2024年7月31日水曜日

We don't have tomorrow but we had yesterday

Paul Auster "Baumgartner"
ポール・オースター『ボームガートナー』

(追悼ポール・オースター その3)

2024年4月30日、77歳でこの世を去ったブルックリンの作家ポール・オースターの最後の小説で、アメリカでは2023年10月に発表され、(私の読む)フランス語翻訳は2024年3月にActes Sud社から刊行された。フランスでは刊行から2ヶ月足らずで著者が亡くなったので、プレスの生前の書評と死後の書評が当然違っていて、現代アメリカの代表的作家の”最後の作品”として読まれなかった書評(つまり生前)はやや冷ややかだったものもあった。オースターの肺ガン闘病が妻シリ・ハストヴェットによって公表されたのは2023年3月のことで、私のように死後にこの小説を読んだ人間は、死期がかなりわかっている状態で書いたものだなあ、という印象を持っただろう。つまりこれが最後になると思っていたのだろう、と。
 小説の題となっているサイ・ボームガートナーという人物は、71歳の寡夫、退職準備中のプリンストン大学の哲学教授(現象学とキエルケゴールの専門家)にして著述家。9年前に妻アンナ・ブルーム(1987年のオースターの小説『最後の物たちの国で - In The Country of Last Things』の主人公と同じ名前)と死別してから、一人暮らし。その最愛の妻を失った時からボームガートナーは、自分の体の半分(四肢)を失った感覚に襲われていて、その失われた四肢は彼の住むプリンストンの一軒家の中にそのまま残っていて蠢いているのである。すなわちアンナが遺した生々しい記憶である。詩人であり翻訳家だったアンナの仕事部屋は手付かずの状態で残されていて、そこにはおびたたしい枚数の手稿やメモや書簡が多数の箱の中に眠っている。朝早く夫婦の寝室からひとり起き出して、コーヒーのマグカップと共にキッチンの隣の自分の仕事部屋のドアを閉めてアンナが叩くタイプライター(オースターの小説ではほぼ”フェティッシュ”となっているブラザーのポータブルタイプライター)の音は、死後9年経った今でもボームガートナーには聞こえてしまう。この亡き妻の記憶は老教授にとって”忌まわしくはない”呪縛となっていて、その記憶にたゆたうこともある種甘美なものではあるが、彼はそこから前に進むことなく力なく年老いていくのである。
 小説冒頭はその老いの進み方の描写である。今しがた何をしていたのか思い出せなくなったり、部屋から部屋への移動が難しくなったり、妹に電話する約束を忘れまいと何度も自分に言い聞かせたり...。私もこの6月に70歳になったが、この老いは身に覚えのあるものだ。その朝の事件の発端は、階上で書き仕事(キエルケゴールに関するエッセイ)をしていた老教授が、その引用に必要な書物を階下に置き忘れ、それを取りに降りて行ったら台所からの異臭を感じ、見ると消し忘れたガス台の上に長い間熱せられていたアルミの鍋が赤熱していて、慌てて火を消したがアルミ鍋が床に落ちてしまい、瞬時に分別がつかずそれを素手で掴んでしまい...。この右手の火傷に始まり、その朝はさまざまな偶発事が重なって起こるのである。老人のひとり暮らしにこれほどのことがたたみかかってくると、と同情してしまいたくなる冒頭30ページである。
 約束の妹への電話がかけられないでいると、電話が鳴る。妹ではない。週に2回老教授宅に家事手伝いで来ているミセス・フロレスが今日は来れないと娘のロジータが泣きながら電話してくる。一体何ごとか?ロジータは熟練の建設現場作業員である父ミスター・フロレスが、旋盤で誤って自分の指2本を切断してしまい、母が病院に急行した、と涙ながらに説明した。プロフェッサー、父はどうなってしまうんでしょうか?詳しいことは何も知らないのに、とっさに老教授は、現代の医学では切断されてしまった人間の体の部位は元通りに接合でき、機能も完全に復活させることができるから、心配しないで、と言う。ほぼ嘘から出たまことであるが、この切り離された肉体の一部が生き続けることや、失ってしまった部位の反応を肉体が感じ続けるといった現象はこの小説で繰り返し現れるテーマで、それは半身として感じていた最愛の妻アンナを失った半身として感じ続ける老教授の心的現象のことなのである。

 電話がまた鳴るが妹ではない。電力会社のメーター検針マンが約束した時間から遅れているが、今から検針に行ってもいいか、と。このメーター検針のアポの約束をした記憶が老教授にはない。仕方なく承諾するとしばらくしてドアの呼び鈴が鳴る。電力会社のユニフォーム作業着を身につけたメーター検針マン(エドという名前、小説後半にも出てくるが重要な好人物)は、メーターはどこかと尋ねる。地下のはずだが、確かめてくる、と老教授は地下室に向かう階段を降りていくが、灯りのスイッチを押しても電球が切れていて点かない。手探りで階段を降りていくが.... 老人は階段を踏み外し、落ちて地下床に転倒してしまう。猛烈な痛みと悲鳴。エドが地下から抱き上げて階上のソファに座らせ、救急車で病院へというエドの進言を老人は断るものの、頭と膝を打っていてとても歩ける状態ではない。エドが病院が必須かどうかテストしようと(ここのやりとりがすごくいい)、教授に今は何年か、ここはどこか、といった質問をする...。こうしてこの二人は、サイ、エドとファーストネームで呼び合う仲になる。エドが本来の仕事である地下メーターの検針をしている間に老人は眠りに落ち、2時間ほどして眠りから覚めるとテーブルの上に書き置きがある「検針巡回の終わりに(膝を冷やす)氷と電球を買ってまたここに立ち寄ります」。世界はまだ捨てたものではない。ここが老教授が9年間の”喪”のために深く沈殿していた老いの生活から再び頭をもたげる起点となるのである。    
 ボームガートナーの最愛の妻で30年間寄り添って生きていたアンナ・ブルームは詩人/翻訳家/編集者/著作家だった。小説は老教授の回想としてこの女性との出会い、熱愛、創作や著述における共同作業(誰よりも先にお互いの草稿に目を通す)、そのライフスタイル(二人には子供ができなかった)などを垣間見させる。スポーツに長け、詩的繊細さと気丈さが同居する、フェアーなパートナーだった。その死因は溺死だった。海辺のヴァカンス、その日波は高かった。浜辺の一日の終わり、最後のひと泳ぎよ、とアンナは海へ向かった。得意なスポーツのひとつ水泳だ、荒れ気味の海とは言え、ボームガートナーが止めたところでアンナは海に入っていっただろう。そして帰らぬ人となった。その自分の半身を失ったような限りない悲しみに「なぜあの時制止しなかった」という悔いは同居しない。止めても仕方のないことというのはボームガートナー自身が一番良く知っている。
 この魂の抜け殻のようだった数年間のボームガートナーを最も支えてくれたのが、アンナの親友だったジュディスという女性。悪い男と結婚して問題の多い年月の末離婚したが、その男との間に出来た子供を立派に育て上げ成人させた。苦労人。アンナとはさまざまな点で異なっていたが、それだから親友でいられたのだろう。その苦労人肌の心根でドン底の傷心寡夫を支えてやったのである。月日が経ち、ジュディスと会うことがどれほどの生きる糧となっているかを悟った時、老教授の反応は恋心に近いものになっていく。人生を再出発するのに伴侶として相応しい人は彼女しかいない。ジュディス宅の夕食の招きに、花とワインを携えて、プロポーズの言葉まで何種類か用意していく”純情さ”であったが...。これはうまくいかない。それはジュディスも老教授も予め心の底でわかっていたことで、誰もアンナの代わりになることはできないのだ。だからこれは軽い失恋。恋ですらなかったかもしれない。
 ジュディスの重要さと比べられるものではないが、小説の最初の方で出てくる宅配会社UPSのトラック配達人モリーのエピソードは微笑ましくも老人の心悲しさがよく現れている。職業柄書籍を注文する頻度の多い老教授は、それを定期的に配達に来るこの黒人女性モリーと顔馴染みになり、その配達の度の戸口での1〜2分のおしゃべりが老人のひとときの無上の楽しみになる。年齢も肌の色も違うのに、このモリーにはアンナを想わせるたくさんのものがある。特にその会話の快活さとテンポ。それはアンナの幻である。老人はこの至福の瞬間欲しさに、読みもしない研究書を一冊また一冊と注文して(この読まれない沢山の本はそのまま別のカートン箱に入れられ、地元図書館や教育機関に寄贈されることになる)、モリーの来訪を待っている。これだけで一編の映画が撮れそうな、老いたるものの甘美な侘しさである。
 このように、老人は9年のあいだ”喪”から抜け出せず、ちょっとした契機と出会う度に抜け出そうと試みるのであるが、その度にアンヌの幻に捕えられてしまう。老教授はこの呪縛を忌まわしいものとは思わない。自分から切り離されたしまった半身は、わが身にますますその蠢きをリアルに感じさせるようになる。
 その書斎に残されている夥しい枚数の未刊行原稿と草稿(詩、随筆、翻訳)と書簡、幽霊のように漂っているこれらの文字を恐れていた老教授はやっと紐解き始める。刊行された詩集から選外になった詩篇の数々、推敲された未発表詩、草稿断片... ボームガートナーはその作品価値に改めて驚き、これは拾遺詩集を編むに相応しい重要さである、と。そして若き日の書簡は、ボームガートナー”以前”も"以後”もアンナという若く才気ある女性がどんな世界とどんな男性を見ていたか、という極私的内面を老教授に初めて露わにすることになる。加えてボームガートナーの自分史とのごく深層的な絡み合いも改めて知らされる。なんという豊穣な過去を私たちは共有していたのだ。

 小説はボームガートナーとアンナ・ブルームという二つの”自分史”に、おそらくポール・オースター自身の”自分史”を絡み合わせた、19世紀末から20世紀はじめにアメリカに移住した東欧ユダヤ人たちのさまざまな個人史も導入して、オースターの作品群の根を形成するアイデンティティーも読者は読んでしまうことになる。ここの部分がオースター”最後の小説”で付けたかった”落とし前”なのではないだろうか。
 老教授が2017年のウクライナ学術訪問の際に自分だけ別行動で”(母方の祖父)ルーツ探し”で立ち寄ったスタニスラーヴ(現在の地名イヴァーノ=フランキーウシク)で聞いた、その町のユダヤ人住民たち(オースター姓が多い)が1939年から1944年までにどのようにして死んでいったかを証言する現地で出会った詩人の語る物語が、小説の152ページめから12ページにわたって記されている。題して「スタニスラーヴの狼」。衝撃的である。占領者ナチス・ドイツがこの地区でも大規模なユダヤ人虐殺を行なっていて、町の人口は毎年激減していった。ユダヤ人囚人は町の周辺の森まで連れて行かれ銃殺されその場に埋められた。その繰り返しの末、1944年7月、連合国軍のノルマンディー上陸から数週間後、ソヴィエト軍がスタニスラーヴをナチスから解放するために町に到着した時、町にはドイツ軍の姿も市民の姿もなく、あらゆる人間が四散した後だった。そこにいたのは狼の大群、何百何千の狼が町に残された食餌(動物肉、人肉...)を飽食していた。ソヴィエト軍がこの町から狼を駆逐するのに数ヶ月かかったとされ、町はその兵士たちと家族を中心に再建された、と。歴史的資料にこの大軍の狼がこの町に襲来したという記録はない。だが老教授(と作者オースター自身)はこの狼伝説を信じるのである。このメッセージわかるかな?

 165ページめから始まり35ページの長さの小説最終章(第5章)は光に溢れている。長い間書き渋っていた随筆(キエルケゴール論のつもりで始めたものが”自動車”論として書き上がる)の執筆が終わり、アンナの未発表文書の読み込みは熱を帯びてくる。そんなある日(2019年10月)、ミシガン州アナーバーミシガン大学所在地)から一通の手紙が届く。差出人の名はミス・ベアトリックス・コーエン、ミシガン大学文学部学生、「アンナ・ブルームに関する博士論文を書きたい」。紹介者で彼女の担当教授はアメリカ現代詩専攻のトム・ノズヴィツキー、サイ・ボームガートナーとアンナ・ブルームの旧友であり、アンナに横恋慕していたこともあるが、アンナ・ブルーム詩集の最も称賛的な書評を書いた人物である。ノズヴィツキーによるとミス・コーエンは彼が受け持った学生のうち数十年にひとりの逸材である、と。ベアトリックス・コーエンは博論のために、未発表資料がないか探している、ブルームが遺したもので見せられるものがあればぜひこの目で見たい、と。その書斎の未発表草稿の海に深々と浸り、拾遺詩集の編纂やブルーム文学世界のさらに密な研究の必要性を考えていた老教授にしてみればこの申し出はまさに”渡りに舟”であり、若い世代のブルーム研究者の登場にいたく興奮してしまう。だがどんな女性なのだ?アンナに関することで(あらゆる意味で)問題は起こしたくない。老教授はアナーバーのノズヴィツキーに電話する。大丈夫だ、彼女は聡明でその才気はアンナを想わせるものがある、問題を起こすわけがない。ノズヴィツキーはこう断言する「彼女はわれらの一族のひとり(l'une des nôtres)だ」。その後のメールやスカイプのやり取りで、老教授はその言葉を信頼できるようになる。ただ、アンナの書斎に残された膨大な量の文字の山は、ミス・コーエンが1日や2日で見切れる量ではない。全部目を通すだけで数週間、数ヶ月の時間が必要かもしれない。学生が私費でホテル滞在できるような期間ではない。そこで老教授の一軒家に残っている使っていない部屋を改造して、ミス・コーエンの滞在場所にしようと。ここからはユートピア建設のような展開で、第一章で登場したメーター検針マンのエド、ミセス・フロレスと指を元通りに再生させた建築マンのミスター・フロレスとその仲間たちが、古ぼけた一軒家の一角を快適な滞在部屋に変貌させただけでなく、アンナの死後手が加えられず華やかさを欠いていた中庭の花壇・芝生・植木を生き生きと蘇らせたのである。この環境の再生は老教授の再生をも準備しているかのように。

 2ヶ月前まで全くの赤の他人だったミス・ベアトリックス・コーエンは、今やボームガートナーにとって最も重要な人物の地位に昇格し、老教授からベアトリックスは「べべ」という愛称で呼ばれるようになるのである。そして双方にとって最適の作業開始/滞在開始の時期としてフィックスされた2020年1月が近づいてくる。問題は移動である。しかも真冬である。アナーバーからプリンストンまでの615マイル(1000キロ)の道のりを、べべ・コーエンは自身の愛車である中古のトヨタ・カムリをひとりで運転してやってくると言うのだ。途中一泊の2日がかりで。老人は大いにビビる。やめてほしい。危険すぎる。雪嵐、路面凍結。老教授はべべにやめてくれ、と嘆願する。フライトで来てほしい、プリンストンで車が必要ならば私のスバル・クロストレックを提供するから....。しかし若い女性は聞く耳を持たない。大丈夫ですから。雪道は慣れてますから。老教授は悪いことばかり想像する。これはアンナの溺死の直前の状況と同じだ。べべ・コーエンはアンナと同じようにいくら制止しても雪の中を車で旅立つだろう。
 そして約束の2020年1月3日がやってくる。13時30分、出発前の最後の電話会話。慎重に運転するんだよ/大丈夫よ、慎重に運転するって約束するわ、サイ。若い女性は笑って電話を切る。その後、まったく落ち着くことができなくなったボームガートナーは、居ても立ってもいられなくなって、衝動的に家を出て、どこに行くという目的もなく愛車スバル・クロストレックを走らせる。どれほどの時間、どれほどの距離、全くわからないまますっかり暗くなった道を進み、自分がどこにいるのかわからなくなってしまう...。

 最後はバラさないでおくが、大丈夫、老教授は生きている。光のある最後なのだ。
 たぶんオースターの最後は光のある最後だったのだ、と思わせてくれる。200ページきっかり。読ませてくれて感謝。私はオースターとつきあって本当に良かったと思っている。読んでない作品必ず読みます。合掌。

PAUL AUSTER "BAUMGARTNER"
Actes Sud刊 2024年3月 200ページ 21,80ユーロ

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)2023年11月公開の"About the Authors TV"でかの「ニューヨーク三部作」と『ボームガートナー』について語るポール・オースター。最晩年。



(↓)記事タイトルで使わせてもらったダイアナ・ロス「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」(1973年)

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