2020年1月31日金曜日

Mehr Licht (もっと光を)

Brigitte Fontaine "Terre Neuve"
ブリジット・フォンテーヌ『新天地』


そらくこれは遺作となろう。2016年10月(於サン・カトル 104)の2回コンサートのキャンセル以来、フォンテーヌの病状は悪いと伝えられていた。歌えなくなったフォンテーヌは書を綴っていた。闘病中に出版された3冊のうちのひとつ、30数ページの小冊子で、詩人アルチュール・ランボーへの一方的書簡のように書かれた詩エッセイ『転落と歓喜(Chute et ravissement)』(2017年5月)について、私は当時のオヴニー紙記事(2017年7月15日)の中でこう書いた。
無限には終わりがあり、永遠には果てがある。この悲報を告げにフォンテーヌはこの本を書いたのだろう。悲報を告知するのは詩人の役目だ。「無より無である無はない(rien n’est plus rien que rien)」。
あの頃、ネット上で「死亡説」もまま見られたが、私は本当にこの人は死ぬと思っていた。私はずっと前から(そんなに頻繁ではないが)テレビ、ラジオ、YouTubeなどでのこの人のトークショー出演やインタヴューが嫌いだった、と言うよりは見て(聞いて)られなかった。誰とも噛み合わない対話は、結局"笑いもの"にしかならなかった。低級ギャグにされてしまった。偉大な”詩人”を辱めている、と悲しくなった。
しかしフォンテーヌは死なず、新しいアルバムを作った。かなり緊急な作り方だ。くりかえすが、おそらくこれは遺作となるであろう。ゲーテの臨終の辞 "Mehr licht !(もっと光を!)"まで神妙に登場する(12曲め"Parlons d'autre chose")。制作の鍵を握る男はアレスキーではない。ギタリスト、ヤン・ペシャン。90年代のいわゆる "ヌーヴェル・セーヌ・フランセーズ(Nouvelle scène française)"の百戦錬磨の裏方ギタリスト。ミオセック、イジュラン、マリー=フランス、バシュングなどのレコーディングとツアーでプレイしていた。私がオーベルカンフ通りに事務所を持っていた頃、イニアテュスや(故)マチュー・バレーと二、三度遊びに来てくれたことがある(ヤンとの話は主にマリー=フランスのことで、日本にプロモしてくれよ、ということだったんだが、私は力不足で何もできなかった。マリー=フランスというアーチストは難しかったのよ)。フォンテーヌの緊急な新アルバムは、このヤン・ペシャンのノイジー&メタルな多重(もしくはループ)ギター音のアンビエントに、バシュングやノワール・デジールのサウンドエンジニアだったジャン・ラモートのさまざまなプログラミングが絡まり、その上にフォンテーヌのポエトリー・リーディング、歌、ヴォイス・パフォーマンスがかぶさる。フォンテーヌが60年代小劇場運動から出てきた頃の"サイケデリックな前衛"への回帰のような。ハードコアパンク再訪のような。なによりも老女詩人の声と言葉を聞かせるための装置のような。
第一曲めから今度のフォンテーヌはギリギリで崇高だ。

わたしはすべてである
わたしはすべての人たちと同じように
死ぬために生まれた
しかし
わたしはすべてである
すべてである者は死なない
すべてである者は生まれない
しかし人が生命と呼ぶもの
その生命は死に至る病いである
すべての人たちは生まれ
すべての人たちは死ぬ
この地球の上で
天文写真の暗闇の中で
光る埃の粒となって
わたしはすべてである
生きたことすら知ろうとしない
すべての人たちと同様なのか
わたしは知らないが
わたしは生きた
それには疑いの余地はない
そういうものなのだ
それほど怖いことはない
しがみつきさえすればいいのだ
そういうものなのだ
わたしはすべてである
そういうものなのだ
わたしはすべてである
("Le Tout pour le Tout" すべてのすべて)
2曲めはセルフカヴァーで、1969年サラヴァからシングル盤で発表した"Les Beaux Animaux(美しき獣たち)"で、詞フォンテーヌ/曲ジャック・イジュラン(2018年歿)。何を思ったのだろう。先に逝ってしまった同僚イジュランのことか、50年前の"前衛”のことか。
ああ美しい獣たち
石灰と鉄と煙の
私たちの森の中で
野放しで生きている

("Les Beaux Animaux" 美しい獣たち)
これは男性(男根)讃歌なのである。21世紀にこれを女性が歌うことには良俗人たちは抵抗しようが、フォンテーヌは知ったことではない。そしてその(セルフ)アンサーソングのように、11曲目(LPで考えると、前者がA面2曲目、これがB面2曲目。つまり両面で対照する重要曲)に"Vendetta(復讐)"という歌をもってくる(この曲はアルバムリリース前にプロモーションで最も使われていた曲である)。

男は殺し屋
男は殺し屋
おまんこの復讐
きんたまに死を
オスどもを串刺しにせよ
慈悲もデモも必要ない

議論はもうたくさん
武装闘争ばんざい
男どもを引き摺り下ろせ
やつらに死を、死を、死を!
("Vendetta"復讐)
#MeTooのウルトラ過激ヴァージョンであり、武装蜂起アジテーションであり、男どもへの宣戦布告である。この両極端の二つの男性観が同じ老女の口から迸り出るのであり、それがブリジット・フォンテーヌなのだ。なぜならフォンテーヌは「すべて」なのだから。
そして、この5分1秒の戦闘歌の直後に、おどけたわらべ歌風のアカペラで26秒間のおまけをフォンテーヌは歌うのである。
女歌手がうまく歌ったら
女歌手がうまく歌ったら
男たちはみんな
男たちはみんな
男たちはみんな
彼女にキスしていいのよ
(エフェクトで何度も何度も接吻音)
お笑いのオチを添えるのだ。単純な芸ではない。
 アルバムにもう1曲セルフ・カヴァーがあり、8曲目の"Ragilia"は1974年のブリジット・フォンテーム+アレスキー・ベルカセム名義のアルバム『火事(L'Incendie)』に収められていた歌で詞フォンテーヌ/曲アレスキー。この新アルバムでちゃんとメロディーを歌っている数少ないトラックのひとつ。オリジナルはボロ人形のように捨てられた少女の(自伝的)恨み節であるが、80歳の老女のヴァージョンはその恨みがどれほど増長されるか、という試みのようだ。2001年にアルバム"Kekeland"で共演したソニック・ユースはいい影響をフォンテーヌに残した、と思わせる後半のノイズ。
 アレスキーはこの新アルバムでも作曲で参加しているが、中でも最重要はアルバムタイトル曲の"Terre Neuve(新天地)"(12曲目)と、とりわけフォンテーヌ辞世の歌のような"Parlons d'autre chose(他のことを話そう)"。

だけど、ほかのことを話そうよ
だけど、ほかのことを話そうよ
おぞましいのは濃い青色の空

わたしはまだ生きているのに
ずいぶん前からわたしは
はやい時間に床につくようになった
わたしはパリで死ぬだろう
Mehr Licht (もっと光を)
だけど、ほかのことを話そうよ
もう遅い時間だから
わたしはデスノス、おまえのことを思う
コンピエーニュから身を起こし
サン・トーバン・シュル・メールの墓に

眠っているが
わたしはその墓を知らない
だけど、ほかのことを話そうよ

牝牛たちは眠れない
芸術音楽はわたしたちの欲望には物足りない
決められたプロトコールは
フランス大使夫人とわたしたちが
ダンスを交わすことを要求する
おお、繊細な微笑みの顔合わせ
だけど、ほかのことを話そうよ
("Parlons d'autre chose"ほかのことを話そう)
死の床での入り乱れる思念、何を語ればいいのか、あれもこれも違う、他のことを話そう、もっと光を。こんな悲しい歌、そうそうあるものではない。三度くりかえすことになるが、このアルバムは遺作になるだろう。

<<< トラックリスト >>>
1. LE TOUT POUR LE TOUT
2. LES BEAUX ANIMAUX
3. J'IRAI PAS
4. JE VOUS DETESTE
5. CHRYSLER
6. HAUTE SECURITE
7. BREAK 1
8. RAGILIA
9. GOD GO TO HELL
10. BLUES KENAVO
11. TERRE NEUVE
12. BREAK 2
13. HERMAPHRODITE
14. BREAK 3
15. PARLONS D'AUTRE CHOSE
16. BREAK 4

BRIGITTE FONTAINE "TERRE NEUVE"
VERYCORDS CD/LP/DIGITAL

フランスでのリリース:2020年1月24日

カストール爺の採点:★★★★☆


(↓)新アルバム『新天地』のプロモ、カルチャー誌 GONZAI のための寝っ転がりインタヴュー。

 

2020年1月26日日曜日

マクロンのせいでお先マクロン

"A cause de Macron"
『マクロンのせいよ』

金法改悪反対闘争は既に2ヶ月、同時多発市民蜂起運動「黄色いチョッキ」は既に1年と3ヶ月、フランスは絶対に後に引かない辛抱強い抵抗を続ける市民たちが街頭を埋め続けています。2017年5月に共和国大統領に就任したエマニュエル・マクロン(42歳)とその議会与党である"前進する共和国党”(La République En Marche = LREM)は、リベラル経済まっしぐらの本性を丸出しにして、富裕税を廃止し社会保障費を切り詰めるリベラル"改革”を次々に断行してきました。拡大する貧富の差にためりかねた人々が黄色いチョッキを着て、地方幹線道路から市内に入るロータリー(ラウンダバウト)を占拠して抗議し、2018年11月からこのジレ・ジョーヌ運動は全国的にしかも(フランス現代史で経験したことがない)長期に及んで展開されているのです。マクロンとその政府はこの大衆的な市民運動の突き上げに全く譲歩の姿勢を示さず、警察による武力鎮圧で蹴散らそうとしまう。一体どうしたことなのか、マクロンはこれほどまでに傲慢な権力者であったのか、2018年から2019年、私たちはこの大統領と政府の"真の顔”を見せつけられた思いです。そして2019年12月から新年金法案(過酷労働条件などの職業別の特例を廃止して、一律全職業同条件のポイント制年金支給システム)に反対する労組(CGT, FO, SUD...)の大規模ストライキ(国鉄、バス・地下鉄公営交通)を抗議行動の最前面に押し出した長い闘争が始まります。この闘争は世論調査で7割の市民が支持していたのですよ。なぜならこの年金法は、(医学の進歩、寿命の延長、労働環境の"改善"のおかげで)誰でも普通に65歳〜70歳まで働けるという雇用者/経営者/資本家側のロジックの上に成り立っているのです。この抗議運動の中で、大きな話題になったオペラ・ガルニエ座のバレエダンサーたちのストとオペラ座前での抗議バレエ披露がありましたが、このバレリーナたち(現行退職42歳)を65歳まで踊らせようというのがこの法案なのです。鉄道機関士、バス運転手、バレエ/音楽家などフィジカルな芸能アーチストたち、消防士、軍人(!)、警察官(!!!)、土木建築工、あらゆる夜勤労働者、看護婦看護士.... 特例が正当である人たちはたくさんいるのです。
この歌の中にも出てきますが、この新年金法案を準備したマクロン使命の"年金担当長官”、ジャン=ポール・ドルヴォワ(Jean-Paul Delevoye)という男(もともとはシラクお抱えのゴーリスト保守政治家)が、法案国会論議前に、2017年の複数の公務収入の申告漏れがバレてしまい辞任に追い込まれるというスキャンダルもあったのです。

さてこの歌"A cause de Macron(マクロンのせいよ)"は、アルテルモンディアリスム運動の世界的市民団体ATTAC(アタック)が、この新年金法でも男性よりもさまざまな局面で弊害を被るのは女性たちである、という観点から創作した、1987年ヒット曲 "A caus' des garçons(野郎どものせいよ)"の替え歌です。これ強調しておきます、作曲はアラン・シャンフォールです。このオリジナルのシングル盤持ってます(自慢。左写真)し、1988年5月、フランソワ・ミッテランの大統領再選の夜、レピュブリック広場での無料コンサート(ジャック・イジュラン, etc)のステージでア・コーズ・デ・ギャルソンの二人が口パクで歌ってました(それでも群衆に大唱和されるという幸せな思い出。ミッテランは偉大だった)。33年後の替え歌はこんな歌詞になりました。
冗談じゃないわよ、好き放題にはさせないわよ
あんたはわたしたちをバカ(connes)だと思ってるの?
あんたの汚い年金政策は、わたしたちを貧乏に落とし込む

あんたのポイント制年金システムは、不定期の短期就労に適しない
わたしはね、経済的に自立したいのよ
マクロンのせいよ
ファトゥーやマリオンたちのための受給額が減るのは
マクロンのせいよ
わたしたちは大幅収入減
あんたにどんなふうにそれを言えっていうの?
マクロンのせいで

わたしたちは"革命を!”と叫ぶのよ
マクロンのせいよ


ジレ・ジョーヌモードでがんばってる
彼女たちのことを思うと落ち込むわ
わたしたちをうやうやしく持ち上げるのは苦難だけ
子供たちのために骨を折るってことには
1サンチームの価値がないって、信じられないわ
あんたは絵空事をつくってりゃいいわ
だけど、わたしたちの流儀、それは闘争なのよ
マクロンのせいよ
ブラックロック がわたしの金を巻き上げていく
それがあんたの言う"キャピタリザシオン"(資本運用)よ
マクロンのせいよ
わたしの片割れが死んだら、年金受給額がガタ減りするなんて

マクロンのせいよ
わたしたち、お金がどんどん減っていくのよ
マクロンのせいよ

(ラップ部分)
みんなマクロンと彼のチームのせいよ
とりわけ働く女たちを苦しめるのは
APL(住宅手当)、失業、収入不安定
昔も今も苦しむのは女たち

みんなマクロンと彼のチームのせいよ
ドルヴォワも、そのあとのピエトラスゼフスキーも
なんなのよ、この問題人物は、もうたくさんよ

こんなろくでなしばかりの行列なんて

マクロンのせいよ
わたしたちはドルヴォワみたいにいくつも職持ってるわけじゃないのよ
マクロンのせいよ
女たちは男たちよりもずっと圧迫されているのよ
マクロンのせいでわたしたちは"革命を!”と叫ぶのよ
マクロンのせいよ
(↓)「マクロンのせいよ(A cause de Macron)」クリップ



 アタック(ATTAC)のサイトはこの歌のヴィデオ・クリップを12月中旬に発表。同時にデモ&集会でのこの歌の振り付け(コレグラフィー)の指導ヴィデオ。そして衣装はフェミニズム運動のアイコン、ロジー(We Can Do It!)と同じ青いつなぎの作業着、頭には赤に白水玉のスカーフ、黄色い手袋と指定したのでした。それ以来、この「マクロンのせいよ」の歌と踊りは瞬く間にフランス全土に広がり、各地の年金法反対デモ行進で、青装束のお姐さんたち+ブラックロック他の国際大資本の黒の幟(のぼり)(歌の最後にお姐さんたちにやっつけられる)の定番エンターテインメントになったのでした。女性たちが吹かせる新しい風、長く厳しい闘争にも「お祭り気分」も!がんばれ、支援しますよ。

(↓)1月24日、パリ東駅でのフラッシュ・モブ「マクロンのせいよ」


(↓)1月16日、AFPのYouTubeが伝える「マクロンのせいよ」の全国波及。

2020年1月22日水曜日

「嘘こそが文学」とシオランは言う

ヴァネッサ・スプリンゴラ『合意』
Vanessa Springora "Le Consentement"

(この本の総合的な紹介&書評は、ラティーナ誌2020年3月号の向風三郎連載「それでもセーヌは流れる」で展開します。それと内容の重複のない程度のイントロダクションと、哲学者エミール・シオランとの絡みの部分を一部訳したものをここで掲載します)

向風三郎「それでもセーヌは流れる」3月号は2020年1月2日に出版され1月20日現在書店ベストセラー1位、ヴァネッサ・スプリンゴラ著『合意(Le Consentement)』について書いています。大雑把に概要を言いますと、1980年代に”純文学”的に評価の高かった作家で、ローティーンの少年少女を相手にした性的体験を私小説および公開日記として発表していたガブリエル・マツネフ(右写真、1936年生れ、現在83歳で存命中)と14歳の時に恋愛関係にあった著者が、その約30年後に”文学”の名の下に放免されてきたその性犯罪を告発する書です。50歳の”有名”作家が14歳の少女に接近し、少女は”恋”に落ちてしまいます。心から愛します。ここが本書題名の「合意」と関係してくるのですが、「合意」があったならばそれはありじゃないですか(法で禁止されている “性的未成年者=15歳未満”との関係であり、犯罪であるということがあっても)と思う風潮があります。第一このマツネフという作家は、1977年にこの未成年者との性関係の”禁止”を撤廃するように世に呼びかける署名運動を起こし、当時の驚くべき文化人たち(サルトル、ボーヴォワール、ドゥルーズ、バルト、ソレルス、ジャック・ラング….)が同意署名しています。ペドフィリアの解放は「性解放運動」の一翼と見なされていたのです!時代はそれが間違いであったことに気づき、今やペドフィリアを最も唾棄すべきおぞましき犯罪と思わない人はいないでしょう。
著者は14歳の時に言いたくても言葉が足らずに言えなかったこと、50歳の老獪だが優れた言葉を武器にした男の前で自分の語彙では「対話」にもましてや「抗弁」にもならなかった言い分、それを30数年かけて整理し、語彙を獲得し、「文章」(つまりかの作家と同じ土俵)で告発するのです。それは「合意」があったとしても少女の人生を破壊してしまった許し難い犯罪であるということです。マツネフは70-80年代という時代が称賛した作家として、言葉・文章・文学の領域では自分が一段も二段も上、という自負があります。文学は本になり、図書館入りし、国立資料館に保存され「永遠の命」を得ます。今日83歳のマツネフはまさにその永遠化される寸前にあります。しかしその”文学”に、あの14歳の少女との禁忌恋愛を描いた何冊もの本があり、その少女は作家に好き勝手に美化されたセックス人形として永遠化されるは絶対に阻止したい。そのためにはマツネフの文学的価値/権威を存命中に失墜させなければならない。
この書は、マツネフが彼女にしたこと(作品の中に閉じ込めて私物化した状態で残し、自分の栄誉に利用する)を30数年の準備を経て、ヴァネッサ・スプリンゴラが同じ武器(文章)でマツネフを作品の中に閉じ込めてしまうのです。
“文学”であればすべてが許されていた。それは芸術全般に言えたことだったでしょう。それまでのタブーをすべて破ることが芸術の”進化”であるようなもてはやされ方がありました。60-70年代は私はリアルタイムで生きていましたし、”性の解放”は世を動かすたいへんなパワーがありました。18禁映画館こそ最も創造的な作品であふれていた。サドやレチフ・ド・ラ・ブルトンヌの作品が禁書ではなく普通の”文学”として読まれるようになった。大島渚『愛のコリーダ』(1976年)は日仏合作で性検閲と闘う映画として喝采を受けた。そういう時代に、児童性愛の体験を小説化していたマツネフは、何の問題もなく時代の風景の一部になっていたのです。大出版社から本を発表できる、性解放運動の前衛として、進歩的文化人として。その錚々たる支持者たちの中に、20世紀哲学の極北エミール・シオラン(下写真、1911 - 1995)がいたのです。
本書は14歳の少女ヴァネッサが、最初の熱恋から醒めて、マツネフの病的な性向(少年少女たちを征服支配したい性衝動)と彼女を人形として”文学的”に操り作品化しようとする策略から逃れようとする経過が描かれています。しかし世間から見れば醜聞でしかない14歳(中学生)と50歳(有名作家)の関係は、自力で抜け出すことが極めて難しい。誰にも相談することができないヴァネッサは、勇気を持って、以前マツネフに尊敬する友人として紹介されたエミール・シオランの門を叩くのです。14歳の少女はシオランの書物を読んでも全く理解できない。だから彼女はある種「賢者の言葉」を求めてシオランを訪ねたわけです。その部分、訳してみます。(註:この書では本名は登場しません。”G.”がガブリエル・マツネフ、”V.”がヴァネッサ・スプリンゴラです)

私は彼の本を一冊とて読み終えたことはなかった。それはみんな短い本だが、ほとんどがアフォリズム(箴言)で構成されていた。人は彼のことを”ニヒリスト”と呼んでいた。そう分類されていた人だからこそ、私は失望しなくて済んだのだ。
ー エミール、私はもう耐えられません(と私は泣きじゃくりながら切り出した)、彼は私のことを狂ってしまったと言いますが、これ以上彼が続けたら私は本当に狂ってしまいそうです。彼の嘘、彼の蒸発、彼のところにひっきりなしにやってくる少女たちは、私が閉じ込められているホテルの部屋までやってくるでしょう。私は誰にもそれを語ることができないのです。彼は私から友だちも家族も遠ざけてしまいました…
ー(彼は重い口調で私の言葉をさえぎった) V.、G.は芸術家であり、偉大な作家だよ。世界はいつの日かそれに気付くだろう。だがそうならないかもしれない。それは誰にもわからない。あなたが彼を愛しているなら、彼の性格を受け入れなければならない。G.は決して変わることはないだろう。彼があなたを選び、あなたにしたことは非常に名誉なことだ。あなたの役目は彼の創造の道に同行し、その運命のいたずらをも甘受することだよ、私は彼があなたを熱愛していることを知っている。だが女性たちは往々にして芸術家が何を必要としているのかを理解しないものだ。トルストイの妻は来る日も来る日も夫が手書きした原稿をタイプしていたというのを知っているかい? 休息もなく、ほんの小さなミスも見逃さず訂正し、すべてを犠牲にしてこの作業をしていたのだよ。犠牲的で献身的であること、それが芸術家の妻がその愛する者に対して捧げるべき愛の形だ。
ー でもエミール、彼は四六時中私に嘘をついているのですよ。
ー 嘘こそが文学なのだよ ! あなたはそれを知らなかったのか?
("Le Consentement" p141 - 142)
(↓)国営TVフランス24での本書紹介ルポルタージュ(2019年12月26日放映)



★★★★ ★★★★ ★★★★
★★★★ ★★★★

2020年12月30日追記

ラティーナ誌2020年3月号に掲載された向風三郎「ヴァネッサ・スプリンゴラ『合意』が告発する文学という名の性犯罪」は本ブログに加筆修正の上再録(↓リンク)されています。
文学という名の性犯罪





2020年1月11日土曜日

Must be talking to an Angèle

There must be an Angèle...

2020年年頭にアンジェルに関するニュースがふたつ。ひとつはSNEP(仏レコード制作者協会)が発表した2019年フランス国内の年間アルバム売上の1位に、アンジェルのアルバム『ブロル』、その推定売上枚数は75万枚、と。もうひとつはテレラマ誌の新春第一号(2020年1月2日発売)の表紙(←)を飾り、その特集『2020年に20歳であること』のメイン記事として巻頭4ページインタヴューが掲載されたこと。
 それにもうひとつ加えるとすれば、わがブログ『カストール爺の生活と意見』 の2019年の年間統計で、最もビュー数が多かったのが、アンジェル 『ブロル』の紹介記事(2018年11月17日掲載)だったこと。
 この現在24歳のベルギーのお嬢さんは、あれよあれよと言う間に全仏語圏のポップ・アイコンになり、さらにヒット曲 "Balance Ton Quoi"がフェミニズム賛歌として女性たちの性差別反対運動/性暴力告発運動のデモでマニフェスト的に唱和され、加えて反ホモフォビア、(グレタ・トゥンベリ以降の新世代)環境破壊反対運動など、ためらうことなく多方面にメッセージを発する、全く新しいタイプの「女性たち」の鏡になっている。テレラマ誌のインタヴュー(私の最も信頼する音楽ジャーナリストのひとり、ヴァレリー・ルウーが行っている)は、この可憐な女性が背負ってしまった「2020年世代のモデル」の生身の姿にせまる。以下、その一部を(無断で)訳してみました。

(テレラマ)SNS上で大きく自分を晒すことは、あなたの有名性が捏造されてしまう危険もありますよね…
アンジェル 「往々にしてメディアのセンセーショナルな記事を読む人たちというのはわたしのインスタのフォロワーではないのよ。その人たちはわたしのことを遠目に見ているのね。多くの有名人女性のひとり、現実から距離のある人、好きなように想像してかまわない人。でもね、わたしはデビューの時から、わたしの音楽が好きな人たちにとって近づきやすく、リアルな存在であろうと努めてきたの。急性扁桃炎になった時は、わたしはみんなにそう言う。何も心配するようなことじゃない。生理のせいでおなかが痙攣するほど痛い時だって同じよ。」
(テレラマ)あなたはそこまで言いますか?
アンジェル
「ええ言うわよ。わたしはそれはわたしたちの世代の典型的な発言の自由だってことを十分に意識してるわ!わたしの母はあきれてるけど。でもわたしはわたしのプライベートを守るべきと思うのと同じほど、わたしには女が生理のことを口にすることができるというのは自然なことだと思うの。あの日、わたしはステージの上で身をよじらせるほど痛くて、途中で楽屋に薬を飲みに行かなければならなかった。わたしは思ったの “わたしの身に今起こっていることを説明できないなんて、それこそ馬鹿げたことじゃない?” ー そしてとうとうわたしはステージでこう訴えた “これはふつう人前で言わないことかもしれない、でもね、わたし生理になっちゃったの、ものすごく痛いのよ!” ー わたしのショーの観客たちはほとんど若い女の子たちだからそれは大きなリスクではなかった。彼女たちはみんなそれを了解してくれて、それを大きな音を立ててわたしに表現してくれたのよ!母親世代の女性たちもあとで来てくれて、わたしに言ってくれてありがとう、って。5年前だったら、わたしはそんなこと絶対言わなかったと思う。象徴的なことに、月経に関するこのタブーはそこから女性に関する他のたくさんのことを暴き出していくのよ。」

(↓)テレラマ誌2020年新春号インタヴューの公開動画


(テレラマ)その件に関して今が大きな転換期であるとあなたは興奮しているのですか?
アンジェル 「まさに。わたしはこの夏13-14歳の若い女の子たちと話し合う機会があって、びっくりしたの。その子たちは”わたしはフェミニストよ”って言うの。わたしがその子たちの年代の時には、日記のノートを黒々と書き殴ったり、友だちとの会話やピアノのレッスンのことだけに気を取られていた。それ以外の外界ことは全く興味がなかったし、全然意識もしていなかった。でもこの子たちはそうじゃない。そのひとりの子なんか、学校でひとりの生徒がスカートが短すぎるという理由で放校処分になったとき、反対運動のポスターを貼りまくっていた。”その場合は男子生徒たちを教育すべきよ”とその子は言うのよ。わお〜っ! こういう考えが14歳であきるなんて、素晴らしいじゃない!そしてその子は続けて言ったの “これはあなたの歌 《Balance ton quoi》のおかげなのよ”って。わたしはもうびっくりだったわ。」

(テレラマ)その愉快で踊りやすいあなたのヒット曲はまさにフェミニスト賛歌になりましたね…。
アンジェル 「この曲を書く前、2017年の暮れの頃、わたしはこの問題についてわたしも当事者であるということを感じ始めていた。でもそれは感覚的なもので、理論的に練られたものではなく、単に自分が女性であり、たくさんのことがうまく行っていないと気づいたということだけだった。そしてある日、ブリュッセルのトラムウエイの中で、ひとりの男を見て猛烈に腹が立ったの。それへの直対応として、わたしはあの歌詞を書いた。だからとても基本的なことだったの。ちょうどそのちょっと前にハッシュタグ#Balancetonporc (あなたの豚を告発せよ = 仏語圏の #MeToo 運動)が始まっていた。その当時はまだ多くの男たちが、女性たちの反抗について真剣に考えてなどいなかった。この歌の最初のヴァージョンでは “でも結局、何も変わらないのよね”と言っていたのよ。わたしの母と友だちの写真家のシャルロット・アブラモフの二人がわたしにそれを書き換えなさいと説得したの “この歌でメッセージを伝えるのよ、あきらめることなんか絶対見せちゃいけない”って。2年後、わたしはたしかに社会は動きつつあると感じている。」

(↓)2019年6月、ニース、マセナ広場「音楽の日」での "Balance Ton Quoi"

(テレラマ)”Balance Ton Quoi”のフェミニズムに続いて、あなたはホモフォビア(同性愛嫌悪)に反対する闘争の旗手になるつもりですか?
アンジェル「ホモセクシュアリティーとバイセクシュアリティーは、全くもってプライベートな行為であるにもかかわらず、今日もなお多くの場合で場合タブーであり、政治的な領域に属するものだけど、非常に広く拡散されている。わたしがその運動の旗手になることはかまわないけれど、わたしひとりでは何もできない。わたしはすべての女性たちの名においてものごとを言うことはできない。そして同性愛関係に生きるすべての人たちの名においても。わたしはわたしの感じたことを言うことはできるということだけ。わたしは明日このテーマをめぐるインタヴューがあれば絶対拒否するわ。それはホモフォビアを後退させることにならないばかりか、逆に、毎回そのことについてしゃべらなければならないはめになったら、それってほんとはないんじゃないの?って思われかねない。ゲイとかホモフォビアとかアンガージュマン(政治的意思表示)といった言葉は、すぐにあなたをそのケースの中に閉じ込めてしまって、あとでそこからなかなか出られないようになってしまう。わたしはそんなふうには定義されたくない。わたしは何よりもまずミュージシャンよ。」

(テレラマ)それはまさにあなたが自分が望むように自分を定義できる世代に属しているということでしょう?
アンジェル 「全面的にそうですよ。ジェンダーに関して今起こっていることを見るだけでわかるでしょう。多くの若者たちがそのことを考え直している。何年か前、わたしの母が読んでいた新聞上でその問題に関する記事があって、その時はわたしには全く理解できなかったわ!今やそのことにわたしは熱心な興味があって、日々あたらしい知識を得ていっている。これらすべての概念はしまいには非常に重要なものになる。これは環境問題についても同じことが言えるわね。それについて何年も何年も語られてたことは知っているけれど、大きな問題として認知されるようになったのはつい最近のこと。インターネットは人心を動かすことに貢献している。流行現象を作り出す効果も。人々は温暖化問題や女性の地位のためにデモ行進に参加し、その場で自分たちの写真を撮りあってSNS上に載せ、他の人たちも”わたしたちも行かなくちゃ”と思い始める、そしてすべての人たちがこれは自分に関係した問題なんだと感じるようになる… いいことじゃない!?」

(テレラマ)あなたの職業は、環境に対してするべき責任を怠っているところがありますね…
アンジェル 「そうなんですよ。これはわたしにとっても真剣な問題なのよ。わたしはほぼ毎回都市の外側にある巨大なホールでコンサートをするから、何千人もの人たちがわたしを見に車でやってくることになる。毎回のコンサートでどれほどの電力を消費するのかなって想像もできないわ。少なくともわたしはスタッフと一緒にバスで移動している。わたしたちはプラスチックのボトルを使うのをやめたけど、1年半前まではめちゃくちゃだった。だって各人が自分のボトルを開けて、半分ほど残ったものをあたりに放置して、他人のものと混同しないように、バイ菌に感染しないように、って新しいボトルを開けてたんだから。今はステージの横に水の樽、移動バスの中にもひとつ、それからみんなが食事するケータリングの部屋にもひとつ、そして全員がその樽から自分の水筒に水を補給するの。食べ物に関しては各人が食後ゴミをきちんと分別しているか注意するようにしている。でもそれが環境問題を解決することではないわね。ただ、わたしはそのためにコンサート活動をやめるつもりは全くないの。その点でわたしは優等生でないことは認めるわ。わたしの社会的責任は、まず第一に問題意識を持つことだと思うの。例えば、わたしの特権として、わたしがヴィデオクリップの中などで、きれいに化粧されてキラキラなわたしを見せることが、若い女の子たちにコンプレックスを抱かせる恐れがあるんじゃないか? しばらく前からわたしはそのことを自分に問いかけてる。」

(テレラマ誌2020年1月1日号)

(↓)2019年11月23日、パリ「女性への暴力撲滅」デモ行進でアンジェル "Balance Ton Quoi"が大合唱される図。


(↓)ヴィデオクリップ "Balance Ton Quoi"のメイキング・オブ。




2020年1月3日金曜日

地響きトーテム

Polifonic System "Totem Sismic"
ポリフォニック・システム『地響きトーテム』


・コール・デ・ラ・プラナ(Lo Cor De La Plana 以下 LCDLP)が結成されたのが2001年のこと。つまり今年で20年。マルセイユの青年美校(ボザール)生マニュ・テロンが旅に出て、イタリアとブルガリアの民謡ポリフォニー音楽を3年間研究した末に、オック語カルチャー(民衆詩、即興討論、フォークダンス...)と融合したオクシタニア/マルセイユの”騒々しい”ポリフォニー男声合唱を編み出したのだった。踊れるを通り越してトランス状態にまで至らせる騒々しい痙攣ポリフォニーは、私たちが2000年代に注目し始めたオクシタニア・ムーヴメントの諸バンド(ファビュルス・トロバドール、マッシリア・サウンド・システム、ラ・タルヴェーロ... )とは異質の、ともすればプリミティヴですらあるシャーマン的なパワーが特徴的だった。
 この20年の間、タンバリン+手拍子+男声ポリフォニーがベースのLCDLPの他に、マニュ・テロンは楽器プレイヤー、女声ヴォーカル、異種フォルクロールなどと交流するさまざまな別プロジェクトをやってきたが、その最新がこのポリフォニック・システム。アンジュ・B(ファビュルス・トロバドール、ヒューマンビートボックス)、アルルの笛吹アンリ・マケ(マルチ・インストルメンタリスト)、セヴェンヌ山中のシャブレット(カブレット=コルヌミューズ)奏者クレマン・ゴーチエ(こちらもマルチ・インストルメンタリスト)と組んだ四人組で、基本は四声(+ヒューマンビートボックス)のポリフォニー合唱、加えて種々さまざまなトラッド楽器、さらにキリシタン・バテレン・エレキの邪法(エレクトロニクス)という三段構えの構造。これまでもそういう試みはあったとは思うが、マニュ・テロン流儀では最も "サイバー・オクシタン"な、エレクトロ・ビート・ポリフォニー。"ダンス・フロアー”(!)という感じでノリがダフト・パンクに近い曲もある。
 ブックレットに歌詞のフランス語訳がないので、詳しいことはわからないが、"RSA(最低所得手当)のポルカ”など社会風刺ものもあって諧謔はいつものマニュ・テロン通り。いつもに増して、歌詞なんざあっちむけホイ、と言いたげな畳み掛けるビート・ポリフォニー(今回は+エレクトロ)で、トランスまでの時間が短いのでは? ただエレクトロの連中がいくらがんばったって、ヴォコーダーのポリフォニーでこれは絶対できっこないのですよ。
 近年はノドの病気などで、心配な状態がしばしばあったマニュ・テロン、元気でなにより。それからファビュルス・トロバドールのアンジュ・Bも存在感十分。早くパリ圏でコンサートやってください。

<<< トラックリスト >>>

1. VAUTRES QUE SIATZ A MARIDAR
2. A DE MATIN
3. RIGODONS UN PEU
4. MA'MI FAGUETZ PAS
5. POLKAMPLOA
6. QUAND IEU ME'N VAU
7. DIVERTIGEM
8. LA PASTORA
9. IEU SOI AMAT
10. MATIN S'EI LHEVAT
11. LA FILHA D'UN PAURE OME
12. LO CAT

Polifonic System "Totem Sismic"
Buda Musique CD 860329
フランスでのリリーズ:2019年12月


カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)"Rigodons un peu" オフィシャル・クリップ


(↓)コンパニー・デュ・ランパロ(マニュ・テロン事務所)によるバンド紹介ヴィデオ




2020年1月2日木曜日

爺ブログのレトロスペクティヴ2019

ノートル・ダム大聖堂が燃えた年だった。

ログ『カストール爺の生活と意見』が2019年に掲載した54件の記事から、ビュー数統計の上位10件を紹介する「レトロスペクティヴ2019」です。2019年の年間ビュー数は46000ほどで、2017-2018年のおおいに疑わしい連続10万越えの2年間から打って変わって、落ち着いたわがブログらしい数字でした。つまり、ちゃんと「人間」(ロボットビジターではなく)が読んでいる数字だと思います。2019年発表の記事で1000ビューを超えたものはありません。これがわがブログの実力だと思っています。
 音楽記事はかなり少なくなりました。音楽業界から身を引いて3年、2019年は音楽に関する雑誌記事依頼が1件だけでした。「音楽ライター」(笑)としてはもう過去の人です。私は音楽ではダウンロード/ストリーミングを一切しない、頑迷なフィジカル派ですが、2019年に購入したアルバム(CD/LP)はたったの48枚でした。これではもはや「音楽通」を名乗るわけにはいかないでしょう。最も聞いたアルバムはネクフー『レ・ゼトワール・ヴァガボンド』(とその続編『エクスパンシオン』)でした。これは娘の影響です。ベストアルバムはと聞かれたら、やはりフィリップ・カトリーヌ『コンフェッシオン』であると断言します。 
映画はかなりの本数を見たように思ってますが、残念なことに私にはこれという一本が出てこないです。小説はこのブログではなくラティーナ誌2019年11月号で紹介したアメリー・ノトンブの『渇き(Soif)』が最も印象に残っています。ノトンブを絶賛するようになるとは(!)、月日の流れだけでなく、私も変わってきたのでしょう。しかしゴンクール賞がノトンブには行かず、ジャン=ポール・デュボワ『すべての人間が同じように世界に生きているのではない』であったというのもとても納得できるのです(爺ブログ記事に書いてあります)。パトリック・モディアノの新作『不可視インク』も素晴らしかった。2019年はわが読書は近年になく充実していたと思います。
 さて、2020年、闘病生活4年目に入りました。仕事していた頃の対人ストレスがなくなったことがどれだけメンタルを楽にしているか、顔も言葉も良い方に変わってきてるんじゃないか、と自覚できるようになっています。身体は良い時もあれば良くない時もある、これは健康な人とて同じこと。時間がもっとゆっくりであってほしい。もっとゆっくり。人や世間の動きに追い越されるのはかまわないので。私もゆっくり行きますので、今年も爺ブログ、よろしくおつきあいください。

(番外)『2018年のアルバム その1 ぶろる (2018年11月17日掲載)
 2019年記事では1000ビューに達したものは一件もありません。しかして2019年に最も読まれた記事はこれで、今現在で1800ビューに至っています。現在24歳のベルギーの女性シンガー・ソングライター、アンジェルは、おそらく2019年最も輝いていた人のひとりですし、長〜い休息中のストロマエを凌駕する天晴れなベルジチュードでフェミニズムや新世代エコロジーを含蓄と諧謔のポップ・ミュージックで表現するスーパーアーチストになりました。11月23日、パリで10万人を動員した「女性への暴力撲滅」デモで、アンジェルの "Balance ton quoi"がスミレ色のプラカードを持って行進する何万という女性たちに唱和された時、この歌は全女性に共有されアンジェルは運動のシンボルになったのでした。この"器の違い”を知ろうとしないから、日本の業界はいつまでも「フレンチのキュートな新星」としか紹介できないのです。いつになったら(日本の)"フレンチ"は真剣な音楽として紹介されるようになるのでしょう?

1. 『必殺セロト人(2019年1月29日掲載)
 全国的な”黄色いチョッキ"運動の大高揚のさなかに発表されたミッシェル・ウーエルベックの小説『セロトニン』。日本語訳(詩人関口涼子訳)が驚異的な早さで2019年9月に刊行されたので、読んだ方も多いでしょう。ネット上での日本の評価の多くが「恋愛小説」寄りなんですね。この小説の主人公は恋愛のために死ぬのではなく、"悲しみ"のために死ぬのです。死に至る"悲しみ”は、ヨーロッパの死、文明の死、農業の死とシンクロしてやってくるのです。そこのところわかってやってください。挿入曲ディープ・パープル「チャイルド・イン・タイム」はそういう悲しみの音楽だったのですね、聴き直しましょう。そしてこの作家の"現世界"の読み方はいよいよ的を射抜いたものになっています。注目し続けましょう。

2. 『ボワット(ノワール)生きてんじゃ... (2019年5月14日掲載)
12月18日の伊藤詩織の民事裁判勝訴は、おそらく2019年で最もうれしかったニュースのひとつでしょう。2017年刊行の伊藤詩織著『ブラックボックス』のフランス語訳本『ラ・ボワット・ノワール(La Boîte Noire)』(2019年4月)を読んでの記事でした。その中でフランス人(およびすべての非日本語人)には理解不能な「準強姦」なる日本語について、その罪状を軽減するかのようなニュアンスに関して苦言を述べました。レイプに"準”などはないのです。2019年も女性たちの闘いに心動かされること多かったです。一番上のアンジェルの歌も含めて。

3. 『Happy End (2019年9月20日掲載)
ラシッド・タハ(1958-2018)の遺作アルバム『アフリカン(Je suis Africain)』の紹介記事でした。1987年に「アーノルド・キアリ病」と診断され、それ以来さまざまな障害と闘っていたが、このアルバムを作った頃はボールペンも持つことができず、相棒のトマ・フェテルマン(ラ・キャラヴァン・パス)が聞き取りでその作詞を書き取った、と。そういうよく知られていないことを、爺ブログは少しでも多くの人に知らせたい。そんな状態で、なんでこんなすごいアルバムができるのか、それがこの傷ついた天使の創造力でしょう。本当に悼ましい。合掌。

4. 『聖アニェスのために (2019年12月6日掲載)
 ラティーナ誌2020年1月号のアニェス・Bに関する記事のために、最新著『アニェス・Bとのそぞろ歩き(Je chemine avec Agnès B.』などから断片的に訳して、向風三郎のFBタイムラインに載せていたものをまとめた記事。ヴェルサイユのブルジョワ家庭に生まれ、父母との不和、叔父からの性的虐待から逃れるように17歳で結婚、19歳で双子の母、21歳で離婚... 33歳でレ・アールに"Agnès b."第一号店。その生き方、その服づくり、その社会的/政治的なポジションと行動、すべてに頭が下がるスーパー・アニェス。ファッショナブルな言語一切なしで彼女を知ることができた、自分でも今年一番の記事(ラティーナ連載「それでもセーヌは流れる」)だったと思っています。一度お会いしてみたいと切に願っています。

5. 『シュヴァルしい人生さ(2019年1月22日掲載)
 道に落ちている小石を拾い集めて建造した「理想宮」の作者、"配達夫シュヴァル"の生涯を描いた伝記映画『配達夫シュヴァルの信じがたい物語』(ニルス・タヴェルニエ監督、ジャック・ガンブラン主演)のとても短い紹介記事で、あまり好意的な評価はしていなかったのですが、なぜかビュー数が多く...。2019年8月、わが家族は南仏ヴァカンスの帰路途中で、「郵便配達夫シュヴァルの理想宮」のあるオートリーヴで一泊して、もうずいぶん前からの念願だった「理想宮」を訪れることができました。その夕刻に、愛犬ウィンキーが神隠し的に蒸発してしまうという事件がありましたが、そのことも爺ブログで記事(「ウィンキーの消えた12時間」)にしています。

6. 『アバターもえくぼ (2019年3月1日掲載)
 50歳の女性大学教授(演ジュリエット・ビノッシュ)が、ネット上で24歳にアバター変身することで起こる心理ミステリー・ドラマ、サフィー・ネブー監督映画『あなたがそう信じている女(Celle que vous croyez)』(2020年1月日本公開『私の知らないわたしの素顔』)の紹介記事。日本公開が決まってから急にビュー数が増えました。背景はネット的21世紀ですが、根底はダリダの「18歳の彼」のようなある種古典的な女性の"老い”への恐怖。強がりがどんどん削がれていくジュリエット・ビノッシュの迫真の演技と、イブラヒム・マールーフの音楽が印象的な作品。クリストフ・オノレの『212号室』と並んで、私にはちょっとにっこり2019年の「佳作」でした。


7. 『Carry that weight a long time(2019年4月5日掲載)
爺ブログでほぼ全作品紹介しているアキ・シマザキの最新作で、五連作サイクル《アザミの影( L'Ombre du chardon)》を閉じる小説『マイマイ』。この五連作は現代日本の家族、性、ビジネス、地方、貧富、外国人など様々なテーマがショーウィンドウのように"非日本人”にわかりやすいように展示されたような作品群でしたが、どれも深さがなく残念な思いで読み終えました。次の五連作は盛り返してください。次作はフランスでの刊行が2020年4月予定(ケベックでは2019年9月に発表済み)の『スズラン』という小説です。女性陶芸家(あれま!)が主人公です。また、必ず爺ブログで紹介します。



8. 『プリティー・シングスとサン・トロペ (2019年7月4日掲載)
ラティーナ誌2019年8月号に、サン・トロペの超セレクトなビーチ・クラブ「エピ・プラージュ」の栄枯盛衰記事を書いた時にぶつかった、「エピ・プラージュ」オーナーの”バカ息子”のロック・スターでっち上げのストーリー。コート・ダジュール金満接待と高純度ドラッグに拐かされて、その手助けをする英国サイケデリック・バンド、ザ・プリティー・シングス。その音楽よりも"バカ息子”のあの手この手の方がずっと面白い、虚飾のサン・トロペの光と影。2019年8月、私たち家族は夏ヴァカンスでサン・トロペ、パンプロンヌ・ビーチ「エピ・プラージュ」も見てきましたが、貧乏人には縁のない世界でして。

9. 『モン・デュー、モン・デュー... (2019年2月22日掲載)
世界のカトリック教会内で多数起こっている聖職者によるペドフィリア事件は、来日してにわかファンを増やしている法皇フランシコにはたいへんな頭痛の種でありましょう。フランソワ・オゾン監督(ほぼ)初の社会派映画は、80年代にリヨン司教区で多くの子供たち(百件を超える)を被害者にしたブレナ司祭による児童性虐待に関して、タブーを破って長い年月をかけて告発、裁判に訴えた人たちの闘いを描いたもの。争点はブレナ司祭を配下に置く教区責任者のバルバラン枢機卿が、信者たちの告発を無視してブレナを庇護していることであり、ひいてはそれを認めているバチカン法王庁の責任でもあります。ノートル・ダムはその天の怒りで燃えたのかもしれません。

10. 『ジェーンBと東日本大震災(2019年11月3日掲載)
ジェーン・バーキンの極私的日記の下巻『ポスト・スクリプトム(1982-2013)』の記事(ラティーナ2019年12月号)に関連して、ジェーンが2011年3月の東日本大震災の直後、いてもたってもいられなくなって日本に来て、ほぼ即興で被災者支援コンサートを開いていった経緯を記した部分を日本語訳した爺ブログ記事。日本との縁を大切にしている人であり、人道問題や社会的事件になると躊躇なく行動してしまう人。 2019年はジェーン・Bとアニェス・Bという二人の行動人Bにおおいに敬服し、教えられたものが多かったと思っています。トータル・リスペクト!