2023年10月26日木曜日

1年ではすまない

"Une année difficile"
『苦しい1年』


2023年フランス映画
監督:エリック・トレダノ&オリヴィエ・ナカッシュ
主演:ピオ・マルマイ、ノエミー・メルラン、ジョナタン・コーエン、マチュー・アマルリック
フランスでの公開:2023年10月18日


レダノ&ナカッシュの8本目の長編映画。2014年の『サンバ』以来トレダノ&ナカッシュ映画3作で花を添えていた女優エレーヌ・ヴァンサンが今回は出ていない。ちょと残念。
 さて、”社会派”色の強いコメディー映画の巨匠になってしまったトレダノ&ナカッシュの『規格はずれ(Hors Normes)』(2019年)に続く4年ぶりの新作。前作が自閉症保護施設の現場という「これコメディーにしていいんですか?」という観る前の躊躇を一挙に吹き飛ばす超ヒューマンな快作に仕上がっていたので、事前の不安はないが、今回のテーマは「非暴力・直接行動派エコロジスト集団」と「多重債務(surendettement)」である。多重債務とは(金融広報中央委員会のサイトによると)「すでにある借金の返済に充てるために、他の金融業者から借り入れる行為を繰り返し、利息の支払いもかさんで借金が雪だるま式に増え続ける状態を指す」と説明されている。返済不可能とわかっていてもまた借りる、クレジット機関質屋家族親族友人同僚...あらゆる借りられるところから借りて、借金地獄の末、世から見放される。やっぱり、これ笑いのタネにしていいのかな?と思ってしまう。
 前作『規格はずれ』のスタイルを踏襲して、今回も主役は男二人のタンデムである。多重債務のどん底で生きているのに植木等的オプティミズムでぶあ〜っと(ほぼ無責任に)その日暮らしをしているアラフォー男である。見栄を張り、後先顧みずに衝動買いを繰り返し、近親の人間関係を壊し、わかっちゃいるけどやめられないライフスタイル。ブルーノ(演ジョナタン・コーエン)は、払えるわけのない住宅ローンで買った家を法的執行によって追い出される瞬間にあり自殺も辞さずという局面にありながら、ネットで見た個人オファーの格安大画面テレビが欲しくてポチり。アルベール(演ピオ・マルマイ)はそのテレビを「ブラックフライデー」の狂乱の争奪戦に勝って手に入れ、ネットで買い手となったブルーノのところに届け現金化しようとその家に着くとブルーノの自殺未遂に立ち会ってしまう。二人はこうして出会う。アルベールはCDG空港の手荷物運送員(かなりきつい仕事だが、滑走路や税関エリアまで入れる特権あり)として低給料で働いているが、住むところはなく、身の回り一切を旅行スーツケースに詰め、夜は空港サテライトの旅客待合室のベンチで”旅行者然”として寝泊りしている。唐突だが私はCDG空港勤務の経験があり、映画で映し出されるこの空港環境の裏側も知っている。アルベールは影で渡航客の持ち込み持ち出し禁止物品の没収ストックの横流しなどをして(あぶない)副収入を得ているが、多重債務の雪だるま借金の返済など夢の夢。
 この多重責務現象の大きな原因のひとつが新リベラル経済システムが激烈に推進する過剰生産&過剰消費のサイクルである。超大量の無用の”新製品”を消費者を誘導して買わせる商業システム、それは消費者たちの極端な貧困化を招くだけでなく、莫大な量の廃棄物によって環境も破壊する。このシステムの最悪の象徴として、この映画の冒頭は「ブラックフライデー」商戦の狂乱を映し出す。その当日、開店前に長蛇の列ができた某大型家電量販店、そのまだ閉じているシャッターの前に直接行動派エコロジストの一団が「ブラックフライデー粉砕」を掲げてスクラムを組み、長蛇の列の客たちの入店を阻止しようとする。しかし何が何でも入店しようとする気の立った消費者たちに叶うわけがない。その消費者たちの先頭にアルベールがいた。
 エキストラ400人を動員して撮られたというこの家電量販店のブラックフライデー商品争奪の(ルールなし、反則規定なし)肉弾戦は、スローモーションで映し出され、バックにはジャック・ブレルの美しい曲「華麗なる千拍子(La valse à mille temps)」が流れる。壮大さを帯びたヴァイオレントな映像と対照的な優美なメロディー。このシーン感動さえ覚える。なおブレル「華麗なる千拍子」は映画最後部のエモーショナルなシーンでもう一度流れる。
 さて、このブラックフライデー粉砕の直接行動に出たエコロジスト集団のリーダー格の女性カクチュス(活動家としての源氏名Cactus = サボテン、実生活の名がヴァランティーヌ)(演ノエミー・メルラン)と、二人のダメ男・多重債務者が接近/交流していくというのが映画の流れ。文無しのブルーノとアルベールが、タダでビールとチップスが振る舞われるというので立ち寄った、このエコロジストグループの環境問題フォーラム集会で、二人はそのディスクールや討論内容には全く興味がないものの、その若々しく楽しそうな雰囲気に溶け込んでいく。この集団は、日々その緊急性が増し続けている地球温暖化と環境問題を議会や既成政党に任せておいては手遅れになるという危機感から、市民ひとりひとりが今できることから始め、全人類に警鐘を鳴らさんと、非暴力直接行動に出た言わば”グレタ・トゥンベルグ以降の”新しい波。映画に出てくる直接行動の例では、自動車道を堰き止めてメッセージの横断幕を掲げたり、集約(産業)畜産農場の動物を逃したり、動物博物館内でダイ・インしたり...。なお、この映画にこのグループのメンバーとしてエキストラ出演しているのは、実在するエコロジスト集団の人たちなのだそう。前作『規格はずれ』でもその自閉症児養護施設の中に出てくるのが(軽度重度の差はあれ)実際にその疾患を持った子供たちだった。これはトレダノ&ナカッシュの本当に勇気ある映画作りの証左。
 一方多重債務者たち向けにも、救済市民団体があり、衝動買いやクレジットの罠にかからないためのコーチングや、ブルーノやアルベールのような”手遅れ”の超借金持ちを「自己破産手続き」によって負債ゼロにまで導く手伝いをしている。この救済センターの相談役アンリ(演マチュー・アマルリック、好演!)がブルーノとアルベールの件を担当し、親身になって両者の資料を吟味し、自己破産申し立て書類を準備してやるのだが.... アンリ自身が極度のギャンブル依存症でカジノのブラックリストに乗っていてカジノ入場を拒否されるというギャグが待ち受けている。コメディー映画ですから。それはそれ。フランスでこの自己破産申し立てを受理して借金をご破算にしてくれる公機関はフランスの中央銀行 Banque de Franceである。しかしアンリが尽力して用意した申請書類はブルーノもアルベールも虚偽記述が多かったり悪い前例がバレバレだったりで、両方とも却下されてしまう。
 最初は全くその気がなかったのに、この集団のやっていることが面白くなって(+アルベールに芽生えてきたカクチュスへの恋慕の情も手伝って)二人は積極的に派手なエコロジスト行動に参加するようになり、やがてカクチュスを補佐する中心的メンバーにまで。それをいいことに、この種の世直し運動にシンパシーを抱く富裕老人層からの物品寄付される高級品を横流しして現金化してふところに入れたり。そしてさらに悪知恵の働くブルーノは、次の抗議活動の標的として、リベラル経済による過剰生産・過剰汚染の元凶のひとつフランス中央銀行バンク・ド・フランスで派手な示威行動でメッセージを訴えようと提案する。抗議活動に銀行警備が注意を取られている間に、二人は銀行内に潜入し、書類置き場にファイルされている自分たちの自己破産申請に押された「不許可」スタンプをホワイト修正液で「許可」に変える...。書類偽造作戦はまんまと成功するが、銀行正門での派手な抗議活動の果てにブルーノとアルベールはカクチュスを巻き込んで警察に逮捕されてしまう。そして数時間の勾留の後で、警察署から出てきた3人は運動の英雄として大喝采されることになる。アルベールとカクチュスの恋はだんだんいい感じに。
 この映画を酷評するメディアは少なくない。その主な理由のひとつが、あまりにもエコロジスト運動をカリカチュア化しているというもの。ノエミー・メルラン演じるエコロジストリーダーが、大金持ちの令嬢であり(運動メンバーたちも富裕層の子女的なおもむきあり)、環境危機をあまりにも精神的に取り込んでしまって病気になり、セラピーのように運動に全身全霊を打ち込むようになった、と。この立ち位置は『サンバ』(2014年トレダノ&ナカッシュ映画)でのシャルロット・ゲンズブール(バーンアウト休職している巨大企業女性管理職が、移民労働者支援のNGOで見習いとなっている)とほぼ同じ。ノエミー・メルラン、すばらしい女優さんなのに、この役はかなり軽い。コメディー映画ですから。
 そしてこういう運動の中には往々にしてゲシュタポ的な人物がいるもので、アルベールが急速にカクチュスといい仲になりつつあるのを嫉妬してか、アルベールがかのブラックフライデーの封鎖ピケを一番先に破った場面や、寄付品の横流し販売の場面など証拠動画をメンバー全員の前で暴露する。カクチュスは真っ青になり、アルベールはエコロジスト集団から追放される....。
 運動に残ったブルーノは兄弟分アルベールの名誉回復復権を画策し、メンバーたちにはアルベールの介在を秘密にして、CDG空港滑走路での旅客機離陸をエコロジストメッセージの大横断幕でストップさせるコマンド作戦を企画する。メンバーたちはリスクが大きすぎると難色を示すが、ブルーノには絶対の自信がある。上に書いたようにCDG空港の裏の裏も知っているアルベールは、影で首尾よく行動隊の滑走路侵入を手助けし、その場で再会したカクチュスはアルベールの真摯な行動に心動かされる。滑走路に出現し、発煙筒を焚き、横断幕を広げて、離陸しつつある旅客機を寸前でストップさせてしまうシーン(ここでサウンドトラックとしてドアーズ”ジ・エンド”が流れる)、これは美しい。しかし空港警備隊の車両が群をなしてその現場に猛スピードで急行し、その一台がカクチュスをはね飛ばしてしまう...。

 山も谷もある2時間映画。今回のタンデム、ピオ・マルマイとジョナタン・コーエンのキャラクターには深刻さは何もない。温暖化・環境変動に真剣に何とかしなければという市民意識の深刻さも薄い。多重債務地獄や新リベラル資本主義地獄への真剣な省察などない。コメディー映画ですから。それでもそれらを笑える”見方”というのは非常に有効だと思う。トレダノ&ナカッシュ映画としてはたぶん『サンバ』の次ぐらいに評価の低い映画になりそうだが、私はこの楽天性がずいぶんこの極めて難しい世界の動き(映画はイスラエル・ハマス戦争の最中に公開された)に一息つかせてくれるものだと感じた。だが映画題となっている Une année difficile =難しい1年、苦しい1年、困難な1年は、1年ですむわけはない。

 病院に収容されたカクチュスは長い間昏睡状態で眠っている。その病床にはずっとアルベールがついている。どれほど長い日数が経ったろうか。待ち続けたアルベールと共にパリも変わっている。ようやくカクチュスは目を覚まし、アルベールは病院からカクチュスを連れ出し、パリの町に出ていく。通りには誰もいない。ロックダウンのパリ。通りの端に大きな鹿の姿が見えたりする。誰もいない美しいパリの通りで、二人はワルツを踊る。ジャック・ブレル「華麗なる千拍子」に乗って。ここでどれだけ私は救われたことか。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)”Une année difficlle(苦しい1年)”予告編 


(↓)素晴らしい挿入歌 ジャック・ブレル「華麗なる千拍子」(1959年)公式クリップ

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