2024年1月9日火曜日

爺ブログのレトロスペクティヴ2023

 2023年5月23日、爺ブログ100万ビューを突破

始恒例となりました爺ブログのレトロスペクティヴ、前年多くの人たちに読まれた記事をビュー数の多い順で10点を挙げ、一年を振り返ります。2023年は4月20日に爺ブログの最重要の支援者だった土屋早苗さんが病気で亡くなるという悲しすぎる出来事がありました。その約1ヶ月後の5月23日、爺ブログが16年の歳月をかけて累計総ビュー数100万を突破しました。最大の応援者に一緒に祝って欲しかった。
それで何が変わったというわけでもないのですが、2017年から闘病が始まって以来、それとなく「100万」が目標になっていたし、正直に言えば、生きているうちに達成するのは無理と思っていた時期もあった。それがフランスの医療のおかげで思いの外”長生き”してしまって、目標100万がだんだん現実性を帯びてきて、2023年はその秒読みのような状態で年を明けた。”100万”はあっけなく突破したし、誰からもお祝いなどなかった。ああ、そんなことだったのだな、と力が抜けたが、さあ、次は、という意欲はまるでない。16年間も続けていれば、それなりの重さは増したと思うし、フランス現代史の一部の一部を確実に証言している部分もある。私の「生活と意見」は少しは耳を傾けられている、と思いますよ。だから、このままもう少し続けていくつもりです。
2022年から続いているウクライナの戦争、押し寄せる極右の波にも社会不正義にも人々の生活苦にも戦うすべを失っているエマニュエル・マクロン、年金法と移民法という2大悪法を可決してしまったフランス議会、イスラエルとハマスの戦争、ジェーン・バーキンの死、気象観測史上最も高い年間平均気温を記録した地球。2023年はヘヴィーな年でした。音楽はザオ・ド・サガザン、映画は『ある転落死の解剖分析』、文学はパトリック・モディアノ『バレリーナ』、この3つを2023年に爺ブログで紹介できたことを、われながらよくやったと自賛します。
 では2023年の爺ブログのレトロスペクティヴです。

(記事タイトルにリンクつけているので、クリックすると記事に飛べます)


1.『Nico ta mère (追悼アリ・ブーローニュ)(2023年5月20日掲載)

他の記事を大きく引き離して破格のビュー数(現在3400ビュー)を記録し、現在もなお多くの人たちに読まれ続けている。5月20日に自宅で死体で発見されたアリ・ブーローニュ(享年60歳)は、モデルで歌手のニコ(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)の息子で、父親はアラン・ドロンであると主張しているが認知されていない。追悼記事として、私がウェブ上で運営していた「おフレンチ・ミュージック・クラブ」に書いた2001年のアリの自著『愛は決して忘れない』の紹介記事を再録した。だから記事そのものは22年前に書かれたもの。アリはその一生のほとんどの時間を、アラン・ドロンに子として認知されるために費やした。なぜこんなに読まれたのだろう?日本で異常に人気の高いアラン・ドロンねた、ということだけだろうか?2024年1月、そのアラン・ドロン(現在88歳)は死期が近く、”認知された”3人の子供たちの仁義なき(遺産)抗争の真っ只中にある。

2.『追悼ジェーン・バーキン/その極私的日記(2/2)を読む(2023年7月17日掲載)

2023年7月16日、ジェーン・バーキンが76歳で亡くなった。ジェーンに関してはこのブログも既に10本以上の記事を書いていて、とても敬愛していたアーチスト+人物だったが、死の知らせが会った時私にはとっさに何かが書ける能力はもうなかった。ただその思いだけは表明すべきだと考え、また過去記事に助けを願うことにした。ラティーナ誌2018年12月号と2019年12月号に掲載されたジェーン・バーキンの日記本の上下巻の紹介記事は、私にもとても力の入った仕事だったし、この人物を深くリスペクトするきっかけともなったものだった。爺ブログに上巻(1957-1982)を先に下巻(1982-2013)をあとに1日のインターバルで再録したが、なぜか日記後編の方がビュー数が100以上多かった。つまりゲンズブールとの別離後の方が多くの人たちの興味を引いたということだろうか。東日本大震災からみの一連のジェーンの行動も日本の人たちには感銘を与えたということなのだろう。

3.『追悼ジェーン・バーキン/その極私的日記(1/2)を読む(2023年7月16日掲載)

(↑)の前日、すなわちジェーンが亡くなった日に爺ブログに掲載した”追悼過去記事再掲”の第一弾(全部で3つ再掲している)。2018年発表のバーキン日記前編(1957-1982)の紹介記事。イントロダクションで書いてあるように、ジェーン・バーキンを「ゲンズブール史の一部」として扱うことはなんとしてでも避けなければならなかった。彼女の全的人物像は「ゲンズブールの」という枕詞を必要としない、と私は言いたかった。日記前編は、英国で育った奔放だが非凡な個性がロンドンではなくパリで開花し、その最大のピグマリオンであったゲンズブールとどう対峙し、どう愛し合い、どう破局したかを当事者視線で描く。欲望や好奇心に関して言えば、ゲンズブールとバーキンはフェアーであったことがわかる。ゲンズブールの”創った”人形(ベビードール)と見たがっていた芸能メディアは、後年にバーキンの強靭でヒューマンなパーソナリティーに復讐されることになる。

4.『ミンナニデクノボートヨバレ(2023年12月2日掲載)

日本よりも3週間前にフランスで公開されたヴィム・ヴェンダース監督の”日本映画”『パーフェクト・デイズ』。フランスでも日本でもプレス評価は高く、日本でも話題になっているのだから、私のような者が何も語らずともいいではないか、と思ったのだが、かなりのネタバレも含む”悪趣味”な記事を書いてしまった。ヴェンダースが”東京”を小津流儀で(再)発見したドキュメンタリー映画『東京画』(1985年)の約40年後に、ヴェンダースが"東京”を(再)再発見する映画だと思って観たのだが、都市や企業(The Tokyo Toilet)の顔の出し方がまるで違うように思えた。日本サイドがものを言い過ぎのような点も見られた。というわけで全面的な好評価というわけにはいかなかったけれど、それでも多くのビュー数をもらったのは、賛同してくれる人たちもいるということなのかな?

5. 『シャンソン・フランセーズの未来(2023年4月11日掲載)
2023年の最も幸福な音楽的出会いはザオ・ド・サガザンとガビ・アルトマンだった。後者の紹介記事は春からずっと書きかけでいつか書き終えねばと思いながらここまで来たが、最も回数多く聴いたアルバムはガビだった。ザオは春のラ・セーヌ・ミュージカルでのライヴを体験してぶっ飛んだ。記事中にも書いたが、この人のディクシオン(発語発音術)はすばらしく明解で、歌詞力を何倍にも増幅させる。これが私には「シャンソン・フランセーズ」の真髄であると確信させるもので、かなりヴィンテージなシンセポップ風なサウンド環境にあっても、非常に”バルバラ的”シャンソンを感じさせてくれる。本日(2024年1月8日)のラジオで、ザオが1ヶ月後に発表セレモニーがある2024年度ヴィクトワール賞で4部門でノミネートされていると聞いた。大物になると予言しておく。

6. 『追悼ジェーン・バーキン/モワ・ノン・プリュ(2023年7月20日掲載)
ジェーン・バーキン追悼の3連続過去記事再掲の3番目で、ラティーナ 2019年4月号に書いた『「ジュテーム・モワ・ノン・プリュ」の50年』の再録。この歌をジェーン・バーキンの”代表曲”と言わせないこと、私はこれがジェーンのポスト・ゲンズブール期の戦いだったと思うのだ。その地球規模のヒットとスキャンダルは一体何だったのか?50年経っても色あせないのは策士ゲンズブールの天才であり、世界を変えてしまった1曲と言ってもいいのだが、ジェーン・バーキンは長い時間かけてそれから脱皮していった。記事がそのニュアンスで書かれていないのは心残りである。書き直す必要があると、今、思っている。

7. 『枯れ葉の秋(カウリスマキ)(2023年9月21日掲載)
アキ・カウリスマキのプロレタリア・ロマンス映画『枯れ葉』は、2023年のカンヌ映画祭で審査員賞を取り、フランスでは9月に公開されたが、3ヶ月後の12月に日本でも公開され好調のようである。爺ブログの紹介記事も(ヴェンダース『パーフェクト・デイズ』同様に)日本公開が始まってから急激にビュー数が伸びた。(↓8位)のフランソワ・オゾン『Mon Crime』も11月の日本公開以来急激にビジターが増えた。爺ブログは日本の映画紹介記事とは趣向が違うので、読んで参考にしてくれるのはとてもうれしいが、フィードバックが皆無なのは寂しい。同じ映画で語り合えるようなきっかけになってほしい。映画公開の距離感はだいぶ少なくなっているような気がするのだが、どうかな?カウリスマキ、ヴェンダース、オゾンは日本人好きのする映画作家だということだけかな?

8. 『名声と金と女性の権利をわれらに(2023年3月13日掲載)
日本上映題『私がやりました』、フランソワ・オゾンの”テアトル・ド・ブールヴァール(大通り演劇)"映画『Mon Crime』は、大通り演劇の醍醐味たるセリフ回し/ダイアローグの名人芸が全編で小気味よく展開される快作。これは「字幕」ではわからないのではないかなぁ?と思いながら書いた記事。フランス公開3月、日本公開11月、これも11月に急激にビュー数が伸びたけど、私の言いたいことは日本の画面で納得していただけただろうか?1930年代という男性原理社会的環境に、#MeToo世代的なニュアンスで起用されたであろう二人の主演女優(ナディア・テレスキエヴィッツとレベッカ・マルデール)の画面上のはばかり方、これがこの映画を今日的にシンクロさせる。こういううまさはオゾンならではか。多作家オゾンを見逃せない理由はいろいろある。

9. 『ライフ・オブ・ブライアン(2022年12月20日掲載)
今回のレトロスペクティヴで唯一ランキングされた文学紹介記事。2023年もたくさん優れた文学作品を紹介してきたつもりだが、ビュー数はすべて低調だった。同志たち、もっと本を読んでください。さてこれは2022年のルノードー賞受賞作品、シモン・リベラティ作『パフォーマンス』である。71歳の文無しダンディー作家のところに飛び込んできた大手ストリーミング配給会社のシナリオ仕事、初期ローリング・ストーンズの盟友共同体(ブライアン・ジョーンズ、ミック・ジャガー、キース・リチャード、マリアンヌ・フェイスフル、アニタ・パレンバーグ)の崩壊、より具体的にはブライアンとマリアンヌの脱落、もっと端的にはブライアンの死、というストーリーでの連続ドラマ化。小説はクセの強い老作家のヴィジョンと制作会社側の葛藤を通じて、往時のストーンズの真実に迫る構成。読ませる小説なのだが、発表から1年半経つ今も日本語化の兆しはない。

10. 『映画と訣別したアデル・エネルは闘士になった(2023年5月16日掲載)
とても長い記事。2020年2月セザール賞セレモニーでロマン・ポランスキーの受賞に抗議して激昂の退場をして以来、映画界から姿を消してしまった女優アデル・エネルのその後を、2023年5月10日号が追跡調査、演劇界で女優を続ける一方、左翼系フェミニスト運動の闘士として行動している。テレラマ同号はエネルが同誌に宛てた書簡(ほぼアジテーション文)を紹介している。その一部を翻訳して紹介した私の記事に加えて、エネルが映画と訣別したかのセザール賞セレモニーのことを書いた過去記事(ラティーナ 2020年4月号掲載)『2020年セザール映画賞に何が起こったか』を再録している。これでアデル・エネルの全貌を知ってもらおうとしたのだが、硬派の記事内容にかかわらず、250に迫るビュー数があった。同志たちの関心の深さに、ブログ続けてきてよかったな、と思う瞬間でもあった。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

フィードバックできるようになったのでは?と期待しつつ投稿します。フランスについての深い見識と、愛情と情熱を持って語られるこのブログ、いつか書籍化されないかなと密かに願っております。どうか末永く続けてください。

Pere Castor さんのコメント...

匿名さん
コメントありがとうございます。
極端にコメントの少ないブログゆえ、たいへん心に染みます。
音楽と映画と文学に触れられるあいだは、がんばってブログ続けていくつもりです。またときどき覗きに来てください。