2011年1月26日水曜日

異星に興味を持ち始める



ANTIQUARKS "COSMOGRAPHES"
アンチクウォーク『コスモグラフ』


「宇宙に夢中になってるうちに地球がチュー公に盗まれた(あ〜あ、やんなっちゃった、あ〜あ、おどろいた)」(牧伸二)

 アンチクォークはガリアの国の古都リヨンのバンドです。日本ではリヨンは永井荷風や遠藤周作の小説に描かれた古色蒼然たる(暗い)町として知られます。その古さを几帳面に保存しているところ、夏は極端に暑く冬は極端に寒いところは「京都」を想わせるものがあり、私のような余所者には居心地の悪い部分もあります。また仏最大の「金融都市」で、町を歩く人たちがみんな銀行マン/銀行ウーマンのような顔をしているのも、むむむ...と感じるものがあります。世界的に知られた「うまし国」、食道楽の町だそうで、グルメガイドを手にした日本人がよく来ますが、私は予算が乏しいせいか、リヨンでうまいものを食べた記憶がありまっせん。仏一部リーグでOL(オルではなく、オーエルと読む。Olympique Lyonnaisオランピック・リヨネの略)は、金融都市らしくフランスで最初の株式市場一部上場フットボール・チーム(現在のところ一部リーグでは唯一)。そして県番号(ローヌ県)が「69」なので、リヨンを走る車のほとんどが「69」のナンバープレートをつけてます(わざわざ書く必要あることなんだろうか、これ)。
 リヨンが生んだ音楽アーチストで最も知られているところでは、ジャン=ミッシェル・ジャール、ラフェール・ルイス・トリオ、カルト・ド・セジュールがいます。アンチクォークはこの三者と直接の縁はないと思いますが、どこかしらこの三者を総合したようなものを持っています。宇宙的・未来的で、まじめ半分冗談半分な雑種ポップテーストがあり、その上ワールドだからです。
 バンドは二人から始まりました。リシャール・モンセギュRichard Monségu(ドラムス、パーカッション、ヴォーカル)。カタリ派最後の砦モンセギュールを思わずにはいられない重い名前です。セバスチアン・トロン Sébastien Tron(電子ヴィエル・ア・ルー、キーボード、プログラミング)。本名なんですか?と疑いたくなるほど SF の代名詞みたいな名前です。二人の名前だけで既に音楽が想像できそうですね。
 2008年の「プラネット・ミュージック Planètes Musiques」フェスティヴァルが出した同名の編集盤CDに、このアンチクォークが2曲入っていましたが、それが私のアンチクウォーク初体験でした。「プラネット・ミュージック」は、MODALレーベルやFAMDT(Federation des associations de Musiques et Danses Traditionnelles トラッド音楽&ダンス団体連合会)が開く,その分野での優秀新人紹介のフェスティヴァルですが,ワールドとトラッドの新奇ものばかりがセレクトされてます。このアンチクウォークも,どこがワールドもしくはトラッドなのか,というとちょっと説明に困るようなところがありますが,トラッドとの端的な接点はヴィエル・ア・ルーという千年の歴史を持つ伝統楽器を使っているところです。
 従来の六弦ヴィエルから発して,飽くなき探求の人,ヴァランタン・クラストリエは27弦電子ヴィエル・ア・ルーを開発し,その楽器の計り知れない可能性を証明して見せました。たしかにこの楽器,千年も前から「未来の楽器」だったような顔をしています。今日の多くのヴィエル奏者たちがそうであるように,クラストリエの熱烈な信奉者であったセバスチアン・トロンは,その電子ヴィエルを使って,シルクロードのラバーブの音,モンゴルの馬頭琴の音,モロッコのグンブリの音,弦楽四重奏の音,未来的合成音のシンセの音など限りない種類の音色を出すことができる上,その共鳴胴を叩いてパーカッションとして使う時も電子合成で多種多様の打楽器音を発するエレクトロ・パーカッションとしてしまったのです。
 相方のリシャール・モンセギュは,ジャズドラマーを経て,アフリカ(ギネー)の民族バレエ団の伴奏などをつとめ,多くの外国公演を通じてアフリカのリズムにどっぷり浸かっていくのですが,それに加えてヴォーカリストとして不思議なテクニックを身につけていきます。たとえば言葉の通じない外国で,ある種の歌手たちは聴衆にその歌の世界を「言語の意味作用を介さずに」理解させてしまえるのはどうしてなのか。歌う声の響き,抑揚,強弱,メリハリ,母音子音の合成,イントネーション,拍動,休止,緩急,こういうものを自在に使って表現できる歌い手は,言葉の意味を超えてその言わんとする何かを伝えることができる。このヒントを与えてくれたのはボビー・マクファーリンらしいのです。
 ここでモンセギュは「言葉のように聞こえるのだが,何語なのかわからない」そういう歌詞を開発するのです。歌のエモーションを言語の意味作用を超えたところで「歌声の音の変化」で伝えるメタ言語のヴォカリーズによる表現です。いわばタモリのハナモゲラ語(若い人たちは知っているだろうか)に近い言葉で歌うわけですが、もちろんお笑い効果を狙ってやっているのではありません。またある種マグマの「コバイア語」のように地球ばなれした想像力から生まれた言語とも考えられるでしょうが、言語になっていないモヤモヤ&ウヤムヤな雰囲気がほとんどです。
 これを形容して,大地に深く根を張ったバオバブの大木が高く高く伸びて宇宙に届きそうなところで発せられている音楽,と言われたりしました。「惑星間ワールドミュージック」なんて呼ばれたりもします。
 アンチクウォークはギタリストとベーシストの加入を得て4人組となって、この新アルバム『コスモグラフ』を発表しました。前作『ル・ムーラッサ』(2006年)が自主制作/自主流通で、ほとんど誰も聞いていないので、これがデビューアルバムと言ってもかまわないでしょう。さきほどのバオバブの大木の例を使うと、その地球深部まで伸びた根によってアジア、アフリカ、ヨーロッパ、南北アメリカからの地下水を吸取って、宇宙まで伸びた枝の先に花を咲かせるような音楽、という壮大さが決め手です。
 「コスモグラフ Cosmographe」とはスタンダード仏和辞典では「宇宙形状誌学者」という訳語が出ています。言い換えれば「コスモグラフィー」を作る学者のことなのでしょうが、コスモグラフィーとは、
宇宙誌(うちゅうし cosmography)とは、全世界つまり、地球や宇宙や、死後の世界までもを包括して描かれた宇宙像の事である。書物あるいは図版(地図や天球図)として表現される。コスモグラフィーやコスモグラフィアとも呼ばれる。
 とウィキペディア日本語版には説明されています。そうか、この4人は宇宙図を描こうとしているわけですね。
 また彼らのオフィシャルサイトでは、その音楽をPOP INTERTERRESTRE(ポップ・アンテルテレストル)と称しています。惑星間ならぬ「地球間ポップ」と言うわけです。そのヴィジョンは色盲検査のような緑円と赤円で描かれたジャケットアートに見るような、緑の地球と赤い地球の間をつなぐポップ・ミュージックということなのかもしれません。スペース・ヒーロー的だったり、邪教的神秘思想っぽかったり、エコロジックで警鐘的だったり...の8曲です。

<<< トラックリスト >>>
1. IBN ISEFRA
2. COSMOGRAPHES
3. PERSPICILLI
4. EPAMING ASTRA
5. BAYAERTU
6. ORLANDA
7. IMMENSUM
8. PHILIA

ANTIQUARKS "COSMOGRAPHES"
CD COIN COIN PRODUCTIONS 48769792
フランスでのリリース:2011年1月31日


(↓ 2011年ツアーと新アルバムの告知ヴィデオ)

ANTIQUARKS / TEASER TOURNEE 2011 - Théâtre Les Déchargeurs
envoyé par AntiQuarks. - Regardez la dernière sélection musicale.

2011年1月23日日曜日

恥ずかしながら、持ってないものが多い



Philippe Manoeuvre présente "Rock Français"
フィリップ・マヌーヴル編『ロック・フランセ』


 フィリップ・マヌーヴル(1954 - )は、月刊誌Rock & Folk(1966年創刊。日本のミュージック・マガジン誌より先輩)の現・編集長であり、ライター、作家、BD原作者、TVやラジオでの露出度も高く(M6のスター発掘番組「ヌーヴェル・スター」の審査員)、フランスで最も重要な「ロック・ミュージック」と「ポップ・ミュージック」のご意見番としての位置を不動のものにしています。私は長年のRock & Folk誌読者ですから、マヌーヴル節にはずいぶん影響を受けていると思います。フランスには同誌の他に1968年創刊のBESTという月刊誌があって、長い間、ロックファンは「ベスト派」と「ロック&フォーク派」に二分されておりました(「マガジン」と「ロッキンオン」みたいなもんです)が、2000年にBESTが廃刊して以来、40歳を越えた中高年ロック愛好者はRock & Folk、それより若い層はLES INROCKUPTIBLES(レ・ザンロキュプティーブル。1986年創刊。隔月刊→月刊→週刊という躍進ぶり)という新しい二大ロック誌時代に入っております。
 創刊時期にご注目ください。1966年です。「ロック・アラウンド・ザ・クロック」(1954年。フィリップ・マヌーヴルと私が生まれた年)をロック元年とすると、十二支で一回り後の午年です。ライト・ミュージック/ポピュラー・ミュージックの一ジャンル(一ダンスミュージック)だったものが一回りで成熟して、ある種小難しいことまでやってしまう音楽になった頃と言えます。つまり映画や文学や(音楽的先輩の)ジャズと同じように「批評されうる」分野になったから、こういう雑誌が出来たと考えられます。
 で、フランスには60年代初めから「イエイエ」という英語圏ロックンロール・カヴァーから発した流行音楽があり、これまで多くのロック・クリティックはこれを過小評価する、または卑下する傾向がありました。ジョニー・アリデイ、シルヴィー・ヴァルタン、リシャール・アントニー、シェイラ、ディック・リヴァース、エディー・ミッチェル、クロード・フランソワ等のフレンチ・シクスティーズは、同時期の英米のロック・クリエーターたちに比することなど出来ないという見方でした。ところが、それはまんざら捨てたものではない、という再評価は90年代頃から徐々にあらわれます。多分にそれはセルジュ・ゲンズブールという巨星の他界がきっかけになっていて、その時から私たちは生前うさん臭く思っていたこのアーチストの天才仕事を驚きと共に再発見していき、やがて彼の豊穣なる60年代期に遭遇します。一方エチエンヌ・ダオら90年代のポップ・フランセーズ派によるフランソワーズ・アルディへの熱烈なラヴ・コールがあり、フランスからも見えづらかった60年代スウィンギング・ロンドンでスーパースターであったアルディが急激にクローズアップされます。ゲンズブールとアルディは過小評価されていたフレンチ・シクスティーズに別の見方を余儀なくしたような感じがあります。だいたい私たちはラジオ・ノスタルジー(ナツメロFMの老舗ネットワーク)程度のことしか知らずに、ものを言っていたわけですが、表面的に見える事象の下に、何か別ものはあったはず、というおぼろげな思いはありました。その時代の音楽を総覧する60年代音楽ガイドやイエイエ本などを見ても、気にあるアーチストやアルバムはあり、復刻盤やYoutube画像で追いかけたりすることもあります。
 そのおぼろげな思いのひとつに「ジョニー・アリデイにも必聴ものがあるはず」というのがあるのですが、未だに出会っていません。「60年代フランスにもロックはあったはず」は、68年5月革命という事件の前後にレベル・ミュージックとしてのロックの台頭を容易に想像できるわけですが、ではその前は商業的なイエイエしかないのか、というとそうばかりも言えない。このマヌーヴル編のディスクガイド『ロック・フランセ』は、そういうものを解き明かしてくれる本です。
 副題に『ジョニー(アリデイ)からベベ・ブリュヌまで - 123枚の必須アルバム』とあります。セレクションはロック誌の観点ですから、オーヴァーグラウンド/アンダーグラウンド混ぜこぜで、現在流通されていないものは少なくなく、コレクター市場でも入手がほとんど困難のものもあります。大ヒット盤もあれば、私家版のような僅少プレス盤もあります。
 それをロック&フォーク誌のライター/元ライターだけでなく、リアルタイムでそのロック現場を体験した40数名の筆達者たちが1枚1枚について約100行のレヴューをします。パトリックとクリスチアンのウードリーヌ兄弟、ジェローム・ソリニー、エリック・ダアン、ジャン=ウィリアム・トゥーリー(この人のゲンズブール辞典は私もずいぶん使わせてもらってますが、この『ロック・フランセ』でも一番印象に残る書き手です)、ピエール・ミカイロフ、ルノードー賞作家のフレデリック・ベイグベデ、スカイドッグのマルク・ゼルマティ、ベルトラン・ビュルガラ、パスカル・コムラード、アントワーヌ・ド・コーヌ...。
 サイズは25 x 25センチ、いわゆる10インチ盤の大きさで、255ページ、ずっしり重い1.3キロです。右ページが全面ジャケ写、左ページにアーチスト/タイトル/トラックリストと100行レヴューがあります。構成は年代順で、1961年 LES CHATS SAUVAGES "LES CHATS SAUVAGES"に始まり、2009年 IZIA "IZIA"に終わります。
 私の興味はとりわけ60年代と70年代に集中するのですが、多くが未知の宝の山で、いかに私が「知ったようなふりをしていたか」をおおいに恥じ入らねばなりません。しかし聞いたことがないという事情は多くのフランス人にしても同様で、例えばP14-15で1962年盤として紹介されているLES BLOUSONS NOIRS (レ・ブルーゾン・ノワール)(拙ブログ2007年9月14日で紹介)は2007年にBORN BADがCD復刻するまでは誰も聞いたことがなかったはずです。65年ロニー・バード、66年アントワーヌ、66年ニノ・フェレール、66年ロング・クリス、このあたりのジャン・ウィリアム・トゥーリーの筆は冴えまくりで、68年にゲンズブールの初の「ロックアルバム」として『イニシャルズ・BB』を持ってきます。そして69年に編者マヌーヴル自らの筆でジョニー・アリディ"RIVIERE... OUVRE TON LIT"(河よ、おまえの寝床を開け)が、おそらくアシッド体験下で制作されたサイケデリック・ロックアルバムとして紹介されます。
 68年以降は案の定ラジカルなものが多くなり、ジェラール・マンセ、マグマ、ゴングなどが並ぶ中に、71年ムーヴィング・ゼラチン・プレーツ MOVING GELATINE PLATESという、ジャケ見ただけでマザーズ/キャプテン・ビーフハート系とわかるバンド(未聴。MUSEAレーベルから復刻盤あり)があったりして、絶対に入手せねばという気にさせます。ミッシェル・ポルナレフは71年の"POLNAREFF'S"のみが、パトリック・ウードリーヌ筆で紹介されてますが、私から見ても事実誤認が多く(例えば白ぶちメガネのメーカーの名前とか、「渚の思い出 Tous les bateaux tous les oiseaux」をポルナレフ・メロディーとするところとか)ちょっと残念。
 74年ジャック・イジュラン"BBH 75", 75年カトリーヌ・リベロ"(LIBERTES ?)", 75年アンジュ"EMILE JACOTEY", 75年エルドン"ALETEIA", 76年アルベール・マルクール"ALBUM A COLORIER"(このアルバムは私が初めてフランスに行った76年にたまたま買っていた)、といった70年代の充実ぶりはこの数本のレヴューを読むだけでわくわくしてきます。
 80年代以降は本当は私も「その場」にいた人間なのに、当時はどうしようもないヴァリエテ贔屓だったことから、ずいぶんロックはパスしていたのだな、と再確認してしまいました。タクシー・ガール、キャルト・ド・セジュール、レ・リタ・ミツコなどは私はヴァリエテとして聞いていて、オルタナティヴ・シーンにいたベリュリエ・ノワール、ゴゴル・プルミエ、オーベルカンフなどには手を出していなかったのでした。また、マノ・ネグラとネグレズ・ヴェルトが飛び抜けていた時期は知っていますし。90年代、00年代に至っては記憶が新しすぎて...。
 
 というわけで、この本のおかげで60年代/70年代の知らなかったロックを、いろいろコレクションしていこうか、という気になってきました。ブログのラベルに『ロック・フランセ』を追加しました。この本に載っているような旧譜を見つけたら、これからこのラベルをつけて紹介しようと思ってます。

PHILIPPE MANOEUVRE PRESENTE "ROCK FRANCAIS"
EDITIONS HOEBEKE 2010年10月刊 ISBN : 9782-84230-353-2
255頁、29.50ユーロ


(↓)ボリス・ヴィアンの息子、パトリック・ヴィアンのバンド、レッド・ノイズの1971年のLP"SARCELLES-LOCHERES"から "Petit précis d'instruction civique"

 

2011年1月15日土曜日

まっくろけのけ



 ZONE LIBRE vs CASEY & B.JAMES "LES CONTES DU CHAOS"
 ゾヌ・リーブル vs カゼー & B. ジェームス 『混沌小話集』


 昨年11月30日に解散したノワール・デジールのギタリスト,セルジュ・テッソ=ゲーのトリオ(ギター+ギター+ドラムス),ゾヌ・リーブルに女性ラッパーのカゼーと男性ラッパーのB.ジェームスが加わって制作されたアルバムです。
 バンド名であるゾヌ・リーブル(自由地帯)と言うと、フランスでは特に第二次大戦中のナチス占領時代に、北側フランスの「披占領地帯」に対して、占領されていない南側フランスを指してゾヌ・リーブルと呼んだことを第一に思い浮かべます。つまり、あの頃ですから自由とは名ばかりで、ゾヌ・リーブルはペタン元帥のヴィシー政権が統治する全体主義国家「フランス国 = Etat Francais(エタ・フランセ)」であったのです。非常に逆説的で皮肉な名称です。
 不自由な自由地帯という名前を背負ったバンドは、おのずと「自由」に拘る運命にあるわけで,そのスタイルは非定型の重低音「フリー・ロック」となります。セルジュと組んだ二人は,ディストーション・ギターの魔手マルク・サンス(1964年生,ex ヤン・ティエルセン・バンド),ドラマーのシリル・ビルボー(ex SLOY)。
セルジュ・テッソ=ゲーのノワール・デジールとは別の活動は,1996年と2000年に出したソロアルバムがありますが,その別活動は2003年夏のベルトラン・カンタの凶行と獄入り以来,本腰を入れねばならなくなったのです。シリアのウード奏者ハレド・アジャラマニとのギター/ウード・デュオはアンテルゾヌ Interzoneは,2005年と2007年にアルバムを発表していて,その他詩人や作家の朗読とのコラボレーションもあり,インストルメンタル・トリオであるゾヌ・リーブルは2007年から本格的に活動を始めてこれまで2枚のアルバムを発表しています。
 特に2009年の2枚目の"ANGLE MORT"(死角)は,(次作でも主役を取る)女性ハードコア・ラッパーのカゼーと,ペルピニャンのアンダーグラウンド・ハードコアラップのグループ LA RUMEUR (ラ・リュムール=風聞)のハメが参加して,「ノワール・デジールのラップ版」と言われたりしました。ハメ(Hamé。本名モアメド・ブーロクバ)は,2002年に同バンドのファンジン「ラ・リュムール・マガジン」に寄稿した記事が,「国家警察を公然と侮辱する」として当時の内務大臣ニコラ・サルコジによって告訴され,警察侮辱か表現の自由かが法廷で争われました。2004年第一審無罪,2006年第二審無罪,2007年最高裁が第二審無罪を破棄して,高裁に差し戻し,2008年高裁第4審で無罪,2010年最高裁で最終的に無罪。なぜ原告(つまり内務省)が上告/再上告を繰り返して5審までもする長い裁判になったかと言いますと,サルコジが何が何でもこのラッパーを侮辱罪で有罪にせよ,と意地になっていたのだそうです。最終的に勝訴はしたものの,ハメも長い闘争で相当消耗したようで,しばらくアメリカで静かに暮らしたいと2010年にフランスを去ってしまいました。
 裁判とサルコジと闘っていたハメの姿に,この2枚目のアルバムはある種ノワール・デジールのベルトラン・カンタの影を見ていたような,そういう捉え方もありました。まあ,当然でしょうね。セルジュにしてみれば,枯渇したカンタに比べれば,活きのいいハメがどれほど刺激的なパートナーであったでしょうか。
 しかし,ハメは去り,今度のアルバムはその代わりに93(neuf-trois ヌフ・トロワ。県番号93のセーヌ・サン・ドニ県。NTMなどで知られるフレンチ・ラップの名産地)のB.ジェームス(2010年にアルバム"Smuff Musik"を発表)を起用します。
 そしてセルジュと並んでアルバムの主役はこのカゼーという女性です。本名をカティー・パレンヌと言い,マルチニックの血を引き,住まいはセーヌ・サン・ドニ県ブラン・メニールです。2006年から本格的にアンダーグラウンドラップシーンで活動していて,ラ・リュムール等と同じようにFM(特にSkyrock)型のフレンチラップを拒否し,移民の子として貧困やレイシズムや警察国家やアフリカ奴隷史/植民地史などをライムに畳み込む,情念/怨念系のラップアーチストで,これまで3枚のアルバムを発表しています。
 
 アルバム『Les Contes du Chaos 混沌小話集』はジャケでもわかるように,まっくろけです。石炭のようです。セルジュ・テッソ=ゲーの発足した新レーベル Integrale Tritonの第1回目のリリースになります。その緊急性(もうノワール・デジールは存在しない,もうハメはフランスにいない)を強調するかのように,短時間で録音され,ほとんどスタジオライヴの状態でテイクされた12曲です。アルバムタイトルが示すようにテーマは混沌です。ノワール・デジールの最後のアルバム"Des Visages des Figures"(2001年)の「大火災」に近い混沌の予言のようです。実際に起こっている世界の大混乱の証言ですが,それを悲嘆するのではなく,そこから起き上がるために,廃墟の中でのダンスへ誘うロックビートとアジテーションのようです。
 1988年にキース・リチャーズが初ソロアルバム『トーク・イズ・チープ』を出した時に,多くの人はローリング・ストーンズのサウンドというのはこいつ一人で作っていたんだ,と納得したはずです。同じように,このアルバムでセルジュ・テッソ=ゲーも「ノワール・デジールのサウンド」なのです。このノスタルジーは捨てた方がいいでしょう。

<<< トラックリスト >>>
1. VENGEANCE
2. QUARTIERS DESTRUCTEURS
3. LES CONTES DU CHAOS
4. SI TU M'DEMANDES
5. A LA SECONDE PRES
6. TOUJOURS LES MEMES
7. CARNET DE MA CAGE
8. MEDIOCRATIE
9. LA MARQUE DE LA CHAINE
10. HAUT-LIEU DU SCABREUX
11. CE QUE JE SUIS
12. AIGUISE-MOI CA

ZONE LIBRE vs CASEY & B. JAMES "LES CONTES DU CHAOS"
CD INTEGRALE TRITON IT11020001
フランスでのリリース:2011年1月31日


(↓ "AIGUISE-MOI CA")

2011年1月14日金曜日

野っ原のジュリエット



Juliette "No Parano"
ジュリエット『ノ・パラノ』


 12月にオヴニーの長南さんから、ジュリエットが日本に行くことになった、と知らされました。それはそれでめでたいことなのですが、日本シャンソン系のイヴェントに出演するのだそうです。今まで日本でアルバムなど紹介されたことがないので、前もってこの人の実力やら真価などをちゃんとプロモーションしないと、「イヴェントの色づけに呼ばれた変わった新人歌手」程度にしか思われないかもしれません。ましてやこの名前が災いして「グレコのものまねですか」などと思われたりして。
 ジュリエットのオフィシャルサイトに載った日本公演のスケジュールは:
6月29日(水)東京 – 杉並区公会堂小ホール
6月30日(木)東京 – 文化村オーチャードホール
7月1日(金)東京 – 内幸町ホール
7月4日(月)福岡 – 福岡コンベンションセンター
7月5日(火)大阪 – 大阪国際センター

 となっていますが、これを書いている1月14日現在、日本でインターネット上でこのイヴェントを告知しているものは見当たりません。不安です。

 ジュリエット(・ヌーレディン)は1962年パリで生まれています。祖父は20年代にフランスに移住してきたカビリア(アルジェリア)人で、父はサキソフォニストです。学生時代は文学部で音楽学を学ぶつもりだったのですが、一期だけで通学を止め、トゥールーズでピアニスト/歌手としてバーやキャバレーに出演し、エディット・ピアフとジャック・ブレルのレパートリーを歌っていたそうです。85年から自作自演ピアノ弾語り歌手として、トゥールーズ、「ブールジュの春」フェスティヴァルなどに登場、87年に自主制作のカセットアルバム『ジュリエット』を発表。90年独仏国境の町ザールブリュッケン(仏語読みではサールブリュック)のシャンソン・コンクールでグランプリ。次いで91年、オード・セーヌ県のシャンソン新人コンテストで審査員賞&大衆賞を獲得、この賞金でデビューアルバム『¿ケタル?』を制作・発表。94年に初めてヴィクトワール賞にノミネートされ、97年には同賞の新人女性歌手賞を受賞。その9年後の2006年には同賞の最優秀女性歌手賞を獲得するに至ります。
 前々から私は繰り返して言ってますが、ジュリエットは当代一の実力シャンソン歌手です。その巨体から発せられるまろやかな歌声の七色十色の表現力は、私たちが昔からシャンソンに求めている物語性(短編映画性)を並みいる先人たちよりも鮮やかにダイナミックに展開して見せます。この人の真価はライヴ・パフォーマンスにあり、そのコンサートに一度行ったら、その魅力の虜になるはずです。その自信があるせいなのか、ジュリエットはテレビに出演することやレコードCDの売上には興味がない、という種類の発言をしてみせます。また「私の人生なんてつまらないものだし、友だちと一緒にプレイステーションで遊ぶようなものだから、私は他人の人生を歌うのよ」と、非・私小説派を宣言して、フィクションとしてのシャンソンに徹します。そしてこの名前に関連して「あなたのロメオはどうなってるの?」と聞かれると、「私のロメオはジュリエットという名前なのよ」と自らの同性愛を隠しません。良く笑い、良く人を笑わせる、良いキャラクターです。
 そういうジュリエットのこれが8枚目のオリジナルアルバムになります。3年に1枚のペースで出してます。ブックレットを手にとってクレジットを見ると、自作詞でないもの、自作曲でないものが目立ち、インスピレーションの枯渇か、と不安になるものの、実はこの「他人もの」がたいへん良い味を出しているのです。『ノ・パラノ』というアルバムタイトルは、パラノイアの一形態である誇大妄想や自己中心的独占欲といったものを否定しているのだと解釈すると、この「他人もの」の良さは、「自分もの」でなくても大丈夫というフトコロの大きさを示したかったのかもしれません。それを共有するパートナー(プロデューサー)として、ブンチェロのヴァンサン・セガルを起用。
 「他人もの」でやっぱり一番先に目がいくのが、ゲンズブール/バーキンの「レ・ドゥスー・シック」ですね。オリジナルが極端にデリケートでクラッシーでエロティックなものでしたが、ジュリエットはそのデリカシーを妖しげなものにすることなく、木炭デッサンの裸婦像のようなシンプルさで表現してしまうんですね。太線です。あ、これもあり、という膝を打つ納得があります。
 このアルバムで最も聞き込んでしまった曲はやはり「他人もの」で、サルヴァトーレ・アダモ作の「こんなひどいこと Une chose pareille」でした。アダモ80年代の作品のようで,黒いユーモアの典型のような曲です。結婚15年目,子供なし、冷えきってしまった夫婦関係,これを妻の独白の形で展開する歌です。「こんなひどいことをあの人がするなんて信じられない」というリフレインが最初から歌われ,一体どんなひどいことをしたのか、気を持たせます。冷えきってしまったのに、心の奥底でなにか小さな接点を保ってきたような夫婦の日々を台無しにするような夫の「ひどいこと」とは...。ずっと前に寝室も別々にしてしまった二人,ある夜,おきまりの「お休み」のあいさつを言いに来ない,たぶん会社でなにかあったんだわ、と妻が想像する - しずくの音がする - あら雨かしら,と妻が想像する - しかしそれは夫の血だった - なんてひどいことなの、新品の絨毯を血で汚すなんて、なんて段取りの悪い死に方なの、もっと気配りがあってもいいんじゃなくて! - という歌なのでした。こんなすごい歌を、適度の湿り気と適度の残酷さをうま〜く込めてジュリエットがさらっと歌い上げてしまいます。名人芸。ライヴでこれ歌ったら,必ずや場内は黒〜い笑いに包まれましょうね。アダモもこんなすごい歌があるなんて,とんと知りませんでした。聞き直しましょう。
 その他,ヴィクトール・ユゴーの詩の曲("La chanson de Dea")、ジャック・プレヴェールの詩の曲("Dans ma rue"。これはジャン・ギドニのためにジュリエットがプレヴェール詩に曲をつけたものだそう)、アルバム最終曲としてピアノ弾き語りで歌われるカルロス・ガルデル曲("Volver")が「他人もの」です。そして,自作ものでも、20年前に初演されたジュリエット最初期の曲「¿ケタル?」("¿Que Tal?")を再録音していて、自画自賛と言われようが良いものは良いという不敵な笑いがジュリエットっぽいわけですね。
 不敵なジュリエットをよく示す曲が11曲めの「ザ・シングル」で、ロック,エレクトロ,ワールド,レゲエ,ボリウッド...どんな手段も使える才女ぶりを発揮しながら,ヴェリエテ業界(レコードCD業界,とりわけ彼女の所属会社ユニヴァーサルですが)を風刺しているのですが、「インタヴューにはドゥルーズを引用してやろう」なんていうところが...。
 テレラマ誌のヴァレリー・ルウーは、「このアルバムにはジュリエットのほとんどすべてのものが詰まっている」と言います。ロマネスクでもあり魔術的でもある目配せ・視線の交錯のドラマを歌う「瞳の中の光」("La lueur dans l'Oeil"1曲め)、悪夢的で幻惑的な頭の中の屋内自転車レース(競輪)をラテンのリズムで劇的に歌い上げる「錆び付いた小さな自転車」("Le petit vélo rouillé"2曲め),パリ郊外の牧歌的左翼の風景を歌う「ロジェ・サラングロ通り」("Rue Roger Salengro"4曲め。ロジェ・サラングロ(1890-1936)はフランスの社会主義者/政治家,36年人民戦線政府の内相)、めちゃくちゃなカクテル(Vodka-Nutella, Beaujolais-lait, Whisky-kiri-kiwi, Viandox-on-the-rocks, Destop-Yop, Kir-Mir...)を飲ませるバーの歌「アップル・ラム」("Rhum-Pomme"6曲め)... これらは私たちが慣れ親しんだジュリエット節です。安心して心ゆくまで楽しめます。
 欲張りで,大食漢(おっと、これはメタファーですから)のジュリエットは、いつでもそのいいところを私たちに分けてくれるアーチストです。『ノ・パラノ』は,そういうジュリエットが野原に巨大な布地(ピクニック敷物はピンクのチェック柄と決まっている。このジャケのピンクのバッテンはそういうものにも見えるでしょ)を敷いて,手づかみ食のピクニック・パーティーに招いてくれているようなアルバムと聞きました。出席者の私たちはやっぱりワイン瓶を持って行きませんと、ね。

<<< トラックリスト >>>
1. LA LUEUR DANS L'OEIL
2. UN PETIT VELO ROUILLE
3. DANS MA RUE
4. MADRIGAL MODERNE
5. UNE CHOSE PAREILLE
6. RHUM-POMME
7. RUE ROGER SALENGRO
9. QUE TAL?
10. LES DESSOUS CHICS
11. THE SINGLE
12. VOLVER


JULIETTE "NO PARANO"
CD POLYDOR/UNIVERSAL MUSIC FRANCE 2759699
フランスでのリリース 2011年1月11日



(1月11日,国営テレビFRANCE 2の昼ニュースでインタヴューに答えるジュリエット。次いでスタジオライヴで "UN PETIT VELO ROUILLE")


Découvrez No parano : le huitième album de Juliette sur Culturebox !
 

2011年1月3日月曜日

増水するセーヌとアルシュヴェシェ橋の南京錠



 1月1日、パリ5区とシテ島を結ぶアルシュヴェシェ橋から。12月末から増水しているセーヌはこんなふうに岸の遊歩道に浸水していて、散歩者たちが降りていくことができません。
 それはそうと、この南京錠です。パリで「愛の南京錠」名所は、2008年頃ポン・デ・ザール(Pont des Arts。パリ6区とルーヴルを結ぶ歩行者橋)に始まり、次いでポン・オ・ドゥーブル(Pont au Double。パリ5区とノートル・ダム寺院を結ぶ)に移り、今はこのノートル・ダム寺院の後景が最も美しく見えるポン・ド・ラルシュヴェシェ(Pont de l'Archevêché)が一番人気だそうです。ここに(できれば2月14日の聖ヴァレンタイン祭の日に)来て、ノートル・ダムを見ながら、二人の永遠の愛を誓って、持ってきた南京錠に愛の言葉や名前を書いて、橋の鉄格子に錠を締め、永遠の愛の願いを込めてその鍵をセーヌ川に捨てる、という儀式をするわけですね。ま、かつてのトレビの泉のコイン投げと同じように、世界中のどこかしこの観光地に拡散してしまった「愛の儀式」のようで、これと同じ南京錠名所は、ハンガリーのペクス(ここが発祥の地らしく1980年に始まったとされる)、ローマのポンテ・ミルヴィオ(伊国のフェデリコ・モッチャ作の恋愛小説の舞台)、モスクワのルスコフ橋、フィレンツェのヴェッキオ橋、ロメオとジュリエットの町ヴェローナのピエトロ橋、その他ブリュッセル、キエフ、ヴィリニュスなどで同じ現象が見られ、奇妙なところでは韓国ソウルのNソウル・タワーの入口鉄格子も愛の南京錠の名所になっているそうです。
 では中国の南京市が「元祖・愛の南京錠の町」と観光キャンペーンをしたらどうでしょう?と思ってウィキペディアの「南京錠」を参照しましたら、南京豆、南京虫と同様に、
海外から伝わった「小さい」、「珍しい」という当時の意味で南京と名付けられているだけで、南京市とは直接の関係はない

と書いてありました。

 この用法に従って言いますと、右はわが家の「南京娘たち」と「南京犬」です。しかしすごい数の南京錠です。





PS :(2012年5月付記)
1年と5ヶ月後、アルシュヴェシェ橋はこんなふうになってました。