2022年9月30日金曜日

京都の町はそれほどいいの

Muriel Barbery "Une heure de ferveur"
ミュリエル・バルブリー『狂ほしの時』

これを書いている9月末現在、2022年ゴンクール賞の第一次選考(15作)に選ばれた作品。ちなみに第二次選考(8作)が10月4日、第三次最終選考(4作)が10月25日、そして晴れのゴンクール賞2022の発表は11月3日。何が選ばれても爺ブログでは紹介することになっているので、楽しみにお待ちください。
さてミュリエル・バルブリーについては、2006年の大ベストセラー小説『はりねずみのエレガンス(L'élégance du hérisson)』を映画化した『はりねずみ(Le hérisson)』(監督モナ・アシャシュ、主演ジョジアーヌ・バラスコ、2009年フランス公開)を爺ブログで取り上げたのみであるが、たいへんな日本通である。新作小説は全編京都が舞台となっているが、ミュリエル・バルブリーは2008年から2年間アンスティチュ・フランセが運営する京都市のヴィラ九条山のレジデントであった。たぶん京都の奥の奥まで知っているのであろう。
 小説の時間は1970年から現在までの50年ほどで、飛騨高山の造り酒屋の家業を継がず、京都に出て美術商として成功し莫大な財を成した男ハル・ウエノの一代記である。無宗教者でありながらハルが心のよりどこころとして、欠かさず週に一度本堂およびその周辺を散策するのが真如堂である。その真如堂に隣接して、難破した帆船のような態の建物があり、1960年代に(美術関係のドキュメンタリーを制作する)テレビプロデューサーのトモオ・ハセガワが自宅として建造したものであるが、「自宅に人を招くことが稀な日本人」(バルブリー)の倣いに反して、このトモオ邸は京都中の芸術家たちや外国人アーチストたち、その他エキセントリックな人々が集まり、酒宴やハプニングパーティーを開く解放されたスペースとなっていた。このトモオを介して、ハルは現代陶芸家のケイスケ・シバタと出会う。このケイスケの陶芸作品の価値を見抜いたハルが、それを売り出すことで美術商ハルの大サクセスストーリーは始まる。稀な芸術家であり詩人でもあり論客でもあるケイスケは底無しの酒呑みであり、ハルは彼を師匠・論友・ポン友を兼ねた生涯の親友とする。その親交は50年続き、ハルの最期を見届けるのもケイスケだった。真如堂を"本拠地”に酒と宴と芸術の髄を極め、全京都のアートピープルからリスペクトされた黄金のトリオ(トモオ+ケイスケ+ハル)の時代はしばらく続くのだが、その栄華を蝕んでいくのは親しい人々の死であった。この小説は絶え間ないほどにたくさんの人たちが死んでいく。病死、事故死、自殺、そして阪神淡路大震災(1995年)と東日本大震災(2011年)にも巻き込まれてハルとケイスケは近い縁者を失っている。この死の悲しみのたびに、死者の記憶を背負った人たちは、故人を生き続けさせるために自分は生き続ける決意を新たにするのである。小説中ある西欧人は、自国では墓地は”死"しかない死者の場所であるが、日本の墓地は故人を生き続けさせる場所である、という印象を述べている。当たってると思う。

 ハルが備えた(子供の頃から培った)感性は、素材と形を見極める能力を得させた。素材とは山河や植物や季節気候などであり、それを形にしたものが芸術品である。それは飛騨高山の渓流を毎日見ていた目が育て、京都の花鳥風月、寺社仏閣、もみじや桜や雪や苔などがその目を肥した。それを形にするという営為は自分にはできないが、素材から形への移行に対する飽くなき興味は時間をかけて彼独特の審美眼を得させた。これが美術商ハルの成功を招くのだが、これと目をつけた作品はみな超高価で売れていった。ところが、その目はこの現世界に自分の前にだけ現れる霧や霞や先祖の魂(霊)やキツネの姿を見てしまうようになる。本書の表紙となっている絵は橋本関雪(1883 - 1945)の「夏夕」の一部であるが、キツネはこの小説では非常に重要である。稲荷神伝説、化物(妖怪)などみな関係している。
 独身で大金持ちでトモオ邸でのパーティーでは帝王然としているハルは、複数の愛人を持ち、嫌味なく誘惑の話術も使う優男であるが、ケイスケに言わせると女も恋も知らない孤独な男である。そんな中で出会ったこの小説中最も重要と思われる女性がフランス人のモードである。ケイスケはこの女が霧のようにつかみどころがなくハルにとって危険であると感じ取っているが、どうすることもできない。この「液体の火事」のような女は感知できぬうちにハルを燃やし尽くすかもしれない。初めてトモオ邸で会ったその夜、二人は鴨川べりのハルの豪邸に行き、ヒノキの風呂に浸かる。湯船の中でハルはケイスケから聞いた伝説をモードに語る。
平安時代の中期(西暦1000年頃)、すべてが美しい夜明けがあった。空の奥の方で、紫の花々が色を失っていくような。時折大きな鳥がこの火事のような朝焼けの中に吸い込まれていった。宮廷に何代にもわたって隠遁窟に住む一族の女がいた。掟によって囚われの境遇にあり、その部屋から通じる小さな庭に出ることも禁じられていた。しかしこの曙の時だけ女は縁側の板の上に跪いて空を眺めてした。すると正月から一匹の子ギツネが毎朝庭に現れるようになった。ひっきりなしに降る雨の季節になり、それは春まで続いた。 女はこの新しい友達に一緒に雨宿りしましょうと乞うたが、囲いの覆いになるのは一本のもみじの木と寒椿の灌木しかなかった。女とキツネはそこで沈黙のうちにお互いを知り合うようになり、やがて女とキツネだけの共通の言語を編み出したのである。女とキツネが語れる唯一のこと、それはおのおのの一族の死んだ者の名前を唱えることだった。(p33)

聞き終わって沈黙して固まってしまったモードだったが、ハルは湯気の向こうのその姿がどんどん巨大化する砦のようなものに変わっていくのを幻視し、その幻影を消し去りたいようにその肉体を欲していく。モードはそれを受動的に受け入れるのだが、ハルに生じた強烈な欲情と裏腹にモードは心そこにあらずのような不在感。ベッドでの情交のあとハルは眠りに落ちてしまうが、キツネと風呂の混沌とした夢を見る。目が覚めるとモードの姿はない。次の夜、またモードはハルの家にやってきて、一緒にヒノキの風呂に入り、ハルから昔語りを一話聞き、次いで昨夜と同じようにベッドで情交するが、その不在感は変わらない。こうしてモードとハルは10日間夜を共にし、やがてよそよそしく別れてしまう。
 数ヶ月後、ハルはモードが妊娠してフランスに帰ったことを知る。直感でハルはそれが自分の子であり、女児であることを確信する。そこで、在パリの文化情報通の日本人マナブ・ウメバヤシ(それらしい名前であるな)に依頼してモード・アルデンの住所を調べてもらい、すぐに手紙を出す"Si l'enfant est de moi, je suis là(子供が私のものだったら、私はすぐに行く)" 。数週間後、ハルは返事を受け取る"L'enfant est de toi. Si tu cherches à me voir ou le voir, je me tue. Pardonne-moi(あなたの子よ。でもあなたが私か子供に会おうとしたら、私は自殺するわ。ごめんなさい)”。
 ハルはこの”禁止”を尊重する。なぜならハルは本当にモードが死んでしまうことを知っていたから(そして二十数年後、実際にモードは自ら命を絶ってしまう)。だがハルは”父親”になること、そして娘(ローズという名前)を愛し続けることは絶対に断念しない。彼はマナブ・ウメバヤシに巨額の報酬と資金を与え、追跡者/カメラマンを雇い、モードと娘が同居するモードの母親の実家(トゥーレーヌ地方)を四六時中偵察させ、超望遠レンズで捉えた写真と偵察レポートを定期的に送らせる。こうして二十数年間にわたって、ハルは娘の成長とモードの動向を京都にいながら知ることができたのである。ハルは毎日送られてきた娘の写真に語りかけ、遠隔の"父親”であり続けた。
 小説は娘ローズの成長の時間と並行して、上述したようにトモオ、ケイスケ、ハルの黄金トリオの身内に次々にやってくる"死”の試練の記録でもある。妻と2人の子供を相次いで失ってしまうケイスケ、最愛のパートナーのイサオに先立たれ自らも病いに斃れるトモオ、その他親しい友人たちの伴侶や子供が命を落としていく。この悲しみの儀式(葬儀)のたびに、人々(死者も生者も)を鎮めるのが京都の佇まいであり、寺社仏閣であり、鐘の音とジャズの音がどこからか聞こえてくる、もみじや雪や苔の環境なのである。小説はミュリエル・バルブリーの知る限りの京都が登場する、大いなる京都讃歌である。真如堂、黒谷、鴨川、南禅寺、竹中稲荷、吉田神社、苔寺、嵐山、北野、三嶋亭のすきやき...。冬は凍え死ぬほどに寒く、夏は厳しい暑さに加えて大量に発生する虫に苦しめられる(バルブリー)。おそらくバルブリーは雪の京都を好んでいて、小説に雪の情景は多く登場する。美しい。小説のテーマ的には多くの死に取り残されて生き残った者たちが死者に代わって「熱情の時間、狂ほしの時、Une heure de ferveur 」を苛烈に生きる場所が京都なのだろう。ハルはこの京都で星の声が聞こえ、キツネの姿を見るのであるが、ケイスケからすればハルは人間を見ていない。
 小説には他にも魅力的な登場人物がある。ハルの自宅兼美術商事務所である鴨川の家で、ほぼ住み込みで家事一切と会計帳簿をあずかるサヨコは、無愛想で言葉は少ないが、ハルが全幅の信頼を置き、プライベートなことも相談している。口には出さないがサヨコは不吉な予感を察知する能力があり、ケイスケはこの女性がキツネであると思い込んでいる。また、美術商ハルの後継者になっていくベルギー人の若者ポールも、たくみな日本語と審美センスでハルを魅了していて、公私ともに親密な仲になる。ハルの子供ローズの件をハルから告白されたポールが、この件を第一の親友ケイスケが知らないということを不思議に思い、ハルに問うシーンがある。
「彼は二人の子供を失ったんだ。私が自分の父親としての失敗を彼に話すことができるものか?」
「でも友だちでしょう?」
「私はそれぞれの友だちで異なった友人関係を築いている。それを私に説明しろと言うな。説明というのは西洋人の病癖だ」(p174)

笑っちゃいますよね。「説明は西洋人の病癖だ(L'explication est une maladie occidentale)」、これ、今度、しつこく説明を求めるフランス人に言ってやろうっと。
 
 さて時は流れ、定期的に送られてくるフランスのローズの写真は大学も終え社会人になっていくのだが、時折不鮮明に片隅に現れるモードはいよいよ精気がなく、引き篭り鬱の兆候を見せ、やがてモードが自殺したという報せが届く。そして事実上の育ての親であったトゥーレーヌ地方のモードの母ポール(Paule)も亡くなり、ローズは身内がなくなる。多くの死者たちを見送ってきたハルも末期の肺がんと診断され、余命わずかと覚悟する。”父親”になることを果たせずに死んではならないと、ハルは意を決して病身を押してひとり関空からパリに向けて飛ぶ....。
 マナブ・ウメバヤシの集めた情報から、ローズが毎朝寄るカフェテラスで待ち伏せる。案の定ローズはやってきて、ハルの隣のテーブルに座り、カフェを注文する。カップを持ち上げたひょうしにスプーンが落ちてします。ハルはそれを拾って女性に差し出す。女性は礼を言い、ハルは you're welcome と答える。
「あなた日本人ですか?」
「そうです。あなたは日本を知っていますか?」
「あまり私の趣味ではないんです」
「日本には美しいものがありますよ」
「美しいもの?」
「そんなにたくさんではありませんが、ありますよ」
「どんな美しいものですか?」
「日本には空があります」
「空?」
「空の奥の方で庭園の色が薄らいでいき、ときおりキツネが駆け抜けます」(p224)

このカフェの一瞬だけで、名乗り出ることもなく、ハルは翌日日本へ飛び立った...。
富豪の美術商はその財産を娘ローズに残す手続きをして死を待つ...。

 日本人読者なら重箱の隅つつきをかなりできそうな”京都小説”であるが、そんなことはたいしたことではない。ふとした時にキツネを見かけ、山河や空や植物や雪に先の兆しを感じ、星の言葉を聞く.... それはフランス人ミュリエル・バルブリーの想像した京都人のことなのか。私にはこの京都ファンタスムは十分に魅力的だし、夢の京都はかくのごとくあってほしい。夢のテリトリーとして保存してほしい。禁じられた娘ローズも、この夢のテリトリーの住人であるはずだ。キツネにつままれたような話であるが。

Muriel Barbery "Une heure de ferveur"
Actes Sud刊 2022年9月 240ページ 20,80ユーロ

カストール爺の採点:★★★☆☆ 


(↓)出版社アクト・シュッド制作のプロモーション動画で『狂ほしの時 Une heure de ferveur』を語るミュリエル・バルブリー

2022年9月21日水曜日

バンジャマン・ビオレー誘拐事件

Gaël Faye + Grand Corps Malade + Ben Mazué "Ephémère"
ガエル・ファイユ+グラン・コール・マラード+ベン・マズュエ『かりそめ』

ブログではガエル・ファイユとグラン・コール・マラードはちょくちょく登場しているのだが、ベン・マズュエはこれまで私もほとんど縁のなかったアーチスト(シンガー・ソングライター)なので、まずこのベン・マズュエのプロフィールから。1981年ニース生まれ、現在40歳。25歳まで医学部で学んでいる。後述する「バンジャマン・ビオレー誘拐事件」の中で(血を流して倒れているビオレーを前に)グラン・コール・マラードがマズュエに「おまえ医者だろ?診断しろ」と言うシーンがあるが、これ、ウソではなかったのだね。というわけでプロとして音楽を始めたのは遅い。フォーク/シャンソン系の作詞作曲家としてアクセル・レッド、パトリシア・カース、ポム、ザーズ、フレロ・ドラヴェガなどに曲を提供、数年の下積みの末、2011年にメジャー(Sony)からアルバムデビュー(この時すでに30歳)、2017年のサードアルバム”La Femme Idéale"で一挙にブレイク、繊細+センチメンタルな新手のアラン・スーション/ヴァンサン・ドレルムとの評価。2021年にヴィクトワール賞年間ベストアルバムにノミネート(これが”誘拐事件”の引き金)、2022年に同賞ベストライヴパフォーマンスを受賞。
 さてこの3人は昨日今日のつきあいではない。フランスで”スラム(slam)"がカフェを舞台にしたポエトリー合戦だった頃(2000年頃)から、グラン・コール・マラードとガエル・ファイユはスラム詩人として出会っていたし、2010年代にガエル・ファイユをラップ/シャンソンの側のアーチストとして変身させたのは作編曲家/ジャズプレイヤーのギヨーム・ポンスレであったが、ポンスレは同時にベン・マズュエのアレンジャーだったし、マズュエは2013年からグラン・コール・マラードにメロディーを提供し始めている。ポエトリー(グラン・コール・マラード)、ラップ/ヒップホップ/シャンソン(ファイユ)、ポップ/フォーク/シャンソン(マズュエ)、それぞれ違う志向性で作品を発表している3人だが、気心知れた旧知の仲。 
 この3人によるEPアルバム制作というアイディアはグラン・コール・マラードから出たものだが、その制作プロデュースをしたジャン・ラシッドはグラン・コール・マラードの映画監督作品"Patients"(2017年)と”La vie scolaire"(2019年)のプロデューサーであり、なんと私生活ではカティア・アズナヴールの夫(すなわちシャルル・アズナヴールの娘婿)なのである。このジャン・ラシッドがお膳立てをして、2022年4月、南仏プロヴァンス地方、サン=レミーにある録音スタジオ La Fabrique (19世紀の大農家を改造したレジデンス音楽アトリエ)を6日間貸し切りにして、3人のアーチストに加えて作編曲家/DJのカンタン・モジマン(Quentin Mosimann)、前述の作編曲家ギヨーム・ポンスレ、サウンドエンジニアのトリスタン・マジールを召集してつくられたのが、この『かりその(Ephémère)』という7トラックのミニアルバム。豪華な17 x 17センチ、ハードカヴァー60ページブック装丁、フレデリック・ペロ(文)+シャルロット・モー(イラスト)による「制作日誌」。7曲ミニアルバムCD(トータルランタイム:28分44秒)にしてはちょっと高めのお値段(FNAC価格で19,99ユーロ)であるが、この豪華ブックの面白さに免じて許す。
 
 1曲ずつかいつまんで解説はしないので、悪しからず。全曲一聴して、掛け値なしに衝撃的なのが4トラックめ「誰がバンジャマン・ビオレーを誘拐したか?(Qui a kidnappé Benjamin Biolay?)と5トラックめ「大義名分(La Cause)」。この2トラックはセットになっている。”バンジャマン・ビオレー誘拐事件”は曲と言うよりはラジオドラマ寸劇で、続く「大義」はバンジャマン・ビオレーの代表的傑作曲"La Superbe"(2009年発表、2010年ヴィクトワール賞2部門)の主題をサンプルしている。ビオレーがこのミニアルバムの4人目の主役となっているような導入のしかたである。

(4)バンジャマン・ビオレー誘拐事件

(あらすじ)
時は2021年2月12日、ラ・セーヌ・ミュージカルを会場に開催された第36回ヴィクトワール賞セレモニー、その年のベストアルバムにノミネートされたのが、バンジャマン・ビオレー『グランプリ』(爺ブログに記事あり)、グラン・コール・マラード『メダム』(爺ブログに記事あり)、ベン・マズュエ『パラディ』、ガエル・ファイユ『むかつく月曜日』(爺ブログに記事あり)。
その夜、グラン・コール・マラードはむかついたデキ心でビオレーのヴィクトワール賞トロフィーを盗み出し、同じ敗者の苦汁をなめたベンとガエルを呼び出して、一緒に悔しさをサカナに飲んだいたが、「やっぱりこれは返した方がいいよ」という結論になり、3人で真夜中にバンジャマン・ビオレー邸に向かう。しかし穏便にことがおさまるわけがなく...。
気が立ってしまったビオレーと3人は乱闘のさわぎに。マズュエにつかみかかったビオレーの顔面にガエル・ファイユの鉄拳が。KO。鼻から血を出して気絶したビオレー。まだ息はある。さあ、どうする? グラン・コール・マラードが「俺にアイディアがある」と。車のトランクにビオレーを押し込み、3人は逃走する。
翌朝ラジオのニュース「バンジャマン・ビオレー誘拐犯からの声明が。(ビオレー曲)"La Superbe”楽曲使用の許可とひきかえにバンジャマン・ビオレーを解放する、と」


(5)La Cause (大義名分)
(ビオレー曲 "La Superbe"のイントロのサンプルに乗って...)
グラン・コール・マラード
みんな言ってる、おまえはなぜそのことを話さないのか、なぜおまえはそれにコミットしないのか、
おまえはそれが緊急課題であることを知っているのに、なぜ議論に加わろうとしないのか
それがアーチストなのかい?みんな気取って、問題だなとうなずきあったりはするが、
いざ自分の立場を表明する段になると、誰もいなくなってしまう
さまざまな署名運動に俺の名前を出してくれと呼ばれる
競い合うようにさまざまな社会行動に駆り出される
おまえはどうして選挙の時に支援する候補者を選ばなかったんだ?
おまえの息子がどんな世界で成長するのかを知ったからって泣きついてくるんじゃない
俺たちに意見を言うおまえは一体何様なんだ?
うるせえんだよ、自分の人生を語るのやめろよ
おまえのレコードは売れてるし、おまえはそれでいい気になって鼻高々なんだ
それでおまえはサヨクおぼっちゃんアーチストのゴタクを開陳するんだ
そうだろう、さあ時事問題を解説してみろよ、月刊誌の社説みたいに
人があまり賛成していない事柄についておまえの科学的分析を披露しろよ
ものごとを知っている人たちにしゃべらせろよ、おまえの有用性などつくりものだろう
俺はこの正当性の問題を考えるとわけがわからなくなる

ベン・マズュエ
俺は恋については少し知ってるしそれについて話すこともできる、俺は何度か経験してるし
俺は子供のことも少し知ってる
俺は死のことも少し知ってるしそれについて語ることができる
俺は少し経験してるんだ
俺は10年間、自分の家よりも病院で寝ることが多かったんだ
自分の歌については俺はそれが何を語っているのか、当然知ってるさ
それは俺が知ってるすべてだから
俺が言いたいことのすべてだから
俺が認識してるすべてだから
俺がしてることで俺が認識してるすべてだから
俺は問題をよく吟味しようと努力してるんだ
俺が最低に気に食わないのは
自分が上辺だけ見たことについて
知ったように喋る輩
スキャンダルと論難し糾弾する輩
悪者はあっちにいると言う輩
善人はこいつらのことをちゃんと知ってる

ガエル・ファイユ
いかなる歌も世界を改変することはできない
俺はアーチストだが、ただの飾りじゃない
爆弾が降り注ぐ場所で生きていなくても
俺はそれを糾弾することができるし、心底憤激することもできる
氷山に吹きつける寒風と
臆病の温もりの間にあって
しょっちゅう俺はためらい、考えを変え
言葉がなかなか出すことができないし
俺の愚かさが露呈するのを恐れる
語ること、それは自分の立場を表明すること
沈黙すること、それも自分の立場を表明すること
俺は夢は信じるが、革命は信じていない
俺は答えが欲しいから、問いを作り出す
混乱を巻き起こすのに何をためらっているのだ?
俺は歌いたい、ラップしたい、警告したい、証言したい
俺は嵐を口から吐き出したい、熾火を燃え上がらせたい

3人
Je pense donc je suis 吾思う、ゆえに吾あり
Je danse donc je crie 吾踊る、ゆえに吾叫ぶ
Je chante donc je fuis 吾歌う、ゆえに吾逃げる
J'invente donc j'appuie 吾創る、ゆえに吾強める



おわかりかな? 3人はバンジャマン・ビオレーをサカナに2トラック作ってしまったのですよ。"La Cause"のグラン・コール・マラードのライムなど、(成り上がり)インテリ左派アーチストとしてメディアに(ぶっきらぼうな)毒舌を吐くことで知られるバンジャマン・ビオレーへの強烈なあてこすりなのだけど。まあこれも(ダチ関係で通じ合える)ユーモアとして解されるものだろう。その証拠にビオレー自身「声の出演」をしているし、自曲"La Superbe"のサンプルを許してるし、ブックレットの謝辞欄にはちゃんとバンジャマン・ビオレー("pour son clin d'oeil amical" = 友情ある目配せに感謝)が記されているし。

<<< トラックリスト >>>
1. On a pris le temps
2. Tailler la route
3. Sous mes paupières
4. Qui a kidnappé Benjamin Biolay ?
5. La Cause
6. Besoin de rien
7. Ephémère

Gaël Faye + Grand Corps Malade + Ben Mazué "Ephémère"
CD Book Anouche Records/Sony Music
フランスでのリリース:2022年9月16日

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)"On a pris le temps" オフィシャルクリップ


(↓)"Tailler la route" オフィシャルクリップ

2022年9月13日火曜日

ヒア・カムズ・ザ・サン=クレール

Benjamin Biolay "Saint-Clair"
バンジャマン・ビオレー『サン=クレール』

うちでも絶賛した傑作『グランプリ』(2020年)に続く、ベン・ビオレーの11枚目のアルバム。2022年6月に発表された先行第一弾シングルの「愛を返せ(Rends l'amour)」の時に、爺ブログでアルバム制作の背景を説明してあるように、ビオレーがほぼ定住し始めた南仏ラングドック地方の港町セートと大きく関係していて、アルバムタイトルとなっているサン・クレール山はセートを見下ろす標高175メートルの丘で、頂上に輝く十字架と展望台がある。多くの古い欧州の丘のある町がそうであるように、高いところから聖者に見守られ加護されているのだろう。古くからの信心深さが残る土地柄。私の感覚では「抹香臭い」のだが。
 アルバムジャケット、ブックレットには聖人やカトリック信仰をシンボライズした図版とデザインをあしらっているが、これはセートやカマルグ地方に何百年も空気のように染み付いたアトモスフィアであろう。土地のジタンたちの入れ墨のようなものと私は解釈する。「サンタ・クララ」「サント・リタ」「サン・ジェルマン」「サン・クレール」など聖人の名が歌のタイトルとなっているが、聖人賛美の歌では全くない。信仰も祈りも全くないわけではないが、希薄だ。これは古い南ヨーロッパの”イメージ”でしかないが、それはそれで美しい。
 アルバム『サン・クレール』は基本的に2年前の『グランプリ』と同じロックサウンド。2枚通して聴くと「続編」と言われてもしかたない。ビオレー(ヴォーカル/キーボード)、ピエール・ジャコネリ(ギター/ベース)、ヨアン・ダルガール(キーボード)、フィリップ・アントルサングル(ドラムス)の4ピースロックバンド。この編成のバンドでのコンサートを去年ラ・セーヌ・ミュージカルで見る機会があったのだが、本当によく鳴るいいバンド。ジャコネリのギターが引っ張っていくパワーロックがとりわけいい。このバンド環境ではビオレーはロックヴォーカリスト然としていて、ミオセックを思わせるものがある。
 アルバムはこの聖人たちの雰囲気を醸し出すようなややバロック風な30秒のインストルメンタル序曲(”Cadidum cor, frididum caput" ラテン語です、訳:冷たい心、冷たい頭)で始まり、全部で17トラック(トータルランタイム:1時間4分)収録されている。はっきり言って17トラックは多い。もっと精選してほしかった。どれとは言わないが長年の手癖で作ってしまえたような曲があって、往年の超多作期のジャン=ルイ・ミュラのようである。
 6月の「愛を返せ(Rends l'amour)」(アルバム3曲め)の当ブログレヴューでも書いたのだけど、野卑で下品な語彙がかなり顔を出す。これは今に始まったことではないビオレーの持ち味なのだろうが、上辺でふてぶてしく悪ぶってみせるポーズ(映画俳優バンジャマン・ビオレーはそんな役しかできない)と女性蔑視紙一重のどんなパートナーにも満足を得られないエゴイストな言辞がメランコリックな男ビオレーの一貫したイメージをかたち作っている。そこにある種の評者たちはセルジュ・ゲンズブールとの共通性を見てしまうのであるが。それに関連して、この9月7日のマリー=クレールWEB版のインタヴューで、アルコール依存症だったことを告白していて、30歳の頃は1日5リットルのヴォトカをガブ飲みしていた、と。「ツアーの途中、フロアディレクターが一週間のヴォトカの瓶を数えてみたら30本あった。これは苦しかったよ。全く気持ちのいいもんじゃない。俺は脂肪質になるし、おまけにこの量でも全然酔っぱらうことがないんだ...」。ナイトクラブに出没し、数々のアヴァンチュールが黄表紙雑誌を騒がせもした。ゲンズブール/ガンズバール流儀の破滅型酩酊期であったようだ。だがどの酔いどれ詩人も同じようにゲット・ノー・サティスファクションでメランコリックで違う楽園を求めてさまよう。このアルバムにはそういう自伝的な、ノー・サティスファクションのくりかえしの人生をふりかえり、何を求めて、どこへ行くのか、と自らに問う歌がいくつかあり、このふてぶてしい男の繊細な自省にぐっと来るものがある。

 さて、アルバムでおおいに話題になるであろう曲のひとつが、7曲めの「サンタ・クララ(9月のある木曜の夜)」で、現在フランスで最も華々しく活躍している女性シンガーソングライター、クララ・ルチアニとのデュエット。ルチアニはデビュー時にビオレーのツアーの前座をつとめたこともあり、旧知の仲で、お互いの才能をリスペクトしあう同志。テレビなどで他人曲でのデュエットは何度かあったが、オリジナル曲での共演は初めて。しかしビオレー曲なので、これがハッピーなラヴソングデュエットになどなるわけがない。この男女は夏の終わり、9月、木曜の夜に出会って、その夜の悪い風に吹かれて、呪いにかけられたように捨てられていく男(あるいは捨てられていく女)、会った瞬間から忘れ去ることを運命づけられていたような刹那の逢瀬。最初からわかっている悲しい男女の"一期一会”なのか、男の身勝手なノー・サティスファクションのリクツなのか。これもビオレーならではの主題なのだけど、歌の冒頭で「きみはキスしてくれるけど”舌”を使わない」などという歌詞でそれを言うのかよ... 。
きみは僕を忘れる
人生を忘れるように僕を忘れる
夜の鳥よきみは僕を忘れ
僕はきみを忘れる
視力を失うように
きみを忘れる
初めから僕はきみを忘れていたんだ
もうすぐそんなことも考えなくなるよ

(↓)「サンタ・クララ(9月のある木曜の夜)


 これは先行シングル「愛を返せ(Rends l’amour)」の歌詞でもはっきりしているのだが、ビオレーにとって恋愛とセックスは全く別物なのである。セックスは常に悲しく、男たちは言い訳ばかりするが、恋愛の悲しみはそんな次元の問題ではない。底無しのメランコリアの男ビオレーはその癒しを求めて聖女探しをしていたのかもしれない。その求道の途上でできたアルバムがこの『サン・クレール』と深読みができるのだよ。
 たぶん最も核心的な歌だと思うが、13曲めのまさに天を仰いで神の名も出しながら歌うバラード曲「しかし(Pourtant)」で、迷えるビオレーは昇りつめる。
俺は西へ西へと向かい過ぎて、
おそらく東に来てしまったのではないか
と告白する
天の世界では良い風が吹いているのか
と自問する
おお天蓋よ
俺は観念した
高みにある神の沈黙に向かって
俺は告解する
俺は迷えるあほんだらだ
俺は特上の失望者だ
それでも俺は若くして死ぬために
最大限の努力をしてきた
ステージの上で黄色いライトを浴びながら
死なないために
最大限の努力をしてきた
そうとも最大限の努力さ
人が俺から離れていくように
俺は遠くまで行かなかったが
かなり早い速度で走ったんだ
どこで、何が、誰が、いつ?
答えはたくさんあった、だがしかし、
しかし...
俺はもう自分の顔を
鏡で見ない
喉の中に
ひどい味覚が残っている
あの高いところでは
火はあるのかと自問する
長い年月にわたる
うんざりする戦争
ヘルメットすらかぶっていない
誰が俺にこんな贈り物をくれたのか
卵、雌鶏
娼家のおかみ、娼婦
あの高いところでは
みんな目を凝らして詮索してる
だから俺は若くして死ぬために
最大限の努力をしてきた
ステージの上で黄色いライトを浴びながら
死なないために
最大限の努力をしてきた
そうとも最大限の努力さ
人が俺から離れていくように
俺は遠くまで行かなかったが
かなり早い速度で走ったんだ
どこで、何が、誰が、いつ?
答えはたくさんあった、だがしかし、
しかし...
誰かがこの水を
青い絵の具で染めた時
われらの罪のない子供たちの血で染まった
幾多の川の流れのことを
俺は忘れてしまったのさ
誓って本当だとも、俺は若くして死ぬために
最大限の努力をしてきたんだ
ステージの上で黄色いライトを浴びながら
死なないために
最大限の努力をしてきたんだ
そうとも最大限の努力さ
人が俺から離れていくように
俺は遠くまで行かなかったが
かなり早い速度で走ったんだ
どこで、何が、誰が、いつ?
答えはたくさんあった、だがしかし、
しかし...
しかし...

(↓)「しかし(Pourtant)」

わおっ。本気でこんな歌作ってしまったのだ。死なずにいる自分のための鎮魂歌。たぶんさまざまな努力をしてきたのは本当のこと。こういう歌、また作って天に向かって悲嘆を込めて歌い続けるのだろう、死ぬまで。迷えるビオレーがただの才能ある(ポップ)音楽アーチストだけではない、ということは徐々に知られていくことだろうけれど。
 アルバムはキャッチーでタイトなロックナンバーもあれば、得意の(メランコリックな)”男のリクツ”節もある。その中で一曲だけ、状況にコミットしたテーマの曲がある。16曲め「海渡り(La traversée)」は、アフリカ大陸から粗末なゴムボートや木舟に乗って命懸けでヨーロッパを目指して地中海を渡ってくる難民たちのことを歌っている。セートもまた地中海の港町であり、この海はアフリカにつながっている。
人生は長く
まず最初に
善人たちを殺し
愚者たちを残す
人生とは
ある人々には良いものだが
ある違う人々には
何の役にも立たない
金持ちもいれば
貧乏人もいる
あまり金持ちでない者もいれば
極度に貧乏な者もいる
湾に灯りがともる
今夜もまた海は
血を吐き出す
海を渡り切る前には
人生の未来が
何もなかった人々の血が
湾に灯りがともる
明日になれば海水浴客たちが
その前で昼寝をするだろう
塩と風の悲しみなど知らず
海賊や難破に遭う恐怖も知らず
海が泣いているということすら知らず

(↓)「海渡り(La traversée)」


 こういう歌があると、やっぱりこいつはいい奴なんだなぁ、と思う。
 だがこのアルバムの最良の部分は、前掲の16曲め「しかし(Pourtant)」のような正直な内省の嘆き節で、正直にこれまでの人生をいやだいやだと振り返りながら、それでも生きていくしかない不条理をどう見つめるか、というテーマだと思う。5曲め「(ある)ラヴェル(〈Un〉Ravel)」は素晴らしい。数々のクラシック名曲をパクって自分の楽曲にしてしまったセルジュ・ゲンズブールに倣ったのかもしれないが、曲名が示すようにこれはモーリス・ラヴェルを援用している。「死せる王女のためのパヴァーヌ」である。えも言われぬ美しい旋律である。これにビオレーはガキの頃から二度死んだ自分の人生をなぞり、すべて去りゆく諸行無常と格闘する自分、そこから逃げるためのボードレールの"人工の楽園"を想わせる薬物トリップも挿入されている。ボソボソと軟弱ラップのように歌い始め、ふてぶてしくもメランコリックに展開したあと、歌い込みのサビにラヴェル旋律が来る...。うますぎる。最後の「悪い風に乗って au vent mauvais」はヴェルレーヌ/ゲンスブールからの援用であろう。

俺は教室の最後列で最初に死んだんだと思う

5年から16年、別に何もしないってことは悪くないと思っていた

俺は愛の言葉など一言も知らずに愛を発見した
人の肌のいたるところに触ってもいいなんて知らなかった
喉仏に甘美な接吻をしてもいいなんてことも
どのように動脈の拍動が少しずつ減っていくのかも知らなかった

単純な世界なんてひとつも知らなかった、みんな複雑だった

ヴォーバンの中心街、城壁、その頃からひび割れていた
自分を取り戻したい意図の中に自分を見失おうとしていた
時間を浪費し、自分を安売りした
俺は暗闇の中で始めた、いや実際は始めてもいなかった
自分の両足の感覚がなくなるまで、浴槽の底にいたんだから

ジャン=ルイ・バチスト、マリー=マドレーヌ、カマルグの塩水

砂丘、鯨の浜辺、俺は死神に戦いを挑んだ

自分自身を罰することのできない臆病者の俺は
純真な心に穴をあけた
人魚たちはノー・フューチャーと歌い、俺の声はアンプを通しても聞こえない

俺の子たちは俺のことを金持ち扱いするのではないかと恐れている

穴の中で果てるのも怖い、最低でも焼かれて果てたい
俺が二度目に死んだのはステージの上で俺は裸同然だった

いやだいやだいやだ、俺は不満ばかり言っているが
心の奥底で俺はこれが好きなんだ
俺は好きなんだ、この憎たらしくも美しい人生が、
でかいケツをした、ベタベタした髪の人生が

でも歩道のこちら側から向こう側に移る前に
別れの言葉を交わさなければならない
人生はこんなふうに過ぎていく、この憂鬱と混じり合っためちゃくちゃなやつは
聖処女はこんなふうに生き、その子イエスはこんなふうに去った
エッフェル塔については、俺はその存在を信じていない
もしも俺がなにかを変えることができるんだったら、俺はきっと全部を変えられるさ
俺にはボロの帆と筏と海水と釘と
おまえの8月の汗水だけがあればいい

ものごとはこんなふうに進んでいく、人生もまたしかり

バラ色の夜もあれば、やつれた夜もある

人生に痛めつけられた俺の体

恋にも痛めつけられるさ

ほんの少量で、俺は

えも言われぬ夏の中に入っていった
湖のほとり、動かぬままの世界
宿泊地、音もなく扉を開ける部屋
このベッドには

誰も夜をつなぎとめてはくれないんだ、誰もいないんだ

歴史はこんなふうに進んでいく、人生もまたしかり
いくらかの輝かしい出来事は、幻想が満たされることがないまま
速度をゆるめていき、内側は灰色に変わっていく
ものごとの美しさなど決して長続きしない
それは悪い風に乗って飛んでいってしまう

(↓)”(Un)Ravel”オフィシャル・クリップ


この曲だけで、私、すべて許しますよ。

<<< トラックリスト >>>
1. Calidum cor, frigidum caput
2. Les Joues Roses
3. Rends l'Amour !
4. Les Lumières de la ville
5. (Un) Ravel
6. De la beauté   Là où il n'y en a plus
7. Santa Clara (Septembre un jeudi soir)  (feat. Clara Luciani)
8. Sante-Rita
9. Petit chat
10. Pieds nus sur le sable
11. Saint-Germain
12. Numéros magiques
13. Pourtant
14. Mort de joie
15. Forever
16. La Traversée
17. Saint-Clair

Benjamin Biolay "Saint-Clair"
2LP/CD/Digital Universal - Polydor
フランスでのリリース:2022年9月9日

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)アルバムタイトル曲「サンクレール(Saint-Clair)」


(↓)冨田勲「亡き王女のためのパヴァーヌ」(1979年ラヴェル音楽集アルバム『ダフニスとクロエ』より)



2022年9月4日日曜日

聖姉妹綺譚

Amélie Nothomb "Le livre des soeurs"
アメリー・ノトンブ『姉妹の書』

また他愛もない話か、と読み始める。寓話体で書かれているからだ。あるところに女と男がおりました、そんな感じ。誇張され、昔語り/紙芝居弁士のように古風な語彙を多く交えて、ありもしない話だとわかっていても一気に読ませる大人童話。ユーモアは黒々としているが、上辺の平易さとシンプルさであっと言う間に読み進む。まこと、この作家は不思議なパワーをお持ちだ。
 1960年代末、北フランスのとある町で、女と男が運命的な出会いを果たす。ノラはフローランしか愛せないし、フローランはノラしか愛せない。二人の愛は十全的であり、他に何もいらない。周囲はこんな強烈な愛など一時的なものと達観しているが、あにはからんやこの愛は同じ濃厚さを保ちながら20年30年と持続していくのである。が、この小説はこの男女が主役なのではない。結婚して3年たってもアツアツの二人に、やっかみで人が「子供つくってみては?」と進言する。熱愛も”子育て地獄”で鎮まるだろうと。1973年、長女トリスターヌ(この綺譚の主人公)が誕生する。ノトンブの小説では過去にあったパターンだが、この新生児は言葉こそ話さないが、既に知覚能力を備えていて、驚異のスピードで知識を吸収し、周囲を観察する。両親は最初乳児を溺愛するのであるが、よく泣く子であることがわかるや、うんざりしてしまう。泣く子をあやすのに辟易したフローランは大人に言い聞かせるようにトリスターヌに「二度と泣くんじゃない、それは悪いことだ」と厳命する。その時から赤子は二度と泣かなくなる。その命令を理解したのだから。この乳児の超早熟な知覚など知りもしない両親は、赤ん坊が泣かなくなったことをよいことに、その部屋を閉めきり、熱愛カップルを再開するのだった。ノラの産休が終わり職場復帰、昼の間トリスターヌはわずか生後6ヶ月で託児所(クレッシュ)ぐらし。手間のかからない子、おとなしい子はクレッシュで大人の目に感知されぬ状態で人間の行動や関係の構築法などを学び取り、幼児たちの一段上を行く。だが手間のかからない子は両親からいよいよ無視されるようになり、両親の"永遠の蜜月時代”は続き、ある日2歳になっても一言も言葉を発しない娘に初めて異常を感じる。「”パパ、ママン”も言えないなんて」と両親が嘆いているのを聞いて、これが"許可”なのだと解したトリスターヌは「パパママン」と第一声を発する。「おまえいつからしゃべれるの?」ー 両親はこの子の不気味な知能を初めて垣間見て、喜びよりも恐怖すら感じてしまうのだった。
 ノラにはボベットと名乗るひとりの姉がいて、シングルマザーで4人の子持ち、失業者でアル中でモク中でテレビ中毒で、生活保護を受けてせまい社会住宅で暮らしているが、トリスターヌにはこの叔母ボベットが人生初めての”馬の合う”相手となった。下卑た言葉は使うが、この叔母はまっすぐでウソがない。意気投合したボベットはトリスターヌに自分と歳の違わぬ末娘コゼットの「マレーヌ marraine」(註:日本語では parrain の女性形として "(女性の)名付け親”と訳されるが、実際にはこの"parrain/marraine"はその子の一生の後見人/世話人の意味)を任ずる。自分の家で家族との交流の全くないトリスターヌは、叔母の家でそのインテリジェンスと面倒見の良さを如何なく発揮して、手のつけられない子たちだったコゼットとその3人の兄たちを"教育”し、楽しませ、荒廃した叔母の家庭を大改造する。「おまえは将来共和国大統領になれるよ」とボベットは予言する。この姉の証言をまったく信用しない(アル中の虚言癖がまた始まったとしか思っていない)ノラとフローランはトリスターヌの動向など頓着しない。ある日両親は幼女が極度の近視であることを知り、強いメガネをかけさせる。両親の目からすれば手間のかからない何でもひとりでできる子は、自分たちは楽だが、精彩のない目だたたないやせっぽちのメガネの子にすぎなくなった。だがわが子を愛していないわけではない。
 トリスターヌが4歳を過ぎた頃、周囲の意見に惑わされやすい両親は一人っ子の難しさを説かれ、年齢的にノラの妊娠出産が難しくなる前に第二子をつくってはと進言され、そのことをトリスターヌに問う。幼女は狂喜してその提案に賛成するが、両親は条件として(第一子の時で懲りたから)授乳、おしめ替え、子守は全部おまえがするのだぞ、と。
 1978年、次女レティシア誕生。トリスターヌは一目妹を見た時から激烈な愛を抱く。それが相思相愛になるにはやや時間がかかるが、時と共に二人の愛は強固なものとなり、小説の終わり(二人とも30歳代)まで変わらぬ関係となっている。
 小説は二つの相反する"愛”という構図をとっている。一方にノラとフローランという時間を超えた純朴な愛があるが、それは二人に独占的であり、排他的であり、閉鎖的である。それに対してトリスターヌとレティシアの愛は開かれていて、周囲と反応作用を起こしながら拡がっていく。その影響でどんどん”良くなって”いくのが、叔母のボベットとその娘コゼットである。特に後者はトリスターヌ/レティシア姉妹と絶妙のトリオを形成した時期もあったのだが、拒食症で非業の最後を遂げる。コゼットの死と最後まで関わったトリスターヌ(実はその死に至らしめる最後の”一撃”はコゼットの最後の嘆願でトリスターヌが与えている)は、死後冥界にいるコゼットと交信できるようになり、気立てはいいが出来の悪い粗野な娘だったコゼットは死後トリスターヌの第一の相談役という地位に昇格する(この小説のシナリオ上、一番弱いエピソードだと私は思う)。
 さて両親との約束通り新生児レティシアの育児の世話全般をりっぱに担ったトリスターヌは、二人の子供の存在にまったく頓着せずいちゃいちゃ恋愛を続ける両親をよそに、家庭内に姉妹だけの夢の空間を構築していく。例えばノラは仕事に出かける前に、子供部屋のテレビをつけっぱなしにて行く。子供たちが寂しくならないようにという配慮からであるが、トリスターヌとレティシアはそんなものを必要としないし、トリスターヌが次々に考案する創造的な”遊び”の数々は限りない。姉は母が出て行ったあとテレビをすぐに消し、また母が帰宅する頃を見計ってテレビのスイッチを入れる。こういう家庭に波風を立てない心配りまでできる幼女であったが、これを両親は知るよしもない。
 レティシアとトリスターヌの違いは瞳の輝きである。レティシアは生まれながらにして輝きをそなえた娘だった。トリスターヌもこの輝きを熱愛するのだが、それにひきかえトリスターヌは(メガネということだけでなく)人を惹きつけるものがない。一度話をして知り合った人たち(子供も大人も)はトリスターヌの魅力に気がつくのだが、パッと見では誰もトリスターヌに寄り付かない。これを幼いトリスターヌは気にかけていたのだが、ある日、両親が言ってはいけないことを言ったのを聞いてしまう。(p71)
彼女は壁越しに両親が話し合っているのを聞いてしまった:
「トリスターヌがあまりきれいじゃないのは残念ね」と母は言った。
「どうしてそう思うんだい?あの娘はとてもきれいだよ。繊細だし顔立ちも髪の毛もきれいだし、メガネはよく似合っているよ」
「あなたの言うとおりね。私の言い方が間違っていたわ」
「一体何が問題なんだい?」
ノラはたっぷり時間をとったあとこう断言した。
「艶のない少女なのよ」
「全然そんなことないよ。あの娘は優秀だし、魅力的だよ...」
「それは知ってるわ。あの娘をよく知ったら、とても非凡な娘ってわかるわ。でもそれは外見ではわからない。あの娘は精彩のない少女に見えるのよ」

原文:"C'est une petite fille terne" = 艶のない少女。 形容詞terne(テルヌ)は、私のスタンダード仏和辞典では「艶のない、曇った、(色が)くすんだ、生彩のない、(生活などが)陰鬱な、味気ない、(人が)ぱっとしない」といった訳語が出てくる。残酷な形容詞である。これを母親のノラが断定的に言い切ったのだ。トリスターヌはこの時から"terne"という形容詞が重い重い重い十字架となって一生引きずることになる。

 小説はエゴイストな両親との衝突を避けるよう気を配りながらも、自立/独立の方向に進んでいく幼い姉妹の成長とユートピア建設が描かれていく。並外れたインテリジェンスを持ったトリスターヌの穏便策とは対照的に美貌と際立つ個性を身につけたレティシアはわずか8歳でロック・ミュージック(ハードロック系)に目覚め、ギターを習得し、ロック・トリオ Les Pneus(レ・プヌー、意味はタイヤ)を結成し、ベルシー(現在の名称:アコール・アレナ Accord Arena)を満杯にするバンドを目指すというのである。初代メンバーはレティシア(リーダー/ギター/リードボーカル)、コゼット(ドラムス)、トリスターヌ(ベース)。このパワーロックトリオの変遷もなかなか読ませるものがある。早くから自分の人生はロックしかないと決めたレティシアの突き進みがいい。一旦はベーシストにおさまったものの、自分の人生をロックとはとても思えないトリスターヌは、両親の嫌がらせをはねのけて、"Très bien"メンションつきでバカロレアに合格し、(親から出資ゼロでも構わないように)無返済奨学金を取得、パリ大ソルボンヌ校へ。トリスターヌの離脱、コゼットの死、メンバーチェンジを繰り返すがメンバー同士の恋愛トラブル(これも可笑しい)などを克服して、レ・プヌーは(人気バンドではないが)実力派バンドとして成長していく。
 大きな主題として、トリスターヌに刻印された「艶のない娘」の呪縛を、いかにしてトリスターヌが克服していくか、ということがあるが、その悩みの最も大きな支えとなるのが当然レティシアという妹の存在であり、次いで冥界にいるいとこのコゼット、叔母のボベットなどもいる。さらにトリスターヌが体験するさまざまな恋愛(男も女も)もいい薬になっている。聖なる姉妹愛の物語はよい塩梅で開かれた関係なのであり、それがこの小説の救いであると思う。
 最後にやってくるのは、一生この長女の優越性にがまんがならなかった母親ノラとトリスターヌの落とし前なのであるが、ここでは書かないでおこう。そしてその落とし前の厄払いをしてくれるのが妹のレティシアという、よくできたお話。読まされてしまったので、大きな不満はないのであるが、綺譚得意のノトンブ、もう少しリアルに近い小説も書いてほしいと思うのは無い物ねだりか。

Amélie Nothomb "Le livre des soeurs"
Albin Michel刊 2022年8月17日 200ページ  18,90ユーロ


カストール爺の採点:★★☆☆☆

(↓)出版社アルバン・ミッシェル制作の著者自身による作品紹介プロモーションヴィデオ。