2023年10月31日火曜日

パティ・スミスと『地獄の季節』

ランボーを読む、それは初めてコルトレーンを聞く衝撃

リマール社によるアルチュール・ランボー『地獄の季節』(1873年)の150周年記念エディションの監修構成をパティ・スミスが担当し、スミスの写真とデッサンとテクストを増補した大判(250mm x 325mm、176ページ)豪華本が2023年9月28日に刊行された。その序文で彼女はこう書いている。
<< 彼の顔のイメージとその詩に私が初めて惹かれ、動顛し同時に魅了されたのは16歳の時だった。その酔わせる魅力に深く浸り、読んだばかりのことを思い出せぬほど、私は震えてそこから抜け出た。しかしながら彼の言葉は私の脳に深く刻まれ、死に至る霧の中に漕ぎ出る幽霊船のデッキに縛りついた綱のように私に巻きついた。地獄の季節は私にとって、濃縮ハシッシュや多量のアルコールのような若き日のドラッグだった。>>

16歳の時から心酔し、詩人を”アルチュール”と兄弟のように呼ぶパティ・スミス、彼女の記念すべきファーストアルバム『ホーシズ(Horses)』(1975年) は当初の予定では10月20日(アルチュール・ランボーの誕生日)にリリースされることになっていたが、遅れが発生し、”奇跡的にも”(パティ・スミス自身の表現)11月10日(ランボーの命日)に発表されている。彼女の並々ならぬランボー愛について、2023年10月28日付
リベラシオン紙が2面にわたるインタヴュー記事(聞き手フレデリック・ルーセル)を掲載している。そのほぼ全文を、以下に(無断)翻訳した。

リベラシオン:『地獄の季節』の150周年記念に何か特別なことをしたいと思っていたのはどうしてですか?

PS1973年の100周年記念の時、私は二十代だった。私はシャルルヴィルに赴き、彼の墓参りをしたが、当時誰もそのことを気に留めていないようだった。私にとってそれはいまだかつて書かれたことのない最高の詩集だった。アレン・ギンズバーグ、ウォルト・ホイットマン、ライナー・マリア・リルケなど天才的な詩作品は数多くあろうとも、この詩集を凌ぐものはないと私は思っている。その栄誉は敬わなければならない。彼の生前にそれはなされなかったのだから。」

リベラシオン:あなたの変わることのないランボーへの情熱はどこから来るのですか?
PS
「私が16歳の時、フィラデルフィアのとあるバス停の中の陳列台に一冊のランボー詩集『イリュミナシオン』が置いてあったのを見つけた。私はその顔に引きつけられた。その頃私にはボーイフレンドがいなかった。私は全部を理解することはできなかったけれどその言語が非常に美しいと思った。それはコルトレーンを初めて聞いた時のような何かとても新しいものだった。つまり私のランボー発見は二重のものだった。少女だった私はまずこの美しい少年に惹かれ、次いでその言語に魅了された。それは私から一生離れなかった。」

リベラシオン:その時の詩集をまだ持っていますか?
PS
「盗まれてしまったわ。私はどこに行くにもこの詩集を欠かさず持っていくようにしていたのだけれど、1978年シカゴ でトラックに積んでいた私たちのツアーの荷物(ギター、ピアノ、ドラムセット...)全部が盗まれてしまった。その中に私の小さな旅行バッグもあって、中には『ホーシズ(Horses』のコスチューム、『イリュミナシオン』詩集、ウィリアム・バロウズの私へのメッセージが書き込まれていた本などが入っていた。1978年、誰かが私の『イリュミナシオン』詩集を盗んだのだけど、その人がそれを大事にしてくれたらと願っている。元はと言えば私自身それを盗んだのだから。あの当時その本は1ドルもしなかったのだけど、私にはお金がなかったのよ。」

(中略)


リベラシオン
: 1873710日にヴェルレーヌがランボーに発砲したピストルもあなたにとって貴重なオブジェではないですか?

PS 「私はそれを最も早い時期に見ることができた人間のひとりだ。2014年の夏、ツアーでブリュッセルに寄ったとき、ベルギー王立図書館のすぐ近くのホテルに宿泊していた。王立図書館で私のアルチュール・ランボーへの心酔を知っている人がいて、 私のエージェントにこう電話してきた“最近非常に特別なものが納品になり、まだ誰も見ていない、パティなら見たがるのではないだろうか?”。図書館司書が私の前にひとつの菓子箱のようなものを置いた。柔らかい紙に包まれて、1世紀以上もの間ある引き出しの中に仕舞われていたかのピストルがあった。皮肉なことにヴェルレーヌがランボーをピストルで撃ったホテルはそこから遠くない通りを上ったところにあった。その武器を慎重に光沢紙の上に置き、許可をもらって私は写真を撮った。2015年このピストルはヴェルレーヌが2年間投獄されていたモンス刑務所に展示され、私はその時自分の手で持つことができた。その後ピストルは競売にかけられ売却された。このピストルはあの当時一種の魔力があった。」

リベラシオン:このピストルがこのように非常に象徴的lな意味を持っているのはどうしてですか?
PS
 「その銃声の炸裂がヴェルレーヌを監獄に送り、ランボーをシャルルヴィルに送り返しかの傑作詩集を完成させることになった。この小さなピストルはすべての中心だった。私は私がこの本に書いたことについて長い間考えあぐんでいた。私は英語で書かれたすべての評伝を読み、熟考の末、自分の直感に従うことにした。この二人の詩人の関係とランボーの作品あるいはランボーという人間そのものについて研究した者なら誰でもあらゆるスペクトルを容認しなければならない。 幾人かのランボー研究者たちは彼の挙動を咎めもする。われわれの文化環境は少なくともアメリカにおいては批判的傾向に転じていった。ランボーをその多くの挙動によって判定することはできる。しかしその判定は彼の最良の文学作品のいくつかを封印してしまう方向にも向かってしまう。ランボーが後世に残したもの、それは彼の挙動ではなく、彼の言葉である。私が1970年代の自分自身の少女時代を見直してみれば、自分がどれほどまでに頑迷で侮蔑的であったかがわかる。私はロックンロールという非常にハードな環境に身をおいていて、当時その世界で女は非常に少なかった。時には剥き出しの悪人のように振る舞い、ドアを蹴り破ることが必要だったのよ。」

リベラシオン:この『地獄の季節』150周年記念版は、あなたの写真、デッサン、テクストで増補された一種の豪華本となっています。どのように作業されたのですか?
PS
 「これは私にとって大変栄誉ある仕事だった。この記念版が十分価値あるものであるように、私は細部にわたって確認し熟考し、それは目次にまで及んだ。私は最初にすべてを手書きで書いてからタイプ転写したのだけど、ガリマールは私のテクストの一部を手書きのまま割り込むことにしたのよ。」

 

リベラシオン:あなたの筆跡は見事ですね。
PS
 「私は1950年代初頭に育ち、インク壺と羽ペンで書き方を学んだ最後の世代に属するのよ。ロバート・メイプルソープ1946 – 1989)は私と同い年で、走り書きの美しい筆跡をしていた。私は『独立宣言』のような古い手書き文が大好きで、こんなふうに書けるようになりたかった。少女時代『独立宣言』の複写は1/4ドルで買うことができて、そっくりの書き方になるように私は何度も何度もそれを書写したものよ。」

(中略)

リベラシオン:シャルルヴィルにはどれほどの回数足を運んでいますか?
PS
 「1970年代から何度もひんぱんに。そこに行くたびに私はいつも興奮している。ランボーがシャルルヴィルを嫌っていたことを知っていても、彼はそこで生まれたのだから。私が全く初めてそこを訪れた時、ランボー博物館は閉まっていて、私は涙にくれていた。博物館の番人が私に温情をかけてくれて、中に入れてくれた。そこは埃っぽい場所で、彼のマフラーやコップや食器や地図帳がガラス陳列器の中に納められていた。私は床に座り込み、彼の似顔絵を描いた...。」

リベラシオン:(2017年にパティ・スミスが買い取ったシャルルヴィルから40キロのところにありランボーが少年時代に篭って詩作をしていたとされる)ロッシュの農家はどういうものにするつもりなのですか?
PS
 「この家はランボーの母親の持ち物だった。1917年にドイツ軍によって破壊され、その後同じ姿で再建された。私はそれを作家のレジデンスにしたいと思っている。ランボーのように苦悩する作家がひとりだけで滞在できるような場所に。私にとって最も重要なことは“家”ではなく、“土壌”なの。これが『地獄の季節』の土壌。その上で彼が夢想しながら眠っていたひとかけらの土地。最も偉大な文学作品のひとつが創造された場所として私は保存したいのよ。」

(Article par Frédérique Roussel, dans Libération du 28 octobre 2023)


(↓)2023年10月、国営テレビ France 5「グランド・リブレリー」オーギュスタン・トラプナールによるパティ・スミスインタヴュー。(YouTubeで見るをクリックしてください)

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