"Les Lacs du Connemara"
ミッシェル・サルドゥー
「コネマラの湖」
詞:ピエール・ドラノエ&ミッシェル・サルドゥー
曲:ジャック・ルヴォー
フランスでのリリース:1981年12月
2022年2月2日に書店売りになるニコラ・マチュー(2018年ゴンクール賞)の新作小説の題が『コネマラ』。アイルランドが舞台の小説なのではなく、"コネマラ”はかのミッシェル・サルドゥー(1947 - )の歌なのだと知り、読む前にこの歌をおさらいしよう、と。
ミッシェル・サルドゥーに関してはいろいろ言われている通り、保守(好戦)タカ派(むしろ右翼)、カトリック、死刑肯定派(1976年"Je suis pour")=よって今は死刑復活論者、ホモフォビア(1976年"J'accuse")、植民地主義者(1976年"Le temps des colonies")、男性優位主義者(1981年”Etre une femme")、レイシスト... といった傾向を明白にした歌と言動で爆発的な人気を取り、70年代には出せばミリオンヒットという地位を獲得している。コンサート会場には人権団体や左派活動家たちが大挙押しかけて抗議デモをかけていた。そういうアーチストなので、私のブログには縁のない人のはずだったが、まあ、それはそれ。
時は1981年、社会党フランソワ・ミッテランが第五共和政初の左派大統領となった年、サルドゥーら保守派は一挙に少数派に転落した。その夏、サルドゥーは新曲づくりのために、ノルマンディー地方ウール県サン・ジョルジュ・モテルにあるサルドゥーの別荘に作詞家ピエール・ドラノエと作曲家ジャック・ルヴォーを招集して、共にワーキングヴァカンスを。ところがジャック・ルヴォーが車に積んできたシンセサイザー「シーケンシャル・プロフェット10」が長旅と道中の暑さによって変調をきたし、バグパイプのような音しか出なくなった。ここでサルドゥーがひらめいて、それならばその音でケルト/スコットランド風な曲を作ればいいんじゃないか、と。しかしサルドゥーもドラノエもルヴォーもスコットランドに行ったことがない。インターネットのなかった時代、簡単に資料集めなどできない。そこでドラノエが近くの町まで資料を探しに行ったのだが、結局何も見つからず、あったのはアイルランドの観光パンフレットのみ。同じように三人いずれもアイルランドにも行ったことがない。まあ、スコットランドもアイルランドに似たようなもんじゃろ、ってな安直さで、そのパンフレットにあった荒々しい山と湖の自然国立公園コネマラをモチーフにドラノエとサルドゥーは詞をつくっていったのである。その時もうひとつインスピレーションの元(ぱくりの元)となったのが、1952年のジョン・フォード監督映画『静かなる男』(主演ジョン・ウェイン/モーリーン・オハラ)で、アイリッシュ・ルーツのアメリカ男(ジョン・ウェイン)がアイルランドに里帰りして恋に落ち、封建的な土地柄ゆえによそ者あつかいされ、なんだかんだでボクシング決闘の末に大酒飲んで和解する「男もの」名作とされる作品。歌の中のネームドロッピングで「モーリーン」や「ショーン」(ジョン・ウェインの役名)などが出てくる。村のパブで飲んだり踊ったりはこの映画のイメージであろう。そしてルヴォーがパイプバンドのマーチ曲をイメージして、必殺のケルティックメロディーを。三人のイメージだけでつくった(行ったことも見たこともない)アイルランド讃歌:
湖水の周りには
風に焼かれた大地
岩で覆われた荒地
生きる者たちには少し地獄、それがコネムラ
北から黒い雲がやってきて大地や湖や川の色を変えていく
それがコネムラの景色
続く春にはアイルランドの空は穏やかだった
モーリーンはコネムラの湖に裸で飛び込んだ
ショーンは「俺はカトリックだ」と言い、モーリーンも同じだとリメリックの御影石づくりの教会で、モーリーンはイエスと言った
ティッパーラリーから、バリー・コヌリーから、そしてゴールウェイから人々はコネムラの里にやってきた
コナーズ家、オコノリー家、フラアーティー家、リング・オブ・ケリーのフラハーティー家も
二晩三日を飲み明かす酒も
コネマラの里では
誰もが静寂の値打ちを知っているコネムラの里では
人生は一種の狂気さ、と人は言う
そして狂気とは踊るものなのさ湖水の周りには大地や湖や川の色を変えていく
風に焼かれた大地
岩で覆われた荒地
生きる者たちには少し地獄、それがコネムラ
北から黒い雲がやってきて
それがコネムラの景色
そこでは今もゲール人やクロムウェルの時代のように
雨と晴れのリズムに従って馬の歩のリズムに従って生きている
湖にいる怪物を信じる者たちもいる
夏のある夜それは浮かび上がって泳ぎまた湖底に沈んでいく
そこにはよその地から人々がやってくる
魂の休息を求めて、そしてより良い味わいを求めてそこでは人々はずっと信じている
いつかアイルランド人たちがひとつの十字架のもとに平和を築く日が来ることを、その日は近いということを
コネムラの里では誰もが戦争の報いを知っているコネムラの里で人々はウェールズ人たちの言う平和も
イングランドの王たちの言う平和も受けつけないのだ
とまあ、講釈師見てきたような、のアイルランド湖水地方讃歌であり、1981年という時期は北アイルランド紛争が終結するまでまだまだ遠かった頃に発表された歌にしてはかなりはっきりした政治的(反英的・反プロテスタント的)ポジションが歌詞にも現れている。"反英的"と書いてしまったが、録音は(バグパイプバンドと合唱団を加えた)ロンドン交響楽団(LSO London Symphony Orchestra)がバッキングしている豪華シンフォニックなもので、出来上がりは6分2秒という長さになった。サルドゥーはこの長さに、これはシングルに向かないとアルバム内(サルドゥー10枚めアルバム"Les Lacs du Connemara" 1981年7月リリース、150万枚のセールス)での発表にとどめておこうと思ったが、心変わりして1981年12月にシングル盤としてリリース。たちまちチャート1位、シングル売上枚数200万枚に達した。
このメガヒットであるから、フランス人はこのコネマラという見知らぬ地にがぜん興味を抱き、旅心を刺激され、アイルランドのコネマラ国立公園はフランス人観光客が年間に35万人訪れる、大人気スポットになってしまったのである。この件でサルドゥーは後年アイルランド政府から感謝の象徴として「コネマラの鍵」というのを授与されている。こんなそんなでコネマラを持ち上げることになってしまった当のサルドゥーが、初めてコネマラの地を訪れたのは1987年(つまり曲の録音から6年後)のことであった。
またこの歌は後年まったく別の進化をとげて、(仏語ウィキペディアによると)2000年代頃からにわかに大学や専門校の年度末セレモニー(学位授与式)での定番音楽となり、とりわけゆっくりしたリズムと早いリズムの入れ替わりに乗って盛り上がっていく曲調が好まれ、パーティー最後のお開き音楽として重宝されたのである。また別方面では結婚披露パーティーのケーキ入場時の音楽として定着し、この音楽が始まると列席者全員が立ち上がってテーブルナプキンを頭上でぐるぐる回すという、(いつから始まったのかわからないが)昨今の結婚式のお決まりのクライマックスシーンが展開するのである...。
最初に紹介したニコラ・マチューの新作小説『コネマラ』は、歌の内容やサルドゥーのことではなく、そういう学生コンパや結婚パーティーで何度もこの「コネマラ」を聞き、人生の場面に流れてしまって耳について離れない音楽となってしまった世代の男女のことを書いたもののようなのだ。追って紹介します。
(↓)ミッシェル・サルドゥー「コネマラの湖」(1981年)
(↓)ポール・マッカートニー&ザ・ウィングス「もろきんタイヤ」(1977年)
(↓)アラン・スーション「バガッド・ド・ラン=ビウエ」ロングヴァージョン(1978年)
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