原作:『メグレと若い女の死』(ジョルジュ・シムノン 1954年)
音楽:ブルーノ・クーレ
フランスでの公開:2022年2月23日
この2月9日に74歳で亡くなった名優アンドレ・ウィルムのおそらく最後の出演映画であろう。殺された若い女ルイーズ(演クララ・アントゥーン)の縁者で落ちぶれて記憶のあやしい古物商カプランの役で約5分ほど登場する。合掌。
さて、ベルギーの作家ジョルジュ・シムノン(1903 - 1989)の代表的推理小説連作『メグレ警視』はフランスだけでなくいろいろな国で映画化/テレビドラマ化された20世紀の"古典”である。もう手垢にまみれた感もある。今日これを映画化/テレビ化で再挑戦するのはかなり勇気が要るだろうし、2016/17年英国ITVがローワン・アトキンソン主演で制作した連ドラが2シーズン4回でコケたのも記憶に新しい。で、今度の新映画化は(日本でも人気の高い)パトリス・ルコントが監督であり、ジョルジュ・シムノン原作では1989年に『仕立て屋の恋(原題 Monsieur Hire)』という秀作を撮ったという前歴あり。主演には... ジェラール・ドパルデュー。どこまで日本で報道されているかわからないが、2000年代までフランスを代表する男優として多くの大作に主演する国際的人気を誇ったものの、その後さまざまなスキャンダル(奇行、暴言、性犯罪疑惑...)が続きフランスを捨て2013年にロシア国籍取得(二重国籍)、ウラディミル・プーチンと非常に親しい仲になっている。その後2015年あたりから、フランスの作家主義映画にも再び出演するようになり、超くせ者とは言え俳優としての評価は戻りつつあったように思う。今や体躯は象のような"カタマリ”である。昨今の映画では、いるだけの質感/存在感だけで十分な人になってしまった。
シムノンの原作は1954年発表の『メグレと若い女の死(Maigret et la jeune morte)』で、私はこの原作を読んでいないが、仏語ウィキペディアの要約を読むと、身よりのない清貧な娘が、生前全く知らなかった父親(国際詐欺団の首謀格でアメリカの監獄で獄死)が隠していた"遺産”をめぐって悪者に殺されるという事件をメグレが追うということになっている。パトリス・ルコントとジェレミー・トネールによるこの映画の脚本は、この父親関連のストーリーをごっそり削ってしまった全く違う展開になっているので、"小説メグレ”ファンが観るとかなり当惑するかもしれない。
フランスでの公開:2022年2月23日
この2月9日に74歳で亡くなった名優アンドレ・ウィルムのおそらく最後の出演映画であろう。殺された若い女ルイーズ(演クララ・アントゥーン)の縁者で落ちぶれて記憶のあやしい古物商カプランの役で約5分ほど登場する。合掌。
さて、ベルギーの作家ジョルジュ・シムノン(1903 - 1989)の代表的推理小説連作『メグレ警視』はフランスだけでなくいろいろな国で映画化/テレビドラマ化された20世紀の"古典”である。もう手垢にまみれた感もある。今日これを映画化/テレビ化で再挑戦するのはかなり勇気が要るだろうし、2016/17年英国ITVがローワン・アトキンソン主演で制作した連ドラが2シーズン4回でコケたのも記憶に新しい。で、今度の新映画化は(日本でも人気の高い)パトリス・ルコントが監督であり、ジョルジュ・シムノン原作では1989年に『仕立て屋の恋(原題 Monsieur Hire)』という秀作を撮ったという前歴あり。主演には... ジェラール・ドパルデュー。どこまで日本で報道されているかわからないが、2000年代までフランスを代表する男優として多くの大作に主演する国際的人気を誇ったものの、その後さまざまなスキャンダル(奇行、暴言、性犯罪疑惑...)が続きフランスを捨て2013年にロシア国籍取得(二重国籍)、ウラディミル・プーチンと非常に親しい仲になっている。その後2015年あたりから、フランスの作家主義映画にも再び出演するようになり、超くせ者とは言え俳優としての評価は戻りつつあったように思う。今や体躯は象のような"カタマリ”である。昨今の映画では、いるだけの質感/存在感だけで十分な人になってしまった。
シムノンの原作は1954年発表の『メグレと若い女の死(Maigret et la jeune morte)』で、私はこの原作を読んでいないが、仏語ウィキペディアの要約を読むと、身よりのない清貧な娘が、生前全く知らなかった父親(国際詐欺団の首謀格でアメリカの監獄で獄死)が隠していた"遺産”をめぐって悪者に殺されるという事件をメグレが追うということになっている。パトリス・ルコントとジェレミー・トネールによるこの映画の脚本は、この父親関連のストーリーをごっそり削ってしまった全く違う展開になっているので、"小説メグレ”ファンが観るとかなり当惑するかもしれない。
舞台は1950年代のパリ、高級(貸し)イヴニングドレスに身を包んだ若い女(20歳前後)の胸部を何度もナイフで突かれた惨殺死体が発見される。新聞が報道し、広報も出されるが遺体の受取人が現れない。メグレ警視(演ジェラール・ドパルデュー)の捜査はこの身元の割り出しからというやっかいなもので、この身なりアクセサリー化粧などから夜の世界の娘と思われたが、検死は性暴行の跡がないだけでなく、この娘が一度も性関係を持ったことがない、と。清らかな顔立ちをした死顔にメグレは心揺らされる。
そのメグレはと言うと、もう初老の域の巨体で動きも鈍く(ドパルデューであるから)、医者の診断では心臓も肺もよろしくなく、メグレのトレードマークだったパイプ喫煙を医者から禁じられる。パイプのないメグレ。調子は狂うのだが、なんとか持ち堪える。映画の後半で検察判事の執務室で、パイプを手にしたとたん「喫煙禁止!」と判事に窘められたところを、「これはパイプではない ー というのはベルギージョーク」とやりかえすシーンあり(私の観た映画館ではおおいに笑い声が出た)。
メグレは変わった。その変化にいち早く気づくのがマダム・メグレ(演アンヌ・ロワレ、素晴らしい!)で、この若い女殺害事件へののめり込み方が尋常ではない。何がこれほどまでにメグレを駆り立てるのか? ー これが殺人事件推理とメグレ変貌の理由を同時に追うという二重ミステリー映画になっているのですね。
インターネットのない時代、電話帳などを手がかりに遅々とした速度でも捜査は進み、被害者がルイーズという名前で身寄りのない地方出身者でポンチュー通りの家具付きアパートに住んでいたことがわかる。そんなある日、メグレは若い娘が万引きをしようとしている場面に遭遇し、その手をつかんで押さえ、金に困っているその娘にレストランで昼食を。娘の名はベティー(演ジャード・ラベスト、素晴らしい!)で、パリに憧れて家出同然で地方から出てきたが、今後のあてはない。このベティーがかの被害者ルイーズと極似していることにメグレは衝撃を受ける。おそらく地方から出てきた動機も同じだろう。心打ち解けたかのように見えたベティーだったが、レストランおかみがメグレを「警視(コミッセール)」と呼んだのを聞いて、相手がサツと知って態度を硬化してその場を立ち去ってしまう。
事件は、パリの大豪華バンケットサロンで催された大富豪御曹司ローラン・クレマン=ヴァロワ(演ピエール・ムール)の婚約発表パーティーに、招待者名簿にないルイーズが豪華(貸し)ドレスで着飾って入場したところ、その姿を見た婚約者二人ローランとジャニンヌ(演メラニー・ベルニエ)が激昂して、ルイーズに金を掴ませて追い返した、という悶着のあとで路上で死体となって発見されたということになっている。で、容疑者のめぼしは、このローラン、ジャニンヌ、御曹司の母クレマン=ヴァロワ夫人(演オロール・クレマン、1974年ルイ・マル『ルシアンの青春』のユダヤ娘フランス!)の三人にしぼられるのだが、確固とした証拠は何もない。
一方ナイーヴな夢想家だったベティーはパリを彷徨し、危険な闇の世界の入り口まで行きかかったところを再びメグレに救われる。メグレ家で介抱してやり、マダム・メグレと三人で食卓を囲むというメグレには特別の感慨を呼び戻す瞬間がある。そしてベティーを死んだルイーズが借りていた部屋に住まわせ(家賃前払い by メグレ)、まっとうな生活を、と。するとそこへ大富豪の婚約者となったジャニンヌ(これも地方出身者、かつてルイーズとこのアパルトマンに同居していた)が現れ、いい金になる仕事があるから、と。メグレだけが頼れる人となったベティーは、このことをメグレに相談するのだが、思うところあるメグレはジャニンヌの申し出を受けてその仕事をしてみろ、と。ここからはメグレがベティーに仕組んだ”囮(おとり)捜査”となるのだが、ジャニンヌの言われるままに美麗ドレスを着て訪れたクレマン=ヴァロワ邸で見たものは....。
事件はこのベティーの身の危険を伴った潜入活動が功を奏して一挙にその全貌が明らかになるのだが、それはここではばらさないでおく(原作小説とは全く違うはずだから)。それよりもこの映画のもう一方の軸であるメグレの変化の理由であるが、それは映画の中盤ほどで明らかになる。メグレ夫妻には20歳で亡くなったひとり娘がいたのだ。三人家族の時代があったのだ。このルイーズの死顔を見てから、メグレが"それまでのメグレ”とは違っていく、という展開を、この映画は"それまでのメグレ”を映し出すことなく、ことば数の少ない/表情のあまり変わらない難しい顔をした巨体の男で全部わからせてしまう、ということなのだ。人間の塊が少しの言葉と少しの動作で、日本語で言うところの「背中が語っている」ように多くを物語ってしまう、ということなのだ。これがジェラール・ドパルデューにしかできないメグレなのですよ。
パトリス・ルコントがこの映画関連のインタヴューで強調していたのは、ヒッチコック流儀(特に『北北西に進路をとれ』1959年と『ヴァーティゴ』1958年)を援用したということだが、スクリーンのすみずみや登場する人々すべてにヒントがありそうな、観る者を緊張させる映像は久しぶりに体験した。眩しい灯りのない暗めの夜の街、電話交換手、事件現場に豆電球がつく巨大なパリ地図パネル板、フィルムノワールで見慣れたようなビストロ/レストラン、ブルーノ・クーレの時代がかった音楽(盛り場シーンでの美しいアコーディオンワルツあり)、怪しげで不気味でシックなパリが見えてくる。1時間半足らず(正確には1時間28分)。無駄がない。何よりも無言のメグレ/ドパルデューが多くを語っている、”質感”が勝っている映画です。2月25日現在、この主演男優が世界を敵に回しているロシア大統領プーチンと親友関係にある、ということでとやかく言われていることを差し置いて、この映画が高い評価を受け、非常に多くの観客がこの映画のために映画館に足を運んでいる、ということに納得している私です。
カストール爺の採点:★★★★☆
(↓)『メグレ』予告編
そのメグレはと言うと、もう初老の域の巨体で動きも鈍く(ドパルデューであるから)、医者の診断では心臓も肺もよろしくなく、メグレのトレードマークだったパイプ喫煙を医者から禁じられる。パイプのないメグレ。調子は狂うのだが、なんとか持ち堪える。映画の後半で検察判事の執務室で、パイプを手にしたとたん「喫煙禁止!」と判事に窘められたところを、「これはパイプではない ー というのはベルギージョーク」とやりかえすシーンあり(私の観た映画館ではおおいに笑い声が出た)。
メグレは変わった。その変化にいち早く気づくのがマダム・メグレ(演アンヌ・ロワレ、素晴らしい!)で、この若い女殺害事件へののめり込み方が尋常ではない。何がこれほどまでにメグレを駆り立てるのか? ー これが殺人事件推理とメグレ変貌の理由を同時に追うという二重ミステリー映画になっているのですね。
インターネットのない時代、電話帳などを手がかりに遅々とした速度でも捜査は進み、被害者がルイーズという名前で身寄りのない地方出身者でポンチュー通りの家具付きアパートに住んでいたことがわかる。そんなある日、メグレは若い娘が万引きをしようとしている場面に遭遇し、その手をつかんで押さえ、金に困っているその娘にレストランで昼食を。娘の名はベティー(演ジャード・ラベスト、素晴らしい!)で、パリに憧れて家出同然で地方から出てきたが、今後のあてはない。このベティーがかの被害者ルイーズと極似していることにメグレは衝撃を受ける。おそらく地方から出てきた動機も同じだろう。心打ち解けたかのように見えたベティーだったが、レストランおかみがメグレを「警視(コミッセール)」と呼んだのを聞いて、相手がサツと知って態度を硬化してその場を立ち去ってしまう。
事件は、パリの大豪華バンケットサロンで催された大富豪御曹司ローラン・クレマン=ヴァロワ(演ピエール・ムール)の婚約発表パーティーに、招待者名簿にないルイーズが豪華(貸し)ドレスで着飾って入場したところ、その姿を見た婚約者二人ローランとジャニンヌ(演メラニー・ベルニエ)が激昂して、ルイーズに金を掴ませて追い返した、という悶着のあとで路上で死体となって発見されたということになっている。で、容疑者のめぼしは、このローラン、ジャニンヌ、御曹司の母クレマン=ヴァロワ夫人(演オロール・クレマン、1974年ルイ・マル『ルシアンの青春』のユダヤ娘フランス!)の三人にしぼられるのだが、確固とした証拠は何もない。
一方ナイーヴな夢想家だったベティーはパリを彷徨し、危険な闇の世界の入り口まで行きかかったところを再びメグレに救われる。メグレ家で介抱してやり、マダム・メグレと三人で食卓を囲むというメグレには特別の感慨を呼び戻す瞬間がある。そしてベティーを死んだルイーズが借りていた部屋に住まわせ(家賃前払い by メグレ)、まっとうな生活を、と。するとそこへ大富豪の婚約者となったジャニンヌ(これも地方出身者、かつてルイーズとこのアパルトマンに同居していた)が現れ、いい金になる仕事があるから、と。メグレだけが頼れる人となったベティーは、このことをメグレに相談するのだが、思うところあるメグレはジャニンヌの申し出を受けてその仕事をしてみろ、と。ここからはメグレがベティーに仕組んだ”囮(おとり)捜査”となるのだが、ジャニンヌの言われるままに美麗ドレスを着て訪れたクレマン=ヴァロワ邸で見たものは....。
事件はこのベティーの身の危険を伴った潜入活動が功を奏して一挙にその全貌が明らかになるのだが、それはここではばらさないでおく(原作小説とは全く違うはずだから)。それよりもこの映画のもう一方の軸であるメグレの変化の理由であるが、それは映画の中盤ほどで明らかになる。メグレ夫妻には20歳で亡くなったひとり娘がいたのだ。三人家族の時代があったのだ。このルイーズの死顔を見てから、メグレが"それまでのメグレ”とは違っていく、という展開を、この映画は"それまでのメグレ”を映し出すことなく、ことば数の少ない/表情のあまり変わらない難しい顔をした巨体の男で全部わからせてしまう、ということなのだ。人間の塊が少しの言葉と少しの動作で、日本語で言うところの「背中が語っている」ように多くを物語ってしまう、ということなのだ。これがジェラール・ドパルデューにしかできないメグレなのですよ。
パトリス・ルコントがこの映画関連のインタヴューで強調していたのは、ヒッチコック流儀(特に『北北西に進路をとれ』1959年と『ヴァーティゴ』1958年)を援用したということだが、スクリーンのすみずみや登場する人々すべてにヒントがありそうな、観る者を緊張させる映像は久しぶりに体験した。眩しい灯りのない暗めの夜の街、電話交換手、事件現場に豆電球がつく巨大なパリ地図パネル板、フィルムノワールで見慣れたようなビストロ/レストラン、ブルーノ・クーレの時代がかった音楽(盛り場シーンでの美しいアコーディオンワルツあり)、怪しげで不気味でシックなパリが見えてくる。1時間半足らず(正確には1時間28分)。無駄がない。何よりも無言のメグレ/ドパルデューが多くを語っている、”質感”が勝っている映画です。2月25日現在、この主演男優が世界を敵に回しているロシア大統領プーチンと親友関係にある、ということでとやかく言われていることを差し置いて、この映画が高い評価を受け、非常に多くの観客がこの映画のために映画館に足を運んでいる、ということに納得している私です。
カストール爺の採点:★★★★☆
(↓)『メグレ』予告編
(↓)ブルーノ・クーレ音楽『メグレ』タイトルテーマ。これは名画の映画音楽。
0 件のコメント:
コメントを投稿