『祝祭のセンス』
2017年フランス映画
監督:エリック・トレダノ&オリヴィエ・ナカッシュ
主演:ジャン=ピエール・バクリ、ジル・ルルーシュ、ジャン=ポール・ルーヴ、エレーヌ・ヴァンサン
音楽:アヴィシャイ・コーエン
フランス公開:2017年10月4日
この映画の主人公マックス(演ジャン=ピエール・バクリ)の元々の職業はトレットゥール(traiteur = 仕出し屋、総菜屋)だそう。それが結婚披露パーティーのバンケット一切(会場選び+デコレーション+飲み物&料理+ケーキカット+音楽&ダンスアトラクション+花火...) をパッケージングして売っている。日本の仕出し屋祝言みたいなものでしょう。この道30年。しかし世の傾向は結婚などという旧時代の制度に背を向ける若者たちが急増していて、たとえ書類だけはちゃんとしておこうかと役所に行く者たちでも「ナシ婚」で済ませてしまう。新郎新婦とその両両親が泣きっぱなしの「感涙ドラマチック結婚式」など誰も望まなくなってしまった。映画の冒頭は、エッフェル搭とセーヌ川が目の前に見えるガラス張りのバンケットルームでの、未来の新郎新婦とマックスの披露宴パッケージの商談シーンで、若い男女は「メニューから前菜を抜けばいくらになる?」「会場装飾の盛花の予算の最低限は?」と値切ることばかり。しまいにマックスが切れて「飾りなし、テーブルサービスなし、飲み物食べ物各自持ち込みのパーティーにしますか!?」と。
演ずるジャン=ピエール・バクリは多くの映画でこういうイライラ持ちの不平屋(フランス語では grognon = グロニョン)というキャラクターに決まっていて、こういう役をやらせたらバクリに勝る者はない。トレダノ&ナカッシュはその天下一の不平屋俳優にその最良の役どころをプレゼントしたようで、このことを2017年10月4日号のテレラマ誌(サミュエル・ドゥエール)は
Jean-Pierre Bacri compose le plus beau grognon de sa longue carrière de grognon.(ジャン=ピエール・バクリは彼の長い不平屋芸歴において最も見事な不平屋像を作り上げている)と評している。グロニョン人生、ここに極まれり。
さて本編の方は、実際の本番結婚パーティーの当日の準備から翌日の片付けまでの24時間のストーリー。会場として借りた場所は17世紀に建立されたという由緒正しいシャトーで、見事な大庭園もあり。マックスの会社のスタッフ十数人(料理人、給仕人、洗い場人...)に加えて、記念写真屋のギー(演ジャン=ポール・ルーヴ)とその見習い、音楽アトラクションDJのジェームス(演ジル・ルルーシュ)とそのダンサー+バンドといった人々がこの祝宴の裏方であるが、これらのマックスの「手足」たちがまったく協調性がないため、逆にマックスの手足を引っ張ってしまうという大筋。古典的コミック映画の骨組みですが。トレダノ&ナカッシュの映画歴からすると、子供たちのヴァカンス村を舞台に子の扱い方など全く知らない素人インストラクターたちが数々のドジの末に3週間で子供たちと夢の共同体を築くという『われらが幸福の日々(Nos jours heureux)』(2005年。ジャン=ポール・ルーヴ主演)と構造的に似ている。12年前の映画でヴァンサン(J=P・ルーヴ演ずるヴァカンス村の責任者)のインストラクターたちのドジの数々は、最新映画でのマックスの手下たちのドジの数々と同じように、一つ一つが人物キャラを強烈に引き出す珠玉の小コントになっていて、映画がカラフルな絵画パレットのような多人数人間模様になっている。その丁寧さは準主役クラスが十数人いるようなお誂えギャグの連続で、チームワークの賜物のようなCréation collective 的印象を深くする。 そう、駄目チームが主題の映画で、チームの素晴らしさがわかるという二重構造なんですな。
この新作でとりわけ目を引く準主役の一人が、給仕人不足で当日急に借り出された現金アルバイトの失業者サミー(演アルバン・イヴァノフ)。テーブルサービスのことはもちろん、料理のことも何も知らないのだが、無知のほどが芸になるシーン多数。(↓そのいくつかをまとめた編集断片)
それからマックスの下で現場の指揮を執る副支配人アデル(演エイエ・アイダラ)は、トレダノ&ナカッシュ映画には必ず出てくる切れると猛烈に汚い言葉で怒鳴り散らす女性(前作『サンバ』ではシャルロット・ゲンズブールがその役をした)で、キャラも物腰も「女性版オマール・スィ」。この女優はゴダール『ゴダールの社会主義』(2010年)にも出演していたそう。今後良い役をもらってオマール・スィのように羽ばたいてほしいものです。
そして前作『サンバ』ではこの人一人のおかげでどれだけ救われたか。エチエンヌ・シャティリエーズ映画『人生は長く静かな河』(1989年)以来永遠のブルジョワ婦人女優エレーヌ・ヴァンサンが、 シャトーで結婚披露宴を開くブルジョワ新郎ピエール(演バンジャマン・ラヴェルニュ)の母親役で登場。はまり過ぎ。華やかで息子自慢ででしゃばりで。おまけに思わぬダークサイドもある。もう姿を見ているだけで幸せになりますね。
こういう優れた脇役陣の優れたギャグに支えられて、ジル・ルルーシュ、ジャン=ポール・ルーヴ、ジャン=ピエール・バクリの3本柱が活きる。この3者に共通しているのは、3種の斜陽産業で飯を喰っていること。ジェームス(演ジル・ルルーシュ)は21世紀型DJとは程遠い音楽アトラクション屋で、カラオケやディスコダンスの他に客たちのリクエスト(この映画ではジジババたちが、レオ・フェレやらブラッサンスやらを注文)にも応えて演奏しなければならない宴会エンターテイナー。憂さばらしに本番前リハーサルにエロス・ラマツォッティの"Se bastasse una canzone"(1990年フランスでも大ヒットした。わしも大好き)を朗々と歌ってしまう(ジル・ルルーシュ、本当にうまいっ!)のだが、それを見ていた新郎に「イタリア語に聞こえない」とけなされる。この自分こそがスターと目立ちたがるMCジェームスに、新郎ピエールは「シックで地味でエレガント」な進行を厳命し、絶対に絶対に絶対にやってはいけないこととして、招待客全員によるテーブルナプキンのぐるぐる回し(まあ当地では結婚パーティーの最大の盛り上がりの祝福喝采の定番ですけど)だけは絶対にやめてくれと確約させます。映画観客はすでにこの時点で、これは絶対にある、と予測できる。
意固地に銀塩写真カメラを使い続ける記念写真屋ギーは最も斜陽職業に属する男で、その職業意識が極度のスマホアレルギーを生じさせる。その超アナログ人間が、見習い君からスマホにはGPSによる「出会い」アプリケーションがあり、今この場で理想のお相手を特定できると教わり、一夜にしてスマホ依存症に変身してしまう(その特定されたお相手がエレーヌ・ヴァンサンなのだけど)。(↓写真屋ギー版の予告編)
ジャン=ポール・ルーヴは記念すべきトレダノ&ナカッシュの第一回監督作品"Je préfère qu'on reste amis..."(2005年)と第二回作品"Nos jours heureux"(2006年)の主演男優であり、難しいこともいろいろ出来る役者だったのに、今やオトボケのキャラクターが定着しているようだ。日本ではヤン・モアックスの映画『ポディウム(俺がスターだ)』(2003年)での偽ポルナレフ役だけでちょっと知名度がある。
さて冒頭で紹介したグロニョンの名優ジャン=ピエール・バクリであるが、その役マックスは非常に複雑な状況にある。まず経済的にこの立ち行かなない斜陽産業である「結婚式屋」をもはや手放してしまいたいというルーザー感。次に長い間うまくいっていない妻との関係(+ずいぶん前から社内スタッフの女と愛人関係にある)。社で非合法に働かせている現金払いの日雇いや不法滞在移民(これもトレダノ&ナカッシュ映画には毎回必ず出てくる社会問題系のお笑いネタ)のことで役所にビクビクしている。もう何かあったら、これを最後にこの商売から足を洗おうと思っているのだが、映画の進行はそんな生っちょろいことではない大カタストロフによる(イライラ持ちで高血圧持ちのマックスはここでショック死しなければならない程度の)披露宴パーティー大惨事を用意しているのだが...。
小技ではあるが、携帯メール(SMS)を使いこなせないマックスが、送ってしまうメールがことごとく「自動文書コレクター機能」のせいで、伝えたい意図と反対の意味になったり、卑猥語になったり、というギャグをまとめた予告編(↓)。仏語わかる人には通るだろうが、日本公開時にこの部分の日本語字幕どうするんだろう?(解説すると本当につまらないのだけど、最後の予期せぬ男の訪問者とマックスの会話:男「あなた私のSMS受け取ったでしょう?」/ マックス「それにはちゃんとSMSで返事してますよ」 / 男「あなたはこう書いてます "着いたらすぐにコールしてください。すぐにあなたをペロペロしてあげますから (je viendrai vous lécher)"と。」 ー これは je viendrai vous chercher (あなたに会いに行きますから)をSMS自動コレクターが勝手に修正したという話)
その他、細部にわたってギャグセンスが散りばめられていて、『サンバ』や『最強のふたり』よりも館内の笑いは数倍多い。そしてトレダノ&ナカッシュ映画にはつきものの、みんながしあわせになれるダンスシーンは、夜も老けたディスコ・タイムのボーイズ・タウン・ギャングの「君の瞳に恋してる」(これは1982年のヒット曲。ジジババたちも大喜び)の時、そして件の大カタストロフ/大惨事の後、シャトーの別室でタムール人(マックスに洗い場労働者として雇われた不法滞在移民)たちが演奏する「ウェディング・ソング」( アヴィシャイ・コーエン)。この二つのシーンは本当にしあわせになれる。この映画で音楽担当として起用されたイスラエルのジャズ・ベーシスト(同名のトランペッターと混同するなかれ、こちらはベーシスト)、アヴィシャイ・コーエンの曲では、この「ウェディング・ソング」と映画のサブテーマ曲のように何度か流れる「セヴンシーズ」がとても印象的。それと、新郎ピエール自らが演じる気球を使ったアクロバットショー(ここで大カタストロフは起こるのだが、十分にしあわせになれるシーン)で流れるカスカドールの「ミーニング(コーラル・ヴァージョン)」も素敵だ。
そして最後にすべてを救うのは「式場屋だましい」というべきか、イヴェントのプロたちのセンス、すなわち "Le sens de la fête"なのである、ということなのかな? こういう収拾のつけ方ではないように思えるけど。
マックスのイライラと高血圧がすべて解消してしまう翌朝の片付け、スタッフの解散シーン。フェデリコ・フェリーニが映画の都チネチッタに捧げた映画『インテルビスタ』(1987年)の最後のように、また次の映画で会おう、ではなくて、また次の結婚式で会おうと言って別れていく男たち女たち。心憎いラストである。
カストール爺の採点:★★★★☆
(↓)予告編何種類かあるけど、これが一番好き。
(↓)2018年7月、日本公開された時の予告編。日本上映題「セラヴィ」って、一体どんなセンスなんですか?
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