2026年6月28日日曜日

華麗なるアンドレ・ポップの世界 その6:タンタン

OST "Tintin et le mystère de la Toison d'Or"
サントラ『タンタンとトワゾン・ドール号の神秘』

1961年フランス/ベルギー映画
監督:ジャン=ジャック・ヴィエルヌ
原作:エルジェ
主演:ジャン=ピエール・タルボ(タンタン)、ジョルジュ・ウィルソン(ハドック船長)
音楽:アンドレ・ポップ
フランス公開:1961年12月6日


ルギーのBD作家エルジェ(1907 - 1983)作画のシリーズ『タンタンの冒険』(1930 - 1986)にインスパイアされた初の実写映画であり、既刊のBD作品を原作としないエルジェ(+アンドレ・バレー)の書き下ろし脚本によるオリジナル映画『タンタンとトワゾン・ドール号の神秘』(1961年)。
(↓)フランス語版予告編



(↓)そしてこれはこの映画の冒頭シーン2分間。タンタンと天才発明家トゥルヌソル博士とはドック船長らが居城としているムーランサール城に、原付自転車ソレックスに乗った郵便配達夫がハドック船長あてのトルコからの書留便を届けに来る。そしてトゥルヌソル博士の研究室から爆発音+赤い煙、なにやら博士の大発明の革命的動力燃料が完成したらしい...。


(↑)そのタイトルバックで流れる音楽が、われらがアンドレ・ポップの手になるこの映画のメインテーマ。マンドリン - (1967年「恋はみずいろ」創唱者ヴィッキー・レアンドロスのオリジナルヴァージョンもイントロはマンドリン)- スパニッシュ・ラテンな12拍子と陽光かおるイタリア/ギリシャ系の地中海ライト・ミュージック。アンドレ・ポップ節。
(↓)アンドレ・ポップ楽団、オリジナルサウンドトラック「タンタンとトワゾン・ドール号の神秘」メインテーマ。


 映画冒頭でハドック船長が受け取ったトルコからの手紙というのは、船長の古くからの船乗り仲間で親友だったパパラニックが亡くなり、その遺言状にパパラニックが所有していた船トワゾン・ドール号をハドックに進呈するとあり、その譲渡手続きのためにイスタンブールへ来いというパパラニックの弁護士からの申し出だった。さっそくハドックは相棒の探検リポーターのタンタンとその愛犬ミルーを連れ立って空路でイスタンブールへ。弁護士の案内で港に停泊しているトワゾン・ドール号を見に行くと、なんともボロい旧時代の小さな貨物船で、ハドックはこんなものをもらっても何の得もないと譲渡受諾に躊躇する。そこへアントン・カラビンと名乗る富豪の商人が現れ、破格に高価な金額でこの船を買いたいとしつこく迫り、買値をどんどん釣り上げていく。むむむ。怪しい。ハドックとタンタンはこの胡散臭い豪商との取引を断るが、そのあとハドックとタンタンの命を狙うさまざまな襲撃を受けることになる。トワゾン・ドール号には秘密が隠されているに違いない。船倉に残された荷物はガラクタばかり。しかしタンタンは故パパラニック船長の書机から一枚の新聞記事スクラップを発見する。数年前、南米の小国テタラグア(架空の国、モデルはニカラグアとされる)でクーデターが起こり、クーデター首謀者たちは8日間だけ国の全権を掌握することができたのだが、勇敢なるテタラグア人民の蜂起でクーデター政権は崩壊、首謀者たちは国外に逃亡する際にテタラグア中央銀行にあった国庫の金塊を持ち出したというのである。5人の首謀者たちの中に、なんとパパラニック船長とアントン・カラビンも。Ça alors !  しかしその金塊はどこかに隠されたまま発見されていない。それを知っていたパパラニック船長は死に、遺品としてトワゾン・ドール号が残った...。
 映画は冒険とアクションと宝探し。ワクワク。その舞台はイスタンブールからピレウス(ギリシャ)そしてアレクサンドリア(エジプト)と移っていき、カラビン一味、ギリシャ警察、そしてフランス国家保安エージェントのデュポンとデュポン(→写真)らが大混戦を展開するのですよ。カーチェイス&オートバイチェイスあり。ヘリコプターアクションもあり。 絶体絶命の危機に犬のミルー(大熱演!)の大活躍で突破する名犬ストーリーでもある。
 さてイスタンブール、ピレウス、アレクサンドリアというそれぞれにエキゾティックな土地柄を背景にして、博識音楽家アンドレ・ポップは”ワールドポップ”な作曲法でカラフルな映画音楽を提供するのですよ。
例えばこれが「イスタンブールに到着」と題された、回教寺院が林立する港町イスタンブールの情景(映画)音楽(↓)




ね?音楽だけで目に浮かんでくるようなトルコ絵ハガキミュージック。
(↓)も、気のいい土地の紳士を装った(実はカラビンに雇われた)観光ガイドに連れられてイスタンブール旧港をサイトシーイングするシーンの音楽。異国情緒音楽+映画のメインテーマの主題のヴァリエーションを交えた観光音楽。

(↓)はパパラニックのダチ(かのテタラグアクーデターのメンバーの一人)でピレウス(ギリシャ)の商人ミダス・パポス(演ダリオ・モレーノ!)の店で流れる音楽。ギリシャではありませんか!


それから映画の中にギリシャの結婚パーティーのシーンがあって、クラリネット大活躍のグリーク・ウェディングのダンス音楽がフィーチャーされるのだけど、この部分のサントラがネット上でも公開されてなくて残念ながら紹介できない。残念。

 ではアクションシーンの音楽も。これはタンタンが運転するオートバイによる追跡シーンのバック音楽。スネアの小刻み連打が昔懐かしい2ストロークバイクの音に聞こえませんか?エレキのテケテケテケテケも昭和的なカーブコーナリングを想わせます。


そしてもう一つ、名犬ミルーが犯人を追いかけていくシーンの音楽。この足の軽やかさ!ラジオドラマ的とも聞こえてしまうのが、犯人を見つけて、ハッと隠れて見張るタイミング(20秒目、1分32目)で流れるダダダダ〜ンというエレキのメロディー、素晴らしい!



アンドレ・ポップの代表作の一つ、子供たちのためのオーケストラ音楽入門の音楽物語『ピッコロサクソと仲間たち』(1957年)で既に極められていた、あらゆるオーケストラ楽器を知り尽くした達人的職人芸の”器楽つかい”、碩学的な民族音楽の深い造詣、そのアンドレ・ポップに映画音楽を任せたら、こんな音楽になっちゃったのですね。わかりやすくも奥深い。しかし、この秀逸な仕事にも関わらず、タンタン実写映画の次作『タンタンと水色のオレンジ Tintin et les Oranges Bleues』(1966年)ではアンドレ・ポップではなく(ゴダールやトリュフォーの映画音楽で知られる)アントワーヌ・デュアメル(1925 - 2014)が音楽を。なぜかは知らない。


 なお、1962年録音&リリースのイザベル・オーブレ歌のヴァージョンは、映画のオリジナルサウンドトラックではないものの、大変ポピュラーであり、同じ年1962年、イザベル・オーブレは「はじめての愛 Un premier amour」(アンドレ・ポップの曲ではない)という歌でユーロヴィジョンで優勝していることもあり、アンドレ・ポップ版よりもこっちの方が映画主題歌と思われているフシがある。歌のタイトルは「タンタンとトワゾン・ドール号 Tintin et la Toison d'Or」となっていて、「神秘」が抜けているが、大したことではない。作詞はピエール・ドラノエ。編曲伴奏はアンドレ・ポップの同業者、ジャン=ミッシェル・ドファイユ。


 『華麗なるアンドレ・ポップの世界』次回を刮目して待て。

2026年6月16日火曜日

父と子 I know I have to go

Olivier Bourdeaut "Une histoire d'amour et de violence"
オリヴィエ・ブールドー『愛と暴力の物語』

から10年前、2016年、一風変わった小説がフランスを魅了した。『ボージャングルスを待ちながら(En attendant Bojangles)』は多くの読者にとって一種のオヴニーであった。奇想天外でシュールなストーリーのジェットコースターであり最終的にメランコリックな大団円に唸らされ、その年の大ベストセラーとなった。この時作者オリヴィエ・ブールドーは35歳だった。遅く来た男。このデビュー小説が話題になり始めた頃、ブールドーの父親がこの世を去っている。
 本書は『愛と暴力の物語』と題された”レシ(récit)"であり、創作物語ではなく、作者とその父親の叙事的ことがらを書き連ねた手記であり、その自分が生まれてから36年間面と向かって付き合ってきた父との物語は、おのずと自伝と重なってしまう。重点は”愛”よりも”暴力”かもしれない。世に暴力的な父親はいるもので、鬼のスパルタ親父から小児虐待まで私たちは非常に深刻な事象であることを知っている。躾(しつけ)と称して体罰を加える父親。21世紀的現在においてはこれはれっきとした犯罪行為であり、世の中は目をつぶってはいない。作者は1980年生まれであり、世の中は親の暴力を放任する時代ではなくなっていたと思うが、作者自身は他の家でも同じようなものだろうと思っていたと言う。親が専制的に子の失態と決めつけたことに対して、この親は子に体罰を与える。問答無用。幼い頃からオリヴィエは両手を背で結び父の前に跪いて顔に平手打ちを受ける。自分の落ち度への罰なのだから仕方ない、子を矯正する父は正しく、みんなこんなふうに育てられるのだろうと思っていたと言うのだ。ところが十代にもなると、周りの子たちはそのような制裁を知らずに育っていて、自分の家は特別だと気づくようになる。気づいても仕方がない。自分は学業もデキが悪く、何をやらせてもヘマばかりの子供だ。父はそのヘマやデキの悪さに怒り、子をあらゆる言葉で罵り、習慣であるかのように子を叩く。それはオリヴィエに限ったことではなく、父ピエール・ブールドーの5人の子供(前妻との間にできた兄と姉、自分、そして弟と妹)全員に対して過度に厳格で強権的で暴力的なのだった。兄姉弟妹の4人は賢明にも物心がついた頃からこの家を出なければ自分は殺されると悟って、自活できる状態になり次第、一人また一人と家を出て行った。
 小説は父ピエールがガン闘病の末亡くなり、その葬儀の準備をしているところから始まる。地元(ナント)である程度名の通った公証人(ノテール)だったから、葬儀には100人を越える人が集まる。葬儀に必要不可欠なのが”弔辞”であり、誰がするかという段になって兄姉弟妹はみんな断った(それほど憎悪されたいた)。おまえが父親と一緒にいた期間が一番長いんだから、おまえがやれ、と。学業につまずき、まともな就職もできず、兄姉弟妹と違いその36年のほとんどを実家で両親と共に生きてきた。父親と過ごした時間が最も長く、父親に最も怒られ折檻され、父親と最も”対話”したのもオリヴィエだった。おまえが一番父親のことを知っている。言われてみればそうだ。だが”弔辞”の問題というのは、その中で故人のネガティヴな部分には一切触れず、ポジティヴな価値を紹介してそれを賞賛するというのが”世の慣わし”である。オリヴィエはそれを壊すつもりはない。父へのオマージュを捧げたい。だがそのポジティヴな価値なるものはあるのか。一応その時には”作家”になっていた作者だったが、その弔辞原稿を書くのに辛い苦労を覚えてしまうのだ。
 公証人とはフランスでは高い身分に位置し、弁護士と同じように "maître(メートル)”の尊称がつく。だから人は父を”ムッシュー・ブールドー”ではなく、”メートル・ブールドー”あるいは”メートル”と敬意を込めて呼ばなければならない。父は公証人事務所を畳み退職した後も自分を”メートル”と呼ばせた。一貫して自分は上の身分にあり、人をかしずかせる者という立場を取り続けた。尊大にして教養人であり、家族に対しては一銭の小遣いもやらなかったくせに、他人には寛大であり、レストランのチップも大枚で置き、自分の公証人事務所の職員に対しても顧客に対しても好印象のメートルであった。
 またこの父は独自の育児養育論を持っていて、子供は生まれたその時から親に負う借金が始まると言うのだ。生み育ててもらった恩は成人自活した時点で親に(金で)返済しなければならないとする。食費・衣服費、鉛筆一本、ノート一冊までかかった費用は全部返済してもらう、と子供に繰り返し言ってある。その養育費用にしても徹底的に倹約してあり、菓子玩具も不要と判断されれば与えない。
 妻に対してはどうか。先妻は逃げた。二度目の妻シモーヌ、すなわちオリヴィエとその弟と妹の母は最終的に添い遂げるのであるが、やはり抵抗の不在期間がある。彼女はピエールの公証人事務所の秘書として雇われ、公の場では”人徳者”として通るピエールは彼女に丁寧に仕事を教え、彼女もその期待に応え”できる”秘書に育ち、その延長でピエールの家庭に入った感じ。ピエールは妻たる者に仕事は不要という主義で、シモーヌは専業主婦になった。夫の家庭内での暴君ぶりに耐えながら、嫌悪と反抗心をむき出しにする子供たちと夫の間に入っておろおろしていたものの、ピエールに繋ぎ止められる何かがあったのだ。何なのか。それは子供たちの中で最も罵声と折檻で打ちのめされていたオリヴィエにも同じこと、それでも父にどこか慈しみを覚えてしまうのは何故なのか。
 父は習慣として1日に両切りゴロワーズを4箱吸い、何杯何本と言わず多量のミュスカデを氷で割って飲んでいた。モク中アル中であり、ガンになって当たり前であったが、案の定それで命を落とした。常に尊大な帝王の振る舞いをしていても、往々にして常軌を逸してしまう暴言と暴力行為はこの極度の依存症から来るものという疑いはあった。ガンを発病し、重い治療(ケモセラピー等)でアルコールを体が受け付けなくなってから、父の”狂行”は鎮まる。オリヴィエが薄々勘づいているのは、これは遺伝するものだということ。作者はアルコール依存症には陥らなかったが、大麻常習者となった。しかもジョイントではなくもっぱらボング(水ギセル)を使用し、かなりの重度常習者となっていたと告白している。幻覚や狂気も。
 子供時代から学業成績は最低で、父から叱責・罵声が絶えなかった。初めは素直に父に嫌われまい/好かれたいと努力をしたのだがうまく行かず、体罰は続いた。父はこの折檻暴力に加虐快感を得ていたのかもしれない。そして跪いて両手を後ろに結び平手打ちを受けることで、父が満足を得ているのであれば、それもオリヴィエ自身が受け入れられる”父子”の瞬間だったのかもしれない。しかし父から受ける暴力によって、自分も暴力に鈍感(慣れっこ)になり、体躯は小さかったのに学校では暴力児童になっていき、父から受ける殴打の痛さを他の子たちに味わわせウサを晴らした。その暴力沙汰が学校から親に知らされると、父の怒りがオリヴィエに下るという一種のサイクル効果となってしまう。この小説には少年オリヴィエの暴力武勇伝的エピソードも載っていて、相当のワルだったことがうかがえる。
 兄姉弟妹の4人はどうにかこうにか学校を出て自活してこの悪夢のような家を出て行ったのだが、オリヴィエは学業について行けず、かと言って仕事に就くこともできず(一応、不動産屋の売上歩合制のセールスマンとなるのだが、一件も不動産契約を結ぶことができない)、おまえは何をやらせてもダメな息子だと散々に罵倒されながら、両親の家に留まっている。居づらくなると、安定した収入もないのに(生活保護受給者になったこともある)、男女問わず知り合いの厄介になったりしながら、夜はどこそこで開かれるパーティーで過ごし、ドラッグに溺れていく。20代から30代にかけて、真正のろくでなしになるのだが、それはそれで日本の無頼派のようにのちに生まれる小説の肥やしになったりもするので...。こういうダメ男に転落して行くのを見て、父はそれ見たことか、私の言った通り、おまえは無一物となって絶えるのだ、と助けようともしない。
 オリヴィエがどん底まで落ち、(母と共に)父がスペインに買ったヴィラで退職後の悠々自適生活を始めた頃に、息子の下降線と父の上昇(安定)線の両方の向きが逆転する。父は病いに冒され、息子は文学(『ボージャングルスを待ちながら』)によって救済される...。
 では、その文学はどのようにしてオリヴィエの身に訪れたのか?発端は一家の夕食だった。教養人にして世のなべての事象に意見のある父ピエールは、その自説を家族の前で言わないと気がすまない。食卓でピエールの隣席につく光栄を得たオリヴィエは、食後他の家族が卓を離れた後もピエールの説法に付き合い、時には討論になるが、結語はピエールが下すというルールになっている。オリヴィエは実はその瞬間が大好きだった。他の家族にはない特権が自分にあると思っていた。そこでピエールの対話者としてちゃんとした討論ができるようにと、その話題の多くのベースとなる歴史の本を読み漁るようになった。なんと(80-90年代に至っても)テレビのない家だったこともあり、オリヴィエは暇があれば本を読む少年になり、本の虫と化した。学校の成績は(体育を例外として)全科目落第点しかなかったのに、歴史だけはクラス一番だった。それと綿密に関連しているが、オリヴィエを文学に強烈に引きつけることになるのは、父親からの思いがけないプレゼントだった。それは1冊のノートであり、父はこれを「語彙帳」として使え、と。本を読んでいてわからない言葉に遭遇したら、その語を書き取り、辞書からその語の定義を丸写しするのだ、と。13歳だったオリヴィエは10年ほどかけて何冊もこのノートを黒々と書きつぶしていく。これによって作者は語彙への愛着、語の正確な意味をものにしていき、”言葉愛”を育んでいく。そしていつしか”書くこと”を身に着けてしまったのだ。30歳を過ぎていよいよならず者のろくでなし(+ジャンキー)に身をやつして、俺には書くことしか残されていない、という逆転の転機は父のせいで”本の虫”→”語彙の虫”と変身していたことがベースになっていたのだ。

 2008年、オリヴィエは(エレクトロ・シンガーソングライター)セバスティアン・テリエ(1975 - )の曲”L'amour et la violence(愛と暴力)”に衝撃を受け、これは俺の歌だ、俺のことを歌った歌だ、俺に言えなかったことをこの歌は俺に代わって言っている、なぜこんなことが俺でない人間にできるのか、と猛烈に嫉妬した。父と自分の関係はまさに端的にこの二つの言葉である、すなわち愛と暴力。答えは全てこの二つの言葉の中にある。この本を書かせる全ての理由はここにある。
Dis-moi ce que tu penses
あんたが思っていることを言ってくれ
De ma vie
俺の人生について
De mon adolescence
俺の青春時代について
Dis-moi ce que tu penses
あんたが思っていることを言ってくれ
J'aime aussi l'amour et la violence
俺も愛と暴力が好きなんだ
 


 病いの床にいながら父ピエールは”新進気鋭作家”オリヴィエ・ブールドーの出演するラジオやテレビ番組を逃さず視聴していた。口に出しては言わないが、ろくでなしのルーザーだった息子がやっと一廉の人間として世に認められるようになった、と思ってくれていたんだかどうだか。父へのリヴェンジを認めてくれたんだかどうだか。

 そしてオリヴィエには新しい事件が訪れた。息子アンリの誕生である。父になるのである。今後は自分の番なのである。遺伝はあるのか。自分には凶暴な父になる契機がないわけではない。実際自分は少年期に手に追えない暴力的な子供であった。父の葬儀の時に集まった叔父叔母などから作者はピエールが子供時代にすでに暴力的な性向だったことを初めて聞かされる。それはピエールが兄弟姉妹とは別扱いで(父母に愛されていなかった?)全寮制の学校で育てられた経緯かららしい。愛が欲しかった子供だったのだろう。歴史は繰り返される。暴力の中で育った子は愛を知らなかったのか。殺したいほどに父を憎んでいたこともある。オリヴィエは父になり、小さいアンリにはそのような父にはなりたくないと思うのであるが、いつかこの歴史の輪廻に巻き込まれるのではないか。
 アンリが学校に行くようになったら、ピエールの倣いに従って、アンリに「語彙帳ノート」をプレゼントしようと考えている。「これはパパからじゃなくて、死んだおじいちゃんからだよ」ー
 父を愛することはその暴力をも愛することである。そうとも俺は暴力が大好きだった、という父への鎮魂の書。黒いユーモアでオブラートはかけられているけれど、重い愛の書であった。

Olivier Bourdeaut "Une histoire d'amour et de violence"
Gallimard刊 2026年4月30日 242ページ、 20,50€


カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)国営ラジオFrance Inter 朝番(La Grande Matinale)でマチルド・セレルのインタヴューに答えるオリヴィエ・ブールドー


(↓)キャット・スティーヴンス「父と子」(1971年)