Juliette "No Parano"
ジュリエット『ノ・パラノ』
12月にオヴニーの長南さんから、ジュリエットが日本に行くことになった、と知らされました。それはそれでめでたいことなのですが、日本シャンソン系のイヴェントに出演するのだそうです。今まで日本でアルバムなど紹介されたことがないので、前もってこの人の実力やら真価などをちゃんとプロモーションしないと、「イヴェントの色づけに呼ばれた変わった新人歌手」程度にしか思われないかもしれません。ましてやこの名前が災いして「グレコのものまねですか」などと思われたりして。
ジュリエットのオフィシャルサイトに載った日本公演のスケジュールは:
6月29日(水)東京 – 杉並区公会堂小ホール
6月30日(木)東京 – 文化村オーチャードホール
7月1日(金)東京 – 内幸町ホール
7月4日(月)福岡 – 福岡コンベンションセンター
7月5日(火)大阪 – 大阪国際センター
となっていますが、これを書いている1月14日現在、日本でインターネット上でこのイヴェントを告知しているものは見当たりません。不安です。
ジュリエット(・ヌーレディン)は1962年パリで生まれています。祖父は20年代にフランスに移住してきたカビリア(アルジェリア)人で、父はサキソフォニストです。学生時代は文学部で音楽学を学ぶつもりだったのですが、一期だけで通学を止め、トゥールーズでピアニスト/歌手としてバーやキャバレーに出演し、エディット・ピアフとジャック・ブレルのレパートリーを歌っていたそうです。85年から自作自演ピアノ弾語り歌手として、トゥールーズ、「ブールジュの春」フェスティヴァルなどに登場、87年に自主制作のカセットアルバム『ジュリエット』を発表。90年独仏国境の町ザールブリュッケン(仏語読みではサールブリュック)のシャンソン・コンクールでグランプリ。次いで91年、オード・セーヌ県のシャンソン新人コンテストで審査員賞&大衆賞を獲得、この賞金でデビューアルバム『¿ケタル?』を制作・発表。94年に初めてヴィクトワール賞にノミネートされ、97年には同賞の新人女性歌手賞を受賞。その9年後の2006年には同賞の最優秀女性歌手賞を獲得するに至ります。
前々から私は繰り返して言ってますが、ジュリエットは当代一の実力シャンソン歌手です。その巨体から発せられるまろやかな歌声の七色十色の表現力は、私たちが昔からシャンソンに求めている物語性(短編映画性)を並みいる先人たちよりも鮮やかにダイナミックに展開して見せます。この人の真価はライヴ・パフォーマンスにあり、そのコンサートに一度行ったら、その魅力の虜になるはずです。その自信があるせいなのか、ジュリエットはテレビに出演することやレコードCDの売上には興味がない、という種類の発言をしてみせます。また「私の人生なんてつまらないものだし、友だちと一緒にプレイステーションで遊ぶようなものだから、私は他人の人生を歌うのよ」と、非・私小説派を宣言して、フィクションとしてのシャンソンに徹します。そしてこの名前に関連して「あなたのロメオはどうなってるの?」と聞かれると、「私のロメオはジュリエットという名前なのよ」と自らの同性愛を隠しません。良く笑い、良く人を笑わせる、良いキャラクターです。
そういうジュリエットのこれが8枚目のオリジナルアルバムになります。3年に1枚のペースで出してます。ブックレットを手にとってクレジットを見ると、自作詞でないもの、自作曲でないものが目立ち、インスピレーションの枯渇か、と不安になるものの、実はこの「他人もの」がたいへん良い味を出しているのです。『ノ・パラノ』というアルバムタイトルは、パラノイアの一形態である誇大妄想や自己中心的独占欲といったものを否定しているのだと解釈すると、この「他人もの」の良さは、「自分もの」でなくても大丈夫というフトコロの大きさを示したかったのかもしれません。それを共有するパートナー(プロデューサー)として、ブンチェロのヴァンサン・セガルを起用。
「他人もの」でやっぱり一番先に目がいくのが、ゲンズブール/バーキンの「レ・ドゥスー・シック」ですね。オリジナルが極端にデリケートでクラッシーでエロティックなものでしたが、ジュリエットはそのデリカシーを妖しげなものにすることなく、木炭デッサンの裸婦像のようなシンプルさで表現してしまうんですね。太線です。あ、これもあり、という膝を打つ納得があります。
このアルバムで最も聞き込んでしまった曲はやはり「他人もの」で、サルヴァトーレ・アダモ作の「こんなひどいこと Une chose pareille」でした。アダモ80年代の作品のようで,黒いユーモアの典型のような曲です。結婚15年目,子供なし、冷えきってしまった夫婦関係,これを妻の独白の形で展開する歌です。「こんなひどいことをあの人がするなんて信じられない」というリフレインが最初から歌われ,一体どんなひどいことをしたのか、気を持たせます。冷えきってしまったのに、心の奥底でなにか小さな接点を保ってきたような夫婦の日々を台無しにするような夫の「ひどいこと」とは...。ずっと前に寝室も別々にしてしまった二人,ある夜,おきまりの「お休み」のあいさつを言いに来ない,たぶん会社でなにかあったんだわ、と妻が想像する - しずくの音がする - あら雨かしら,と妻が想像する - しかしそれは夫の血だった - なんてひどいことなの、新品の絨毯を血で汚すなんて、なんて段取りの悪い死に方なの、もっと気配りがあってもいいんじゃなくて! - という歌なのでした。こんなすごい歌を、適度の湿り気と適度の残酷さをうま〜く込めてジュリエットがさらっと歌い上げてしまいます。名人芸。ライヴでこれ歌ったら,必ずや場内は黒〜い笑いに包まれましょうね。アダモもこんなすごい歌があるなんて,とんと知りませんでした。聞き直しましょう。
その他,ヴィクトール・ユゴーの詩の曲("La chanson de Dea")、ジャック・プレヴェールの詩の曲("Dans ma rue"。これはジャン・ギドニのためにジュリエットがプレヴェール詩に曲をつけたものだそう)、アルバム最終曲としてピアノ弾き語りで歌われるカルロス・ガルデル曲("Volver")が「他人もの」です。そして,自作ものでも、20年前に初演されたジュリエット最初期の曲「¿ケタル?」("¿Que Tal?")を再録音していて、自画自賛と言われようが良いものは良いという不敵な笑いがジュリエットっぽいわけですね。
不敵なジュリエットをよく示す曲が11曲めの「ザ・シングル」で、ロック,エレクトロ,ワールド,レゲエ,ボリウッド...どんな手段も使える才女ぶりを発揮しながら,ヴェリエテ業界(レコードCD業界,とりわけ彼女の所属会社ユニヴァーサルですが)を風刺しているのですが、「インタヴューにはドゥルーズを引用してやろう」なんていうところが...。
テレラマ誌のヴァレリー・ルウーは、「このアルバムにはジュリエットのほとんどすべてのものが詰まっている」と言います。ロマネスクでもあり魔術的でもある目配せ・視線の交錯のドラマを歌う「瞳の中の光」("La lueur dans l'Oeil"1曲め)、悪夢的で幻惑的な頭の中の屋内自転車レース(競輪)をラテンのリズムで劇的に歌い上げる「錆び付いた小さな自転車」("Le petit vélo rouillé"2曲め),パリ郊外の牧歌的左翼の風景を歌う「ロジェ・サラングロ通り」("Rue Roger Salengro"4曲め。ロジェ・サラングロ(1890-1936)はフランスの社会主義者/政治家,36年人民戦線政府の内相)、めちゃくちゃなカクテル(Vodka-Nutella, Beaujolais-lait, Whisky-kiri-kiwi, Viandox-on-the-rocks, Destop-Yop, Kir-Mir...)を飲ませるバーの歌「アップル・ラム」("Rhum-Pomme"6曲め)... これらは私たちが慣れ親しんだジュリエット節です。安心して心ゆくまで楽しめます。
欲張りで,大食漢(おっと、これはメタファーですから)のジュリエットは、いつでもそのいいところを私たちに分けてくれるアーチストです。『ノ・パラノ』は,そういうジュリエットが野原に巨大な布地(ピクニック敷物はピンクのチェック柄と決まっている。このジャケのピンクのバッテンはそういうものにも見えるでしょ)を敷いて,手づかみ食のピクニック・パーティーに招いてくれているようなアルバムと聞きました。出席者の私たちはやっぱりワイン瓶を持って行きませんと、ね。
<<< トラックリスト >>>
1. LA LUEUR DANS L'OEIL
2. UN PETIT VELO ROUILLE
3. DANS MA RUE
4. MADRIGAL MODERNE
5. UNE CHOSE PAREILLE
6. RHUM-POMME
7. RUE ROGER SALENGRO
9. QUE TAL?
10. LES DESSOUS CHICS
11. THE SINGLE
12. VOLVER
JULIETTE "NO PARANO"
CD POLYDOR/UNIVERSAL MUSIC FRANCE 2759699
フランスでのリリース 2011年1月11日
(1月11日,国営テレビFRANCE 2の昼ニュースでインタヴューに答えるジュリエット。次いでスタジオライヴで "UN PETIT VELO ROUILLE")
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1 件のコメント:
かっち。です。ヌーボー巴里祭の情報は昨年から少しずつ流れています。文化村がヌーボー巴里祭で、杉並と内幸町は日本の方とのジョイントで「二人の巴里祭」だそうです。
ジュリエットを大野修平氏の講座の前説で紹介したことがあります。圧倒的に支持されました。詞が難し過ぎて日本人には理解できないのではないかとフランス人は言うのですが、ちゃんと伝わると思います。
テレラマの記事も探して読みました。à peu près tout Juliette って微妙だなと思ったら、la grande qualité mais aussi la limite とも書いてますね。でも絶対に上質なアルバムです。僕のベストトラックは最後のガルデル。
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