保っていない。もうすぐ37歳になるんだよ
。」

(テレラマ誌2022年2月9日号 p.4 - 10)

(↓)テレラマ誌のFBページに掲載されたインタヴュー補追動画。ファッションやアート全般に関して答えるストロマエ。最近読んで感銘を受けた書に、ケン・ローチとエドゥアール・ルイの対談『芸術と政治についての対話(Dialogue sur l'art et la politique)』(PUF刊、2021年3月)を挙げている。

2022年2月1日火曜日

幸せが住むというコネマラの湖

Michel Sardou
"Les Lacs du Connemara"
ミッシェル・サルドゥー
「コネマラの湖」

詞:ピエール・ドラノエ&ミッシェル・サルドゥー
曲:ジャック・ルヴォー
フランスでのリリース:1981年12月


2022年2月2日に書店売りになるニコラ・マチュー(2018年ゴンクール賞)の新作小説の題が『コネマラ』。アイルランドが舞台の小説なのではなく、"コネマラ”はかのミッシェル・サルドゥー(1947 - )の歌なのだと知り、読む前にこの歌をおさらいしよう、と。
 ミッシェル・サルドゥーに関してはいろいろ言われている通り、保守(好戦)タカ派(むしろ右翼)、カトリック、死刑肯定派(1976年"Je suis pour")=よって今は死刑復活論者、ホモフォビア(1976年"J'accuse")、植民地主義者(1976年"Le temps des colonies")、男性優位主義者(1981年”Etre une femme")、レイシスト... といった傾向を明白にした歌と言動で爆発的な人気を取り、70年代には出せばミリオンヒットという地位を獲得している。コンサート会場には人権団体や左派活動家たちが大挙押しかけて抗議デモをかけていた。そういうアーチストなので、私のブログには縁のない人のはずだったが、まあ、それはそれ。
 時は1981年、社会党フランソワ・ミッテランが第五共和政初の左派大統領となった年、サルドゥーら保守派は一挙に少数派に転落した。その夏、サルドゥーは新曲づくりのために、ノルマンディー地方ウール県サン・ジョルジュ・モテルにあるサルドゥーの別荘に作詞家ピエール・ドラノエと作曲家ジャック・ルヴォーを招集して、共にワーキングヴァカンスを。ところがジャック・ルヴォーが車に積んできたシンセサイザー「シーケンシャル・プロフェット10」が長旅と道中の暑さによって変調をきたし、バグパイプのような音しか出なくなった。ここでサルドゥーがひらめいて、それならばその音でケルト/スコットランド風な曲を作ればいいんじゃないか、と。しかしサルドゥーもドラノエもルヴォーもスコットランドに行ったことがない。インターネットのなかった時代、簡単に資料集めなどできない。そこでドラノエが近くの町まで資料を探しに行ったのだが、結局何も見つからず、あったのはアイルランドの観光パンフレットのみ。同じように三人いずれもアイルランドにも行ったことがない。まあ、スコットランドもアイルランドに似たようなもんじゃろ、ってな安直さで、そのパンフレットにあった荒々しい山と湖の自然国立公園コネマラをモチーフにドラノエとサルドゥーは詞をつくっていったのである。その時もうひとつインスピレーションの元(ぱくりの元)となったのが、1952年のジョン・フォード監督映画『静かなる男』(主演ジョン・ウェイン/モーリーン・オハラ)で、アイリッシュ・ルーツのアメリカ男(ジョン・ウェイン)がアイルランドに里帰りして恋に落ち、封建的な土地柄ゆえによそ者あつかいされ、なんだかんだでボクシング決闘の末に大酒飲んで和解する「男もの」名作とされる作品。歌の中のネームドロッピングで「モーリーン」や「ショーン」(ジョン・ウェインの役名)などが出てくる。村のパブで飲んだり踊ったりはこの映画のイメージであろう。そしてルヴォーがパイプバンドのマーチ曲をイメージして、必殺のケルティックメロディーを。三人のイメージだけでつくった(行ったことも見たこともない)アイルランド讃歌:

湖水の周りには
風に焼かれた大地
岩で覆われた荒地
生きる者たちには少し地獄、それがコネムラ
北から黒い雲がやってきて
大地や湖や川の色を変えていく
それがコネムラの景色

続く春にはアイルランドの空は穏やかだった
モーリーンはコネムラの湖に裸で飛び込んだ
ショーンは「俺はカトリックだ」と言い、モーリーンも同じだと
リメリックの御影石づくりの教会で、モーリーンはイエスと言った
ティッパーラリーから、バリー・コヌリーから、そしてゴールウェイから
人々はコネムラの里にやってきた
コナーズ家、オコノリー家、フラアーティー家、リング・オブ・ケリーのフラハーティー家も
二晩三日を飲み明かす酒も

コネマラの里では
誰もが静寂の値打ちを知っている
コネムラの里では
人生は一種の狂気さ、と人は言う
そして狂気とは踊るものなのさ

湖水の周りには
風に焼かれた大地
岩で覆われた荒地
生きる者たちには少し地獄、それがコネムラ
北から黒い雲がやってきて
大地や湖や川の色を変えていく
それがコネムラの景色

そこでは今もゲール人やクロムウェルの時代のように
雨と晴れのリズムに従って
馬の歩のリズムに従って生きている
湖にいる怪物を信じる者たちもいる
夏のある夜それは浮かび上がって泳ぎ
また湖底に沈んでいく
そこにはよその地から人々がやってくる
魂の休息を求めて、そしてより良い味わいを求めて
そこでは人々はずっと信じている
いつかアイルランド人たちがひとつの十字架のもとに
平和を築く日が来ることを、その日は近いということを

コネムラの里では
誰もが戦争の報いを知っている
コネムラの里で人々は
ウェールズ人たちの言う平和も
イングランドの王たちの言う平和も
受けつけないのだ


とまあ、講釈師見てきたような、のアイルランド湖水地方讃歌であり、1981年という時期は北アイルランド紛争が終結するまでまだまだ遠かった頃に発表された歌にしてはかなりはっきりした政治的(反英的・反プロテスタント的)ポジションが歌詞にも現れている。"反英的"と書いてしまったが、録音は(バグパイプバンドと合唱団を加えた)ロンドン交響楽団(LSO London Symphony Orchestra)がバッキングしている豪華シンフォニックなもので、出来上がりは6分2秒という長さになった。サルドゥーはこの長さに、これはシングルに向かないとアルバム内(サルドゥー10枚めアルバム"Les Lacs du Connemara" 1981年7月リリース、150万枚のセールス)での発表にとどめておこうと思ったが、心変わりして1981年12月にシングル盤としてリリース。たちまちチャート1位、シングル売上枚数200万枚に達した。
 このメガヒットであるから、フランス人はこのコネマラという見知らぬ地にがぜん興味を抱き、旅心を刺激され、アイルランドのコネマラ国立公園はフランス人観光客が年間に35万人訪れる、大人気スポットになってしまったのである。この件でサルドゥーは後年アイルランド政府から感謝の象徴として「コネマラの鍵」というのを授与されている。こんなそんなでコネマラを持ち上げることになってしまった当のサルドゥーが、初めてコネマラの地を訪れたのは1987年(つまり曲の録音から6年後)のことであった。
 またこの歌は後年まったく別の進化をとげて、(仏語ウィキペディアによると)2000年代頃からにわかに大学や専門校の年度末セレモニー(学位授与式)での定番音楽となり、とりわけゆっくりしたリズムと早いリズムの入れ替わりに乗って盛り上がっていく曲調が好まれ、パーティー最後のお開き音楽として重宝されたのである。また別方面では結婚披露パーティーのケーキ入場時の音楽として定着し、この音楽が始まると列席者全員が立ち上がってテーブルナプキンを頭上でぐるぐる回すという、(いつから始まったのかわからないが)昨今の結婚式のお決まりのクライマックスシーンが展開するのである...。
 最初に紹介したニコラ・マチューの新作小説『コネマラ』は、歌の内容やサルドゥーのことではなく、そういう学生コンパや結婚パーティーで何度もこの「コネマラ」を聞き、人生の場面に流れてしまって耳について離れない音楽となってしまった世代の男女のことを書いたもののようなのだ。追って紹介します。

(↓)ミッシェル・サルドゥー「コネマラの湖」(1981年)


(↓)ポール・マッカートニー&ザ・ウィングス「もろきんタイヤ」(1977年)


(↓)アラン・スーション「バガッド・ド・ラン=ビウエ」ロングヴァージョン(1978年)