今週号のレ・ザンロキュプティーブル誌表紙、ベルトラン・カンタ。2003年夏のマリー・トランティニャン殺害事件の被告として2004年過失致死罪で8年禁固刑。2007年仮出所、2011年刑務終了。2010年ノワール・デジール解散。2013年、ベーシストのパスカル・アンベールと「デトロワ Détroit」結成、本格的に音楽活動再開。この時、レ・ザンロキュプティーブル誌(2013年10月23日号)は表紙にカンタの大アップ顔写真を載せ、事件以来10年以上沈黙していたカンタのロングインタヴューを掲載した。
私はその記事とデトロワのアルバムについて、ラティーナ誌2014年2月号に「生き返るのではなく生き直すための音楽 ー ベルトラン・カンタの帰還」という記事を書いた。私はその際に(実は本当に予測していたのけれど)抗議や非難のメールや投書は一切受け取っていない。しかしフランスではそんなことはタダで済むわけはなく、レ・ザンロック誌は多くのフェミニスト団体の轟々たる抗議だけでなく、文化人や音楽人たちの非難でメディアは沸き立ち、レ・ザンロック誌ボイコットの運動も起こった。にも関わらず、デトロワのデビューアルバムは20万枚を売り(私も絶賛した)、続く全国ツアーも(ノワール・デジールの楽曲を演奏したこともあって)大成功だった。しかしコンサート会場の外では常に抗議団体のデモがあったという。
あれから3年、さめるわけのないほとぼり。デトロワを解消して(とは言っても、相方のパスカル・アンベールを制作の重要な協力者として残しておいて)、ソロ(ベルトラン・カンタ)の名義でアルバムを制作、12月にBarclay(ノワール・デジールからずっとカンタのレコード会社。仏ユニバーサル傘下)から発売するのだそう。レ・ザンロキュプティーブル誌は4年前と同じようにベルトラン・カンタを表紙にし、JD・ボーヴァレによるロングインタヴュー入り6ページ記事を掲載した。たちまちSNS上では男女均等担当大臣のマルレーヌ・シアパが発禁回収要求を出すなど、フェミニスト団体を中心に非難轟々である。掲載号発売の10月11日から今これを書いている10月13日までに、抗議・非難の声を上げた著名人たち : ローランス・ロシニョール(政治家、元・家族問題担当大臣)、ラファエル・エントーヴェン(哲学者)、パスカル・プロー(スポーツ解説者)、マチュー・カソヴィッツ(映画人)、アリソン・パラディ(女優)、ヴァネッサ・パラディ(女優)... その他、フランス国営ラジオFRANCE CULTUREによる「ロマン主義的ヒーローに見立てられたベルトラン・カンタの背景にあるフランスの男性優位主義プレスの伝統」という長い論考も興味深い(読むまでもないと思う)。
残虐な殺人犯の「プロモーション」に手を貸すレ・ザンロキュプティーブル誌のエディトリアル方針への批判、殺人犯をロックヒーローとして復活させることへの嫌悪感、どうして控えめに活動することができないのか。3年前と同じように、私はこのソロアルバムにおおいに興味を持っているのだが、私は再び大きな記事を書くことはないと思う。
2017年12月発売予定、ベルトラン・カンタ名義の初ソロアルバム『アモール・ファティ(Amor Fati 己が運命を愛せよ。フリードリッヒ・ニーチェの言葉)』のプロモーション、JDボーヴァレによるロングインタヴュー入り6ページ記事の一部。
この最後の1行「 Je ne peux pas oublier, mais je peux évoluer (俺は忘れることができない、だが俺は変わることができる)」という意味は何か。 アーチストとして自分の名で音楽をクリエートしていく上で、それが悲劇のヒーローとして自分を変容させることにならないか。またファンが聞きたい音楽はまさにそれではないか。どうやって乗り越えるのか。
(↓)ベルトラン・カンタの初ソロアルバム 『アモール・ファティ』(2017年12月発売)からの初シングルで、イギリスのブレクジットを嘆く歌「アングルテール」
2017年10月17日追記
先週10月11日号のレ・ザンロキュプティーブル誌のベルトラン・カンタの表紙をめぐって、論争(と言うよりはレ・ザンロキュプティーブルへの抗議・非難)は終わっておらず、フランスを代表する女性誌ELLEが、今週号の巻頭論説でマリー・トランティニャンの顔アップ写真を背景に、「マリーの名において」と題するレ・ザンロキュプティーブルとベルトラン・カンタを非難する声明を。以下全文訳します。
私はその記事とデトロワのアルバムについて、ラティーナ誌2014年2月号に「生き返るのではなく生き直すための音楽 ー ベルトラン・カンタの帰還」という記事を書いた。私はその際に(実は本当に予測していたのけれど)抗議や非難のメールや投書は一切受け取っていない。しかしフランスではそんなことはタダで済むわけはなく、レ・ザンロック誌は多くのフェミニスト団体の轟々たる抗議だけでなく、文化人や音楽人たちの非難でメディアは沸き立ち、レ・ザンロック誌ボイコットの運動も起こった。にも関わらず、デトロワのデビューアルバムは20万枚を売り(私も絶賛した)、続く全国ツアーも(ノワール・デジールの楽曲を演奏したこともあって)大成功だった。しかしコンサート会場の外では常に抗議団体のデモがあったという。
あれから3年、さめるわけのないほとぼり。デトロワを解消して(とは言っても、相方のパスカル・アンベールを制作の重要な協力者として残しておいて)、ソロ(ベルトラン・カンタ)の名義でアルバムを制作、12月にBarclay(ノワール・デジールからずっとカンタのレコード会社。仏ユニバーサル傘下)から発売するのだそう。レ・ザンロキュプティーブル誌は4年前と同じようにベルトラン・カンタを表紙にし、JD・ボーヴァレによるロングインタヴュー入り6ページ記事を掲載した。たちまちSNS上では男女均等担当大臣のマルレーヌ・シアパが発禁回収要求を出すなど、フェミニスト団体を中心に非難轟々である。掲載号発売の10月11日から今これを書いている10月13日までに、抗議・非難の声を上げた著名人たち : ローランス・ロシニョール(政治家、元・家族問題担当大臣)、ラファエル・エントーヴェン(哲学者)、パスカル・プロー(スポーツ解説者)、マチュー・カソヴィッツ(映画人)、アリソン・パラディ(女優)、ヴァネッサ・パラディ(女優)... その他、フランス国営ラジオFRANCE CULTUREによる「ロマン主義的ヒーローに見立てられたベルトラン・カンタの背景にあるフランスの男性優位主義プレスの伝統」という長い論考も興味深い(読むまでもないと思う)。
残虐な殺人犯の「プロモーション」に手を貸すレ・ザンロキュプティーブル誌のエディトリアル方針への批判、殺人犯をロックヒーローとして復活させることへの嫌悪感、どうして控えめに活動することができないのか。3年前と同じように、私はこのソロアルバムにおおいに興味を持っているのだが、私は再び大きな記事を書くことはないと思う。
2017年12月発売予定、ベルトラン・カンタ名義の初ソロアルバム『アモール・ファティ(Amor Fati 己が運命を愛せよ。フリードリッヒ・ニーチェの言葉)』のプロモーション、JDボーヴァレによるロングインタヴュー入り6ページ記事の一部。
レ・ザンロック:きみ自身の名前できみの新アルバムを出すということに躊躇はなかったか?
ベルトラン・カンタ「もちろんあったさ。俺の名前で、ということには執着はなかった。これも共同作業での制作だからね。アルバムのタイトルは "AMOR FATI"と言い、ニーチェの「運命愛」からコンセプトをいただいた。意味は「汝の運命を愛し、それと共に生きよ」ということ。アモール・ファティは覚醒して受容することであり、諦念による忍従ではない。これは俺にとって知性を超えたところにある、強靭な生命の秘密だった。それは俺が後悔や呵責なしに生きているということではない。アモール・ファティ、それは俺がとった行為がもたらした結果をすべて引き受けることだ。俺は下された審判と刑罰を受容するということにおいては常に明白な態度だったし、それは今も変わらない。全知全霊でもって俺はそのすべてを保って続けている。俺は忘れることができない、だが俺は変わることができる...」
この最後の1行「 Je ne peux pas oublier, mais je peux évoluer (俺は忘れることができない、だが俺は変わることができる)」という意味は何か。 アーチストとして自分の名で音楽をクリエートしていく上で、それが悲劇のヒーローとして自分を変容させることにならないか。またファンが聞きたい音楽はまさにそれではないか。どうやって乗り越えるのか。
(↓)ベルトラン・カンタの初ソロアルバム 『アモール・ファティ』(2017年12月発売)からの初シングルで、イギリスのブレクジットを嘆く歌「アングルテール」
2017年10月17日追記
先週10月11日号のレ・ザンロキュプティーブル誌のベルトラン・カンタの表紙をめぐって、論争(と言うよりはレ・ザンロキュプティーブルへの抗議・非難)は終わっておらず、フランスを代表する女性誌ELLEが、今週号の巻頭論説でマリー・トランティニャンの顔アップ写真を背景に、「マリーの名において」と題するレ・ザンロキュプティーブルとベルトラン・カンタを非難する声明を。以下全文訳します。
2003年8月1日、マリー・トランティニャンはベルトラン・カンタの殴打によって亡くなった。今日、彼女は一つの象徴である。このとりわけユニークな魅力を持った彼女の顔は、男の暴力によるすべての女性被害者たちの顔になった。昨年だけで123人に上る伴侶に殺された名もなき女性たちの顔である。
フランスで1日平均で33人に上る強姦被害を告発する無名の女性たちの顔である。2016年に216000件のハラスメントと暴行を告訴した女性たちの顔である。これらの女性たちには、ハーヴェイ・ワインスタインを告訴した女優たちのような、デヴィッド・ハミルトンを告訴したフラヴィー・フラマンのような勇気が必要だったのである。
マリー・トランティニャン、私たちはあなたのことを忘れない。ベルトラン・カンタのおぞましいメディア露出(「レ・ザンロキュプティーブル誌」10月11日号)などではあなたの炎は消えるわけがないのだ。
「ここに光があるためには向こうには影がなければならない」(A light here required a shadow there)とヴァージニア・ウルフは書いた(1927年『灯台へ』)。あなたはまさにその光であり同時に影なのだ。あなたは、いつの日かただただ信じがたいこの暴力がこの世から消えるという希望であり、同時にその苦しみなのだから。
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