2024年7月12日金曜日

華麗なるアンドレ・ポップの世界・その1

Herb Ohta "Song for Anna"
ハーブ・オオタ「天使のセレナード」
(1973年)
作曲:アンドレ・ポップ


ダニエル・ポップの記述によると、作曲家アンドレ・ポップ(1924 - 2014)の3大世界的ヒットは(ビッグな順番から)「ポルトガルの洗濯女」(1952年)、「恋はみずいろ」(1966年)、「天使のセレナード」(1973年)となるそうだ。それはたぶん印税収入でのビッグ3なのだろうが、(多くの人が想像していただろう)「恋はみずいろ」ダントツというわけではなかったのだね。
 さて、ハーブ・オオタ(1934 - )は言わずと知れたハワイを代表する世界的ウクレレ奏者であり、”オオタ・サン Ohta-San"の愛称で通っている。「ソング・フォー・アンナ」は当時全米で6百万枚の売上を記録したと言われ、オオタ・サンの代表的ヒットとなったのだが、その作曲者アンドレ・ポップとの出会いは1972年、東京での出来事であった。
 フランス国営ラジオ(Radio France)のジャーナリスト/プロデューサーのセルジュ・エライク(Serge Elhaïk)が2018年に上梓した2160ページの大著『シャンソン・フランセーズの編曲者たち(Les Arrangeurs de la chanson française)』(Editions Textuel刊)という大変な本があり、いつか手にして読まねばなるまいと構えているのだが、今日まで実現していない。息子ダニエル・ポップのFBページによると、この本の中にハーブ・オオタとの出会いをアンドレ・ポップが証言している箇所がある。そのまま訳してみる。
セルジュ・エライク:「ソング・フォー・アンナ」は「恋はみずいろ」に続く大ヒットとなりましたね。
アンドレ・ポップ:これはとても稀なエピソードさ。ある日私は東京のホテルにいて、私にぜひ会いたいという人物からの電話を受け取ったんだ。それがウクレレの大スター、ハーブ・オオタだったんだ。そして”私はあなたの作った「恋はみずいろ」を知ってますよ”と言って彼のウクレレでメロディーを弾いたんだ。素晴らしい演奏だった。そして”私はあなたのよく知られた曲でアルバムを録音したいんです。未発表の新曲を2曲加えてください。そしたらフルオーケストラと録音しにパリにやってきますよ”と。彼はパリに来て、万事は予定通りに。2曲の新曲のうちの一つとして私は「ソング・フォー・アンナ」を作曲したんだ。そして彼はマスターテープを持って帰国して行ったんだが、その後6ヶ月間なんの音沙汰もなかった。そんなある日一通の電報が届いた”「ソング・フォー・アンナ」が全米イージーリスニングチャートに入った”と。レコードはかの名高いトランペット奏者ハーブ・アルパートのA&M社から発売され、全米ヒットチャートに3ヶ月間上ったままだった。続いてメキシコとブラジルでナンバーワンヒットになり、歌入りのヴァージョンも多く録音された。日本でもこれはビッグヒットになり、のちに私が東京に行った時、滞在したホテルのピアニストが「ソング・フォー・アンナ」を弾いているのを聞いたんだ。この仕事の偶然がもたらしたものとは言え、信じられないような話だよ。
それは1972年のヤマハ世界歌謡祭で両者が来日していた時の話とされている。同じ音楽祭でアンドレ・ポップがマルティーヌ・クレマンソー「ただ愛に生きるだけ Un jour l'amour」でグランプリを取ったのは1971年のこと。それはそれ。1972年のハーブ・オオタとアンドレ・ポップの出会いについては、ハーブ・オオタからの興味深い証言がYouTubeに公開されている。(↓)


わかりやすい英語なので、解説は不要だと思うが、上のアンドレ・ポップの証言と逆なのは、オオタによると歩み寄ってきたのはアンドレ・ポップの方で、「パリに来て一緒に録音をしよう」と誘ったのはポップだったと言っている。まあ、これはお互いの”高い”プライドのなせる軽い食い違いだと思うが、たいしたことではない。それよりもポップが証言していた「6ヶ月間なんの音沙汰もなく」ということが、オオタの証言でクリアーになる。オオタは録音のコピーカセットをあらゆるメジャーレコード会社に送ったが、どこも相手にしなかった。1970年代のロック全盛期に、こんなクラシックまがいの静かな楽曲は売れっこないと決めつけられた。全米のラジオ局からも拒否された。仕方ないからローカル(これはハワイということなんだろう)の小さなレーベルからレコードを出したら、それがローカルでナンバーワンヒットになった。それはロック系のFM局が、朝の早い時間(通勤時間帯)にこの曲をオンエアしたからで、それが反響を生み出し、その噂をA&Mレコードのハーブ・アルパートが聞きつけて、A&Mから全米リリースされ... という話につながる。これが「6ヶ月間なんの音沙汰もなく」のオオタさんの事情だったわけだが、私はこのロックFM局が朝の通勤時間帯にこの曲を流したら大反響になったという話が大好き。なんか朝早起き労働者たちの心に訴えるものがあったのだよね。ロックしか聞かない学生たちは朝寝坊だしね。
 それはそれ。
 では曲を聴いていきましょう。

(1)ハーブ・オオタ(オオタ・サン)「ソング・フォー・アンナ」(1973年)
  作編曲アンドレ・ポップ、伴奏アンドレ・ポップ楽団


(2)アンドレ・ポップ楽団「ラ・シャンソン・プール・アンナ(La Chanson pour Anna)」(1973年)


(3)ポール・モーリア楽団「天使のセレナード」(1973年)
日本で圧倒的に有名なヴァージョン。番組テーマやCMなどに使われるのはほぼ全部モーリア・ヴァージョン。

(4)ヘンリー・マンシーニ楽団「ソング・フォー・アンナ」(1974年
「ピンク・パンサー」のヘンリー・マンシーニはポップと同じ1924年生まれ(1994年没)で今年生誕100年。欧物イージーリスニングにはない「ラスベガス感」と言うのだろうか。


(5)ジャネット「ラ・シャンソン・プール・アンナ」(1977年)
歌もの。作詞はジャン=クロード・マスーリエ(1964年から70年までユーロヴィジョン・コンテストのフランス審査員代表)。スペインの女性シンガー Jeanette(ジャネット、日本語Wikipediaでは”イギリス人歌手”とされている)はアンドレ・ポップと組んだ録音がいくつかあり、これはなかなか。

La chanson pour Anna est née un jour de printemps
アンナのための歌はある春の日に生まれた
Celui qui la chantait alors n’avait que vingt ans
その歌を歌ったのはまだ20歳の若者だった
Tu étais une enfant Anna et lui un soldat
おまえは子供だったアンナ、そして彼は兵隊だった
Il était ton ami et ne chantait que pour toi
彼はおまえの友だちで、おまえのためだけに歌っていた

Il partit

彼はギターと銃を携えて
Avec sa guitare et son fusil

旅立った
Loin de toi

おまえから遠く離れた
Au hasard de la guerre

戦争の危険の中へ
Par un matin de pluie

ある雨の朝に
Il te dit :

若者はおまえに言った
Au revoir Anna ne pleure pas

さよならアンナ、泣かないで
N’oublie pas ma chanson pour toi

おまえのために作ったぼくの歌を忘れないで

La chanson pour Anna tu l’as gardée dans ton cœur
アンナのための歌をおまえは心の中にしまっておいた
Comme un jardin secret, comme un instant de bonheur

秘密の庭のように、幸福のひとときのように
Tu grandis doucement au fil du temps, des saisons

おまえは時と季節を経て大きくなった
Et tu n’as jamais souri ou pleuré

ほかの歌を聞いても

Pour une autre chanson

おまえは微笑みも涙を流すこともなかった
Si tu as dans le cœur quelqu’un qui pense à toi
もしもいつかおまえを愛する人を心に抱いたら
Tu chanteras un jour la chanson pour Anna
おまえはアンナのための歌を歌うだろう
La chanson pour Anna un jour tu l’as entendue

おまえがかつて聞いたアンナのための歌

Celui qui la chantait Anna tu l’as reconnu
それを歌ってくれた若者をおまえは見つけだす
La guerre était finie et il était revenu

戦争は終わり、彼は戻ってきて
Chanter avec toi d’une même voix

おまえと一緒に一つの声で歌う
La chanson d’autrefois

懐かしいあの歌を
Si tu as dans le cœur quelqu’un qui pense à toi

もしもいつかおまえを愛する人を心に抱いたら
Tu chanteras un jour la chanson pour Anna
おまえはアンナのための歌を歌うだろう


2 件のコメント:

星 すみれ さんのコメント...

もう50年以上前のことなのでうろ覚えですが。NHK『世界の音楽』という、来日アーティストなども出演する当時としては貴重な番組がありました。
その末尾に今月の曲、みたいなコーナーがあったような。そこでこの「天使のセレナード」が紹介されていて、番組が依頼して作曲してもらった、と聞いた気がします。もう、本当にそんな記憶、という程度なのです。そこで演奏していたのかが誰なのかも覚えていません。
なので、今回の記事は、えーそうだったの? モーリアのレコードの記載も読んでいたはずですがこれも覚えてない。レコードもとっくの昔に処分していますし。
一番びっくりしたのは歌詞があったこと。当時も今もこの歌詞が変わらぬ意味を持つというのは残酷です。

リンクされたYouTube見ているうちに、すっかり気分は70年代。ひさしぶりにフレンチポップスにどっぷりとハマった連休になりました。

Pere Castor さんのコメント...

すみれさん、コメントありがとうございます。
NHK「世界の音楽」は1967年から1973年まで放送された50分番組で、ホストは立川澄人(清澄と改名する前)だったそうです。番組で使われたのはポール・モーリアのヴァージョンです。

フランス語歌詞で歌ったのはボーカルグループLes Compagnons de la chanson(レ・コンパニョン・ド・ラ・シャンソン、日本では「シャンソンの友」と呼ばれ、「幸福を売る男」などで知られています)で1973年にシングル盤で出ています。(↓リンク 同曲YouTube)
https://www.youtube.com/watch?v=e7STwGIFk4U
記事中で訳した歌詞はこのレ・コンパニョンが歌った歌詞で、ジャネットのはだいぶ端折っていて意味も変わっているので...。

アンドレ・ポップの記事、続けたいと思います。また寄ってください!