2019年2月26日火曜日

見えた見えたよ松原ごしに

マチアス・マルジウ『マルジウの「人魚姫」』
Mathias Malzieu "Une Sirère à Paris"

にも何度か書きましたが、この人は「今コクトー」ですから。音楽、文学、BD、映画、今のところこういう分野でマルチな才能を派手に披露していますが、フィールドはますます拡がるでしょう。この新小説もすでに映画制作が始まっていて、今回はアニメではなく実写で、監督マルジウ、主演がレダ・カテブ(ガスパール)、クレマンス・ポエジー(ルラ)、ヴィルジニー・ルドワイヤン(ミレナ)、ロシー・デ・パルマ(ロジー)なのだそう。そしてディオニゾスによる音楽アルバムも用意されています。
 さてマチアス・マルジウ(1974 - )の最新小説『パリの人魚(Une Sirère à Paris)』です。タイトルからモロですが、人魚の物語です。擬人メタファーではなく本物の人魚です。このブログでも紹介しているマルジウの小説『時計じかけの心臓』(2007年)や『空の果てのメタモルフォーズ』(2011年)と同様の7歳から77歳までの子供のためのファンタジーです。しかし"人魚”という題材は、あまりにもアンデルセン作『人魚姫』 (1837年)のイメージが世界の人々に浸透しているため、それと縁のない人魚像を創り出すのはほぼ困難でありましょう。すでに舞台裏の史実として『人魚姫』は作者アンデルセンの大失恋から生まれたものですが、マルジウの本作も主人公ガスパールの大失恋が根底にあります。悲しみのどん底まで投げ落とされ、生きる力を失い、二度と恋などできるわけがないと思っていた男が、人魚と出会って...、という簡単に予測可能なストーリーです。
 時は2016年6月、記録的な雨続きでパリのセーヌ川が大増水した時です。小説の描写ではパリは浸水し、多くの死者、行方不明者が出ていたということになっています。シテ島向い左岸のモンテベロ河岸に接岸している帆船ファストフードレストラン/ショーボートの「フラワーバーガー」(スペシャリテ:季節の花バーガー)のオーナーの息子で、ショータイムにはウクレレ持って歌うショーマンであるガスパール・スノウ(Gaspard Snow、カウボーイハットを被り無精髭を生やした小柄&やせっぽちの若者)は、洪水のセーヌの橋の下から聞こえてくる、これまで一度も聞いたことがない美しい歌声に引き寄せられ、傷ついて弱っている青い血を流す不思議な生き物を発見し、助け出します。タミール人が運転するトゥクトゥク(三輪タクシー。パリ市内も2000年代から観光用で結構走るようになった。このトゥクトゥクはこの小説中よく働いてくれる)を捕まえ、全速力でサン・ルイ病院(パリ10区。17世紀からある古い病院で、建物は中世を思わせ、幽霊も多そう。2016年マチアス・マルジウが前作『パジャマを着た吸血鬼』で描いた自らの血液病入院闘病の舞台となったところ)まで連れていくのですが、救急受付で(実際よくある話ですが)「保険証(carte vitale)はお持ちですか?」という第一関門から前に進まなくなる。その間に病院地下の駐車場に置いておかれた謎の生物は、息絶え絶えながらも美しい歌声を上げ、それに引き寄せられて病院勤務の外科医ヴィクトールが飛んでくるのだが....。
 結局病院では全く埒があかないと判断したガスパールは、傷ついた人魚をパリ5区ラ・ブッシュリー通り(かのシェイクスピア&カンパニー書店の裏)の自宅アパルトマンに保護し、浴槽の中に入れて手厚く看護(四角いフィッシュフライを食べさせる)するのです。
 さて古今の人魚伝説でよく言われるように、人魚の歌声に魅せられ引き寄せられた男はみな死ぬことになるのです。今回の最初の犠牲者が外科医ヴィクトールです。しかし21世紀の一応超近代的な病院ですから、この血が青くなって息絶えたヴィクトールの謎の死はさまざまに分析され、ヴィクトールを愛していた女医ミレナ(制作中の映画ではこの役をヴィルジニー・ルドワイヤンが演じるようです。楽しみ)は現場の地下駐車場に残っていたウロコや青い血痕などから、そこにいてヴィクトールと接触したのが人魚であったと知るに至り、愛するヴィクトールへの復讐の心半分、これ以上犠牲者を出してはいけないという人道的理由半分で、血眼になって人魚の行方を捜すようになります。
 一方のガスパールは同じように人魚を歌声を聴いたのだから、体に変調をきたし、命を失ってしまうはずだったのだが、それはそうはいかないのです。
 ここでガスパールの個人事情を説明しますと、上に書いたように、彼は7年越しの大恋愛に破れて、そのショックのために生きる気力も失っていました。それから家族関係ですが、かの帆船レストラン「フラワーバーガー」は祖母シルヴィア・スノウが創業したもので、傑物であったこの女性は不思議なフード(フラワーバーガー)と幽霊や怪物を仲間につけたショー・スペクタクルで、人々を「驚かせる」ことで幸せにできる血筋を後世に残そうとしました。この「驚かせる人」という職業を彼女は "Suprisiers(シュープリジエ)"と名付けた。
Suprisiers : ceux dont l'imagination est si puissante qu'elle peut changer le monde.... du moins le leur, ce qui constitue un excellent début.
シュープリジエとは : 世界を変えてしまえるほどの強烈な想像力の持ち主のこと... とは言っても少なくとも彼ら自身の世界を変えられるということだが、それでもそれは優れた出発点である。
このシュープリジエになるための未完の手引き書"Le livre secret des Suprisiers(シュープリジエ秘伝書)"を亡くなったシルヴィアは孫のガスパールに託します。なぜなら息子(つまりガスパールの父)のカミーユは少々頼りなく、経営不振を理由に帆船レストラン「フラワーバーガー」を売りに出して、シルヴィアの遺志を継ごうとしない。そうは言ってもカミーユも悪い人物ではなく、大失恋で前途が見えなくなっているガスパールに、空気を変えて新しい道に進ませるにはこうでもしなくては、という親心でもあるのです。しかしガスパールは「フラワーバーガー」売却には真っ向から反対し、なんとかシュープリジエの道を進みたいと思っている。そんな中に巻き起こったこの人魚事件、その最中に船の売買契約は固まりつつある...。
 救われた人魚の名はルーラと言い、何千年の時を生きてきたのですが、セーヌ大洪水で受けた傷は大きく、このまま(青い)血が流れ続ければあと2-3日ももたない、火急的速やかに大海に戻してやらないといけない。そしてそれを救おうとしたガスパールも、人魚の必殺の美声のために死ぬはずだったのに死なないのは.... 見え見えのシナリオですが、恋が芽生えるからなんですな。(だんだん書いていくのがアホらしくなってきました...)
 ま、荒唐無稽などちらかと言えば20世紀アニメあるいはハリウッド喜劇流の想像力で成り立っているファンタジー読み物です。現役音楽家のマルジウですから、音楽リファレンスも多く登場し、最初のセーヌ大洪水でエディット・ピアフの"Non je ne regrette rien"のレコードが針飛びで繰り返されるところは、こいつその日本語題の「水に流して」というのを知ってて書いてるな、と思ったものでした。ガスパールの飼っている猫の名がジョニー・キャッシュ、外科医ヴィクトールはイヴ・モンタンの物真似が得意、その他レオナード・コーエン、ニック・ケイヴ、セルジュ・ゲンズブールなどネタはたくさん。マルジウの第一回監督映画(アニメ)『ジャックと時計じかけの心臓』(2013年)と同じように、これも最初からミュージカル仕立てで構想されていたような、音楽が聞こえてきそうな小説ではありますが...。
 で、小説はガスパールが人魚ルーラに出会ってから彼女を海に返してやるまでの3日間という短い時間の間に起こる波乱万丈が描かれるわけですが、一方でガスパールとルーラが彼の「シュープリジエ」的想像力の高揚によって恋が結晶化していくというストーリーと、もう一方で女医ミレナが亡くなった恋人ヴィクトールの仇討ちのために科学的に人魚を追い詰めていくというストーリーが、双方クレッシェンド的に最高に盛り上がったところで、え?という異変があって終わるという、起承転結のあるわかりやすい話です。
 小説として書いた、というよりも、映画という最終的な完成品のための第一段階の脚本案のようなものです。この種のファンタジー連作の最初の『時計じかけの心臓』(2007年)以来のティム・バートン映画的な趣味は変わりません。こうやって"ティム・バートン的"と書いてしまうと、この人の想像力というのはどうも限界があるように思えてきます。その想像力は作中の祖母シルヴィア・スノウによると「世界を変えられるほどに強力」でないと「シュープリジエ」にはなれないのです。そこが課題でしょう。映画化作品はそこんところ、その想像力の見せどころという映画にしてほしいものですが、商業性が先行しないことを切に願います。
 さて小説の最後は美しいです。「鶴の恩返し」的なところもありますが、人魚ルーラがガスパールのアパルトマンなどに落としていったたくさんのウロコ片は雲母化して凝固し、これまで発見されていない宝石として超高価で買われていきました。その金で帆船「フラワーバーガー」号は売却を免れたばかりではなく、大改造され、川船から大海の航行もできる船となります。ガスパールは「フラワーバーガー」一座のクルーを引き連れて、この船で、いつか人魚ルーラと再会することを夢見て、大海原に向かって帆を上げるのです。カモン、セイル・アウェイ! この時マチアス・マルジウは帆に家紋の「丸に十の字」を掲げるに決まってるじゃないですか。

Mathias Malzieu "Une Sirène à Paris"
Albin Michel 刊 2019年2月7日 240ページ 18ユーロ


カストール爺の採点:★★☆☆☆

(↓)ディオニゾス「パリの人魚(Une Sirène à Paris)」(ヴォーカル:マチアス・マルジウ+バベット)


**** 2019年3月6日追記 ****

(↓)3月6日国営テレビFRANCE 5の番組「ラ・グランド・リブレーリー」に出演したマチアス・マルジウ。小説『パリの人魚』に登場する不思議な機械 "VOICE-O-PHONE"(スピード写真のように、瞬時にして自分の声のレコード盤ができるコイン式自動販売ボックス)や、四面ハーモニカ "コクリコフォン"などが実在することを証言。また聴く者に死をもたらしてしまう人魚の声のメロディーを実演したりしている。



 

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