2009年1月28日水曜日

オバマ前夜に老いてしまうこと



 ポール・オースター『マン・イン・ザ・ダーク』
 Paul Auster "Seul dans le noir"


 今朝の新聞でおとといジョン・アップダイクが76歳で病死したのを知りました。「走れウサギ」など遠い忘却の彼方ですが、読んでたんだなあ、と改めて爺たちが青少年の頃の「最も近い国」アメリカを思っています。なぜあんなに一生懸命「米語」を勉強させられたんでしょうね?中学の時ですが、This land is your land, this land is my landと歌ってましたが、その邦題が「わが祖国」だったと思います。爺たちはヴァーチャルにもアメリカを祖国と思う瞬間があったんですね。そして今日アメリカは、再び急に親しげに語りたい国に戻りつつあると思うのは私だけでしょうか。
 「神の能力は無限である、従って神によって創られた世界も無限である」ということをイタリアの哲学者ジョルダーノ・ブルーノ(1548-1600)は唱え、その結果われわれの住むような世界は無数に存在するという複数世界論に至り、異端裁判にかけられ、火炙りの刑に処されます。パラレル・ワールドの存在を理論化した最初の人だそうです。オースターはこの論にインスパイアされ、ブッシュのアメリカ(2000年以降)に平行して存在するもうひとつのアメリカを小説内小説として登場させます。今(2007年)存在するこちら側のアメリカに生きていた人間が、眠りから覚めると深い井戸底のような闇の中にいます。小説のタイトルです。『マン・イン・ザ・ダーク』。闇の中の男オーウェン・ブリックは、それまで生きていた世界では手品師でしたが、目がさめると軍服を着た兵士(軍曹)になっています。井戸底から地上に昇ると、そこは戦場です。もうひとつの2007年のアメリカは、ブッシュ政権に反対して分離独立を主張する地方の蜂起軍と中央政府軍が戦争をしています。もう7年も戦争が続いていたのです。そしてこの世界では、9.11テロも、第二次イラク戦争も起こらなかったのです。
 オーウェン・ブリックは何年も戦争の続く世界の人間たちに呼ばれて、この戦争を終結させる最後の切り札としての使命を受けます。それはこの戦争を起こしている張本人を殺してしまうことです。人を殺すこともこの戦争に関与することも拒否しようとするオーウェンは何度もこの命令者たちの手から逃れようとしますが、果たせません。命令を実行すればもといた世界へ帰れる、実行しなければオーウェンと妻のフローラを殺す、この二者択一を迫られ、オーウェンはやむなく暗殺者になりかけます。
 その戦争を起こしている張本人とは、引退した老文芸評論家オーガスト・ブリル。自動車事故を起こし車椅子生活をしている彼は、伴侶を病気で失い、一人娘のミリアムは醜い離婚劇のショックから立ち直れず、ミリアムの娘カティア(つまりブリルの孫娘)はその若い恋人をイラクで失っています(人質に取られ、無惨にもヴィデオカメラの前で斬首処刑される)。この不幸を背負った3人がヴァーモントにある一軒家で、笑いの少ない生活を送っています。ブリルは夜眠ることができず、闇の中にひとりいて頭の中で世界を回しているのです。『マン・イン・ザ・ダーク』。ブリルはその中でいろいろな物語を創ります。世界の読み直し/作り直しのようなものです。その中にアメリカの分離独立戦争があり、パラレルワールドでの別のアメリカがあります。戦争はこの老人の頭の中で起こっていて、この戦争を止めさせるために、老人はオーウェン・ブリックという素人暗殺者を登場させるのです。ブリックがブリルを殺すことによって戦争は終わる、というブリルが遠回しにしかけた自殺劇でもあります。
 もとをただせば、すべて一人の老人の頭の中の戦争と言えますが、イラクの戦争も一握りのアメリカ人指導者たちが頭の中ででっち上げた戦争を現実化してしまったわけですから、このブリルのメディテーションには絵空事ではない含意が多く登場します。
 ブリックはブリルを殺せるのか、かの世界での戦争は終結するのか、という大詰めに、ポール・オースターは全く別の抜け道を持ってきますが、ここの部分は言えませんので、ご自分でお読みください。
 ル・モンド紙でのインタヴューでオースターはこのアメリカ現代史の読み直しについて語っています「2000年大統領選挙では実際にはゴアが勝ち、ブッシュは破れていた。しかし法律的政治的な工作によって共和党は勝利を無理矢理に奪い取った。このクーデターによって私はまるでパラレルワールド、即ち真実と隣り合わせて存在する世界に住んでいるかのような印象を抱いた。あるいはそれが真実の世界なのか、そうだとしたらこの戦争は存在しなかったのではないか、ワールドトレードセンターのテロは起こらなかったのではないか...?
 ブリルの頭の中の悪夢は、オースターの悪夢そのものであったわけですが、小説はブリルが闇の中を出て、少しずつ現実に目覚めていく方向で終わります。孫娘カティアとのやりとりの中で展開される自分史の読み直しは、数奇な体験を通して見て来た世界と自分の関わりが、最終的に肯定的であるという見方に変わっていく契機です。
 最終部に繰り返して引用されるローズ・ホーソーンの詩の1行は「そしてこの奇妙な世界は回り続ける Et ce monde étrange continue de tourner」というものです。同じようなことを「それでも地球は回る」とガリレオは言い、「それでもセーヌは流れる」と向風は言いました。ミソは「この奇妙な」という限定的形容詞です。不完全でありときおり不正義が勝利してしまう奇妙な世界です。しかし、なんかこういう1行に集約してしまってほしくない、闇から光を垣間みる小説です。オバマ大統領誕生の1年前の2007年に書かれた作品です。Auster had a dream。

Paul Auster "Seul Dans Le Noir"
(Actes Sud刊。2009年1月。185頁。19.50ユーロ)



PS1(1月30日)
1月21日放送の国営テレビフランス3の番組です。
『マン・イン・ザ・ダーク』を語るオースター
なんてチャーミングなフランス語なんでしょう!!

2009年1月20日火曜日

ジェニー,いかした名前だぜ



 ジェニー・アルファ『鈴蘭のセレナーデ』
 Jenny Alpha "LA SERENADE DU MUGUET"


 ジェニー・アルファはマルチニック島出身の演劇女優です。1910年4月22日生れ。すなわちあと3ヶ月で99歳になります。さらにすなわち,1年3ヶ月で100歳になります。
 100歳が珍しくなくなった今日とは言え,この美貌とこの歌声とこのリズムを聞いたら,これはほとんど奇跡です。
 20年ほど前に私はマルチニック島のバンジョー奏者カリのアルバム『ラシーヌ』の解説で,ビギンは火遊びの音楽である,というふうなことを書きました。つまり19世紀に起源するマルチニック島のビギンはバル(ダンスパーティー)に集まる男女の一夜の恋のための誘惑のダンスである,みたいなことですね。ポルカ/マズルカのクレオール化がビギンですが,それは同時に官能ダンス化であったわけです。
 私は自分が書いたこのビギンの官能性というのを,この98歳の女性歌手の歌声を聞いて,ビビビッと思い出してしまいました。すごいです。
 リベラシオン紙は2009年1月16日号で,このジェニー・アルファを全面記事で紹介しています。そのタイトルは「100年のネグリチュード」。ネグリチュードはマルチニック島の詩人/政治家であるエメ・セゼール(1913-2008)が起こしたアフリカ性と黒人性を重んじる文学/文化運動です。エメ・セゼールはジェニーの弟の同級生でした。19歳で島を出てパリに移り住んだジェニーは,のちにエメとも再会し,エメのところでネグリチュードの3大詩人,すなわちマルチニックのセゼール,セネガルのレオポルド・サンゴール,ギュイアンヌのレオン=ゴントラン・ダマスと親しく交流するようになり,言わばネグリチュードのコピーヌ(マドンナと言うべきか)になってしまったわけです。
 ソルボンヌで歴史を学び,気が進まない教職の道を歩もうとしていたところに,詩人ロベール・デスノスと出会い,そこから画家アンドレ・ドラン,演劇人ジャン=ルイ・バロー,歌手シャルル・トレネなどと知り合うようになります。1939年,ギメ美術館の秘書だったジェニーは,島のカルナヴァルをアレンジした演し物でキャバレーに出演します。その歌と踊りに魅了されたレコード会社パテが,ジェニーをレコードデビューさせます。美術史家でルーヴル美術館の講師でもあったジャック・デサールと結婚。しかしデサールの両親は息子に「ネグレス」を娶ったことをずっと責め続けたそうです。1942年にデサールが死去。終戦後にパリに戻って詩人ノエル・ヴィヤールと結婚。演劇とキャバレーの他に,ビギンオーケストラを結成してその歌手にもなります。しかし演劇界は,褐色の肌の女優にはその限定された役柄しか与えません。ジェニーはそれでも60年間,女優としてネグリチュードの戦いを続けてきたわけですね。
 このCDは,ジャズ・ピアニストのダヴィッド・ファクールが制作しています。ファクールは彼のトリオを率いてこれまで「ジャズ・オン・ビギン」というアルバムを2枚,フレモオ&アソシエ社から出していて,その「ジャズ・オン・ビギン Vol.2」(2006年)にジェニー・アルファがゲスト・ヴォーカリストとして参加しました。この怪物ばあちゃんの艶っぽさに仰天したファクールは,ぜひジェニーのアルバムを作らねばと思ったのです。
 2008年5月,ファクールのトリオに,マルチニックの男性歌手トニー・シャスール,フランソワーズ・アルディの息子トマ・デュトロン,サキソフォニストのグザヴィエ・リシャルドーなどが加わった楽団をバックに,ジェニー・アルファは8曲録音しました。ビギン7曲と,ジェニー作の童話朗読にダヴィッド・ゴアが曲をつけたものが1曲です。そしてボーナスとして1953年録音のSP盤の2曲が加えられた10曲入りCDです。
 かいもんもんむえん...クレオール語のまろやかな響きと,サトウキビのシロップのような甘さ,クイっと飲むとキュっと熱いラム,左手で相手の手を支えながら右手で相手の背中や脇の下を刺激したりするビギンの誘惑,くるくる回ればパラダイスの気分ですよ。ジェニーは私たちをパラダイスへと誘惑してくれるのですが,死んだらまずいですよ。なんて素晴らしい女性なんでしょう。クレオールの太陽のようです。

<<< トラックリスト >>>
1. La sérénade du muguet (Jenny Alpha)
2. Mais ça pas possible (Al Livrat) duo avec Tony Chasseur
3. Asé kozé (traditionnel)
4. Douvan pote doudou (Sylvio Siobud)
5. Yaya (traditionnel - air de Saint Pierre)
6. Léchel Poul (traditionnel - air de Saint Pierre)
7. Woulé (traditionnel - air de Saint Pierre)
8. Poutti (conte de Jenny Alpha - musique de David Gore)
9. La sérénade du muguet (Jenny Alpha - version originale 1953)
10. Douvan pote doudou (Sylvio Siobud - version originale 1953)

JENNY ALPHA "LA SERENADE DU MUGUET"
CD AZTEC MUSIQUE CM2218
フランスでのリリース 2008年10月



(←フランシス・ピカビアによるジェニー・アルファの肖像画 1942年)










PS 1(1月20日)
デイリー・モーションにあったジェニーの最近の映像です。ジェニー・アルファ「クレオールの女」。これを見て驚かないわけがないでしょう。

PS 2 (1月21日)
2004年公開のフランス映画で,その名も『ビギン』というのがあったそうです。私は全然気がつきませんでした。おまけに今日この映画は上映館もなければ,DVD化もされていないのです。19世紀末のサン・ピエールが舞台の「ビギン」誕生ストーリーのようで,こんな映画が今日誰も見れないなんて残念至極です。フランスの映画総合案内サイト「アローシネ」にまだ予告編映像が残っています。ギ・デローリエ監督映画『ビギン』予告編。この短い映像でもマドラスのスカートをたくし上げて踊る娘たちの艶やかさが光りますね。ビギンは誘惑のダンスそのものです。


PS 3 (2010年9月9日)
ジェニー・アルファさんが、昨日(2010年9月8日)、100歳で亡くなりました。
すばらしい女性でした。一度お会いしたかった。残念。Bonne route au paradis.

2009年1月18日日曜日

「ファイナル・アンサー」という世界共通語



 『スラムドッグ・ミリオネア』2007年イギリス映画
 "SLUMDOG MILLIONAIRE" ダニー・ボイル監督作品

 フランス封切2009年1月14日

 3週続けて日曜日の朝は娘と映画でした。ニコル・キッドマンのポスターに魅せられて『オーストラリア』(日本公開2月28日)に始まって、先週は娘のたっての希望で『トワイライト』(日本公開4月4日)でした。で、今週はこの『スラムドッグ・ミリオネア』(日本公開4月)でしたが、前の2本は娘の読解力を考慮して仏語吹き替え版で見ていたのに、今日のはオリジナル版(英語/ヒンズー語)の仏語字幕つきでの鑑賞でした。久しぶりの字幕映画だったのに、字幕が白字で、画面が白くなったら字幕が何も読めないという箇所が何度かあり、悲しい思いをしました。
 世界50カ国のヴァージョンがあるというテレビのクイズ番組 Who wants be a millionaire?の発祥の地は英国だそうです。フランスではTF1が2000年から放送を開始し,タイトルは Qui veut gagner des millions ?と言い,司会のジャン=ピエール・フーコーが解答者に「それはファイナル・アンサーですか?」と聞くのに,こういうフランス語で言います。

Est-ce que c'est votre dernier mot?

 強い表現ですね。「あなたの最後の言葉ですか?」と聞くわけです。サスペンスが最高潮に達します。生と死をかけたような緊張の瞬間です。日本版のみのもんた司会のクイズ$ミリオネアは見たことがありませんが,似たようなもんでしょう。このように英国やフランスや日本だけでなく,世界中の人々がテレビの前でファイナル・アンサーの緊張を分かち合っているのです。
 この映画はそのインド版の Who wants be a millionaire?に15問正解して,最高賞金2千万ルーピを手にすることになる,ボンベイ(ムンバイ)の貧民窟出身の青年ジャマルの物語です。この現在は電信会社のお茶汲みボーイをしている無学な青年が,これらの難問を解けるわけがない,というのがこのインド版ジャン=ピエール・フーコーあるいはインド版みのもんたの露骨な侮蔑の態度です。この司会者氏は番組中に公然とこの青年に差別的な表現を繰り返し,嘲笑し,挑発し,この身分知らずを一刻も早くこの番組から引きずり下ろそうとします。しかし,ジャマルはすべての問題に対して正解を知っているのです。14問めまで正解を出して,賞金が1千万ルーピになったところで,その日の生放送が終わってしまいます。ここで司会者氏の侮蔑と怒りは頂点に達し,警察に手を回して,ジャマルを逮捕させ,青年がインチキで全正解を知ったことを拷問で自白させようとします。
 映画は警察の取り調べ室の拷問シーンから始まります。水責めや電気ショックもあります。しかし青年ジャマルは自白しません。どんなインチキをしておまえは正解を得たのか,というのが取調官が強要する質問です。これには答えようがないのです。なぜならこれまでジャマルが生きてきたことのすべての記憶が,14問全部の正解を与えてくれたのです。
 映画はボンベイのスラム街に生を受けた少年とその兄と,幼い日に出会って兄弟と行動を共にするようになった孤児の少女ラティカの3人が,いかにして過酷なサバイバル競争を生き抜いてきたかを描きます。イスラム過激派によるヒンドゥー教徒住民への襲撃や,食い扶持のない子供たちを集めてきて盗賊団を組織する地元マフィアなど,リアルな現実が随所に現れます。学校など行かず,廃品あさりや物乞いや万引きで生きなければならない子供たちです。大道歌手は盲の方が稼ぎが多いという理由で,盗賊ボスが歌のうまい少年の目をつぶしてしまうというショッキングなシーンもあります。この現実の中でジャマルはすべての答えを知ってしまったというのが,この映画のストーリーです。
 たぶん原作本がすごくいいのでしょう。原作はインド人作家ヴィカス・スワラップ(Vikas Swarup)の小説『ある不運なインド人が億万長者になるまでの信じがたい冒険(仏語ではLes Fabuleuses aventures d'un Indien malchanceux qui devient milliardaire)』で,これを『フル・モンティ』の脚本家サイモン・ビューフォイがシナリオ化し,『トレインスポッティング』のトニー・ボイル監督が映画化した,という悪いわけがない2時間映画。地獄から天国までの最短旅行のようです。
 全スラム街のみならず,全インドの家庭,全インドの飲食店,全インドの家電ショップが,このクイズ番組をテレビに映し出し,固唾を飲んで15問めのファイナル・アンサーを待っているところなどは,サッカーW杯決勝なんざちいせえちいせえ,といった趣きです。最後は私も隣にいた娘と抱き合って喜びましたから。

『スラムドッグ・ミリオネア』フランスでの予告編


 

2009年1月15日木曜日

ニコル・ルーヴィエとマリー=ジョゼ・ヌーヴィル



 わが町ブーローニュにある小さな独立レコード会社ILDが去年復刻したニコル・ルーヴィエに関しては,2008年12月25日の当ブログを読んでください。今朝ILDに寄ったら,創業者のイーヴ=アンリ・ファジェ翁(今は引退していて,息子のエリック・ファジェが社長になっています)がいて,このニコル・ルーヴィエのバイオグラフィー写真集(20センチX20センチ,38頁)をくれました。19歳で自作自演歌手と小説家でデビューしたルーヴィエが,華々しい活躍をしていた50年代の写真,59年に公演先の日本で撮った写真(「さよなら奈良」という詩と共に載っています),ラジオプロデューサーとなった60年代,第一線から退き南仏,イスラエル,スペインなどに移り住んで詩と小説を書いていた70年代以降の写真... 静かながら内に秘めた強烈ななにかが感じられる顔ばかりです。この女性についてもっともっと知りたくなります。そのことをファジェ翁に言ったら「このバイオグラフィー本の作者に会ってみるかい?」という話になったのです。
 というわけで,再来週,生前ニコル・ルーヴィエと生活を共にしていた女性と会えるようになったのです。こうなると向風三郎に仕事してもらわないといけないですね。

 ニコル・ルーヴィエのことをいろいろ資料で見ていたら,1953年ルーヴィエ19歳デビューの2年後に,競合レコード会社のパテ・マルコーニが同じようなギターを持った自作自演少女歌手のマリー=ジョゼ・ヌーヴィルをデビューさせています。女子高校生18歳。そのトレードマークは長いお下げ髪。リセの子たちの友情や青春の悩みや恋の芽生えなどをギター弾語りで自分の言葉で歌うわけです。同世代にバカ受けします。翌年の2枚目の4曲入りシングルには大胆にも地下鉄痴漢おじさんとのやりとりを歌った「地下鉄のムッシュー」という歌が入っていて,これが放送禁止になったので(!)ますます売れてしまったのです。こうしてマリー=ジョゼ・ヌーヴィルはニコル・ルーヴィエの人気をかっさらって,新しいヤング・ジェネレーションのヒロインとなってしまいます。たぶんこのことが,ニコル・ルーヴィエに,レコード会社同士の醜い競合のために翻弄される少女歌手のことを描いた業界暴露小説「商人たち Les Marchants」を書かせたのかもしれません。
 このヌーヴィルとレコード会社パテ・マルコーニの間には,トレードマークである髪型(長いお下げ髪)を変えないこと,という契約があったようです。それを1968年,20歳になり,パテとの契約を解消してバークレイと新契約したヌーヴィルは,オランピア劇場でのコンサートの際に,新しいヘアスタイルで登場し,しかもギター弾語りのスタイルをやめて楽団を引き連れての演奏に変えたのでした。このラジカルな変化にファンたちはついていきません。がっかりして,二度とヌーヴィルのレコードを買ったり舞台を見たりということをしなくなってしまうのです。ヌーヴィルはいとも簡単にスターダムから転落してしまいます。ああ芸能界。
 ヌーヴィルとルーヴィエは,ギター弾語り自作自演歌手という点で共通していても,全く違ったタイプのアーチストです。ヌーヴィルは斜めから世界を見る風刺感覚とユーモアとリズミカルな言葉展開などの点でずっとブラッサンスに近いと思います。ルーヴィエは悲しみやアンニュイや渇きや旅情が前面に出て来るファドやブルースに近い音楽を展開します。ヌーヴィルの歌はコンサートでファンたちが唱和するタイプのものが多いのに対して,ルーヴィエの歌は黙して聞くにふさわしいものが多いのです。私は地がおセンチなので,圧倒的にルーヴィエに惹かれるわけですね。

 (← 高校生の頃のさなえもん,と言えば信じる人もおりましょうね)
 

 







PS 1 (1月15日)
「さよなら奈良」は、「ホノルル・ルル」(ジャン&ディーン)みたいですね。

2009年1月12日月曜日

Ya Basta!



 テレビニュース映像は一方からのプロパガンダであると言う人たちがいます。私には全世界のテレビや新聞を見て総合的に判断するということができるわけがありません。ニュースは家で見るフランスのテレビ(FRANCE 2, FRANCE 3, CANAL PLUS, LCI, BFMTV, I-TELE...)と新聞のインターネットサイト(LIBERATION, LE MONDE, FIGARO, PARISIEN,朝日,読売...)で知ろうとしている一介の地球市民です。偏りはあるかもしれません。しかしこの2週間で今日死者が900人を越したとこれらのメディアが報じる時,私が知ろうが知るまいが,これらの人たちは死んだのです。私がこれらのメディアで知るのは,これらの人々は誰からも守られずに殺されたということです。国連もアメリカも欧州も誰もこれを止めることをしなかったということです。
 おとといフランス全土で親パレスチナ系反戦デモがあり,昨日はやや規模は限定的ですが親イスラエル系反戦デモがありました。私たち家族はどちらにも参加していません。
 フランス政府はこの悪化した中東情勢が国内に飛び火してくる可能性を懸念していると言います。国内のシナゴーグに火炎瓶が投げ込まれたり,ユダヤ人排斥の落書きがされたりということが起こっています。フランスのあるユダヤ人団体の代表が「フランスのユダヤ人社会は脅かされている」と発言しました。どうしてこの人は自分たちだけが被害者と主張できるのでしょうか。
 今朝,民放ラジオRMCのジャン=ジャック・ブールダンはこのことを"Victimisation"(ヴィクティミザシオン)という言葉で説明しました。文字通り訳すならば「被害者化」です。これは災害や事件や社会異変(政変や大恐慌)や冤罪や人種差別などで被害を被った人々が,過度にその被害を強調することによって,被害者を神聖化してしまうことの意味に使います。言い換えれば,われわれは被害者であるから,われわれの主張は正当である,という神聖化です。
 イスラエル人たちもパレスチナ人たちも同じように「ヴィクティミザシオン」を盾にして,それぞれの主張と行為(戦闘行為)を世界に認めてもらおうとします。われわれは被害者であるがゆえに,正当に復讐する権利を有する,と言っているわけです。この双方のヴィクティミザシオンが終止しない限り,パレスチナ/イスラエル(これを読まれる方でこの書き方が気に喰わないという向きがありましたら「イスラエル/パレスチナ」と書き換えてもいいです。私にとっては同じです)問題の解決はない,とブールダンは言います。

 Ya Basta !

 子供たちが血まみれの死体となっているニュース映像を私たちはもう何日も見せつけられています。一体何が起こっているのか,一体これは誰にも止められないのか,私は一介の地球市民として考えます。娘と議論します。娘は学校で友だちや先生と議論します。私はカフェのカウンターで議論します。誰が悪く,誰が被害者か,という段になると私はうんざりします。しかしそういう話にしかならないのです。銃を置け,砲撃をやめよ,爆撃をやめよ。ひとりでも多くそう言う市民たちが増えなければならないのです。

 Ya Basta !
 
 迫害され虐げられた民は報復する権利を持つ - この考え方を超克せよとブールダンは言います。今日明日の食糧もなく,子供たち老人たちが銃弾の的にさらされている時,罪のない市民の生きる権利が蹂躙されている時,何の議論が必要でしょうか。銃を置け,砲撃をやめよ,爆撃をやめよ。口に出し,文字にして,即時停戦を訴えてください。
 平和,Peace, Pace, Shalom, Salaam ... La paix, nom de dieu!

2009年1月10日土曜日

氷山は簡単には溶けない



 (←視界がせまい!)
 アラン・ルプレスト『氷山が溶けてしまう時』 
 Allain Leprest "Quand auront fondu les banquises"


 配給会社(L'Autre Distribution)がステッカーをベタベタ貼るので、どういう図なのかわからないではありませんか。これでは検閲されているみたいです。アーチストやジャケ制作したアートデザイナーの身にもなってください。責任者リュック・ジェヌテーの反省を促します。
 とは言うものの、これは勲章が3つ。見せたい気持ちもわかります。フランスで最も権威あるシャンソン専門季刊誌コリュス(CHORUS)の最高評点"COUP DU COEUR"。フランスで最も硬派な総合カルチャー週刊誌テレラマ(TELERAMA)の最高評点"ffff"(これは爺の最も信頼するシャンソン批評家ヴァレリー・ルウーの評です)。そしてフランスで最も歴史あるレコード芸術振興団体アカデミー・シャルル・クロの"Grand Prix"。言っておきますが、これは金で買えるものではありません。大レコード会社が裏で根回しすれば手に入るというものではありません。
 言わば、高度な専門家たちの異口同音、満場一致の最高評価です。ルプレストの場合、これはいつものことなのです。以前このことは雑誌にも書きましたけど、それだからと言ってルプレストのアルバムが売れるとか、テレビ/ラジオで紹介されるとか、そういうことにはならないのです。いつまでも孤高のマージナルアーチストなのです。それは本人が望んでいるわけではありません。
 これは死の床からの帰還を記念するアルバムです。言葉の出どころとも言える「脳」を冒され、その手術と闘病の間にすべてを閉ざされた男が見ていたものを記憶するアルバムにも聞こえます。覚醒したような、悟ったような、いろいろなものを許した後のような、「ザ・デイ・アフター」な雰囲気と言いましょうか、なにかが変わってしまったという感じが支配的です。それは大病後のやや頼りない声、ということだけではないでしょう。こんなに「丸い」ルプレストを聞いたのは初めてだ、ということです。実際の年齢が54歳でも、急激に20歳老けてしまったような...それでも枯れるというのではなく、丸みをつけていく老いと言いましょうか。
 3曲め「ポーヴル・レリアン」(Paul Verlaineポール・ヴェルレーヌ自身によるアナグラム)で、第一行が Il pleut, Paris fait sa Brussel(雨が降り、パリがブリュッセルに早変わり)と来ます。目の前を瞬時にして変えてしまう、ルプレスト流の第一行アートの力です。9曲め「張り出し窓(ボウ・ウィンドウ)」のリフレインが、Je n'aime rien tant / Rien ne m'émeut tant / Que toi (ジュ・ネーム・リヤン・タン / リヤン・ヌ・メムー・タン / ク・トワ)と来ます。私はおまえほど愛したものは何もない、おまえほど私を揺り動かせるものは何もない。訳すとありがたみが消えてしまいますが、この人にあって詩は何よりも強い、と改めて脱帽します。
 自分の死の床からの眺めを描写する4曲め「俺が死んでいた時」(作曲がドミニク・クラヴィック)、環境破壊のザ・デイ・アフターを歌う表題曲5曲め「氷山が溶けてしまう時」(「ジョージ・W・ブッシュに捧ぐ」と端書きあり)、活き活きとしたコスモポリタン下町メニルモンタンを言葉遊びで茶化す12曲め「メニルマヌーシュ」...挙げていたらきりがない佳曲ぞろい。それでも声のプレゼンスと、僚友ディディエ・ロマンのピアノ、この二つがこの傑作の大きな決め手だと、私は思うのです。二人に深い敬意を。

<<< トラックリスト >>>
1. Les Tilleuls
2. Nananère
3. Pauvre Lelian
4. Quand j'étais mort
5. Quand auront fondu les banquises
6. Arrose les fleurs
7. En joue
8. Amante ma jolie
9. Bow window
10. J'habite tant de voyages (en duo avec Yves Jamait)
11. SOS
12. Ménilmachouch'
13. Qu'a dit le feu qu'elle a dit l'eau
14. On leur dira

ALLAIN LEPREST "QUAND AURONT FONDU LES BANQUISES"
CD TACET/L'AUTRE DISTRIBUTION TCT081101-1
フランスでのリリース 2008年12月



(← セロファン包装を取ると、こういう姿)









PS 1 (1月11日)
1月5日に国営TVフランス2でスポット放送された"CD'AUJOURD'HUI" アラン・ルプレスト『氷山が溶けてしまう時』
 

2009年1月1日木曜日

今朝の爺の窓 (2009年1月)



 







新しき年の初めに豊の年しるすとならし雪の降れるは

                (万葉集 - 葛井諸会)




PS1(1月5日)
これはフランス人の友人が私の事務所に送ってくれた年賀状です。あんまり良くできているので、一部(友人の名前)を切り取って私の会社の年賀状として方々に送っています。すごく好評なので、私が作ったわけではありませんとみんなに言い訳メールも出したりして。作者は私の20年来の友だちで、カンボジア系のフランス人のペア・キム・ホンです。ありがっとう!!!