2009年3月14日土曜日
アラン・バシュングが亡くなった
3月14日、久しぶりに家族3人で17区のル・ルレ・ド・ヴニーズで夕食。帰宅してテレビをつけたらケーブルTVのニュース局が、アラン・バシュングが今日の午後亡くなったと告げました。
バシュングが肺ガンと闘っているのは、去年の春に公に発表され、このブログの2008年5月2日でもお伝えしました。その後化学療法で毛髪/体毛のない姿になりながら、予定されていたコンサートツアーを決行して、まだまだ元気なところを見せていたのでした。私は知人の中にも「化学療法」(フランス語では通称”シミオ”)でガンやリンパ腫を克服した人たちがいて、アラン・ルプレストの例なども見ていたので、バシュングも”シミオ”で病気に打ち勝つものだと思っていたのでした。ところが今年に入って、コンサートのキャンセルが続き、それも健康上の理由とはっきりとコミュニケされていたので、急激な悪化が心配されていました。
2月28日、ヴィクトワール賞のセレモニーに登場したバシュングは、痩せこけてよろよろしながらも鬼気迫るパフォーマンスで歌い切り、3部門受賞を果たしました。今年のヴィクトワールは誰もがバシュングしか見ていなかったように、アーチストが死にゆくことを誰もが知っていたように、彼が壇上に昇るたびに誰もが感動にうち震え、スタンディングの大喝采で迎えたのでした。翌日のテレビも新聞もバシュングのことばかりでした。
2週間後、バシュングはパリ・サン・ジョセフ病院で、身内に見守られながらこの世を去りました。61歳とは私が思っていた年齢よりずっと若くて驚きでした。
先月読み終えたフランソワーズ・アルディの自伝の中に、アルディが2006年に発表したデュエットアルバム"PARENTHESES..."に収められたアラン・バシュングとのデュエット「残されし愛に Que reste-t-il de nos amours?」(シャルル・トレネ作のスタンダード曲。直訳すると:私たちの愛に何が残っているというのか)に関する記述があります。フリオ・イグレシアス、アラン・ドロン、アラン・スーションなどとのデュエットが収められたこのアルバムの録音で、アルディはバシュングとの吹き込みが最も感慨深いものだったと書いています。彼女はこれほどまでの名曲シャンソンをあのバシュングと二重唱すると思っただけで、心穏やかではなかった、ということを後日バシュング自身に告白します。するとバシュングは言葉少なく、こう切り返します「偉大なシャンソンだってどんどん過ぎ去ってしまうんだ。美しい女性たちと同じでね。だからあまり敬う必要なんてないんだよ。」
Bashung s'en va.
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