レ・ザンロキュプティーブル誌2020年年末Best Of 号(12月16日発行)で、今年最も注目された四人として選ばれ表紙になったのが、女優マリナ・フォイス、歌手/男優バンジャマン・ビオレー、歌手/マヌカンのルース&ザ・ヤクザ、そして編集者/著述家のヴァネッサ・スプリンゴラ。この年はまさにヴァネッサ・スプリンゴラの書『合意』に始まった。1月2日に発売されたこの本はたちまち大ベストセラーになり、同時にこの本が告発した作家ガブリエル・マツネフは30年後に未成年者に対する性犯罪で本格的に捜査されるようになった。私は1月にこの本とその事件に最大級の注目を寄せていたのだが、その1月後半に体調を崩し、2月4日から8日間ビセートル病院に入院した。(↓)に再録するラティーナ誌2020年3月号の記事は、全文病院で書いた。良い思い出である。これが2月前半で2020年全世界を大混乱させることになるコ禍はまだ"小波”だったが、あと1ヶ月ずれていたら、私の入院もどうなっていたかわからない。今さらながら2020年は誰にとっても尋常ならざる年であったし、その状況はまだまだ続くだろう。ヴァネッサ・スプリンゴラはその尋常ならざる事態の直前、#MeTooムーヴメントの盛り上がり、ヴィルジニー・デパント、アデル・エネル、レイラ・スリマニなどがマスクせずに大声でものを言えた時期の記憶と重なる。コ禍が表現者たちの活動を大幅に制限してしまったように、女性たちだけでなくあらゆるムーヴメントもマスク着用とソーシャルディスタンスを義務付けられたように勢いをくじかれてしまった。スプリンゴラの『合意』を年末にもう一度スポットライトをあてたレ・ザンロキュプティーブル誌は圧倒的に正しい。コ禍の影にこの書を風化させてはならない。
(2020年12月30日記す)
(2020年12月30日記す)
★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★
この記事は音楽誌ラティーナに連載されていた「それでもセーヌは流れる」(2008 - 2020)で2020年3月号に掲載されたものを、同誌の許可をいただき加筆修正再録したものです。
ヴァネッサ・スプリンゴラ『合意』が告発する文学という名の性犯罪
ヴァネッサ・スプリンゴラ『合意』が告発する文学という名の性犯罪
(In ラティーナ誌2020年3月号)
Vanessa Springora "Le Consentement"
ヴァネッサ・スプリンゴラ『合意』
(Grasset刊 2020年1月)
2020年年頭に吹き荒れるフランス文壇の嵐と言っていいだろう。1月2日に刊行されたヴァネッサ・スプリンゴラの初著『合意(Le Consentement)』は、著者が30数年前、14歳の時に関係を持った当時50歳だった有名作家ガブリエル・マツネフによるペドフィリア(小児性愛)犯罪を告発する200ページの手記で、発売週に書店売上ベストセラー1位になった。つまり、事件は1980年代に起こっていたのだが、少女ヴァネッサは当時告発できるなにものも持っておらず、さらにその時代は(たとえそれが”性的未成年相手の性関係”という法的に規定された犯罪であっても)圧倒的にマツネフに優位であった。ヴァネッサは少女期を破壊された被害者として、この犯罪を弾劾できる日が来ることをずっと待って、準備していたのである。
本題に入る前に、20世紀後半のあの頃のことを思い出していただきたい。生まれていない方も多いと思うが、私が若い日を過ごした60年代から70年代、世界のいたるところで文化を突き動かしていたのは、“性の解放”というテーマだった。旧世代に抑圧され、タブー視されていた性とその快楽を白日の下に晒し、性の悦びはすべての人のものである、と啓蒙すること、映画、文学、音楽などあらゆる芸術がその前衛となった。経口避妊薬の普及とベビーブーム世代による学生運動やヒッピームーヴメントなどがこの性解放の大きな拍車となるのであるが、芸術の役目は性表現に関するあらゆる検閲を打破することだった。映画は「18禁」こそが最も“進歩的”と見做された時期もあった。1976年大島渚『愛のコリーダ』はフランスが資金を出し、日本の旧時代的な性検閲を超越する審美映画として評価された。バーキン&ゲンズブール「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」(1969年)はローマ法王庁の禁令とほぼすべての国の放送禁止をものともせず、地球規模のメガヒットとなった。文学ではマルキ・ド・サドやレチフ・ド・ラ・ブルトンヌなどの「禁書」が、蒐集家向け地下出版から脱して、大出版社から”古典“として恭しく上梓され、普通の書店に並ぶようになった。また女性読者たちに評価された「エマニュエル」(エマニュエル・アルサン)、「O嬢の物語」(ポーリーヌ・レアージュ)といった小説が脚光を浴び、映画としても大ヒットした。
そういう性の解放気運を背景にガブリエル・マツネフ(←写真、1936年生)は70年代に文壇に現れ、自伝的フィクションと『黒の手帖』と題された日記連作を次々に刊行し、未成年(複数の少女と少年)との恋と性的体験を耽美的に表現した。“性的未成年(フランスでは15歳未満)”との性交渉は法律で禁じられているが、マツネフはこれらの性体験を誇示するかのような”文芸”を展開した。タイでの11歳の少年たちとの関係も臆面もなく披歴している。これを当時の文壇は”新世代の旗手“のような持ち上げ方をするのである。勢いに乗ったマツノフは1977年に性的未成年者との性交渉の禁止する法の撤廃を求める署名運動を起こし、その訴えに当時の錚々たる文化人たち(ジャン=ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、ジル・ドゥルーズ、ロラン・バルト、フィリップ・ソレルス... )が署名するのである。世の趨勢は”性の解放”ならばすべてを推進し、例外を設けなかった。こうしてマツネフは文化人たちに擁護されて、法律を超越して、少年少女小児性愛の実践者/作家として表通りを歩いていたのだ。
いくつかの名のある文学賞のみならず、1986年には在任中の大統領フランソワ・ミッテラン(写真→)から書面による公式な賛辞、1995年には芸術文化勲章も受けている。国からお墨付きをもらったマツネフは、警察の追求など全く恐れることなく、未来に名声を残すであろう芸術家として静かな余生を送っているはずであった。ヴァネッサ・スプリンゴラはそれが許せなかった。彼女の少女期を破壊した男、彼女ばかりではなく多くの少年少女たちを弄んだ男が、それを記述した”文学“で未来まで名を残し、その少年少女破壊が芸術の名のもとに正当化されることは絶対に許されてはならない。それはマツネフの作品中に現れる「可愛いV(petite V)」(すなわちヴァネッサ)が、その倒錯の性愛物語の中で「合意」のもとにマツネフへの性的従属に”幸福”を得ていた、と未来まで記録されることに等しい。マツネフの著作が版を重ね、全国の図書館に保管されることは、彼女が未来永劫この男に性的に弄ばれることなのだ。
かつての名声も2000年代にはだいぶ鎮まりメディアにもほとんど登場しなくなった頃、突如2013年に当時77歳のガブリエル・マツネフは、フランス二大文学賞のひとつルノードー賞(エッセイ部門)を受賞し、その生涯の文学的栄誉を確定的なものにする。ヴァネッサ・スプリンゴラはその日、この本を書き始めたのだ。
本書の作者スプリンゴラは1972年パリ生れで現在47歳、職業は大手出版社(ジュリアール)のディレクターである。この著『合意』は彼女の生れ育ちから詳しく記述されている。母親はパリの出版編集者で、文壇にも通じていて、頻繁に開かれるホームパーティーには作家や業界人がやってくる。職業不詳だが高収入の父親と母親は喧嘩が絶えず、ヴァネッサが幼少の頃に離婚。養育費を払わぬ父親のせいで母との二人暮らしは苦しかったが、個性が強く美貌の母は仕事と愛人たちとの時間を保ち続けた。五月革命闘士でフェミニストの先駆だった彼女は、フリーの出版業界人として自立し、性の自由の実践者でもあったが、子育てにはあまり目が届いていない。そしてその職業のおかげでアパルトマンは本に溢れていて、ヴァネッサは本に囲まれて育ち、自然と本の虫になり、遊びよりも読書を好む少女になっていく。
父親の不在も大きく影響する。幼くして別離したその男は美男で粗暴で金持ちというイメージしかない。会うことのほとんどなくなったこの良く知らない男のことが、ヴァネッサの中で父親願望と男性願望となっていく。そしてむさぼるように本を読む少女はその早熟さゆえに性的好奇心も旺盛だった。同い年のやせっぽちの少年を相手に未熟な肉体散歩遊戯にふけるのだが、その先の満足には至ることがない。
そんな少女が14歳になろうとした時、すべての条件(早熟な文学少女、父親欠乏、性への興味、進歩的な母親...)が整うのを待ち透かしたように50歳の男は現れる。母親が招待された文壇筋の夕食会に着いていったヴァネッサは、食事の間じゅう向いに座った男の熱い誘惑の視線を浴びる。高名な作家と紹介されたその男G(本著中ガブリエル・マツネフは”G”とイニシャルだけで記される)は、そのエスプリあふれる弁舌で会食者たちの注目を一身に集めている。そのエレガントさに魅了されながらも、その刺すような視線が私のような小娘に向けられるわけがない、と思った。母親とGは既に知り合いで、会がはねて帰宅の段になって、近所なので母親が一緒に車で送っていくことになった。後部座席で体が密着してしまうヴァネッサとG。
次いでGは炎のような恋文をヴァネッサに書き送る。耽美系で知られる作家の恋文がどれほどの威力があるものだろうか。Gは返事をくれぬ彼女に、立て続けに何通も書き送る。日に2、3通書くこともあった。ヴァネッサは折れて(完璧に魅了されて)逢瀬にOKの返事を送る。
ヴァネッサは恋に落ち、それだけでなくこれは一生で唯一の美しい恋だと確信してしまう。実の父よりもずっと年上の男、美しい言葉を操り世界の知に通じる文人、性の快楽の指南役、その男は私のことを人生最良の恋人だと言い過去の愛人たちをすべて捨て去ると誓った。この性快楽の飽くなき探究者による少女ヴァネッサへの”導き“は甘美な発見の連続であった。14歳の少女は同世代が絶対に知ることができない幸福の中にいると思っていた。これが「合意」であった。私は自ら望んでここまで来た、と。
以来 Gは人目を忍んでサングラスをかけ、放課後の中学校校門で少女を待ち受け、二人は作家のアパルトマンやホテルで秘密の午後を過ごすようになった。この交際をヴァネッサが母親に告白したのはしばらく後のことだった。母親は出版界の人間だから、Gがスキャンダラスな性向(ペドフィル)で知られた作家であることを知っている。ところが彼女の”68年的“進歩性は、この禁じられた関係をあっさり認めてしまうのである。つまり同時代の文化人たちと同じように、これも”性の解放”のひとつと受け入れたのだ。このことをヴァネッサは後年になって「母親は私を守ってくれなかった」ときびしく責めている。それに対して母親は「おまえが彼と寝たのに、それを私が謝らなければならないの?」(p156)と答えている。そういう母親なのだ。
月日は経ち、少女もGのスキャンダラスな少年少女小児性愛の著作を読むにつけ、また同じ歳頃の”元“愛人たちとGがまだつながっていることを知るにつけ、大きな不安が生じてくる。Gは嘘をつく。ヴァネッサはそれが病的で依存症的であり、Gは相手が15歳未満の少年少女でなければ満足できない、しかも複数/多数により大きな満足を求めてしまう抑えがたい性衝動であることを見破る。そのために彼はどうしても定期的にフィリピンへ(少年買いに)旅行しなければならない。これはGが隠していることではなく、堂々とその著作で包み隠さず書いている。私はその多くの獲物の一人にすぎず、その上Gはそれを美化した文学作品にして、哀れな”題材”として私を作品の中に固定化してしまう。
少女はこの罠から逃げたくて、以前Gの友人として紹介された20世紀厭世哲学の極北エミール・シオラン(←写真、1911-1995)に相談に行く、という興味深いパッセージがある。少女の悩みを聞いたシオランは、Gは偉大な芸術家であり、きみはその天才に選ばれた者なのだから、Gに従順であり献身の愛を捧げなさい、と説く。
15歳になったヴァネッサは、フィリピンへ”取材“旅行で不在のGに置き手紙を残し、決別する。それから1年にわたってGはあらゆる手段を使って執拗に復縁を迫ってくる。少女は1年余りのGとの関係の間に急激に変わってしまった(変えられてしまった)自分の肉体、壊れてしまった精神平衡に直面する。もはや”普通の”15歳には戻れない。リセのクラスではGとの醜聞が知れ渡っていて居場所を失い、ヴァネッサは通信教育でバカロレア受験を準備せざるをえなくなる。また道で見知らぬ男から、Gとの関係を知っていると話しかけられ、あらゆる種類の猥褻語で嘲られることもある。精神療法士の助けを借りて、必死に彼女が”普通の”社会に再浮上しようと努力している間にも、Gはヴァネッサとの離別後10年間にわたって「可愛いV(petite V)」をヒロインとする連作小説を発表し続けた。このことでヴァネッサの傷は癒えるどころかますます浸食の度を深めていくのだった。
ヴァネッサの思念はGへの復讐さらには殺意のレベルまで昂ることもあった。しかし、時代の空気と文壇さらに政治権力(ミッテラン)までGは味方につけていて、ヴァネッサの勝ち目など限りなくゼロに近かった。あきらめないヴァネッサの臥薪嘗胆の日々は30年も続くことになる。
幸いにして風向きは変わって、ペドフィリアや未成年への性犯罪を許すことなど考えられない時代に入った。そして女性に対する性犯罪に対して、もはや女性たちは泣き寝入りをしない。女性たちは勇気を持って声を上げ始め、この性差別社会を変えようとしている。しかしこのヴァネッサ・スプリンゴラの初の著作は、この流れに乗じて書かれたものではない。米映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインによる女優たちへの性暴力が告発され、それに呼応して世界中の女性たちが起こした “#Me Too”ムーヴメントが始まったのは2017年のこと。それに対して前述したようにスプリンゴラがこれを書き始めたのは、マツネフがルノードー賞を獲得した2013年だった。6年間練り上げて発表されたこの本は、間違いなくこの”#MeToo”等による女性たちの意識の変化に大きく支えられることになる。世の趨勢は今やヴァネッサに力強く味方している。
1月2日の『合意』出版に前後して、さまざまなことが起こっている。やっと、今になってやっと、仏検察がガブリエル・マツネフの一連の性的未成年との性関係事件について取り調べを開始した。マツネフは1月末のニュース報道によるとイタリアの某海浜地方のホテルに身を隠している。そして、ガリマール書店を筆頭に、マツネフの著作を出版している全出版社がその全著作を絶版にし、市場から引き揚げた。
さらに、70-80年代に多くの文化人たちの署名を掲げてマツネフの”未成年性交渉の解放“キャンペーンを掲載したル・モンド紙、リベラシオン紙(→ 2019年12月、同紙の過去のマツネフ擁護について批判謝罪する第一面)、ル・ポワン誌などが、その誤りを認め自己批判し謝罪した。またそれに賛同支持していた当時の文化人たちの一部もしかり。現在83歳の老作家はもう誰からの擁護支援も望めなくなっている。
マツネフの態度は変わらない。これは芸術(文学)であり、その美の探究のためには何ものも禁止されるべきではない。自分は美しい作品を綴ってきたし、あらゆる少年少女小児との性体験がそれを支えてきた。彼は胸を張ってそう主張し続けている。
芸術の名においてすべては許されるか?その名において性犯罪は放免されるか?答えはノンである。スプリンゴラの勇気ある1冊の本は20世紀後半の性解放と芸術の関係を再考させ、誤謬を質すことになろう。#MeTooの告発は映画に始まり、ショービジネス、メディア、スポーツの分野まで広がり、今、文学にたどりついた。
マツネフがそのすべての”恋物語“の正当性の根拠にしようとしているのが、未成年パートナーとの「合意」である。スプリンゴラの本の中で、少女は恋に落ちすべてに合意するのだが、それが少女の人生を無残に破壊し尽くすことを許す根拠になどなりうるはずがあろうか。この『合意』という本の力強さは、「合意」論の欺瞞を打ち破る。マツネフの被害者は多数おり、この本をきっかけに別の告発も出てくるはずだし、他の”文学”による性犯罪被害者たちもしかり。一冊の本が文化の風向きを一変してしまうこともある。芸術文化勲章に輝いたこの作家は未来に汚名のみを残すことになる。
(2020年2月 向風三郎)
★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★
(↓)2020年12月レ・ザンロキュプティーブル誌のインタヴューで2020年を総括するヴァネッサ・スプリンゴラ
Vanessa Springora "Le Consentement"
ヴァネッサ・スプリンゴラ『合意』
(Grasset刊 2020年1月)
2020年年頭に吹き荒れるフランス文壇の嵐と言っていいだろう。1月2日に刊行されたヴァネッサ・スプリンゴラの初著『合意(Le Consentement)』は、著者が30数年前、14歳の時に関係を持った当時50歳だった有名作家ガブリエル・マツネフによるペドフィリア(小児性愛)犯罪を告発する200ページの手記で、発売週に書店売上ベストセラー1位になった。つまり、事件は1980年代に起こっていたのだが、少女ヴァネッサは当時告発できるなにものも持っておらず、さらにその時代は(たとえそれが”性的未成年相手の性関係”という法的に規定された犯罪であっても)圧倒的にマツネフに優位であった。ヴァネッサは少女期を破壊された被害者として、この犯罪を弾劾できる日が来ることをずっと待って、準備していたのである。
本題に入る前に、20世紀後半のあの頃のことを思い出していただきたい。生まれていない方も多いと思うが、私が若い日を過ごした60年代から70年代、世界のいたるところで文化を突き動かしていたのは、“性の解放”というテーマだった。旧世代に抑圧され、タブー視されていた性とその快楽を白日の下に晒し、性の悦びはすべての人のものである、と啓蒙すること、映画、文学、音楽などあらゆる芸術がその前衛となった。経口避妊薬の普及とベビーブーム世代による学生運動やヒッピームーヴメントなどがこの性解放の大きな拍車となるのであるが、芸術の役目は性表現に関するあらゆる検閲を打破することだった。映画は「18禁」こそが最も“進歩的”と見做された時期もあった。1976年大島渚『愛のコリーダ』はフランスが資金を出し、日本の旧時代的な性検閲を超越する審美映画として評価された。バーキン&ゲンズブール「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」(1969年)はローマ法王庁の禁令とほぼすべての国の放送禁止をものともせず、地球規模のメガヒットとなった。文学ではマルキ・ド・サドやレチフ・ド・ラ・ブルトンヌなどの「禁書」が、蒐集家向け地下出版から脱して、大出版社から”古典“として恭しく上梓され、普通の書店に並ぶようになった。また女性読者たちに評価された「エマニュエル」(エマニュエル・アルサン)、「O嬢の物語」(ポーリーヌ・レアージュ)といった小説が脚光を浴び、映画としても大ヒットした。
そういう性の解放気運を背景にガブリエル・マツネフ(←写真、1936年生)は70年代に文壇に現れ、自伝的フィクションと『黒の手帖』と題された日記連作を次々に刊行し、未成年(複数の少女と少年)との恋と性的体験を耽美的に表現した。“性的未成年(フランスでは15歳未満)”との性交渉は法律で禁じられているが、マツネフはこれらの性体験を誇示するかのような”文芸”を展開した。タイでの11歳の少年たちとの関係も臆面もなく披歴している。これを当時の文壇は”新世代の旗手“のような持ち上げ方をするのである。勢いに乗ったマツノフは1977年に性的未成年者との性交渉の禁止する法の撤廃を求める署名運動を起こし、その訴えに当時の錚々たる文化人たち(ジャン=ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、ジル・ドゥルーズ、ロラン・バルト、フィリップ・ソレルス... )が署名するのである。世の趨勢は”性の解放”ならばすべてを推進し、例外を設けなかった。こうしてマツネフは文化人たちに擁護されて、法律を超越して、少年少女小児性愛の実践者/作家として表通りを歩いていたのだ。
いくつかの名のある文学賞のみならず、1986年には在任中の大統領フランソワ・ミッテラン(写真→)から書面による公式な賛辞、1995年には芸術文化勲章も受けている。国からお墨付きをもらったマツネフは、警察の追求など全く恐れることなく、未来に名声を残すであろう芸術家として静かな余生を送っているはずであった。ヴァネッサ・スプリンゴラはそれが許せなかった。彼女の少女期を破壊した男、彼女ばかりではなく多くの少年少女たちを弄んだ男が、それを記述した”文学“で未来まで名を残し、その少年少女破壊が芸術の名のもとに正当化されることは絶対に許されてはならない。それはマツネフの作品中に現れる「可愛いV(petite V)」(すなわちヴァネッサ)が、その倒錯の性愛物語の中で「合意」のもとにマツネフへの性的従属に”幸福”を得ていた、と未来まで記録されることに等しい。マツネフの著作が版を重ね、全国の図書館に保管されることは、彼女が未来永劫この男に性的に弄ばれることなのだ。
かつての名声も2000年代にはだいぶ鎮まりメディアにもほとんど登場しなくなった頃、突如2013年に当時77歳のガブリエル・マツネフは、フランス二大文学賞のひとつルノードー賞(エッセイ部門)を受賞し、その生涯の文学的栄誉を確定的なものにする。ヴァネッサ・スプリンゴラはその日、この本を書き始めたのだ。
本書の作者スプリンゴラは1972年パリ生れで現在47歳、職業は大手出版社(ジュリアール)のディレクターである。この著『合意』は彼女の生れ育ちから詳しく記述されている。母親はパリの出版編集者で、文壇にも通じていて、頻繁に開かれるホームパーティーには作家や業界人がやってくる。職業不詳だが高収入の父親と母親は喧嘩が絶えず、ヴァネッサが幼少の頃に離婚。養育費を払わぬ父親のせいで母との二人暮らしは苦しかったが、個性が強く美貌の母は仕事と愛人たちとの時間を保ち続けた。五月革命闘士でフェミニストの先駆だった彼女は、フリーの出版業界人として自立し、性の自由の実践者でもあったが、子育てにはあまり目が届いていない。そしてその職業のおかげでアパルトマンは本に溢れていて、ヴァネッサは本に囲まれて育ち、自然と本の虫になり、遊びよりも読書を好む少女になっていく。
父親の不在も大きく影響する。幼くして別離したその男は美男で粗暴で金持ちというイメージしかない。会うことのほとんどなくなったこの良く知らない男のことが、ヴァネッサの中で父親願望と男性願望となっていく。そしてむさぼるように本を読む少女はその早熟さゆえに性的好奇心も旺盛だった。同い年のやせっぽちの少年を相手に未熟な肉体散歩遊戯にふけるのだが、その先の満足には至ることがない。
そんな少女が14歳になろうとした時、すべての条件(早熟な文学少女、父親欠乏、性への興味、進歩的な母親...)が整うのを待ち透かしたように50歳の男は現れる。母親が招待された文壇筋の夕食会に着いていったヴァネッサは、食事の間じゅう向いに座った男の熱い誘惑の視線を浴びる。高名な作家と紹介されたその男G(本著中ガブリエル・マツネフは”G”とイニシャルだけで記される)は、そのエスプリあふれる弁舌で会食者たちの注目を一身に集めている。そのエレガントさに魅了されながらも、その刺すような視線が私のような小娘に向けられるわけがない、と思った。母親とGは既に知り合いで、会がはねて帰宅の段になって、近所なので母親が一緒に車で送っていくことになった。後部座席で体が密着してしまうヴァネッサとG。
次いでGは炎のような恋文をヴァネッサに書き送る。耽美系で知られる作家の恋文がどれほどの威力があるものだろうか。Gは返事をくれぬ彼女に、立て続けに何通も書き送る。日に2、3通書くこともあった。ヴァネッサは折れて(完璧に魅了されて)逢瀬にOKの返事を送る。
ヴァネッサは恋に落ち、それだけでなくこれは一生で唯一の美しい恋だと確信してしまう。実の父よりもずっと年上の男、美しい言葉を操り世界の知に通じる文人、性の快楽の指南役、その男は私のことを人生最良の恋人だと言い過去の愛人たちをすべて捨て去ると誓った。この性快楽の飽くなき探究者による少女ヴァネッサへの”導き“は甘美な発見の連続であった。14歳の少女は同世代が絶対に知ることができない幸福の中にいると思っていた。これが「合意」であった。私は自ら望んでここまで来た、と。
以来 Gは人目を忍んでサングラスをかけ、放課後の中学校校門で少女を待ち受け、二人は作家のアパルトマンやホテルで秘密の午後を過ごすようになった。この交際をヴァネッサが母親に告白したのはしばらく後のことだった。母親は出版界の人間だから、Gがスキャンダラスな性向(ペドフィル)で知られた作家であることを知っている。ところが彼女の”68年的“進歩性は、この禁じられた関係をあっさり認めてしまうのである。つまり同時代の文化人たちと同じように、これも”性の解放”のひとつと受け入れたのだ。このことをヴァネッサは後年になって「母親は私を守ってくれなかった」ときびしく責めている。それに対して母親は「おまえが彼と寝たのに、それを私が謝らなければならないの?」(p156)と答えている。そういう母親なのだ。
月日は経ち、少女もGのスキャンダラスな少年少女小児性愛の著作を読むにつけ、また同じ歳頃の”元“愛人たちとGがまだつながっていることを知るにつけ、大きな不安が生じてくる。Gは嘘をつく。ヴァネッサはそれが病的で依存症的であり、Gは相手が15歳未満の少年少女でなければ満足できない、しかも複数/多数により大きな満足を求めてしまう抑えがたい性衝動であることを見破る。そのために彼はどうしても定期的にフィリピンへ(少年買いに)旅行しなければならない。これはGが隠していることではなく、堂々とその著作で包み隠さず書いている。私はその多くの獲物の一人にすぎず、その上Gはそれを美化した文学作品にして、哀れな”題材”として私を作品の中に固定化してしまう。
少女はこの罠から逃げたくて、以前Gの友人として紹介された20世紀厭世哲学の極北エミール・シオラン(←写真、1911-1995)に相談に行く、という興味深いパッセージがある。少女の悩みを聞いたシオランは、Gは偉大な芸術家であり、きみはその天才に選ばれた者なのだから、Gに従順であり献身の愛を捧げなさい、と説く。
ー でもエミール、彼は四六時中私に嘘をついているのですよ。
ー 嘘こそが文学なのだよ! きみはそれを知らなかったのか?
(『合意』p142)
15歳になったヴァネッサは、フィリピンへ”取材“旅行で不在のGに置き手紙を残し、決別する。それから1年にわたってGはあらゆる手段を使って執拗に復縁を迫ってくる。少女は1年余りのGとの関係の間に急激に変わってしまった(変えられてしまった)自分の肉体、壊れてしまった精神平衡に直面する。もはや”普通の”15歳には戻れない。リセのクラスではGとの醜聞が知れ渡っていて居場所を失い、ヴァネッサは通信教育でバカロレア受験を準備せざるをえなくなる。また道で見知らぬ男から、Gとの関係を知っていると話しかけられ、あらゆる種類の猥褻語で嘲られることもある。精神療法士の助けを借りて、必死に彼女が”普通の”社会に再浮上しようと努力している間にも、Gはヴァネッサとの離別後10年間にわたって「可愛いV(petite V)」をヒロインとする連作小説を発表し続けた。このことでヴァネッサの傷は癒えるどころかますます浸食の度を深めていくのだった。
ヴァネッサの思念はGへの復讐さらには殺意のレベルまで昂ることもあった。しかし、時代の空気と文壇さらに政治権力(ミッテラン)までGは味方につけていて、ヴァネッサの勝ち目など限りなくゼロに近かった。あきらめないヴァネッサの臥薪嘗胆の日々は30年も続くことになる。
幸いにして風向きは変わって、ペドフィリアや未成年への性犯罪を許すことなど考えられない時代に入った。そして女性に対する性犯罪に対して、もはや女性たちは泣き寝入りをしない。女性たちは勇気を持って声を上げ始め、この性差別社会を変えようとしている。しかしこのヴァネッサ・スプリンゴラの初の著作は、この流れに乗じて書かれたものではない。米映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインによる女優たちへの性暴力が告発され、それに呼応して世界中の女性たちが起こした “#Me Too”ムーヴメントが始まったのは2017年のこと。それに対して前述したようにスプリンゴラがこれを書き始めたのは、マツネフがルノードー賞を獲得した2013年だった。6年間練り上げて発表されたこの本は、間違いなくこの”#MeToo”等による女性たちの意識の変化に大きく支えられることになる。世の趨勢は今やヴァネッサに力強く味方している。
1月2日の『合意』出版に前後して、さまざまなことが起こっている。やっと、今になってやっと、仏検察がガブリエル・マツネフの一連の性的未成年との性関係事件について取り調べを開始した。マツネフは1月末のニュース報道によるとイタリアの某海浜地方のホテルに身を隠している。そして、ガリマール書店を筆頭に、マツネフの著作を出版している全出版社がその全著作を絶版にし、市場から引き揚げた。
さらに、70-80年代に多くの文化人たちの署名を掲げてマツネフの”未成年性交渉の解放“キャンペーンを掲載したル・モンド紙、リベラシオン紙(→ 2019年12月、同紙の過去のマツネフ擁護について批判謝罪する第一面)、ル・ポワン誌などが、その誤りを認め自己批判し謝罪した。またそれに賛同支持していた当時の文化人たちの一部もしかり。現在83歳の老作家はもう誰からの擁護支援も望めなくなっている。
マツネフの態度は変わらない。これは芸術(文学)であり、その美の探究のためには何ものも禁止されるべきではない。自分は美しい作品を綴ってきたし、あらゆる少年少女小児との性体験がそれを支えてきた。彼は胸を張ってそう主張し続けている。
芸術の名においてすべては許されるか?その名において性犯罪は放免されるか?答えはノンである。スプリンゴラの勇気ある1冊の本は20世紀後半の性解放と芸術の関係を再考させ、誤謬を質すことになろう。#MeTooの告発は映画に始まり、ショービジネス、メディア、スポーツの分野まで広がり、今、文学にたどりついた。
マツネフがそのすべての”恋物語“の正当性の根拠にしようとしているのが、未成年パートナーとの「合意」である。スプリンゴラの本の中で、少女は恋に落ちすべてに合意するのだが、それが少女の人生を無残に破壊し尽くすことを許す根拠になどなりうるはずがあろうか。この『合意』という本の力強さは、「合意」論の欺瞞を打ち破る。マツネフの被害者は多数おり、この本をきっかけに別の告発も出てくるはずだし、他の”文学”による性犯罪被害者たちもしかり。一冊の本が文化の風向きを一変してしまうこともある。芸術文化勲章に輝いたこの作家は未来に汚名のみを残すことになる。
(2020年2月 向風三郎)
★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★
(↓)2020年12月レ・ザンロキュプティーブル誌のインタヴューで2020年を総括するヴァネッサ・スプリンゴラ
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