2024年1月30日火曜日

ベトナムから遠く離れて

Iggy Pop "China Girl"
イギー・ポップ「チャイナ・ガール」
詞曲:イギー・ポップ&デヴィッド・ボウイ
(1977年)


ギー・ポップ(1947 - )のアルバム『イディオット』(1977年)はデヴィッド・ボウイのプロデュースで制作された初のソロ名義アルバムで、その録音のほとんどが1976年6月からフランス、ヴァル・ドワーズ(95)県のエルーヴィル城スタジオで行われている。この後1976年9月からボウイが同スタジオでアルバム『ロウ』を録音しているから一夏中そこにいたのかな? 1976年夏、フランスは200日雨の降らない大旱魃の暑い夏だった。私はその夏に初めてフランスに長留学滞在したからよ〜く憶えている。それはそれ。

 さてこの1月19日にフランス国営テレビFrance 5で、(信頼できる)音楽ジャーナリストのクリストフ・コントが監修したドキュメンタリー映画『エルーヴィル城(Chateau d'Erouville)』が放映され、その伝説のシャトー録音スタジオの栄枯盛衰が1時間でまとめられていて大変興味深かったのだが、その中でこのイギー・ポップ「チャイナ・ガール」の誕生のいきさつも紹介されていた。(私もラティーナ誌2016年8月号にサウンド・エンジニアのドミニク・ブラン=フランカールの記事で、エルーヴィル城のことを長々と書いているので、いつか爺ブログに再録しようと思っているが、それはそれ)。エルーヴィル城スタジオは映画音楽家として財を成したミッシェル・マーニュ(1930 - 1984)が1962年に購入した城館を改造し、1969年から滞在レジデンス録音スタジオとしてエルトン・ジョン、T・レックス、デヴィッド・ボウイ、ピンク・フロイドなどが華々しく出入りしていた。金に糸目をつけずこのロックのクリエイション黄金郷を築いたマーニュだったが、それが過ぎて破産しエルーヴィル城スタジオは人手にわたり、1974年から元マグマローラン・ティボー(1946 - )をディレクターに迎え、第二期黄金時代に入る。それまでミッシェル・マーニュが居城として使っていた館の一翼に、新たに住人として入居したのがジャック・イジュラン(1940 - 2016)。アレスキー+ブリジット・フォンテーヌと初期サラヴァ・レーベルを支えていたイジュランだったが、70年代は表現方法をロックに移し、この城でレジデントとして4枚のロックアルバム("Irradié"1975, "Allertez les bébés!" 1976, "No man's land" 1978, "Champagne/Caviar" 1979)を制作している。この時期(シャンソン詩+ロックの大冒険)のイジュランは再評価が必要(私がやるしかないか)。 

 さて、イジュランはエルーヴィル城にひとりで入居してきたのではない。その当時の妻でヴェトナム出身のクエラン・グエン(Kuelan Nguyen 1950 - 。イジュランと結婚していたのは1970年から1995年まで)とイジュランとクエランの子ケン(1972年生れ、後の劇演出家ケン・イジュラン)と一緒に城に住んだ。かのFrance 5のドキュメンタリー映画『エルーヴィル城』の中で、クエラン・グエンがイジュランとの城入居時期のことや、アルバム『イディオット』を録音するために城に滞在していたイギー・ポップとデヴィッド・ボウイのことを証言している。まず、言い訳っぽいのだが、25年間続くジャック・イジュランとの結婚生活において、この70年代後半の時期は複雑で冷ややかでお互いの問題&事情がいろいろ浮上し、口論や諍いもままあった、と。イギーは城の広間でひとりでピアノに向かい(一本指で)自分の創作でポロンポロン弾いていて、クエランの目にはチャーミングな子(ジャックより7歳年下、自分より3歳年上)に映った。それで息子ケンのヌーヌー(ベビーシッター)のイレーヌの誕生パーティーにイギーを招待したら、ジャックはイギーを見るなりクエランに「あの外国人をもてなしてやれ」とけしかけた、と。クエランとイギーの「火遊び」はむしろイジュランが挑発したかのように。
 で、クエランはイギーの部屋に入り浸るようになるのだが、クエランへのあからさまな熱情が隠せないイギーのかたわらに孤独なデヴィッド・ボウイがいた。イギーとクエランはそんなデヴィッドを放っておけない、と毎晩何時間も3人で過ごしていたと。これをクエランはすばらしい友情の時間だったと言っているのだけれど、まあ言葉通りの意味と信じよう。
 さらにここで、問題の曲「チャイナ・ガール」の録音に立ち会ったローラン・ティボーの証言が加わるのだが、ヴォーカル録りの時点で既に数杯のビールで出来上がっていたイギーはその目の前に陣取っていたクエランに抱きつきたくてたまらなくて、その度に録りを中断しなければならなかった、と。クエランはイギーを鎮めようとして、落ち着いて落ち着いてというポーズを。Sh-sh-shhhh....。これをイギーは自分に言い聞かせるように、”ジミー(イギー本名ジェームズ・オスターバーグの愛称)、黙って!” Oh Jimmy,  just baby, just you shut your mouth" と即興の歌詞で歌った...。
 ではそのドキュメンタリーの「チャイナ・ガール」エピソードの動画(↓)をご覧ください。


I could escape this feeling, with my China Girl
I'm just a reck without my little China Girl
I"d hear her heart beating, loud as thunder
I saw the stars crashing

I'm a mess without my little China Girl
Wake up morning  there's no China Girl
I"d hear her heart beating, loud as thunder
I saw the stars crashing down

I feel tragic like I'm Marlon Brando
When I look at my China Girl
I could pretend that nothing really meant too much
When I look at my China Girl

I stumble into town just like a sacred cow
Visions of swastikas in my head
Plans for everyone
It's in the whites of my eyes

My little China Girl
You shoudn't mess with me
I'll ruin everything you are
I'll give you television
I'll give you eyes of blue
I'll give you men who want to rule the world

And when I get excited
My little China Girl says
Oh Jimmy, baby, just you shut your mouth
She says... sh-sh-shhh

クエランが言っているように、クエランは”チャイナ・ガール”ではなく"ヴィエトナミーズ・ガール"である。しかし、クエランは”ヴィエトナミーズ・ガール”よりも”チャイナ・ガール”の方が語感がいいから、いいのよ、と言う。イギーは彼女がヴェトナム人と知って、最初はアメリカ人としてヴェトナム戦争への原罪を感じていたそうだ。いいですか、お立ち会い、ヴェトナム戦争の終結は1975年のこと、すなわちイギーのエルーヴィル滞在の1年前、ヴェトナム戦争の記憶はほぼ昨日のように生々しい。歌詞のここの箇所:
My little China Girl(かわいいチャイナガールよ)
You shoudn't mess with me(きみは僕と関わらない方がいい)
I'll ruin everything you are (きみのすべてを破壊してしまう)
I'll give you television (きみにテレビを与え)
I'll give you eyes of blue (きみに青い目を与え)
I'll give you men who want to rule the world(世界征服を謀る男たちを送ってしまう)

これはクエランはアメリカ人イギー・ポップの償いの気持ちから出たものだろうと考えている。

 1983年にデヴィッド・ボウイはナイル・ロジャースがプロデュースした大ヒットアルバム『レッツ・ダンス』の中でこの「チャイナ・ガール」を録音、シングルでもミリオンヒットさせたのであるが、イギーのヴァージョンと歌詞は若干変わっていて、”ヴェトナム”を感じさせる部分がほぼない”チャイナ・ガール”になっている。だがこの頃ドラッグ依存症でボロボロになっていたイギー・ポップをこのメガヒットの印税が救ったという美談になってもいる。ヴェトナムから遠く離れて、Loin du Viet-Nam...


(↓)イギー・ポップ「チャイナ・ガール」(1977年アルバム『イディオット』)


(↓)イギー・ポップ「チャイナ・ガール」(1986年パリ・オランピアでのライヴ)


(↓)デヴィッド・ボウイ「チャイナ・ガール」(1983年オフィシャルクリップ)


(↓)デヴィッド・ボウイ「チャイナ・ガール」(2002年パリ・オランピアでのライヴ)


(↓)1967年クリス・マルケル監修のオムニバスドキュメンタリー映画『ベトナムから遠く離れて Loin du Viet-Nam』のトレイラー。歌はトム・パクストン。

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