2022年2月11日金曜日

もう37歳になるんだよ

2022年3月4日にリリースされる9年ぶりのスタジオアルバム『ミュルティチュード(Multitude)』のプロモーションで、硬派の文化批評誌と定評のあった(今はどうなんだか)テレラマ誌2月9日号に表紙と巻頭インタヴュー(4ページ)で登場したストロマエ。新アルバムから既に2021年10月に"Santé"、そして2022年1月に"L'Enfer"がクリップと共に公開されていて、アルバムの南米・アフリカ・アジア・ヨーロッパ深部など多彩な音楽ルーツを混ぜ合わせたサウンド傾向を垣間見ることができる。多様多彩多面なワールドマルチチュードアルバムとなるであろう、と。わかるわかる。
 その"L'Enfer"が初めて公に発表されたのが、フランス最大の民放テレビTF1の20時ニュースであった。ニュースにゲストとして招かれ、キャスターのアンヌ=クレール・クードレーの質問に答える形式で進行した十数分のインタヴューの終盤、クードレーが「あなたの歌には孤独を主題にしたものが多くありますが、音楽はあなたを孤独から解放する手助けになったのですか?」と尋ね、ストロマエ一瞬の沈黙のあと(あたかもライヴのように)"L'Enfer"を歌い始める、というクサ〜い演出を(↓2分5秒め)。

これはたちまち轟々の論争沙汰となるのだが、ニュース報道にこのようなプロモーション演出が許されるのか、ジャーナリズムのデオントロジーに抵触するものではないか、と。ニュースに偽装商業広告が混じってもなんともなくなったご時世なのに。まあ、ストロマエの狙い通りと言うべきか、この論争で願ってもない話題騒然現象が生まれたのだから、プロモーションは成功したということにしよう。(テレラマインタヴューでもこのことは触れられているのだが、"演出”のどこがいけないの?というアーチスト様の反応なので、訳さないでおく)
  インタヴューは表紙見出しにあるように"A la conquête du monde(世界制覇)"を目指す復活ストロマエ像を引出そうとするのだが、当人は午後5時には家に帰る生活に満足していて、以前のようにボロボロになるまでショーで心身を消耗したくない、若さも体力も衰えたことを隠さない人間が語っている。2021年フランスで最もアルバムを売り、全国民的な評価を得るに至ったノルマンディーのラッパーで、長年の友人・共同制作者であるオレルサンについて語っているのが興味深い。自らの長かった休息期間中にシーンの頂点に立つに至ったオレルサンと"似ている”と言われることにまんざらでもない感じ。オレルサンのアルバム『シヴィリザシオン』に嫉妬しているような感じも。同アルバムで一番好きな曲が"Le jour meilleur(よりよい日)"であると言うところも友人への熱いオマージュ。
 以下テレラマ誌インタヴュー(インタヴュアーはオディル・ド・プラ)の一部を翻訳したものです。それでは3月4日のアルバムリリース後、アルバムレヴューを書きますよ。

(…)
テレラマ:このアルバムによってあなたは解放されましたか?
ストロマエ「解放されるって?僕が何から解放されなければならなかったのかな?」
テレラマ:病気から...

「誰でも不調の時期を避けて通れるわけではないよ。僕は明らかに過剰な仕事による困難な時期を過ごしていた。解放された?むしろアルバムを完成させたことで重荷は降ろせたと言うことはできる。このアルバムを僕はごく個人的でひとり仕事のようなやり方で作ったわけではない。他のアーチストの音楽を聴く時、僕はその人の人生を知る必要はないし、その人についてとやかく言われていることには興味がない。そうじゃなくて僕はその人の詞の中に自分を見つけ出したいんだ。僕はそれまでの自分の回想録を作るつもりは全くなかった。もちろん扱われる主題は僕が体験したことと交差するけど。だからこのアルバムは僕自身であるけれど、全部が全部そうだというわけでもないんだ。言葉遊びやはぐらかしの部分はアルバムをフィクションの方面に引っ張っていく。」

テレラマ:あなたのアルバムとオレルサンのアルバムは似ているところはないとは言え、さまざまな共通点を共有していると思いますが?
「つい先週、ある人が僕は彼と同じように話すとまで言ったんだよ。彼のアルバムで僕が一番好きなのは”Jour Meilleur(よりよい日)という消沈している友だちの生気を取り戻そうとする歌なのだけど、僕の”L’Enfer(地獄)”Mauvaise journ
ée(悪い一日)”と呼応しあっているような歌だ。僕たちはしょっちゅうは会わないけれど、お互いのアルバムを作る時は連絡し合う。僕と彼では曲の作り方のプロセスがまるで違う。例えば彼は主題に触れるすべてのことについてキリがないほどノートに書いていくんだ。僕もするけど、彼ほど片っ端からというほどではない。彼のアルバムが『シヴィリザシオン』というタイトルだと知った時、あとになってちょっと怖くなったんだ、僕のアルバムもこのタイトルになっていたかもしれないって。本当に。そうだったら僕はドン底まで突き落とされるところだったろう。たしかに僕と彼は世界を同じ尺度で見ている、その見方は地球規模からローカルにまで。僕の場合僕をインスパイアしたフォルクロールという概念はここから来ている。このタームは文明、民族、文化、伝統まで包含している。そこから最終的にはちょっと距離を置くことになったのは、クリップやヴィジュアルの音楽的方向性、ダンス、衣装などにそれを全部詰め込むのはちょっと重すぎることになると思ったからなんだ。」

テレラマ:あなたには世界を目指すというはっきりした野心があるように思うのですが
「アルバム『ラシーヌ・カレ』以来、僕は世界のいたるところで聞かれることを目指していたけど、それはうまく行ったんだ。初めてアメリカの聴衆を相手にした時のことを僕はよく覚えている。全世界でレコードが配給されるように僕はメジャーレコード会社と契約を交わした。ビヨンセやリアーナと比較するわけではないが、僕はレコード会社の戦略がどうなっているのか確かめていた。世界中で配給されると言っても地区によってはあまり仕事してくれていないところもあるから。僕はバスケットプレイヤーのマイケル・ジョーダンをアイドルとして大きくなった。アメリカは世界で最も多くの音楽を産出している国だ。最近では韓国やラテンアメリカによって少し事情は変わっているが。確かにそれは複雑なことだが、僕にはそれは挑戦としてやってみてもいいんじゃないかと思っている。もしも僕が失敗してもそれは悲劇にはならないことだし。僕は以前よりもずっと軽めにやってみようと思っている。僕の人生はその野望を中心に回っているわけではない。いずれにしても午後5時になったら僕はウチに帰るんだから。」

(…)
テレラマ:あなたの国(ベルギー)で今やあなたは多くの若いアーチストたちにとって続くべき見本となっていますが、それはうれしいことですか?
「もちろんうれしいことだけど、僕だけが見本だったわけではない。僕の前にはジャック・ブレルやたくさんの先人たちがいた。最近では映画のような違う分野でブノワ・ポールヴールドやフランソワ・ダミアンのような人たちも出てきた...。多分僕たちはそれまで人がよく言っていたような障壁を打ち破り、リミットなんてないということを証明したんだ。僕がデビューした頃、ベルギーの音楽シーンではローカルな支援などまったくなかったし、誰も僕たちのことに期待していなかった。当時の僕の目標というのはフランス語圏で知られるようになることだった。”Alors on danse”がドイツでもヒットしたと聞いた時、僕はどんなところでも評価されうるのだということを理解したんだ。僕たち自身だって理解しなくても英語の音楽を聴いていたんだ。その逆も可能なんだってことを僕は繰り返し言っている。」

テレラマ:ツアーの最初のショーはブリュッセルですよね。そこで始めるというのは大事なことでしょう?

「もちろんそうだよ、その点で僕はとても緊張している。だって僕はとても長いことステージに立っていないから。ロボットや(ピクサーやドリームワークス並みの)3Dアニメーションを駆使している。それはとても斬新なショーになるけど、僕の残る心配というのは歌詞の度忘れなんだ。誰にでも怖いものはある...。演出もアクションもあるけれど、ハードで高度なダンスは減らしている。僕自身が楽しみたいし、ショーの最後にグロッキーになることは少なめにしたいんだ。前のショーはたいへんな試練だったし、その時の肉体を僕はもう保っていない。もうすぐ37歳になるんだよ
。」

(テレラマ誌2022年2月9日号 p.4 - 10)

(↓)テレラマ誌のFBページに掲載されたインタヴュー補追動画。ファッションやアート全般に関して答えるストロマエ。最近読んで感銘を受けた書に、ケン・ローチとエドゥアール・ルイの対談『芸術と政治についての対話(Dialogue sur l'art et la politique)』(PUF刊、2021年3月)を挙げている。

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