2019年3月1日金曜日

アバターもえくぼ

『あなたがそう信じている女』
"Celle que vous croyez"

2018年制作フランス映画
監督:サフィー・ネブー
原作:カミーユ・ローランス小説 "Celle que vous croyez" (Gallimard 2015年)
主演:ジュリエット・ビノッシュ、ニコル・ガルシア、フランソワ・シヴィル
音楽:イブラヒム・マールーフ
フランス公開:2019年2月27日 

21世紀環境(SNS、スマホ、ヴァーチャル・リアリティー...)がものを言う作品のようでありながら、根っこのテーマは古典的です。女は年老いたら(この場合50歳!)おしまいなのか。例えば50歳の男(この場合60歳でも70歳でも80歳でも)が24歳の女と恋仲になるというのはさほど不自然さを感じさせるものではない。ところが50歳の女が24歳の男と恋仲になるというのはそうではないでしょ?という世間様の目。主人公クレール(演ジュリエット・ビノッシュ)が恐れるのはその世間様の目ではなく、うまく行くわけがないでしょ、という自分自身への縛りなのです。それは老いであり、若々しくない容姿であり、人生(結婚、出産子育て、仕事、社会的ポジション)を知ってしまった若くないものの考え方であり...。このコンプレックスが根底にあるのが、ダリダ「18歳の彼」と変わらないものがあるわけですね。それは根強く残っているものでしょうけど、私としてはね、今日の50歳の女性たちはそこから脱して生きている人たちが多いと信じたいですね。最初からこの映画のちょっとひっかかったところを書きました。それはそれ。
 さて映画は大学のフランス文学教授であるクレール(50歳)が、若い愛人で建築家のリュドー(演ギヨーム・グイックス)との激しい情交のあった夜の翌朝、あっけなく振られるという始まりです。リュドーはかなりずけずけと二人の歳の差のことを言い、おばさんとは釣り合わないよね、という態度のサイテーの男なんですが、恋は(一方的に)盲目というやつで、女教授は大きなダメージを受けます。クレールは前夫ジル(演シャルル・ベルリング)と20年間共に生き、2人の男児をもうけるのですが、映画の後半で分かる理由で破局し、今は十代になった息子2人と3人暮らし。まだ手のかかる子供たちを抱え、このまま更年期となって年老いていく、という暗い展望と必死になって抵抗している風がありますが、この若いリュドーとの残酷な失恋に、もう女として恋愛することの最後であるかのような傷つき方をします。
 時期としてはその次にさらに激しい傷つき方をした時に、精神的な疾患をきたし、精神医であるボールマンス博士(演ニコル・ガルシア)にカウンセリングに行きます。映画はここからクレールの精神医ボールマンスへの告白の映像化という進行になります。つまり、クレールはリュドーの次にさらに激しい恋愛をして傷つくというわけです。
 リュドーにまだ未練のあったクレールはその動向を探ろうとSNS(この場合フェースブック)に潜入していくのですが、実名はリュドーにブロックされると知り、アバターIDを作ります。クララという名の24歳の女性です。写真はネットから勝手に拾ってきたとクレールはボールマンスに言いますが、実は意図ありだったというタネが映画の後半で明かされます。この若くセクシーでコケットな写真のアバターは、リュドーに行き当たらず、アレックス(演フランソワ・シヴィル)というリュドー周辺の若い男(実は親友であったということがあとで分かる)の気を大いに引いてしまうのです。クレールはヴァーチャルの世界でクララに変身し、アレックスはどんどんクララに引き寄せられていく。あたかも自分が24歳に若返ったようなウキウキした気分でどんどんウソが出て、アバター・クララは誘惑ゲームに勝利するが、それはリアルのクレールには激しい恋にまで昇華してしまうんですね。アレックスは実際のクララに会いたくてしかたがない。何度もリアルの接触を試みるが、クレールは逃げていく。なぜならアレックスが会いたくて愛しているのはクララであってクレールではないことを知っているから。実際にクレールがアレックスの目の前に立つのですが、アレックスの目にはまったくクレールが気がつかない、という映画魔術のシーンがあります(美しい)。
 このヴァーチャルの激しい恋には、ア・プリオリに悪い結末が待っているに違いないのですが、クレールはクララの正体、つまり24歳の若く美しい娘ではなく50歳のクーガーであることがバレたらすべては終わると思っています。そこでウソにウソを重ねて(例えば男と住んでいるとか、結婚して外国に行くとか、バレバレのことですけど)自ら姿を消すしかないと考え、それを実行に移して、自らの招いた破局で激しい激しい悲しみのどん底に落ちて精神科医に相談に行く、という.... 実はここまでがイントロみたいなもんなんです。
 ボールマンス医師は、クレールの話を聞きながら、これは虚偽をかなり含んでいるということに気がついていて、その度に真実を話すようにとクレールを糺します。すなわち、クレールのボールマンスへの告白は、ストーリーのクレールのヴァージョンでしかないのです。そのヴァージョンを続けます。クレールはアレックスのことがどうしても忘れられずに、うすうすとアレックスと交友関係があると知っていたリュドーにコンタクトを取ります。すると、リュドーは「親友」アレックスが、熱愛していた(一度も会ったことのない)女に去られたショックで自動車自殺をした、と告げるのです。
 実在しない女との失恋での自殺 ー このありえない悲劇にどう結末をつけるのか。クレールはここで小説を書くのです。アレックスが死ぬほどの悲しみを持つその前に、クレールその人がアレックスに近づき、クララを忘れるほどに愛し合い、しかしながら、アレックスが心底から愛しているのはクレールではなくクレールに現れるクララの幻であると知った日に、「クレール=クララ」という真実を明かし、その「クレール=クララ」に死を与える、という結末の小説です。映画ですから、この小説フィクションはすべて映像再現されます。「ドクター、この結末はどうですか?」とクレールはボールマンスに問います。
 その後は詳しく書きませんが、映画はさらに別ヴァージョンをボールマンス医師が見つけてしまうのですよ。

 某誌映画評で、これが黒澤明『羅生門』(1950年)のように、証人のひとりひとりが別々のことを言う構図の映画だというのを読んで、なるほどと思いましたよ。クレールの証言のヴァージョンは虚偽ではないけれど、そこからはそうにしか見えないという視点の狭さが悲しすぎ、このインテリでありながら余裕なく切羽詰まった感あふれる役どころを演じるジュリエット・ビノッシュの素晴らしさよ。
 重要なネタバレを追加しておくと、クレールがアバター・クララのポートレイトとして使った写真は、ネット上のまったく見ず知らずの人間ではなく、親族の不幸のためにクレールが面倒を見た従姉妹のカティア(ほとんど写真だけの出演だが、マヌカン/女優のマリー=アンジュ・カスタが演じている。レティシア・カスタの妹)のものだった。そして、この若いカティアが、クレールの夫ジルと恋仲になって、離婚に至ったという話。つまり、クレールはアバター・クララでカティアに復讐する意図もあった、ということですね。
まさにこういう映画を「心理ミステリー映画」と言うんです。からくりたくさんで本当に良く出来てます。おすすめします。

カストール爺の採点:★★★★☆ 

(↓)『あなたがそう信じている女』予告編


(↓)イブラヒム・マールーフ作曲の珠玉のオリジナルスコア。



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