2020年1月22日水曜日

「嘘こそが文学」とシオランは言う

ヴァネッサ・スプリンゴラ『合意』
Vanessa Springora "Le Consentement"

(この本の総合的な紹介&書評は、ラティーナ誌2020年3月号の向風三郎連載「それでもセーヌは流れる」で展開します。それと内容の重複のない程度のイントロダクションと、哲学者エミール・シオランとの絡みの部分を一部訳したものをここで掲載します)

向風三郎「それでもセーヌは流れる」3月号は2020年1月2日に出版され1月20日現在書店ベストセラー1位、ヴァネッサ・スプリンゴラ著『合意(Le Consentement)』について書いています。大雑把に概要を言いますと、1980年代に”純文学”的に評価の高かった作家で、ローティーンの少年少女を相手にした性的体験を私小説および公開日記として発表していたガブリエル・マツネフ(右写真、1936年生れ、現在83歳で存命中)と14歳の時に恋愛関係にあった著者が、その約30年後に”文学”の名の下に放免されてきたその性犯罪を告発する書です。50歳の”有名”作家が14歳の少女に接近し、少女は”恋”に落ちてしまいます。心から愛します。ここが本書題名の「合意」と関係してくるのですが、「合意」があったならばそれはありじゃないですか(法で禁止されている “性的未成年者=15歳未満”との関係であり、犯罪であるということがあっても)と思う風潮があります。第一このマツネフという作家は、1977年にこの未成年者との性関係の”禁止”を撤廃するように世に呼びかける署名運動を起こし、当時の驚くべき文化人たち(サルトル、ボーヴォワール、ドゥルーズ、バルト、ソレルス、ジャック・ラング….)が同意署名しています。ペドフィリアの解放は「性解放運動」の一翼と見なされていたのです!時代はそれが間違いであったことに気づき、今やペドフィリアを最も唾棄すべきおぞましき犯罪と思わない人はいないでしょう。
著者は14歳の時に言いたくても言葉が足らずに言えなかったこと、50歳の老獪だが優れた言葉を武器にした男の前で自分の語彙では「対話」にもましてや「抗弁」にもならなかった言い分、それを30数年かけて整理し、語彙を獲得し、「文章」(つまりかの作家と同じ土俵)で告発するのです。それは「合意」があったとしても少女の人生を破壊してしまった許し難い犯罪であるということです。マツネフは70-80年代という時代が称賛した作家として、言葉・文章・文学の領域では自分が一段も二段も上、という自負があります。文学は本になり、図書館入りし、国立資料館に保存され「永遠の命」を得ます。今日83歳のマツネフはまさにその永遠化される寸前にあります。しかしその”文学”に、あの14歳の少女との禁忌恋愛を描いた何冊もの本があり、その少女は作家に好き勝手に美化されたセックス人形として永遠化されるは絶対に阻止したい。そのためにはマツネフの文学的価値/権威を存命中に失墜させなければならない。
この書は、マツネフが彼女にしたこと(作品の中に閉じ込めて私物化した状態で残し、自分の栄誉に利用する)を30数年の準備を経て、ヴァネッサ・スプリンゴラが同じ武器(文章)でマツネフを作品の中に閉じ込めてしまうのです。
“文学”であればすべてが許されていた。それは芸術全般に言えたことだったでしょう。それまでのタブーをすべて破ることが芸術の”進化”であるようなもてはやされ方がありました。60-70年代は私はリアルタイムで生きていましたし、”性の解放”は世を動かすたいへんなパワーがありました。18禁映画館こそ最も創造的な作品であふれていた。サドやレチフ・ド・ラ・ブルトンヌの作品が禁書ではなく普通の”文学”として読まれるようになった。大島渚『愛のコリーダ』(1976年)は日仏合作で性検閲と闘う映画として喝采を受けた。そういう時代に、児童性愛の体験を小説化していたマツネフは、何の問題もなく時代の風景の一部になっていたのです。大出版社から本を発表できる、性解放運動の前衛として、進歩的文化人として。その錚々たる支持者たちの中に、20世紀哲学の極北エミール・シオラン(下写真、1911 - 1995)がいたのです。
本書は14歳の少女ヴァネッサが、最初の熱恋から醒めて、マツネフの病的な性向(少年少女たちを征服支配したい性衝動)と彼女を人形として”文学的”に操り作品化しようとする策略から逃れようとする経過が描かれています。しかし世間から見れば醜聞でしかない14歳(中学生)と50歳(有名作家)の関係は、自力で抜け出すことが極めて難しい。誰にも相談することができないヴァネッサは、勇気を持って、以前マツネフに尊敬する友人として紹介されたエミール・シオランの門を叩くのです。14歳の少女はシオランの書物を読んでも全く理解できない。だから彼女はある種「賢者の言葉」を求めてシオランを訪ねたわけです。その部分、訳してみます。(註:この書では本名は登場しません。”G.”がガブリエル・マツネフ、”V.”がヴァネッサ・スプリンゴラです)

私は彼の本を一冊とて読み終えたことはなかった。それはみんな短い本だが、ほとんどがアフォリズム(箴言)で構成されていた。人は彼のことを”ニヒリスト”と呼んでいた。そう分類されていた人だからこそ、私は失望しなくて済んだのだ。
ー エミール、私はもう耐えられません(と私は泣きじゃくりながら切り出した)、彼は私のことを狂ってしまったと言いますが、これ以上彼が続けたら私は本当に狂ってしまいそうです。彼の嘘、彼の蒸発、彼のところにひっきりなしにやってくる少女たちは、私が閉じ込められているホテルの部屋までやってくるでしょう。私は誰にもそれを語ることができないのです。彼は私から友だちも家族も遠ざけてしまいました…
ー(彼は重い口調で私の言葉をさえぎった) V.、G.は芸術家であり、偉大な作家だよ。世界はいつの日かそれに気付くだろう。だがそうならないかもしれない。それは誰にもわからない。あなたが彼を愛しているなら、彼の性格を受け入れなければならない。G.は決して変わることはないだろう。彼があなたを選び、あなたにしたことは非常に名誉なことだ。あなたの役目は彼の創造の道に同行し、その運命のいたずらをも甘受することだよ、私は彼があなたを熱愛していることを知っている。だが女性たちは往々にして芸術家が何を必要としているのかを理解しないものだ。トルストイの妻は来る日も来る日も夫が手書きした原稿をタイプしていたというのを知っているかい? 休息もなく、ほんの小さなミスも見逃さず訂正し、すべてを犠牲にしてこの作業をしていたのだよ。犠牲的で献身的であること、それが芸術家の妻がその愛する者に対して捧げるべき愛の形だ。
ー でもエミール、彼は四六時中私に嘘をついているのですよ。
ー 嘘こそが文学なのだよ ! あなたはそれを知らなかったのか?
("Le Consentement" p141 - 142)
(↓)国営TVフランス24での本書紹介ルポルタージュ(2019年12月26日放映)



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2020年12月30日追記

ラティーナ誌2020年3月号に掲載された向風三郎「ヴァネッサ・スプリンゴラ『合意』が告発する文学という名の性犯罪」は本ブログに加筆修正の上再録(↓リンク)されています。
文学という名の性犯罪





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