2014年10月17日金曜日

『サンバ』:エレーヌ・ヴァンサンのボブ・マーリー踊り

『サンバ』
2014年フランス映画
監督:エリック・トレダノ&オリヴィエ・ナカッシュ
主演:オマール・スィ、シャルロット・ゲンズブール、タハール・ラヒム、イジア・イジュラン
フランス公開: 2014年10月15日

 まず最初に本当にシアワセになれるシーンを書きますね。それはサン・パピエ(滞在許可証のない状態でフランスに滞在している外国人たち)を支援するNPO団体の年越しパーティーで、NPO世話人マルセル役のエレーヌ・ヴァンサン(1988年のエティエンヌ・シャティリエーズ監督作品『人生は長く静かな河』の富豪夫人マリエル・ル・ケノワ役! 歳のことで失礼ですが、当時45歳、現在71歳)が、およそこの女性とは縁がありそうもないボブ・マーリーの「ウェイティング・イン・ヴェイン」を歌って踊り始めるのです。美しい! ー この突然で意外な「歌もの」シーンの見せ場は、トレダノ&ナカッシュ作品にあっては "NOS JOURS HEUREUX"(2006年)のザ・ドゥービー・ブラザーズ「ロング・トレイン・ランニング」、"TELLEMENT PROCHES"(2009年)のマイケル・ゼーガー・バンド「レッツ・オール・チャント」、そして "INTOUCHABLES"(邦題『最強のふたり』2011年)のアース・ウィンド&ファイア「ブギー・ワンダーランド」であり、これらのシーンはまさに「トレダノ&ナカッシュ印」あるいは「トレダノ&ナカッシュ・タッチ」とでも言うべき、恩寵の瞬間です。

 さて、トレダノ&ナカッシュの5作目の長編映画で、地球規模ヒットの『最強のふたり』に続く作品です。前作は当ブログも絶賛しましたし、2011年11月にアップしたその記事も当ブログ始まって以来の2万ページビューを越えるご愛読をいただきました。こういう作品の後ですから、新作に大きな期待を寄せていた人たちはフランスでも世界でも多かったでしょうし、2014年12月の日本公開を今か今かと待っている日本の方も多いでしょう。
 アフリカ(セネガル)からフランスにやってきた青年サンバ・シッセ(演オマール・スィ)の物語です。原作は2011年発表のデルフィーヌ・クーラン作の小説『フランスに捧げるサンバ(SAMBA POUR LA FRANCE)』で、当ブログのここで紹介していますが、小説で描かれている、死をかけてアフリカから密航してくる移民の過酷な道程や、ひとたびヨーロッパに着いても非人間的な条件で隠れて生きなければならないサン・パピエの惨状は、この映画にはほとんど登場しません。「社会派コメディー」として描こうとする監督の意志からでしょうか。ずいぶんと原作と違う展開になっています。
 映画はまるでハリウッドミュージカルのような豪華ホテルでのウェディングパーティーに始まり、ウェイターたちが巨大なピエス・モンテや、何十本ものシャンパーニュを運んできます。カメラはそのウェイターたちのバックヤードへの退場を追い、炊事場に入り、そのまた奥の食器洗い場に至ります。そこに大きな体のアフリカ男サンバはいて、汚れた食器から残飯を放水機で払い、業務用の大きな高速食器洗い機に中に並べていきます。いつかは炊事場で働きたいのです。そういう仕事を何年もやってきました。もうフランスに来て10年が過ぎたので、サンバは警察の移民科に10年有効の滞在許可証を申請します。継続的に10年フランスに住んでいることが証明できる書類を揃えれば、そのカードはもらえるはずなのです。ところが、その手続きに警察に出頭したサンバは、その申請が却下されたばかりではなく、不法滞在で逮捕され、国外退去処分となり、CDG空港に隣接する不法滞在移民収容センターに監禁されます。
 ここで私は移民の置かれている状況について、原作を読んでいるので、こうやって説明できていますが、映画はほとんど何の説明もないのです。なぜサンバの申請が拒否され、国外退去処分になるのか、映画は何も語らない。「アフリカからの移民が警察に捕まる」があたかも何の説明も必要ない、フツーのことであるかのように。
 サン・パピエ支援の市民団体は、人道的な立場からこの不当な移民狩り政策から移民たちを保護し、個々のケースを法廷で救済するための活動をしていて、CDG空港の収容センターにも出入りして、捕まえられた移民たちを援護します。その団体から送られ、サンバの前に現れたのが、学生で弁護士のタマゴのマニュ(演イジア・イジュラン。ジャック・イジュランの娘で本業ロック歌手)と、大会社管理職を休職中でその間この団体でボランティア見習いをしているアリス(演シャルロット・ゲンズブール)でした。
 この「大会社管理職を休職中」というのは、原作にはなく、トレダノ&ナカッシュのオリジナル脚本です(それとサンバとアリスが恋に落ちるというのもオリジナル脚本です)。この一流企業の高級管理職の女性は、我をも忘れる過度な労働の末「バーンナウト」してしまい、心療のために休職していて、このボランティア活動も一種のセラピーの一環なのでした。ここでイチャモンです。高度な教育を受け企業エリートとして育成され、若くして高級管理職にまで昇進し、あまりの激務にキレた、というキャラクター設定ですと、この役にシャルロット・ゲンズブールというのはたいへん無理があります。
 サンバを無罪釈放させようというマニュとアリスの支援活動にも関わらず、サンバの受けた最終処置は、「国外退去命令」を受けたまま、フランス国内に釈放するという不条理なものです。つまりサン・パピエとして泳がせておくということです。よってサンバがこの状態で警察のコントロールに引っかかった場合、逮捕され国外追放になるのです。おまえには何の権利(とりわけ働く権利、医療を受ける権利)も与えないが、隠れて生きろ、というわけです。
 このCDG収容所内で、サンバはコンゴから密航してきたジョナスと出会い親しくなります。ジョナスは仕事や金を求めてヨーロッパにやってきたわけではない。愛する女性グラシウーズと結婚するために命がけの密航をしてきたのです。ところが彼はリヨン駅で警察に捕まり、グラシウーズとも再会できないままです。不条理ながらも釈放を勝ち得たサンバにジョナスは、バルベス地区で美容師をしているらしいグラシウーズを探し当てて欲しいという願いを託します。合点だぜ、兄弟。男気のあるサンバは、自分がサン・パピエで再逮捕される危険も顧みず、バルベスでグラシウーズを探しまわります。難航の末、やっと探し当てたグラシウーズ。あっと驚く魅惑的な女性。サンバはここで越えてはいけない一線を越えて、捕われの友が愛する女性と一夜を過ごしてしまうのです。映画はここのところも軽いエピソードとして描かれていて、シナリオの弱さを感じてしまいます。
 警察の目に怯えながらサン・パピエ状態でパリに生きるということは、合法的なことは何もできないということです。サンバはアリスとマニュのいるNPO団体に行き、どうすればいいのか相談します。その相談室には多種多様多色の大勢のサン・パピエたちが来ていて、サンバと同じことを十人十色の言語でNPOボランティアに問います。このボランティアの多くはリタイア後のおばあちゃんたちで、わけのわからない言語を話すサン・パピエたちとのやりとりをトレダノ&ナカッシュはコント・ギャグ連発集として映し出します。映画館ではやはり笑い声が出ますけど、なんか笑えないシーンですよ。
 そしてサンバの番になって、一体いつになったらこの状態から出れるのか聞きますが、見習い相談員のアリスは1年ほど待ってから再申請するしかないと答えます。冗談じゃない。1年も働かず、収入もなく、どうやって生きていくのか。あんたは俺たちのことを何もわかっちゃいない。サンバは声を荒げて怒りを爆発させます。するとアリスは逆ギレして、サンバの数倍の声量になって、あらゆる野卑な罵り言葉を放って、あんた何様だと思ってんの、ピュタン!メルド!シエ!コナール!の連続絶叫となります。あれあれ?このシーンいつか見たことあるぞ?と思ったら、"NOS JOURS HEUREUX"(トレダノ&ナカッシュ、2006年)の児童ヴァカンス村の新米モニター、キャロリーヌ(演ジョゼフィーヌ・ド・モー)の(↓)これでした。

これがですねえ、シャルロット・ゲンズブールだと、あまりギャグにならないのですよ(苦笑)。というような本性丸出しのシーンのおかげで、アリスとサンバは親密になっていくのですけど。
 サン・パピエで仕事を得るにはヤミ労働しかありません。サンバは他人のIDカードや偽造の滞在許可証を持って、短期労働派遣所やヤミ労働ブローカーから仕事をもらって、建築現場、洗い場、ゴミ分別、夜警、ビル清掃など、あらゆる3K労働に飛びついていきます。その仲間として親友になっていくのが、陽気でオプティミストで優男のウィルソン(演タハール・ラヒム)です。原作本では南米コロンビア人ということになっていますが、この映画では「ブラジル人を装うアルジェリア人」という複雑な設定で、この設定がさまざまなギャグのネタを生むのです。この助演男優はもうひとりの助演女優(マニュ。演イジア・イジュラン)と恋仲になっていきますけど、ちょっと無理矢理なシナリオ展開ですね。
 原作とは異なり(原作にはないことですから)、映画はサンバとアリスの関係の深まりを主軸にもってきます。映画はなんとしても、このストーリーとして見せたいのだ、という強引な軌道修正があります。移民/サン・パピエの実情を照射すると、過度に深刻な社会派映画になってしまうので、それをなんとか薄めにして、笑いでごまかそうという部分があるように見えました。
 しかし、この映画においても、サンバは何度も自分の身分を偽り、自分とは何の関係もない他人になりすます、ということを繰り返しています。その名を呼ばれて、自分が誰だったのかを忘れるほどに。このアイデンティティーの喪失という重大な問題を、映画はあまりにも軽く扱っているのではないか、と思うのです。どんなパピエ(身分証明書)でもパピエさえあれば生きることが許される国では、パピエがアイデンティティーよりも優先的で重要なのです。それがフランスである、という(原作にはある)メッセージがこの映画にはありません。
 ストーリー終部は原作本に従って、コンゴ人ジョナスが再登場します。愛するグラシウーズを探してくれとサンバに依頼していたこの男は、収容センターから出て公式に「政治亡命者」の身分をフランスから与えられ、フランスに滞在するパピエを得ます。そのIDカードを誇らしげにサンバに見せびらかします。このことを祝おうじゃないか、とジョナスはサンバを酒場に誘い、強い酒を何杯もあおります。もう遅いから帰ろう。もう一杯いいじゃないか。そういうやりとりの末、外に出ると、冬の夜の寒さ。寒いとサンバが言うと、そんな薄っぺらい上着じゃだめだ、俺の厚い上着を貸してやるから、おまえのをよこせ、と上着の交換があります(重要なのですけど、映画はさほど強調しない)。寒々としたサン・マルタン運河わきを二人は歩いて行き、ジョナスはたまりかねて「俺がおまえとグラシウーズのことを知らないとでも思ってるのか!」とサンバに襲いかかってきます。二人がもみあって格闘しているところへ、警察のパトロールカーが通りかかり、「そこの二人、何をしている!」。サンバとジョナスは取っ組み合いをやめて、迫り来る警察から逃れようと夢中で運河沿いに駆け出します。 追ってくる警察。目の前には開きつつある運河の水門。この水門の向こうに行けば警察を巻ける。サンバとジョナスは開く水門に飛び移ろうと幅跳びジャンプ。しかしひとりは見事水門に掴まることができたが、もうひとりは水温氷点下の運河にドボン...。
 オフィシャルにはここでサンバ・シッセと名乗る男は死亡するのです。 これ以上は書きません。
 で、サンバとアリスの恋物語はどうなったのか、と言うと、これもよくわからない収拾で、アリスは一流企業の高級管理職として復職してしまうのです(!)。ここもこれ以上は書きません。

 「甘ったるく、リズムのないコメディー(une comédie sirupeuse et sans rythme)」と10月15日付けのテレラマ誌は評しました。同じ日のリベラシオン紙は「息切れ状態の社会派コメディー(une poussive comédie sociale)」と書いています。何か『最強のふたり』で光っていたものが、こんなふうにすれば観客にウケるだろうというルーチンに変わってしまったような感じがあります。富豪と貧者のシンデレラストーリーは、高級エリート女性とサン・パピエアフリカ人のラヴストーリーでは同じ効果が出て来ない、ということなのでしょうか。深刻な原作への深入りを拒否して、軽め軽めで行こうというエディトリアルの問題なのでしょうか。私はそれに加えて、お笑いのキャラクターであるオマール・スィが俳優として出来ることが出し切れてないように見えましたし、シャルロット・ゲンズブールでこの役はないべさ、とも思いましたよ。残念です。

カストール爺の採点:★★☆☆☆

(↓)『サンバ』予告編

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