2020年12月24日木曜日

からめ手ジェーン

Jane Birkin "Oh! pardon, tu dormais"
ジェーン・バーキン『アラ寝てたのね』

2018年と2019年に出版されたジェーンBの極私的な日記2冊("Munkey Diaries"と"Post Scriptum")によって、私のこの人物に対する見方はずいぶん変わった。日記を(自らフランス語化するという1プロセスが介在していても)修正せずにそのまま世間に提出するということは、”露出”である。日記であるから良いことよりもフラストレーションぶちまけの方がずっと多い。泣き喚きが聞こえてきそうな箇所も少なくない。この人はかなり無理をしてきたし、その無理が通らないことも多かった。
 家柄もよく教養もある英国娘が、フランスの芸能界でうすっぺらいシクスティーズ・ベビー・ドールを演じさせられていた。それからの脱皮はゲンズブールとの別離が引き金となるのだが、具体的にそれは作家主義の映画(ドワイヨン、ゴダール、リヴェット...)に出たり、パトリス・シェローの舞台に立ったり、人道的/社会的市民運動家として発言/行動したり、というカタチになる。「脱ゲンズブール化」それはあの当時の感覚では"軟派”から”硬派”に転身することだった。え?と思われようが、ゲンズブール(1928 - 1991)が"硬派”で不世出の天才芸術家として評価を確立していくのは死後のことであり、21世紀に入ってからと言っていい。この天才が理解されるには相当な時間がかかった。生前は(一般市民的視線からは)スキャンダル好きな超”軟派”な芸能人に見られていたと思う。ジャーン・バーキンはその悲しき玩具であった。だから1980年「ガンズバール」化し俗悪度(+暴力度)をエスカレートさせた男の家(ヴェルヌイユ通りゲンズブール邸)から蒸発した。
 ”芸能人”から人間へ、アーチストへ、クリエイターへと変身していく過程での、大きな一歩のひとつが1992年のバーキン初監督映画"Oh! pardon tu dormais (ごめんなさい、眠っていたのね)”(脚本監督ジェーンB、主演クリスティーヌ・ボワソン&ジャック・ペラン)であったが、おそらくこの映画はほとんど誰も見ていない。見ていないのでいいかげんなことは言えないが、平たく言えば愛し合っていた関係が崩壊するまでの男女対話劇のようだ。これは1999年にジェーンBによって戯曲化され、ジェーン自身が主役となって舞台に立った。この劇に深く感銘を受けたエチエンヌ・ダオが上演後の楽屋を訪ねる。この時からバーキン+ダオのこのアルバム"Oh! pardon tu dormais...”のプロジェクトは始まっているから、20年越しの準備期間ということになる。ここから始めよう、とエチエンヌ・ダオは考えた。ゲンズブールのミューズではないジェーンBは既に彼女自身の語る"フランス語"にあった。不安とストレスとフラストレーションで愛情関係を失う女。その”フランス語の”モノローグはすでに”歌”のようであったとダオは言う。蔑みのニュアンスなど微塵もないことだが、ダオ(そして多くのフランス人)にとってバーキンのフランス語はちょっと変わっている。ゲンズブールもそうだったが彼女に深く関わった人たちは「それは直さない方がいい」と言ってきた。バーキン印のフランス語である。訛りのことではない(と言いながら訛りは重要なファクターであるよね)。バーキン独特のパリゴー(パリ下町表現)と英語直訳のボキャブラリーと彼女自身のフィーリング新語のミクスチャーである。このことは上述の彼女の2巻の日記集でも明らかで、彼女自身が原文(英語)をフランス語翻訳したその文章はバーキン語になることがままあり、よりストレートに伝わってくる。 
 その日記とこのアルバム"Oh! pardon, tu dormais..."に関する最近のプロモーションのインタヴューでわかったことは、この『ごめんなさい、眠っていたの』は最初の夫ジョン・バリー(1933 - 2011)との関係に多くインスパイアされているということ。13歳年上で007シリーズの映画音楽で既に著名作曲家であったバリーに嫁いだ時、ジェーンは19歳だった。日記では不在がちでたまに自宅に帰ってきても疲労困憊して寝てばかりというバリーに、泣いてばかりいる在宅"若妻”である。顔を合わせると今日何をしていたか、どんな人と会ったか、一緒に外出できないか、まだ私を愛しているか、と質問責めにする。日記というのはそういうものかもしれないが、性的フラストレーションは正直に綴られているし、愛の渇きは痛ましいほどだ。この疲れて眠りこけている男に絶望的に愛の言葉を語りかけるのが、この映画/戯曲の主題であった。(↓)2020年版 "Oh! Pardon tu dormais..." (「男」の声はエチエンヌ・ダオ)
ごめんなさい、眠っていたのね... (男「見たらわかるだろ、もう眠っていないよ」)
最高のタイミングよ、私のこと愛してるって言うには
もしまだあなたが私を愛してるんだったら...
ごめんなさい、眠っていたのね... (男「ああ、きみに起こされてしまった」)
あなたの片手の一振りで、そうさせないことだってできたのに
あなたが「ここにいて、僕がきみを大事にする」って言ってたら
私だってこんなことしなくてすんだのよ
ごめんなさい、眠っていたのね... (男「きみは苛立っているね」)
私はあなたを強く愛しすぎているから
夜あなたが帰ってくると爆発しそうになるのよ、しょっちゅう
ごめんなさい、眠っていたのね... ごめんなさい、今夜は眠っていたのね
ごめんなさい、眠っていたのね... (男「こうなったら喧嘩になるよ」)
この頃観た映画の中ではみんな、私みたいな女があなたに向かって駆けていくの
そしてあなたの首に抱きついて... でも私は固まってしまうの
あなたにはわかるわよね
ごめんなさい、眠っていたのね... (男「いいかげんにしろよ」)
でもどこへ行ってしまったのかしら、私の中でキラキラしていたものは?
私は考えられなくなるほどのパッションが欲しかった
明晰でいられなくなるようなパッションが
ごめんなさい、眠っていたのね... (男「もうおしまいだと思うよ」)
私があなたに怒った顔をするのは、あなたは帰ってきても
ボンソワールの一言も私に言わないから
犬にだって何らかのあいさつはするものよ
ごめんなさい、眠っていたのね... ごめんなさい、今夜は眠っていたのね
私はあなたのベッドの足元で眠りたいわ
私は犬よ
ごめんなさい、ごめんなさい、今夜は眠っていたのね
(詞:ジェーン・バーキン/曲:ジャン=ルイ・ピエロ&エチエンヌ・ダオ)

 元が映画/戯曲なので、劇的な表現がまさった歌であるが、エチエンヌ・ダオはこれを出発点として「ミュージカル・コメディー」(音楽劇)のようなアルバムを作りたいと構想していた。20年間の準備中にいろいろ変遷はあっただろうが、そのコメディー的な輪郭は残っていて、エチエンヌ・ダオとの短いダイアローグ劇でこんなトラックがある。
"F.R.U.I.T"(テクスト:ジェーン・バーキン)
男「セックスって言ってごらん」
女「言えないわ」
男「あたしのセックスって言ってごらん」
女「やめてよ、言えるわけないじゃない、大っ嫌い!」
男「どうして?」
女「こんな言葉嫌いなの。拷問されたって言わないわ」
男「セックス以外で嫌いな言葉って?」
女「フ・ル・ー・ツ」
男「ええ? フルーツって言えないの?」
女「言えないわ」
男「じゃバナナは?桃は?」
女「問題ないわよ」
男「アプリコットは?」
女「たぶん大丈夫...」
男「じゃ英語では?」
女「いやよ、もっと悪いんだもの!」
男「トラック運転手のこと考えてるの?」
女「もうヒッチハイクするのなんてうんざり」

これは本当にジェーンBが人前で言えない恥ずかしい言葉なのだそうだ。誰でも言える「フルーツ」という言葉が恥ずかしくて発語できない。これはかの日記本の延長で、かなり極私的なジェーンBの核の部分を露出するものかもしれない。核心露出を象徴するような歌が、ジェーンの長女ケイト・バリー(1967 - 2013)の死について歌った「シガレット(Cigarettes)」である。2013年12月11日、ケイトパリ16区の自宅アパルトマン(4階)の窓から転落して命を落としたことのショックで、ジェーンBの日記は二度と書けなくなっている。
私の娘は宙に身を放り、地面の上で見つかった
本当にあの娘はタバコの煙を外に出すために
窓を開けたの?
見ていたのは2匹の猫、1匹の犬、1羽のオウム
謎、これはひょっとして本当に馬鹿げた事故なの?
誰にわかるの?
イスタンブールの蜜、アイルランドのクローバー、日本のお守り
束ねられた春の花々は
おまえの灰色の髪の飾りそれらすべてが最愛のおまえの青白く、傷ついた顔に張り付いている
法医学検死科の途方もない空虚
死者たちに混じって土台の上に置かれた祝別された子供
私の愛娘は宙に身を投げ、石畳の上で見つかった
本当にあの娘はタバコの煙を外に出すだけのために
窓を開けたの?
誰にも見られず、手の中にはライターが握られていた
謎、これはひょっとして本当に馬鹿げた事故なの?
誰にわかるの?
(詞:ジェーン・バーキン&エチエンヌ・ダオ/曲:ジャン=ルイ・ピエロ)

事故死とも自殺とも言われているケイト(享年46歳)の転落の謎は、ジェーンは永遠に問い続けるだろうし、悲しみは "Qui sais ?"誰にもわからない。さて曲を聞いてすぐに気づくのは、イントロやオーケストレーション(楽器構成)が、ジョン・バリー作曲の英国連続テレビドラマ「ダンディ2華麗な冒険」(原題"The Persuaders!")のテーマを想起させるということ。作曲者ジャン=ルイ・ピエロとエチエンヌ・ダオが意図的にこの映画音楽の巨匠でありケイトの父親であるジョン・バリーに敬意を表したのである。このアルバムはこの他にもジョン・バリー風(一連の007もの、真夜中のカウボーイ、冬のライオン、アウト・オブ・アフリカ...)と聞こえる曲があるが、ジャン=ルイ・ピエロへのバリーの影響は大きいはず。
 さてこのアルバムはジェーンBとエチエンヌ・ダオの二人三脚で制作されたような印象が強いが、この第三の男、ジャン=ルイ・ピエロ(作編曲プロデュース)の存在も大きい。ピエロは1987年にエチエンヌ・ダオの独立レーベルSatori Songsからデビューしたバンド、レ・ヴァランタン(ジェラルド・ド・パルマス、エディット・ファンブエナ、ジャン=ルイ・ピエロのトリオ)のメンバーだったが、トリオは1989年からデュオ(ファンブエナ+ピエロ)になり、バンドとしての活動はほとんど芽が出なかったものの、90年代後半からプロデューサーチームとしてメキメキ頭角を表し、アラン・バシュング(1947-2009)「Fantaisie Militaire(軍隊奇想曲)」という大傑作を生み出してしまう。2003年にファンブエナとピエロはコンビを解消するが、それぞれがプロデューサーとしてよい仕事を続けている。そのエディット・ファンブエナがプロデュースした大きな仕事のひとつが、2008年ジェーン・バーキン『冬の子供たち(Enfants d'hiver)』だったのだが、これはジェーンBの記念すべき初自作オリジナルアルバム(全作詞ジェーンB)だったのだ。しかし(アラン・スーションの作曲参加にもかかわらず)このアルバムは批評家からもファンからも厳しい評価を受けてポシャってしまう。というわけで、この『Oh! Pardon tu dormais...』はその12年後の第二作めの自作(全作詞)オリジナルアルバムとなっていて、レ・ヴァランタン因縁でエディット・ファンブエナの雪辱をジャン=ルイ・ピエロが果たせるか、という興味もあるのである。
 そうやって『冬の子供たち』と聴き比べると、差はいろいろあり、家族的な回想ノスタルジーがメインテーマでフレンチ/ヴァリエテなトーンが支配的な前作とは詞もサウンドもまるで違う。かの日記本同様の飾らず剥き出しな詞がいい。そして60/70年代ブリティッシュ・ロック/ポップで自らの音楽基礎を築いた仏ポップ界随一の英国趣味人たるエチエンヌ・ダオが設計したサウンド空間と、ダオ+ピエロのジョン・バリー風アプローチはジェーンBの自然体とどれほどマッチしていることか。これはイギリスのようでもありフランスのようでもあるが、イギリスでもフランスでもないところ、つまりブルターニュに似ていると言えるかもしれない。ブルターニュに家を持つジェーンが、その窓から見える満ち潮に、愛の終わり、老い、自暴自棄を投影させた歌「A marée haute(満ち潮)」は補作詞をエチエンヌ・ダオがしている。
そうね、もう死んだわ、私は敗者の臭いがする
私の心はのぼってくる潮のくりかえしに波音を立てる
誰のせいなの? 満ち潮のせい?
コルヌアイユ(コーンウォール)とイギリスの霧はとても近い
点滅する灯台、メランコリアがすすり泣く
私は熱い飲み物を飲む 引き潮どきに
どんな死に方をしたの?そんなに英雄的な?
私はそれを買えるかしら?
あなたのシニカルな笑い声が聞こえる、溺死者たちの浜辺で
もうあなたが私を愛していないなら、私も私を愛さないわ
北の浜辺、私は敗者の臭いがする
壺と海藻と小雨の混じった匂い
砕けた刃物のように波しぶきが私に叩きつける
私はあなたの嘲弄が私に届かないところまで行くわ
私は首吊り人たちの浜辺まで行くわ
もうあなたが私を愛していないなら、私も私を愛さないわ
私も私を愛さないわ
(詞:ジェーン・バーキン&エチエンヌ・ダオ/曲:ジャン=ルイ・ピエロ)


曲の中の地名 Cornouaille(コルヌアイユ)はブルターニュ半島南西部の県(県庁所在地カンペール)、これに末尾に"s"がついて Cornouailles(コルヌアイユ)となると、イングランド半島南西部コーンウォール(Cornwall)のこと。ジェーン・バーキンが家を持っているのはブルターニュ半島フィニステール県のラニリス。歌詞リフレインの仏語がわかる人には気付くと思うが、Si tu ne m'aimes plus, je ne m'aime plus non plus (もうあなたが私を愛さないなら、私も私を愛さないわ)は、je t'aime moi non plus の逆ヴァリエーションであり、ゲンズブールから50年後の愛の終わりである。思い切った歌詞を書いたものである。強い人だ。

<<< トラックリスト >>>
Side A
1. Oh ! Pardon tu dormais...
2. Ces murs épais
3. Cigarettes
4. Max
5. Ghosts
6. Les jeux interdits
7. F.R.U.I.T.
Side B
1. A marée haute
2. Pas d'accord
3. Ta sentinelle
4. Telle est ma maladie envers toi
5. Je voulais être telle perfection pour toi!
6. Catch me if you can

JANE BIRKIN "OH! PARDON TU DORMAIS..."
LP/CD/Digital Barclay/Universal
フランスでのリリース: 2020年12月13日

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)"Ta sentinelle" (あなたの見張り)オフィシャルクリップ。いちばんダオっぽい曲調かな。

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